2019/11/06 - 2019/11/06
54位(同エリア111件中)
ぴよ太さん
2019年のドイツ旅行記第一弾です。
本年(2024年)はベルリンの壁崩壊35周年なので、今年の11月までにベルリンの旅行記をアップできたらな~なんて無謀な野望を抱いてしまい、やっと再開した2015年の旅行記そっちのけで書きました。
そして、この旅行中また体調不良です。
「『また』…とは??」と戸惑っていらっしゃる方初めまして。よろしければ2015年の旅行記も目を通していただければ幸甚です。↓
https://4travel.jp/travelogue/11113193
さて今回、旅行2週間前に、滂沱の鼻水と喉の痛み、激しい咳の三本立てに見舞われてしまい、病院のお世話になりました。想定よりも治りが遅く、今回はマジでヤバいかもしれん…と、キャンセルを覚悟しましたが、5日前になんとか持ち直し無事に出発できました。
…と思ったら、空気が乾燥しているドイツで、粘膜の状態があっさり悪化。墜落しない程度の超低空飛行の体調で観光地を回る羽目になりました。
もしやドイツに嫌われてる???…私はこんなに想っているのに…??
と言う訳で、2019年はベルリンの壁崩壊(=Mauerfall)30周年。祝祭ムードのベルリンをメインにドイツを旅しました。
今回の旅では頑張って写真も多めに撮りました(当社比)。それについては、使えない写真の割合が多くなっただけという内なる声もありますが…
1日目。深夜便で羽田を出発し、予定通り早朝にフランクフルトに着き、そこから宿泊地のアイゼナハへ向かいました。
世界遺産のヴァルトブルク城ではプチ登山、バッハハウスでは強制たたら踏みを体験しました。
表紙の写真は、プレイモービルのバッハです。
プレイモービルにはご当地有名人シリーズがあって、ちょっとずつ集めています。全員が同じ顔をしているのはご愛敬。観光案内所とか土産店、地元の書店などで購入することができます。
今回の日程(☆印が旅行記の内容です)
11月 6日 羽田→フランクフルト→アイゼナハ ☆
7日 アイゼナハ→ベルリン
8日~11日 ベルリン
12日 ベルリン→ポツダム
13日 ポツダム
14日 ポツダム→ベルリン
15日 ベルリン→リューベック
16日 リューベック
17日 リューベック→ハンブルク
18日 ハンブルク→マールブルク
19日 マールブルク→フランクフルト→羽田
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今回は成田ではなく羽田空港出発です。フランクフルト行きの深夜出発便に初搭乗しました。
羽田空港もクリスマスムード。 -
ちょっと分かりにくいですが、徐々に色が変わっていってキレイでした。
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ドイツに入国しました。車に関心ないくせに空港でこんな写真だけ撮ってる謎。
よく見たらJUGUARですね。かっこいいなあ。フランクフルト空港長距離列車駅 駅
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飛行機は定刻に着いたのに、ジャーマンレイルパスのヴァリテーションでちょっとすったもんだがありまして…
空港駅のDB(Deutschebahn:ドイツ鉄道)窓口のお姉さんに使用開始日付を間違えて記入されてしまいました。
急いでいたのでその場で確認せず、私がその事に気づいたのはフランクフルト中央駅に向かうSバーンに乗る直前。使用日の日付をパスに記入しようとして青くなりました。今日から使用しますって言ったじゃん…なんで使用開始日が明日になってるのよ~
今から窓口まで戻っている時間はありません。が、自分で開始日を修正しても大丈夫なのか、使用日の日付さえ合っていればいいのか見当がつきません。
中央駅までは電車で10分程。ネットであれこれ調べるより中央駅のDB窓口に行った方が早い!
この日は、アイゼナハへ乗り換えなしで行くICEが2時間に一本しかなく、それなりに重量物な荷物を持って、遅延しかしない(偏見)DB鉄道の乗り換えを避けるために、どうしても次の直通列車に乗りたかったのです。
中央駅のDB窓口に駆け込んだところ、幸い待ち時間なく対応してもらえました。担当者は初老の男性で、すぐに日付を修正してサインをしてくれました。「一応念のために」と駅のスタンプまで押してくれて、チキンな私もほっと安心。
パスの紙面は、おじさまの書き込み&デカい駅名スタンプでけっこうにぎやかな有様になりましたが、お蔭で貴重な朝の2時間をロスせずに済みました。
その後の車掌さんによるチケットチェックの際、すごくジロジロ見られることはありましたが何も言われませんでした。フランクフルト中央駅 駅
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天気はあまり良くないけど、そこが欧州の秋っぽくていい!
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予定通りにアイゼナハに到着。
ドイツの町には正式な地名の他に、二つ名というかサブタイトル的に名称が付いていることがあります。この駅名表示板の下部に「ヨハン・セバスティアン・バッハ生誕の町」と書かれているのがソレです。
ヴィッテンベルクは「ルターの町」だし、私が2015年に訪問したStaufen im Breisgauは「ファウストの町」という感じです。
Staufenの旅行記はコチラ↓
https://4travel.jp/travelogue/11112273
ルターは大人気なので、アイスレーベンも「ルターの町」だし、「ルターの町連合(仮訳)」というものがあり、約15もの都市が加入しています。
因みに副題に組み込まれるのは、ご当地出身の偉人だけでなく、観光名所や名産品など何でもありっぽいです。バーンホーフ通り (アイゼナハ) 散歩・街歩き
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駅のエントランスホールにはステンドグラスがあります。これはアイゼナハ自動車工場70周年記念を祝って作られたものです。
実はアイゼナハは100年以上の歴史を持つ自動車産業の町で、BMWアイゼナハ工場の跡地にはアイゼナハ自動車博物館があります。
東ドイツ時代にはWartburg(ヴァルトブルク)というブランドの自動車がこの工場で製造されていました。
この生産は1991年まで続き、ドイツ再統一後に工場は閉鎖されましたが、その後Opelが新しい工場を建設し現在も稼働しています。 -
その反対側、こちらはアイゼナハ近郊にある「時計の町」と呼ばれるルーラがモチーフとなっています。
この町には「mini-a-thür(ミニアテュール)」という名前のテーマパークがあって、 テューリンゲン州の観光スポットのミニチュア模型が展示されているとのこと。規模の程は分かりませんが、ミニチュア大好きなのでいつか行ってみたいな~ -
ホテルに向かう途中に花屋さんがありました。
ここでもクリスマスの準備が始まっています。こういうの買って帰れたらいいのにな~ -
この季節にぴったりのクリスマスローズも並んでいました。
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カットされたもみの木。どう使うのかな。キロ売りしているところがドイツっぽい。
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ホテルに荷物を預けて、徒歩でマルクト広場に向かいます。
ヴァルトブルク城行きのバスは駅前からも乗れますが、観光案内所に寄りたかったので。マルクト広場 (アイゼナハ) 広場・公園
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アイゼナハの市庁舎。16世紀の建築物で、文化財保護指定建造物に指定されています。
マルクト広場 (アイゼナハ) 広場・公園
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「こんな建物に住んでみたい」と思って撮った写真。向かって左側の色の違う塔のような部分と、建物真ん中のバルコニーがお気に入りポイントでした。
「Bürgerbüro」と呼ばれる、市民が日常的な行政サービスを受ける窓口がある建物だそうです。マルクト広場 (アイゼナハ) 広場・公園
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広場の中心には、12世紀に建てられた聖ゲオルグ教会があります。バッハゆかりの教会のとのこと。
マルクト広場 (アイゼナハ) 広場・公園
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小さくしか写ってないのですが、突き当りの家がルターハウスです。チューリンゲン州最古の現存する木組みの家の一つと言われています。
ここに1498年から1501年までマルティン・ルターが住んでいました。現在は博物館になっています。マルクト広場 (アイゼナハ) 広場・公園
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こちらがマルティン・ルター(1483~1546)。
ドイツの神学者でヴィッテンベルク大学で教鞭をとっていました。
彼が「95ヶ条の論題」を教会の扉に打ち付けたことが、宗教改革の発端となりました。なので、私の脳内イメージのルターさんは、釘とトンカチを手に荒ぶる姿で描かれがちです。
当時、ローマのサン=ピエトロ大聖堂大改修の費用を得るためという理由で、ドイツ国内で贖宥状(しょくゆうじょう)の販売を始めたローマカトリック教会。それに対して怒り心頭となり、到底勝ち目のなさそう(当時視点)なケンカを売ったのがマルティン・ルターです。
これによりローマ教皇と、ケンカの仲裁に入ってきた神聖ローマ皇帝カール5世という、当時ぜったいに怒らせちゃいけない二大巨頭をまんまと怒らせ、異端者認定された挙句「vogelfrei(フォーゲルフライ)」を宣告されます。言葉自体はドイツ語で「鳥のように自由な」という意味ですが、実際はそんな歌に出てくるようないいものではなく、「法の保護を失った状態」を指します。
つまり社会的な追放を意味し、基本的人権ナニソレ?な状態なので、害されたり殺されたりし放題。常に命の危険に晒されるという物騒な身の上になってしまいました。
そこでルターに手を差し伸べたのが、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公(名前がかっこいい!)。襲撃を装い、半ば強引にルターをヴァルトブルク城に匿います。(後半に続く) -
ところで、贖宥状って何?
免罪符としてご存知の方も多いかもしれませんが、細かいことを言うと贖宥状と免罪符は異なるものです。
「免罪符」は文字通り「罪を免れるもの」という意味です。対して「贖宥状」は、罪に対する罰の軽減を意味するもので、罪そのものの赦しではありません。
本来は、善行や巡礼などを行うことで、罪の償いに必要な「煉獄での時間」が短縮されるはずでしたが、贖宥状は購入するだけでこの時間がショートカットできると喧伝されたため、多くの信者たちがこぞって購入しました。
写真は、マインツのグーテンベルク博物館の印刷体験に参加して、自分で印刷した贖宥状です。と言っても、言われるがまま印刷機のハンドルを回しただけですが…印刷体験は有料ですが、記念になるし、楽しかったのでオススメです。 -
観光案内所の入り口ではプレイモービルのかわいいルターさんがお出迎えしてくれました。
通常のプレイモービルは手のひらサイズの玩具ですが、こちらの御方は子供の背丈くらいありました。とっても良く出来てる!これを見るためだけに観光案内所までやって来ました。
手には羽ペンと左頁に「旧約聖書」、右頁に「新約聖書 独訳 by Dr. マルティン・ルター」と書かれた本を持っています。これも実物と同じ。
ついでに、窓口でお城行きバスのチケットも購入しました。観光案内所 (アイゼナハ) 散歩・街歩き
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こちらが実際のプレイモービルのルター(左)とゲーテ(右)です。
マルティン・ルターはヴァルトブルク城滞在中に、新約聖書のドイツ語への翻訳を行っており、ルターが作業をしていた部屋が今でも残っています。
聖書の独訳はルター以前にもなされていましたが、彼はドイツの一般民衆が理解できる「標準ドイツ語」を作り聖書を翻訳しました。
ゲーテは、ルターによる聖書の翻訳がドイツ語に与えた影響について非常に高く評価し、「ルターの聖書翻訳は、ドイツ語に統一性をもたらした」的な発言をしています。
なので、仲良く一緒にパチリ。 -
付属の本の文字もちゃんと読めます。ゲーテの本は「ファウスト」です。
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ヨーロッパの街並みはいくら眺めても飽きません。特に街中の坂道が好きです。
マルクト広場に面したバス停で待っていると、お城行きのバスは定刻通りに来ました。マルクト広場 (アイゼナハ) 広場・公園
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バスは順調に走り、山道を上って行きます。
突如、信号も何もない所で減速したなと思ったら、後方に座っていた乗客の何人かが急に立ち上がってバスの前方に駆け寄り、パシャパシャと写真を撮り出しました。
ここはヴァルトブルク城が見えるポイントで、ドライバーさんが観光客のためにスピードを落としてくれたのです(アナウンスなんて気の利いたものは無し)。
慌てて私もそれに倣いましたが、バスはすぐに元のスピードで走り出し、結果はご覧のとおり…トホホ。 -
終点でバスを降りたら残りの道程は徒歩。かなり急な階段を上っていきます。バスがお城の前まで行かないのは知っていましたが、想像していたよりも長く急な道を歩きました。
こちとら、かなり懸命に歩いているのですが、ドイツ人は健脚民族(偏見)なので、どんどん追い抜かれていきます。 -
途中にあった地図。カフェやらアイス屋さんがあるようです。当時は気づきませんでした。冬期もやっているのかな…
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なんとか上り切りました。後ろから来たシニアの男性に「大丈夫?」とけっこうな真顔で声をかけられたので、よほど疲労困憊していた模様。
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さっきまでいたアイゼナハの町が見えます。けっこう登ってきたな~(大半はバスの力)。
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とうとう城に到着か!?と喜んだら、ホテル&レストランでした…
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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頑張って城全体を画角に収めようとしましたが、無理でした。
バス車内でのシャッターチャンスを逃してしまったのが悔やまれます。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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中世感満載の城壁をくぐると…
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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城の中庭に出ました。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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塔の上に掲げられたドイツ国旗の右側、曇り空で霞んでしまっていますが、金の十字架が立っています。これは、この城で暮らした聖エリザベート、聖書の翻訳をしたルター、二つの宗派を代表する両人を偲んで1859年に建てられたものです。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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ヴァルトブルク城 城・宮殿
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秋なので、壁面を這う蔦が赤く色付いてキレイでした。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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お土産ショップの入り口もメルヘンチック。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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すぐ傍に鳩小屋もありました。
このコたちは孔雀鳩という種類です。
尾羽がフリフリでかわいい~
13世紀に聖エリザベートが、この種類の鳩を城に連れてきたのが始まりだという話もあるそうです。現在ではこの城で唯一の住人となっています。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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同じく中庭にある「ドラゴンの井戸」。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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ドラゴンの口から水が出るらしいのですが…
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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城内は英語かドイツ語のツアーに参加して見学します。この時は個人での見学は不可でした。
写真は「エリザベート嬢の暖炉の間」と呼ばれる部屋です。カトリックの聖人であるエリザベートが13世紀に実際に暮らした部屋と言われています。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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壁画と天井の装飾はガラスモザイクです。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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聖エリザベートはハンガリーの王女で、テューリンゲン方伯の長男であるヘルマンの将来の妻として、4歳の時にこの地に連れてこられました。ですが、ヘルマンが早世したため、ヘルマンの弟であるルートヴィヒと結婚します。彼女はこの14歳。この時代には珍しく、二人は恋愛結婚だったそうです。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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毎度のことながら、ボケボケ写真で恐縮ですが、一番左の女性が聖エリザベート。
エリザベートは非常に信仰が篤く、貴族でありながら当時の格差社会に疑問を持っていました。自らの富を貧しい人々に施すことを厭わず、救済院を設立しただけでなく、率先して病人や孤児たちの世話をしました。
後に、その強い信仰心ゆえか、アイゼナハにやって来たコンラート・フォン・マールブルクという修道士(で異端審問官でもあった)から強い影響を受け、彼に従うようになります。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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夫のルートヴィヒ 4 世が乗船する十字軍の船も描かれていました。彼は従軍中にイタリアで病死してしまいます。
ルートヴィヒ 4 世は当初、十字軍の参加には消極的でしたが、これを説得して参加させたのが上記の修道士コンラートです。
その後もエリザベートは熱心に慈善活動を続けますが、当時の貴族社会では過度の施しを行うことは、財産の浪費や家の名誉に傷をつける行為と見なされることもありました。
彼女が亡夫の遺産を貧しい人々に分配し始めると、エリザベートの保護者として振る舞う修道士コンラートの影響力を危惧した親族たちは、彼女から様々な権利を剥奪しました。ついに彼女は子供たちを連れ、ヴァルトブルク城を去ります。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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精神的指導者であるコンラートに服従を誓ったエリザベートは、彼の元でさらに禁欲的で質素な生活を送ります。「指導」に従い、親戚、友人とも縁を切り、最後には子供たちまで手放してしまいます。
身を削って神と弱者への奉仕を続けたエリザベートは、24歳の若さでこの世を去っています。一説には厳し過ぎる禁欲、貧困生活が原因だったのではとも言われています。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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歌合戦の間。
13世紀頃、ミンネゼンガー(吟遊詩人)たちがこの部屋に集まり、歌合戦を行ったという伝説があります。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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「歌合戦の間」の壁画。
中世ドイツにおける「歌合戦」は、詩人や歌手が音楽的に競い合う競技でしたが、負ければ処刑もあり得る結構ガチな合戦でした。
この歌合戦はワーグナーの「タンホイザー」のモチーフとしても知られています。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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中央の男女は、テューリンゲン方伯ヘルマン1世夫妻。
それを囲む人々の中には、中世の衣装を身に纏ったワーグナー、リスト、ルターが描き込まれているそうです。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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「ミンネゼンガーのキャビネット」と呼ばれている家具。19世紀のものです。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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祝祭の間です。
音響効果がいいので、現在でも様々なコンサートがここで開催されています。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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天井の装飾が見事。
19世紀の大規模修復工事によって現在の姿になったそうです。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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場内ツアーはここで終わり、この後は個人で見学します。
何となく領主になったような気持ちになる窓だったので、撮ってみました。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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ルターが聖書の翻訳作業をしたという部屋です。
滞在中、ルターはユンカー・イェルクという偽名を使っていました。机の正面の壁にかかっている肖像画が、イェルクだった頃のヒゲ面のルターです。身分を隠す為とはいえ、本人は全くお気に召さなかったらしく、城を出た後にヒゲを蓄えることはなかったそうです。
机、椅子、本はレプリカです。机の右側、足元に置かれているのは鯨の椎骨。足置きとして使われていたそう。これはオリジナルです。ということは、ルターさんがこれに足を乗せたということ?急に有難味が…ヴァルトブルク城 城・宮殿
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オリジナルの机は訪れた人々がちょっとずつ削って持って帰ってしまい、ボロボロになってしまったそうです。聖遺物としてだけでなく、木片をくわえれば歯痛が治るとまで信じられていたとか。
現在では、調度品の置かれているエリアには立ち入れないようになっています。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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緑色のタイル張りのものは暖炉です。これは後の時代に作られたもので、ルターの時代には普通の暖炉(映画とかでよく見るヤツ)があったそうです。
この部屋には、悪魔がたびたび現れちょっかいを出してきたので、怒ったルターがインク壺を投げつけたという伝説があります。その時に出来たインクの染みが壁にあるというのですが、よく分かりませんでした。因みに、この話に歴史的根拠はないということです。
ここに来るまでのルターは大学教授でもあり、生徒や同僚たちに囲まれた生活をしていました。一年弱の短期間とはいえ、この城での極端に孤独な生活はルターの精神にかなりのダメージを与えていたようです。親しい友人への手紙には、悪魔と戦う幻覚や恐怖を綴っているものもあるそうです。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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「ルター図書館」。1883年、ルターの生誕400年を記念して設立されました。彼の著作や関連文献が数多く保存されています。
ヴァルトブルク城 城・宮殿
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(さっきの続き)
ルターは身分を隠したまま、己の身を守るためにヴァルトブルク城に滞在することとなります。
当初、ルターは先の襲撃で死んだのではないかという噂が立ち、世間的には行方不明扱いとなっていました。
が、後に「実は生きてました!」ということが発覚した際も、教皇レオ10世と皇帝カール5世は、ルターとそれを匿っているフリードリヒ賢明公に手出しすることはできませんでした。
皇帝カール5世は自身が皇帝即位の際に世話になった義理があり、教皇レオ10世はハプスブルク家の権力拡大に対抗するため、国際的にも影響力を持つフリードリヒ賢明公を表立って咎めることができなかったからです。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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写真は、ルターとメラヒントン(←ルターの親友)によるドイツ語版の聖書。
城滞在中、ルターは新約聖書をドイツ語に翻訳する作業に取りかかります。
既存宗教の在り方を正そうとしたルターが、ここでなぜ聖書の翻訳作業を始めたかというと、
それまでの聖書はラテン語やギリシア語で書かれており、一部のエリート層しか読むことができなかった
↓
一般の信者は聖書の内容について知るためには、教会や聖職者に頼るしかなかった
↓
それを良いことに教会は聖書の解釈を(自分たちに)都合のいいように広め、贖宥状の販売まで始めた(←今ココ)ヴァルトブルク城 城・宮殿
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聖書が信仰の中心であり、全ての信者が自分で読んで理解すべきだと考えていたルターは、ドイツ全土で使われている言葉を調査し、できるだけ多くの人に理解されやすい言葉を使い、一般庶民でも理解できるように聖書を翻訳しました。
軽い軟禁状態のルターは、気軽にほいほい外出できなかったので、この地道な作業には多くの支持者や支援者が協力しました。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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帰りのバスの時間が迫ってきていて、後半は巻き気味で見学をしました。小雨の中、急いでバス停に向かいます。
帰りも撮影スポットで減速してくれるかもと淡い期待をしていましたが…(お察し)ヴァルトブルク城 城・宮殿
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帰りはマルクト広場まで戻らず、バッハハウスの前で途中下車しました。
バッハの家 建造物
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バッハの生家。
バッハの家 建造物
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現在は近代的なバッハ・ミュージアムになっています。
今日はミュージアムショップに用があって来ました。当初は博物館に寄るつもりはなかったのですが、空いてそうだった(失礼)ので入館してみました。そんな舐めた態度で臨んだせいか、ここで地獄を見ることに…そのため写真の量がこれ以降激減。
バッハ博物館なのに音楽関連の写真が皆無なので、そちらを期待される方には先にお詫び申し上げておきます。バッハの家 建造物
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目指していたのはこちら、プレイモービルのバッハ。
アイゼナハの観光案内所では取扱いがなく、こちらのショップにあるのでは…と教えてもらいました。
ファンには石を投げられそうですが、これだけのために来た… -
復顔されたバッハの顔。
ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750)と言えば、クラシックに疎い私でも知っているドイツの偉大な音楽家です。「ドイツ三大B」にも名を連ねています(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)。生涯に作曲した作品数は1000曲以上! -
博物館内はガラガラで、非常に快適でした。サラッと見て帰るつもりで展示物を眺めていましたが、ふと、古楽器のミニコンサートがあると受付の女性が教えてくれたのを思い出しました。
ワタクシ、方向音痴の申し子なので、同じ建物内でも迷うことを考慮して開始20分前に会場に向かいました。
広めの部屋に入ると、観客用の椅子が用意してあり、その前方には何台かのオルガンのような鍵盤楽器(楽器に関する知識が小学生レベルなので、ここではオルガンで統一させていただきます)が並んでいました。
壁にはいかにも古楽器!な弦楽器がガラスケースの中にかけられており、クラッシック音痴の私には場違い感が半端ない。しかもお客は今のところ私ひとり。どうしよう、帰ろうかなと真剣に悩み始めた頃、一人の男性が部屋に入って来ました。他にもお客がいた!と喜んだのも束の間、その男性は演奏者でした。
写真はルターに関する書物。なぜここに展示されていたのか、今となっては不明… -
演奏者は優しそうな若い男性でした。彼はオルガンの準備をすると、後方に座っている私に、こちらに来いと手で合図しました。
まさかの、私一人のための演奏会!うわああああ!どうしよう!
疲労と緊張と居たたまれなさで帰りたいゲージがMAXに。若干、挙動不審になりながらも男性に近づいて行くと、男性は楽器の説明を始めました。説明が終わると、楽器の裏側下部にあるペダルを踏むように私に言いました。
そこそこ昔、小学校の教室にあったオルガンは、ペダルを足で踏み絶えず空気を送りながら演奏するものでしたが、それと同じ仕組みのようです。
体重をかけてぎゅっと踏み込むと「もっと優しく、ゆっくり」と指示が飛ぶ。かと言って力を入れないとペダルは下がってくれない。
勢いよく踏み込むのであれば体重をかければいいけれど、ある程度の強い力が平均的にかかるようペダルを踏み続けるのは、私には至難の業でした。
しかも踏み切ったら、上がってきた隣りのペダルをすぐに踏み始める。そして踏み切ったらまたこちらの…を演奏が終わるまで待ったなしのエンドレスで繰り返します。しかも相手は(恐らく)高価でデリケートな古楽器。精一杯気を遣いつつ、ちゃんと力を入れつつ…ってナニコレ、無間地獄か?
男性が優雅にオルガンを演奏する傍らで、必死の形相でペダルを踏む私。
やっと演奏が終わったと安堵の息をついたら、奏者の男性は次は違うオルガンの前に立ち準備を始めます。ちょ、待っ、まだやるの??誰か替わって~と心の中で叫べども、観客は私一人。
更に、心身ともに疲弊している私に更に追い打ちをかけるように、演奏が終わる度に「男性は何か質問ありますか?」と聞いてきます。
質問と言われてましても全然頭が回らない…でも全く質問しないのも興味がないみたいで悪いかもしれない…と謎の気遣いをして、ド素人丸出しの質問をいくつかした気がします。よく覚えていませんが。
結局、5台だったか?の鍵盤楽器を弾いてくれましたが(うち3台ぐらいがたたら作業付き)、細かいことは何も覚えていません。
終わった時には「ようやく解放された…」という安堵感と、足全体のプルプル感だけが残りました。
帰国してから知りましたが、この「オルガンのふいごを踏む人」は「ふいご師」と呼ばれ、専門職だそうです。 -
バッハさんのご実家で、My推しであるフリードリヒ大王陛下にお会いするとは!
アドルフ・フォン・メンツェル作の「サンスーシのフルート・コンサート」。真ん中でフルートを演奏しているのがプロイセンのフリードリヒ大王です。
この絵がここにある理由は、大王の右隣、こちらに背を向けてチェンバロを弾いている男性でしょう。この御仁はカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、ヨハン・セバスティアン・バッハの息子です。彼は音楽家としてフリードリヒ大王に28年間仕えました。バッハ(父)もサンスーシ宮殿に招待され、大王の出したお題に従って作曲するという、高尚な音楽大喜利をやったそうです。その時作った曲がフーガ「音楽の捧げもの」。
こちらの絵画はコピーですが、オリジナルをこの後ベルリンで見る予定です。
あろうことか画家本人は、この絵について「シャンデリアを描くためにこの絵を描いた」というような発言しているようで、大王ファンからしたら「おいおいおいッ!!」ですが…バッハの家 建造物
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怒涛の勢いで移動&観光していたので、機内で朝ご飯を食べてから今まで何も食べていませんでした。漸くお腹が減った事に気が付いたので、近くのカフェで具だくさんのじゃがいもスープを食べてから、ホテルに戻りました。
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この日はちょっと奮発して、ずっと泊まってみたかったシュタイゲンベルガーのホテルにしました。内装は想像していたより古くなく、豪華さはないけどシンプルで快適な部屋でした。
現在は「ヴィエナハウス・チューリンガーホフ」に名称が変わったようです。ヴィエナ ハウス テューリンガー ホフ アイゼナハ ホテル
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この旅行記へのコメント (2)
-
- sanaboさん 2024/11/02 23:03:39
- 強制たたら踏み
- ぴよ太さん、こんばんは
今回もぴよ太さんのお書きになる文章があまりにも秀逸かつ面白すぎて
またもやハートを鷲掴みにされました!
とはいえ、タイトルの「たたら踏み」の意味が分からず
グーグル先生にお聞きし、ヴァルトブルク城へのプチ登山で
足が疲れてよろめかれたのかと思ったら全然違っていて、、
”強制”の意味が分かったときにはひとりで笑い転げました(´艸`*)
このヴァルトブルク城は、vogelfreiとなったルターが
フリードリヒ賢明公にかくまわれながら、新約聖書の
ドイツ語への翻訳を行った歴史上重要な場所だったのですね。
『ルター=宗教改革』程度の認識しかなかった私ですが
ルターに関するぴよ太さんの記述が分かりやすくて楽しく
世界史の教科書がすべてこんな風に書かれてたら
誰もが世界史大好きになること請け合いです!
sanabo
- ぴよ太さん からの返信 2024/11/04 00:10:43
- RE: 強制たたら踏み
- sanaboさん、こんばんは。
sanaboさんからの書き込みを読んだ後、一気に大気圏突破しそうな勢いで木に登っております。
私の旅行記を楽しんで読んでくださってるなんて、sanaboさんはホントに稀有な存在で、ありがた過ぎます。
sanaboさんの褒め技は度を越していて(←褒めてます)、ものすごく中毒性があるので、何度も読み返してしまいました。本当に危険です。
あんな素晴らしい旅行記を書くsanaboさんに「ハートを鷲掴みにされた」と言ってもらえるなんて、望外の喜びです。フォートラ旅行記、再開して良かった!!
> ルターに関するぴよ太さんの記述が分かりやすくて楽しく
> 世界史の教科書がすべてこんな風に書かれてたら
> 誰もが世界史大好きになること請け合いです!
笑い転げてもらって、こんな素晴らしいコメントを頂いて、喜ばない人がいるでしょうか、いやいない!!
ドイツは、周辺諸国に比べて華やかさや可愛さにやや欠ける国ですが、ローテンブルクやノイシュバンシュタイン城以外にも見所はあるんだよ~、興味深い歴史もあるんだよ~ということを火力強めで伝えたくて旅行記を書いているので、こんな風に思ってもらえればこっちのもの……じゃなくて、欣幸の至りです。
sanaboさんのポーランド旅行記の続きも、とっても気になっています。
以前から、ヴロツワフの小人を見に行きたいと思っていましたので、sanaboさんの美麗な写真と、欧州への愛溢れる解説で楽しめるのを楽しみに待っています。
ぴよ太
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