2022/07/30 - 2022/07/30
712位(同エリア933件中)
ちふゆさん
2022年7月30日(土)夕方の5時、太陽の塔の内部見学を終えて万博記念公園中央口から出て、大阪中央環状線と中国自動車道の上に架かる中央橋を渡る。万博開催中には中国自動車道の上り線と中国吹田の出口となっているところに北大阪急行の万国博中央口駅があり、会場中央口に直結していた。
北大阪急行は現在(2024年4月)江坂・箕面萱野間をOsaka Metro御堂筋線と相互直通運転している電鉄で、当時は千里中央から万国博中央口まで繋がっていた。私も一度だけ、乗ったことがある。この会場線と呼ばれた部分は開催終了と共に廃止され、先日千里中央から箕面萱野までの南北線延伸線が開業するまで長い間千里中央が終着駅だった。
中央橋を南に渡って左(東)側のEXPOCITYに進む。EXPOCITYはららぽーとEXPOCITYを中核とした複合型施設。海遊館が運営する水族館のNIFREL(ニフレル)(下の写真1)、2016年の竣工時点で日本一(世界5位)の高さ(123m)を擁するシースルーゴンドラ型観覧車のREDHORSE OSAKA WHEEL(レッドホースオオサカホイール)(下の写真2)などが運営されている。NIFRELは行ったことがある。
2007年末に休園したエキスポランドの跡地を利用して2015年に開業した。エキスポランドは元々は万博の一部施設として造られたアミューズメントゾーンで、閉幕後は撤去を予定していたが、存続を求める声が多かったことから施設の新設・改良を加え1972年にオープンした。
万博開催時にはジェットコースター「ダイダラザウルス」を太陽に見立て、「遊星空間」「風と水の広場」「人間自身のくに」「中央広場」「ライドセンター」「思い出の森」の6エリアを惑星のように配置した形となっていた。万博の時には行ってない。
エキスポランド開業後には「ダイダラザウルス」に加えて、1979年にスクリュー式宙返りコースターの「スペースザラマンダー」や1990年に花博の会場内で運行していた「風神雷神」の発展型となるスタンディングコースター「風神雷神II」が設置され、さらに1996年に完成当時は世界最大だった宙吊り式ジェットコースター「OROCHI(オロチ)」も運行され、人気を博した。まだ2人だった1986年に1回だけ行ったことある(下の写真3)。「ダイダラザウルス」に2回乗ったそうだ、覚えてないが。
しかし、2007年のGW期間中に「風神雷神II」の車体から車輪と関連する部品が外れて脱輪する事故を起こし、乗客1名が死亡、複数名が負傷した。ジェットコースターの運行中の事故で、乗客が死亡したのは国内初だった。
この事故で、エキスポランドは休園、8月に営業再開したが、その後も事故が続き、客足が1/5以下に激減し、赤字であったこともあり12月に休園、ファミリータイプの遊園地として再生する予定だったが、支援企業が現れず2009年に閉園となった。
現在のEXPOCITYの中核店舗となるららぽーとEXPOCITYは三井不動産グループの三井不動産商業マネジメントが運営する大型のリージョナル型ショッピングセンター。ブランド名である「ららぽーと」は、フランス語で港を意味する「la port(正確にはle port)」で、1号店が海に近い埋め立て地に開業したことに由来している。
1981年に「ららぽーと船橋ショッピングセンター」としてオープンした「ららぽーとTOKYO-BAY」を第一号店として、関東地方に9店舗、関西地方・東海地方には各5店舗の合計19店舗を展開している。
ららぽーとEXPOCITYは7万1千平方mに3階建ての建物が建ち、約300店舗が入居している。主なテナントとしてイズミヤ、LOFT、無印良品、エディオン、アカチャンホンポのほか、TSUTAYA、スターバックス、カメラのキタムラが融合した「TSUTAYA BOOK STORE」などが入っている。
正面左手のオレンジサイドエントランスの前に広がる17軒が入るレストラン街「EXPO KITCHEN(エキスポ・キッチン)(下の写真4)」の中の万博食堂ららぽーとEXPOCITY店へ。
大阪で1950年に官公庁の委託給食事業を起業し、現在はGood BBQチェーンやとんかつ「かつや」チェーン、日本相撲協会専属の飲食並びに相撲グッズショップの展開や国際・地方博覧会・イベント等の営業計画プロデュース並びに出店業務も手掛ける(株)初亀が展開したレストラン。
1970年大阪万博をコンセプトに、当時パビリオンで提供されていたメニューやその当時に流行していた洋食を提供しており、時代を超えたノスタルジーを味わえるレストラン。私はステーキカレー(1485円)を息子はチキンカツプレート(1243円)を食す。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.8040567906013163&type=3
6時半頃、EXPOCITYの南東、駐車場と万博周遊道路を挟んだ先にあるパナソニックスタジアム吹田に移動(下の写真5)。J1第23節のガンバ大阪と京都サンガの試合を観戦した。ガンバ(Gamba)大阪は吹田市、豊中市、茨木市、高槻市、池田市、摂津市、箕面市をホームタウンとするプロサッカークラブ。Jリーグ創設当初からオリジナル10の1つ。2012年のシーズンで18チーム中の17位となり、J2に降格したが翌シーズンにJ2で優勝して1年でJ1に復帰している。
1980年に創設された松下電器産業サッカー部を前身とし、1991年に設立された。J1優勝2回、Jリーグカップ(現ルヴァンカップ)優勝2回、天皇杯優勝4回(前身の松下時代にも1回優勝)の強豪チームで2014年には国内3冠を達成している。主要タイトル獲得数はJリーグ全加盟クラブ中、鹿島アントラーズ、浦和レッズに次ぐ3位。2008年にはAFCチャンピオンズリーグも制している。
ガンバはイタリア語で「脚」を意味し「脚」によってシンプルで強いチームを目指している。また、日本語の「頑張る」にもかけている。発足から1995年までのクラブ名は「パナソニックガンバ大阪」で現在のパナソニックが全株式を保有していたが、1997年に関西電力、大阪ガス、西日本旅客鉄道が株主となった。
Jリーグ開幕から2015年までは万博記念競技場をホームスタジアムとしていたが、2016年に完成した市立吹田サッカースタジアム(パナソニックスタジアム吹田)に移転した。移転後の2019年の磐田戦がリーグ戦最多の3万7千人強の入場者数を記録しているが、ガンバのリーグ戦最多記録は1993年に神戸ユニバー記念競技場で行われたV川崎戦で4万1千人を越えている。
チームに在籍した選手の一部を挙げると、永島昭浩、礒貝洋光、エムボマ(Mboma)、稲本潤一、大黒将志、宮本恒靖、遠藤保仁、今野泰幸、宇佐美貴史、家長昭博、堂安律、中村敬斗ら。監督は釜本邦茂、早野宏史、西野朗、長谷川健太、宮本恒靖らが務めていた。この時には片野坂知宏だったが、このすぐ後の25節で解任された。なお、この年の最終成績は18チーム中15位だった。
この日の試合は後半ガンバが先制するが、ロスタイム終了間際にサンガがPKを決めて引き分けに終わった。
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以上で、万博記念公園の記、終了
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