2024/03/17 - 2024/03/17
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chemireさん
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1672年創建の花街・辻は、琉球王国時代から中国や薩摩との外交を陰で支え、琉球の芸能と文化を紡いだ社交の街でした。花街で暮らす女性は「じゅり」と呼ばれ、「尾類」の字が当てられたそうです。
辻で開かれる「じゅり馬まつり」は、1988年(昭和63)までは那覇ハーリー・那覇大綱挽と並ぶ那覇市三大祭りのひとつでしたが、公娼制度を認めるものとして女性団体から反発され中断。
その一方で、伝統の継承や地域活性化の声が地元の人々から上がり、2000年(平成12)に旧二十日正月お披露目行列として復活。今回、36年ぶりにパレードが開催されました。
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じゅり馬行列(ジュリ馬スネー)。
旧暦1月20日(旧廿日正月・はちかそーがち)神事の後に、辻遊郭の商売繁盛と村々の豊年を祈願し旧正月の祝い納めとして行われていた行事ですが、その歴史を調べてみるとなかなか複雑な背景を持っていました。
辻に遊郭が公設されたのは1672年(尚貞4年)。薩摩藩による琉球侵攻後の王府の財政が厳しかった時期で、薩摩の役人・貿易商人・中国からの冊封使らが訪れていたことから、王府の役人は自分の娘を遊女に仕立て、財源となる接待の場として遊郭を公設。
一方、民衆への課税が重くなった結果、とくに貧しかった農村の娘達が親に売られ遊郭へ来たのも少なくなかったようです。
その遊郭の開祖は王女であるという言い伝えもあり、首里の王女が唐人に拐われて身を汚されたため御殿に帰ることもできず、沖縄婦人を外国人から守るために侍女達とともに遊女となったそう。
辻から出ることの出来ない王女は、旧暦の1月20日に首里で行われる馬勝負に合わせて「じゅり馬行列」を演出し、離れて暮らす親兄弟と対面したとも伝わります。
時を経て、1879年(明治12)に沖縄県が設置されると、ジュリには18歳で登録証(鑑札)を交付。
その後、1908年(明治41)に仲島・渡地の花街が廃され辻に統合されたことで、辻は、政財界・教育界の要人や地元の商人・旅客が出入りする県下最大の社交場となりましたが、1944年(昭和19)10月10日の空襲により消滅し、その幕を閉じています。 -
義理・人情・報恩に生きた「じゅり」たちの思いと、辻の祭祀や伝統文化を後世に繋ぐため、じゅり馬まつりが継承されています。
※今年の旧二十日正月は2/29でしたが、事情により3/17に実施。 -
メイン会場の花城御嶽・ムラヤー前で、挨拶・祝辞や祭りの説明がされたあと、旗頭(はたがしら)で嘉利(カリー)がつけられました。縁起が良く景気付けのような感じです。
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イチオシ
紅型衣裳に、うちなーからじを結った「じゅり」たちが、緊張した面持ちで祭りの開始を待っています。
今回、初の試みとして琉球舞踊の経験のない一般の女性も踊り手として公募され10代から70代の女性が集まったそうですが、沖縄に限らず伝統の継承は大変。 -
前村渠(メンダカリ)の弥勒様、上村渠(ウィンダカリ)の獅子神を先頭に、じゅりたちが登場しました。馬首を前帯に挟み、手綱を持って「ユイユイ」と囃しながら踊りを奉納。
この後、2つの会場を回り、このメイン会場まで戻るパレードの開始です。 -
旧暦で行事が執り行われることの多い沖縄。
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首里の馬勝負にあやかって馬首をかたどった板が生まれたようですが、日本本土にあった春駒との関連もあるのかな。
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紅白の馬は色が異なるだけではなく、表情や毛並みが違います。
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手と草履に着けた鈴の音も素敵。
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次の会場への移動中に、お付きの子を悪戯っぽく扇ぐ弥勒様。
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弥勒様は子どもたちにも人気です。この子たちが、祭りを継承してくれますように。
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沖縄特有の獅子舞。
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イチオシ
1番大きい神獅子。
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こちらはユニークな表情の子獅子。
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子獅子に噛んでもらって厄払い。
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波の上宮の神主さん登場。
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辻(チージ)は、女性が主体となって生活した場所。
アンマーと呼ばれるジュリの抱え親・貸座敷の女将を筆頭に、ジュリ・ナシングヮ(アンマーが産んだ子)・チカネーングヮ(貧困のため幼い頃に辻に売られた子でコーイングヮとも呼ばれる)などで擬制的家族を作り、人間社会における義理・人情・報恩を第一の教えとして生活。女性のための自治組織を整え、言葉・立ち居振る舞いから、衣裳・髪型・料理・芸能に至るまで独自の文化を創り上げたそうです。
今回、黒い着物の女性が踊りを指導されたようですが、アンマーに見えてしまった。 -
イチオシ
うちなーからじ(ウチナーカンプー)。
巻き上げた髪に「ジーファー」と呼ばれる銀の簪を後ろから前に向かってさします。
ジーファーの形は女性の立ち姿を表していて、沖縄の女性は一本を一生大切に使っていたそうです。 素材にも階級があり王妃様は金、士族の女性は銀、農民は竹と決められていました。
髪の結い方にも身分により、うみないび結い(首里の王族)・那覇結い(一般)・辻結い(辻の遊郭)があって、トップの位置も王族は肉体労働をしないため高い位置で結い、農民や町民は頭に物をのせて運んだりするため後ろで結び、結い方の方向も未婚者・既婚者で異なるそう。 -
波の上宮の神主さんのお祓いを受けてから、踊りを披露。
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その昔、行列に参加したじゅりの数は3000人。踊りだけで15kmも続いたそうです。
旧暦の1月20日だけ遊郭の外に出る事が許されたじゅりたちは、芸事を身につけ一人前になった自分を身内に見てもらおうと衣装・小物・香水・化粧と気合いを入れまくったので、その費用で那覇の経済が左右されたとか。 -
クルっと回って。
色鮮やかな紅型染めの衣装と紫色の鉢巻きが印象的です。 -
メイン会場に戻る前に、公園で休憩を挟んでから、
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振り付けを再確認。
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公園では、旗頭の練習も。
旗頭の高さは7~10m・重さは40~60kgもあるそう。高校生(中学生?)の男の子が、ひとりで旗頭をあげると拍手が湧き起こりました。 -
ひと足先にメイン会場に戻ってみたら、弥勒様と神獅子が仲良く休憩中。
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弥勒様の団扇で扇がれると、女性は美人になり男性は髪が豊かになるそうです。
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神獅子。
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いよいよフィナーレの時間が近づき、最後の撮影タイムだとアナウンスが流れます。弥勒様と神獅子が並んで立つのは珍しく、とても縁起が良いことだそう。
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旗頭も、カリー!
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辻からは、もう一基「和氣」の旗頭も出ていました。和気あいあい。地域の調和・協調や旗持の団結を意味しています。
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地謡の女性の紹介とインタビュー。三線を弾く女性たちの中には台湾やアメリカ出身の方もいて、やっぱり伝統継承は大変そうです。
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公園にいたじゅりたちが到着。
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笑顔でユイユイ♪
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指導していたアンマー(と勝手に呼んでます)が、目頭を押さえつつ踊っていました。
じゅり馬行列の中断された時期もあり、パレードが開催されるまでには、いろんなご苦労があったのでしょうね。素敵な踊りを見せてくれてありがとうございます。 -
深々とお辞儀をされた後、
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最後は、沖縄らしく賑やかにカチャーシー。
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名残りを惜しむように、サーサーサー。
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爆竹も盛大に。
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アンコールで、ユイユイ♪
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祭りが生まれた背景は複雑かもしれませんが、じゅり馬が否定されることなく続いてほしいなと思います。
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