2024/04/16 - 2024/04/16
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たびたびさん
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”以前から気になっていたことをいくつか寄せ詰めたらこうなったという旅”の第二段。三日目は、実はつなぎの一日。観心寺の「如意輪観音」に葛井寺の「千手観音」の御開帳の日が翌日の17日なので、ここに叡福寺の「聖徳太子御廟」と「推古天皇陵」を入れる手はあったのですが、ふと目に留まったのが同じエリアの施福寺。ここは西国三十三所第4番札所ということで、前日の西国三十三所第32番札所、観音正寺からの流れもいいですよね。そして、施福寺から和泉、泉佐野と泉州に広げるとそれもまたいい感じ。つなぎではあったのですが、まあまあの一日にはなったのではないかと思います。
まずは、施福寺のこと。欽明天皇の時代(539-571年)、欽明天皇の勅願により播磨国加古郡の行満上人が創建したと伝わる古刹。そもそも、仏教伝来は欽明天皇13年(552年)ですから、欽明天皇の時代というのはちょっと眉唾ではあるのですが、役小角、行基、空海にまつわる縁起伝承もあって古いことは古いということですね。なお、アクセスは、和泉中央駅から南海バス、事前に予約しておいたチョイソコいずみを乗り継いで。さらに入り口から本堂までの参道は歩くのに30分以上かかります。さすがは西国三十三所。この寺も一筋縄ではいきませんね。
安政年間(1854-1860年)に再建されたという本堂には、本尊の弥勒如来坐像に両脇侍の十一面千手観音立像、文殊菩薩立像ほか四天王像を立体曼荼羅的に安置して、なかなかの迫力。そして、それらも含めて、堂内にある多数の仏像はすべて撮影可というのにはびっくり。こんな破格の対応は他の寺では考えられないものですけどね。仏像好きのカメラマンにとっては天国のような寺だと思います。私も思う存分に撮ってみましたが、やっぱり仏像は意外に難しい。アングルによって全然印象が変わってくるし、まあ、最後は全体的な雰囲気ですかね。全体的な雰囲気が伝わればよしとすべきと思います。
そして、施福寺の後は、和泉市つながりで和泉府中周辺の散策へ。ところで、大阪府は面積は小さいのに、摂津国、河内国、和泉国と三つの国の歴史があって。単に上方、商人の街というだけでは単純過ぎます。まず、中心はやっぱり摂津国。淀川・大和川水系の交通の便にも関わる難波津や住吉津。大化の改新後の新政を行った難波宮(難波長柄豊碕宮)は日本で最初の首都でしたし、その後も平城京の副都としての位置付け。聖徳太子の四天王寺もここですからね。河内は、かつては物部氏の勢力があった地域で、源頼信や頼義、義家の河内源氏に楠木正成の故郷。この辺りまではまあまあイメージがあるのですが、ただ和泉国となるとどうでしょうね。あんまり象徴的なものは浮かばないですが、それでもイメージするとすれば、泉北と泉南を分けて見ないと難しいかな。泉北は、堺市、泉大津市、和泉市ほか。堺は戦国時代の自由都市。海外との交易で財を成した豪商と鉄砲、千利休。和泉市和泉府中には和泉国の国府があったと言われています。泉南は、岸和田市、貝塚市、泉佐野市、泉南市ほか。ちょっと乱暴かもしれませんが、泉北の方がお上品で、泉南は岸和田のだんじりとか激しいイメージ。今回は、和泉国を歩くということで国府があった和泉府中の周辺の大阪府立弥生文化博物館、池上曽根史跡公園から高石神社まで。和泉市いずみの国歴史館は休館中だったし、時間切れで和泉国の一宮、大鳥大社にも行けませんでしたから、これではまだもやもや。和泉国が理解できていない状況はそのままですね。再度調べると大鳥大社のほか、五社総社(泉井上神社)や和泉五社というのもあるようで、その辺りも含めてまたいつか、和泉国にはもう少しチャレンジしてみたいと思います。
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まずは、施福寺に向かうのですが、予定しているバスの時刻を考えると朝は時間に余裕がありますからね。大阪駅の近場で朝飯です。
サンシャインは、東梅田駅からすぐの人気喫茶。 -
朝7時の開店を待って入りますと、ほどなく店は満席です。さすが人気のお店ですね。
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いただいたのは、ホットケーキセット。始めは何でもないように感じましたが、この珈琲の味わいとの相性がずば抜けていて得も言われぬおいしさ。これはマジでおいしいです。
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大阪駅から和泉中央駅に到着。和泉中央駅なんて、久しぶりですね~
エコールいずみは、和泉中央駅の通りを挟んだ向かい側。エレベーターで二階に上がって、そこからアクセスするのですが、なんかその辺りからしてすごい構えになっています。
本館、北館、東館とあって、全体はかなりの広さ。スーパーはイズミヤが入っています。 -
和泉中央駅から施福寺へは、ここから南海バスですが、途中でチョイソコいずみに乗り換える必要があります。
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これがチョイソコいずみ。事前に会員登録をして、便も予約。けっこう面倒くさいですが、それをしないと施福寺には行けません。仕方ないですね。
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チョイソコいずみの終点からは歩きです。
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ここから寺域に入ります。
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なだらかな上り坂をしばらく行くと
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仁王門。
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それらしい仁王様が
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お出迎えです。
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仁王門を過ぎると
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石段。
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ここからが
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本格的な参道ですね。
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30分以上かかると言われていたし、
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帰りの時刻までたっぷり時間はあるし
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焦ることはないのですが、
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うーん。
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しかし、
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それでも
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この延々と続く石段は
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なかなか厳しいですね。
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最後の山すその上り道。
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涼し気な林の中、
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道はさらに続きます。
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この石段が最後ですね。
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ふう。
やっと到着です。 -
これが本堂。
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イチオシ
方形造りの本堂はさほどの大きさもないし、建立は幕末です。
一方で、正面の大きな灯籠にその後ろにはさらに左右一対の灯籠。三つの灯籠がこんな形で並んでいるのは特徴的だと思います。 -
では、
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ここから中へ。
ここで、内部の仏像はすべて写真OKであることを聞きました。いやいやそれは嬉しいですね~ -
奥に進むと
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馬頭観音。
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頭頂に馬の頭があるので馬頭観音。施福寺には西国札所巡礼の中興者、花山法皇を馬が道案内をしたという伝承もあってのものだと思います。
この馬頭観音は座像であることが珍しいのですが、さらに足の裏をこちらに見せているのがポイント。そのため、足腰に霊験あらたかという謂れです。 -
イチオシ
顔は三面で、合掌している手のほかに六つの腕という三面八臂。激しい憤怒の形相です。
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本堂の中央部。須弥壇にはぎっしりと並んだ仏像群。
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手前は四天王のひとり、持国天。
顔は黒ずんでいて、表情は分かりつらいですが、截金とかは見事に残っていますね。黒と金とのコントラストで余計迫力が出ているような気がします。 -
その奥は多聞天。
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こちらは目が吊り上がった憤怒の形相がよく分かります。
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中央に鎮座した御本尊は
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弥勒如来坐像。
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イチオシ
弥勒如来は、ブッダの入滅後56億7千万年後、弥勒菩薩が仏となって現れるという姿です。弥勒菩薩はかわいらしい姿が多いですが、如来は堂々とした姿です。
ここは天台宗なので、本来であれば釈迦如来か阿弥陀如来かな。浄土真宗では、阿弥陀如来。弥勒如来はちょっと珍しいような気もします。 -
左脇侍に文殊菩薩立像。
下半身の衣文が美しい。 -
イチオシ
凛とした顔立ちもいいですね。
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右脇侍に十一面千手観音立像。
この十一面千手観音が西国三十三所の札所本尊です。 -
下半身の衣文は文殊菩薩立像と同じデザイン。
この一点でも両脇侍のバランスは取れています。 -
イチオシ
凛として、かつ静かな顔立ちです。
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イチオシ
その向かって左側に増長天。
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奥が広目天。
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イチオシ
こちら側も奥の像は黒くなくて、形相がよく分かります。
うつむき加減の角度によって、内面のパワーをぐっと溜めているような印象を与えています。 -
本堂の左手には方違観音。
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イチオシ
悪い方向を良い方向に変えるという観音。日本で唯一この施福寺にのみお祀りされているということです。
ところで、観音は三十三身というのも含めて法華経普門品の中に説かれているのですが、法華経の中ではちょっと異質な部分。前後のつながりもあんまりありません。仏教の宗派的な切り口でも、観音の部分だけは独り歩きしているような特別な印象があります。 -
最後は、空海像と最澄像、二十八部衆。
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空海像
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背後に二十八部衆が並びます。
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イチオシ
二十八部衆は千手観音の眷属。
三十三間堂が有名ですが、こちら二十八部衆はどうかするとフィギュアみたいで -
一体一体が
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とてもよく出来ていて、
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ここだけでもかなり見応えがあると思います。
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こちらの元三大師は、第18代天台座主、良源のこと。比叡山延暦寺の中興の祖として知られます。
バックには、千手観音に槇尾不動尊、槇尾弁財天。 -
この千手観音も小さいですが、しっかりした造りですね。
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これも二十八部衆をバックにしての最澄像。
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ここは天台宗ですから、フィットしています。
比叡山から諸宗が生まれたり、日本の仏教界においては巨人。最大の功績は大乗仏教を日本に持ち込んだこと。”人は死んだら仏になる”を信じていない日本人はほとんどいないと思いますが、それは最澄のおかげ。誰もそれを意識してはいないと思いますが、日本人のDNAとして考えるとこれほど大きな遺産は他にはないかもしれません。 -
では、帰りの時間が気になってきました。
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もと来た道を帰りますよ~
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天気も良くて
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気持ちがいい。
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傍らに咲くシャガの花もちょうど見ごろ。美しいです。
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下りはやっぱり楽ですね。
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一気に降りてきましたよ~
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まだ、時間が少しあるので、槇尾山観光センター 食堂へ。
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ここでちょっとひと息つきましょう。
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きつねうどんをいただきます。
細めの柔らかいうどんに出汁がほっこりいい感じ。お店の方のさりげない応対にもけっこう心が和みました。 -
ここから和泉中央駅に戻りまして。そこから、また南海バスで和泉府中駅まで出まして。
昼飯は真。カナートモール 和泉府中のすぐ近くにある人気の中華屋さん。この日もお昼は満席で少し待ってから入りました。 -
甘酢しょうゆの鳥のから揚げのランチをいただきましたが、野菜の天ぷらが適当に混じっていて、意外に天ぷらって甘酢しょうゆに合うんですね。私的にはかなりのサプライズ。ご主人は長崎の中華街で修業をされたようですが、やっぱり確かな腕があってのアレンジかな。素晴らしいと思います。
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ここからは、また歩きです。
大阪府立弥生文化博物館は、池上曽根遺跡史跡公園の南側。 -
池上曽根遺跡が弥生時代を代表する大規模な環濠集落遺跡で国の史跡であることからここに作られたのでしょうが、
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そこから進んで、
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全国の弥生時代の遺跡まで視野を広げたところはさすが大阪府立ということでしょう。
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代表的な遺跡20を並べた”全国弥生マップ”を眺めるだけでもちょっと気分が高揚。それぞれに物語があるし、それらをどうまとめて解説するかはセンスもありますからね。
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稲作がどうやって日本にもたらされたか。稲作が日本にもたらされたことで弥生時代が幕を開けますが、いくつかあまり注目はされてないけどたびたび的には重要なことが二つあります。
ひとつは、日本に入って来てから日本国内での伝播の仕方。北九州から始まって西から東に伝わるのですが、瀬戸内海から近畿から東海へのルートと日本海沿いを北上して秋田青森まで行ってそこからまた南下するコースがあって、その二つの流れが最後に到達するのが静岡の登呂遺跡の辺りです。東北に稲作が伝わったのは坂上田村麻呂とかよりずっと前。1~2世紀の頃には稲作は行われているのですが、狩猟採集も行われていたというだけです。 -
二つめは、稲作の伝播は縄文人がその技術を習得したというのと稲作の技術を持った弥生人が入ってきたのと二つがあるということです。前者は農具も木製だったりして、たぶん拙いレベル。後者になると鉄器も使った総合的な稲作文化の姿。縄文人と弥生人は混血していくのですが、縄文人のDNAが現代人に引き継がれている割合は1割くらいです。つまり、いかに多くの弥生人がやって来たかということだと思います。弥生時代になって、戦争の痕跡が多く残っていますが、それは弥生人の流入によってでしょう。縄文人と弥生人もあるし、先にやってきていた弥生人と後から入ってきた弥生人との間にも争いはあったと思います。そして、その弥生人の流入は弥生時代の間、ずっと続いたのではないかということ。
ここからは、私の想像ですが、その流入してきた弥生人の中に、今度は次の時代の古墳時代を開く一族、古墳人がいて、弥生時代から古墳時代に移っていく。古墳人の中にヤマト政権につながる一族が混じっていて、その一族がヤマト政権を作っていったのではないか。
稲作によって、富の蓄積が可能となり、小さなクニができて大きなクニへ。それがヤマト朝廷へ。日本人ならそう考えたくなるのは分かりますが、それはちょっと希望的な考え方のような気がします。1万年も続いた縄文時代。千年くらいの弥生時代。それが古墳時代やそこからのヤマト政権の誕生になると一気にスピードが上がるのですが、それは人の移動とかを考えないとつじつまが合わないように思います。
弥生時代がどんな時代だったかはいいのですが、ダイナミックな時代の流れの中で弥生時代を考えないと無味乾燥。あまり面白くはないと思います。 -
卑弥呼と銅鏡の展示。
よく整理されていると思いますが、これは王の認知に関わるもの。ただし、邪馬台国だけが手に入れたものではない。
邪馬台国の下にいた多くの小さなクニの王ももらっています。だから、こうやってたくさん見つかるのですね。 -
銅鏡は漢鏡とも言われて、漢で作られたものですが、中国の本土で作られたものだけではなく、むしろ楽浪郡とか朝鮮で作られたものも多いです。
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どっちにしても、銅鏡が発見されると王墓ということですから、それはそれで貴重なものなのですが、そもそもその王はどういうレベルの王なのか。直接銅鏡を手に入れたのではなく、例えば邪馬台国から下賜されたものではないのかとか。意外に肝心なところは曖昧です。
しかし、少なくとも言えるのは弥生人が朝鮮半島や中国と深い関係があったことですが、弥生人は大陸から来た人々なので、むしろそれは自然なことだったのかも。例えば、稲作文化に必要な鉄器はに日本ではまだ製造されておらず、朝鮮半島に求めるしかありませんでした。鉄器が自給自足できるようになるのは縄文時代の半ばですからね。その一点を考えてもまだまだ日本は半人前。そういう時代が弥生時代。弥生人が優れていたから朝鮮や中国と関係を持っていたというイメージはちょっと違うと思います。 -
少し駆け足で拝見しましたが、最後は卑弥呼でのまとめ。
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邪馬台国も卑弥呼も分からないことが多いのですが、やっぱり無難なまとめ方かなとは思います。
ただ、そこにはあまりこだわる必要はないというのが私の見方。つまり、こだわるのは邪馬台国や卑弥呼がヤマト政権につながると考えるからそうなるだけ。ヤマト政権は別だよと考えれば、そこまでこだわる必要はありません。 -
第二展示室は池上曽根ワールド。
池上曽根遺跡の関連です。 -
こちらもきれいな展示。
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土器も年代別に整理されていました。
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弥生文化博物館を出て、遺跡の方へ。
池上曽根史跡は、弥生時代中期の大規模な環濠集落遺跡で、国の史跡。 -
そのシンボルは復元されたいずみの高殿。
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祭祀の空間とか首長の居館とかの説があるようです。
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イチオシ
東南アジアにもこんな建物がありそうな気もしますが、これが弥生時代にあった小さなくにを想像させるもの。
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井戸があったり
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高床式の空間も、弥生時代の香りです。
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池上曽根史跡からしばらく歩いて。。続いての田中本陣は、旧紀州街道沿い。田中家は、清和源氏の系統で、室町末期の元亀年間(1570~73年)にここに土着。江戸時代には大庄屋であり、紀伊徳川家の指定小休所として本陣を承っていたということです。
道沿いにしっかりした説明板がありますが、建物全体は外観を眺めるだけ。屋敷は個人住宅なので、公開はしていません。 -
同じエリアにある助松神社は、菅原道真と春日の四柱をお祀りして、1200年前の歴史を持つ神社。鳥居から境内を眺めるとバランスのいい構えですね。
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そして、話題になるのは境内で飼われている鶏。東天紅と小国という二種類の鶏で、天然記念物にも指定された鶏なのだそうです。
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そこから高石神社に向かうのに南海高師浜線という盲腸のような路線を利用して高師浜駅へ。
ちなみに南海高師浜線の駅は三つで、営業キロも1.4kmしかありませんが、この距離でもないとやっぱり不便ですね。利用者もポツポツいて、生活や通勤・通学の足になっているようです。 -
高石神社は、白雉元年(650年)の創建。大国主の国造りにも関係する少名彦名命や天照大神、熊野坐神を祀る延喜式にも記された神社ですから、なかなかの格式。
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ただ、境内はちょっと荒れた感じもなくはなくて、
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海岸近くの松林の中にあるような雰囲気もあると思います。
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高師浜駅から浜寺公園駅駅へ。
浜寺駅前駅からすぐのところに残る浜寺公園旧駅舎。明治40年に建てられた建物で、建築家辰野金吾と片岡安による設計で柱や梁が幾何学的にデザインされるというハーフティンバー様式の意匠だそうですが、正直、かなりボロボロ。よく頑張って保存しているなという感じです。 -
で、こちらが浜寺公園。明治6年、日本最古の公立公園として開園した公園です。
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白砂青松で知られた和泉海岸の中でも特に名高かったという高師浜のエリア。現在の公園内の松林もそうした歴史を十分に感じられる雰囲気がありますね。
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正面入り口から入ったまっすぐ奥に、ちょっとした噴水の池があって、夕方のイルミがけっこうきれいでした。
日が暮れてきたので、ここで今日の散策は終了です。 -
なんばまで帰ってきて、せっかくなのでちょっとうろうろしてみますか。
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なんば駅の前や
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道頓堀の方も。
商店街にはかに道楽や金龍ラーメンとかミナミらしいお店がそこかしこに。ただ、観光客が多くて、すごいことになっています。お店に入るより、この雑踏を楽しんでいる人の方が多いような気もします。まあ、それは私も同じですか。 -
反対側、道頓堀の北側が宗右衛門町商店街。道頓堀に沿って延びる通りです。宗右衛門町と言えば、宗右衛門町ブルースのイメージもあるし、夜の街のイメージですね。ここも観光客でいっぱいですが、けっこう車の通りが多い。ぼんやり歩いていると危ないです。
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千日前商店街の方に来て、晩飯はアジヨシにしてみましょう。
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焼肉屋さんなんですがあまり食欲もなかったので、冷麺だけをいただくことに。ちょっと地味な味わいですが、これなら悪くはないかな。
ただ、店内は悠々とした広さ。通りの雑踏を考えるとこのゆったり感はけっこうありがたいです。 -
今夜の宿はサウナ&カプセル アムザ。
千日前の繁華街。値段は安くても場所的にどうかなあと思いましたが、施設はきれいだし、ロッカー室なんかもそれなりに悠々とした広さ。スタッフは明るいし、すべての点においてこれは予想外。とても快適に過ごせました。大阪のカプセルホテルの中では、かなりお勧めだと思います。
明日から残りは二日間。観心寺の「如意輪観音」に葛井寺の「千手観音」、叡福寺の「聖徳太子御廟」と「推古天皇陵」。大事なテーマが続きます。
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