2020/06/01 - 2020/06/06
3位(同エリア192件中)
あの街からさん
- あの街からさんTOP
- 旅行記281冊
- クチコミ172件
- Q&A回答3件
- 1,232,628アクセス
- フォロワー264人
〈ドイツ縦断旅〉の前編は
フランクフルト(2泊)を起点として
鉄道でリューデスハイム
リューデスハイムからライン川クルーズ
ザンクトゴアールから再び鉄道でマインツ
~フランクフルト翌日 鉄道で
~ベルリン 1泊~ 鉄道でリューベック 1泊
~ハンブルク 1泊 そこから
ジェットでディユッセルドルフ経由でベネチアへ。
コロナ難( ̄O ̄;)を機に
お蔵入りの沢山の画像から
バートヴィンプフェンとリンダーホフ城の2編を
アップしてみたところ、思わぬ反響(⌒▽⌒)があったほか
更には
ドイツ編をアップして以来数年ぶりで
足跡等を残してくれた先輩方々のお顔とお顔を
見て嬉しくなりました。(⌒▽⌒)
この他にもドイツでアップしていなかった
数ヶ所がまだ残っていて、ならば その数ヶ所を
含めたドイツ縦断編を作ってしまおう!
と思い手掛けてみたら、やはり長くなって
しまい 前後編としました。
《最新情報》も取り入れながら進めて
行こうと思います。
この時期ならでは
一緒に鉄道の旅へ出てみませんか。
旅程
2013.8.25~ 8.30
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 鉄道 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
フランクフルトに着いたら
いの1番に行こうと思っていたのが
「シュテーデル美術館」でした。
1番驚いたのは
(実際は事前準備で知り得たのですが
それでも実物の持つ空気感には驚きました。)
展示室各部屋毎
青・紫・黄・紅・緑 等
壁の色が違っていて
斬新でもあり、こんなところにも
本物のアートを感じました。
開館時間
火曜~日曜 10:00~18:00
木金は~ 21:00 コロナで変更注意。
当時入場料が 4Euroでした。(祭のせいか?)
最新情報では
14Euro(学生12Euro)
土日祝は、16Euro (^_^;)のようです。 -
フェルメールの「地理学者」
美術館の係員さえも居ない
誰~れもいない展示室でじっくり。
これも〈旅〉ならではの贅沢な時間でした。 -
美術館が建つ
マイン川の両岸では
Museumsuferfest(博物館河岸祭)
が真っ只中!でした。
(毎年8月最終週末金曜日から日曜日)
ライブブースや出店が
ズラリと並んでいて
この偶然の出会いに乾杯しました。 -
ボートレースも初めて見ることが
でき祭気分もMaxに! なりました。
ここ迄は
旅行記『ドイツの旅はここから始まった』
に詳細があります。
ご覧いただければ(⌒▽⌒) -
EU
自国の利益ばかりにとらわれ
繰り返されてきた戦争を
阻止しょう。と
欧州全体を一帯的にとらえ
統合を目指そうという気運が
各国の努力によって実り
1993年11月1日
マーストリヒト条約発効
によって誕生したEUですが
ここにきて英国の脱退が決定した
のは、残念なことです。
期待は
ドイツ・フランスがEU設立の
理念を貫いてと思うのだけれど・・・
もちろん
旅人にとっても
通貨が(英国は別として( ̄O ̄;) 統一
されたり、度の入国審査が簡素化されたり
とメリットは大きいです。ね(⌒▽⌒) -
フランクフルトは初めて訪れた街でした。
あそこにも、ここにもドイツ感満載の
イメージ通りの街でした。
翌朝、フランクフルトから鉄道で
リューデスハイムへ向かいました。 -
乗り物に乗るのは大好き! で
ドイツで電車だけでも
いろいろな車輌に乗れて幸せでした。
いや
第何系なンてことはまるでわかりませんが
4Tの旅人さんで うんと詳しい人が
おりますから、そちらで時折
楽しませてもらっています。(⌒▽⌒)
自転車も普通に乗っけられて
い~いなぁ。 -
リューデスハイム
ライン川と葡萄畑に囲まれ
木組みのレストランや土産屋さんが
並んでいて
旅心をかき立てられる町でした。 -
リューデスハイムからザンクト・ゴアールへ
川下りと言っても思いのほか
大きくゆったりとした船で
甲板デッキのテーブルで
ドイツビールを飲んだり
小さなエンジェルお二人の
せっせせーバラントセー!を
楽しませてもらったり -
イチオシ
この辺は
バッハラッハ
駅名もドイツ・ドイツで
楽しい( ̄O ̄;)
ここ迄は
旅行記『リューデスハイムからライン川クルーズ』
に詳細があります。 -
ここからは旅行記
『ライン川船旅をザンクト・ゴアールで』
に詳細があります。(^ー^)
クルーズ船の甲板で
雑談した彼女達にザンクト・ゴアール駅で
「さっきは!」と挨拶されました。
夏休みになると自転車で
カナダ・マレーシア・カンボジア
そしてシンガポール等遠征するとのことでした。 -
ザンクト・ゴアールから鉄道で
マインツに遂にやって来ました。
「ザンクト・シュテファン教会」で
シャーガールのステンドグラスを
し~んと静まり返った空間で
見ることができ -
雨上がりの公園で無心に遊ぶ子どもたち
あぁこれは、「スタンド・バイ・ミー」の
世界だぁ。と見ていたら
僕たちを写してもイイぜ!
って視線を受け(^ー^) -
キルシュガルテン地区の
木組みの家のこのレストランで
食事をしょう。と思っていたのですが
生憎クローズしていました。 -
近所のネットカフェのスタッフさんに
「近くのドイツ料理の美味い店を
教えてください」と聞き
教えてもらった店
「Augustiner keller」
料理もワインもgoodでした。 -
あっという間の一日でした。
20:02分発でフランクフルトのホテルに
戻ります。 -
翌朝、フランクフルト駅からベルリンに
向かいました。
二階室やテーブルが並ぶ車輌が
あったりしてこの電車も
楽しい(⌒▽⌒)乗車になりました。
フランクフルトHbf発 5:10
ICE876
ベルリン着が10:36
車窓を眺めていたら
あっという間で着いた。という感じでした。
ベルリンの第一印象はと言いますと
スタイリッシュな駅舎ビルの
明るい陽射しに それだけでも好印象でした。
(ほんとうは、この何年か前ロンドンに
およそ1ヶ月滞在中、ロンドン市内の
旅行会社催行のドイツ・中欧14日間
バスツアーで訪れたことがあったのですが
その時には、バスツアーで鉄道駅には
来ませんでした。) -
イチオシ
ベルリン中央駅は
2006年5月26日 サッカーの
ワールドカップ・ドイツ大会開催と
同じくして開業しました。
設計は
ドイツの大手建築事務所
ゲルカン・マルク・アンド・パートナーズ
の手による。とのことでベルリン中央駅 駅
-
長~いホームに覆われたガラスの屋根から
燦々とふり注ぐ太陽の光。
明る~い!
これだけで、もうベルリンの街が
一気に気にいってしまいました。(^ー^) -
駅舎全体がガラスの城
まさしくガラスの城(^ー^)という印象でした。 -
駅舎は吹き抜けの空間があり
5階層に造られています。
ベルリン中央駅の高架ホームは
11番線~ 14番線が長距離線
特急のICE.lC. EC ・快速RE
15番線と16番線が
Sバーン 都市近郊電車。
と
地下ホームに分かれていて
1番線~ 8番線が
特急のICE.lC. EC ・快速RE
という乗り場構成になっていて
何故か?
9番線と10番線が無いのです。
なお
南北地下ホームに並行して
地下鉄のホームも併設されています。 -
駅舎というより
駅ビルと言ったほうが良いかな。
昔 LAでスタイリッシュな店舗が
好きだった「バージンメガストアー」も
入っていました。このバージンあたりが
書店・CD屋・カフェ併設店の先駆けに
なったのかな。今は無くなってしまったのかなぁ。
比較的大きな花屋さんも入っていて
花のある暮らしが
定着している(⌒▽⌒) -
ホテルは
安定のクオリティのHiltonに。
11:30のアーリーチェックインも
超過料金などは一切ありませんでした。
1,2階吹き抜けの大きなロビーも雰囲気良く
ルームキーで使えるPCが
ズラリと並んでいます。
ただし
部屋でのWi-Fiは一日25Euroと
これは高い( ̄O ̄;)よね。ヒルトン ベルリン ホテル
-
Uバーン「STADTMITTE」駅
を地上に出ると目の前という立地も最高 -
フリードリヒ通りへも歩いて直ぐ。
ブランデンブルク門へは徒歩圏内です。
この立地がHotelを選ぶポイントになりました。 -
その『ブランデンブルク門』
ベルリンにあった18の市門で現存する
ただ一つの門。と言うより
東西ドイツ統一のシンボルですね。
ベルリンの壁崩壊の顛末については
皆さんご存知の通りですね。
朝晩通い(⌒-⌒; ) 歴史を見つめてきた
この現場に立ってみました。ブランデンブルク門 建造物
-
『ドイツ連邦議会議事堂』
ベルリンには興味を惹かれる建築物が
沢山あるのですがここは頭ひとつ飛び出して
断然第一位。笑
ライヒスターク(帝国議会)と呼ばれ
1894年帝国議会議事堂は建てられ
1933年の火災で中央部分が焼け落ち、
青銅の円蓋屋根が
無いまま放置されていましたが
戦後、ドイツ統一後に修復が始まりました。ドイツ連邦議会議事堂 現代・近代建築
-
イチオシ
1999年にこのガラスのドーム屋根の
連邦議会議事堂が完成しました。
魅せられました。魅せられました。(^ー^)
期待の数倍素敵な素敵な建物です。 -
イチオシ
ドームに沿って螺旋状のスロープを登っていきます。
ここに入るには
〈事前の申し込み〉が必要です。
改めて調べてみると
入場料は無料です。
開場時間は
8:00~24:00(コロナで、変わっているかも
しれません。要注意です)
入場の際には、セキュリティが厳しいです。 -
イチオシ
素敵なのは外見だけじゃあありません。
この心房・心棒をご覧ください。(^ー^)
まるで日時計のように太陽の動きに
合わせたプリズムで直射日光を
議会内に入らないよう
なおかつ、議事堂内をこの明るい
光で満たすよう設計されている。
というのですから凄い!の一言です。
設計者は
英国人の建築家
(男爵) ノーマン・フォスターです。
彼は、香港上海銀行・香港本店ビル
ロンドンのスイス・リ本社ビル(ガーキン)
大英博物館グレート・コートなど
世界各地にその建築物があります。 -
眼下にベルリン市街地が
広がっている見晴らしの良い
レストラン「Kafer」
この日は全席予約席となっていて
各テーブルに人数分のカトラリーが
セッティングされてありました。
真っ白なテーブルクロスの上には
真っ赤なガーベラの一輪ざしが
素敵でした。 -
天井が高くスタイリッシュな店内
一面の大きなガラス窓から
見渡すベルリンの景色。
が
何と言っても1番のご馳走でした。
ランチタイム
2人で81.20Euro(10,700円程)
やはり景色料込み。で納得。 -
『ベルリン 大聖堂』
フリードリヒ大王によって
ホーエンツォレルン家の墓所となり
代々のホーエンツォレルン家の棺が安置
されています。
1905年ヴィルヘルム2世の命により
建て替えられ現在の姿になりました。
144メートルの天蓋は第二次世界大戦で
爆撃を受けましたが、1993年修復が完了。
270段の階段を登って天蓋部分にゆく
ことができました。
ブランデンブルク門からさらに東寄りで
ここからのベルリン市街地の眺めは
やたらクレーンが沢山立っていて
工事中の建物がいっぱいあるなぁ。
との印象がありました。
入場料 4Euro 現在は7Euroベルリン大聖堂 寺院・教会
-
礼拝堂の広さにまず
う~んと唸りそうになりました。
とにかく広い。
これまでそしてこの後
何ヶ所も教会を巡りましたが
その中では1番の大きさでした。
前回ドイツを訪ねた時に
ドレスデンのフラウエン教会も行ったはずですが
その頃 まだ興味の方向が違って
いたのかもしれません。 -
教会で大きさを比べて
どうしょうと言うのでしょう( ̄O ̄;)ね。
パイプオルガンにも圧倒されました。
先日アップした「オルヴエート」編で
オルヴエート大聖堂にに設置されている
パイプオルガンが5500本でイタリア最大
ということでしたが、
共にあれから数年経過して
振り返ってみると、
パイプオルガンについては
圧倒的にベルリンの大聖堂が
印象に残っていました。
比較はよくないですね。(^◇^;) -
『ペルガモン博物館』
実は、このドイツ旅の計画は
ペルガモンの大祭壇をいつの日か
雑誌で見たのがきっかけでした。
紀元前2世紀に栄えたアッタロス朝の
ペルガモン王国にBC180年から170年
に建設が行われた。紀元前133年頃
後継者不在による混乱を避けるため
君主アッタロス3世は領土をローマに
献上するが、不服とする王位自称者が
ローマ軍に敗れ以降属州となった。
以降もペルガモンは都市として栄えた。
やがて月日が流れた
1878年建築技師カール・フーマンの
一行が、オスマン帝国入りしスルタンの
許可を得て発掘調査を行いペルガモンで
発見した。これを船でそっくり
ドイツのプロイセン王国に
持ち帰り、ベルリンで組み立て直しました。
第二次世界大戦が始まると防空壕に保管され
戦火を逃がれることができましたが
敗戦した1945年旧ソ連軍に没収されました。
やがて
1954年旧東ドイツ・ベルリン博物館に返還され
ました。
1994年から4億円をかけた修復が行われ
2004年に修復作業が終了しました。
~2004年6月 朝日新聞
念願の「ゼウスの大祭壇」を見て感じたことは
博物館に行くまでは分からなかった( ̄O ̄;)
階段の部分は後年に大理石で再現されたもの
だったこと。
しかし、階段を囲む幅35mのリレーフ祭壇は
紀元前2世紀の建造物ということには
やはり感動せずにはいられませんでした。
館内のジオラマ模型を見て
更に驚いたことがありました。
この巨大な祭壇は一見すると神殿の
ように思っていたのですが
実は巨大な遺跡の前面の一部分
を復元したものだったこと。 -
「イシュタール門」
紀元前575年 新バビロニアの
ネブカドネザル2世により
建設されたとされ
青のゆう薬瓦 バビロンの女神
イシュタールと共に
ムシュフシュ、オーロックスを
浮き彫りで描かれています。
ムシュフシュ~
毒蛇の頭とライオンの上半身
鷲の下半身 サソリの尾を持つ
想像の霊獣。
オーロックス
家畜牛の祖先とされる。
メソポタミア地方の
古代都市バビロンの中央北域にあった
(バビロンはバグダッドの南方およそ90km
の地点にユーフラテス川をまたいで
広がっていました。)
8番目の門を復元したものとされ
実際の門より小さめの大きさに
なっているそうですが、充分に
でかいです。 -
ペルガモン博物館が1930年の開館時に
イシュタール門の行列通りが復元され
土中に埋もれていた煉瓦のライオンたちは
2500年以上も前のものとも思えぬほど
鮮やかな色彩で王国の繁栄を今に伝えて
見せてくれていました。
◯1930年代の世界は
前年に起こった世界大恐慌の嵐が
吹き抜けていて失業者が急増。
ナチスが台頭してきたそんな
時代背景なのでした。
入場料 ミュージアムパス24Euro
現在は 単独チケットが19Euro
-
さてさて、ベルリンは本当に見所が
沢山・たくさ~んあります。(⌒▽⌒)
この旅では
フェルメールを見ることも
大きな楽しみの一つに掲げてきました。
「シュテーデル美術館」で
『地理学者』を観 いよいよ
この日絵画館で『ぶどう酒のグラス』
と -
『真珠の首飾りの女』の2作品を
鑑賞することができました。
「絵画館」と「ペルガモン博物館」
がミュージアムパスで24Euroでした。
現在は、29Euroとなりました。 -
「絵画館」での鑑賞も
私たちの他には誰もいない
贅沢な空間で心置きなく
鑑賞することができました。 -
「ベルリン・フィルハーモニー」
自分の旅のスケジュールの中に
優先順位を1番にした旅程を計画しなければ
会場を指定して
コンサートを組み込むことは至難の業ですね。
まして演目まで選んでとなればなおのこと。
例えば、自分の好きな
ヴェートーベンの「交響曲第6番」を
棚から一掴み持ってきてみました。
カラヤンのほかカール・ベーム
バーン・スタイン、小澤征爾
ブルーノ・ワルター、チェリビダッケ
とありましたがカラヤン以外は
ベルリンフィルとの録音ではありませんでした。
まぁそれぞれに活躍の場や時代が
違うのだろうと思うのですが
田園はカラヤンよりゆったりとした
カール・ベームのウィーン・フィル盤が
耳に馴染むなぁ。
この程度なのですが( ̄O ̄;)
この辺こと等を織り混ぜて
4Tの先輩でリスペクトしている
ベームさん に話を伺ったら
一晩でも楽しく拝聴できる。(^ー^)
と勝手に想像しています。
今回復活シリーズでドイツの街を
アップした際に、数年ぶりでベームさんの
足跡を見つけた時には(^O^☆♪でした。
今回もドイツ編だし、また会えるかなぁと
楽しみにしているところですが
そのベームさんの旅行記に飛んで行った時に
しばらく心に残った旅行記がありました。
それは
「最後の海外旅行となるか2017年
フランスの旅」と題した全24編から
なるベームさんの集大成とも言うべき
旅行記でした。
もしかしたら本当に人生最後の海外旅行に
なるかもしれないと。そう思った時
貴方は何処に行きますか。
何処を選びますか。
『ベルリン・フィルハーモニー』
ドイツの建築家ハンス・シャロウンの設計で
1963年竣工したベルリン・フィルハーモニー
管弦楽団の拠点であり
カラヤンが終身指揮者・芸術監督として
34年(1955年から1989年)の長期に渡り
勤めたクラッシック音楽の殿堂としても有名ですね。
大ホール 2440席 室内楽ホール 1180席ベルリン フィルハーモニー 劇場・ホール・ショー
-
旅の達人 沢木耕太郎の2020年4月発売の
最新エッセイ『陶酔と覚醒』の中に
「最初の旅・最後の旅」という章がありました。
~ちょっとだけ抜粋(^ー^)
沢木「もしももしもですよ。
人生で旅ができる回数には限りがあって、
その回数券がもう一枚しか
残っていないと分かったとします。笑
そうしたら何処を最後の場所として選びます。」
沢木「実を言うと僕はまだ決まってないんです。
サハラでもないし、ベトナムでもないし
アマゾンでもない。たぶんその最後の旅の場所
としてはどこがいいか、今いろいろな所を
旅しているのもそれを探すためではないか
という気がしているんです。」
すると対談相手の森本哲郎は
「最後の旅路。僕は欲張りだから
死んでからも旅を続けたいな。あの世でね。」
と結んでありました。
それにしてもベームさんは
なんという潔さ!
選んだ〈旅〉は
ズバリ! パリで美術館をじっくりと回り
その後 フランス各地を巡って21日目に
パリから帰国するという
充実した旅の姿がそこにありました。
時折飛んで行っては1編ずつ
楽しみに開こうと思っています。 -
「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」
西ベルリン時代のシンボルでもありました。
初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を偲んで
1895年建設されましたが1943年
爆撃を受け破壊されました。
焼け残った西側の塔は戦争の悲惨さを
後世に伝えるための記念碑となりました。
1961年その両側に礼拝堂が建設されました。
その
新教会堂内部の主要部分である
祭壇・説教壇・洗礼盤・燭台等を
建築家エゴン・アイアーマンが設計。
また
2万枚以上のブルーの小さなガラス窓が
ブルーの帯のように配置された
ステンドグラスは
その空間に立つと異次元の美しさに
思わず息をのむ。
そんな瞬間(ひととき)でした。
フランス人のステンドグラス作家
ガブリエル・ロワールが
フランスのシャルトルの彼の工房で
製作され輝きを放ち続けています。
旧鐘楼部分(戦災し廃虚となった部分)
は、自分が訪れた時修復工事の囲いがあり
惜しくも見学ができませんでした。 -
「戦勝記念塔」~ジーゲスゾイレ
入場料 3Euro(2020年も同額のようです。)
1864年 対デンマーク戦
1866年 対オーストリア戦
1871年 対フランス戦の
3つの戦争勝利記念塔。
1939年9月 ヒットラーは
ポーランドへ侵攻。
それを受けフランスとイギリスは
戦争を布告。第二次世界大戦へと
突入してゆくのでしたね。
◯自分の旅行記では時系列で
進行することまれです。(⌒-⌒; )
これもまぁ映画を観て育った
影響でしょうか(^ー^) -
「戦勝記念塔」は大きなロータリー
に囲まれた真ん中に建っています。
地下道を潜り塔の直下に出ます。
台座部分には展示室があり
戦勝記念塔やブランデンブルク門等の
第二次世界大戦時のベルリン市内の写真
等が展示されています。
285段の螺旋階段を登って
屋外展望台へ。
遠~く、大聖堂の青いドームの左手には
旧東ベルリンに建つTV塔。
眼下には緑の森が広がっていて
それを分けるように
ブランデンブルク門へ一直線に伸びています。
ベルリン市内は緑が多いなぁ。という印象も
残っています。 -
戦勝記念塔から100番のバスに乗って
動物園で下車。
そこから「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」
まで歩きました。
教会を出て広い通りに出てみました。
眩いくらいの木漏れ日が美しい舗道を
時間の許す限り歩こう(⌒▽⌒)と思います。
街の円形の広告塔には
ボブ・ディランやエルトン・ジョンの
コンサートのポスター。
〈あの街から〉の旅の必須アイテム
の一つ。映画館や広告ポスターの撮影
があります。
チョッと強引な言い方かもしれませんが
その街の文化の様や訪れた時の
時代背景を一緒に包み込んで残してくれるからです。
あれから
ボブ・ディランがノーベル文学賞受賞者となり
この旅行記を作っていた一昨日に
WOWOWでエルトン・ジョンの自伝もの
映画「ロケット・マン」を観ました。
彼の曲が次々と劇中で歌われるのですが
その歌詞が字幕で流れ、歌詞がリアルに
入ってくるのです。
タイトルなどからしておおまかな
曲の全体像を知って聴いていたつもりが
字幕攻勢で視覚と聴覚から入ってきた歌詞は・・・
英語圏で聴く人たちと
メロディー主体で聴いてしまう自分との開きを
感じました。
まぁ、シンガーソングライターらしく
その時々そこに置かれた自分の状況を
リアルな詞に変えてメロディーに乗せる。
それが受け手である聴衆に
どこかしら共鳴し歌い継がれて行く
曲となる。
やはり凄い才能なのだと思いました。 -
舗道に設置されていた時計塔で
近くに「Hard Rock Cafe」の
ベルリン店があることを知りました。
見れば直ぐ前(^O^☆♪
「Hard Rock Cafe」をNYで知った頃は
凄いボリューミーのハンバーガーを
こんなものかぁ。と♪を聴きながら
頬張っていましたが、今もう無理です。
このところは
もっぱら売店からピンバッチを
買い求めています。なにしろ
その街の地名と観光名所の建物が
デザインされたものなのです。
ベルリン店のピンは
ブランデンブルク門を背景と
ギターが描いたものでした。
自分の部屋のガラスケースに
又一本加わりました。
小さいし安価ですし自分用のお土産に
ピッタリ! なのです。 -
ベルリン街歩きの旅行記は
「旅空 ベルリン~絵画館」
「旅空 ベルリン街歩き2」
「旅空 ベルリン 街歩き3」
「旅空 ベルリン 街歩き4」
4編の旅行記にアップしてみました。 -
大きなガラスの羽根をまとった
「ソニーセンター」
アメリカの近代建築家
ヘルムート・ヤーンは
その名からも分かるように
ドイツ生まれで、
ソニーセンターの他にも
ベルリンのメッセタワー
東京駅八重洲口グランルーフ
シカゴのユナイテッド・エアラインズ・ターミナル
などなど世界中の著名な建築物を設計しています。
デイライトでも
ライトアップされた時間でも
ガラスの羽根で大きな空間を
素敵に演出してくれています。 -
IMAX シアター
それ迄は70mm映画が自分が見た
超大型の映画でしたが
米国のグランドキャニオンのサウスリム
でIMAXシアターで初めて観た時には
グランドキャニオンの映像が
70mmの何倍?の大きさで驚きました。
それが街の映画館に登場した頃ですね。
まだ東京のシネコンに登場するまで時間がありました。
そう言えば、ナイヤガラの滝の街でも観ましたが
大自然を写した1時間程の映像でしたが
ベルリンの街中にあるここでは何を写し出して
いたのだろう。ここも持ち時間がなく
スルーしてしまいました。 -
自分はですが
ローマ時代位前まで
いや江戸時代せめて明治時代
まで遡ってしまえば、
歴史上の出来事として
それは
映画を観る感覚でとでも言ったらいいのか?
俯瞰して捉えることができるのですが、
こと第二次世界大戦以降の出来事となると、
あまりにも生々しすぎて
思わず目を背けそうになります。
背けちゃいけないのですね。( ̄O ̄;)
これが、旅先を選ぶ時に大きなウエイトを占め
これまで、ヴェトナムやポーランド等
訪れることができませんでした。
それは、まだ20歳前
広島の原爆記念館を訪れた時に
吐き気に襲われ( ̄O ̄;)たことにも起因
しているかもしれません。
ハイ! 気弱です。( ̄O ̄;)
ですから、ベルリンも実は
ハードルが高い街のはずでした。
ペルガモン大祭壇やフェルメールを
見たいとの思いがそのハードルを
越えさせてくれました。
ベルリン以外の街にも
何か別な方向から
訪れたい。と思わせてくれるもの
があるのではないか?
と4Tのみなさんの旅行記を
拝見して免疫力をアップしています。 -
さて、ここで口直し(^ー^)
好きですよね。スィーツ。
ホテルに戻る途中に目に飛び込んできた
スィーツの店。
店内に入って驚きました(⌒▽⌒)! -
チョコレートケーキでできた
「ブランデンブルク門」に
「大聖堂」 -
果ては
「カイザー・ヴィルヘルム記念教会」まで
下に
チョコで出来た小さなプレートには
英語でPlease don't touch
その上は ドイツ語?だろうね。笑
このぐらいのドイツ語を
読めるようにしておくと良いのでしょうね。(^◇^;) -
ホテルは立地の良さは
チョイスの第一位なのです。
ベルリンでも街歩きの途中一度
ホテルに戻って1~2時間でも
足を投げ出して休息をすると
元気をチャージ!
その後、昼の顔とは違う
「ブランデンブルク門」と「ソニーセンター」
を見に出かけたのでした。
ホテルに戻る途中に偶然見つけた所
その2
「フォルクスワーゲンのショールーム」
です。
それはもうワーゲンのデパート。 -
大きなビルの中央部が
吹き抜けで回り廊下。
各部屋にはピッカピカの
ワーゲンが並び写真は取り放題。
その場での試乗可能な車種もありました。 -
イチオシ
ほんとうにベルリンは
見所がいっぱい。
そして
素晴らしい建築物の宝庫(⌒▽⌒)
でもあります。
今見てもやはり素晴らしい。
他にも見たかった近代建築物等
まだまだ沢山ありました。
が
持ち時間の中、目いっぱい
訪ね・歩き回った街。
まぁ 充実感はありました。
また来る機会が訪れるだろうか。
旅は先へと転がり続けて行くのでした。 -
ベルリンから鉄道で
ハンブルグ経由でおよそ3時間
ドイツの北の街
ハンザ同盟都市でも知られる
リューベック〈Lubeck〉にやって来ました。
ドイツの鉄道駅舎はどこも
質実剛健 絵になる風格をしています。リューベック中央駅 駅
-
イチオシ
東山魁夷の画集の中の一枚
「霧の町」と題されたその絵を見
この風景を見に行こう!
とドイツ旅のここも目玉のひとつ
としてやって来た街「リューベック」 -
イチオシ
茶色い家々が
まるでジオラマを見ているようで
あぁ この窓 あの窓
あの家々で人々が暮らしているンだ。
と。そんなことを思わせてくれる
この様な風景 好きだなぁ。 -
小さな街で
雰囲気のい~い街だなぁ。
と思いながら
ブライテ通りを北に歩いて行くと
「聖ヤコブ教会」の尖塔が見えます。 -
メインストリート
〈ブライテ通り〉
へは
ホルステン門から徒歩圏内。 -
ランチとディナーの中間くらい
の時間帯でお客さんもまばら
でしたが、レストラン &カフェが
並んでいる通りがあり -
建物の様子から
だいぶ昔からある
現役の劇場(芝居小屋風)
もあり -
隣にはこの街の規模にしては
大きなスーパーがあり
生活必需品は何でも揃っていました。
ワイン売り場の棚にドイツ産ではなく
イタリアの格安ワインが並んでいたのには少し驚きました。
ビールの棚の値段が0.89Euroと格安でした。 -
スーパーの前の通りで
子どもたちのグループに
出会いました。
私が、先程から通りの様子から
劇場やら写している様子を
珍しそうに見られている
視線は気になっていたのですが
どうやら、日本人(東洋系)を
あまり見かけないらしく
(当時は、今は?不明)
英語で話しかけたら
うわぁ!という歓声の
あとはドイツ語で口ぐちに
何やら こうなれば
身振り手振りで
「どこから来たのサ」「日本だよ」
とかなんとかコミュニケーション(^ー^)
別れ際「僕たちと一緒に写真撮ろうよぉ!」
とか言われワイワイ言いながら撮影会。
旅行記を編集する時に久しぶりに見て
あの時のシーンが目に浮かびました。 -
《シッファーゲゼルシャフト》
ドイツ語名は日本人には言い難いですね。
1535年船員組合の家として建てられた
由緒ある建物。
この一階(尖塔を望む中庭もあります)が
ドイツ料理を出してくれるレストラン です。 -
予約をして訪れたのですが
当初案内された奥の部屋
何から何までいかにもバイキング海賊の館風の
設えで、内心うわぁと喜んだのですが
何しろテーブル席が並ぶ広い空間に
見たところ他に3組だけのお客さん
カトラリーの音が聞こえそうな
この空間で食事をするのは嫌だなぁ。
と一階の地元の皆さんで
混み合っている真ん中のテーブルにしたい。
とお願いしてこの活気あふれる空間で
皆さんと一緒に食事をいただくことが
できました。
ハンザ同盟都市の名残りが店内で
見つけました。
大きな帆船の模型がテーブル席が
並んでいる真ん中につるさげられていました。 -
ハンザ同盟都市の香りをも
味わいながらゆっくりと
ディナーをいただきました。
料理・ワイン込み
2人で86.40Euro
雰囲気のある帆船間(勝手にそう付けてみました(^ー^)
混んでいました。予約が望ましいてす。
この店などを口コミに書いたら良いのかな
と思ったり、旅行記の中に全て書いてしまったから
良いかぁ。とか いい加減な性格が出てしまいます。( ̄O ̄;) -
海の幸と香草と
チーズがほどよいバランスで
マッチしていた
この店の名物〈キャプテンズスペシャル〉
とポテト料理。 -
この日は
ほぼ地元のお客さんたちが
食事を楽しみながら
い~い時間を過ごしていました。 -
5本のとんがり帽子の屋根
旅心を盛り上げてくれました。
1280年 救貧院と施療院を兼ねた
ドイツ最古の福祉施設。
今でもそうあって欲しいと願い。
今では「救貧院と施療院」という
名称はあまり使われない(聞かない)のですが
漢字の語感からなんとか理解してみました。( ̄O ̄;) -
《ホルステン門》
最初に実物を見た時には
建物が傾いていて驚きました。
1464年~ 1478年
(日本では室町時代の頃です。)
に建てられました。
ホルステン門はライトアップされ
昼とはまた違った趣きがあり
宿泊しているホテルが徒歩圏内でしたから
治安の良いこの街。
散策しながら歩いて帰って行きました。 -
「ラディソン・ブルー・セナトア・ホテル」
ラディソンホテルも充実のHotelチェーンですね。
特に
と言える程ここのホテルはホテルの設備も
朝食も。何と言ってもホルステン門が
直ぐそこ。どこへ行くにも便利でした。
朝食はガーデンテーブルから
トラヴェ川の向こうに
マリエン教会の尖塔が見え
旅ならではの朝食時間を過ごすことができます。 -
トラヴェ川のほとりに
三棟になった
ラディソンホテルがあります。 -
朝の散歩で出会った風景
車止めにかぶせられた
毛糸の帽子。
こんな粋なことをするひとが住んでいる街
リューベックなのですね。
雨の日は?
外しに来てくれるのかもなぁ。と -
広場の広告塔
バレー「ロミオとジュリエット」
ミュージカル「ラマンチャの男」
と
街歩きで見つけた
「人形劇博物館」 -
対岸はバルト海を挟んで
デンマークというこの街。
北欧の香りがそこはかとなく香ります。
「リューベック」の旅行記は
前後2編になっています。 -
横丁も煉瓦造りの街並みが
(⌒▽⌒) -
「ブライテ通り」
この小さな広場
夏には涼しさを運ぶ噴水に
寒さの厳しい冬には凍結防止の
役目もするかな。」と言ったら
「いやいやそれは無いでしょ。広場の真ん中よ。
それにバルト海から吹く風で積雪は
さほどないかも」と話しながら歩いたことが
つい昨日のことのようです。 -
「マルクト広場」
市庁舎には3本の尖塔その下には
強い北風を通す為の大きな丸い穴。 -
朝には市場が出ていました。
今なら、ブルーベリーを買って
ジャムは旅先では無理としてぇ~
サッと洗って
部屋のテラスで
トラヴェ川を眺めながら
食べるのもわるくないかな。
と思います。 -
「Guten Morgen」
と挨拶を交わして
(これも、ほんとうを言えば
思いきって声を出したのです。
旅先ならでは(^ー^)
ママとパパの笑顔も
可愛いかった僕に負けぬ程素敵でした。
親指を立ててありがとうの
挨拶をしました。 -
朝の通勤・通学の時間になりました。
-
ホテルをチェックして
リューベック駅に向かう途中
もう一度振り返って
さよならに変えてシャターを切りました。 -
この街は
北緯53度52分に在り
日本の最北端稚内市の宗谷岬の
北西に浮かぶ弁天島が
北緯45度31分ということは
それよりも更に北に位置している
さい果ての街なのですが、
帰国後直ぐに作った旅行記のタイトルに
「こんな街で暮らしたい」とサブタイトルを
つけてありました。
今振り返ってみても
その想いはまんざらでもない
なぁと思います。 -
中世の建物が街並みに溶けこんでいて
素敵な雰囲気のカフェが並ぶ通りもあり
劇場があり芝居小屋や小さな博物館もあり
ドイツ最古の福祉施設が在る
優しい人たちが暮らす街。
休日にはコペンハーゲンに一泊旅行をし
ベルリンにも時々ショートトリップ。
これらを背景にした
静かで美しいこの雰囲気のこの街で
四季の風景を味わってみたいと
思ったのでした。 -
ハンブルクへ向かいます
二階建ての車両できれいな車内でした。
もったいないくらいお客さまがいませんでした。
できたならもっと長く乗っていたくなる
そんな列車でした。
自転車オーケーの車両も指定されて
連結されてきます。
iPodから流れる♪を聴きながら
流れゆく風景を見る。
これも自分にとっては楽しみな
ことの一つです。 -
リューベックからおよそ50分
ハンブルクに着きました。 -
初めて訪れる街の
ワクワク感(^O^☆♪
たまらないです。 -
この街も一泊のみと滞在時間が
限られていたので優先順位を決めておきました。
先ずやって来たのは
ドイツ第二の都市であり
ドイツ最大の港湾都市という
ハンブルクを実感しょうと
クルーズ船も発着する
ウォーターフロントでした。 -
イチオシ
大型貨物船のドックを初めて見ました。
貨物船がこんなにも美しいとは
それは、Beatlesのアニュメ映画
「イエローサブマン」にそののまま
登場するような。およと現実のものとは
(^O^☆♪ -
クルーズ船には
数々のコースがありました。
チケット売り場で待ち時間の短い
コースでと聞いたら10分後にありました。
早速けっこう大きなクルーズ船の甲板席に
乗りました。
船は外洋に向って進み外洋の手前で
Uターンして乗船した所に戻ってきます。 -
エルベ川の河口はまるで近代建築の見本市のように
おぉ~っと思う建築物が並んでいました。
この風景を見ただけでも
ハンブルクの街に満足したような。 -
エルベ川の河口はまるで近代建築の見本市のように
おぉ~っと思う建築物が並んでいました。
この風景を見ただけでも
ハンブルクの街に満足したような。 -
「エルプフィルハーモニー・ハンブルク」
エルベ川の沿岸に
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の本拠地に
2017年1月誕生しました。
当時は工事中で、出来そうでなかなか出来なさそうで。
26階の複合施設としてオープンしました。
コンサートホールの他
8階には360度見渡せる展望台があります。
このユニークともいえる
建物のディザインは7階までの下層階は
周辺の倉庫群に合わせて煉瓦造りような
赤茶色でその上はガラスの王冠のような
陽の光によって複雑な輝きを放つというのですが
ウォーターフロントで一日過ごせそうなので
この建物の輝き具合を見てみたい
そんなことも思わせてくれます。 -
河口を進むとクレーンが
まるで林のように並んいました。
クルーズ船は
そこをスレスレに通過して行きます。 -
旅先の移動日は
どうしても食事が不規則になってしまいます。
今なら
リューベックの朝市でブルーベリーを
買ってホテルで持参したタッパーにでも
入れておき列車の中で摘んで
ランチタイムまでの
しのぎになって良いかな。
と思いついたりするかな。 -
この旅二回目(二軒目)の
Hard Rock Cafeがウォーターフロントに
ありました。
石造りの趣きのある建物。
その屋上にハードロック・カフェのマークを
見つけ(⌒▽⌒)
受付で、「ルーフトップ席で」と
希望を伝えウォーターフロントを
見渡せる展望台のような席に
案内してもらえました。
眺めの良いレストラン&カフェ
としてお勧めです。 -
写真つきのメニューから
「マンゴーベリークール」と
「ストロベリー・バジル・レモン」
というカクテル風の飲み物をますチョイス。
久しぶりにハードロック・カフェの
ハンバーガーを食べました。
相変わらずのボリューミーでしたが
結局私は食べきりました。(^ー^)
飲み物が各1杯 @6.45Euro
ハンバーガーが@14.75Euro
でした。
ランチの後は展望室から
ハンブルクの街が一望できる
「聖ミヒャエル教会」へ行きました。
入場料は今も当時も5Euroでした。
その日ディナーを予約していた
レストランが「聖ミヒャエル教会」の
直ぐそばでディナーの後
しばしホテルで足を休め -
Sバーンで「Reeperbahn駅」にやって来ました。
夏の長い陽も沈み始めた19:00頃でしたか
駅前の広場で沢山の屋台の店やら
ライブのステージまであって
オクトバーフェスト(行ったことはありませんが)
あの楽しい雰囲気で皆さん楽しんでいました。
けれど
自分がここへやって来たのはBeatlesが
名マネージャーのブライアン・エプスタインに
見い出されメジャーデビューする
その前に出演していた店を見に来たのでした。
ビアフェスの広場から大通りを渡って
事前に調べておいた地図を頼りに
ネオンきらめく通りにやって来ました。
目指す店に近づく程に何やら雰囲気が
それまでと一変しました。
もう驚きました。正直カルチャーショック!
ネオンの店が並ぶ通りに
派手・派手の衣装に身を包んだ女性が
ズラリと並んでいて、それと対峙するように
女性たちと同じ位の人数の警察官が
武装して立つているのです。 -
このエリアは、おそらく街(政府?)公認の
所なのだ。と気がつきました。
Beatlesの出演していた店「カイザーケラー」は
その大通りから枝分かれした細い横丁にありました。
当時店は週末だけの営業で中に入ることは叶いません
でしたが、一見してファンと分かる人たちが
カメラを向けていました。
うら若きBeatlesの面々が
この歓楽街でどんな暮らしを
などと考えるのは止めました。
今思うと
通りには若い人もそれなりの年齢の人も
いっぱい歩いていたし、客引き行為は
(警察官が立っていたせいか)
ありませんでしたから、それ程
( ̄O ̄;)はなかったのですが
そうそうにこの場を退散しました。
旅行記「ハンブルク編」をアップしています。 -
ハンブルク駅から空港までの移動が
思いの外難しかったなぁ。
一本のホームに電車が二本入っていて
しかも空港駅に向かう車両は途中の駅で
2つの方向に分かれるのです。
先ずは二本のうちのどちらの
電車か?
反対行きに乗車してしまったことに
一駅通り過ぎて気がつき( ̄O ̄;)
乗り換えの駅まで戻り
そこで見かけたパイロットの制服。
その人が乗車した電車でハンブルク空港まで
連れていってもらいました。( ̄O ̄;) -
《ドイツ縦断旅》
ドイツの北の街を鉄道で巡り
ミュンヘンでレンタカーに
乗り換えてロマンティック街道を廻ろう。
との当初の計画から発展してしまいました。
計画を立てる時にヨーロッパ地図を
広げたのがその始まりでした。笑
「ハンブルクとミュンヘンの距離なら
ベネチアも行けるぜ。」
「そうねこんな近くまで行くのだから
ベネチアへも行こうか」
「そうさ、この機会を逃したらあと
いつベネチアへ行けるのかわからないぜ」
しかし、この後2年連続でドロミテの
往復にベネチアへ行っているのです。(^ー^)
そんな訳でドイツの北の街と南の街を
訪ねる旅をつなぎ合わせてくれた
《ベネチア》
だから決しておまけの行程ではないのです。 -
好きなのです。この街が。
けれど 注釈をつけたいと思います。
夏空が好きな〈あの街から〉は
夏のベネチアが好きなのです。
海の色・空の色が心を解放してくれました。 -
考えでみると
海外への旅は、夏季休暇に土日祝をつけて
なんとか一週間前後の旅を続けていたことも
夏旅が好きになったことが要因にありそうです。
仕事からしばし解放されて
オープンエアのカフェ&レストランで
通りを行き交う人を眺めている。
こんなご機嫌な瞬間(ひととき)は
たまりません。
もちろん!
夏が好きなことがベースにあります。 -
リアルト橋を
ホテルリアルト方向に渡り切った
角にあるレストラン。
その店の屋外テーブル席(3~4席しか
ないので競争率が高いのですが)
ここの席からカナルグランデを行き交う
船を眺めながらのカフェタイム
気にいってます。 -
ベネチアの迷路のような
路地裏に並ぶ土産屋歩き
楽しいです。 -
ベネチアン・ガラス
綺麗です。
気に入りのものを
ひとつ買ってきて身の回りの
どこかに置いてみてください。
ふとした時に
忘れていた
楽しかった旅の思い出が
通り過ぎて行きます。 -
凄い!
これは芸術品。
透明なシャボン玉が膨らんで
その中に赤い服のサンタさん。
どんな人がこんな素敵な
アイディアを思いついたのだろう。 -
幸せ家族の旅の様子を
見ているとこちらも
幸せに包まれます。 -
真っ赤なドレス
美しいその立ち姿。
ベネチアの迷路の中で絵画になっています。 -
人生に春風が吹き抜けようとしている
その時期に
こんな素敵な風景の真っ只中に立って
彼のこれらの人生に
どんな
凄いインスパイアを受けているのだろう。
そんなことをフッと思わせてもらいました。 -
イチオシ
ベネチアンガラスのイメージの枠を
超えてどこまで飛んでいくのやら。 -
ムラーノ島のこの店
トマトソースが
マンマの味そのまま
アルデンテのスパゲティに
オマールのうま味が染みこんで
美味い! の一言。
何を食べても美味い店です。
難を言えばただ一つ
本島に帰らなければならず
ランチのみのとなってしまい
一度ディナーを味わってみたいのですが
この島にホテルがあるのか?
あったとしても荷物を持って
本島からの移動は
キツイなぁ。と未だ実現せず。( ̄O ̄;) -
ティラミスも絶品で
ベネチアへ行った時には必ず行ってしまう店
スタッフさんとも顔なじみになり
小さなグラスのレモンチェロは
「welcome! と言って
サービスしてくれます。 -
「ブラーノ島」
ここは
一度訪れたならあとは良いかなぁ?
しかし
一度は訪れたい島ではあります。 -
かって漁師が漁から帰ってきた時
霧に霞む自分の家を見つけやすいようにと
派手な色に染めたのが始まりでした。
今は観光地化されてしまった感が
否めないのですが。 -
不思議に現場に立って眺めると
カラフルな色彩の家々が
違和感なくこの風景の中に
ちゃんと収まっているのです。
美しい写真が
カメラに収まります。 -
窓辺の鉢も絵になります。
-
映画「007/ロシアより愛をこめて」
ラストシーン
モーターボートの中でボンドが美女を
抱き抱えているところからカメラは
俯瞰して行きこの画面が大写しになり
そこにマット・モンローが歌う
主題歌「ロシアより愛をこめて」
が流れ
エンドマークが写し出されるのでした。
◯◯より愛をこめてという語感が
気にいってました。 -
6代目のジェイムズ・ボンド役は
ダニエル・クレイグ。
その第一作目「007/カジノ・ロワイヤル」
でした。
この作品の重要なシーンがベネチアが
舞台となっていました。
運河沿いのこの館にそっくりな建物が
ラスト近くの重要なシーンに登場します。
この作品から
まるで液晶テレビが4Kになったように
カラーがひときわ鮮やかな色になった
ことを覚えています。
が、
演出家の演出スタイルのせいなのか
この作品からバイオレンスシーンが
キツくなりました。
そんなシーンでは
視線を外してしまいます。( ̄O ̄;)
それにしても
この館とそっくりにスタジオに作って
運河(カナル・グランデ)の中に
丸ごと沈めてしまうのだから
ハリウッドの映画作りは
なんと大胆不敵なのだ!
( ̄O ̄;) -
ベネチアの思い出に忘れられないのが
陽気なゴンドリエーレ(ゴンドラを漕ぐ人)
との出会い。
この後、夜の港で巷で
「Do you remember me?」と声かけられ
その翌年
三たび再会し旅行記の扉に登場願ったことを
報告。楽しい時間を過ごしました。 -
沢山の思い出を作った
ベネチアに3連泊して
今度は国際列車でミュンヘンに
向かいました。 -
さてさて、『ペルガモン大祭壇』を
見たいと計画した旅。
それが膨らんで・膨らんで
どこまで転がっていくのやら。
「この続きは、後編のことと致します。
これまで旅行記にアップしていなかった
ローテンブルク等登場予定です。」
長いこと ありがとうございます。
また 後編でお会いできたらと思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
ヒルトン ベルリン
3.85
この旅行で行ったスポット
もっと見る
リューベック(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
126