2024/03/03 - 2024/03/03
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hijunoさん
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和歌山城公園は、和歌山城、天守閣、紅葉渓庭園、御橋廊下、わかやま歴史館、動物園も含む広い公園です。
和歌山城天守閣の各階には徳川氏やそれ以前の時代、また徳川氏の家臣など
城主やその家臣などの貴重な資料が展示されていました。
また和歌山市にゆかりのある人物の紹介もあります。
ゆっくりと見学し、最上階から周囲を見渡しました。
お天気が良かったので、空の青色と白壁の天守閣がとても美しかったです。
また、城主が変わるごとにお城の石垣も改築などによって変遷があり、
その変化を観るのも楽しかったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
-
お城行のバス乗り場に向かう途中に観たご当地の紹介パネル。
ここにも水攻めがあったのですね。
戦国の世も厳しい時代。 -
バスでお城の近くで降車。
お城が見えます。 -
お堀も広いです。
-
お城の由緒が書かれています。
要約してみると
1585年に羽柴秀吉が紀州を平定、弟の秀長に岡山(虎伏山)に築城させるのが和歌山城のはじまり。
藤堂高虎が初めて本格的な近代城を手掛けたことでも知られています。
秀長のあとは桑山氏が城主になり、1600年には浅野行長が城主になると
大規模な増築が行われ、連立式天守、本丸、西の丸に屋敷を造り、城下町を整備しています。
1615年には徳川頼宣が城主となり、御三家紀州藩が誕生、お城も現在の姿になります。
紀州徳川家は南海の鎮(しずめ)として続き、8代将軍の吉宗や14代将軍の家茂を輩出します。
1798年10代藩主の徳川治宝の時に天守閣は白い色に、白亜の天守閣となりますが、その後落雷で焼失、また再建もされます。
昭和10年には天守閣が国宝となりますが、和歌山空襲でまたしても焼失、昭和33年にはコンクリート製の現在の天守閣が復元されています。 -
こちらにも説明板。
庭園も綺麗です。 -
址で、博物館にもいってみよう~。
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正面の門、大手門と一の橋。
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大手門と橋の歴史が書かれています。
浅野幸長の時代に、門を造り、大手として、橋もかけて市の橋としていたものを、寛政の時代には大手門、一の橋と名前をかえています。 -
いざ、和歌山城へ。
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近代的な建物が周囲に立ち並んでいます。
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お堀には船にものれるのですね~。
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乗り場かな、、、今はやっていないようですが。
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整然と積まれた石垣。
和歌山城の石垣は時代によって変化があり、見ていて面白いです。 -
ごろんと寝転ぶ、、大きな猫?
とおもいきや、 -
イチオシ
なんとも愛らしいトラでした。
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説明があります。
和歌山城は別名、虎伏山竹垣城。
海上からみると、お城のあった山が猛虎が伏しているように見えたことからつけられた名前だそうです。
こちらは昭和34年に造られた像。
初代は昭和17年の戦時中の金属の供出となっています。
これは有吉佐和子著の「紀ノ川」の中にも出てくるそうです。 -
お城の石垣も素敵です。
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石垣の時代変遷について。
桑山氏の時代には結晶片岩、野積みといわれる様式。
浅野幸長の時代には石材も結晶片岩から砂岩に行こうし、石を加工してハギ合わせ、「打ち込みハギ」。
徳川頼宣の時代には「打ち込みハギ」も使われ、さらに「切り込みハギ」とを用い、花崗斑岩も用いられたそうです。 -
色々表示があるのですが、とりあえず、表坂から入ります。
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野積みの物かな、、、崩れているようにも見えますが、自然の岩にもみえる。
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裏坂もありますが、こちら、表坂から上っていきます。
大きな階段です。 -
善意の杖、、、借りたい。。
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手すりなどもついた、のぼりやすい場所も作られています。
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野積みのような古いタイプの石積み。
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大木があったり、
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緑の多い公園です。
気持ち良い~。 -
下のほうに、動物園も見えました。
こちらも公園の中の施設です。
約100頭の動物たちがいる、、と聞きました。 -
七福の庭がありました。
七福神が船に乗っている様子を表したものだそうです。 -
徳川頼宣の時代のもの。
加藤清正好みのお庭だそうです。
加藤清正もお城造りで有名ですが、頼信の正室の八十姫の父も加藤清正と
説明にありました。 -
イチオシ
天守閣が見えてきました。
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こちらも古そうな石垣。
ぜんぶ同じでないところが面白い。 -
本丸御殿跡がありました。
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天守閣の下に着きました。
まりと殿様の歌の歌碑があります。 -
小さいころに習ったことがある、、てんてんてんまり~♪♪
の歌。
西條八十が5番目の歌詞をつくったそうですが、
紀州が出てきます。
そうだったんだ~。紀州のお殿様のことだったのね。。 -
西條八十の手書きの歌詞の歌碑です。
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ここからは景色が良いです~。
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イチオシ
天守閣。
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白い壁がまぶしいです。
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ちょっとお腹がすいて、休憩します。
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モチモチのお団子とお茶。
一息いれます。 -
チケットを買って中へ。
このチケットは、関連施設で見せると割引ができます。 -
内側から。
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二の門櫓とありました。
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立派な南高梅の樹がありました。
今も梅が生るのかな、、、古木のようでした。 -
三宝柑の樹。
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献上された三宝柑を城主の徳川治宝が非常に気に入り、一般に栽培を禁止するほどだったよう。
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天守閣へ。
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入ってすぐにあるのが、白いトラ。
そういえば、京都の豊国神社の宝物館の前にも、白いトラがいました。
あちらはコミカルな様子でしたが、こちらは勇ましい雰囲気。
ちょっと怖いくらいです。
白いトラは幸運を運んでくるそうですが。 -
天守閣の中、歴史館になっています。
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戦い中に上にはおるものらしいですが、目立つように来ていたようです。
龍が勇ましい。。
下には防御に使ったもの数々。 -
女性用の陣羽織だそうです。
幕末に木下家(豊臣秀吉の正室 ねねの実家)から紀州藩の家老 三浦家へ嫁いだ際に持参したものだそうです。
女性用の陣羽織はとても貴重なもの。 -
徳川家の家紋の葵の紋のある陣太鼓。
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立派な鎧や
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イチオシ
こちらも葵の御紋の長持。
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12代藩主徳川斉疆の一行書。
一行書は短い詩句です。
水の音が絶え間なく響くという意味だそうです。 -
三つ葉葵が光ります。
戦場ではおられるもの。
藩主が着用したものと考えられています。 -
紀州徳川氏についての説明。
家系図。 -
多くの貴重な書物なども残っています。
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発掘されたものなど。
瓦など。 -
最後の藩主に嫁いだ皇族女性が詠んだうた。
和宮とも交流があったそうです。同じような立場だったのですね。 -
14代将軍だった徳川茂承が廃藩置県によって東京在任を命じられ、家臣に配った扇子だそうです。
時代は明治にはいります。時代の変遷を感じさせます。 -
初代藩主徳川頼宣のころには、漆塗りの職人も一緒にきたそうで、
黒塗りの蒔絵の葵御紋の鞍。
豪華です。 -
こちらは茶の湯用のお菓子入れ。
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お城の古図。
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鬼瓦も葵の御紋。
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家臣の三浦家が戦場で掲げる最も重要な旗印だそうです。
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三浦家の紋が着いたものが数々。
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紀州家の美術品工芸品の目録。
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天守閣最上階からの景色。
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遠くは海も。
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下のほうは何かイベントもあったようです。
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見学を終えて下へもどります。
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イチオシ
城内まだまだ歴史の展示が続きます。
こちらは鳥の下絵だそうですが、とても素敵でした~。 -
イチオシ
鳥のモチーフ大好きなもんで、ついつい見入ってしまいます。
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イチオシ
公園内、自然が豊かなので、野鳥も多いです。
江戸時代からもそうだったんですねぇ~。 -
和歌山市にゆかりのある人物のパネルも。
外交に尽力した陸奥宗光。 -
画家の下村観山もそうなんですね。
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南方熊楠も。
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有吉佐和子。
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松下幸之助もそうです。
沢山の著名人を輩出していますね。 -
藩の施設や寺社。
豊かな藩ですね。文化も。 -
城下町の風景。
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乾櫓へ。
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花岡青洲も和歌山出身の人だったのですね。
世界で初めて全身麻酔を用いて乳がんの手術を行ったことは有名です。 -
花岡家の手術器具なども。
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天守閣再建の様子や、
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天守の柱だったものや、
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浅野氏が城主だったころの、ツルのエサ入れ。
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仙人が造った硯?
とされる、岡山の時報堂の近くで見つかった奇石。 -
外に出ます。
ちょっとわかりにくいですが、御台所とあります。 -
お天気の良い日。
空は真っ青です。 -
空の青と壁の白のコントラストがきれい。
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上に積んだ石と下の石垣の積み方が違います。
時代の変遷でしょうか。
面白いです。 -
天守閣から降りるときは裏坂を。
こちらは石段で、きついと感じました。 -
護国神社もありました。
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こちらにも古い石積みの石垣。
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石垣の石には刻印がみられます。
説明板にはその刻印の模様もあります。
和歌山城石垣には2110個も刻印があるそうですが、坂の西方に854個と4割があり、和泉砂岩であり、浅野家の家臣が主家のお城普請のために協力したものではないか、、とのことです。 -
裏坂から降りてくると、砂の丸の高石垣のような石垣が続きます。
徳川頼宣が城主になってから、大規模なお城の改築が行われ、砂の丸、南の丸がつくられ、石垣も作られました。 -
山の斜面を利用した?石積み。
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浅野家が城主だったころ、鶴を飼っていたそうです。
お城の中にも鶴のエサ入れの石が残っていましたが。
江戸時代の文献にも載っているそうです。 -
鶴を飼っていたといわれるあたり、鶴の渓の石垣で、山の斜面に沿って緩やかな石垣が続き明日。
豊臣・桑山の時代にい積まれた石積みのようです。 -
つぎに、庭園の紅葉渓庭園に向かいます。
石垣をみていると、徳川家よりも前から城主だったころの時代も偲ばれました。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (2)
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- sukecoさん 2024/03/10 16:50:07
- 石垣!!
- Reiseさん、こんにちは!
和歌山城、立派ですねー。
石垣の時代変遷。
面白いですね~。
野積みを見ると、いつも崩れやしないか心配になる私です(笑)。
そして、刻印。
協力したことを示したいのか、後に自分がこれをやったことを残したいのか。
こちらも面白い!。
刻印も個性的なものがあったりして、つい見てしまいそう~。
続きも拝見させていただきますねー。
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/03/10 19:48:59
- おたよりありがとうございます。(*^^*)
- > sucekoさん
こんばんは!
いつも旅行記を読んでいただいて、ありがとうございます。
お城の石垣に注目していただけて、とても嬉しいです。
お城というと、天守閣なんですけれど、私は石垣のほうが好きです。←あまのじゃく
和歌山城は城主も変わるごとに、石垣も流行みたいなものがあるのか、どんどん変わってきて、見ていてその違いが面白かったです。
おっしゃるとおり、野積みって今にも崩れそうで、草も生えてきているし、危なっかしいですよね。
でも、和歌山城、しっかり残っていました。
刻印も、和歌山城、家臣たちが提供したことを残すためにつけたものらしいですが、
面白いですね〜。
兵庫県の芦屋を歩いていると、石垣を掘り出し、大阪城の石垣のために
船で運んでいたのですが、その石垣にも刻印が多くみられます。
それは地方の藩主たちのものであったりして、島津氏のものや、そのほかの藩主たちのものがあって興味深かったです。
あまりにも大きな石や不要になった石が放置されているところもあるのですが
それらの石のことを残念石と呼んでいます。
川の中にあったり、山のような切り出し田場所に放置されていたり、なにか物悲しいことを感じました。
あんな大きな石を切り出す作業も並大抵ではないですよね。
お城の築城は血と汗の結晶のように感じます。
Reise
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