2024/08/03 - 2024/08/05
144位(同エリア183件中)
あるさん
道南を2泊3日で歴史旅してきました!
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道南旅行の2日目は、朝7時に朝食、8時に出発。登別グランドホテルの朝食ビュッフェは、海鮮ありスープカレーありで抜群の美味しさでした!
9時30分頃、写真の八雲パーキングエリアに着きました。噴火湾が一望できて、絶景スポットです。朝早すぎて、ショップなどはオープンしていませんでした。 -
時間は八雲と前後しますが、道中、有珠山と昭和新山が見えました。写真は昭和新山で、遠くからでもわかる特徴的な形をしていますね。時間があったら立ち寄りたかったですが今回は断念。
このあたりはペーパードライバーの自分が運転しましたが、逆に妻の体力精神力を奪ってしまったようです笑 -
落部ICで高速を降り、道南を一路西へと進みます。高速で登別~函館方面に向かう車はそれなりにありましたが、江差方面の車というと一気に台数が減ります。
この落部~江差の道は、箱館戦争の際、新政府軍が江差に上陸後進軍した道だそうです(今回の旅は逆順でしたが)。新政府軍は上陸後4方面に分かれて進軍、そのうちの一つがこの道、安野呂口でした。道中にはその名残を記録する看板がありました。 -
こちらがその看板。旧政府軍は新幕府軍を迎え打つために土塁を20数基作ったが、数が劣勢のために退いた、とあります。この看板をしばらく進むと、函館戦争戦没者の墓の碑があり、小規模かもしれませんが、ここでも戦闘が行われた形跡が見られました。
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山道を1時間ほど走ると、山が終わり、日本海が見えてきました。ついに江差に突入です。道の脇には北前船を模した看板に「ロマンの町」の文字。期待が高まります!
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そして着きました「えさし海の駅開陽丸」。江差の観光案内所と、開陽丸記念館を兼ねる施設です。
幕末に幕府の主力艦となった開陽丸はこの地に沈み、長くその場所は不明となっていましたが、昭和49年に沈没位置と推定された場所から遺留品が発掘されると、町をあげての発掘、調査が進むようになり、平成2年に開陽丸の実物大を復元、発掘された資料の展示を行うようになりました。
「街道をゆく」北海道編で、司馬さんがこの地を訪れたのは昭和53年なので、司馬さんは開陽丸の復元を見てはいませんが、発掘プロジェクトが進み熱気に満ちた江差を、司馬さんは体験したのでしょうね。 -
記念館の中には、開陽丸の模型がありました。1862年、幕府はオランダに、最新鋭の装備を備えた船の注文をします。街道をゆくのそのままの受け売りですが、外輪ではなくスクリュープロペラで推進すること、当時欧州でも最新であった椎の実型尖頭弾で後装式施条砲を備えていたこと、などなど、幕府は幕末最強の軍艦を手に入れます。
一方、オランダからは最新の鉄製による船の建造を提案されますが、幕府の認識は鈍く、木製で建造されました。 -
復元された開陽丸の外観はこんな感じです。手前には榎本武揚の写真が見えますね。もちろん木製ではないので随所にサビがあるなど不都合な点はありますが、そのサイズを感じるには素晴らしい存在です。
榎本武揚は江戸城無血開城の際、開陽丸をはじめとする幕府艦隊を率いて品川沖を脱出、北海道で新政権の樹立を目指します。開陽丸は陸戦の援護をするため江差に向かいますが、暴風にあい座礁、わずか2年ほどでその生涯を終えてしまいました。 -
内部は写真のようになっています。中に入ると、船というよりは博物館の中、といった感じです。
調査によって引き上げられた品々の、種類と数の多さは圧巻です。シュールな大砲発射体験コーナーもあるので、ぜひご訪問の上ご体験ください笑 -
発見された品は、砲弾以外にも様々なものがあります。こちらの写真は仕立屋さんの行李がそのまま引き上げられたもので、当時の生活道具が、海中でタイムカプセルのように眠っていたことがわかります。
司馬さんも本の中でこの行李について触れています。沈没した150年前に思いを馳せつつ、司馬さんの生きた50年前の空気も、この行李は伝えてくれている気がしました。 -
江差を後にして、ひたすら海沿いの道を南下します。次の目的地は松前。道路が海に落ちていきそうな、素敵な道が続きます。
沿岸の町の地名について調べてみると、江差は「昆布が取れるところ」、小樽は「砂の中の川」、苫小牧は「沼、山奥に入る川」、函館の前身ウスケシは「入江の端」という意味のアイヌ語に由来するそうです。アイヌ語の地名は、その土地の特徴や生活との関係がそのまま切り取られる印象ですね。
一方で和人が港町につける名前は「港=水の門」「津=水を進む所(渡し場)」のように、自然に対し人為的な介入のある漢字を含む地名も相当に多い様に感じます。これらは私見ですが、港という概念に対するアイヌと和人の認識の違いが、地名の由来からも読みとれるような気がします。 -
車で走ること1時間、道の駅「北前船松前」に到着しました。その名前からも、いよいよ北海道南端の町に到着したことを実感します!
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時間は13時、まずは腹ごしらえということで、道の駅でウニ丼と松前漬けをいただきます。
もう最高の美味しさでした。北海道は本当になんでも美味しいですよね。妻は松前マグロ丼を注文。早起き+運転を交代でさせられた挙げ句に謎の復元軍艦に連れていかれた気の毒な旅の仲間に、英気を養ってもらいます。 -
着きました、松前城!まさか実際に松前城に来れるとは、感慨深いです。
松前城は、これまた司馬さんの燃えよ剣でも出てきますね。小説では歳三により一瞬で落城してしまいますが… -
松前城天守閣からの眺めです。
松前城は幕末に、外国に対する海防のために築城された城で、日本の城としては最後期にあたる1855年に建てられました。司馬さんは、松前藩についてかなり厳しい評価をしており、特に函館ではなくこの平地の少ない松前に固執する藩の方針を糾弾しています。 -
松前城の天守閣内部は資料館になっていて、松前城の縄張り図がありました。松前城の特徴は、海に面した三の丸に、外国船を打ち払うため、7基の砲台があることだそうです。分かりにくいですが、写真の下段の茶色い部分が砲台の位置です。
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そして北前船の展示もありました。ずんぐりムックリの姿に、大きな一枚帆が特徴的な船です。
船が運んだのは米や塩など様々な商品があったと思いますが、松前と言えばやはりニシンのイメージが強いです。江戸時代後期から、鰊粕は効果の高い金肥として重宝され、遠く北海道からこの北前船で本州の農地を潤していきました。 -
松前城の北方の山手側には、寺町があります。松前に限らずですが、道南、特に松前半島は本当に平地が少なかったです。貴重な平地は城下町となり、寺社は山手側の一画にひっとりと佇んでいました。
写真は法源寺の重要文化財の山門です。江戸時代に建てられ、箱館戦争の戦火を免れた貴重なものだそうです。 -
8月に、紫陽花が咲いていました。北海道に来たことを改めて実感しますね。
公園内を歩いていると、松前城だったり福山城だったりと、城の呼称が異なること気づきます。松前城は、当初松前氏が福山台地に福山館を建てたことに始まり、幕末の大規模な築城により、福山城が完成、この時、備前福山城との混同を避けるため松前福山城、松前城と呼ばれるようになった、という経緯があり、歴史的にみるとあながちどちらの呼び方が誤り、ということでもないようです。 -
14時に松前を出発し、ドライブすること1時間半、またマニアックな歴史的ポイントに到達してしまいました笑
1860年に、日本人の操船により初めて太平洋を横断しサンフランシスコにたどり着いた、あの咸臨丸の終焉の地、サラキ岬です。 -
岬には咸臨丸についての解説板がありました。咸臨丸も開陽丸と同じくオランダ製の船で、前者はキンデルダイク、後者はドルトレヒトで建造されたとのこと。オランダの地理には詳しくないのですが、地図で見ると2つの町はかなり近いんですね。
同時代にオランダで生まれた2隻が、ともに幕府の軍艦となり、ともに遠く離れたアジアの北海道沖に沈んだというのは、何か運命のようなものを感じてしまいます。 -
解説板からさらに奥に進むと、咸臨丸の模型と、風車がありました。こちらの模型は開陽丸とは違い、かなりサイズは小さくなっています。
浅学の徒には開陽丸と見分けがつきませんでした笑 -
海側には咸臨丸の遭難推定地点が描かれた解説がありました。
解説によると、1871年、咸臨丸は開拓移民の運搬船となり、戊辰戦争で敗者となった白石藩の家臣400名余をのせて仙台から小樽へむかう途中、サラキ岬沖で座礁、乗船者に死者は出なかったものの、船はそのまま沈没してしまったそうです。
この移民たちは後に札幌に到着し、現地を開墾、現在の白石区はこの先人達が拓いた土地だそうです。1日目に羊ヶ丘展望台から見えた場所は、咸臨丸が繋いだ景色とも言えそうです。そして札幌で食べた彩未ラーメンも咸臨丸がなければ出会えなかったかもしれず…ありがとう咸臨丸! -
サラキ岬を後にして、17時頃、ついに函館に到着しました!夫婦ともに疲労困憊です…
新千歳~札幌~白老~登別~江差~松前~函館を2日間で走破、距離にして539キロの旅、それは疲れますね笑 レンタカーは駅前で返却し、ここからは公共交通機関の旅です。 -
17時、函館といったらまずはここですね、そうです高田屋嘉兵衛の銅像です。
司馬さんの「菜の花の沖」の主人公にして、現在の函館の繁栄の礎を築いた方ですね。司馬さんもこの銅像を見上げたことが、街道をゆくに記されています。
そして手前に写っているのは、「日露友好の碑」。碑文によると、1999年にロシア船艦長のゴローニン、副館長のリコルド、そして高田屋嘉兵衛の子孫3人がこの地に再会を果たし、それを日露友好の記念として建てた碑だそうです。もし司馬さんの生前にその出会いがあったら、司馬さんはどんな感想を述べたのか、色々な想像が膨らみます。 -
現在、函館の高田屋嘉兵衛資料館は平日週3日のみオープンしているという状況で、嘉兵衛について学べる機会が少なくなっていることが残念でした。
ちなみにこの高田屋嘉兵衛の後ろには、これから登る函館山が見えるはずですが、雲に覆われて全く見えません… -
函館山のロープウェイ乗り場には頂上のライブカメラが映され、曇天で眺望が全くない旨がアナウンスされていました。
ですがそのお陰で休日の夕方にも関わらず、ほぼ待ち時間もなくロープウェイに乗ることができました。この日は上空の風が強く、どこかで雲の切れ間が来るかも知れず、日頃の行いを信じてロープウェイに乗り込みます! -
18時50分頃、頂上に着いてすぐは全く視界がありませんでしたが、19時を過ぎるとぼんやりと街の灯りが見えてきました。
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函館市街のシルエットが見えてきました、もう一息というところ!
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待つこと30分、雲は消え、完全な夜景を見ることができました!初めて見ましたが、噂通りの素晴らしい景色でした。直前まで曇っていたため人もそこまでは多くなく思わぬ幸運でした。
「100万ドルの夜景」として有名な景色ですが、昨今の円安により、円換算するとここ十数年で1番高額な夜景になっているのでは、と期待がありました笑
が、調べてみると言葉の由来としては100万ドルの電気代の夜景、ということだそうです。むしろかかった電気代はドル換算するとここ十数年で1番安かったかもしれないですね笑 不粋な計算をすることが人の道の間違いだったようです笑 -
函館山のロープウェイ待ち場には、コナンのパネルがありました。函館を舞台にした映画が放映中ということで、4~9月にかけてスタンプラリーが行われています。
人並みにコナン好きの我々は、せっせとスタンプを集めて回ります笑 -
ロープウェイを降りて街を歩くと、花電車が走っていました。8月1~5日にかけて函館港まつりが開催されており、それにあわせ期間限定で花電車を走らせているそうです。函館名物イカ踊りをBGMに颯爽と走り去り、珍しいものを体験できました。
夏休み+コナンイベント+港まつり、ということで、どうりで人が多いわけです。松前城資料館が貸し切り状態だったことが、遠い記憶のようです…。 -
夜はイカが食べたい、ということで、ホテル近くの函館山という居酒屋に行きました。本当にどれも美味しく、大当たりのお店でした。メイン通り沿いではないということもあってか、他の店が混雑する中、20時30分の入店でしたが待たずに席に着くことができました。
鶏ザンギ680円、アスパラ680円、とうもろこしの天ぷら580円、カニ味噌500円、いか刺し2280円、ほたてバター焼き780円、飲み物少々…で2人で8000円程度と、お財布にも優しいお店でした! -
こちらが、いか刺し。絶望的なほど写真の技量がありませんが、見た目から美味しく満足でした。最後、ゲソは焼きか揚げを選べたので、揚げをいただきました。
函館を堪能して、これにて旅の2日目は終了です!今夜の宿はホテルグローバルビュー函館という、アクセス抜群のホテル。普通のビジネスホテルかなと思いきや、温泉あり、美味しいバイキングありと、とても満足でした。
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