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今日は、まるまる一日を使っての吹屋ふるさと村。高梁市にはなるのですが、備中高梁駅からでもバスで1時間ですから、備中高梁の観光と一緒にしようと思ってもとても無理。岡山県の中でもけっこうハードルが高い観光地だと思います。<br /><br />さて、吹屋ふるさと村のことですが、昨日の旧矢掛宿と同じく、こちらも中国山地の山懐にある伝統的建造物群保存地区です。ちなみに、岡山県には五つの伝統的建造物群保存地区があって、あとは倉敷市倉敷川畔(美観地区)、津山市城東、津山市城西です。美観地区は全国的に有名ですし、津山市の方も意外に規模が大きくて整った街並み。岡山県の重伝建はどこもよく整備されていて、意識の高さが窺われます。吹屋ふるさと村もなかなか。ベンガラ生産で財を成した豪商たちが作り上げた町は、メインストリートを中心に赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された家並みが続きます。街並には古民家を活用したカフェや飲食店、お土産物屋さんも適度にあって、街歩きの合間に休める場所があるのもいいところ。高梁バスセンターからバスで1時間と遠いことは遠いですが、リピート客がそこそこいるというのも分からないではないですね。 <br /><br />ところで、ベンガラのことですが、これは酸化鉄の顔料。赤く錆びた鉄の色と同じですから、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画にも使われていて人類にとっては馴染みのあるもの。ただ、江戸時代にインドのベンガル地方産を輸入していたことから弁柄(ベンガラ)と呼ばれるように。吹屋の場合は、銅鉱山の副産物として作られ、伊万里焼や輪島塗などに使われたほか、建物の塗料として使われました。有名な京都の一力亭もベンガラを混ぜた赤い土壁が使われていて、独特の存在感がありますよね。ベンガラは、経年変化に強く、日光による褪色がないことが特徴。人体に無害であることも大きな利点です。吹屋ふるさと村でも染め物を拝見しましたが、日に当たっても色あせないということで、藍染めとか植物性の染め物と大きな違いだと思います。<br />そして、そもそもの吹屋銅山とも呼ばれた吉岡鉱山のこと。吹屋と聞くと大坂銅吹屋を連想しますが、これは幕府直轄機関。全国の銅山から産出した荒銅を大阪に集め、精銅を製造しました。荒銅に含まれる銀を分離する技術が南蛮吹。銅吹屋の中心が後の住友、泉屋です。戦国時代には、尼子氏と毛利氏の間で争奪戦となったりしたこともあるようですが、江戸期は天領。金銀の産出量が減る中で幕府としては銅への期待が膨らんでいた頃。その下で、住友の泉屋が別子銅山の経営に注力する前ですが、ここで隆盛を築いたのは偶然ではありません。明治期に入ると三菱が経営権を取得し、今度は日本三大銅山の一つと言われるまでのメジャーな鉱山に成長。つまり、ベンガラはあくまで銅の副産物という位置づけ。生成の作業は手作業の部分が多くて、大資本の対象にはならなかったこともあるのかもしれませんが、これはもう一つの宝の山。地元にジャパンレッドの街並という素晴らしい遺産が残ったことは大いに喜ぶべきことだと思います。

西大寺会陽(はだか祭り)から吹屋ふるさと村へ(二日目完)~かつてベンガラで栄えた吹屋ふるさと村は豪商の街。その街並みが整然と残って見事です~

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2024/02/18 - 2024/02/18

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たびたび

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今日は、まるまる一日を使っての吹屋ふるさと村。高梁市にはなるのですが、備中高梁駅からでもバスで1時間ですから、備中高梁の観光と一緒にしようと思ってもとても無理。岡山県の中でもけっこうハードルが高い観光地だと思います。

さて、吹屋ふるさと村のことですが、昨日の旧矢掛宿と同じく、こちらも中国山地の山懐にある伝統的建造物群保存地区です。ちなみに、岡山県には五つの伝統的建造物群保存地区があって、あとは倉敷市倉敷川畔(美観地区)、津山市城東、津山市城西です。美観地区は全国的に有名ですし、津山市の方も意外に規模が大きくて整った街並み。岡山県の重伝建はどこもよく整備されていて、意識の高さが窺われます。吹屋ふるさと村もなかなか。ベンガラ生産で財を成した豪商たちが作り上げた町は、メインストリートを中心に赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された家並みが続きます。街並には古民家を活用したカフェや飲食店、お土産物屋さんも適度にあって、街歩きの合間に休める場所があるのもいいところ。高梁バスセンターからバスで1時間と遠いことは遠いですが、リピート客がそこそこいるというのも分からないではないですね。 

ところで、ベンガラのことですが、これは酸化鉄の顔料。赤く錆びた鉄の色と同じですから、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画にも使われていて人類にとっては馴染みのあるもの。ただ、江戸時代にインドのベンガル地方産を輸入していたことから弁柄(ベンガラ)と呼ばれるように。吹屋の場合は、銅鉱山の副産物として作られ、伊万里焼や輪島塗などに使われたほか、建物の塗料として使われました。有名な京都の一力亭もベンガラを混ぜた赤い土壁が使われていて、独特の存在感がありますよね。ベンガラは、経年変化に強く、日光による褪色がないことが特徴。人体に無害であることも大きな利点です。吹屋ふるさと村でも染め物を拝見しましたが、日に当たっても色あせないということで、藍染めとか植物性の染め物と大きな違いだと思います。
そして、そもそもの吹屋銅山とも呼ばれた吉岡鉱山のこと。吹屋と聞くと大坂銅吹屋を連想しますが、これは幕府直轄機関。全国の銅山から産出した荒銅を大阪に集め、精銅を製造しました。荒銅に含まれる銀を分離する技術が南蛮吹。銅吹屋の中心が後の住友、泉屋です。戦国時代には、尼子氏と毛利氏の間で争奪戦となったりしたこともあるようですが、江戸期は天領。金銀の産出量が減る中で幕府としては銅への期待が膨らんでいた頃。その下で、住友の泉屋が別子銅山の経営に注力する前ですが、ここで隆盛を築いたのは偶然ではありません。明治期に入ると三菱が経営権を取得し、今度は日本三大銅山の一つと言われるまでのメジャーな鉱山に成長。つまり、ベンガラはあくまで銅の副産物という位置づけ。生成の作業は手作業の部分が多くて、大資本の対象にはならなかったこともあるのかもしれませんが、これはもう一つの宝の山。地元にジャパンレッドの街並という素晴らしい遺産が残ったことは大いに喜ぶべきことだと思います。

  • 岡山駅から備中高梁駅に到着。ここから吹屋ふるさと村まではバスですが、まだ時間があるので、周辺でまだ訪ねていなかったスポットをチェックします。<br />松連寺は、備中高梁駅の東側。市街を見下ろす高台にある真言宗の寺。<br />下から見上げるとお城みたいな石垣ですが、

    岡山駅から備中高梁駅に到着。ここから吹屋ふるさと村まではバスですが、まだ時間があるので、周辺でまだ訪ねていなかったスポットをチェックします。
    松連寺は、備中高梁駅の東側。市街を見下ろす高台にある真言宗の寺。
    下から見上げるとお城みたいな石垣ですが、

    松連寺 寺・神社・教会

    下から見上げるとお城みたいな石垣 by たびたびさん
  • それもそのはず、明暦3年(1657年)、備中松山藩主、水谷勝隆が新しい城造りは禁止されていた中で、この寺をここに移築し城の砦としたということだとか。ほか、観音堂には、文禄の役の際、字書多秀家が使った御座船の格天井と船戸があるそうです。

    それもそのはず、明暦3年(1657年)、備中松山藩主、水谷勝隆が新しい城造りは禁止されていた中で、この寺をここに移築し城の砦としたということだとか。ほか、観音堂には、文禄の役の際、字書多秀家が使った御座船の格天井と船戸があるそうです。

  • 確かに、境内からの眺めはいいですね。

    確かに、境内からの眺めはいいですね。

  • 少し歩いて、今度は紺屋川筋へ。

    少し歩いて、今度は紺屋川筋へ。

  • 藩校有終館跡の碑です。<br />有終館は、延享3年(1746年)備中松山藩主板倉家の初代、勝澄が建てた学問所が始まり。山田方谷も有終館学頭を勤めました。明治4年(1871年)に閉校となりました。

    藩校有終館跡の碑です。
    有終館は、延享3年(1746年)備中松山藩主板倉家の初代、勝澄が建てた学問所が始まり。山田方谷も有終館学頭を勤めました。明治4年(1871年)に閉校となりました。

    藩校有終館跡 名所・史跡

    備中松山藩主板倉家の初代、勝澄が建てた学問所が始まり by たびたびさん
  • 高梁川は一級河川。吉井川、旭川と並ぶ岡山三大河川の一つです。備中高梁の市街のすぐ脇を流れていているのですが、川沿いは堤防が続いているので、直接川を見れる場所は限られています。<br />山あいをゆったりと流れるけっこう雰囲気のある川でした。

    イチオシ

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    高梁川は一級河川。吉井川、旭川と並ぶ岡山三大河川の一つです。備中高梁の市街のすぐ脇を流れていているのですが、川沿いは堤防が続いているので、直接川を見れる場所は限られています。
    山あいをゆったりと流れるけっこう雰囲気のある川でした。

    高梁川 自然・景勝地

    山あいをゆったりと流れるけっこう雰囲気のある川でした by たびたびさん
  • 高梁市歴史美術館の方に向かう途中。これは、高梁観光交流センター。観光案内の機能がなくはないのですが、備中高梁駅からは少し距離があるし、備中高梁駅には観光案内所があるので、観光客がここを利用することはあまりないと思います。それでもここがあるのは、市の組織か観光協会かなにかの事務所がここだから。事務所が主体の施設です。

    高梁市歴史美術館の方に向かう途中。これは、高梁観光交流センター。観光案内の機能がなくはないのですが、備中高梁駅からは少し距離があるし、備中高梁駅には観光案内所があるので、観光客がここを利用することはあまりないと思います。それでもここがあるのは、市の組織か観光協会かなにかの事務所がここだから。事務所が主体の施設です。

  • 高梁市歴史美術館は、高梁市文化交流館の二階。隣りの高梁総合文化会館と合わせて、備中高梁市の文化ゾーンといったエリアです。美術展示室と歴史展示室があって、歴史展示室の方は常設展示となっていますが、美術展示室が展示替えとかで休みにあると歴史展示室も一緒に休みになってしまいます。どちらかはやっていると思ったのですが、残念。

    高梁市歴史美術館は、高梁市文化交流館の二階。隣りの高梁総合文化会館と合わせて、備中高梁市の文化ゾーンといったエリアです。美術展示室と歴史展示室があって、歴史展示室の方は常設展示となっていますが、美術展示室が展示替えとかで休みにあると歴史展示室も一緒に休みになってしまいます。どちらかはやっていると思ったのですが、残念。

  • ほとんど向かいの高梁総合文化会館。

    ほとんど向かいの高梁総合文化会館。

  • 多目的ホールや会議も備える高梁市の立派な文化施設なのですが、観光客にとっての見どころは、高梁市出身の歌人である清水比庵の清水比庵記念室でしょう。

    多目的ホールや会議も備える高梁市の立派な文化施設なのですが、観光客にとっての見どころは、高梁市出身の歌人である清水比庵の清水比庵記念室でしょう。

  • ”いま良寛”と称される比庵の作品は、歌・書・画が三位一体となった洒脱な境地。気持ちが穏やかになったような気分です。

    ”いま良寛”と称される比庵の作品は、歌・書・画が三位一体となった洒脱な境地。気持ちが穏やかになったような気分です。

  • では、バスで吹屋ふるさと村に向かいます。

    では、バスで吹屋ふるさと村に向かいます。

  • 吹屋ふるさと村はバスの終点です。

    吹屋ふるさと村はバスの終点です。

    吹屋ふるさと村 名所・史跡

    リピート客がそこそこいるというのも納得です by たびたびさん
  • 地図でもう一度大よその位置関係を確認しておきましょう。

    地図でもう一度大よその位置関係を確認しておきましょう。

  • 旧山内家は、バス停から吹屋ふるさと村に向かうと最初に現れる建物。<br />

    旧山内家は、バス停から吹屋ふるさと村に向かうと最初に現れる建物。

  • 建物は、明治初期の入母屋造、妻入りの二階建て。この建物は山内家の別荘だったそうですが、それにしても堂々とした構えです。

    イチオシ

    建物は、明治初期の入母屋造、妻入りの二階建て。この建物は山内家の別荘だったそうですが、それにしても堂々とした構えです。

  • お土産物屋さんが入っていて、

    お土産物屋さんが入っていて、

  • ベンガラの染め物とかも扱っていました。

    ベンガラの染め物とかも扱っていました。

  • ここからがメインストリートですね。

    イチオシ

    ここからがメインストリートですね。

  • その入り口すぐにある旧片山家住宅は、ベンガラ製造で栄えた片山家の本家邸宅。弁柄製造を創業したのは、宝暦9年(1795年)。以降、200年に渡って業界のリーダーとして、吹屋ベンガラの地位を守り続けたという吹屋を代表する商家です。建物は江戸時代後期から明治にかけて建てられたもの。国の重要文化財です。<br />

    その入り口すぐにある旧片山家住宅は、ベンガラ製造で栄えた片山家の本家邸宅。弁柄製造を創業したのは、宝暦9年(1795年)。以降、200年に渡って業界のリーダーとして、吹屋ベンガラの地位を守り続けたという吹屋を代表する商家です。建物は江戸時代後期から明治にかけて建てられたもの。国の重要文化財です。

    旧片山家住宅 美術館・博物館

    ベンガラ製造で栄えた片山家の本家邸宅 by たびたびさん
  • 入り口を入って

    入り口を入って

  • 土間が置くまで深く続いていますが、

    土間が置くまで深く続いていますが、

  • ここから座敷の方に上がります。

    ここから座敷の方に上がります。

  • 卵部屋とか卵専用の部屋を過ぎて

    卵部屋とか卵専用の部屋を過ぎて

  • 中の間、仏間を抜けると

    中の間、仏間を抜けると

  • 一段高くなったエリア。

    イチオシ

    一段高くなったエリア。

  • 手前が主婦居間で、

    手前が主婦居間で、

  • 一番奥が奥座敷です。

    一番奥が奥座敷です。

  • 二階の方へも

    二階の方へも

  • 上がってみます。

    上がってみます。

  • タンスの部屋から

    タンスの部屋から

  • 後継者居間で、その脇が当主夫妻の寝室。

    後継者居間で、その脇が当主夫妻の寝室。

  • 屋根裏部屋みたいな狭い空間ですが、たぶん、外敵に備える安全面とかの視点もあったかもしれません。

    屋根裏部屋みたいな狭い空間ですが、たぶん、外敵に備える安全面とかの視点もあったかもしれません。

  • 屋敷の裏手の方にも

    屋敷の裏手の方にも

  • 回ってみます。

    回ってみます。

  • 奥の蔵は、<br />

    奥の蔵は、

  • ベンガラの製造に関係するものの資料館。

    ベンガラの製造に関係するものの資料館。

  • ベンガラのサンプルから始まって<br />商品として売っていた小さな木箱や

    ベンガラのサンプルから始まって
    商品として売っていた小さな木箱や

  • 紙袋など。<br />種類が色々あるのは製造元がたくさんあったということなんだと思います。

    紙袋など。
    種類が色々あるのは製造元がたくさんあったということなんだと思います。

  • もう一つの入り口は

    もう一つの入り口は

  • 保管や運搬の木箱。

    保管や運搬の木箱。

  • これは製品を詰めている作業風景ですね。<br />家内工業ではあるのですが、かなり組織化されて大規模なものだった感じ。<br />江戸時代になって、商品経済が発達してくるとそれを生業にした在郷町というのが出現します。たばこや藍、木綿や木蝋など。城下町、宿場町、門前町、港町とかに続いて、この在郷町が出現することも江戸期の豊かさの象徴ですからね。そして、在郷町が栄えれば藩の財政にとってもプラスですから、当然バックアップはあったでしょうし、吹屋ふるさと村だと天領ですから幕府かな。いずれにしても、ここが特殊な例ではないと思います。

    イチオシ

    これは製品を詰めている作業風景ですね。
    家内工業ではあるのですが、かなり組織化されて大規模なものだった感じ。
    江戸時代になって、商品経済が発達してくるとそれを生業にした在郷町というのが出現します。たばこや藍、木綿や木蝋など。城下町、宿場町、門前町、港町とかに続いて、この在郷町が出現することも江戸期の豊かさの象徴ですからね。そして、在郷町が栄えれば藩の財政にとってもプラスですから、当然バックアップはあったでしょうし、吹屋ふるさと村だと天領ですから幕府かな。いずれにしても、ここが特殊な例ではないと思います。

  • さらに奥に進んで

    さらに奥に進んで

  • こちらの建物では、

    こちらの建物では、

  • 片山家の生活ぶりを伝えるものもけっこう豊富に展示されていて。

    片山家の生活ぶりを伝えるものもけっこう豊富に展示されていて。

  • 苗字御免申し渡し

    苗字御免申し渡し

  • 九谷焼とか漆器も、ベンガラを使った商品。

    九谷焼とか漆器も、ベンガラを使った商品。

  • 本棚では

    本棚では

  • 孟子、貝原養生訓、

    孟子、貝原養生訓、

  • 古今和歌集、西洋事情、日本外史も面白い。<br />当主はちゃんと学問を身に着けないとやっていけない立場だったかもしれません。

    古今和歌集、西洋事情、日本外史も面白い。
    当主はちゃんと学問を身に着けないとやっていけない立場だったかもしれません。

  • さすが旧家はいろんな歴史や文化が残っています。

    さすが旧家はいろんな歴史や文化が残っています。

  • 旧片山家住宅からは、最初に上手の方を回りたいと思います。<br />ここからは、建物をチェックすることになります。<br />中胡屋は、旧片山家住宅のはす向かい。慶應2年(1866年)頃の建物で、入母屋型の妻入り形式。虫籠窓の繊細な意匠も印象的です。また、入口のマクリアゲ大戸が完全な形で残っているのがすごいところだとか。<br />明治期には薬屋、大正期には銀行の代理店をやっていたようです。

    旧片山家住宅からは、最初に上手の方を回りたいと思います。
    ここからは、建物をチェックすることになります。
    中胡屋は、旧片山家住宅のはす向かい。慶應2年(1866年)頃の建物で、入母屋型の妻入り形式。虫籠窓の繊細な意匠も印象的です。また、入口のマクリアゲ大戸が完全な形で残っているのがすごいところだとか。
    明治期には薬屋、大正期には銀行の代理店をやっていたようです。

  • さっきの旧片山家住宅の一つ上手は、旧大河家。屋号は山良。建物は明治後期に建てられ、高級旅館として営業していたよう。<br />ただ、今残っているのは奥の離れだけ。明治後期から大正にかけての数寄屋建築にある精緻なデザインが特徴的ということですが、確かにちょっと対象モダンの匂いもしなくはないかな。

    さっきの旧片山家住宅の一つ上手は、旧大河家。屋号は山良。建物は明治後期に建てられ、高級旅館として営業していたよう。
    ただ、今残っているのは奥の離れだけ。明治後期から大正にかけての数寄屋建築にある精緻なデザインが特徴的ということですが、確かにちょっと対象モダンの匂いもしなくはないかな。

  • さらに上手の方へ。

    さらに上手の方へ。

  • 吹屋資料館は、旧吹屋町役場の建物。通りから少し高い場所に間口の広いというか横向きの建物が建っていました。明治時代中期に建てられたもののようですが、格子窓が付いたりしているのでけっこうモダンです。ただ、資料館の方は当面お休みと張り紙がありました。

    吹屋資料館は、旧吹屋町役場の建物。通りから少し高い場所に間口の広いというか横向きの建物が建っていました。明治時代中期に建てられたもののようですが、格子窓が付いたりしているのでけっこうモダンです。ただ、資料館の方は当面お休みと張り紙がありました。

  • cafe燈は、吹屋資料館のはす向かい。古民家を活用したなかなかおしゃれなカフェです。ランチの方も地元の食材を使ったという本格的でヘルシーなもの。こういう店があると吹屋ふるさと村の魅力もぐんと上がるような気がします。

    cafe燈は、吹屋資料館のはす向かい。古民家を活用したなかなかおしゃれなカフェです。ランチの方も地元の食材を使ったという本格的でヘルシーなもの。こういう店があると吹屋ふるさと村の魅力もぐんと上がるような気がします。

  • さらに上手に進んで、油木家。屋号は、鳴門屋。江戸末期の建物で平入りの二階建て建物。明治の頃は米田を営んでいたとか。地味な感じはありますが、細かな格子の窓はあるし、特に店の表側に小さな縁台が付いているのはここだけなのだそうです。<br />では、上手の方はここまで。また元の中心部へ戻ります。

    さらに上手に進んで、油木家。屋号は、鳴門屋。江戸末期の建物で平入りの二階建て建物。明治の頃は米田を営んでいたとか。地味な感じはありますが、細かな格子の窓はあるし、特に店の表側に小さな縁台が付いているのはここだけなのだそうです。
    では、上手の方はここまで。また元の中心部へ戻ります。

  • 片山家本家から下手の方に向かいます。吹屋郷土館は、片山家本家の三つの分家である北片山、中片山、角片山のうちの角片山の家屋を公開しているもの。<br />建物は、明治12年に建てられたもので、入母造り平入りの二階建て町家。

    片山家本家から下手の方に向かいます。吹屋郷土館は、片山家本家の三つの分家である北片山、中片山、角片山のうちの角片山の家屋を公開しているもの。
    建物は、明治12年に建てられたもので、入母造り平入りの二階建て町家。

    吹屋郷土館 名所・史跡

    それぞれに見応えがあってさすがです by たびたびさん
  • 入り口を入って、

    入り口を入って、

  • 玄関から

    玄関から

  • さらに奥まで土間が続きますが、

    さらに奥まで土間が続きますが、

  • ここから座敷の方へ。

    ここから座敷の方へ。

  • 順路に従って進みます。<br />これは台所。

    順路に従って進みます。
    これは台所。

  • 縁側は

    縁側は

  • 路地庭園に向かうもの。

    路地庭園に向かうもの。

  • そこからの座敷が奥座敷。

    そこからの座敷が奥座敷。

  • もう一つ坪庭を抜けて

    もう一つ坪庭を抜けて

  • 今度は二階へ。

    今度は二階へ。

  • 二階の明るい座敷と

    二階の明るい座敷と

  • 隣りが居間。

    隣りが居間。

  • 屋根が互いにせり出していて、ちょっと面白い。<br />内部は悠々としていても、結局は限られた敷地に建てられた建物だということがよく分かります。

    イチオシ

    屋根が互いにせり出していて、ちょっと面白い。
    内部は悠々としていても、結局は限られた敷地に建てられた建物だということがよく分かります。

  • これは納戸。

    これは納戸。

  • また一階へ。

    また一階へ。

  • さっきの台所から

    さっきの台所から

  • 裏の方もちょっと拝見しておしまいです。<br />本家のような邸内の蔵の展示室はありませんでしたが、住居部分は本家と同じくらい勿体があるし、路地庭園や坪庭もしっかり。順路に従って拝見すると、それぞれに見応えがあってこちらもさすがの構えです。

    裏の方もちょっと拝見しておしまいです。
    本家のような邸内の蔵の展示室はありませんでしたが、住居部分は本家と同じくらい勿体があるし、路地庭園や坪庭もしっかり。順路に従って拝見すると、それぞれに見応えがあってこちらもさすがの構えです。

  • さて、下手に向かってまだまだ街並みは続いています。

    イチオシ

    さて、下手に向かってまだまだ街並みは続いています。

  • 叶屋。<br />説明書きには、「弁柄釜元の一軒であり、江戸期には、二代にわたり天領吹屋村の庄屋をつとめた家。表の主屋は江戸末期、奥座敷は大正11年の増築。平入形式で、入口に向って左側の格子は名栗の大阪出格子。土台には牛馬を繋ぐ丸い金具が付けてある。」とありました。いずれにしても、ここも凝った意匠の建物です。

    叶屋。
    説明書きには、「弁柄釜元の一軒であり、江戸期には、二代にわたり天領吹屋村の庄屋をつとめた家。表の主屋は江戸末期、奥座敷は大正11年の増築。平入形式で、入口に向って左側の格子は名栗の大阪出格子。土台には牛馬を繋ぐ丸い金具が付けてある。」とありました。いずれにしても、ここも凝った意匠の建物です。

  • 本長尾家。<br />説明書きには、「長尾の総本家で弁柄釜本の一軒。江戸期には鉄・油等の問屋で、酒造業も営む。1700年代末頃の建築で、現在の建物は幕末から明治・大正頃の増改築である。切妻型の妻入り形式。左側にくぐり戸付きの長屋門を持つ。入口中央の柱に馬を繋ぐ丸い金具を付けてある。」とありました。一階部から上に顔をのぞかせる妻入り部分の意匠が明るくて華やか。一階部二階部の赤白のコントラストが美しいです。

    本長尾家。
    説明書きには、「長尾の総本家で弁柄釜本の一軒。江戸期には鉄・油等の問屋で、酒造業も営む。1700年代末頃の建築で、現在の建物は幕末から明治・大正頃の増改築である。切妻型の妻入り形式。左側にくぐり戸付きの長屋門を持つ。入口中央の柱に馬を繋ぐ丸い金具を付けてある。」とありました。一階部から上に顔をのぞかせる妻入り部分の意匠が明るくて華やか。一階部二階部の赤白のコントラストが美しいです。

  • 長尾醤油酒店は、今でも現役のお店です。建物の説明書きには「江戸末期の建築で平入り形式。主屋二階の天井が例外的に高い。文政9年(1826年)には酒・醬油の醸造を始め、戦後は醬油のみ。今は酒類等の販売」とありました。

    長尾醤油酒店は、今でも現役のお店です。建物の説明書きには「江戸末期の建築で平入り形式。主屋二階の天井が例外的に高い。文政9年(1826年)には酒・醬油の醸造を始め、戦後は醬油のみ。今は酒類等の販売」とありました。

  • さらに進んで、

    さらに進んで、

  • 東長尾家。<br />建物の説明書きには、「明治に入ってから弁柄屋が5軒あってそのうちの1軒。明治中期ごろの建築で平入り形式。店の間の表側にある半蔀戸格子は当家だけ」とありました。細かな格子はありますが、全体としてはけっこうシンプルな印象です。

    東長尾家。
    建物の説明書きには、「明治に入ってから弁柄屋が5軒あってそのうちの1軒。明治中期ごろの建築で平入り形式。店の間の表側にある半蔀戸格子は当家だけ」とありました。細かな格子はありますが、全体としてはけっこうシンプルな印象です。

  • 長尾家(旧松田家)。<br />屋号は氏屋。明治初期の建築で、切妻型の妻入り形式。もともとは片山の弁柄の売り子や陶器、金物の雑貨屋だった家。松田家は県南で弁柄の製造を行っていたとか。大正期に東長尾家が買い取り、農協事務所として使われていたということです。今は無料のギャラリーとなっていました。

    長尾家(旧松田家)。
    屋号は氏屋。明治初期の建築で、切妻型の妻入り形式。もともとは片山の弁柄の売り子や陶器、金物の雑貨屋だった家。松田家は県南で弁柄の製造を行っていたとか。大正期に東長尾家が買い取り、農協事務所として使われていたということです。今は無料のギャラリーとなっていました。

  • 現在の吹屋郵便局の局舎は明治7年に吹屋郵便局が開局して以来、三代目の建物で、平成5年に建てられたもの。向かって左側の建物は呉服屋、右側は前局舎を撤去してそれ以前にあった民家にできるだけ近い姿に復元したものとありました。<br />赤いベンガラの建物に、これも赤いベンガラの暖簾が掛かって、赤で統一された色調がいい感じです。

    現在の吹屋郵便局の局舎は明治7年に吹屋郵便局が開局して以来、三代目の建物で、平成5年に建てられたもの。向かって左側の建物は呉服屋、右側は前局舎を撤去してそれ以前にあった民家にできるだけ近い姿に復元したものとありました。
    赤いベンガラの建物に、これも赤いベンガラの暖簾が掛かって、赤で統一された色調がいい感じです。

  • 中野屋中山家は、ベンガラ釜元の一軒。明治・大正頃は醤油屋を営む。1700年代末頃の建築のようで、切妻型の妻入り様式。入口右側の塗りこめの物入はここだけ。切妻破風の七宝模様のなまこ壁も印象的。全体として華やかな意匠です。

    中野屋中山家は、ベンガラ釜元の一軒。明治・大正頃は醤油屋を営む。1700年代末頃の建築のようで、切妻型の妻入り様式。入口右側の塗りこめの物入はここだけ。切妻破風の七宝模様のなまこ壁も印象的。全体として華やかな意匠です。

  • まだ、下手に向かって街並みが続きますが、

    イチオシ

    まだ、下手に向かって街並みが続きますが、

  • ここから脇道に入って、旧吹屋小学校を目指します。<br />上り坂をしばらく上がっていきます。

    ここから脇道に入って、旧吹屋小学校を目指します。
    上り坂をしばらく上がっていきます。

  • その途中の鉱夫長屋跡。<br />ここは、江戸時代中期以降、銅山で働く鉱夫たちが住んでいた長屋の跡。長屋が建っていたことを示す数段の石積が遺構。三菱の時代、明治39年には鉱夫が1051人もいたそうです。

    その途中の鉱夫長屋跡。
    ここは、江戸時代中期以降、銅山で働く鉱夫たちが住んでいた長屋の跡。長屋が建っていたことを示す数段の石積が遺構。三菱の時代、明治39年には鉱夫が1051人もいたそうです。

  • 旧吹屋小学校は、なんだか現実離れしたような風景。突然現れて、ちょっと唖然ですね。真ん中の本館を挟んで、左右に東校舎と西校舎。本館は明治42年、東校舎と西校舎は明治33年に建てられた木造の擬洋風建物。<br />

    イチオシ

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    旧吹屋小学校は、なんだか現実離れしたような風景。突然現れて、ちょっと唖然ですね。真ん中の本館を挟んで、左右に東校舎と西校舎。本館は明治42年、東校舎と西校舎は明治33年に建てられた木造の擬洋風建物。

    旧吹屋小学校 名所・史跡

    こういうところに通いたかったなあと思えるような心が躍る施設です by たびたびさん
  • 平成24年に閉校しましたが、当時、日本で一番古い現役の小学校校舎として知られていたそうです。<br />

    平成24年に閉校しましたが、当時、日本で一番古い現役の小学校校舎として知られていたそうです。

  • その後、観光施設として整備されたのもあるのでしょうが、

    その後、観光施設として整備されたのもあるのでしょうが、

  • 内部の遊び場でもあったという広い廊下はピカピカ。

    内部の遊び場でもあったという広い廊下はピカピカ。

  • 校長室や

    校長室や

  • 教室も

    教室も

  • 二階の講堂もまだ使えそうなくらいしっかりした感じでした。

    二階の講堂もまだ使えそうなくらいしっかりした感じでした。

  • 単にレトロというだけでなく

    単にレトロというだけでなく

  • こういうところに通いたかったなあと思えるような格調のある立派な施設だと思います。

    こういうところに通いたかったなあと思えるような格調のある立派な施設だと思います。

  • 再びメインストリートに戻ってきて、改めて、下手の方に向かいます。<br />麻田百貨店は、衣料や雑貨のお店。目を引くのは、やっぱりベンガラで染めた製品ですね。暖簾やスカーフや手ぬぐいみたいなものとか。ちなみに、ベンガラは鉱物由来なのであまり色あせをしないのが特徴です。

    再びメインストリートに戻ってきて、改めて、下手の方に向かいます。
    麻田百貨店は、衣料や雑貨のお店。目を引くのは、やっぱりベンガラで染めた製品ですね。暖簾やスカーフや手ぬぐいみたいなものとか。ちなみに、ベンガラは鉱物由来なのであまり色あせをしないのが特徴です。

  • さらに街並を進みますが、<br />ここからはまた建物のチェック。

    さらに街並を進みますが、
    ここからはまた建物のチェック。

  • 黄金荘は、江戸時代末期、弁柄仲間の一人であった大黒屋(大国屋)が建てた切妻型の妻入り形式の建物。傷みが激しかったものを修復したものだそう。一階部が弁柄の赤で塗りつぶされた感じなのに対して、二階部の格子窓と漆喰の白さがシンプルで軽やか。その対比が面白いと思います。

    黄金荘は、江戸時代末期、弁柄仲間の一人であった大黒屋(大国屋)が建てた切妻型の妻入り形式の建物。傷みが激しかったものを修復したものだそう。一階部が弁柄の赤で塗りつぶされた感じなのに対して、二階部の格子窓と漆喰の白さがシンプルで軽やか。その対比が面白いと思います。

  • 旧川本家は、屋号は阿波屋。江戸時代末期の建物。大正時代は小間物屋。二階の窓には手すりが付いたり、一階部の格子の下に設けられた衝立は泥除けのため。それらがあって、平入りの全面が単調となるのを逃れているように感じます。

    旧川本家は、屋号は阿波屋。江戸時代末期の建物。大正時代は小間物屋。二階の窓には手すりが付いたり、一階部の格子の下に設けられた衝立は泥除けのため。それらがあって、平入りの全面が単調となるのを逃れているように感じます。

  • 佐藤紅商店は、赤い柚子胡椒に魅せられたご主人が原料となる赤唐辛子を栽培するところから作るという辛味調味料のお店。一方、建物の方もかつての屋号は上カジヤという城井田家の建物。精米、製粉業を営んでいた家ということです。

    佐藤紅商店は、赤い柚子胡椒に魅せられたご主人が原料となる赤唐辛子を栽培するところから作るという辛味調味料のお店。一方、建物の方もかつての屋号は上カジヤという城井田家の建物。精米、製粉業を営んでいた家ということです。

  • 松浦本家の屋号は、松木屋。江戸末期の建物で、切妻造妻入り形式。中の間にある箱階段が優品で二階には手すり格子とありました。かつては、雑貨商とか。最後は美容院で名物ばあちゃんがいたそうです。今はきいろい台所というネパールシェフのお店です。

    松浦本家の屋号は、松木屋。江戸末期の建物で、切妻造妻入り形式。中の間にある箱階段が優品で二階には手すり格子とありました。かつては、雑貨商とか。最後は美容院で名物ばあちゃんがいたそうです。今はきいろい台所というネパールシェフのお店です。

  • 林家の先住は屋号が今津屋。親子二代にわたって、昭和40年ごろまで蹄鉄工場を営んでいたということ。物資輸送用の馬の蹄鉄は需要が多かったようです。江戸時代末期の建築で傷みが激しく、かなりの修復を行ったよう。サッシが入ってちょっと今風です。

    林家の先住は屋号が今津屋。親子二代にわたって、昭和40年ごろまで蹄鉄工場を営んでいたということ。物資輸送用の馬の蹄鉄は需要が多かったようです。江戸時代末期の建築で傷みが激しく、かなりの修復を行ったよう。サッシが入ってちょっと今風です。

  • 金子やは、吹屋ふるさと村の街並が途切れた、かなり下手の方。基本は、カフェだと思いますが、本日休みと書いてあるのに店内にはメローな曲が流れて、優雅な雰囲気がだだ漏れ状態。

    金子やは、吹屋ふるさと村の街並が途切れた、かなり下手の方。基本は、カフェだと思いますが、本日休みと書いてあるのに店内にはメローな曲が流れて、優雅な雰囲気がだだ漏れ状態。

  • スタジオみたいな趣味の方の香りもあって、とても独特。気になるお店です。

    スタジオみたいな趣味の方の香りもあって、とても独特。気になるお店です。

  • 吹屋案内所 下町ふらっとは、観光案内所もやっていなくはないですが、メインはベンガラの染め物体験。

    吹屋案内所 下町ふらっとは、観光案内所もやっていなくはないですが、メインはベンガラの染め物体験。

  • 前の空き地ではたくさんの染め物を干していました。<br />染め物は日に当たると褪せてしまうのですが、そんなことを話したら、ベンガラは鉱物由来なので植物由来と違って不思議に色があせないんだとか。これは冒頭にも触れたとおりです。

    前の空き地ではたくさんの染め物を干していました。
    染め物は日に当たると褪せてしまうのですが、そんなことを話したら、ベンガラは鉱物由来なので植物由来と違って不思議に色があせないんだとか。これは冒頭にも触れたとおりです。

  • ここから、さらにベンガラ館を目指しました。吹屋ふるさと村の中心部からだとけっこう離れた場所。歩いて訪ねるとしたら、この辺りがぎりぎり範囲かなという感じですね。<br />ただ、吹屋ふるさと村に来たら、ここは外すわけにはいかないでしょう。<br /><br />

    ここから、さらにベンガラ館を目指しました。吹屋ふるさと村の中心部からだとけっこう離れた場所。歩いて訪ねるとしたら、この辺りがぎりぎり範囲かなという感じですね。
    ただ、吹屋ふるさと村に来たら、ここは外すわけにはいかないでしょう。

  • ところで、ベンガラが全国で初めて生産されたのは、江戸中期の宝永4年(1707年)。吹屋がその場所とされています。<br />敷地内に、窯場室、水洗碩臼室、脱酸水槽室といった明治の頃のベンガラ工場を復元しています。

    ところで、ベンガラが全国で初めて生産されたのは、江戸中期の宝永4年(1707年)。吹屋がその場所とされています。
    敷地内に、窯場室、水洗碩臼室、脱酸水槽室といった明治の頃のベンガラ工場を復元しています。

  • 原料はローハ。

    原料はローハ。

  • ローハは銅鉱近くで採れる副産物である硫化鉄から作ります。ただ、ローハははまだ淡青色。窯場室では、それを乾燥、焼いて赤褐色の焼キを作ります。

    ローハは銅鉱近くで採れる副産物である硫化鉄から作ります。ただ、ローハははまだ淡青色。窯場室では、それを乾燥、焼いて赤褐色の焼キを作ります。

  • 資料館も

    資料館も

  • 途中に挟んで

    途中に挟んで

  • ちょっと一服かな。

    ちょっと一服かな。

  • 水洗碩臼室では、

    水洗碩臼室では、

  • その焼キを臼で砕いて水でかき混ぜて粗いものと細かいものにより分けます。

    その焼キを臼で砕いて水でかき混ぜて粗いものと細かいものにより分けます。

  • 最後に

    最後に

  • 脱酸水槽室では、酸分を抜くためにきれいな水でかき混ぜ、沈殿したベンガラを回収します。<br />

    イチオシ

    脱酸水槽室では、酸分を抜くためにきれいな水でかき混ぜ、沈殿したベンガラを回収します。

  • ベンガラは、酸化鉄が主成分。

    ベンガラは、酸化鉄が主成分。

  • こうしてできたベンガラは高級顔料として、伊万里焼や輪島塗で使われたり、

    こうしてできたベンガラは高級顔料として、伊万里焼や輪島塗で使われたり、

  • 家屋の木材を赤く塗ったりすることに使われました。<br />京都の一力なんかも代表格。なかなかお勉強になりました。

    家屋の木材を赤く塗ったりすることに使われました。
    京都の一力なんかも代表格。なかなかお勉強になりました。

  • ただ、ベンガラ館まで来ましたから、もうひと踏ん張り。<br />吹屋銅山笹畝坑道まで足を延ばします。<br />

    ただ、ベンガラ館まで来ましたから、もうひと踏ん張り。
    吹屋銅山笹畝坑道まで足を延ばします。

  • ここは、江戸時代から大正時代まで操業した銅山を復元したもの。

    ここは、江戸時代から大正時代まで操業した銅山を復元したもの。

  • 始まりは、大同2年(807年)という古いものですが、

    始まりは、大同2年(807年)という古いものですが、

  • 明治以降は三菱金属の経営。

    明治以降は三菱金属の経営。

  • 冒頭に触れたとおり、日本三大鉱山の一つと言われるまで成長します。<br />ベンガラの原料、硫化鉄もここで採れたもの。ベンガラの隆盛と大いに関係しています。

    冒頭に触れたとおり、日本三大鉱山の一つと言われるまで成長します。
    ベンガラの原料、硫化鉄もここで採れたもの。ベンガラの隆盛と大いに関係しています。

  • 吹屋ふるさと村の中心部に戻ってきて、遅い昼飯はcafe松栄館へ。<br />旧片山家住宅から少し下がった辺りなので、この辺りが一番人通りは多いですね。

    吹屋ふるさと村の中心部に戻ってきて、遅い昼飯はcafe松栄館へ。
    旧片山家住宅から少し下がった辺りなので、この辺りが一番人通りは多いですね。

  • 外から店内がそれなりに見えるのですが、満席の様子を見てつられて入ったという感じです。

    外から店内がそれなりに見えるのですが、満席の様子を見てつられて入ったという感じです。

  • いただいたのは、千屋牛のうどん。千屋牛というのは神戸牛のもとになる牛だそうですが、確かにうまみが濃いような気がしますね。ただ、値段設定からするともう少し量はあってよかったかも。ちょっと観光地価格になっているかなと思います。<br />これで、吹屋ふるさと村はおしまい。備中高梁駅から岡山駅に戻って、広島に帰ります。

    いただいたのは、千屋牛のうどん。千屋牛というのは神戸牛のもとになる牛だそうですが、確かにうまみが濃いような気がしますね。ただ、値段設定からするともう少し量はあってよかったかも。ちょっと観光地価格になっているかなと思います。
    これで、吹屋ふるさと村はおしまい。備中高梁駅から岡山駅に戻って、広島に帰ります。

  • その途中、福山でちょっと気になるお店があるので途中下車。<br />自由軒というお店なんですが、天満屋福山店の南側すぐ。地元ではかなりの人気を誇る居酒屋食堂です。店の中央を囲むカウンター席にはこの日もお客さんがぎっしり。女将さんがてきぱき注文を聞いてさばいていきます。<br />

    その途中、福山でちょっと気になるお店があるので途中下車。
    自由軒というお店なんですが、天満屋福山店の南側すぐ。地元ではかなりの人気を誇る居酒屋食堂です。店の中央を囲むカウンター席にはこの日もお客さんがぎっしり。女将さんがてきぱき注文を聞いてさばいていきます。

  • いただいたのは焼き魚定食と

    いただいたのは焼き魚定食と

  • ロールキャベツ。ロールキャベツは味噌味でしたが、違和感はないしそれなりにかなりいける。お店の雰囲気も抜群なので、それと合わせておいしくいただきました。<br />以上で、二日間の旅は終了。お疲れさまでした。

    ロールキャベツ。ロールキャベツは味噌味でしたが、違和感はないしそれなりにかなりいける。お店の雰囲気も抜群なので、それと合わせておいしくいただきました。
    以上で、二日間の旅は終了。お疲れさまでした。

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