2023/03/03 - 2023/03/03
1922位(同エリア2470件中)
azusa55さん
- azusa55さんTOP
- 旅行記109冊
- クチコミ3件
- Q&A回答0件
- 32,755アクセス
- フォロワー1人
荒胡子神社から桟橋方向に続く町屋通りを進むこと6分程、左手に曹洞宗のお寺「在光院」が現れます。
厳島神社境外末社の今伊勢神社は在光院山門の左から要害山へ続く石段を登り切った先に鎮座します。
厳島を訪れ、厳島神社はじめ寺社を参拝してきました。
短い滞在時間、今回の今伊勢神社・行者堂・長濱神社をもって最後の参拝となります。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 船 新幹線 私鉄 徒歩
-
荒胡子神社から桟橋方向に続く町屋通りを進むこと6分程、左手に曹洞宗のお寺「在光院」が現れます。
厳島神社境外末社の今伊勢神社は在光院山門の左から要害山へ続く石段を登り切った先に鎮座します
曹洞宗伊谷山在光寺は阿弥陀如来を本尊とし、広島新四国八十八カ所霊場の七二札所でもある。
山門は瓦葺の四脚門ですが、通りからすぐに石段が始まるため手前の柱は石段の途中から立てられています。 -
在光寺の創建は天文9年(1540)、和泉州の多武峯浄土院から、存光坊真空寂如阿闍利が阿弥陀三尊仏を祀られたことから始まるそうです。
天保13年(1842)に纏められた厳島図会にも当時の性海寺と今伊勢神社は描かれており、要害山右手に当時の仁王門(現在は石標のみ)も描かれています。
残念ながら小扉が閉められ境内に入れる雰囲気ではなかった。
調べていくと、境内まで鹿が入り込むので小扉を閉めているだけで、自由にお参りは出来るようです。
どおりで道に正露丸の大きな奴が転がっている訳だ。 -
今伊勢神社社頭。
町屋通り沿いの民家と在光寺の僅かな隙間に、急な石段が要害山の頂に続く。 -
結構な、いや十分急な石段には手摺はなく、中ほどに立つ両部鳥居まで踊り場はないので、踏み外さないように登る事に集中した方がいい。
-
境内から見下ろす石段。
よくぞ無事に上れたものだ、かみさんは、はなっから登る気はなく、在光院の先からこちらに向かったがそれが正解です。
容易に登れないこの急角度にも意味があり、要害山の名から分かるように、かつてはここに宮尾城が築かれ戦略的に重要な役割を持っていたようです。 -
石段を上り切る目の前は拝所となり、その先に今伊勢神社の社殿が見えます。
厳島神社の解説によれば、祭神は天照大御神、八幡大神、奥津彦神、素盞鳴命、奥津姫命、春日大神、猿田彦神。
相殿神に藤原鎌足霊神が祀られているようで、所願成就、出世開運、家内安全、火防守護、良縁祈願、夫婦和合 他の御利益があるようです。 -
周囲は切り立った崖で、尾根の僅かな平地に瓦葺の拝所と瓦葺の一間社流造の本殿があります。
厳島神社の解説では今伊勢神社について以下のように記されています。
「鎮座年月不詳。
御例祭日に神社石段下の「存光寺」で湯立神楽が行われていた。
昔は石段下の存光寺で例祭の11月1日に湯立神楽が勇壮に舞われていたが、現在は祭典のみ行っている。
普通の湯立神楽と異なり甲冑を着け、太刀を帯びた四名の者が舞う。
陶晴賢の霊を慰めるものだといい、毛利家から今伊勢神社に二十五石を奉納されたのもその為である
長い登り段の中程に四脚鳥居がある。
例祭日11月1日」
要街山は、元々は毛利元就ゆかりの地として、宮尾城が築かれ、厳島の合戦跡と伝わります。
弘治元年(1555)、毛利元就は中国地方西部の領主だった陶(すえ)晴賢の打倒のため、ここに兵を進め、陶軍の広島湾進出を阻止すべく、築城を果たし、同年9月、陶家は大軍を率い上陸してくるが、300余りの兵でこれを持ちこたえる間に、元就の主力が陶の本陣を急襲し壊滅させたと言われる。 -
塔の岡。
-
陶の本陣は宮尾城の南西、五重塔が聳える高台に構え、晴賢は毛利軍に勝る戦力を持ちながら、遅々として落ちない宮尾城の戦況を見守っていたのでしょう、この時の晴賢には自身の終焉の場が宮島になるとは想定もしなかったはずです。
-
その晴賢の霊を慰めるため、存光寺の例祭が行われています。
今伊勢神社の急な石段も僅かな手勢で持ちこたえるために貢献したのでしょう。
甲冑姿であの坂を攻め上るのは容易なことではない。 -
本殿の木鼻、蟇股に施された粗削りな獅子や牡丹。
社殿の修復履歴は分からなかった。 -
社殿全景。
この先を進めば塔の岡を見通せる宮尾城址に出ます。
要害山の樹々も大きく生い茂っていますが、塔の岡や海を渡る船の動きは見渡せただろう。 -
要害山の頂で西陽を浴びる今伊勢神社、ここも歴史の転換点のひとつかもしれない。
参拝を終えて、神社から右手方向に向かい桟橋方向に向かいます。
厳島神社境外末社 今伊勢神社
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神、八幡大神、奥津彦神、素盞鳴命、奥津姫命、春日大神、猿田彦神。
相殿神 / 藤原鎌足霊神
例祭日 / 11月1日
今伊勢神社から要害山の尾根沿いを桟橋方向に向かいます。
今伊勢神社から少し歩けば上の案内があり、指し示す方向に進みます。 -
在光寺や今伊勢神社の鎮座するエリアは赤丸部分にあたり、デフォルメされた観光マップには今伊勢神社から進むこの道は載っていませんでした。
-
上は今伊勢神社で使用した挿絵、神社から右方向へ尾根道が続いています。
挿絵赤丸部分が放光院大願寺山門で見た仁王像が安置されていた仁王門。 -
尾根道を歩いて行くと上の石標が見えてきます。
これが挿絵に描かれている嘗ての仁王門跡、遺構らしきものはありません。
この石標がなければ仁王門があった事は想像もできないかも知れません。
今回掲載する行者堂は、この石標から左方向に向かった先に鎮座します。 -
行者堂全景。
尾根道の左側に、東西に細長い社地が作られ、その奥に瓦葺の小さな堂が築かれています。
桟橋から見ると南正面の高台の頂に位置します。 -
社地左の手水鉢。
左に行者堂の参道が出来ており、これを下っていくとみなと隧道の車道まで繋がっています。 -
行者堂全景。
海を見渡す急峻な高台に建つ堂。 -
右手の由緒書きには以下のように記されていました。
【行者堂
祭日 旧暦四月七日
由緒 役の行者(修験道を修業する人)
諸国を遊歴して苦業をした人、俗に役の行者と称している大和国葛城上郡の人、舒明天皇の六年(634)に生まれる。
32歳のとき、葛城山に入り孔雀明王の呪を誦して悉地(さとり)と得、神験を現わす。
文武天皇の二年讒言により伊豆に流され、大宝元年(701)赦されて還える。
終わる所を知らず、故にここには修験道の祖をお祭りしてあるお宮である。
昭和45年5月10日】
役小角は修験道の開祖とも云われ、波乱と謎に満ちた生涯を送ったとされ、一説には、毎夜〃配流先から冨士まで空を飛び修行を重ねたとも伝わる超人をお祀りする。
神格は修験道の神、足の守護神、悪霊除けの神で、御利益は縁結びを始め、病気平癒、安産、悪霊祓除、心願成就などのご利益を授けてくれる。 -
行者堂後方から歩いて来た道の眺め、この道を左に下っていくと桟橋方向です。
堂の創建等詳細は不明ですが、厳島圖會の別の挿絵に、この堂が描かれいる事から、天保13年を更に遡るのだろう、少なくとも昭和45年という事はなさそうです。
行者堂自体は見所に乏しいかもしれないが、堂後方から桟橋方向の展望が開ける。
行者堂
創建 / 不明
祭神 / 役小角
祭礼 / 旧暦4月7日
所在地 / 広島県廿日市市宮島町857 -
厳島を訪れ、厳島神社はじめ寺社を参拝してきました。
短い滞在時間、今回の長濱神社をもって最後の参拝となります。
鎮座地は行者堂から5分程、北側の海岸線に出て、三叉路を右に向かい海岸沿いに進みます。
宮島桟橋からだと、参拝客の人波は厳島神社のある右に向かうはず、長濱神社へは左に進みます。
桟橋からだと小さな岬の陰になり、神社の姿は見えませんが、5分程もあれば辿り着ける距離です。 -
小さな岬を過ぎると、海岸に朱の両部鳥居が見えてきます。
ここが長濱神社になります。
厳島神社の大きくな大鳥居も威厳があって素晴らしいが、個人的にはこぢんまりとした長濱神社の佇まいがとても印象に残る。
訪れる参拝客は少なく、砂浜に打ち寄せる波の音が気持ちを落ち着かせてくれる。 -
上は天保13年(1842)に編纂された厳島図会、その挿絵に当時の鎮座地周辺が描かれていた。
当時のこの辺りは、松並木と白い砂浜が美しい海岸で八重の浜と呼ばれていたようです。
厳島図会では、この地には数本の桜があり、花見の名所でもあったと記されています。
挿絵には鹿に見守られ花見を楽しむ光景や、地引網漁をする光景が描かれ、右に長濱神社の両部鳥居と拝殿、本殿が描かれています。
長濱神社は厳島神社の境外摂社。
この絵が描かれた当時は長濱蛭子社と呼ばれていたようで、創建年など詳細は不明です。
祭神は興津彦命、興津姫命、相殿神に所翁の三神を祀り、竈の神として、家内安全や良縁などのご利益があるとされ、特に漁業者の崇敬が篤い神社でもあります。 -
鳥居から大野瀬戸の対岸宮島口方向の眺め。
旧暦の6月17日に行われる厳島神社の祭礼管弦祭では、厳島神社の祭神を乗せた御座船が、舳先の左右に篝火を焚き、艫に4個の高張提灯、二十数個の飾り提灯などに灯りを灯し、大野瀬戸の暗い海面に灯を映しながら、対岸の摂社地御前神社までの海上を管絃を奉奏しながら渡っていきます。
長濱神社で管弦祭のクライマックスを迎え、この沖に御座船が立ち寄り、ここで管絃の奉奏が行われた後、祭神を乗せた御座船は本殿に向かうという、平安時代から綿々と執り行われて来た祭礼。 -
鳥居の額は長濱神社。
-
海岸に建つ鳥居から、道路を挟んで正面に社殿が建てられており、鳥居の正面に写真の拝殿もしくは神楽殿があります、社殿配置は絵図が描かれた当時のままの配置です。
檜皮葺の妻入りで四方は吹き抜けのもの、山肌がすぐ後ろに迫る事から、縦長の社殿配置が出来なかったのか本殿はこの右側に建てられています。 -
拝殿から社殿全景。
こうして見る配置に違和感は全くない。 -
本殿全景。
桁行き三間余り、梁間四間の切妻瓦葺で内陣と外陣に別れています。
訪れたのが3月3日、境内には丁度梅が咲き誇る時期でした。 -
長濱神社解説。
「厳島神社摂社
御祭神 興津彦命、奥津姫命
相殿 所翁
由緒
御鎮座の年月は不詳。
御本社管弦祭の土岐この神社の前で雅楽が奉奏されます。
漁業者の信仰が篤い神様です。
例祭 11月20日」 -
本殿内。
内陣の額は「長濱神社」とあります。
興津彦命は竈門の神、奥津姫命は航海の守護神、どちらもこの地に於ては重要な神様。
所翁は佐伯鞍職が遊猟していた時、鞍職が問いかけた際、「私はこの所の翁」と名乗ったとことから所の翁と呼ばれるようになったとか。
三翁神社でも祀られていました。 -
本殿から両部鳥居方向の眺め。
手水鉢と常夜灯がありますが、どちらも寄進年は読み取れなかった。
絵図には多数の常夜灯がありますが、現在は形の違う燈籠が二基ずつとなり、海岸も整備され桜の樹も見当たらず時代と共に様相は随分と変わりました。
波打ち際に出てみる事に。 -
砂浜に聳える両部鳥居。
この時は干潮の時間帯、満潮ともなれば6個の礎石の中ほどまで潮が満ちる様で、海側から鳥居が見られるのも干潮の時だけのもの。
かつて八重の浜と呼ばれた砂浜も、護岸整備により縮小しているようです。 -
鳥居から西側の光景。
かつてはここに舟が着き、上陸した参拝者は厳島神社に向かっていた。
現在はこの岬の向こうにフェリー桟橋があり、岬の陰にあたるこの辺りは参拝者が訪れる事はないようです。 -
長いようで短かった一泊二日の広島一之宮巡り。
奥深いこの島を日帰りで見て廻ろうなんて、到底無理な話。
次回訪れる機会があれば島内で一泊したいと思う。
厳島神社境外末社 長濱神社
創建 / 不明
祭神 / 興津彦命、奥津姫命、所翁
例祭 / 11月20日
所在地 / 広島県廿日市市宮島町
宮島桟橋から長濱神社 / 東へ徒歩5分
参拝日 / 2023/03/03
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
広島市内と呉、安芸国一宮厳島神社巡り
-
広島市内と安芸国一宮厳島神社巡り 広島Day1
2023/03/02~
呉・海田・安浦
-
広島東照宮
2023/03/02~
広島市
-
広島東照宮 「金光稲荷神社」
2023/03/02~
広島市
-
智秀山西向寺と地御前・大蔵神社
2023/03/03~
大竹・廿日市
-
地御前神社
2023/03/03~
大竹・廿日市
-
安芸国一之宮 厳島神社
2023/03/03~
宮島・厳島神社
-
厳島神社 『清盛神社と大願寺』
2023/03/03~
宮島・厳島神社
-
大聖院(だいしょういん)
2023/03/03~
宮島・厳島神社
-
粟島神社(厳島神社末社)・三翁神社(厳島神社摂社)・荒胡子神社(厳島神社末社)
2023/03/03~
宮島・厳島神社
-
今伊勢神社・行者堂・厳島神社境外末社 長濱神社
2023/03/03~
宮島・厳島神社
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
宮島・厳島神社(広島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 広島市内と呉、安芸国一宮厳島神社巡り
0
35