2023/09/25 - 2023/10/03
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とむぬーさん
「日本のナンバープレートのままマイカーで韓国を走れる」――
この事を知ったのは確か、"国際ナンバー"の存在を知ったのとほぼ同時だったと思う。
海外ラリーの記事で国際ナンバーの存在を知った私は、日本のものなのに海外で通用する不思議なナンバープレートと、それを使った冒険について調べていた。しかし出てくるのは、国際ラリーへの出場記録やバイクでの海外ツーリングの情報ばかり。どれも手間も費用も非常に掛かっており、読んでいて冒険心は満たされるものの、普通の日本人である私がマネするのは到底不可能だろうと考えていた。
ところが、「国際ナンバー」のWikipediaに気になる一文を見つけた。
「なお、特例もあり、日本で登録されている自動車を一時的に韓国やアメリカに持ち込む場合、国際ナンバーは不要である。」
なんと日本のナンバーのまま海外を走行できるのだという。さらに調べていくと、TobyMR氏の「名古屋からマイカーで目指すソウル 韓国縦断ドライブ旅行2017」という旅行記(https://4travel.jp/travelogue/11295458)を発見した。これによれば、必要ないくつかの書類とパスポートを用意すれば、フェリーに載せて韓国へ渡り、そのままドライブできるという。フェリーの予約さえすれば、車両航送の業者を自ら探して手配する手間も、車両をコンテナに詰めて航送する高額な費用も必要ない。"冒険"が一気に近付いた気がした。
とはいえ、当時私は高校生。まだ免許すら持っておらず、マイカーなんて夢のまた夢。マイカーでの韓国旅行は、まだ単なる憧れだった。
その後私は大学に入学し、免許を取得し、そしてマイカーを手に入れた。コロナ禍によって韓国へのカーフェリーの運航が途絶えており、一時は実現は絶望的かと思われたが、それも2023年に入る頃から運航を再開した。韓国行きの有志を募ったところ、大学の研究室の良き先輩であり友人である台湾人のCが興味を示し、そして共に韓国へ向かう相棒となった。
準備は整った。あとは憧れを実現するだけだ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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さて、実際にフェリーにクルマを乗せて韓国へ行こうとすると、用意すべき書類があり、それなりに時間と手間がかかる。
しかし実は、私は2023年の3月に一度マイカー韓国ドライブを計画しており予約まで済ましていたので(諸事情で泣く泣く中止した)、この辺の手続きをするのは2回目である。そのため、今回はスムーズに予約と書類の用意を完了させることができた。 -
一応現地の自動車保険に強制加入なものの、基本的に韓国では孤立無援だ。そのため、書類だけでなくトラブルを起こさないように、本来であれば車両も入念な点検整備が必要である。
私の場合は、8月中旬から連日学会発表やインターンシップ等で埋まっていた上一時期体調を崩してしまったので、整備する余裕がほとんどなかった。そのため、辛うじてオイル交換は行ったものの、後はハブボルトのトルクチェックやタイヤ空気圧など、本当に基礎的な点検しか行うことが出来なかった。しかし、この2か月前には関東-青森間往復もノートラブルでこなしていたため、大丈夫だろう。多分。 -
【1日目】
日本から韓国へ向かうカーフェリーには、コロナ禍から復帰した2023年現在、下関発の関釜フェリーと、大阪発のパンスタークルーズがある。韓国にはどちらも釜山から上陸することとなる。今回は、費用や自走による消耗を考慮し、大阪からパンスタークルーズを利用する事にした。
フェリー乗船の前夜、運転練習も兼ねてCと交代で運転しつつ、関東から一路西へ向けて走り出す。 -
途中で仮眠を取ったので、阪神高速に入る頃にはすっかり通勤時間帯になっており、渋滞に巻き込まれてしまった。
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それでも十分な時間的余裕を持って、最寄りのガソリンスタンドで給油し、大阪港国際フェリーターミナルに到着した。
ここまで600km弱、普段ならこれでもそこそこの長距離ドライブだが、本番はここからだ。 -
大阪港の国際フェリーターミナルは、出入国も行う国際ターミナルとは思えないほどこじんまりした建物である。規模的には地方のちょっとしたターミナル駅とかと大して変わらない。しかも、土産物屋はおろか売店の類は一切なく、辛うじて飲み物の自販機がいくつかあるだけである。食べ物は到着前に確保しておかないと、空きっ腹を抱えながら出国することになる。
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大阪からは船で上海にも行ける。かつて安価に海外へ向かうバックパッカー御用達だったという鑑真号の後継、新鑑真号だ。こちらは自家用車は輸送できないが、いつかこちらにも乗船してみたいものである。
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展望デッキでコンビニのパンを食べていると、これから乗船するパンスタードリーム号が接岸してきた。それと共に、乗船受付も始まる。
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受付が完了すると、クルマを制限区域内に移動することになる。同じ制度を利用して韓国からやってきた、日本では見られないヒョンデやKIAのクルマと並ぶと、弥が上にも気持ちが高まってくる。
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これ以降は通関手続を行うので、制限区域内に停めたクルマを動かすことはできない。しかし、必要であればこの札を首から下げることで、クルマの中の荷物を取りに行くことは出来る。
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受付終了後は3時間以上ターミナル内で待機する必要があるので、クルマに積んであったマグネットシートやハサミなどを持ち出して、国際識別記号を手作りした。ジュネーブ交通条約に基づく標示であるとともに、「国際交通」を演出する小道具の一つでもある。定規も碌に使わずフリーハンドで作成した割には、悪くない出来になったと思う。
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そうこうしているうちに通関手続も完了し、韓国へ出発する準備が整った。
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自分自身も出国し、船に乗り込む前に一枚パチリ。
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乗り込んだら作業員の指示に従い位置の微調整をして、ロープで固定してもらって積み込み完了。韓国の船なので作業員に日本語が通じず、既に海外ドライブが始まっていることを実感する。
この後、車内の荷物は下船時まで取り出せないので、大荷物を抱えて業務用エレベーターで旅客フロアへ移動した。 -
同乗者であるCはクルマでの乗船は出来ず、一般の乗客と同じルートで乗船していた。船内で合流し、部屋へ向かう。
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昼飯のことを考えておらず、何もないターミナル内で空腹を耐え忍んでいたので、部屋に荷物を放り込んだら即座に船内売店に向かい、カップ麺を購入した。
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Cと2人でカップ麺を貪り食っている間に船は出港し、「まもなく明石海峡大橋をくぐる」という放送が入ったので外に出てみる。
明石海峡大橋 (本州 舞子浜側) 名所・史跡
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交通の要衝たる瀬戸内海だけあって、並走する船が多数。しかし旅客船である我らがパンスタードリーム号は他の貨物船たちより早く、どんどん追い越していく。中々壮観だ。
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夕食は韓国料理のバイキング。正直なところ、あまり口に合わなかった。
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夕飯を食べ終えて一休みすると、今度は瀬戸大橋をくぐる。鉄道で何度か通ったことはあるが、下から眺めるのは不思議な気分だ。
しかし、陸地の近くではあまりのんびりしていられない。この日は大学の課題を片付ける必要があったのだが、なんと間の悪いことに船のインターネット設備が壊れているらしくwifiが一切使えなくなっていた。そのため、陸地のネット回線が拾える間に課題を進めなければならなかったのだ。早々に部屋に戻り、弱いネット回線と格闘しながら課題をこなしている間に夜は更けていった。瀬戸大橋 名所・史跡
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【2日目】
朝起きると、既に外洋に出ているためか、昨日よりも船体が大きく揺れていた。
「これが荒波猛々しい日本海か」などとCと話ながら、朝のバイキングに向かう。朝食は洋食で、普通に美味しかった。 -
朝食終了からあまり間を置かずに、釜山の港が見えてきた。朝食後に二度寝しようという野望は敢え無く打ち砕かれてしまった。
クルマのドライバーは、接岸するとスタッフから一足早く呼ばれる。Cとはここで再び別れる。釜山港国際旅客ターミナル 船系
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一晩ぶりに我がスイフトと対面。
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車両ランプが降ろされる。さあ、いよいよだ。
作業員から合図されてランプを降り、韓国に、ユーラシア大陸に上陸する。 -
しかし、降りたものの、どこに向かえばいいか皆目見当が付かない。ランプの降り口の邪魔にならない位置に移動して、さてどうしたものかと思案していると、女性が声を掛けてきた。目の覚めるような美人のお姉さんだ。彼女が助手席に乗り込んで、構内を案内してくれるらしい。ちょっとドキドキしながら指示に従って運転していると、一時輸出入車両検査場に到着した。
釜山港国際旅客ターミナル 船系
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この検査場の前には、日本ナンバーの活魚運搬トラックが停まっていた。
日韓の車両越境簡素化の制度は、こういった業務用の車両が対象として想定されているようで、我々のようなマイカーでやってくる人間はそのおこぼれに与っているに過ぎない。そうした事情もあってか、検査はいくつかの荷物をX線に掛けるだけで車内の探索も碌になく、5分ほどで終了した。釜山港国際旅客ターミナル 船系
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その後は、クルマ自体は検査場の前に置いたまま、自らの入国をしたり自動車保険の手続きをしたりした。大阪のフェリーターミナルに比べ釜山のそれは非常に大きく近代的で、まさに「国際旅客ターミナル」という風格を持っている。広いターミナル内を指示に従って徒歩で行ったり来たりし、最終的に臨時運行許可証をゲットした。これで、晴れて韓国内を自由に走行することができる。
ちなみに韓国内で有効な自動車保険の支払いは現地で韓国ウォンの現金で行うが、釜山港国際旅客ターミナルにはATMが設置されており、付き添いのお姉さんに言えばそこまで連れて行ってくれる。船内にも両替はできるが、かなりレートが悪いので、船内で使う分以外は両替しない方が良いだろう(船内の売店は現金は韓国ウォンのみの取り扱い)。ターミナル内では現金の両替所もあるらしい。 -
お姉さんと分かれ、ターミナルの待合室で待っているCを呼びに行くために一旦税関ゲート前に駐車を試みる。しかし、駐車場所を探しているうちに後ろからトラックがやって来てクラクションを鳴らされてしまい、慌ててつい左側に突っ込んでしまった。韓国は右側通行、これでは逆走だ。
まだ港の敷地内なので、トラックの進路から外れれば左側に避けても実際的な影響はほとんどなかったが、この調子では先が思いやられる。釜山港国際旅客ターミナル 船系
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ハングルの横断幕とともに。
Cとも無事合流し、午前11時半、韓国ドライブの始まりだ。釜山港国際旅客ターミナル 船系
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ネバーマップ(韓国のマップアプリ)をペースノート代わりに指示を出すCをコドライバーとして、とにかく指示通りに釜山市内を走り始める。気分は国際ラリーのロードセクションである。
幸いミスコースはせず、しばらくすると都市高速に入り、そしていつのまにか都市間高速に突入した。 -
ここまで来れば、右側通行で走行車線と追越車線が入れ替わっていること以外は普段とあまり変わりはなく、一安心だ。
今日は、一気にソウルまで駆け抜けると同時に、私もCも大学関連のオンラインミーティングの予定を抱えている。私のミーティング(1回目)の時間が近付いてきたが、釜山を抜けてしばらく走ってもサービスエリアの類が見つからないため、その辺の非常駐車帯にクルマを停めてドライバー交代を実施。ここから先はCがハンドルを握り、私は助手席でミーティングに参加する。 -
ミーティングはトンネルに電波を遮られつつも無事終了し、助手席で落ち着いて周りを見渡す余裕が出てきた。
韓国の高速道路は、一部に120km/hや110km/h規制の区間もあるが、基本的に100km/h規制が多く、一部には80km/h規制の区間も存在する。アウトバーンとまでは行かなくとも、日本から出ればもう少し気持ちよく飛ばせるものと思っていたので、少し拍子抜け。 -
また、韓国は高速道路・一般道のどちらも、スピードカメラが非常に多い。日本のように不意打ちではなく、ネバーマップなら警告も出してくれるので親切である。
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時刻は間もなく13時、Cのミーティングの時間も近付いてきたので、昼飯も兼ねて清道セマウルサービスエリアに入る。セマウル運動にちなんだネーミングなのだろうか?
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さきほどはドライバー交代だけですぐに走り出したので、釜山から約1時間半、初めての休憩である。当然ながら周りは韓国ナンバーのクルマばかり、そこに台湾人が運転してきたつくばナンバーのクルマが佇んでいるのは相当な違和感だ。
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韓国のサービスエリアは、ちょっとしたショッピングモールのようになっている。コンビニだけでなく、様々な店舗が入居していてちょっと楽しい。
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ショップを冷やかしながら奥に進むと、フードコートがあった。日本のものと大差ない作りだ。
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プデチゲラーメンを注文。お腹が本調子出なかったので辛いものはできれば避けたかったのだが、そんなものはなかった。韓国飯は容赦してくれない。
Cが大学の先生方とミーティングしているのを横目に、汗をダラダラ垂らしながらなんとかラーメンを食べ切る。キムチは辛すぎたので、「ミーティングお疲れ様~」などと言いながらCに押し付けた。
日本から持ち込んだ新ビオフェルミンS錠のおかげか、幸いにも激辛ラーメンでの腹ブロー(エンジンブローの腹版。エンジンがブローしたらオイルを漏らす、あとは察すべし)は避けられた。ビオフェルミンは偉大だ。おなか大切に。 -
初の韓国飯の洗礼を何とか潜り抜けてサービスエリアの建物から出ると、謎のナンバープレートを付けたクルマが居た。米軍関連の車両だろうか。米軍はどこにでもいる。そう、あなたの後ろにも……
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さて、再び高速道路を走り出す。何せ初めて運転する国で、半日に400km以上を走破しなければならないのだ。あまりのんびりしている暇はない。
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しばらく走ると、かつて朝鮮人民軍から釜山橋頭保を守り抜くのに貢献したという険しい山岳地帯を抜けて京釜高速に合流し、道幅も4車線に広がった。しかし白いコンクリートの路面はアスファルト舗装に比べ凹凸が激しく、100km/hの制限速度を守ってもなお乗り心地はかなり悪い。
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釜山からソウルへ続くこの道路は、アジアハイウェイ (AH) 1号線でもある。アジアハイウェイとは、アジア各国を縦横断する幹線道路網だ。AH1号線は東京の日本橋が起点となっており、博多港から釜山港へ船で連絡する。そしてソウル、平壌、北京、ハノイ、プノンペン、……と続いていき、終点はトルコ - ブルガリア国境という、まさにアジア全域を横断する大幹線道路なのだ。
日本では途中で必ず船を利用しなければいけないため有名無実化しているが、ここ韓国からはトルコまで文字通り地続きで繋がっており、物理的にはブルガリアまでそのまま走り抜けることも可能だ。現状では政治的な理由で国境を越えて走っていくことは不可能だが、いつか、釜山からブルガリアまで、マイカーで走り抜けることが出来るような日が来ることを願う。 -
私の2回目のミーティングの時間が近付いてきたため、今度はパーキングエリアに入った。
日本では、サービスエリアに匹敵する規模のパーキングエリアも少なくなく、両者の区別は曖昧だが、韓国ではその差が歴然としている。サービスエリアは先ほどのようにサービスが手厚いのに対し、パーキングエリアは簡素な駐車場とトイレとベンチしか存在せず、本当にただパーキングのためだけのエリアなのだ。このパーキングエリアには、飲料の自販機すら存在しなかった。 -
プレハブのトイレ。パーキングエリア唯一の建物。
本当はミーティングは先ほどのCのときと同じく休憩所内で行おうと思っていたのだが、トイレの中で行うわけにもいかないので助手席でのミーティングとなった。 -
予定のミーティングが全て終わり、後は気がかりなしにただひたすらにソウルに向けて車を走らせるだけだ。
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3回目の休憩。
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メクスコピ、もといマックスコーヒー。チバラキコーヒーは韓国にも進出していた。本家と同じく、甘ったるくて疲れた脳に染みわたる味だ。
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どんどん北上。
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いよいよソウルの標示が出てくるようになった。
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4回目、またパーキングエリアで休憩。本線のすぐ脇に設けられた縦列駐車場は、まるでサーキットのピットのようだ。我々も素早くドライバー交代し、京釜400km耐久へ戻る。
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まだまだ走る走る。
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釜山出発から6時間が経過し、段々空が暗くなってきた。腹も減ったので、サービスエリアで夕飯にする。
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ソウルに近いからか、今までのサービスエリアよりもさらに大規模なショッピングモールだ。韓国の海老名サービスエリアといったところか。
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夕飯にはビビンバを注文。こちらは幸いにも、キムチ以外はあまり辛くなく、美味しく頂くことができた。
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再び走り出すころには、すっかり空は暗くなっていた。
そして、先ほどから怪しかった空模様は、いよいよ本格的に降り出してきた。
別に走行に支障があるわけではないが、ガラコを塗った直後に高速道路を走ると水滴が勝手にどんどん飛んで行って気持ちがいいので、前の洗車の時にめんどくさがらずにガラコしておけばよかったと少し後悔。 -
それほど走らないうちに、ライトや防音壁が続く首都近郊区間らしい車窓になってくる。
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ソウル料金所。
ここで、釜山で間違ってハイパス(ETC的なやつ)レーンを通過してしまって通行券が手元にないことで少し揉めたが、後ろに並んでいるクルマからの早くしろという圧力もあり?、最終的に18,600ウォン(多分通常料金)の支払いでお咎めなしとなった。
後ろで待たせてたクルマのドライバーさん、ごめんね…… -
ソウル市内に入ると、渋滞が激しくなってきた。
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高速1号線の終点。
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「漢江の奇跡」でお馴染み漢江を渡る。
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最後はソウルの細街路を通っていく。
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21時半、無事ソウル・明洞近くの宿に到着。釜山を出発してから9時間以上。長かった!
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流石に疲れたので、パイナップルジュースを飲みながら明日や明後日の予定についてCと軽く相談した後、早々に就寝した。
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【3日目】
Cは初訪韓、私も韓国には乗り継ぎで24時間滞在したことがあるだけなので、今日はクルマはホテルに置いておき、ソウルやその近郊のDMZ(DeMilitarized Zone: 非武装地帯)付近を普通に観光する日とした。 -
予約してあったDMZ(方面)行きのツアーバスに乗り込む。DMZの周囲は民間人出入統制区域ともなっており、ソウル付近の民統区域にはマイカーでは入域できないのでツアーに参加するしかない(DMZ本体は民間人完全立ち入り禁止)。
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民間人統制線(民統線)直前の臨津閣に到着。
イムジンガク (臨津閣) 建造物
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実際のDMZからはまだ少し距離があるものの、民統線のすぐ目の前ということで、既に物々しい雰囲気となっている。
イムジンガク (臨津閣) 建造物
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京義線の鉄橋。
京義線は本来、ソウル("京"城)と中朝国境の新"義"州を結ぶ路線だが、現在は、その総延長の1割を経過したに過ぎないここ都羅山が「終点」となっている。鉄橋の向こうでは、赤信号が灯り続けている。イムジンガク (臨津閣) 建造物
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再びバスに乗車、臨津江に掛かる統一大橋を渡り、いよいよ民統区域内に入域する。
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民統区域内も、信号機や標識が整備されており、一見普通の田舎町である。
ガイドによれば、実は民統区域内には、朝鮮戦争前からの住民(の子孫)らが今でも少数居住しているそうだ。出入域に毎回煩雑な手続きが必要だったり、厳しい門限が課せられていたりと、その暮らしはかなり厳しい。しかし、国防上の理由や土地の有効活用の観点から、住民には税金などについて謂わば「特権」が付与されていることから、現在でも域内での暮らしを選択する者が存在するという。 -
AH1号線の韓国側イミグレーション。残念ながら、通過することは出来ない。
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元々DMZの境界だった線を越える。この付近で1978年に北朝鮮が南侵のために掘ったトンネル(第3トンネル)が発見され、周辺を警戒する必要が出てきたため、この付近はDMZから外されたのだ。
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第3トンネルの資料館に到着。
実際に掘られたトンネル内にも潜ることが出来る(撮影禁止)。中はひんやりしていて少し寒いくらいだったが、意外にも、男でも少し身を屈めれば歩いて通過できる程度には広かった。これだけ広ければ、大部隊でもそれほど時間を掛けずに移動可能だろう。もしもこのトンネルが発見されていなければ、今頃どうなっていたのだろうか。第3トンネル 史跡・遺跡
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資料館内のジオラマ。中央の緑点が第3トンネル、黄色い線がDMZの境界である。緑点の周囲だけ不自然に北に押し上げられていることが分かる。
第3トンネル 史跡・遺跡
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屋外展示されているM48戦車は、朝鮮戦争停戦直後から部隊配備か開始されたため、朝鮮戦争の実戦は経験していない(はず)。しかし、朝鮮戦争の産物たるDMZを物語る展示物としては、DMZの誕生直後からずっと見守ってきたM48はむしろ最適なのかもしれない。
第3トンネル 史跡・遺跡
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さらにバスで移動し、新都羅展望台へ。かなり最近出来た施設のようだ。
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屋上の展望台から「北」を眺める。目の前に見える町は全て北側。
都羅山展望台 山・渓谷
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コンデジの最大倍率を利用すると、「向こう側」を歩く人々や自転車の姿がよく見えた。テレビやネットを通じてだけ見てきた国が、ぐっと身近に感じられる。
都羅山展望台 山・渓谷
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双眼鏡が所狭しと並ぶ展望台。「北側の未発展の街並み」や「体制に搾取される人々」を見るのがこれほどエンタメ化しているのには、少し考えさせられるものがある。
我々もそうしたプロパガンダに乗せられてここまでやって来た訳だが。都羅山展望台 山・渓谷
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"北の大地"とともに。
都羅山展望台 山・渓谷
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展望台には、地下1階にシェルターが存在する。一見平和に対岸を眺めるだけに見えるこの施設も、文字通り戦争の最前線に位置していることを思い出させてくれる。
都羅山展望台 山・渓谷
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土産物屋では、DMZ付近に住む農家が育て収穫した"DMZ米"が、物騒なパッケージに包まれ販売されていた。
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さて、ツアーバスでソウル・明洞まで戻り、そのままDMZツアーとパックで予約していたとあるアトラクションにガイドと共に向かう。
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そのアトラクションとは「実弾射撃」である。
明洞実弾射撃場 体験・アクティビティ
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ビルの一角が射撃場となっており、拳銃から実弾をぶっ放すことができるのだ。ソウルにはこの種の観光客向け射撃場が他にもいくつかあるらしい。
明洞実弾射撃場 体験・アクティビティ
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付き添い兼お目付け役が付きっきりで指導してくれる。流石に警備は厳重で、射手以外は中に入れないので、ガラス越しにカメラを構える。
明洞実弾射撃場 体験・アクティビティ
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成績は、私は的には全弾命中、3発は中心の10点に命中と、一般日本人による人生で2度目、7年ぶりの射撃にしてはまずまずであった。
明洞実弾射撃場 体験・アクティビティ
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一方Cは、台湾で徴兵による兵役を経験しており、私とは比べ物にならない射撃ガチ勢である。ほぼ全弾が中心の10点に命中していた。お見事。
明洞実弾射撃場 体験・アクティビティ
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モデルガンを用いた撮影タイムでも、構え姿があまりにも格好いい。
明洞実弾射撃場 体験・アクティビティ
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昼飯は、射撃場で別れたガイドに教えてもらった韓国麺屋へ。私は辛くない料理の注文に成功したが、Cはあからさまに辛そうな麺が到着し、案の定悶え苦しんでいた。
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腹一杯になった後は、地下鉄で移動。
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ソウル随一の観光名所、景福宮にやって来た。
景福宮 城・宮殿
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古の漢城と現代のソウル市街。
景福宮 城・宮殿
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しかし、多くの建物は復元だ。「この建物は日帝時代に破壊されたため、復元されたものである」という解説板には、日本人として考えさせられるものがある。
景福宮 城・宮殿
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景福宮の隣には、伝統的な家屋が立ち並ぶ北村韓屋村というエリアが広がっている。
北村韓屋村 旧市街・古い町並み
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今でも住民がいるエリアであるが、景福宮脇という好立地で観光客が増えすぎことで、京都と同じくオーバーツーリズムの問題が発生しているようだ。
北村韓屋村 旧市街・古い町並み
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ねこと戯れるC。
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再度地下鉄で移動し、ソウル駅へ。
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ソウル駅の定食屋で夕飯を食べ、みんな大好き駅前のロッテマートで土産物を仕入れる。
国鉄ソウル駅 駅
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ねこと戯れるC。
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宿に戻ってからは、ロッテマートで買ったジュースを飲みながら明日からのドライブルートを相談し、血糖値が上がったところで床に就いた。
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【4日目】
相変わらずパッとしない天気のソウルであるが、着いた日とは異なり雨が降る心配はなさそうだ。今日は38度線に並行して朝鮮半島を横断し、東海岸を目指す。 -
明洞、そして南山タワーとともに。
明洞 散歩・街歩き
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ソウルを出る前に、給油を済ませておく。釜山からの400kmでガソリンを消耗しているのはもちろんだが、我らがスイフトスポーツはハイオク仕様のエンジンである。韓国では高級揮発油、すなわちハイオクガソリンを取り扱うガソリンスタンドが極端に少なく、ソウルを出る前に給油しておきたかったのだ。
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高級揮発油のノズルの色は緑色。このクルマに緑色のノズルが差し込まれるのは、この旅が最初で最後だろう。
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ハイオク満タン!
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給油してくれたおっちゃんは一時期日本に住んでいたことがあったらしく、給油口の「ハイオク」の文字を読み上げ我々を驚かせてくれた。
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気の良いおっちゃんと別れ、ガソリン満タンになった愛車でソウルの街を流す。
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全くの偶然だが、2023年はこの日、9/28からが秋夕(韓国のお盆)だ。通りには太極旗が翻り、異国情緒をさらに増してくれる。
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……などと呑気なことを言っていられたのは、高速に乗るまでであった。日本と同じく、韓国でもお盆の帰省渋滞が発生し、ソウルから脱出しようとしていた我々は見事にそれにハマってしまった。
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途中のパーキングエリアもこの通り。進入路までクルマで溢れ返っている。
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ソウルから約50kmの加平休憩所までで2時間半もかかり、お昼時になってしまった。
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混ぜそばです。
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混ぜそばでした。
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この日は、初日の失敗を踏まえ、しっかりと通行券をゲットした。日本ではETCしか使わないのであまり馴染みがないが、日本のものと概ね同じような様式のようだ。
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東海岸に一直線に向かうなら高速60号を走り続けるのが手っ取り早いが、少し寄り道をしたいので高速を降りる。結局高速道路は最後まで快走とは言い難い状況であった。
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高速を降りてからしばらくは、バイパスのような高規格な道路を北上する。
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一般道だと交差点にロータリーが多用されているのも、韓国の道路の特徴。
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進むほどに山が深くなっていく。
これほどの山中でも、1車線とはいえ相当に高規格な道路なのは、やはり「北」に向かう道路だからだろうか。 -
トンネルもしばしば。
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標識にも"DMZ"の文字が出現してきた。
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今回の寄り道の目的地は、北朝鮮側から掘られてきた「第4トンネル」である。
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いよいよ民統線も間近、軍事基地と軍事基地の間を縫うように道は走る。
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韓国軍の軍用車両ともすれ違う。
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最後の山道を登り、間もなく目的地か、というところで、唐突にバリケードが出現した。
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その先にはフェンスと警衛小屋が。フェンスはびったりと閉まっている。第3トンネルの時のような観光地的雰囲気は一切なく、明らかに歓迎されていない。とりあえずクルマを降りてみるが、読めないナンバープレートを付けた右ハンドル車から降りてきた日本人と台湾人の2人組に、韓国軍兵士も戸惑っている様子。
……兵士とカタコトの英語でやり取りし、本来第4トンネルの見学には近くにある資料館から乗車するバスで入ること、現在は工事で第4トンネルの見学は中止されていることを知った。つまり、第4トンネルは見られない。
しかし、観光地ではないからこそのリアルな民統線の姿を見ることができたのは、自らクルマで突っ込んでいったからこその得難い経験であった。我が日本のスイフトで民間人が進めるギリギリのところまで迫った証明であるこの写真は、この旅での個人的ベストショットだと思っている。
一方で台湾での徴兵経験のあるCが後に語ったところによると、「小銃を抱えた軍人が本気でこちらを不審がっていて、超怖かった」とのこと。やはりその辺の感覚は、軍務経験の有無で大きく変わってくるのだろう。 -
ということで、件の資料館まで引き返す。念のため資料館の係員に尋ねるが、やはり第4トンネルは年内見学停止中らしい。
しかし、ドライブするために、紙の地図とNEVERマップで適当に探した目的地であったので、トンネルに入れないこと自体はあまり問題ではなかった。ここにたどり着くまでの、高速を逸れての韓国田舎道ドライブは十分楽しめたのだから。 -
せっかくなので、資料館も一通り見ていく。
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この一帯は典型的な盆地だが、朝鮮戦争の頃にはこの盆地を巡って壮絶な戦いが繰り広げられ、まるでお盆に血が溜まったかのような光景だったという。
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烈士像の周りには、朝鮮戦争当時に国連軍として戦った国々の国旗がたなびく。
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資料館内で読んだ解説が嘘のように、今日の村は長閑である。
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しかし、それは紛れもない現実であったのだ。散っていった兵士たちへ無言の追悼を捧げる。
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さて、日が落ちる前に、本日のお宿がある東海岸の都市・束草(ソクチョ)へ到着するべく、再び走り出す。
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絵にかいたような韓国の田舎道をのんびりドライブ。
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幹線道路も、東海岸沿いに朝鮮半島を縦断する太白山脈の山々に見下ろされながら、右へ左へとうねる。
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傾いてきた陽の光を浴びる太白山脈の山々は、まるで水墨画のよう。
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3速でエンジンブレーキを効かせながら、長い下り坂を降りる。目指す束草の街はもう目の前だ。
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下りきった先の料金所では、なぜか料金は取られなかった。よう分からんナンバープレートを付けていたから面倒くさがられたのか、あるいは秋夕帰省ラッシュの特別対応だったのかは不明。
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ソウルを出て以来、久々に都市と呼んで良い街にやって来た。
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なんとか日が暮れる前に、束草の海浜公園にたどり着いた。
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束草は海沿いのリゾート地としても有名な街だ。砂浜では大勢の観光客が思い思いに楽しんでいる。
Le Collective SokchoBeach ホテル
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夜の帳が降りつつある束草の街を歩く。
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この日は、海岸の街らしく、タコの炒め物を夕食にした。相変わらず激辛であるが、食べ放題のモヤシのナムルと一緒なら美味しく頂ける。
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そんなこんなで腹を満たし、ホテル着。
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韓国らしく、布団を敷くオンドルの部屋だった。9月末とはいえまだまだ夏の気温なので、結局オンドルの特徴たる床暖房を活かすことはなかった。
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ホテル1階のコンビニで購入した豆乳をお供に、眠りについた。
翌日、この旅最大のトラブルに見舞われるとも知らずに……。
後編へ続く:
https://4travel.jp/travelogue/11977979
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