2024/06/03 - 2024/06/08
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ブリッヂ・トレック(橋梁旅行)さん
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JR西日本の株主優待券を使って、九州北部へ行ってきました。
この優待券は乗車券だけでなく4列車まで特急券も半額になる優れもの!往路は山陽新幹線、復路は山口線・山陰本線・東海道線の特急等を乗り継いで、大阪市内→米原という一筆書きにしました。
目的地の福岡は言わずと知れた炭都。炭坑節にも歌われた三井炭鉱等と港や八幡製鉄所とを結ぶ為、早くから鉄道網が発達した地域で、古い鉄道橋も数多く残っています。
今回は筑豊炭田や八幡製鉄所との関わりも交えつつ、橋を巡っていきます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 JRローカル 徒歩
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新幹線で新大阪から新山口へ。
ここで一筆書きの切符で途中下車し、別途切符を購入。JR西日本とJR九州を跨ぐので、ICカードで入場すると面倒くさい事になってしまいます。新山口駅 駅
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【西小倉駅跨線橋】
竣工年不明、プレートガーダー橋
車運車ク5000を橋桁に転用したと言われる跨線橋。
鹿児島本線にホームを新設した1987年(昭和62年)頃の架設か…西小倉駅 駅
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台車や連結器取付部が見て取れます。
両端はそのまま、中間のボルト留め2箇所で短縮改造しているようです。 -
ク5000の側柱もピッチを短縮、1600mm位しかない高さを嵩上げし屋根を支える柱として利用されているようです。
2階車路の床組も屋根裏に隠れているならば、そちらも構造材と見なせると思われるので、フィーレンディール橋となりますが、真相や如何に… -
【響灘沈艦護岸】
1948年(昭和23年)竣工
運輸省港湾局は予算節約の為、割栗石上に上部構造物を撤去した旧海軍艦艇を沈設、内部に砕石等を詰め護岸として再利用しました。今見えている艦は駆逐艦 柳。 -
構造図がありました。北側には涼月・冬月も埋設されていますが、今は露出していません。
※出典:港湾構造物集覧/運輸省港湾局 -
1961年(昭和36年)の第二室戸台風で破損し、内部に充填していた砂等が流失、コンクリートを打設して現在の姿に。
若松港の他に秋田、小名浜、宇部、八丈、竹野等の港でも実施、計13隻が沈設。空母天城は函館港にて青函連絡船用繋留桟橋として再利用されました。 -
【若戸大橋】
1962年(昭和37年)竣工、補剛吊橋
日本初の本格的な長大吊橋(支間長367m)!
【重要文化財】若戸大橋 名所・史跡
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主塔と橋台の間に橋脚があるのが独特。
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2011年(平成23年)から着手した補修工事では、一時撤去された部材の復旧にリベット接合を採用。接合方法も含めた完全な原状復旧とするだけでなく、リベット接合の技術を後世に伝える目的もあったようです。
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イチオシ
【旧古河鉱業若松ビル】
1919年(大正8年)築
石炭の積出港として発展した若松。この他にも旧三菱合資会社若松支店等の貴重な建築物も残存しています。
【登録有形文化財】旧古河鉱業若松ビル 名所・史跡
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イチオシ
【河内貯水池】
1927年(昭和2年)竣工、重力式コンクリートダム
8年の歳月をかけて製鐵所(八幡製鉄所)が工業用水確保の為に建設したダム。
設計は製鐵所土木課長の沼田尚徳氏ら。
【土木学会選奨土木遺産】河内貯水池 自然・景勝地
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堤体は布積みの石貼。
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左岸の余水路はアーチ橋を架設、この橋台部だけが谷積みです。
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取水塔は割石をメインに、笠石や帯石には自然石をあしらっています。
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取水塔入口上には竣工時の製鉄所長官、中井励作氏の揮毫による扁額。
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管理事務所は打って変わって自然石で造られていました。
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扁額は沼田尚徳氏の揮毫。
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イチオシ
【南河内橋】(魚形橋)
1926年(大正15年)竣工、下路レンティキュラートラス橋
念願の南河内橋!!国内に唯一残るレンティキュラー!
【土木学会選奨土木遺産】【重要文化財】 -
lenticularはカマボコ状の凸レンズの意。
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上弦材と下弦材の間に中間弦材がある独特な景色!斜材はターンバックル、上横構はトラス上でナット留めされています。
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国内では本橋を含め3橋架設されたそうです。
残る2橋は桐生橋(群馬県桐生市)、大渡橋(群馬県前橋市)
(出典:TTSの道路探検 様) -
腐食しやすいラチスの高欄が建設時のまま現存しているのもポイントが高い。
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沓は両端が固定端、中央に可動端が並ぶ珍しい配置。
伸縮継目は見るのを忘れました… -
端柱にはかつては八幡製鉄所の社章、◯sのマークが付いていましたが、除去されていました。
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【中河内橋】
1927年(昭和2年)竣工、アーチ橋
自然石を積んだアーチ橋。こちらも八幡製鉄所の建造。
案内看板によると、アーチ環は両端を除いて鉱滓煉瓦を使っているらしい。 -
鉱滓は銑鉄を作る際に出来てしまう副産物で埋立処分が主流でしたが、鉱滓煉瓦の技術が日本に伝わると建築物や橋等に盛んに利用されました。この橋は、モルタルか何かで鉱滓煉瓦が上塗りされたようで、視認できませんでした…
車道橋は増設を繰り返したらしく、親柱は車道中央に。 -
西鉄北九州本線 【折尾高架橋】
1914年(大正3年)九州電気軌道が開業、2000年(平成12年)廃止、煉瓦積アーチ橋
3連の内1連のみねじりまんぽ、しかも欠円のねじりまんぽ!!
道に架かる左1連は右の2連と違って斜角付きの為、ねじりまんぽに。 -
終点方は下路プレートガーダーを受けていた橋台、かつては筑豊本線の短絡線を跨いでいた。
パラペットは一部破損、修復の跡、その下のアーチも補強。 -
イチオシ
両端を除いて迫受も含め総煉瓦積み、径間はねじりまんぽとしては欅坂拱橋に次ぐ大きさ!
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JR鹿児島本線 【新川橋梁】
1890年(明治23年)九州鉄道が開業、下路プレートガーダー橋 -
跨線橋から見下ろす事ができました。
かつては上り線に、斜角付きの100ft級下路プラットトラスが架かっていましたが、90年代半ばに撤去されてしまったようです。 -
【遠賀川水源地ポンプ室】
1910年(明治43年)頃築
送水システムの設計監理は近代水道の父と称される中島鋭治氏、ポンプ室建屋設計は舟橋喜一氏ら。
【世界遺産】遠賀川水源地ポンプ室 名所・史跡
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八幡製鐵所に必要な水を供給する為、第一期拡張工事に合わせて建設。赤煉瓦をメインに、アクセントには鉱滓煉瓦も!
1950年代(昭和25年)に電動ポンプに更新されましたが、今もなお河内貯水池と共に製鉄所に工業用水を供給し続けています! -
筑豊本線 【遠賀川橋梁】
1891年(M24)筑豊興業鉄道が開業、下路プラットトラス橋他
下り線のトラスは1923年(大正12年)横河製。補修のため単線運行となってもうすぐ2年、このまま単線化してしまうのでしょうか… -
イチオシ
線間には煉瓦積みの旧橋橋脚が残存!! 半分以上撤去された上流側が筑豊興業鉄道の物と思われます。
筑豊興業鉄道は石炭運搬の為、若松港と直方・飯塚とを結んでいました。 -
橋脚は内部も含め、全て煉瓦積み!
煉瓦は表面のみで内部はコンクリート充填だと思っていました。 -
上流側と下流側ではころびが異なります。
「北部九州における筑豊興業鉄道に関する史的研究」/土木学会によると、複線化つまり旧上り線の架設は1896年(明治29年)との事。
筑豊興業鉄道架設のトラスは伊予鉄道横河原線の石手川橋梁と同設計の英国製ポニープラットトラスだったそうです。 -
アングルに残るペンコイド社の刻印!
初めて観ました。 -
こちらはカーネギー。どちらも米国ペンシルベニア州の鉄鋼メーカーです。
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筑豊電気鉄道 【黒川橋梁】
1958年(昭和33年)開業、上路プレートガーダー橋
4連の内3連がJ型スティフナーの古そうな桁。 -
桁端等には補強材取付の痕跡があり、元々はクイーンポスト型フィンク補強が施工された国鉄の桁ではないかと思われます。
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桁中程の補強材切除跡。
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クイーンポスト型フィンク補強の一般図、大正末期から昭和初期にかけて、荷重の増加に対応する為、盛んに施工されました。
出典:鉄道業務研究資料 第7巻第7號/1950 -
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