2023/09/11 - 2023/09/11
1550位(同エリア17043件中)
ばねおさん
パリ12区のベルシー地区は、1980年代まで欧州最大のワイン市場があったところで、19世紀のワイン倉庫群が保存されている。
今ではその古いレンガの倉庫群を生かした ベルシー ヴィラージュBercy Villageという素敵な通りが出来上がっていて、映画館をはじめ多くの飲食店や、よく名前の知られた紅茶、香水、ワインなどのオシャレな専門店が並んでいる。
その通りからセーヌ川沿いにはベルシー公園が広がり、かってセーヌからワインを運び入れるのに用いた運搬車のレールが残っていたりする。
公園の一角には貴重な映画遺産を保存し、古典的作品の上映もしているシネマテークがある。映画の黎明期から現在に至るまでの歴史的な資料は映画好きには見逃せない。
このベルシーには、20年近く前に短期間だけ滞在したことがあって、いろいろな顔を見せるパリの中でも過去と現在が不思議に入り交じった独特な雰囲気を感じていた。
以来、一、二度立ち寄ったことはあったが、9月の天気の良いある日、久しぶりにベルシーをゆっくりと歩いてみた。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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散歩のスタートは「シネマテーク・フランセーズ La Cinémathèque française」から。メトロ6、14号線「Bercy」からは徒歩5分ほど。
もともとは個人コレクションの規模からスタートしたシネマテーク・フランセーズは、変遷を重ねて2005年にここベルシーに腰を落ち着けた。 -
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建物はアメリカの建築家フランク・O・ゲーリーが設計したもので、シネマテーク以前はアメリカン文化センターが使用していた。
この人の設計作品が日本にもあるのか調べてみたら、安藤忠雄と組んだ「フィッシュ・ダンス」という巨大な鯉のオブジェが、神戸港のメリケンパークに建っているという。 -
シネマテークは、映画博物館であるミュゼ・メリエス、図書館、書店そして上映ホールで構成されている。
映画にかかわる資料の保存や修復のほかに、古典的な映画の再上映を行い、時には歴代の映画監督や俳優の回顧展等を企画展示している。 -
ミュゼ・メリエス Musée Méliès。
名称は、世界初のSF映画を撮ったジョルジュ・メリエス(Georges Méliès、1861-1938年)に捧げられている。
メリエスの事績を世に広めることがこのミュゼの目的ではないが、メリエスの歩みはそのまま黎明期の映画の歴史となっている。 -
もともとは奇術師であったメリエスは、舞台上では不可能だった表現をトリックを駆使して画面上で実現させ、世間を驚かせた。
人体の輪切りとか、風船のように空気を送り込んで顔を膨らませるとか、実際にはできないことがフィルムを繋いだり、カメラを遠近に移動して視覚の思い込み効果を利用したりしている。
今ではあまりにも単純すぎて何の驚きもないが、当時としては革新的で創造性に富んだアイデアの数々である。
やがてはスピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ジェームズ・キャメロン等々と続く特殊撮影技術の先駆者であったと言える。 -
映画博物館の展示は、「初期の映写機やカメラなどの装置」「衣装、台本、セットのデザイン画や模型など実際の撮影に使われた品」そして「映画のポスター」の3つのカテゴリーで構成されている。
映画の芸術性を強調するだけでなく、表現する技術の歴史を重視して展示している。 -
エジソンの3大発明のひとつとされている、1890年に発明された「キネトスコープ Kinétoscope」。
キネトスコープは木箱内をのぞき込んで映像を見る仕組みで、スクリーンに映す映写機とは異なる鑑賞装置だが、今日につながる映画の基本的技術を備えていた。
基本的技術というのは、連続写真を記録したセルロイドのロール・フィルムを、光源の前で高速移動させることで動く映像を作り出したことと、パーフォレーション付きの35ミリフィルムを採用して映画フィルムの標準を設定したことである。
1888年にエジソンが最初のアイデアを考案し、助手のウィリアム・K・L・ディクソンが中心になって開発して完成させた。
彼らはキネトスコープと同時に、映画用カメラのキネトグラフ(英: Kinetograph)も開発しており、1891年8月に両方の特許を申請している。 -
キネトスコープを代表する作品としてスコットランド女王だったメアリー・ステュアートの処刑を描いた20秒ほどの作品がある。
1895年にアメリカのエジソン社で製作・公開されたモノクロ、サイレント映画で『メアリー女王の処刑(原題:The Execution of Mary Stuart)』のタイトルで、覗き眼鏡式の映写機キネトスコープで上映された。
処刑人がメアリーの首に斧を振りかざしたところで一旦カメラを止め、次にメアリーの人形に置き換えて撮影を再開するので、見たものはこれを連続した一シーンと受けとめる技法である。 -
エジソンがキネトスコープを発明した後、1895年にはフランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフcinématographeを発明している。
一人しか見ることができないキネトスコープに対し、シネマトグラフは映写式なので同時に大勢が見ることができるようになった。
映画という意味の言葉「シネマ」はここから由来している。
これを見たメリエスは、リュミエール兄弟にシネマトグラフを売ってほしいと申し込んだものの断られ、ロンドンでロバート・ウイリアムが発明したよく似た装置を見つけた。
リュミエール兄弟がメリエスに売るのを断った理由として、「この装置には未来がない」という言葉が残っているが、真意はどうだったのだろう? -
ロバート・ウイリアムの発明した機械を用いて、1896年から1914年にかけて、メリエスは1分から数分の600本近い短編映画を制作している。
その中で1899年制作の「ドレフュス事件」は政治をテーマにした世界初の作品であり、又、10分という上映時間は当時としては記録的な長編であった。
フランス陸軍大尉であったドレフュスにスパイの嫌疑がかかり、階級を剥奪の上、「悪魔島」に投獄された事件であるが、これは同時にユダヤ人であったドレフュスと反ドレフュス、すなわちユダヤと反ユダヤという、世論を二分し社会を揺るがす歴史的大事件となった。 -
1902年に発表したメリエスの『月世界旅行(Le Voyage dans la Lune)』は大ヒットして世界的な成功を収め、映画史に残る伝説的な作品となった。
6人の天文学者が巨大な砲弾で月に到着し、そこで繰り広げられる出来事を描く奇想天外な内容だが、ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズの原作を元にした作品は物語性も備え、16分という上映時間も驚異的で、まさに映画史上の「大作」となった。 -
伝説の映画『月世界旅行』のフィルムは全て失われていたとされていたのだが、2000年代に入ってスペインで奇跡的に発見された。しかし、フィルムの傷みは激しく、修復は不可能な状態であった。
その後、デジタル技術の進歩と緻密な手作業の積み重ねによってリストア版が完成し、2011年のカンヌ映画祭で上映されて世界中をアッと驚かせた。
写真は、この『月世界旅行』の撮影に使用された衣装で、保存状態はすこぶる良い。 -
メリエスは、「Manufacture de films pour cinématographes 」という映画製作会社を運営していたが、会社はやがて映画産業の世界的中心となった米国に移転し、「スター・フィルム (Star Film) 」と通称されるようになった。
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パリ郊外モントルイユにあった「スター・フィルム」のスタジオ模型。
このフランスで最初の映画スタジオは、奥行きが17メートル、幅が66メートルあり、6メートルの高さのガラス屋根で覆われ、舞台、ピット、舞台装置などが備えられていた本格的なものであった。 -
時代が進み、映画産業に多くの参入者が登場してくるとメリエスの作品は次第に飽きられ、また、ビジネスの才覚がなかったメリエスは映画事業を経営し続けることができず、ついには破産して全てを手放さざるを得なくなった。
映画界を去り、妻に先立たれ、晩年はかって自分が見出した女優ジュアンヌ・ダルシーと再婚してモンパルナス駅で子供相手の玩具と飴の売店を細々と営んでいたという。 -
メリエスの生涯はそれ自体がドラマになりそうな波乱に富んだものであった。
映画ファンならすでにお気づきだと思うが、2011年のマーティン・スコセッシ監督作品『ヒューゴの不思議な発明』では、メリエスとジュアンヌ・ダルシーをモデルとした人物が登場する。
博物館にはこの機械人形も展示されていた。 -
ジャン・コクトー(1889-1963) が初めて映画に挑戦した『詩人の血』(1930年)。
夢遊病というキャラクターを軸に、動く彫像などのトリックを駆使した前衛的作品で、コクトーの顔を実際に型取りしたという珍しいマスクが残っている。 -
ジャック・ドゥミ監督の1970年『ロバの皮(Affiche de Peau d'Ane de )』のポスター。(ポスターはジム・レオン Jim Leon 1938-2002 作)
主演はカトリーヌ・ドヌーヴ、ジャン・マレ。
コクトーの「愛人」とされるジャン・マレは、『美女と野獣』、『オルフェ』などのコクトー作品のほとんどに出演している。 -
音楽はミッシェル・ルグラン。
ジャック・ドゥミ監督とルグランとのコンビは、『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』、『ロバと王女』、『モン・パリ』、『ベルサイユのばら』と続いた。 -
1969年のスタンリー・キュービックの『2001年宇宙の旅』は数々の革命的な手法で作られたSF映画の傑作。
キュービックは尊敬するメリエスに触れ、「映画を作るのは何よりもまず技術であり、ルミエールとメリエスは極めて優れた技術者であった」と語っている。 -
1989年の『魔女の宅急便』フランス版のポスター。
つい最近の作品のように思っていたが、もう34年前とは ... 驚きだ -
1階のホールには昔の映画ポスターが飾られている一画があって、誰でも自由に観覧ができる。
こちらはヒッチコック監督の1946年米国映画『汚名(原題 Les Enchaines)』。
主役は、イングリッド・バーグマンとケーリー・グラント。 -
おそらく日本未公開だと思うが、第二次世界大戦中の実話「シセロ事件」を元にした米国映画『L'Affaire Cicéron (原題 Five Fingers )』 1952年。
ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督 -
サスペンス映画の名作『北北西に進路を取れ(原題はNorth by Northwest
フランス版はLa Mort aux trousses)』は、1959年ヒッチコックの作品。 -
英国アンソニーマン監督のスパイ映画『殺しのダンデイ(原題: A Dandy in Aspic)』1968年。
どれを見ても、昔の映画ポスターには郷愁を誘われ、過ぎた日の思い出が一気に呼び起こされるような不思議さがある。 -
『大人は判ってくれない(原題はLes Quatre Cents Coups)』は、フランソワ・トリュフォーが27歳の時に手がけた初めての長編でヌーヴェルバーグの記念碑的作品と位置付けられている。主役は12歳のジャン=ピエール・レオ。1959年。
原題の「Les Quatre Cents Coups」( 直訳すれば「400回の殴打、打撃」)は、フランス語の慣用句「faire les quatre cents coups」(「無分別、放埓な生活をおくる」といった意味)に由来する。
この日本版のポスターは野口久光の手による名品だ。
これを見てトリュフォーが大感激したという逸話が伝えられている。 -
2019年3月に亡くなったアニエス・ヴェルダ。
夫のジャック・ドゥミ監督とともに「ヌーヴェル・ヴァーグ左岸派」と分類されているが、同時にその先駆性と独特な才能に対して「ヌーヴェル・ヴァーグの祖母」とも呼ばれている。
シネマテークでは、 2023年10月11日から2024年1月28日まで大規模な回顧展を開催している。 -
アニエス・ヴェルダの『5時から7時までのクレオ (Cléo de 5 à 7 )』1962年。
モンスリ公園を舞台にしたドキュメンタリータッチの作品で、その淡々とした描写は観る人によって受け止め方や評価の仕方が大いに分かれるところだろう。
ドキュメント作品としては、ヴェルダ自身が住んでいたモンパルナスの街と人々の日常を撮った『ダゲール街の人々 (Daguerréotypes)』が知られている。同所には日本人画家たちのかっての貧乏アトリエがあり、林芙美子が滞在し白井晟一等と交友したカフェや金子光晴、森三千代が一時の安らぎを得たホテルが今もそのままに在る。 -
およそ美術館グッズの類を買ったことはないのだが、今回は目に留まったアニエス・ヴェルダのエコバッグを買い求めた。
10月からの回顧展を前にすでに色々な品が用意されていた中で、バッグにプリントされた、自分にも馴染み深いダゲール街の文字に引き寄せられたのかもしれない。 -
シネマテークの観覧を終えた後はベルシー公園を歩いてみた。
ずいぶん昔から同じ場所にあるメリーゴーランドは今も変わらぬ姿で動き続けている。 -
セーヌ川の堤まで行って振り返った公園の景観。
9月に入ると30度を超える日々が続いていたが、この日の気温は22度で歩くにも心地よい陽気だった。 -
セーヌ沿いにある立像群。
以前からこれらの像の存在は知っていたが、由来も知らず自分は勝手に「ベルシーのモアイ」と名付けていた。 -
この機に確かめたところ、フランスの彫刻家 Rachid Khimouneの作品『世界の子供たち Les Enfants du Monde』であることを知った。
立像はそれぞれ民俗、国柄を表徴しているようでもある。
となるとこれは日本?? -
世界の子供たちの群像を挟んでシモーヌ・ド・ボーヴォワールの名が付けられた橋「Passerelle Simone de Beauvoir」がセーヌに架かっている。
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橋を渡った先にあるのは、フランス最大の規模を誇る「国立図書館フランソワ・ミッテラン」。元大統領の名が冠せられている。
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ベルシー公園は広いだけでなく色々変化に富んでいる。
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一画にあるブドウ畠。
これはワイン貯蔵倉庫があった記念に植えられたようだ。 -
可愛らしいポタジェには多くの種類のハーヴが育っていた。
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Maison du Jardinage
趣のある庭園管理事務所。 -
由緒ありげな建物だが、見学対象にはなっていないようだ。
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Maison du Jardinageの横手にはレールが残っている。
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セーヌ川を運搬されてきたボルドー産を中心とするワインは、この先で陸揚げされベルシーのワイン倉庫に収められた。
このレールはワインを倉庫へ運び入れるためのものであろう。 -
こちらも運搬用に用いられたものだろうか
荷車もオブジェになっていた。 -
公園を横切る道路に架けられた陸橋を通り、向こう側へ渡る。
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今度は水路のある区画が現れた。
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パビリオン
Agence Parisienne du Climat。 -
その先、公園の南東を進むと並木の間から特徴のある建物が見えてきた。
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歴史的建造物に指定されているかってのワイン倉庫の建物をそのまま生かした「ベルシー・ヴィラージュ Bercy Village」。
手前に見える黄色の看板は、英国パブ「 Frog 」。 -
ベルシー・ヴィラージュには、複合映画館UGC Ciné Cité Bercyを起点としてレストランやカフェ、お馴染みのブランド店など、実に数多くの店々が並んでいる。
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新しい店も多いが、全体に落ち着いた雰囲気が感じられるのは古い建物のおかげであろうか。
この日は、南仏をイメージしたような飾りが通りに続いていた。 -
2019年2月に立ち寄った時の様子はこんな感じだった。
クリスマスの飾り付けは見ていないが、きっと趣向を凝らしたものになるのだろう。 -
二つの通りRue des Pirogues de BercyとRue Lheureuxの交差する辺りは今なお19世紀の雰囲気を色濃く残している。
(写真は2019.02撮影) -
ここには一般に「縁日博物館」と訳されている「Les Pavillons de Bercy - Musée des Arts Forains」があって、メリーゴーランドや見世物のコレクションを見学できる。
展示されているだけでなく、子供達が利用して楽しめるようにもなっているので、休日には親子連れで大いに賑わっている。 -
ベルシーでの取引の中心であったボルドーワインに因んで、有名な産地サンテミリオンの名が付けられているベルシー・ヴィラージュの一画「クール・サンテミリオン Cour Saint-Émilion」。
この下のメトロの駅も同名で最新の14号線が通っている。ベルシー・ヴィラージュ訪問を目的とするなら、ここが最寄駅となる。
この日はここからメトロで帰宅した。
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