2023/02/14 - 2023/02/23
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danteさん
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今回のアメリカ投稿、実はこの最終日をアップしたかっただけ(^^;) 「グランドサークル+α③アンテロープキャニオン編」で記したように、某社が今年初めて企画したという「ルート66横断ツアー」。既に1出発・催行確定が出ている。しかも「バスは1人2席確約」。参加者の他に添乗員・スルーガイド・ドライバー。大型バス使用ってことでしょう? 自分も、もし現場を知らなかったら飛びついたと思うけど、いやいや(無理や!)って(-_-;)
8日目、ツアー最終日。
今日は自由行動日です。朝食は付いていたものの、朝が早いのでパス。ツアーメンバーとは1日誰とも会いませんでした(;^ω^) 翌日、今日の行動を聞いた添乗員はビックリ!! (いくらフリー日だっていっても、こんな過ごし方をした参加者は初めてだ~。前代未聞です!!)と(笑) まぁ、無事に帰ってこれたから良かったものの…まずかったかなぁ(;^ω^) と、やらかした1日でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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いきなり。初めに到着したネルソンです。 [1]
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今日は兼ねてから興味のあったオートマンに行くので、車を借りドライブです。 [2]
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行程は、ラスベガスUS-95→ネルソンNV-165 →オートマン→Oatman Hwyn→キングマン→US-93ラスベガス [3]
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一昨日のルート66の行程で、事前にA社に(オートマンには寄らないの?) と問い合わせたところ、(寄りません…というか寄れません。ツアーバスで行くのは危険です)と。それならしょうがない、自分で行くしかないか! と予定を立てた次第です。 [4]
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私の他に2人の女性も来ていた。右の小屋辺り。以上3人だけ(笑) まぁ、時間が早いからね。只今9時ぐらい。 [5]
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アメリカでの運転は25年ぶり。その前は24歳の時だった。小学生の時にアメリカのロックバンドで「Toto」というグループの《Rosanna》という曲を聴き、(いつかこの曲を掛けながらGolden Gate Bridgeを走りたい!)と思っていた。 [6]
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最もサンフランシスコ側から Bridgeを渡るまでは、軽やかに《Rosanna》だったけど、その後良い景色は全くなく・道は轍で酷くて、イーグルスの Hotel California とママス&パパスのCalifornia Dreamin'に変わってもうた(-_-;) 今はどうなっているんだろう(?_?) [7]
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さて、ネバダ州ネルソン。今はゴーストタウンです。ラスベガスから約40分ぐらいかなぁ。実は左折しなきゃいけないところを通り過ぎ、一度戻ったので1時間のロス(^^;) ココに着くまでに廃墟となった建物が数軒あったけど、進んだらやっと開けた場所に辿り着きました。 [8]
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正面の建物は管理人室? 店内にはバーもあったけど時間があまり無いので、有料エリアに入るためお金を払っただけ。【FEE AREA】の立札の左側が有料エリア。管理人の女性、日本からわざわざ来た・物好きな私を見て、【2$でいいよ!!】って(#^.^#) 本当は10$ぐらいするらしい。 [9]
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イチオシ
さてさて入りました有料エリア。で、しまった!!と思った。 [10]
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見応えがあり過ぎて、ココだけでも満足できそう( ゚Д゚) いや半日でも居たかった気分。 [11]
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でも当初の予定はオートマン。時間的にここに居られるのは40分が限度(-_-;) [12]
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あっ、ここはルート66ではありません。 [13]
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ここはランチテーブルかなぁ? ここで飲んだり食べたりできるみたい。 [14]
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【ネルソンの歴史】①ネルソンという地名は、1897年先住民・アヴォテールによって殺された《チャールズ・ネルソン》の名前を取って付けられた。 [15]
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②1775年頃、現在のエルドラード・キャニオンの地域で金の元の発見をしたスペイン人によってエルドラドと呼ばれていた。 [16]
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③スペイン人が去ってほぼ100年後の1858年に、モハーベ砦の米軍兵士が砂金を発見。[17]
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④1861年、モハーベ首長イラタバはジョン・モスという男にエルドラド渓谷の銀鉱脈を案内し、すぐにネバダ州ネルソン近くのモハーベ砦の北85マイルに鉱山を開設した。このニュースは太平洋岸全域に広がり、町の人口は増加した。この鉱山ブームはネバダ州の歴史の中で最大かつ最も成功したものの一つであり、最初の数年間で数千万ドル相当の鉱物資源が抽出された。 [18]
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⑤ ネルソンでは、鉱山の所有権・管理・労働時間をめぐる争いで、しばしば流血の事態(殺人事件)に発展した。 [19]
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イチオシ
どデカい看板 これは完全にゴミを集めた?(^^;) [20]
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古びたダンプカーがあり。 [21]
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昔はここで鉱物の選定をしたのかなぁ? [22]
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どっからどこまでが有料エリアなんだかわかりません(笑) でも、有料エリアは綺麗に整備されていた。お金払わなくても、ズームである程度は撮れたかもね。 [23]
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完全なガレージ? 屋根にはボートの船底が乗っている。 [24]
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こんな景色はアメリカに居ても中々見れんでしょ。少なくてもツアーで走る道路では、こんな場所無いもん。 [25]
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イチオシ
右奥に教会がある。教会内は入れません。 [26]
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こんな車もグッド!(^^)! [27]
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⑥全盛期にはこの地域は荒々しく無法地帯と成っていた。アメリカ南北戦争では、南北戦争の脱走兵だった男性達が多く集まり、《チャールズ・ネルソン》はネバダ州での最期の金鉱山にやって来た一人だった。 [28]
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⑦カリフォルニアの沿岸の主要都市からかなり離れたこの町は、相対的に孤立しているため、無法者が集まり犯罪率がさらに悪化した。平底の川船が時々アリゾナ州南部から町に必要な資材や製品を補給していたが、出荷は散発的で信頼性がなかった。 [29]
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⑧さらに、最寄りの保安官は約350マイル離れたピオッシュとヒコに駐屯した。エルドラド渓谷への危険なルートはインディアンや強盗の襲撃を受けやすいため、保安官はその地域をパトロールすることを思いとどまり、地元住民が正義を執行するために独自の部隊を組織するようになった。 [30]
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⑨1905 年ネルソンは峡谷の採掘の中心地となり、50トンの精錬所の建設により、鉱山はかつてないほど活況を呈した。[31]
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⑩その後、第二次世界大戦中に米軍に鉱石を供給するために、1930 年代後半に鉱山が再興したが、戦争が終わるまでには、人件費の上昇により大規模な人員削減が行われ、最終的には鉱山は閉鎖された・そうです。 [32]
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で、今はというと、近郊には30人ぐらい住んでいて、写真好きな観光客を相手にしているのだとか。 [33]
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そろそろ次に行かないと。 [34]
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名残惜しいけど(^^;) [35]
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こちらの建物は今はトイレ。 [36]
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ゴーストタウンは他にもあるけれど、オートマンに行く途中にあったので寄ったのでした。 [37]
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サヨナラ、ネルソン!! また来るぞー…とは簡単に言えないんだよね(>_<) [38]
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さて95号線に戻りました。ココ、初めにここまで来て、通り過ぎた事に気が付いた場所(笑) [39]
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イチオシ
次に目指すはラフリン経由でオートマン。ここからラフリンまでは約76マイル。1時間20分ぐらいかなぁ? [40]
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と、ここで標識通りにキングマンの方向へ進むとオートマンに行けない。 [41]
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【ラフリン】①ネバダ州とアリゾナ州の境の町。町の名前は、ミネソタ州生まれのドナルド・ジョセフ・ラフリンから名付けられた。 [42]
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②ラフリンは、若い頃は冬の間、毛皮猟師として働いていました。彼はその利益を受け取り、狩猟小屋に設置するスロットマシンの購入に使用しました。彼は週に500ドル稼いでいたとき、学校長から「スロットから抜け出すか学校を辞めろ」という通告を突きつけられた。彼は学校を中退することを選びました。 [43]
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③ラフリンは1950 年代後半にラスベガスに移り、カジノ経営を学び、この地で開業。初めは8部屋だけのモーテルを購入し(4部屋は家族で使用)、12 台のスロット マシンと 2 台のライブ ゲーム テーブルだけでしたが、どんどんと需要が増え、1994 年には1405 室になり、大富豪となられたそうです。 [44]
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④そんなラフリン氏はこの地で、2023年10月22日に92歳で死去。噂ではアルコー延命財団によって冷凍保存されたそうです。…って、この写真を撮った時は、彼は存命だったんだ( ゚Д゚) [45]
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ラフリンからオートマンまでは約30マイル。あと45分ぐらいだろうか。 [46]
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途中開けた街を通り、 [47]
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イチオシ
[48]
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アリゾナ州に入りました。 [49]
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青空に星条旗、カッコイイです。 [50]
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と、既に昼近くなってる( ゚Д゚) まだ半分も来て無いんだけど。 [51]
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看板発見!! [52]
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ノッてキターーー!! [53]
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段々道が勾配になってきています。 [54]
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ホントにこの道でいいのかなぁ? でも他に道は無いしなぁ~…と思って走っていたら、ちゃんと表示板がありました。[55]
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【Oatmanの歴史】① オートマンという地名は、オートマン家の娘・オリーブ・アン・オートマン(1837~1903年)に敬意を表して選ばれました。イリノイ州出身のオートマン一家は、1851年にアリゾナ州デートランドで、トルケパヤ族orアパッチ族に襲撃され、オリーブと妹のメアリーだけが生き残りました。[56]
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②その後オリーブとメアリーは、ロープで縛られながら砂漠の中を数日間歩かされ、約 60 マイル離れた彼らの村に連れて行かれました。この間、脱水症状を引き起こし、水や休息を求めても槍で突かれ、歩き続けることを強要されたそうです。[57]
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③彼らの村に到着すると奴隷として扱われ、食料や薪を得るために採集させられました。彼女達の仕事中にも拘わらず、部族の子供達からも、肉体的・精神的な虐待を受けたそうです。[58]
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早速ロバがお出迎え!(^^)![59]
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【黄色の花が咲いてました】この辺りは鉱物で栄えていました。[60]
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④ある日、この村と取引していたモハーヴェ族・数人が立ち寄り、馬や毛布などの物と引き換えに、オリーブとメアリーを交換しました。姉妹たちは再び砂漠を数日間歩かされ、カリフォルニア州ニードルズ近くのモハーヴェ族の村に移されました。[61]
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⑤不安な彼女達でしたが、ここでは酷い扱いは受けず、部族のリーダーであるエスパネサイに引き取られ、コミュニティの一員として養子に出されました。ただし部族の習慣として、顔(顎)と上腕に入れ墨を入れられました。[62]
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【オートマンの街に入ってきました】
⑥モハーヴェ族の村では、強制的に働かされることはなく、自分たちの作物を育てるために土地と種を与えられました。また養子先の家族には、自分たちの娘として育てられ、愛情も与えられたそうです。[63] -
車がちょっと邪魔…だけど、しょうがない。ココに停めたのは私です(笑) もしかしたら駐車場があったのかも知れないけど、様子を見てたら皆・路駐してたからマネした。お金も取られませんでした。[64]
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【町を散策中】⑦しかし数年後、南西部での干ばつが深刻な作物不足を引き起こし、10歳だったメアリーは多くのモハーヴェ族の人々と共に餓死してしまいました。[65]
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【町を散策中】⑧1855 年、アメリカ政府の司令官が立ち寄り、モハーヴェ族との交渉末、1856年にオリーブは解放されましたが、愛情を持って育ててくれた家族との別れには、複雑な心境だったそうです。[66]
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【町を散策中】⑨白人社会に戻ったオリーブでしたが、顔にある入れ墨を凝視され・5年間の先住民との生活内容にも注目され、精神的にダメージを背負う事になってしまいました。[67]
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ココは西部開拓時代の雰囲気を感じられるので、ノスタルジックなルート 66として人気が高いそうです。ワイオミング州のコーディも西部開拓時代の街並みで良かったなぁ~(#^.^#) [68]
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【オリーブ・オートマン・レストラン】ここでランチ…はしませんでした。[69]
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【上に馬車が】⑩1865 年 11 月、オリーブはニューヨーク州ロチェスターで、銀行家のフェアチャイルドと結婚しました。その後、夫婦はテキサス州シャーマンに定住し、マミーという名前の女の赤ちゃんを養子にしました。[70]
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上にある、小奇麗な建物は何だろう? 因みにオートマンには現在50人ほどの住民が居て、主に観光業務に携わっているようです。[71]
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【町を散策中】⑪しかし、その後もオリーブは、うつ病と慢性的な頭痛・外出時には顔の入れ墨を隠すなどと、精神的ダメージから解放されることはありませんでした。[72]
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【町を散策中・酒場】⑫先住民から虐殺された家族&モハーヴェ族の間で築いた・第 2 の家族が、彼女から引き離されたことが原因だとされています。[73]
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【町を散策中・元々は郵便局だったらしい】⑬オリーブは 1903 年に65 歳で心臓発作で亡くなり、夫とともにシャーマンに埋葬されました。 以上、かなり端折りましたがオリーブ・アン・オートマンの話でした。[74]
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細かいところまで西部開拓時代をイメージ(;^ω^)[75]
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これは牢屋っぽかったなぁ~。[76]
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これがオートマンホテル=旧ダーリンホテル。1983 年に国家歴史登録財に登録。現在は泊まることは出来ません。[77]
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このプレートは看板の柱の下にありました。[78]
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中に入って思わず(プッ・プッ(笑)、アメリカらしい(;^ω^) [79]
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オートマンホテルは、元々1902 年に建設され、ドルリン ホテルと呼ばれていましたが、1921 年に火災が町を襲い、オートマンの建物のほとんどが焼失しました。(ホテルは免れたそうです) [80]
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1階はレストランとバーらしい。お姉ちゃんが顔を出したのでご挨拶。[81]
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1924 年、ジョン ・ダーリンによって、日干しレンガ造りの 2 階建て&スパニッシュ コロニアル リバイバル様式で建てられ、8 室のホテルは地元の鉱山労働者とのビジネスで繁栄しました。[82]
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ホテルの壁と天井は、日付と署名が入った 1 ドル紙幣で覆われています。これは、鉱山労働者が飲み物の代金を支払うために現金が不足したときに、壁にある 1 ドル紙幣を探したことから始まった習慣だそうです。[83]
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上に行ってみよう!! 【尚・見学は無料】[84]
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このホテルは、俳優のクラーク・ゲーブルがハネムーンで泊まったホテルとして有名です。[85]
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1939 年にキングマンで結婚式を挙げたクラーク ・ゲーブルとキャロル ・ロンバードは、このホテルに立ち寄りました。彼らが過ごした部屋が残されています。[86]
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あまり広くは…ないですね(;^ω^) 部屋の中には入れません。[87]
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【額の中、下にあるのは当時の新聞】二人はこのホテルを気に入り、この後もホテルに来ては、鉱山労働者とポーカーをプレイして一晩中過ごしたそうです。[88]
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残念なことに、キャロル ロンバードは 1942 年 1 月に飛行機事故で亡くなりました。[89]
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他の部屋には昔使われていただろう物が沢山置いてありました。[90]
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なんか物置部屋みたい(;^ω^)[91]
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2階には流石に1$札はありません。[92]
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ギフトショップがありました。で、買ったのは…[93]
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このステッカーを2枚。お金払ってビックリ!! 8$弱。てっきり1枚150円ぐらいかなぁ~と思って値段見てなかった。円換算約1.000円(-_-;) [94]
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1960 年代後半にダーリン ホテルは、オートマン ホテルの名に変更されたそうです。[95]
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ところで、ロバを1頭も見かけない(>_<) ここ・オートマンの名物は「ロバ」。元々は鉱物を運ぶ為に連れてこられたが、鉱山の閉鎖に伴い、放たれたロバ達の子孫が、現在もここに残っているらしい。1番楽しみにしていたのに(-_-;)[96]
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イチオシ
こんなイラストも。[97]
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あれ? 砂金? 川なんて見かけなかったよ(;´・ω・) 《川は、コロラド川を指しています》[98]
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ちょっと離れたところからオートマンホテルの看板を。ロバは何処? 行きに2頭見かけただけなんですけど!! 街中では見てないんですけど!! [99]
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行きは画像の奥から入ってきました。ここはオートマンのメイン通り。そんなに幅があるわけでは無い。(ここを大型バスが通り抜けるって、どうなの? 想像出来ません)[100]
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街中でロバが見られなく、名残惜しいけど、野生のロバ《正確には米国内務省によって保護されている》なのでしょうがない。時間は2時近い。もう去らねば…とオートマンを通り抜ける。[101]
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オートマンからキングマンまで約29マイル。平坦な道なら1時間弱って感じだけど、そうは行かない。ここからが一番緊張する。[102]
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【Oatman Highway=別名・Bloody 66 (血染めの66)】崖からの転落事故が多発している山岳ルートで、ルート66で最も危険な道…と言われているんだけど…、行くしかないからなぁ(>_<)[103]
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で、その危険な道が《どんなところであるか》を残しておきたかったので、ちょくちょく停まっては、パシャパシャと撮っていたのでした。今思えば大正解だったなぁ(^^;)[104]
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と、ホントに車が横転していた(ー_ー)!! 2人の男性はスマホで話していたから連絡が取れて助けは来るらしい。怪我も無さそう。いや、本当に気を付けなきゃ!! [105]
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あっ、ロバのマーク…って、肝心なロバを1回しか見てないんですけど(-_-;)[106]
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この日晴れて見通しが良いから助かったけど、靄とか霧とか出たら絶対アウトだった。ガードレールなんてないし、道路照明灯も無いし。[107]
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結構拓けた場所があった。ほッ(^O^)[108]
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思った。アメリカは右車線走行。これ、もし左車線だったら絶対事故ってた。左は崖・右は壁(山肌)だったから良かったんだ( ゚Д゚) 言い方変えると、キングマンからオートマンに向かう時は、ヘアピン・カーブが下りになるのでめっちゃ危険。さっきの男性達がそうだったから。[109]
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ここが SitgreavesPassView Pointかなぁ? ホントにブラックマウンテンだ。[110]
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ちょっと歩いてみよう。[111]
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今走ってきたヘアピン・カーブが見える。[112]
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ライダーなら喜びそうな道だけど、大型観光バスなんて無理じゃない? A社が《危険だから寄れない》って言ったのも納得。[113]
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これは実際走らないとわからないよ。[114]
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さぁ、行きますか。[115]
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今度は下り坂です。[116]
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先程よりもクネクネしていなくて助かった!![117]
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クールスプリングに到着。(オートマンからキングマンまでの間で、一番ホッと出来た場所です)[118]
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①クール スプリングスは1926 年にルート 66に定められたそうです。ここはおそらくシカゴとサンタ モニカの間で最も壮観である一方、ルート 66 沿いのすべての区間の中で、最も恐ろしいルートでもありました。[119]
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②急勾配・狭い道・ヘアピンカーブが厳しく、旅行者の中には地元の人にお金を払って車を運転してもらったり、頂上まで車を牽引してもらった人もいたそうです。[120]
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③クール スプリングスは第二次世界大戦中も繁栄を続けましたが、州間高速道路 が出来ると衰退・更に60 年代半ばに起きた火事で全焼。以後40年近く廃れてしまいました。[121]
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④しかし、州間高速道路に飽き始めた人々はアメリカを再発見するため、マザー ロードに注目し始めました。そうして復活したのが2004 年の秋。(最近じゃん!!) [122]
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クールスプリングス名物の緑の車[123]
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荷台には空き瓶が。箱にも瓶にも「66」ロゴか入っててカッコイイ。[124]
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【クールスプリングスからの眺め】[125]
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【クールスプリングスからの眺め】[126]
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ウチワサボテン [127]
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これ、トイレ。[128]
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クールスプリングスにある【Route 66 shields】は珍しいらしい。
何が?【HISTORIC】の文字が入っているから。[129] -
ということで、ショップの人にお願いして写真を撮ってもらった(#^.^#) [130]
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一昨日、セリグマンのデルガディーロショップで買ったTシャツと帽子。[131]
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半袖になったのはこの時だけ。実は風が冷たく、もの凄く寒かった(^^;) [132]
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本当はこっちを被りたかったのだけど、寒くてニット帽にした(^^;) [133]
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そろそろ行きますか。この先は平坦な道なので、ちょっとスピードを上げて走っていたら……、[134]
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やっと現われたロバ君たち(^O^)[135]
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5頭もいるではないか!![136]
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このロバ君たちは街中には行かないようで、人間には慣れてないようす。警戒しているのがわかったので、こちらも物音を立てずにジッとしていた。[137]
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イチオシ
毛並みが良くて綺麗!! こんなロバは初めて見た。[138]
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オートマンの街に入る前に見たロバ君とは全く違った。[139]
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ロバ君たちも去りたいように、私も行かなければ。[140]
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こんなカーブをダンプカーが( ゚Д゚) [141]
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《あれ? 写真の順番間違っているかも》[142]
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イチオシ
完全に平坦な道になりました(^O^)[143]
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この時は一瞬青空で綺麗だったけど、雲の動きが不安定だった"(-""-)" [144]
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キングマンに再び戻ってきました。「Mr D’z 」!! (通り過ごしただけ) [145]
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キングマンの駅にちょっと寄りました。[146]
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無人駅です。今は博物館を伴っていますが、閉まっていました(>_<) [147]
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駅の近くにある【Hotel Beale】1900年に建てられたこのホテル、当時はキングマンでの最高級ホテルだったそうです。1925年には俳優《バスター・キートン》が映画の撮影の為、訪れたそうです。現在は放置状態。[148]
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さて、キングマンでの目当てはココ。[149]
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3時を回っちゃったけど、ここで昼食です。[150]
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外装がシカゴからサンタモニカまで描かれていて、ある意味派手(^^;) [151]
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こちら家族経営のようで、客は住民やアメリカ国内旅行者が多そうです。一昨日のMr D’zとはだいぶ違くて、対応は日本でいう食堂のお姉ちゃんって感じ。要はサバサバした感じ(;^ω^) [152]
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壁はシンプル。オーダーはやはりハンバーガー!! アメリカのパテは本当に美味しい(#^.^#) [153]
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バーガーセットが出来るまで、外をウロウロ。レストランの隣のオブジェ店? に《鉄で作られた馬車と馭者》がありました。[154]
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ここはMr D’zから旧66で約4キロ程の場所。国道40号線からはちょっと離れているので、そんなに交通量はないかな? [155]
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外壁の下に描いてあったロゴマーク。[156]
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遅いランチ後は93号線でラスベガスに戻ります。一昨日、ツアーバスでも通った道。その前に…、kingman-water-tower!! [157]
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100 年以上前に作られたこの円筒形には、当時の蒸気機関車に使用された水が入っていたそうです。[158]
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イチオシ
細かい部分まで描かれていてカッコイイです(#^.^#) [159]
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そばにあった看板の絵。[160]
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この真っ直ぐな・街灯もガードレールも無いアメリカの道を撮りたかった!! (路肩に停めて撮ってます) [161]
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国道93号線でラスベガスまで約2時間かなぁ? 途中空がこんな色に(; ・`д・´) [162]
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今度はこんな色に( ゚Д゚) [163]
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ラスベガス到着後にわかりましたが、大気が不安定だったようです。[164]
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ラスベガスまであと30分ぐらいだけど、街中に入ってからがまた時間が掛ると思い、横道を逸れてトイレ休憩。[165]
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ここはレストラン・カジノ・ホテルがあるようだけど、流石に客はほぼ居なかった。t(時間が早かったのかなぁ? 18時過ぎ) [166]
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ラスベガスのホテルに戻ったのは19:30ぐらい。一旦帰国の準備をし、近場を散策。[167]
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明日の出発は朝6時に集合。飛行機に乗ったら寝るしか無いから、むしろドップリ疲れたほうが寝れるかなぁ(^^;) [168]
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と、風が物凄く強くて寒い(-_-;) ベラッジオの噴水ショーは強風の為、中止になったそうだ(ー_ー)!! [169]
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Hotel・Venetianでウロウロ。屋内なのに、凄いアトラクション!! [170]
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今日のエッフェル塔は3色でした。[171]
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懐かしの「フラミンゴ・ヒルトン」。最初のラスベガスで泊まりました。何故かダブルブッキングになってしまい、通されたのは最上階のスィート・ルーム( ゚Д゚) 窓が270℃はあっただろうか。あまりにも眺望が良すぎて、全く寝れなかった覚えが(^^;)[172]
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あれからラスベガスもかなり変わったようでした。しっかし、ホテルが巨大過ぎて3軒先に行くのに10数分掛かる(笑) [173]
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ベラッジオ。[174]
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イチオシ
ベラッジオから通りを挟んで、今回ツアーで泊まったホテルです。ツアー利用で、この立地というのは珍しいと思います。大体モンテカルロとかルクソールが多くって、ストリップ通りの端が多いもんね。でも全ての出発日ではなく、自分が参加した出発日だけ・だったらしい。ラッキー!(^^)! [175]
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そんなわけで、アメリカの旅は終わりました。[176]
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