2024/02/03 - 2024/02/03
250位(同エリア356件中)
元杜鉄工さん
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今治といえばお城が有名ですが、要塞もありました。
明治35年(1902年)に帝政ロシアの侵攻に備えて築かれたのが、小島にある芸予要塞でした。レンガ積みの建物などが現在も良く残っており散策してきました。横須賀の猿島っぽい雰囲気だけど、全然人がいなくて静かな場所でした。冬の緑が少ない時期だったのでマシでしたが、夏は足元など大変かもしれません。
瀬戸内海のほぼ中央に広がる燧灘の西の入口が来島海峡。こんなところまでロシア艦隊が入ってきていたら大惨事ですが、それすらも想定しなければならなかった当時のロシアに対する恐怖心がいかほどのものであったかが伝わってきます。1904年には日露戦争が開戦し日本は勝利するわけですが、「戦前」の雰囲気はどんなものだったのでしょうか。
昨今のウクライナ情勢を見ていると、なんだか恐ろしくもなります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今治7:20>>普通松山行き>>波止浜7:24
240円で隣の駅まで。今治駅 駅
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朝日を浴びる波止浜駅。無人の小さな駅。
10人近い人が降りたので利用客は結構いるみたい。波止浜 駅
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小島へ向かうフェリーは波止浜湾から出ているので、しばしの散歩。駅から1.4km、25分くらい。
波止浜 駅
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海中から立つ鳥居がありました。鳥居の先は参道になっていてちょっと立派な神社があったのでそういうことなんでしょう。
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路地の突き当りに現れる、赤と黒の壁。
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壁の正体は今治造船で建造中の貨物船。対岸にありますが、大きいですね。
背後のクレーンもにょきにょきと建っていて造船所ならではの風景。 -
フェリー乗り場の目印に大きな石灯篭。
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小さな待合室に自動券売機が一つ。ここから来島→小島→馬島→小島→来島とまわるフェリー。船内でも乗船券は買えるかもしれませんが、ここで往復買っておくのが間違いなさそう。往復440円。
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乗船するのはこちら。1階が客室で2階が操舵室のかわいい船。
有限会社くるしま 乗り物
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船内はこんな感じ。前後にデッキもある。2019年建造の新しい船。
釣り具は中に持ち込まないでとの張り紙あり。クルーが1名いてチケットを回収された。 -
波止浜8:00>>くるしま丸>>小島8:10
両岸ともに造船所の波止浜湾を抜けて来島海峡へ。 -
途中、来島に寄港して続いて小島へ。来島海峡大橋を見上げる。
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わずか10分のクルージング。快適な移動でした。釣り人2名とともに下船。
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上陸。人が住んでいる民家もある。石積みの岸壁が瀬戸内らしくてとてもよい。
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いろいろ注意書き。スズメバチやイノシシに注意。
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こちらが観光案内MAP。Google Mapにも書いていない道ばかりなのでこれを写真に撮って参考に歩きました。
要塞跡歴史散歩コースをまわりました。小島 自然・景勝地
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フェリー乗り場のすぐ隣のでっかい大砲と休憩所。
大砲はNHKドラマ「坂の上の雲」の撮影に作られたレプリカ。非常によくできています。ゆかりの地、小島に設置されて百年越しの里帰り気分でしょうか。
休憩所は昔の写真や地図が貼ってあった他、奇麗なトイレもありました。
建物の裏に自販機もあって意外に親切。 -
路地を登って散策スタートです。
看板にある通りこの先にもトイレ小屋があり、大人数のツアーのためのちょっとした広場もありました。 -
島の南端「探照灯跡」。サーチライトが設置されていた場所のようです。
芸予要塞跡 名所・史跡
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石の階段がきれいに残っています。下階にはレンガもあります。
周囲は落ち葉や倒木でちょっと歩きにくいです。 -
階段を上ると台座跡のようなものが。探照灯自体の痕跡はなさそうです。
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階段を下りて海岸の方へ出ると波止浜湾を望めました。
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来た道を引き返して途中の分岐を登っていくと発電所跡。
煙突が立つレンガ造りの建物で100年経っているとは思えないくらい奇麗。 -
3つの部屋に分かれていて中はこんな感じ。
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さらに南下すると南部砲台跡。
北部・中部・南部の3か所砲台が設置され、南部が一番小さくカノン砲が2門設置されていたとか。写真は石積みの地下兵舎。この隣に砲座があった。
まだ港の近くなので住宅地が割と近いエリア。 -
島の北の方へ向かって歩く。来る人も多くないせいか落ち葉が積もったコンクリートの細道を登っていくと…
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弾薬庫跡。残っている建物としては一番大きいと思われる。
林の中に忽然と広い空間が現れ、そこにたたずむレンガの美しさに思わず声が出た。重量物を支えるためと思われる床下のアーチが美しい。窓枠やポーチも凝っている。
各所には写真のような立て看板もあり詳しく書かれているので助かる。 -
屋根が無くなているが、四方のレンガ積みの壁がきれいに残っている。
弾薬という危険物を保管するために丁寧な仕事で作られたおかげだろうか。 -
さらに北へ進んでいく。島の中心に近づくにつれ標高が高くなってきた。
地図では途中兵舎跡が記載されているが、藪になってしまっているので近づけそうになかった。 -
中部砲台跡。ここには榴弾砲門が設置されていた跡が観察できた。南部砲台に比べるとかなり広い。
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地下室も多数。
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この階段を昇ると、島のほぼ中央の標高100mの山頂に行くことができる。
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山頂には司令搭があったらしい。建物は無く丸いコンクリートの台座だけが残る。
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来島海峡をよく見渡すことができる。世界でもここしかないという、潮の流れに応じて1日4回通行方向が変わる海の難所。
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ちょっと木々が邪魔するが、来島海峡西水道を正面に見ることができる。
司令塔のような高い展望デッキでもあればもっと良い景色だっただろうに。
ちなみに三角点もあります。 -
島の歩道は椿の散歩道になっていて椿がたくさん植えられていた。この時も咲いているもの、つぼみのもの、散って種がついているもの様々でいつが見ごろなのかよくわからない。ソメイヨシノのように一斉に咲く花は見慣れているけど自然界では逆に珍しいものと再認識。
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最後の北部砲台跡。カノン砲4門と軽砲4門が設置されていました。
島の榴弾砲などは日露戦争のために運び出されてしまいましたが、ここのカノン砲は要塞が町に公園として払い下げられた後も残っていましたが、太平洋戦争での金属供出で失われてしまったそうです。 -
北部砲台の特徴が、一部が破壊されているところ。
芸予要塞は1924年に瀬戸内海のもっと外側に豊予要塞が築かれると要塞としての役目を終えました。その2年後に爆撃演習の標的として利用されました。
陸軍、海軍の航空隊が競うように攻撃したそうですが、それほど当たらず(オイオイ)、おかげで現在のようにほとんどが無傷で残ったみたいです。 -
北側の山の上にも司令部跡があり展望台になっていたみたいですが、土砂や倒木で階段が埋まってしまい昇ることができませんでした。
島全体はそれほど手入れされているわけでもなく、特に港から遠い北側は状態が悪いです。 -
最後は海岸沿いの道を歩いて港へ戻ります。
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来島海峡の中水道を通行するコンテナ船。
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吊り橋の向こうに今治市街と四国山地の山々がうっすらと見えました。
左から笹ヶ峰、瓶ヶ森、石鎚山っぽい。
ここもしかして絶景スポットの穴場? -
この小さな島ですが住んでいる人がいて、漁港もあります。
鳥居が見えたので神社にお参りしてきました。境内にイノシシの足跡がったので、フェリー乗り場の注意書きは本当みたいです。 -
まだ時間があったのでフェリー乗り場を過ぎて探照灯跡のあるあたりまで歩いてきました。途中の砂浜では釣り人2人が休憩していました(あんまり釣れなかったのかな?)。
水没していますけど石積みの護岸のようなものが見えました。要塞建設で作られたものでしょうか? -
地図では海水浴場となっている砂浜までやってきました。小さい島ですが、いろいろな表情があって楽しいです。
三角の岩が雨晴海岸っぽいなとちょっと思いました。 -
おやつ。畑田本舗の塩バターどらいち。
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朝と同じように来島から小島に寄って馬島、そしてここに戻ってきたフェリー。
来島から寄港時に郵便屋さんが乗船されていて、島のポストの中を確認していきました。
小島10:40>>くるしま丸>>波止浜10:50 -
渡し場10:59>>せとうちバス今治営業所行き>>今治駅前11:19
帰りはバス。最寄りのバス停は本数が少なくて、しかも乗車した時間は日曜運休便。
でもバス停の名前が瀬戸内っぽくて好き。
先に2人乗っていたけどこのすぐ先の波止浜で降りちゃって、駅の手前まで貸し切り状態でした。有限会社くるしま 乗り物
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駅弁の鯛めしを買って帰ります。
今治12:02>>しおかぜ16号>>岡山14:10今治駅 駅
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車窓から今治城が小さく見えました。
バイバイ!
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