2024/02/08 - 2024/02/10
964位(同エリア3703件中)
ST&Gさん
今回は大阪の超定番観光スポットの大阪城と、世界遺産登録された仁徳天皇陵を紹介します。
最初は、行き当たりばったりで訪れた大阪城。
情報収集無しで訪れましたが、幸いになことに大阪城を散歩していた方の案内で、大阪城の石垣について学ばせていただきました。
後半は世界遺産の仁徳天皇陵古墳。
敷地の中に入ることは出来ませんが、教科書で見たあの場所が見たくて足を運びました。
その様子をご覧ください。
※大阪グルメ情報は、次回の旅行記で紹介します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 自家用車
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大阪~、大阪~。
奈良から大阪にやってきました。あべのハルカス 名所・史跡
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大阪と言えば、食いだおれ。
私たちの主な目的も、食べ歩き。
観光に関しては、行き当たりばったり。
新幹線を利用すれば日帰旅行も可能という気軽さが、私たちを怠惰にするのかもしれません。
事前の情報収集無しで訪れた大阪城。
見逃しポイントも沢山残りそうですが、過去に学んだ★城★知識を思い出しながら歩いてみることにしましたよ。大阪城 名所・史跡
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駐車場から青屋門に向かう途中で、行列が出来ている露店を発見。
昔は10円まんじゅう、今は10円パン。
並んでいたのは、殆どが訪日客。
昔の訪日客は行列が出来ているお店を見ると去って行きましたが、最近は笑顔で並んでいますよね。
どうやら彼らの中では、【日本は行列が出来る店が美味しい店】という認識になっているようです。
自国では並ばず、日本に来ると行列に参加。
そしてSNSにアップ。
それが訪日客のトレンドだとか。
台湾の人は並ぶというイメージがありましたが、今はアジア系の人たちだけでなく欧米人も並んでいます。 -
テクテクと歩いていたら、そのまま枡形に入ってしまいました。
枡形とは、戦国時代末期頃から作られるようになった城の出入口のこと。
勢いよく入城する敵は直進で進むことが出来ず、スピードダウン。
四角い空間ですから、そこで待ち構えていた兵がいろいろな方角から敵に攻撃を仕掛けるというのがこの場所です。
出陣の際には兵を集めて点呼したり、城外から戻った兵を護るためのものでした。過去に訪れた城は、濠に架けられた橋を渡って門。
その門を潜り枡形。
しかしここは門を潜る前に枡形があるので、私にとっては何となく違和感がありましたよ。
門が枡形の内側にあるので、出枡型。
そしてこの方角は、鬼門に当たります。
鬼門と言えば昔の人々も鬼門や裏鬼門(南西)を意識していましたが、都を置く時は鬼門除けで寺を配置。
城を築く際も、神社や寺を置きましたよね。
また鬼門除けで曲輪の角(石垣/塀)に缺け(凹み)を設けたり、不開門(あかずのもん)を置くというのもあります。
青屋門も江戸時代は不開門でしたが、「もし不浄の気(鬼)を入り込ませないためだとしたら、何故石垣や塀で塞がなかったのか?」と疑問に思うのではないでしょうか。
その答えを与えてくれたのが、私の場合は熊本城でした。
★この方角は、塞いでも開け放してもいけない★
これは陰陽道(風水)の考えから来ていると言われていますが、石垣や塀で塞がない代わりに門を置く。
そして死人や不浄なものを運ぶ時だけ開門。
熊本城の不開門の所にこの説明がありますので、是非そちらも目を通してください。
熊本城の説明はサルにも分かる…とまでは言いませんが、それくらい分かり易いので、私のような城ビギナーが学ぶには絶好の場所。
国宝や現存天守でなくても、城見学を面白くさせてくれる情報が沢山ありますよ。 -
また青屋門の出枡形の外には水堀があり、そこには算盤橋が架かっていたようです。
そして大阪城と言えば、扉や鏡柱に黒塗の鉄板を貼り付けた門。
この青屋門も立派ですが、重要文化財の門や巨石の蛸石が見たければ、大手門へ周りましょう。
青屋門近くにもそれなりに大きな石はありますが、蛸石には敵いません。 -
内側から見た青屋門。
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矢穴の跡。
矢穴の『矢』は、石材を割るために用いられるクサビのこと。
トンカチのような道具(クサビやノミ)で石目に沿って複数の穴を掘り、発注された大きさに石を割るので、通常は石の角に矢穴の跡がありますが、時には石の表面に残っているものもあります。
更に歩いて、極楽橋に向かいましょう。 -
大阪城御座船。
これに乗って大阪城を一周するのも楽しそうですね。 -
西仕切門跡の所にある御座船乗り場。
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御座船のチケット売り場は、船乗り場近くにあるこちらの建物ですよ。
天下一の黄金の和船大阪城御座船 乗り物
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私たちは御座船ではなくエレクトリックカー『ロードトレイン』を利用しましたが、これがなかなか楽しかったのでまた後程紹介します。
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極楽橋を渡った所にある枡形。
蛸石ほど大きくはありませんが、かなり大きな石が幾つか積まれています。
大きな石(鏡石)を使う理由は、訪れる者に城主の威厳を示し、石工の技そしてその技術集団を抱えている城主の権力を見せつけるという効果があるからですよ。
もしお城へ行く機会があれば、他の石とは違う大きな石(鏡石)を見つけてくださいね。 -
同じ枡形の右側に当たる部分。
江戸時代は【一国一城令】で廃城になった所もあれば、【武家諸法度】による規制も行われていましたので、石垣を見れば城の防備能力が分かると言われていますが、ここは大阪城。
江戸時代にあった全てのものが残っているとしたら、どう感じたのかしら。 -
こちらは山里曲輪にある刻印石広場。
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豊臣・徳川の城ですから、黒田家・前田家・毛利家・加藤家・堀尾家など歴史に名を刻んだ大名の名前がずらずらと並んでいます。
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またこの場所は子どもたちの遊び場になっていましたが、貴重な刻印がある石の上で遊べるとは贅沢。
ここにある石は移築復元されなかったものと聞きましたが、大阪城普請で使わなかったものは川に捨てた(残念石と呼ばれる)という話もありますので、刻印がすり減ろうとどうと言うことはないのでしょう。
残念石と呼ばれるこのような石を万博のトイレに使うという案もあるそうですが、価値あるものをトイレに使うというのは正直複雑ですね。
多くの人に知ってもらいたいとう気持ちは私も同じですが、それに相応しい場所というのがあるのではないでしょうか。
太っ腹の大阪と言いたいところですが、これに関しては賛否両論になるのは当たり前かなと思います。 -
早速刻印探しに挑戦。
まずは黒田家から探してみましょう。 -
蕨のような形…蕨のような形…何処かなー?
見つけたー!
という感じで、どんどん探していきましょう。 -
【田】以外に色々なマークと組み合わせてあるこちらは、豊前小倉 細川家の刻印。
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今度は加賀のお殿さまを探そうかな?
「もしかして、これ???」
上部にラインがあるのできっとそうだろうという程度の判断でしたが、刻印探しはマークがはっきり分かるものもあればそうでないものもあり、見つけるのが大変ということもです。
しかし刻印探しは楽しいですよー。 -
可愛い葉っぱのマークは時間が無くて見つけられず。
これは次回のお楽しみですね。 -
刻印探しをしていたら、突然見知らぬ方から声を掛けられました。
「刻印がお好きなようだから」と、大阪城でたくさん刻印が見られる場所を案内してもらうことになりましたよ。
ボランティアガイドさんなのかとお聞きしたら、「いえいえ私はもう暇人ですからウロウロしてるだけ」と仰っていましたが、ガイドさんでなければ先生かなと言うような感じの方でした。
これはラッキーかも。 -
その方の案内で、この坂を上っていきます。
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折角なので、案内してくださった方の言葉をそのまま記載。
・カッコ無しは案内をして下さった方の言葉
・【 】は私の言葉
・( )は補足説明
(手で示しながら)
昔はここに門が2つあったんです。 -
その門を潰している時に(奥側を指し)ここに兵隊を隠してて…横から(兵が)ワーッと出てくる隠し曲輪言うんです。
(潰すは敵が門を壊すこと。横からというのは画像奥側にあるエリアからのこと。)
普通の枡形は四方を囲まれてるんやけど、ここはちょっと出っ張っているから攻められない。 -
(隠し曲輪に移動)
【ガイドさんですか?お散歩中に申し訳ありません。】
いえいえ私はもう暇人ですので、ウロウロしているだけです。 -
隠し曲輪って兵隊隠しててね。
上へ上がるともうここは本丸だから、敵は向こう(先程の主たる門)潰してすぐこっち(天守閣がある本丸)を見るわけ。
ここ(隠し曲輪)は目立たないちっさな門しかなかったんで、(敵が)向こうへザーッと行こうとすると、こういう風に横から(敵)目掛けて攻めるんです。
(今度は隠し曲輪の案内板を指し)この模様とこのマークがね、ここの石垣にあるんです。
【うわ~っ、凄い数!】
良く見つけられましたね。
【石垣の下から上に向かって刻印入りの石がズラリと並んでいますから】
そうなんです、そうなんです。
【ここは凄い!】
こんだけね綺麗に並んでいる所は、他にないんです。 -
これ何でかと言うと、丁度こっちの管轄とこっちでは工事した殿さん/藩が別なんです。
(こっちとは、石垣の左右のこと。) -
これが、愛媛県大洲の殿さん・加藤さんでね…こう置いたぞ、今度おまえんとこおけよ。
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これは兵庫県北部 但馬の小出さん言うて…うん、あー置いたか、置いたぞ、お前んとこ置けや、よっしゃ俺置くぞ…とこうして、こっち側とこっち側で担当が分かれてたんでね。
-
(案内してくださった方は石垣の刻印で説明してくださいましたが、刻印石広場の方が分かり易いと思いますので、これを見ながら続きをお読みください。)
刻印は殿さんの家紋でもないんです。
石工さんのマークやったりね…。
ですから、パッと見て薩摩かーと言う人がいるんですよ。
薩摩じゃなく、突き出てチョン、突き出てチョンですよー言うて教えてあげるんやけどね。
パッとみー(見て)で丸に十の字やから、薩摩かーと思うんやね。
ちゃうよー言うんやけど(笑)。 -
この石垣は1期工事・2期工事・3期工事ってやってるけど、全然並びが違います。
殆どのお城は戦争絞って石垣造ってるから、こんな綺麗な石じゃなくて、自然石を積んだ野面積やってますけど、ここは戦争終わってからでね。
各大名が…あっちの藩上手いこと造りおった、負けるなよーいうような感じで競争してます。
(戦争とは戦国時代のこと。)
大阪城は江戸幕府大阪支店言うんですか、西日本支店言うような感じで、幕末まで幕府が管理してたんですよ(幕府直轄地のこと)。
大阪城と太閤さん(豊臣秀吉)の城言うけど、今あるのは皆徳川の城。 -
(更に移動。三角形の所は鉄砲などで攻撃するための狭間。この上にあった塀を想像すると分かるのではないでしょうか。案内はまだ続きますよ。)
-
石垣の上に点々と穴があるでしょ。
これは此処に塀があったんです。
その塀の柱の根本ですね。
本来この周りは、全部塀で囲んでたんです。 -
(天守閣がある石垣を指差し)
この上もそうですけど、ここやったら石…登れますよね。
でも、2~3mの白壁があると越えられないんです。
ですからあの上にも行ったら、皆このような穴がありますよ。
明治になる前に、戊辰戦争で皆焼けたんです。
(大政奉還の翌年、大阪城に逃げ帰った旧幕府軍。しかし慶喜は江戸に逃げ大阪城は大混乱。更に青屋口火薬庫の火災及び爆発で焼け落ちたというこの事でしょうね。) -
録音した音声を聞きながら、案内して下さった方の言葉をそのまま記載したつもりですが、間違っている所があるかもしれません。
それにしても、ガイドさんでなけば旅行会社の人(添乗員)?
もしくは先生だったのかしらと思いましたが、とても分かり易い説明でした。
ここからは、案内人無しで天守閣に向かいます。
逆光のため色が悪いのですが、こちらが大阪城の天守閣。
このような建物は【天守】または【天守閣】と言いますが、大阪城の場合は【天守閣】を使う方が良さそうです。
石垣最上段にある横長の石を見ると、上部に小さな凹みがあるのが分かるでしょうか?
これが狭間。 -
別の角度から見てみましょう。
壁に四角い小さな穴(狭間)がありますが、そのすぐ下(白壁と石垣の境界部分)に四角い小さな穴(凹みのように見える所)があります。
これは天端石(石垣一番上)にある笠石銃眼で、大阪城の見どころですよ。 -
石山本願寺跡に建てられた大阪城。
築城は1585年。
しかし大阪夏の陣で落城。
その後徳川秀忠により再建されますが、落雷により天守閣を焼失。
昭和6年に再建されたのが、現在のこの建物です。 -
大阪夏の陣図屏風には建物全体に黒い腰板が貼られている姿で描かれていますが、大阪市街淀川堤図屏風は白壁の城。
今の大阪城に近いのは、エッゲンベルグ城博物館に所蔵されている「豊臣期大坂図屏風」のようですが…。 -
山里丸は豊臣秀頼と淀殿自刃の地(自害した場所)。
豊臣の時代にはこの曲輪に幾つも茶室があり、茶人たちと茶会を楽しんだり、要人をもてなしていたようです。
徳川時代は、城を守衛する加番大名の家臣が生活する屋敷があった所。 -
本丸に続く階段は、閉鎖されていました。
ここで時間切れ。
そろそろ駐車場に戻りましょう。 -
こちらは、旅行記の初めに紹介したSLのようなロードトレイン。
御座船チケット売り場近くにある極楽橋駅から駐車場前駅ではあまりにも距離が短すぎて乗る価値なしと思ったのですが、これが大間違いでした。
「有無を言わせず」という感じで、友人は既にチケット購入。
参考までにロードトレイン極楽橋乗車駅と券売機は極楽橋に近い所にありますが、友人曰く係員の方に乗車したい旨伝えたところ、係員の方が券売機でチケットを買って下さったそうです。
優しいですね。
ちなみに65歳以上は、御座船もロードトレインも割引になるようです。
乗り場から出発し、極楽橋付近でUターン。
駐車場とは逆方向に向かいます。
しゅっぱ~つ! -
京橋方向に進むロードトレイン。
私たちが刻印探しをしていたのは、この石垣の上(山里曲輪)。 -
京橋口近くにある狛犬と、日中友好萬古長青の碑。
重さおよそ3トンの狛犬は日中戦争の時に運ばれたものですが、その後日中友好の象徴として改めて大阪市に寄贈されました。 -
そしてこちらが京橋口。
道の右側に巨石(肥後石)があったのですが、見逃してしまいました。
ここには多聞櫓があったそうですが、大阪大空襲で焼失。 -
橋を渡り、右折すると筋鉄門。
石垣の造りそして左右対称の穴を見ると、どうやらこの辺りに門があったと思われます。 -
大阪城の敷地に残る大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)。
こちらの守衛詰所は、既に崩れかけていました。 -
御蔵曲輪跡に建てられた、大日本帝国陸軍の兵器工場群。
ここでは、戦車や大砲といった大きな兵器を製造していたようです。
広さは約40万坪。
東洋一の兵器工場と呼ばれるくらいの施設でしたので、アメリカ軍の標的になったのは言うまでもありません。
戦前まであった大阪城の櫓なども焼失。
画像の建物は、化学分析場。
戦争の貴重な遺構と言えますが、今は廃墟と化していました。
濠の内側の賑わいとは対照的だった砲兵工廠跡。
このような物が見られたのも、ロードトレインのお陰と言えます。 -
大阪城ホール。
球場があるこの辺り一帯も、昔は大阪砲兵工廠。
そろそろ駐車場前駅に到着…という事で、大阪城観光はこれで終わりです。大阪城ホール 名所・史跡
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今度は堺市に移動。
ここからは、大阪城訪問の翌日に訪れた仁徳天皇陵を紹介します。
最初は百舌鳥古墳群ビジターセンター。
駐車場を間違えて仁徳天皇陵の周りを車で1周することになりましたが、この規模の大きさに改めて気づかされた私達。
この様な機会でもなければ中々陵墓の周りを車で走ることもないだろうとそのまま進むことにしましたが、1周するのに相当時間がかかりました。
しかし木に囲まれた土地を掘り越しに外から眺めるだけなので、正直時間をかけて1周する価値があるかなという気がします。
そう言う意味でも上空からの眺めがベストですが、お金を節約したいのであればこちらのビジターセンターにあるシアターへ行きましょう。
百舌鳥古墳群ビジターセンター横にある駐車場に車を停め、そこからは徒歩で散策開始。百舌鳥古墳群ビジターセンター 名所・史跡
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最初は世界遺産登録されている仁徳天皇陵の情報収集のために、こちらへ行きます。
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ビジターセンターで入手できるガイドブック。
無料ですが、有益な情報が得られてお勧めです。
その理由は、
①モデルコースが書かれている
②施設までの所要時間が書かれている
③お勧めのグルメ情報が掲載されている
④貸切タクシーやレンタサイクルの情報も載っている
⑤子どもたちも楽しめる『もず・ふるカード』の情報がある
⑥訪日客用に、他言語のガイドブックもある
と色々ありますが、ここから更に情報を加えていけば良いので、初めてこのエリアを訪れる人は入手しておきましょう。 -
展示コーナー。
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この施設を訪れたら、シアターは必見ですよ。
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8Kの映像がとても綺麗で、仁徳天皇陵を上空から撮影した映像も見る事ができます。
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中にある売店。
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更に深く学びたい方は、こちらの博物館へ行きましょう。
堺市博物館 美術館・博物館
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仁徳天皇陵は外から参拝。
詳しい説明を求めている人は、この場所にボランティアガイドさんが待機していらっしゃいますので、そちらで案内を申し込むと良いでしょう。
但し無料ツアーと違い、ボランティアガイドさんは有償というところもあれば、無償でも入場料や食事代が必要になるケースもありますので、事前に確認することをお勧めします。仁徳天皇陵古墳 名所・史跡
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埴輪に囲まれた仁徳天皇陵古墳のミニチュアバージョン。
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ひと際目立っていたタワー。
大山古墳を見るための展望タワーかと思いきや、こちらは戦争の犠牲者を悼む慰霊碑の『平和塔』でした。
中には戦没者の名簿が収められているようですが、建物はかなり老朽化が進んでいるようです。 -
先程紹介した大阪砲兵工廠もそうでしたが、大都市大阪にこのような戦争関連施設がある事を全く知らなかった私たち。
大阪城でロードトレインに乗っていなければ…また堺市でこのタワーを展望台と勘違いしなかったら…今回戦争関連施設を訪れることはなかったでしょう。 -
仁徳天皇陵はサラッと紹介して終わりとなりましたが、今回の大阪観光は思いがけない発見もあれば意外な人に出会えたり、中々楽しい時間を過ごすことが出来ました。
次回は大阪グルメ編。
2月9日(肉の日)に訪れた、美味しい焼肉屋さん情報などを紹介します。
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