2023/11/12 - 2023/11/13
139位(同エリア160件中)
あおしさん
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芸備線はJR西日本のローカル線で、広島駅から岡山県新見市を結ぶ約160キロのローカル線です。
広島駅付近は広島都市圏の鉄道として利用者は多いですが、山間部は利用者の極めて少ない路線です。
特に備後落合駅から東条駅間は輸送密度なんと16人。
つまり1日8人の方が往復するだけ、列車本数も1日3本しかありません。
この地域の駅やその周辺の町はどんなものなのか、車でまわってみました。
https://www.youtube.com/watch?v=_GaD77b4Txs
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
土曜日の夜に岡山空港に到着
最近は「旅行ブーム」のようで、土曜日の夜はホテルが取れませんでした。
そこでレンタカーを岡山で借りて、夜、平子駅へ到着して、車中泊でした。
若い頃は駅寝や野宿の経験はありましたが、車中泊なんて始めての経験でした(笑平子駅 駅
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夜が明けて天気は曇り。
というより霧かもしれません。
この駅は小さな待合室があるだけです。 -
駅前は小集落。
民家が10軒ほど。
商店もなく、隣に民家兼用の簡易郵便局があるだけ。
住民らしき人が犬を連れて散歩をしていました。
この集落の周りは山間部の田園地帯で農家が点在しています。 -
上りの三次行の単行デイーゼルカーが到着しました。
広島カープ応援のための車両でしょうか。
この駅の乗降客はなし。
この列車のお客さんは2人ほど乗車していましたが、地元の人ではなく、旅行者のようです。
この駅の利用者は2020年は1日約5人ほどだそうです。 -
平子駅から隣の高駅へ。
この駅のまわりはやや大きめの集落。
小学校もあるようです。高駅 駅
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駅前には商店や居酒屋、学習塾、JAの支店もあります。
ちょうど駅前の商店のおじいさんとおばあさんが駅前を掃除していました。 -
この駅は旧国鉄時代からの木造駅舎が健在。
かつては多くの人でにぎわったことでしょう。
現在は無人駅。
1日の利用者は0人だそうで、さきほどの小集落の平子駅より少ないのは意外。 -
かつては駅舎の前のホームと島式ホーム、線路も3線あったようですが、現在は島式ホームは廃止になり、線路もありません。
今度は下り備後落合行の単行デイーゼルカーが到着。
1人地元の人らしい男性が乗り込みました。
乗客は数人いたようです。 -
高駅からは北に向かいます。
さきほどのデイーゼルカーを追い越して、比婆山駅へ。比婆山駅 駅
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比婆山駅の駅舎は神社風の駅舎でした。
この駅から山奥に入っていくと老木で有名な熊野神社、さらに奥に行くと、比婆山のふもとの比婆神社があるからでしょう。 -
この駅の周辺も民家が数軒あるだけの小集落。
ただ駅前の商店は営業しているようで、この駅では比婆山駅のスタンプやグッズがあるようでした。
ただ、今日は日曜日で休業。
ちょっと残念。 -
2台の車に分乗してきた中年のおじさんおばさんが10人ほどやってきました。
カメラを構えていたので、地元民ではなく、観光客のようです。
さきほど高駅で見送ったデイーゼルカーが到着するとキャーキャー騒ぎながら写真を撮っていました。 -
比婆山駅からこの周辺の中心駅である備後西城駅へ
備後西城駅 駅
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備後西城駅は平成の大合併まで存在していた西城町の中心駅です(現在は庄原市西城町)。
町の中心だけあって、市街地には商店街、小学校や中学校、高校もありました。
かつては町内を横断する西城川に沿った旧街道の宿場町だったそうで、その雰囲気が残っています。西城川 自然・景勝地
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なんとも立派な木造の小学校校舎。
懐かしい感じ。 -
備後西城駅も国鉄時代からの駅舎が健在。
今日はイベントがあるらしく準備の地元の人たちが多く集まっていました。
この駅はさすがに町の中心でもあり1日の利用者は約30人ほど。 -
駅の中もホームも長く、かつては急行列車などが多く発着していました。
そのころのこの駅は多くの人でにぎわっていたことでしょう。
先ほどの単行デイーゼルカーがUターンしてきました。
女性の1人旅らしき人が乗車していました。 -
芸備線は昼間はしばらく列車がありません。
そこで先ほどの比婆山駅から山間部にある熊野神社へ。
多くの杉の中にある荘厳な社殿の神社です。 -
この神社には、広島県最古から10番目くらいまでの老木がありました。
油木駅 駅
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熊野神社に参拝したあと、備後落合駅へ。
備後落合駅は芸備線と松江、出雲方面の木次線の分岐駅です。
芸備線と木次線のルートはかつては広島と山陰方面を結ぶ幹線で、多くの急行列車(今の特急列車)が多く走っていました
この備後落合駅も鉄道の要衝として、200人を超える駅員が勤務していた時代もありました。
今は列車の本数も少なく、無人駅になっています。備後落合駅 駅
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推理作家の大家・松本清張もかつて広島から鳥取に向かう中、駅前の旅館に宿泊したことがありました。
おそらくこの駅前の立派な建物がかつての旅館でしょう。
『備後落合という所に泊まった。汽車はここまでだった。うすく雪が降っている。小さな宿屋で谷の底のような場所である。一部屋に案内されたのではなく八畳ばかりの間の真中に掘りごたつがあり、七八人の客が四方から足を突っ込んで寝るのだ。夫婦者もいれば見知らぬ娘も交る雑魚寝であった。朝の一番で木次線で行くという五十歳ばかりの夫婦が寐もらずに話し合っている。出雲の言葉は東北弁を聞いているようだった。』(『芸備線の一夜』より)
おそらくこの時の『出雲の言葉』が東北弁に似ていることにヒントを得て、彼の代表作であり、不朽の名作「砂の器」を書いたのでしょう。 -
今や廃虚のような備後落合駅ですが、今日は木次線の観光列車「トロッコおろち」の運転日。
この列車がまもなく廃止になるということで、この列車は満席。
沿線には「撮り鉄」がたくさん。 -
この列車でこの駅に来た人や記念撮影している人で大賑わいでした。
-
さて、備後落合駅から新見方面へ向かいます。
この備後落合駅と東条駅の間は1日3本しか列車のない超閑散区間です。
まずは小奴可駅へ。小奴可駅 駅
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小奴可駅は駅舎がタクシー会社の事務所になっていました。
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タクシー会社が駅の切符販売なども行っているようです。
もっとも1日の利用者は2人だそうなので、ほとんどここできっぷを買う人はいないでしょう。 -
小奴可駅前にはスーパーと運送会社の事務所もあります。
ただし、運送会社の方は廃業したようで、廃墟となっていました。 -
小奴可の町は意外にも多くの民家のある中規模の集落。
小学校もあります。
地元の人は1日3本のJR芸備線は使っていないようですが、バスを利用しているのでしょう。 -
1日3本の列車のうちの1本、下り備後落合駅行が到着しました。
旅行客が1人乗車。
車内は旅行客、いや鉄道ファンでしょうか、車内は満席の乗客。
この区間の平均利用者は1日8人(往復すれば16人)、一週間で約50人とすると、週末の旅行者だけでこの数字で、地元の人はほとんどいないのでは・・・ -
小奴可駅から1駅戻り、道後山駅へ。
道後山駅 駅
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この駅も国鉄時代からの駅舎が健在。
無人駅ですが、花壇はきれいに手入れされています。
地元の方のボランティアでしょうか。 -
駅前には廃虚となった建物が数軒あるだけ。
1軒は個人宅のようですが、他は元旅館のようです。
この駅はかつてはスキーのメッカであった道後山へのアクセス駅でした。
かつてはこの駅からバスに乗り換えて近くの道後山スキー場へのお客さんでごった返していたと、駅舎内の新聞記事がありました。
この駅の裏手にもスキー場があったそうです。 -
駅前にある廃屋。
この建物は昔はスキーヤー向けの宿泊施設、山の家だったようです。
入口は狭いですが、3階建ての大きな建物です。 -
この建物も元旅館だったようです。
-
駅前は無人地帯ですが、遠方には植木集落が見えます。
かつては宿場町だったそうです。
道後山駅の利用者は1日1人だそうですが、その人はこの集落の人でしょうか。 -
懐かしい!
待合室に「DISCOVER JAPAN」のスタンプが置いてありました。
「DISCOVER JAPAN」は約50年前、旧国鉄が行った旅行キャンペーン。
全国の主な駅にスタンプが設置されました。
この駅がスキーヤーで活気があったころはこのスタンプを押す旅行客も多かったことでしょう。 -
さきほどの列車が備後落合駅でUターンしてきた新見行の列車が到着。
この列車もトロッコおろち号からの乗り換え客を含め、旅行者で満員でした。 -
新見、東城方面へ南下します。
次の駅は備後八幡駅。
近くに八幡神社がある駅のようです。備後八幡駅 駅
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この駅は昔からの駅舎がおそらく駅員の事務室部分を撤去して、待合室のある半分だけ残した駅舎のようです。
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駅の周辺は小さな集落があります。
商店などはありませんが、簡易郵便局はありました。
この駅の利用者は平均1日0人だそうです。 -
道後山駅で見送ったデイーゼルカーが到着。
1人、キャリーバックの女性が降りました。
里帰りでしょうか。 -
備後八幡駅からは帝釈峡・神竜湖が近いのでせっかくなので寄り道。
湖の観光拠点は紅葉橋と神龍湖近辺です。帝釈峡 紅葉
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駐車場に車を置いて、周辺散策。
紅葉の名所だそうですが、ちょっと時期が遅かったようです。
ここから遊覧船も運行されていました。神竜湖 自然・景勝地
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神龍湖沿いにはかつて矢不立城という山城がありました。
ただ、案内板にも誰が城主だったか書いてありません。
戦国時代各国の割拠した小領主だったのでしょうけど、戦国時代の敗者として歴史に埋まっていったのでしょう。道の駅 遊YOUさろん東城 道の駅
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東城駅へ。
地名の由来はここに城(五品獄城)という山城があり、備後西城は西の城、こちらは東の城と呼ばれたことから。
平成の大合併までは東城町の中心駅でした。
現在はここも庄原市に編入され、庄原市東城町です。東城駅 駅
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東城駅は国鉄時代からの駅舎が健在です。
かつてこの芸備線が幹線だったころは、急行列車をはじめ、、多くの列車が発着し、にぎわったことでしょう。
現在は鉄道は本数が少なく利用者も1日8人と少ないですが、駅前からは中国自動車道経由で庄原市中心部から遠く広島市まで高速バスが発着し、高速バスは活気があるようです。
通学生もこの高速バスで庄原市などに通学しているとか。 -
東城駅からは新見方面に始発終着列車もあり、1日6往復と「倍増」します。
ちょうどこの駅始発、新見行の列車が停車していました。 -
この列車は乗客0で新見に向かって発車していきました。
同じように今日の宿泊先の新見市に向かいます。新見 ビジネスシティーホテル 宿・ホテル
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翌日、再度東城の町へ。
東城は旧城下町であり、また商業の中心地としても繁栄していました。
その繁栄をうかがわせる旧街道の街並みが残っています。街道東城路 名所・史跡
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このまちなみの一番の見どころ、三楽荘。
明治時代、呉服店を中心に手広く商売をしていた豪商・保澤家の店舗兼住居です。
中に入ると、案内人のおじいさんがいろいろ解説してくれます。
正直、建築のことは全くわからないのですが、名匠がその腕を振るい、現在では乳不可能な高価な材、特徴的な細工、庭園などが素晴らしいそうで、国の有形文化財です。三楽荘 名所・史跡
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茶室と庭園。
この建物は戦後、昭和24年に旅館になりました。
金田一耕助の世界に出てきそうな旅館だったことでしょう。
泊ってみたかったな。 -
江戸時代からの東城の伝統的なお祭り「お通り」。
大名行列に華やかな「母衣(ほろ)」を担いで女性が歩きます。
現在でも母衣が見られるのはここ東城町だけとか。
機会があれば見てみたいですね。お通り 祭り・イベント
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東城町を散策したあと、最後の1駅、内名駅へ
この駅はすごかったです。
自動車が1台通れるだけの細い道を10キロくらい走ったあとにようやく小集落があり、その端にある駅です。
そんな道路状況なので、バスも来ていません。内名駅 駅
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内名駅はホーム1本だけの駅。
ただ、「駅前」に1軒家があり、犬が吠えていました。 -
駅はやや高台からあり、集落が一望できます。
民家は数軒点在しているだけです。
この駅も1日の利用者は0人です。 -
このトイレがすごい。
もはや廃屋のよう。 -
待合室には地元の人が作ったのでしょう、内名駅訪問パンフレットがありました。
ここは「田森」という地区で、地元の悲願で昭和30年、この駅が設置されたと書いてありました。
他にこの地域の伝統芸能「比婆荒神神楽」などが紹介されていました。 -
1日3往復しか列車の来ない駅ですが、そのうちの1本、新見行が到着。
今日は月曜日なので「旅行者」もおらず、乗客は0で発車していきました。
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