2024/04/18 - 2024/04/19
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montsaintmichelさん
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今回は、参宮の途中などで寄り道した、近鉄 宇治山田駅舎や旧宇治山田郵便局電話事務所といったレトロな登録有形文化財をレポいたします。
近鉄 宇治山田駅舎は伊勢参宮の拠点として「神都 宇治山田」の名に恥じない駅舎として1931(昭和6)年に竣工しました。往時の世相は国粋主義であり、帝冠様式が採用されるのが順当のはずですが、設計者 久野節はそれに抗ってアール・デコ様式とスパニッシュ様式を折衷した西洋風前衛的デザインで挑みました。その汗と泪の結晶が国登録有形文化財として今に遺されています。
旧宇治山田郵便局電話事務所も「神都伊勢」という立地上、地方都市の郵便局としては破格の扱いを受け、鳴り物入りで建造されました。南欧的な雰囲気を醸す中にも和の要素を取り入れた和洋折衷の斬新なデザインが目を引きます。特に、スパニッシュ風のオレンジ色の桟瓦葺屋根にはユニークな形の破風や小窓が設置され、他に類を見ない構造が見所です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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近鉄 宇治山田駅舎
外宮への玄関口のひとつとなっているのが近鉄 宇治山田駅です。近鉄の前身 参宮急行電鉄は1930(昭和5)年に大阪 上本町駅~山田駅(現 伊勢市駅)間を開通させました。その翌年に山田~宇治山田駅間の運行が始まり、宇治山田駅は伊勢参宮の終着駅あるいは始発駅として賑わいを見せました。
その名称は、当時「神都」と呼ばれた宇治山田市に由来します。その神都に相応しい駅舎とすべく、「御遷宮奉祝神都博覧会」の会場跡地に、1931(昭和6)年に竣工され、現在は登録有形文化財となっています。往時としては斬新なデザインの高架式ターミナル・ステーションであり、「伊勢では電車も高天原に着く」とまで言わしめたそうです。同じく伊勢神宮への下車駅である国鉄 伊勢市駅に対抗するため、このような豪華な駅舎になったとも伝わります。 -
近鉄 宇治山田駅舎
「参急ビル」とも称された駅舎は、往時の地方の私鉄駅舎としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート3 階建(塔屋のみ5階建)、間口は神都に見合った威風堂々とした雰囲気を湛えるため128mの規模を誇ります。これぼど間口が広い駅舎で現存するのは、ここの他は東京駅しかありません。1階は駅事務所、2階は改札口と団体待合室、貴賓室、3階がプラットホームという構造です。
外観は矩形のシンプルな形ですが、外壁は淡いクリーム色のタイルで仕上げられており落ち着いた印象を受けます。正面右端に塔屋を持つ他は一直線に建物が伸びており、縦長の窓を縦横に等間隔に並べる近代建築の骨格をベースにしたデザインです。長大な外観のアクセントとなる3連窓は圧巻で、塔屋と共にのっぺらとした建物に変化を付けています。
また皇室と縁の深い伊勢神宮への最寄り駅にも拘わらず、国粋主義的な帝冠様式ではなく、軒廻りには茶褐色のスペイン瓦を載せたスパニッシュ様式を採用し、全体を引き締める要素としています。テラコッタ・タイルで全面装飾された外壁は、近くで見ると細やかな幾何学模様の美しさに目を奪われます。駅名の文字の色も建物の色と調和させ、「近鉄ワインレッド」を用いています。
「近鉄」の文字看板を背負った5階建の塔屋は駅のシンボルとなっており、1949(昭和24)~1968(昭和43)年の間、宇治山田市消防本部が入居していた名残でもあります。1階には消防車用の車庫があり、市内を見渡せる八角形をした塔屋は「火の見櫓」として市民の安全を見守ってきました(「近鉄」の文字が取り付けられている部分)。 -
沢村栄治 結びの像
2019年に駅前に設置された、プロ野球草創期の名投手で、伊勢市出身の沢村栄治氏(1917~44年)の等身大ブロンズ像です。栄治氏はシーズン中に最も活躍した先発完投型投手を讃える「沢村賞」にその名を残す伝説の投手です。
地元NPO法人「沢村栄治顕彰会」が富山県高岡市の芸術工芸品製造メーカ「四津井」に制作を依頼したものです。高さは台座の部分を含めて315cm、左足を高く蹴り上げる豪快なフォームは、残された写真を基に、県立伊勢工業高校の野球部員がモデルになって具体的なイメージを高めたそうです。伊勢神宮外宮の方向にボールを投げ込もうとする刹那を切り取っています。
栄治氏が残した言葉で印象的なのは「人に負けるな どんな仕事をしても勝て しかし 堂々とだ」です。プロ野球草創期の大日本東京野球倶楽部(現 読売ジャイアンツ)でプロ野球初のノーヒットノーランを達成するなど活躍しましたが、1944(昭和19)年に27歳の若さで台湾沖で戦死しています。 -
近鉄 宇治山田駅舎
設計者は、鉄道省で初代建築課長を務めた久野節(みさお)氏です。東武鉄道浅草駅をはじめ南海ビルディング(南海電鉄難波駅、高島屋)、京成電鉄上野駅じゅらくビル(現存せず)等、 同時期に数多くの駅舎建築を手がけました。
その他の主だった作品には、蒲郡ホテル(現 蒲郡クラッシックホテル)や千葉県立佐倉高等学校記念館(元本館)等があり、前者はパリで産声を上げたアール・デコ様式のホテルで、近代化文化遺産に認定されています。また後者は、登録有形文化財に認定された、塔やドーム屋根を持つ明治時代後期の貴重な洋風建築校舎です。 -
近鉄 宇治山田駅舎
外壁に施された草花を幾何学的に描いたテラコッタが見事です。
伊勢神宮には皇室の祖神が祀られており、戦前は大日本帝国により全国神社の頂点に位置付けられました。そのため皇室や朝廷の権威との結び付きが強く、参宮へのアクセス拠点となる宇治山田駅はそれに相応しい貴賓室を有する駅舎として建造されました。
因みに現在の国道23号線は伊勢神宮内宮が終点ですが、この路線は戦前は東京~内宮まで「國道1號」に指定されていました。近鉄の前身である参宮急行電鉄という会社名や内宮が終点の国道1号があったことからも、往時、伊勢神宮が如何に特別視された存在であったかが窺えます。 -
近鉄 宇治山田駅舎
中央5間分の出入口の上部には草花をあしらったテラコッタで彩った窓枠に合計5つの八角窓を並べ、6本ある列柱の上部には中東風ドームを思わせる繊細かつ華麗な装飾を散り嵌めています。また、銅板葺の庇には烏帽子を彷彿とさせる凝った意匠を並べています。このように要所に施された意匠は装飾過多にならず、あくまでも簡素に徹しており温もりが感じられます。全体的には欧風建築様式を基調としていますが、和の要素も随所に織り込まれ、まさに昭和時代初期の近代建築駅舎の白眉と言えます。 -
近鉄 宇治山田駅舎
出入口の頭上には重厚なテラコッタが躍り、半球状のシックな街灯を付けた太い柱が並んでいます。
戦前、宇治山田市には「神都計画」があり、その都市計画の中で宇治山田駅は廃止に追い込まれる危惧があったそうです。参宮急行線の終着駅だった宇治山田駅を移転し、省線山田駅(現 伊勢市駅)に新設した山田駅前に西接させる計画でした。しかし日本が敗戦に至った結果、天皇は「神」から「象徴」へと変わり、「神都計画」も白紙撤回されました。そのおかげで宇治山田駅は現在に至るまで駅舎として生き残ることができたようです。 -
近鉄 宇治山田駅舎
中央に置かれた花筒を挟み込むような両ウィングの造作がロマネスク風装飾を彷彿とさせ、美的感覚を擽るものがあります。
こうした所に設計者の熱い思いが偲ばれます。 -
近鉄 宇治山田駅舎
中央コンコースは2階部分まで吹き抜けにして天井を高くし、その天井は日銀を彷彿とさせるテイストを滲ませ、梁とスクロールの美しさには目を瞠ります。飾り柱を囲むベンチは人にやさしい木製です。全体的にアール・デコを意識した直線で構成されておりソリッドな印象ですが、それを和らげる花形シャンデリアのアール・ヌーヴォー(曲線)が良いアクセントになっています。
ファサードに並んだ瀟洒な八角形の明かり取り窓からは、やわらかな光が燦々と降り注ぎます。また、梁端部のハンチ部には繰り型模様が施され、全体を淡いクリーム色でコーディネートした色調と調和して明るく柔らかな雰囲気を演出しています。 -
近鉄 宇治山田駅舎
和洋折衷の趣のある花形シャンデリアが昭和レトロの風情を湛えます。 -
近鉄 宇治山田駅舎
格子障子を彷彿とさせる2階にある部屋の明り取り窓のデザインが印象的です。
また、窓枠の角部を一部斜めにカットすることにより品格を一層増長させています。
この窓のいずれかが貴賓室のものなのでしょう。極秘だそうですが、左奥でしょうか? -
近鉄 宇治山田駅舎
現在は外宮参拝には近鉄 伊勢市駅が至便ですが、宇治山田駅構内には貴賓室があり、天皇陛下をはじめ皇族や内閣総理大臣などが参宮される際に利用されています。貴賓室はこの階段を上った先にあるようですが、立入り禁止になっています。
2024年3月27日には前日に伊勢神宮を参拝された敬宮愛子内親王が次の目的地の奈良へ向かうためこの駅から近鉄に乗車されたのは記憶に新しいと思います。因みに往路は、宿泊先に近いことや警備の関係で近鉄 鳥羽駅を利用されたようです。これも珍しいことだそうです。 -
近鉄 宇治山田駅舎「登録有形文化財」プレート
玄関口の外壁を探しましたが見付けられず、半ば諦めの境地でコンコースに戻りました。するとコンコースの一番北側にある柱に埋め込まれていました。因みに近鉄の駅舎では、ここと橿原神宮前駅が登録有形文化財となっています。
プレートの発見と同時に気が付いたのですが、飾り柱には八帳面取りが施されており、これも断面形状が「八角形」です。ファサードの明り取り窓や火の見櫓も「八角形」であることから、この駅舎の意匠コンセプトは「八角形」と窺えます。 -
近鉄 宇治山田駅舎 伊勢型紙の文様
コンコース北側にはショッピングモール(Time's Place うじやまだ)があり、そこに伊勢型紙の文様を貼った原寸大の駅舎にある八角形の明かり取り窓を模したディスプレイがあります。
伊勢型紙は、1619年頃から紀州藩の手厚い保護を受け、飛躍的に発展を遂げました。繊細な柄を彫り出す技術が磨かれ、染物の重要な道具として現代まで受け継がれています。
友禅や江戸小紋の着物、注染の手ぬぐいなど、様々な柄が愉しめる「型染め」です。その柄は「型紙」と呼ばれる染色用の台紙によって染められています。中でも伊勢型紙は、日本の染色に無くてはならない道具とされます。 -
近鉄 宇治山田駅舎
リベット接合の頑丈な鉄骨製の支柱がホーム上屋を支えています。
左端にちらりと見えるのが塔屋です。 -
近鉄 宇治山田駅舎
1番線ホームには線路と反対側に柵が設けられ、柵の外側にある道床がホームより少し低くなっています。ここがかつてのバスターミナルであり、その幅員はバス2台分ほどあります。1970(昭和44)年に近鉄鳥羽線が全通するまではここが終着駅であり、鳥羽・賢島方面へ向かう観光客はホームからバスへ直接乗り継ぐことができました。1961~1994年まで(途中休止期間あり)定期観光バス用に使用されており、この駅が昔から観光客で賑わっていたことを物語る貴重な遺構と言えます。2016年放映の『ブラタモリ 伊勢志摩編』でも紹介されていました。 -
近鉄 宇治山田駅舎
バスターミナルの先端には大きな鉄の円盤が置かれています。これが「転車台」の遺構で、円盤は狭い場所でバスを方向転換するためのターンテーブルです。丸い鉄板を軸の上に載せただけのシンプル構造です。しかしバス用の転車台は通常狭い路地や駅前でバスを転回させるために設けられており、このような高架上に設けられているのは超レアです。
1994年に現在の駅前ターミナルが完成して使用中止になり、また観光バスの大型化で転車台に収まらなくなったこととも重なり、現在に至るまで1番線の傍らで寡黙にその余生を過ごしています。 -
近鉄 宇治山田駅舎 近鉄観光特急「しまかぜ」
2013年の伊勢神宮式年遷宮に合わせ、最重要観光拠点である伊勢志摩地域の活性化を推進するための次世代新型特急車として登場した車両です。
名称「しまかぜ」は志摩に吹く風の爽やかさと車内で過ごす時間の心地よさから名付けられています。車両形式は在来の特急車両からの刷新の意味を込めて50000系とし、伊勢志摩の晴れやかな空と美しい海をイメージしてブルーを基調にしたカラーリングです。
フロントデザインは6枚の大型ガラスを用いた多面体とし、シャープさと躍動感を表現しています。HID式の前照灯各2灯の取付け部の切れ込みが吊り上っているため、鋭角的な先端形状とも相俟ってシャープな印象を与えます。尚、中央ガラス部は非常扉を兼用しており、上方に跳ね上げて開くタイプです。
2014年には鉄道友の会より「ブルーリボン賞」を受賞しています。 -
伊勢市駅前 お木曳車の石像
2014年にライオンズクラブより伊勢市に寄贈されたお木曳車の石像です。
制作されたのは伊勢市にある中村石材仏壇店です。お木曳き車を石材で制作するのは前例がなく、木材を石材で制作するのには苦労された模様です。
お木曳行事は伊勢神宮の社殿を20年毎に建替える式年遷宮のための木材を運ぶ行事です。木曽の山から切り出された御用材を宮川より外宮の北御門まで各団が誇るお木曳車に載せ、木遣り歌や伊勢音頭などを囃したり、練ったりしながら、神領民と呼ばれる地元の人々によって奉仕される民俗行事であり、伊勢神宮の門前町として息づく奉仕の文化がここに宿しています。
芭蕉も、『おくの細道』の旅を終えた足で外宮の遷宮式を見物し、お木曳きを詠んでいます。
「たふとさに みなおしあひぬ 御遷宮」1689(元禄2)年 46歳(真蹟懐紙)
西行の「何ごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という神聖感へのオマージュであることは言を俟ちません。因みにこの時芭蕉は、西河原(宮後町)の御師 島崎又玄邸に10日ほど逗留したそうです。
尚、お木曳行事は国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択され、また伊勢市の「無形民俗文化財」にも指定されています。 -
外宮参道
各店舗の前にはイーゼルに載せられたキャンバスにお花が飾られており、目を愉しませてくれます。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
県道22号線を挟んで外宮前バス停広場の真向かい、つるや旅館の東隣にあり、現存唯一の煉瓦造の電話局舎です。現在は犬山市の明治村に移築されている宇治山田郵便局が手狭になったため、その分室として増築された建物です。「神都伊勢」という立地上、山田郵便局は地方都市の郵便局としては破格の扱いを受けて県都の津市のものを凌駕する建物になりました。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
煉瓦造、平屋建、コの字型平面とし、スパニッシュ風のオレンジ色の桟瓦葺屋根にはユニークな形の破風や小窓が施され、和風とドイツ民家風様式を折衷させた外観です。また煉瓦造でありながら、白色モルタルで壁面を覆った珍しい構造をしており、その大壁造には縦長の窓を連ね、窓の側壁を曲面に納めています。
中庭に置かれた石造の八角形の噴水盤は、カトリック系ゴシック様式の四葉模様で装飾されていることから、南欧的な雰囲気を醸しています。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
電話局建築の中で現存する唯一の煉瓦造であり、その変化に富んだ屋根は、軒先を反らせると共に強い勾配を持たせ、伊勢神宮を意識したのか鼻木風の突出装飾を抱かせた破風は立面にリズム感を持たせています。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
創建から1954(昭和29)年まではここで電話交換が行われていましたが、電話交換が自動化されるとその役割を終え、健康管理所や伊勢市立郷土資料館、伊勢市商工会議所の一部として使われてきました。現在は北側がレストラン、南側がショップになっています。
2019年に登録有形文化財となりました。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
1923(大正12)年竣工。設計は旧逓信省の吉田鉄郎氏です。吉田氏の大学時代の設計となる和洋折衷のデザインで、不思議な雰囲気のする建物です。吉田氏はモダニズム、つまり過剰な装飾を廃したスタイルの設計者として有名ですが、その中でこの建物は異質と言えます。因みに吉田氏は、東京駅前の東京中央郵便局(現在は丸の内KITTE)や大阪中央郵便局(解体)の設計者でもあります。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
コの字型平面をした建物で、その内側に美しい中庭(スペイン風パティオ)を抱きます。
その中庭に面して木造吹き放ちの開放的な回廊を設けています。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
白色の大壁造に連続する縦長の3連窓をリズミカルに配した意匠は授眼蔵図書館からの発展形と思われます。そして、その完成形が京都中央電話局新上分局ということのようです。
恐らく、隣接していた宇治山田郵便局のファサードに調和させた意匠と窺えます。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
吉田氏は、初期はジューマッヘルのドイツ表現主義や北欧建築家エストベリなどの影響を受け、後にモダニズム建築の傑作を生み出しました。ブルーノ・タウトが来日した際、桂離宮など各地を案内したことはよく知られており、タウトは吉田氏の設計した東京中央郵便局をモダニズムの傑作と讃えたそうです。
旧宇治山田郵便局電話事務所は、屋根を被せるなど模索期にあった吉田氏の初期の作品であり、同じ逓信建築であっても、モダニズム建築の旗手と讃えられていた頃の東京や大阪中央郵便局のデザインとは一線を画します。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
局舎の解説文には「神都伊勢市を意識した」とありますが、それはスケールの大きさへの言及であると共に転びのある入母屋風の破風に寺院的な感性を注入したに過ぎず、往時の世相であった国粋主義に捉われることもなく、自由闊達にロマンティシズムを希求した前衛的デザインの逸品であり、どことなく「大正ロマン」を彷彿とさせる雰囲気があります。逆説的に言えば、神都 宇治山田市にはこうしたデザインを受け入れるだけの懐の深さがあったと窺えます。 -
旧宇治山田郵便局電話事務所
複雑な屋根の起伏はリズミカルでもあり、他に類を見ないデザインです。
吉田氏は、最も早い段階で欧州モダニズムを日本で実現した近代建築家でしたが、同時に作家としては類稀な日本建築や日本文化の研究者のひとりでした。
『日本の建築』には、日本建築に通底する思想を「清冽さ」という言葉で表しています。小川や湧水などが清く澄み亘る様子を日本建築の本質とし、それを新しい時代に見合う建築に具現化していった建築家でした。質素で清潔の美を柱と梁の真壁構造で表現する手法は大阪中央郵便局で頂点に到達したと言えます。 -
木下茶園 外宮前店
勢乃國屋「豊恩館」という建物の1階にあります。2階は地産地消のバイキングスタイルのレストラン「勾玉亭」です。豊恩館は、白い外壁が印象的で、ファサードの2階には大きな3連のアーチ窓が並び、屋根には八角形の塔屋を載せた和洋折衷の建物です。宇治山田郵便局舎に象徴されるようなモダンでハイカラな町並みを再現するため、2013年に勢乃國屋の前身である旧中村物産店を復元したものだそうです。
伊勢木下茶園は、伊勢市「うらのはし商店街」に1937(昭和12)年に創業した老舗茶屋です。その木下茶園が外宮前に2016年にオープンさせたカフェです。外宮からは徒歩2分程の至近距離で、参拝後のひと休みに最適なロケーションです。お茶屋さんならではのスイーツは種類も豊富です。
三重県の茶葉生産量は静岡、鹿児島に次いで全国3位で、かぶせ茶に至っては1位と、実は隠れたお茶の名産地です。三重県で生産されたお茶は「伊勢茶」と総称され、2007年には特許庁の地域団体商標として登録されました。 -
鈴木水産 外宮参道店
外宮参道の途中にあり、伊勢市駅から徒歩2分ほどの至近距離です。
料理には店内にある生け簀の魚を使うため、海鮮料理の鮮度は抜群です。特に鮑料理が人気で、好みで刺身か焼きかを選べます。
店内には地元産のお土産コーナーもあり、「あご出汁」などの海産物や「生 伊勢うどん」など他店にはない掘り出し物が豊富に揃っています。
営業時間が 10:30~19:00であり、意外に早く締まるので注意です!
https://suzukisuisan.jp/ -
鈴木水産 手こね寿司
志摩地方南部で郷土料理として長く親しまれているのが「手こね寿司」で、ちらし寿司の一種です。日本でも有数の鰹の漁獲量を誇る三重県を代表する伝統料理です。ここのものは「ガリ」が添えられているのが特徴です。
昔、鰹漁に出た志摩町和具の漁師たちが、釣った鰹の身を船上で醤油漬けにし、あらかじめ用意していた酢飯と手で豪快に混ぜて食べたことからこの名が付きました。
「ふるさとおにぎり百選」「農山漁村の郷土料理百選」に選定されています。 -
鈴木水産 鳥羽浦村牡蠣フライ定食
浦村牡蠣は、鳥羽市にある志摩半島の東に位置する生浦湾(おおのうらわん)で養殖される1年物の牡蠣です。伊勢湾からの栄養豊富な海水に加え、波が穏やかな湾内は、牡蠣の養殖に適しているそうです。鳥羽市と志摩市を結ぶ「パールロード」は別名「オイスターロード」とも呼ばれており、沿線には牡蠣小屋や魚介を味わえるお店が軒を連ねています。浦村の牡蠣は豊かな環境のおかげで1年で収穫できるまでに育つため、牡蠣独特の臭みやえぐみがなく、柔らかな身が特徴です。美味さの秘密は、海水中に有機物が多いため、餌になるプランクトンが豊富なことだそうです。 -
外宮参道
行燈の明かりが幻想的に道を照らす光景に目を奪われます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。
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