2022/07/30 - 2022/07/30
781位(同エリア928件中)
ちふゆさん
2022年7月30日(土)午後4時前、自然文化園東口から夢の池の東側を南に歩き、東広場と上の広場の間にあるEXPO'70パビリオンへ。大阪万博40周年を記念して、大阪万博のパビリオンの一つであった鉄鋼館を改修し、2010年にオープンした。
鉄鋼館は日本鉄鋼連盟が出展したパビリオン。テーマは「鉄の歌」で、高さ約17m、一辺約40mの「スペース・シアター」と呼ばれるホールと「ホワイエ」と呼ばれる部分からできている。設計は前川國男。多分私は行かなかった。
多くのパビリオンとは異なり、恒久利用を想定して建設され、万博閉幕後には「将来の芸術センターのコアとして利用する」と定められた。その後、1980年に策定された「万博記念公園第2次整備計画」においては、国立産業技術史博物館を構成する「宇宙映像館」として活用することが想定されたが、そのいずれも実現されることはなかった。
一度は撤去も検討されたが、2006年に策定された「万博記念公園将来ビジョン」において万博記念館として活用されることが決まった。上述の国立産業技術史博物館は結局作られることなく計画だけに終わり、旧鉄鋼館には展示予定の産業機械2万3000点の資料が保管されていたが、2009年にその大部分が廃棄処分された。技術大国日本の貴重な歴史資料だと思うんだけどなあ~
EXPO'70パビリオンは1階が無料ゾーン、2階が有料ゾーンとなっており、それぞれ1000平方mの合計2000平方mの展示面積があり、約80品目、約3000点の資料が展示され、鉄鋼館のみならず大阪万博全体を偲ぶことのできる施設となっている。
なお、現在は、この時には建設中だった鉄骨造、地上2階建、総展示面積約1300平方mの別館が旧鉄鋼間の裏に2023年に竣工し、太陽の塔の建設時に塔頂部に設置されて、1992年に交換により取り外された初代の「黄金の顔(直径10.6メートル)」や1970年大阪万博関連資料、約30品目、約300点が追加展示されている。
西側の入口から入ると無料ゾーンの「ホワイエ」の1階。「ホワイエ」は、鉄筋とガラスとで構成され、外部に向かって開かれた空間で、フーコーの振り子を模したペンジュラムや楽器彫刻が展示されていた。現在は企画展の会場などで利用されており、入れなかったが2階から見下ろすことが出来た。
写真の奥に見えるペンジュラムは当時はぶら下がっていた玉が床に置かれ、外観写真の右手に見える外の塔と吹き抜けだった天井がフタをされているので、何なのか見ても分からない。フーコーの振り子は地球が自転していることを証明した有名な実験。
楽器彫刻はフランス人彫刻家のフランソワ・バシェが制作したもので、ステンレスやアルミ、ガラスなどでできたパイプや金属板が組み合わされ、一見すると観賞用だが、手でこすったりバチでたたいたりすることで、音が何層にも重なり合ったような複雑な音色を奏でていた。17基造られたが、現在は3基が復元され展示されている。
入口ホールにはお祭り広場を中心とした当時の万博の模型が展示されている。プレートによると(財)日本万国博覧会協会が1970年に作成したもの。縮尺は1500分の1。入場券(210円)を購入して2階の常設展示室に進む。入口で参加国の旗が迎えてくれる。2階に上がったところにシンボルゾーンの模型。
シンボルゾーンは会場中央口の南北、幅約150m、長さ約1000mのエリアで、会場全体の幹の部分。この模型は1967年に造られたもので、以前は2015年に解体された大阪ガスのショールーム「生活誕生館DILIPA」に展示されていた。
ゾーンには北側から万国博ホール、万国博美術館、水上ステージ、お祭り広場、太陽の塔が並び、中央口(及び中国自動車道、北大阪急行万博中央駅)(下の写真1)を挟んで国際バザール、そしてエキスポタワー(下の写真2)がある。
ちなみに現在はお祭り広場と太陽の塔は残っており、お祭り広場には一部大屋根跡も残る(下の写真3)。万国博ホールと万国博美術館は2005年に解体され、現在は日本庭園前駐車場になっている。国際バザールは中央イベント広場になっており、その南のエキスポタワーは2003年に解体され、跡地は空地になっている。
常設展示はスペース・シアターを囲む回廊に設置されている。回廊に進む廊下は万博当時には「光りの廊下」と呼ばれ、洞窟状の通路になっていた。スペース・シアターは2重の鉄筋コンクリートの壁によって囲まれ、外部と完全に遮断された音楽堂。
直径8mのステージの全周を観客席がとりまく配置になっており、最新のエレクトロニクス装置を持った音楽堂だった。スピーカーは総数820台、1008個。スピーカーユニットの設計はNHK放送技術研究所で三菱電機が製造した。電子的自動音量制御システムは現在のオムロン(当時は立石電機)が制作したもの。いや、知らんかったわ・・・
万博開催時には作曲家の武満徹をプロデューサーに迎え、特殊スピーカーを用いた録音音源の放送や上述の楽器彫刻による演奏などが行われた。放送するために新たに作曲された曲は「スペース・シアター:EXPO'70鉄鋼館の記録」として当時はLPレコードとなり、CD化もされている。現在はホール内に立ち入ることは出来ず、通路よりガラス越しに眺められるだけ。
回廊の常設展示に進む。反時計回り。最初に入館者数BEST10が階段に示されているが、三菱未来館だけかな?、行ったのは。なんでエルサルバドル館が4位? 入場者数は180日で6421万人で、上海万博までは万博史上最多だった。その横には壁から天井一面にわたって会場マップがプリントしてある。
その先は各館のパンフレット。うちにも行ったパビリオンのものは残ってるはず。そして各館の建物写真のパネル展示がずらりと並ぶ。有名どころは入場時間がかかるので、ほとんど行ってない。太陽の塔と大屋根の模型もある。
その先に太陽の塔の作者の岡本太郎氏の作品や大屋根内に空中展示されていた渦巻都市なども。同じく岡本太郎氏のデザインした「手の椅子」もある。
電動自転車はスタッフの移動手段として使われていたもの。今は小さくなったよね。自転車の後ろにあるピクトグラムは64年の東京五輪の時に初めて使われたが、この博覧会で使われて一気に普及した。6人乗りの電気自動車は会場内で万博タクシーとして使われていた。
ホワイエに突き出した部分に置かれている300分の1スケールの会場全体模型は、1963年生れの会社員・進太郎さんが10年掛けて作られたペーパークラフト。すべて紙で正確に作られていると云うから驚き(下の写真4)。
先に進むと1500分の1スケールの会場模型もあるが、これはマスターデザイン。前半を京都大学西山夘三グループが担当し、後半を東京大学丹下健三グループが引き継ぎ発展させたものだった。さらに進むと当時のポスターが並ぶ(下の写真5)。
最後、「Made in EXPO'70 ~すべては万国博から」。ヨーグルトや缶コーヒー、フランスパン、ファーストフード(フライドチキンにハンバーガー)やファミレスに動く歩道、ワイヤレステレホン、LANシステム。いやあ、考えてみると凄い。来年(2025年)の万博はどうなるやら・・・
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息子と合流して太陽の塔へ向かうが、続く
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