2024/02/18 - 2024/02/18
548位(同エリア3730件中)
さるおさん
昨年の大河ドラマ「どうする家康」は視聴率が悪かったらしいが、私は割と見ていた。家康自身の描き方は、築山殿との夫婦関係など美談にしすぎて無理があると思ったけど、家康の家来たち三河武士団が面白かったから。その中の一人、鳥居元忠が伏見城で討死にした時の血痕が京都のお寺に残っていると聞いて行ってみることにした。冬の京都を避け暖かくなったら行こうと思っていたけど、丁度「西本願寺」の「飛雲閣」が44年振りに公開されていると聞いて、ならばと重い腰を上げた次第。
行程:「三十三間堂」→「養源院(血天井・俵屋宗達襖杉戸絵)」→「智積院(長谷川等伯障壁画)」→「京都国立博物館」→「西本願寺(飛雲閣・唐門)」
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「三十三間堂」まではバス。このバスが往生した。とにかく京都駅前のバスターミナルがすごい人出。主にはインバウンドなんだけど。バスを待つ長蛇の列。それを見ただけでゲンナリ。当日は京都マラソンが開催され交通規制があったことも原因らしい。
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「三十三間堂」
全長120m日本一長い木造建築物。本堂には「本尊千手観音坐像」を中心に1000体の「千体千手観音立像」が並ぶ。合わせて1001体の観音様。各々表情や衣文が違うらしいが、私にはわからんかった。
観光客は多いし、陽射しが振り込んで明るいしで思ってたほどの荘厳さはなかったです。 -
「三十三間堂」から歩いてすぐの「養源院」。
ここに、家康重臣鳥居元忠が"伏見の戦い"で自害した際の血痕が血天井として弔われている。 -
鳥居元忠は家康が今川義元の人質だった頃から仕えている古参。言い換えれば幼馴染のようなもの。身分の違いはあれ数多くの苦楽を供にした竹馬の友だ。
関ヶ原の戦いの直前、家康は上杉景勝討伐に向かうため、京都 伏見城の留守を元忠に任せた。家康が遠征したと知れば、その隙に石田三成ら反家康勢力が挙兵する可能性は高い。その時に真っ先に強襲されるのが伏見城。このような危険な留守番を任されたのが元忠。家康にしてみれば、これまで忠義を尽くしてくれた元忠への信頼があったとは言え、危険な任務であることには変わりはなく、苦渋の決断だったろう。いうなれば"死んでくれ"と言ってるようなものだからな。元忠は嫌な顔ひとつせず引き受ける。家康が元忠に留守居役をお願いしたその夜、2人は遅くまで酒を酌み交わしたと伝わっている。そして、家康が発った後、案の定三成らが挙兵。
伏見城は4万の大軍に包囲されました。元忠軍、わずか2300。それでも12日間耐えた。激戦の末、元忠は討死。おそらく伏見城の留守居役を任された時点で、玉砕を覚悟していたのだろう。元忠は家康にこう告げている。「天下を取るには兵がたくさんいる。こっちは少しでいい。たくさん連れていけ。特に若いヤツは連れて行ってやってくれ」。その忠義は『三河武士の鑑』と称された。 -
元忠らの血痕の残った伏見城の床板は外され、供養のため寺に移された。足で踏む床板にしては供養にならないので、天井にして供養。
血が滲んだ板に所々指や手と判別できるものがある。特に元忠自害の痕は、刀を差しながら倒れた足、腕、頭の位置など、人の形がはっきりわかる。 -
院内は写真撮影不可。グループ毎にお寺の方の説明を聞きながら見学。お寺の方が質問をされる。"大河ドマでは元忠は誰が演じていましたか"、誰も答えない。シーンとして次へ進まないので案内の方の隣にいた私が答えた。"音塚琢磨さん"。間違っていた。正解は音尾琢磨さん(笑)。
※血天井のほかにも、俵屋宗達の白象や麒麟、唐獅子を描いた杉戸絵・襖絵も観ることができる。 -
三河武士団の中で私の推しは本多忠勝。徳川四天王の一人。
家康にはもったいないほどの名将だったという意味を込めて、『家康に 過ぎたるものが二つあり 唐の頭に 本多平八』と謳われたほどの人物。百戦錬磨の猛者。それだけ戦いながら傷一つ負わなかったという逸話を持つ。その忠勝が残した遺書の一文、「侍は首を取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討ち死にを遂げ、忠節を守るを指して侍という」。
元忠といい忠勝といい、家康は家来に恵まれた。 -
続いて「智積院」。
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綺麗に掃除された境内。参拝客も少なく落ち付いた雰囲気。
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境内の「宝物館」には長谷川等伯一門による国宝障壁画(「楓図」「桜図」他)が公開されている。残念ながら写真は不可。しかしながら小さな館内に私一人。国宝を独り占め。贅沢。
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「京都国立博物館」
このあたり小さなお寺が集まっていて、三十三間堂から博物館まで歩いて回れるからいいね。京都駅から近いしこのエリアだけで十分に一日潰せる。 -
ロダン「考える人」
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こちらは新館。特別展示は「泉穴師神社の神像」と「雛まつりと人形」。特別展示のスペースってそんなに大きく取ってないのね。でも常設展示が見ごたえあるから、それで十分か。
ゆっくり見て回りたかったけど、このあと「西本願寺」に行かなくてはいけないので駆け足で回りました。 -
唯一時間をかけたのは円山応挙のコーナー。目が印象的な「龍」の絵や「龍門鯉魚図」など。写真不可なのでお見せできないのが残念。
「龍門鯉魚図」
墨で縦線が何本も勢いよく描かれていて、まるでバーコードか何かのよう。しかしながら、そのバーコードには微妙に太い細いがあり、それが意味しているのは、激しく流れ落ちる水流のなかを力強く遡上している鯉でした。
この絵を鑑賞しているとき、後ろのオジサンが、やたら"すごい、すごい"を連発していたので、きっとすごい絵なのでしょう(笑)。 -
ランチは博物館内の「前田珈琲」で。おなかも空いてたし、ほかに食べ物屋さんも見つけられなかったので、もう京都らしさにはこだわらん。
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バスで京都駅経由で「西本願寺」。
京都のバスは乗車口にカードを読ませる機会が無かったのでイコカは使えないと勝手に判断。こんな都会なのにイコカが使えないなんて・・・と心の中で毒づく。でもね、使えたんだよ。出口で読ませればいいの。京都は料金一律だから、わざわざ入口で読ませる必要がないのね。そりゃそうだわ、これだけの観光都市でイコカが使えないわけないわ。私アホだわ。 -
44年ぶりの特別公開「飛雲閣」。44年ぶりってことは前回公開時、さるお16歳、青春真っただ中です。
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「飛雲閣」
金閣、銀閣とともに「京都三名閣」の一つ。滄浪池に反射する姿は左右非対称でありながら調和のとれた独特の様式。元はこの地になく、どこからか移築されたもの。実は聚楽第ではないかとの声もあるそう。全体的に柱が細く障子の多いことから、空に浮かぶ雲のようだということで、飛雲閣と名づけられたといわれている。 -
飛雲閣から西にのびる渡り廊下で結ばれている黄鶴台、黄鶴台を降りれば別棟の浴室があり蒸風呂と鉄釜などがある。蒸風呂は、上の窓や板戸の開閉により温度を調節するようになっているそうな。
池の前にガイドさんがいて、観光客が集まってくると説明してくれます。こういう説明ってありがたいよね。 -
「西本願寺」でもお参り。ウチは浄土真宗なので、母が亡くなったとき、母の骨を納骨させていただいた。父と弟と妹と4人で遠出をしたのは、これが最初で最後だった。母が眠っているのでね、丁寧にお参りをしておいた。
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「唐門」
日が暮れるのを忘れて見とれてしまうほどの美しさから「日暮門」の別名を持つ。意外と目立たない場所にあるのね。 -
極彩色の精緻な彫刻は、雲に麒麟、牡丹に唐獅子、竹に虎、東に許田(きゅうゆう)、西に巣父(そうほ)、南に太公望など。中国故事にちなんだ彫刻が華麗に施されています。
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手水受けを支える天邪鬼。西本願寺には、彫刻などモチーフになっているものを合わせると十数体の天邪鬼が存在するそう。
何で天邪鬼の写真を撮ったかというと、母親から"アンタは天邪鬼だ"と、よく言われたことを思い出したから。母親は、素直じゃない、ヒネクレ者ということが言いたかったのでしょう。
じゃあ、なんで、そんなヒネクレ者がお寺の中に居るかというと、台風や地震に備えてらしいです。災害で建物が倒れそうになった時、"倒したいの? じゃあ倒さない"って、ヒネクレ者の天邪鬼が頑張るかららしいです(笑)。ハハハッ、天邪鬼、役にたってんじゃん!
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