2023/07/14 - 2023/07/14
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funasanさん
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“バルト海の女王”と呼ばれた古都「リューベック」の街歩きをして驚きました。中世ドイツの「おとぎの国」がそのまま出現しているのです。しかもテーマパークではなく“本物”です。
現在のリューベックは人口約21万人の小都市ですがハンザ同盟が栄えた13~14世紀に、その中心として最も繫栄した街だったのです。リューベックの歴史的な旧市街はユネスコ 世界遺産に登録されています。“バルト海の女王”は本当でした。北ドイツ観光にお勧めの街です。
写真:マルクト広場
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リューベックはハンブルク中央駅からRE快速で約45分で行けます。北ドイツに位置するブレーメン、ハンブルク、リューベック、これらの自由都市はハンザ同盟を結成しバルト海・北海を中心とする貿易を独占し繁栄を極めたのですね。その盟主がリューベックだったのです。
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1143年に建設されたリューベックはバルト海に面し、タラやニシンなどの貿易で莫大な利益を上げました。13世紀には神聖ローマ皇帝に認められた自由都市としてハンザ同盟を率います。
写真:ハンブルク中央駅 -
ハンザ同盟の最盛期には200を超える都市が加盟し、艦隊を擁し国王さえも凌ぐといわれたそうです。
写真:自転車用客車 -
ハンザ同盟の絶大な勢力も、やがて近代国家の形成に伴って徐々に衰え、17世紀には終焉を迎えます。そんな栄光の歴史遺産を見学します。
写真:自転車用客車 -
ドイツの列車の旅はまことに快適です。好きな時間に駅に行き、切符を買い、定期的に来る快速列車に乗る。45分で目的地「リューベック」に到着です。
写真:RE快速の列車内 -
リューベック駅構内(写真)です。いつものように構内にある売店を覗いてみましょう。現地物価情報です。
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駅のカフェの値段です。カプチィーノのSサイズ(2.2ユーロ:352円)Mサイズ(2.8ユーロ:448円)Lサイズ(3.2ユーロ:512円)普通の値段で違和感なしですね。
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マックがありました。ハンバーガー(1.99ユーロ:318円)、Big Mac(5.39ユーロ:862円)。以下、日本マクドナルドの公式ページより、ハンバーガー(170円~)ビッグマック(480円~)。やはり日本は安い!
https://www.mcdonalds.co.jp/menu/burger/ -
赤レンガの堂々とした建物、これがリューベック中央駅(写真)です。駅前には自転車がいっぱい置かれています。
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写真の重厚な建物は駅に隣接するホテル「H+ホテル・リューベック」です。Booking.comで7月上旬の宿泊代金を調べてみたら1泊2名キャンセル可の総額で約27000円、朝食込で約34000円でした。
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駅の中心地方面出口から「コンラート・アデナウアー通り」をまっすぐ進むとトラヴェ川(写真)に出ます。
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トラヴェ川を越えて旧市街地方面に直進すると緑の芝生が美しい広場にでます。道路沿いに濃紺の重厚な建物(写真)が建っていますが、これはギフトショップです。
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旧市街の入り口にある街のシンボルが「ホルステン門」(写真)です。まるで「おとぎの国」のテーマパーク入場門を連想させますが、この門の建設は1464~78年と古く歴史的本物です。
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ホルステン門を抜けると再びトラヴェ川(写真)に出ます。夏の観光シーズンだけあって運河巡りの観光船が発着しています。
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トラヴェ川に沿って大きな倉庫群(写真)があります。これは16~18世紀に建てられたレンガ造りの塩の倉庫です。リューベックの南方にあるリューネブルクでは岩塩が採れました。
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ハンザ同盟の時代、リューネブルクの岩塩はその大半が北海の水産加工用に使われ、ニシンの塩漬けの材料として北方ドイツに輸出されました。その主要積出港がリューベックだったのです。リューネブルクからリューベックに向かうこの道は「塩街道(Alte Salzstraße)」と呼ばれ、ドイツ観光街道の1つになっています。
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リューベックの旧市街にはレンガ造りの建物(写真)が多く、散策するだけでも中世の雰囲気を感じることができます。
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さあ、13~14世紀の中世ハンザ同盟の時代にタイムスリップしてリューベックの世界を見てみましょう。
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街のメインストリート「ホルステイン通り」にあるカフェ(写真)
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カプチィーノ3.5ユーロ(560円)
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ホルステイン通りを10分も歩けば町の中心である「マルクト広場」(写真)に着きます。雰囲気抜群の広場で観光疲れのコーヒータイムに抜群です。
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マルクト広場はデザイン・色彩・装飾等に優れた芸術的な建物に囲まれています。
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マルクト広場の中央に面して5つの尖塔が美しい建物は「市庁舎」(写真右)です。最初にこの市庁舎が建造されたのは1225年ですが、1251年の火災により消失、その後改めて再建されました。
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この市庁舎(写真)の入場は「ガイドツアー(ドイツ語)」のみです。よって、パスし、黒レンガ造りの重厚な外観を見て往時のリューベックの隆盛に思いを馳せます。
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アーチの天井が美しい廊下が続きます。
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マルクト広場を囲むように「プライテ通り」(写真)が走っています。大勢の観光客がのんびり歩いています。
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このプライテ通りの先に巨大な教会があります。
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マリエン教会(写真)です。1250年から100年もの歳月をかけて建設された教会で、ドイツで3番目に大きい教会として有名な観光スポットです。
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マリエン教会は煉瓦造りのゴシック様式の教会としては世界最大の高さを誇り、旧市街の至るところからその雄々しい姿を目にすることができます。
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ただ、この教会は第二次世界大戦の空襲により破壊されてしまいましたが、戦後に復元されたそうです。
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マリエン教会には8512本のパイプをもつ世界最大級のパイプオルガン(写真)があります。
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実は「音楽の父」と呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハは、20歳のときにこのマリエン教会のオルガニストだったブクステフーデに師事していました。
写真:マリエン教会のステンドグラス -
バッハの才能を見込んだブクステフーデは、バッハより10歳以上も年上の自分の娘婿にしようとして断られたそうです。それほど、このマリエン教会はバッハと関係が深かった訳です。
写真:マリエン教会の壁画 -
マリエン教会の北側「メンク通り」(写真)のレンガ造りの建物群の中に、白亜の美しい館があります。
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この館は「ブッテンブロークハウス」(マン兄弟記念館)(写真)です。ノーベル文学賞作家トーマス・マンが頻繁に訪れた祖父母の家です。
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トーマス・マン( 1875年- 1955年)の代表作
「仮面の告白」(1904年)
「死者の家の記録」(1905年)
「ブッデンブローク家の人々」(1901年-1929年)
「魔の山」(1924年)
「ヨーゼフ物語」(1933年-1943年) -
ブライテ通りを北に進むと青い尖塔が美しい「ヤコビ教会」(写真)に至ります。最盛期であった14世紀にかけて多くの商人が行き交っていたリューベック。町の北側には船乗りや漁師たちのほとんどが住み、運河沿いには商人たちの船がいくつも停泊していたといいます。
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そんな「海の男」たちに捧げられた教会が、尖った屋根が印象的なヤコビ教会(写真)です。北ドイツにおける重要な巡礼地だったそうです。
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ヤコビ教会の目の前に赤レンガの「シッファーゲゼルシャフト」(写真)があります。これは1535年に建てられた「船員組合の家」です。現在はレストランとして営業しています。
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ヤコビ教会の前は公園になっており、夏の花々が咲いています。休憩にいいですが直射日光が強い時は暑いです。
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今年のヨーロッパ(7月上旬)はとても暑いです。でも湿気が少ないので日陰に入ると涼しいです。さわやかな風が感じられ生き帰ります。
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ちょっと驚きの施設が「精霊養老院」(写真)です。レンガ造りの巨大な建物ですが、1286年に完成した世界でも最も古い既存の社会福祉施設のひとつです。市内では最も重要な建物の一つです。
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聖霊病院と呼ばれているこの建物は、世界一古い社会福祉施設のひとつで、13世紀後半から1970年までのあいだ、貧しい人々を救済する施設として使われてきました。
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ハンザ同盟の盟主として大きな富を築き上げたリューベック。この町に住んでいたハンザ商人たちはみな裕福でした。
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自らが裕福でありながらも他人を思いやる気持ちを忘れなかった商人たちは自分達で資金を出し、困った人々を助けるための施設を町の中に次々と建設したのです。
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この聖霊養老院は、13世紀に病院としてスタート。のちに救済院としての機能が加わり、リューベックや近隣の病人や貧者たちが収容されていました。
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奥には170の小部屋があり、寝るスペースがあるだけの質素なものでしたが、個室(写真)をあてがわれ、食事も出されました。病気の人や貧しい人々にとっては大きな助けになったことでしょう。
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リューベックの街歩きはとっても楽しいです。次々と美しくも芸術性溢れた建物が現れ、飽きません。
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しかし、さすがに半日以上市内観光をしていると疲れてきます。そろそろ休憩タイムです。良さそうなカフェ・レストランを探します。
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現地の物価情報です。ピザ10~13ユーロ(1600円~2080円)。
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結局、マルクト広場までもどり、オープンカフェでコーヒータイムにしました。
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ラテ・マキアート4ユーロ(640円)、カプチィーノ3.9ユーロ(624円)
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食事メニュー(写真)クラブサンドイッチ8.5ユーロ(1360円)
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ケーキ:3ユーロ(480円)、コーヒーと一緒なら3.9ユーロ(624円)
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中世ヨーロッパは、略奪や海賊行為が盛んな時代でした。バルト海や北海を舞台にした商業活動は、こうしたリスクを伴うものでした。ハンザ同盟の都市たちは、これに対処するために協力関係を築き、商業の安全と繁栄を追求しました。
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ハンザ同盟は、経済活動の中心として機能しました。加盟都市間では関税が撤廃され、自由な商取引が可能となりました。これにより、経済的には一つの大きな市場を形成していたと言えます。
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関税のない自由で公平な貿易、国家権力や宗教勢力から独立した都市同盟、それらをベースにした「人と商品の集積、富の蓄積、そして、病人や貧民への思いやり」。ハンザ同盟の盟主リューベックの街から学ぶべきことは多いと感じました。
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