2024/05/02 - 2024/05/02
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hijunoさん
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前回、見学できなかった適塾に行きました。
学生のころも見学していますが、建物まわりも整備されて、すっかり周囲の様子が変わっているように感じました。
大村益次郎や福沢諭吉、大鳥圭介など多くの人物を輩出した適塾、入塾後、畳一畳の場所が与えられ、懸命に学問に没頭している塾生たちの様子がうかがえました。一冊しかなかったオランダ語の辞書の部屋もあり、学生たちが昼夜問わず、この辞書を写している様子もわかりました。大河ドラマの「花神」を最近みることがあったのですが、そのなかでも大村益次郎が入塾した際の様子と適塾の様子が重なりました。
大村益次郎もその後、刺客に襲われ、足を切断しますが、その足を
緒方洪庵のお墓の隣に葬ってほしいと遺言を残します。
それほど、尊敬、敬愛していた師であったのだとおもいました。
洪庵が亡くなったあとも、夫人の八重が家を支え、塾生から母親のように慕われ、子供たちを育て、適塾を切り盛りしていったことも賢く、強い女性として
現在も尊敬を集めていることもよくわかりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄 自家用車 徒歩
-
梅田から歩いて適塾に向かう途中、あった、レリーフ。
かっこよい! -
同和海上火災保険会社のシンボル フェニックスです。
不死鳥といわれた伝説の鳥、災難にあっても、また蘇る鳥。
強い鳥。 -
適塾見学に行く前に、大阪市中央公会堂の地下にあるレストランで昼食。
「中之島 ソーシャル イート アウェイク」
お天気良いので、外のテラスで。 -
私は楽しみにしていたグラタンのメニューが変わっていて、
大きなエビフライにしました。 -
夫はオムライス。
評判のデミグラスソースのオムライスです。 -
バスクチーズは半分ずつ、いただきました。
ずっしり、大きい。
濃厚~美味しい!! -
当然ながら、メニュー、時々変わるのですね~。
-
イチオシ
適塾に来ました。
大阪市中央公会堂から歩いてすぐの距離。
写真は前回閉館していたときに外から撮ったものを使用。 -
外からみると、小さな民家のように見えますが、中は広い。
面積 464㎡
木造の二階建てです。
適塾は最初1838年には瓦町にありましたが、そののち1845年に現在の地に移転します。 -
ロッカーがあるので、荷物を預けて、見学できます。
緒方洪庵の像と年表。 -
中庭があります。
-
緒方洪庵についての資料。
1810年に備中足守(岡山)に生まれます。
父親の仕事で大阪へ。
その後、蘭学を学び、26歳のときには蘭書を講じるようになりますが、さらに長崎にて蘭学を学び、28歳のときには蘭学の塾「適塾」を開きます。
その当時は瓦町に塾はありました。
1845年には現在の地に適塾を移し、適塾は拡張していきます。 -
緒方洪庵の肖像画。
適塾も有名ですが、緒方洪庵の功績といえば、天然痘予防のための種痘を広めたことでも知られています。古手町に1849年には牛の痘苗による種痘事業を開始します。
1860年には、現在の緒方ビルのある、もと緒方病院の敷地に除痘館を設けて
全国に分苗所を多く設置し、天然痘の蔓延防止に努めます。
1858年のコレラの蔓延期には「虎狼痢治準」を著し、予防に尽力しました。
さらに、内科書の翻訳を行い「扶氏経験遺訓」を著し、とくに「扶氏医戒之略」として医療の倫理を説き、適塾の指導要領となったといわれています。
「病学通論」も病理学の総論で後に大きな影響を与えたといわれています。
(パンフレットを参考にしました) -
書斎。
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客座敷
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フーフェランドの内科書を翻訳し、医の倫理をうたった12箇条の
「扶氏医戒之略」の草稿 -
こちらは緒方家で保管されていたもの?
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奥に書斎がみえます。
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端正な小さな中庭があります。
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洪庵の家族の資料も展示されていました。
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洪庵の両親の肖像画
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洪庵の夫人 八重。
塾生から母親のように慕われていたそうです。
夫の洪庵が亡くなったあとも、適塾を守り、子供を育て上げた女性です。 -
夫人の日記も残っています。
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夫人の書簡
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1856年のころの適塾のまわり。
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家系図があります。
夫人の八重は現在の西宮市の名塩という場所で生まれています。
父親 億川百記は開業しますが、名塩で初めての蘭医でした。
中天遊の思思斎塾で知り合った緒方洪庵の真摯誠実な姿と学問に取り組む真剣さにほれ込み、娘との結婚を希望したといいます。 -
たしか、ここは、家族部屋、、
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台所も大きかったです。
資料が置いてありました。 -
改修も幾度かされています。
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耐震の工事も。
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台所の様子。
多くのお塾生を抱え、食事も提供されていたはず。 -
修復の工事の説明もあります。
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耐震の壁。
将来も継続できる建物に。 -
こちらにも、専門的な耐震の工事の説明。
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二階へあがります。
二階は塾生たちが、勉学に励んだ生活の場。
この階段は大変急です。注意!! -
二階にも修復工事の説明。
解体されたのですね~。 -
当時の建物の部品など。
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家の模型がありました。
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二階も広いです。
畳の間が拡がります。 -
当時の医学書など。
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蘭学塾も、いろいろあったのですね~。
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説明にもありますが、
江戸時代の後期になると、オランダ語だけでなく洋学として、アヘン戦争などもあり、軍事などの学問も盛んになっていきます。 -
江戸は実利の学問、大阪では学問のための学問の風潮たあったようです。
橋本宗吉が蘭学の祖であり、その門下生に中天遊がおり、その門下生に緒方洪庵と続きます。 -
写真を撮るのが下手で、切れてしまいました。^^:
オランダ語の学習の説明があります。
適塾に一冊しかなかった貴重辞書。
江戸時代後期に編纂された蘭和辞典です。
長崎出島に滞在していたオランダ商館長のヘンドリック・ドゥーフの著。 -
適塾には一冊しかなく、塾生たちが昼夜を問わず、争って辞書を写本していたようです。
コピーもない時代、手書きで写すしかないですものね~。 -
3畳ほどの小さな部屋です。
-
こちらが塾生たちの生活の場であり、勉学に励んだ場。
畳一畳が一人分の場所だったようです。 -
多くの優秀な人材を輩出します。
福沢諭吉、大村益次郎、橋本佐内、大鳥圭介、、などなど。 -
福沢諭吉の「福翁自伝」にも書かれてありますが、ここでは猛烈に勉強に励んでいたそうで、会読といわれる試験を経て、塾生たちの地位が上下しますが、そのための勉学やヅーフ部屋での辞書の写しや実際の解剖などの実験など。
そして、若者たちの血気盛んな様子、ストレスの発散のためか、柱には刀傷も。 -
こちらが刀傷。
-
イチオシ
ドラマの「花神」をみていましたら、大村益次郎が入塾した際には、
階段の一番近い場所を割り当てられます。
塾長が、良い成績を取ったら、どんどん良い場所に移る、、という説明をしていました。
階段そばは、寝ぼけた学生たちにふんずけられたり、トイレに起きる学生たち、、、それは、落ち着けない場所であったはず。 -
1838年の開塾から1862年までの間に、すでに1000人以上の入塾があったようです。
幕末の時代、医学を目指して入塾するも、当時の情勢などから軍事を目指す者も多かったとあります。 -
二階から。
-
今は、ビジネス街の中にある適塾。
当時は想像もしない光景でしょう~。 -
緒方洪庵の書簡も展示されていました。
教え子への温かい想いが伝わります。
右上は渡辺卯三郎へ緒方洪庵があてた書簡。
渡辺卯三郎がドイツのモストの牛痘説という本をもっていないとおもい、洪庵が本を送ります。
結局、渡辺卯三郎は本を既に持っていたようです。しかし、お金を洪庵に送金し、本はどなたかに差し上げるように、、と。
洪庵は、余計なことをしたと詫びています。
渡辺卯三郎は加賀出身で、適塾の塾頭も努めた人物。
のちに藩校の洋学部門で教えます。医師。 -
ここにも説明が。
洪庵は教え子との交流も続け、地方に帰った教え子たちは、またその交流で得た知識を地方で広めていったようです。 -
門人の一人、福沢諭吉もその後活躍した人。
ここでの勉学はのちの人生に大きな影響を与えます。 -
全国からの入塾。
岡山がダントツ、入塾の数が多いです。
緒方洪庵の出身が岡山 足守だったこともあるのでしょうか~。 -
緒方洪庵、幕府の奥医師に任命され江戸に行きますが、ほどなく亡くなります。そのあとは、息子たちが適塾を守り続けます。
適塾の史蹟はやがて、大阪大学が管理することになります。 -
大阪大学と適塾、深いつながりがあります。
適塾の建物も早くから大阪大学に寄贈されています。 -
オランダ人医師ボードインが行った講義。
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緒方家に婿養子に入った緒方正清は産婦人科を確立していきます。
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イチオシ
部屋には貴重な資料が展示されています。
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塾生の大部屋。
ここで多くの塾生たちが学び、育っていったのですねー。
活気あふれて、夢あふれた場所。 -
徐痘館記念資料室というのが近くにあるので、そちらにも寄ってみます。
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適塾外には説明板。
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イチオシ
緒方洪庵の像。
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すぐ近くに緒方ビル。
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資料室、ビルの4階にあります。
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道を隔てて、銅座の跡や幼稚園があります。
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入口に、除館痘の跡とあります。
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ちょっと読みにくいのですが、
緒方洪庵は他の医師とともに、当時多くの死者を出していた天然痘の予防のために、1849年に除痘館を造ります。
最初は、古手町というところに造ったようですが、1860年にこの場所に移っています。
ここから日本の各地に種痘ワクチンを送りました。 -
ビルに入って、こんな展示もありました。
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イチオシ
種痘ワクチンを行う様子。
当時は、ワクチンを打つと、牛になるーとか、不安の人々が多かったそう。
予防接種をすすめていく医師も奮闘したことでしょう~。 -
こちらの部屋が資料室。
資料室内は撮影が禁止です。
種痘の歴史や海外の種痘の様子など、興味深い展示がありました。 -
道を隔てた銅座の跡の石碑。
銅は江戸時代、大切な輸出品。
銅座は1766年に設置され、荒銅を買い上げ、製錬させ、集荷、長崎に出荷する役割がありました。
密輸を防いだり、銅器の破片まで管理していたといいます。 -
愛珠幼稚園の説明。
1880年に開園された幼稚園で、現在の建物は明治34年に建てられたもの。市内の最古の幼稚園。
説明板には最古の木造幼稚園とありました。 -
きれいな壁と木造の建物、中の様子も機会があったら、みてみたいです~。
このあたりも、歴史の詰まった場所です。
つぎに、ここから歩いて、日本銀行 大阪支店へ向かいます。
ガイドツアーを申し込んでいました。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (4)
-
- まつじゅんさん 2024/06/06 10:33:04
- 懐かしい場所です。
- Reise 様
いつも私の拙い備忘録へのご訪問、ありがとうございます。
適塾は、私が就職して2,3年麺の頃、修復保存事業に文化庁のお手伝いで携わっていました。
といっても、就職してまだ2,3ねんのひよっこ、何もわからないまま諸先輩方の言われるまま、巻き尺や測定機器を持って走っていただけですが、それでも刀傷の付いた柱や、埃だらけの天井裏にを見て、歴史の重みを感じた事を今でも覚えています。
いまでも大事に保存されているのを見て、嬉しく思った次第です。
matujyunn
- hijunoさん からの返信 2024/06/07 04:58:19
- お便りをありがとうございます^^
- まつじゅんさん
こちらこそ、いつもありがとうございます。
適塾の修復作業に携わっておられたのですねー!!
すばらしいお仕事!!
羨ましいです。
今もこの貴重な建物が残り続けているのは、まつじゅんさんのような方々のお仕事があってのことです。
感謝です!!
私が初めて適塾に見学に行ったのは、学生時代、もう40年以上も前のことで、
記憶もあいまいなんですが、周囲は全く違っていて、周囲の公園もなかったように
おもいました。
建物は、いまも大切に公開されていて、多くの方が見学に訪れています。
私も学生のころ、歴史好きの同級生と見学して、幕末の時代の若い人達の知識欲、緒方洪庵の偉業に感動しました。
今回も、またそんな気持ちと、夫人の八重さんの苦労や緒方洪庵が亡くなってからも、適塾を支え、残し続けた人々のことが心に残りました。
これからも、ずっと大切に、守られていく、歴史遺産の適塾だと思います。
お便りをありがとうございました。
Reise
-
- sukecoさん 2024/06/05 11:24:05
- 学びの場!
- Reiseさん、こんにちは♪
適塾で勉学に励む、そんな姿がイメージできましたー!。
この時代は、スマホなんてないし、情報も簡単に得られる環境でもないので、
一冊の本から学ぶ、そして語り合う。。。
そんな姿が想像でき、学ぶことが楽しいのだろうなぁ~っと感じました。
私の若い頃の学び方・・・反省しなくちゃ(笑)。
そして、大きなエビフライにオムライス、いいですねー♪
グラタン、気になりました(笑)。
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/06/06 05:05:23
- 見習いたいです^^
- sukecoさん
いつもお便りをありがとうございます!(^^)!
おっしゃるとおり、若いころの猛勉を思い出さないといけないと反省します。
私などは、いまや、スマホをいじり、ネットをみて知識をちらりと吸収して、
たまに、本を開くと、5分ともかからないうちに、眠りの世界への日々です〜笑
あのころの、適塾の人々は、のちに福沢諭吉も回想していましたが、
猛烈に勉強に没頭していたようです。
もちろん、早く知識を吸収して、故郷に帰りたいというのもあったとおもいますが
その知識欲みたいなものが強烈だったようです。
あと、塾生の場所は畳一畳で、それも入塾してから、成績が上がるとどんどん良い場所へ移っていけたそうで、成績の悪い塾生は、いつまでも階段近くとか、人が通ったりする環境の悪い場所で過ごさなければならなかったようで、それもあって、
必死で上の成績を取るように努めていたようです。
今では、すぐにスマホを開くと、たいていのことは調べられますよね。
私達の世代は、語学の勉強にも大きな辞書を持って、学生時代も、カバンもパンパンでした。
いちいち、図書館で、調べたり、、、コピーをとったり、、、
今のこの学習の環境と大きく違います。
あのころ、スマホがあったら、どんなに便利に簡単にできたのだろう〜と時々考えたりします。
でも、一方で、やはり、いちいち辞書を開き、時間をかけて調べるというのも、もしかしたら大切なことだったのかもしれない、、とも、考えたりもしています。
苦労して身に着けたものは、なかなか、抜け落ちないからなんです、、私の場合。
にしても、やはり、簡単にスマホで調べて、楽チンを選ぶ今日この頃でした。恥
前回、この次はグラタンを食べようと決めていたので、かなりのショックで←おおげさ。ぐずぐずしていましたら、夫に、早くオーダーを決めるようにせかされる始末でした。^^;
こちらの大海老も美味しかったです。クリームコロッケも手作りで、濃厚、美味しかった。デミグラスのオムライスは、こちらの看板メニューみたいでした。
大阪は食い倒れの街〜帰りに見かけた「串カツ」のお店にもひかれ、まだまだお腹もすいていないのに、立ち寄ろうとする、食い意地の張った老夫婦でした。笑
Reise
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