2016/09/30 - 2016/10/09
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ともっそさん
2017年の旅行記に続き、以前旅したイタリアの備忘録代わりです。
さらにデジカメがメインだったため、スマホに残っている写真はこれだけです。もったいないことをしました。
この年は、イタリアの特別聖年の年でした。その年にしか開放されないという扉をくぐることが主目的でしたが、他にも訪れたい場所が目白押しで、移動の多い旅となりました。
■30.Sep.2017 : 関空→ローマ・フィウミチーノ空港
■01.Oct.2016 : ローマ(ローマ泊)
■02.Oct.2016 : ローマ(ローマ泊)
■03.Oct.2016 : ローマ→ボローニャ(ボローニャ泊)
■04.Oct.2016 : ボローニャ→ラヴェンナ(ラヴェンナ泊)
■05.Oct.2016 : ラヴェンナ→フェラーラ(フェラーラ泊)
□06.Oct.2016 : フェラーラ→パドヴァ(パドヴァ泊)
□07.Oct.2016 : パドヴァ→ミラノ(ミラノ泊)
□08.Oct.2016 : ミラノ空港発
□09.Oct.2016 : 関空着
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
フィウミチーノ空港から市内へは、レオナルドエクスプレスではなくローカル線を利用。
ティブルティーナ駅で乗り換えてテルミニ駅に行く予定だったのですが、ローカル線で空港から市内に出るのはこの旅が初めてで、ぼんやり車内放送で「テルミニ」が聞こえるのを待つ。
ふと気づけば周囲にスーツケースを持った人が誰もおらず。車窓風景も、どことなく郊外に向かっているような。
<+%&$#*!?
あわてて、すぐ側の席に座って談笑していた地元の方っぽいお2人に尋ねてみて、ようやく乗り過ごしたことに気づきました。ローカル線だからティブルティーナで降りなきゃいけないと、乗るまでは覚えていたのに・・・。
ローマの電車って確か乗り過ごしたら罰金だったような、と考えると焦りが増します。
運よく、ちょうどチケット確認に回ってきた車掌さん?に事情を説明したところ、30分以内に必ずティブルティーナ行きの列車に乗ってくださいとのことで、見逃していただきました。焦った~っ。
そして降りた駅がここ。
階段を下りて、電光掲示板でティブルティーナ行きの電車のホームを確認。幸い、15分ほどで電車がやってきました。
日本に帰国してから調べたのですが、このMonterotondo駅は、昔、ローマの大貴族だったオルシーニ家の中心と地として栄えたそうです。
お昼到着フライトで、まだよかった。 -
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の聖年の扉。
テルミニ駅近くにホテルをとっていたので、まずは近い場所から訪れます。
混雑を予想していましたが、さほどではありませんでした。20名くらいがセキュリティチェックに並び、後はすんなり入れました。
「聖年」には、四大バジリカの聖年の扉(PORTA SANTA)がすべて開きます。
サンピエトロ大聖堂、サンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、です。
サンピエトロの聖年の扉が最初に開き、その後、残りの聖堂の扉が開きます。 -
聖年の扉をくぐる行事は、西暦1300年に始まったそうです。
この年にローマを巡礼すると、特別な赦しを与えられるとされています。最初は50年に一度の行事でしたが、現在は、特別聖年を除き、25年に一度です。
2000年に大聖年があり、今回の2016年は特別聖年です。 -
右の扉には、イエス・キリストが。
左の扉には、聖母マリアが。
今回の特別聖年は、当時の法王フランシスコがそう宣言したことにより開催されました。
2015年12月8日から2016年11月20日までの期間を指します。
法王フランシスコは、誰も神のいつくしみから排除されることはない、と呼びかけました。 -
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、ローマの四大聖堂の中では最も最後に建てられたものです。
見事な天井。
352年8月4日、法王リベリウスは夢の中で聖母マリアからお告げを受けます。
「翌朝、ローマの七つの丘の1つエスクイリーノの丘に行くと雪に覆われた場所があるので、そこに教会を建てなさい」。
翌日、法王が実際にその場所を訪れると、お告げの通り雪に覆われた場所があり、そこにこの聖堂を建てました。
それにちなんで、毎年8月5日には、雪にみたてた花びらをまき、真夏の雪を再現するのだそうです。 -
鳩?のモザイク画。
この写真を撮った記憶はあるのだけれど、果たしてサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の床だったろうか。。 -
テルミニ駅の中二階?に、簡単に食事をとれるお店があります。トレーを持って、自分の欲しいものを載せていって最後にレジでお金を払うタイプのお店です。
なかなかのボリュームのティラミス。 -
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の聖年の扉。
サンピエトロ大聖堂が建つまでは、こちらがカソリックの総本山でした。
アヴィニョン捕囚でローマには法王が約70年もの長い間、不在となります。
法王庁が不在となったため、ローマは非常に荒れに荒れたそうです。
法王がローマに戻ってきた時、この大聖堂は荒れ果てていたために住めず、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂で暮らし、さらにその後、バチカンで暮らすことになります。 -
くぐります。
たまたま人の少ない時間だったのでしょうか、拍子抜けするほど人はおらず、並ぶことなく、くぐることができました。 -
扉には、キリスト磔刑図と、その下に聖母マリア。
光が入って見づらいですね。 -
扉をくぐる信者が撫でるのでしょうか、一部、色が変わっています。
せっかくなので、私も撫でさせていただきました。 -
大聖堂の右隣にある茶色い壁の建物は、旧法王庁。
その中に、聖なる階段、スカラ・サンタという名の階段があります。
入ると、階段だけがあります。敬虔な信者はその28段の階段を、膝で一段、一段、祈りながら上っていきます。
とても静謐な空気で、私語をする人は誰もいませんでした。 -
サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂の聖年の扉。
先に訪れた2つの聖堂の静けさが嘘のように、多くの人がいました。
そしてこちらには、その混雑を収拾するためでしょうか、交通整理のような人が。
流れ作業のように、どんどん人がくぐり抜けていきます。
流されすぎて、扉の写真が撮れなかった・・・。
フォーリ・レ・ムーラとは、「城壁の外」を意味します。
四大聖堂の中で一番、市内から遠くにあり、聖パウロの墓所の上に建っています。 -
サンタンジェロ城。
何度見ても美しい。
川面に映るのが、これまたいいんです。 -
サンタンジェロ城を遠景から。
正面のサンタンジェロ橋を通る時は毎回、ワクワクします。
聖年の扉は予約不要かつ無料ですが、サンピエトロ大聖堂だけは事前予約しました。色々説明が聞けるのです。
しかし、私の申し込んだ英語チームですが、その時間帯はグループを編成するための最低人数に達していなかったらしく、受付の後、急遽イタリア語チームに入れられました。
待てい!! それだと何のために予約したのか・・・! -
ジェラート休憩。
レモンと、、、コーヒーとかだったような。
結局、いつも同じようなのを注文してしまう。柑橘系とベリーが好きです。 -
サンピエトロ大聖堂。
聖年のイベントのためでしょう、広場にはびっしりと簡易椅子が設置されていました。 -
階段の注意書き。
危険さがよく表現されていますね。
突き飛ばされた?くらいに吹っ飛んでる。 -
サンピエトロ大聖堂の聖年の扉。
「大いなる赦しの扉」とも呼ばれています。
扉には、人間の罪と贖いに関する聖書の物語の場面が描かれています。
アダムとイブに始まり、キリスト死後の聖パオロの物語まで。
さすがサンピエトロ大聖堂というべきか、外には長蛇の列でした。
結果としては、さっぱりわからないイタリア語チームでも、団体に申し込んだおかげですぐに入れました。
何事にも良い面と悪い面がある、という言葉を改めて思ったのでした。 -
扉の内側の上部には、天国の鍵を持つ聖ペトロの絵が架かっています。
聖書のマタイによる福音書に、イエス・キリストがペテロに「あなたに天国の鍵を授けよう。あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるだろう」と語っています。 -
クーポラから見渡す。
今回はこの後、バチカン美術館に。
予約の時間までサンピエトロ大聖堂を堪能しました。 -
いつ来ても感嘆するのですが、美術館のこの美しい螺旋階段。
上りと下りの人が交差しない設計です。
そして、下に行くほど、階段の幅が狭まっているため、下から上をあおぐと、螺旋が実際より長く続いているように見えるという設計。
考え抜かれてる・・・。 -
バチカン美術館を再訪の目的は、ボルジアの部屋。
その中の一室、「諸聖人の間」にある絵です。
中央の、青い衣装に赤いマントを着用しているのがルクレツィア・ボルジアとされています。(諸説あり)
この部屋の装飾を担当したのは、ピントゥリッキオです。現在のシスティーナ礼拝堂はミケランジェロ作ですが、その前には、ピントゥリッキオの師匠の描いたものが描かれていたそうです。 -
ボルジア出身の法王アレッサンドロ6世は、当時から悪名高い法王です。
そのため、このボルジアの間は法王6世が亡くなってしばらく、使用されていなかった時期があるそうです。 -
右の、ターバンを巻いた馬上の人が、チェーザレ・ボルジアです。(こちらも諸説あり)
この絵が見たかったのです。
私は塩野七生著書からルネサンスの歴史に興味を抱き始めたせいか、ボルジア家と、その時代に少し興味があります。(興味があるだけで全く詳しくはない) -
こちらも、ボルジアの間の一室、「奥儀の間」にある、「受胎告知」と「キリストの誕生」のフレスコ画。
こちらの部屋に、法王アレッサンドロ6世が描かれているのですが、そちらは残念にもデジカメの中に・・・。
フレスコ画法のおかげで、これだけ鮮やかに残ってくれたのでしょうか。
が、ダビンチはこの画法を嫌ったため、「最後の晩餐」はテンペラ画法で描かれ、そのため経年による劣化を大きく受けることになりました。 -
翌日はラヴェンナを訪れるのですが、ローマから直行便がありません。
乗り換えはショーペロが怖いため、いったんボローニャで宿泊して、翌朝にラヴェンナに行くことにしました。
フレッチャロッサで約2時間。
出発前日にテルミニ駅の券売機で購入します。
イタリアの列車のチケットはイタリア鉄道、トレニタリア(Trenitalia)のWebでもオンライン購入できます。
早割額がすごく大きいので、予定が固定の場合は、先に買っておくのもありです。ただ、クラスによっては変更できないチケットもあるので要注意なのですが。 -
ボローニャ駅すぐ近くのジェラート屋さん。
「VENCHI」は有名なチョコレート屋さんですが、ジェラートも美味しい。
ローマは夏のように暑かったけれど、ボローニャは内陸だからか、10月初旬とはいえ、結構冷えました。
ボローニャの繁華街は駅周辺ではなく、駅から30分?ほど行ったところ。
駅周辺はあまり治安がよくないとも聞いていたので、夕飯とジェラートを食べて、ささっとホテルに戻ります。
明日は早朝出発。
ラヴェンナまでは列車で約1時間ですが、回りたいところがたくさんあるので、スタートダッシュします。 -
ラヴェンナ到着。
それはもう、とっても良いお天気でした。
予約していた駅前のホテルにスーツケースを預けて、すぐに駅前から出るバスに乗り込みます。街を観光するなら駅から離れたほうがよかったのですが、移動が多いので今回は駅近を選択。
この時利用したバスの運転手さんが非常に親切で、帰りのバスの停留所の位置まで教えてくださいました。 -
サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会の庭。
木を刈り込んで動物の形にしているオブジェ?のようなものがたくさんありました。 -
サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会。
ラヴェンナ駅から7キロ行ったところにあります。
古代ローマのクラッセ港の敷地内にあることから、クラッセのサンタポリナーレ教会、とも言われます。
ビザンチン建築で、ゴツッとした武骨な感じの外観です。 -
外観は簡素なのですが、中に入ると豪華なモザイク画。
イタリアのモザイクといえばラヴェンナ、と言われるほどモザイク画で有名な街です。 -
「キリストの変容」の場面を表したモザイクが残っています。
キリストが三人の弟子を連れ登ったタボール山で預言者と語り合った、という奇跡の場面です。
3匹の羊は、ヨハネ、ヤコブ、ペテロを表現しています。
たっぷり堪能した後、街に戻ります。
バス停はとてもわかりづらい場所にあって、往路のバス運転手さんが教えてくださったのがとても助かりました。 -
サン・ヴィターレ教会。
ラヴェンナ中心地に戻ってきました。
中心に全世界を表す球体に座るキリストを中心に、キリストから殉教者の冠を受ける殉教者聖ウィタリス、聖堂の模型をキリストに捧げる司教エクレシウスが描かれています。彼らの足元には花が咲き、川が流れ、頭上には虹の雲が描かれており、楽園を表現しているそうです。 -
「皇妃テオドラと廷臣たち」
テオドラは元踊り子で、二十歳頃に40歳近いユスティニアヌス帝に見初められて皇妃になりました。当時、身分差のある婚姻は法律で禁止されていましたが、法改正してまで結婚したのだそうです。彼女は魅力的だったのでしょうね。
結婚してからは貞淑で、政治にも手腕を発揮したとか。 -
皇妃テオドラのモザイク画の向かいに、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスのモザイク画。
向かい合って描かれている、というのが印象的ですね。 -
「ユスティニアヌス帝と随臣」
大帝、と呼ばれた皇帝です。
かつてのローマ帝国の支配領域だった西地中海をほぼ回復したのだとか。 -
「ガッラ・プラチディア廟」
左手に開いた本、肩に十字架を負った聖ローレンスのモザイク。
この霊廟は、ローマ帝国最後の皇帝テオドシウスの娘ガッラ・プラチディアによって建設された、と言われています。
建物はレンガ造りの十字になっていて、それも見どころの一つです。 -
ドームの中央には、広大な星空の中でに黄金のラテン十字が描かれており、これは、昇る太陽のキリストの象徴なのだとか。
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ドーム型になっていて、しかもこの霊廟は全体的に薄暗く、本当に星空の下にいるような気持になります。
ただただ、ため息をついて見上げるばかりの時間でした。 -
現実に戻って、街を散策。
目にも美味しそうなパニーニ屋さんやピザ屋さんが多くて、迷います。 -
いったん駅に行き、翌日のフェラーラ行きの切符を購入しておきます。
このタッチパネル、すごく反応もいいしわかりやすいので旅行者にも嬉しいです。
2ndクラスで。
フェラーラまでは約70分ほど。 -
途中の停車駅が全部記載されているのが、ありがたい。
-
街の外れをのんびり歩いていたら、見つけました。
名前は・・・なんだったっけ。 -
引き続き街を歩いていたら、ジェラート店を発見。
イチゴとピスタチオ。
でもこの時、日中とはいえちょっと不安を感じるほどの寒さで。このまま北上するのはどうだろうと悩み、見つけたZARAで厚手のニットを購入。 -
さて、翌朝、フェラーラに到着。
まずはフェラーラのエステンセ城から。
「エステンセ」とは、エステ家の城、という意味なのだそうです。
フェラーラの街は、フェラーラ駅から徒歩20分ほどいったところにあります。
到着した時はまだ早かったため、お城近くのBARで甘いパンとカプチーノで朝食をとりました。 -
フェラーラを訪れたのは、ルクレツィア・ボルジアのお墓があるからです。
そしてこのエステンセ城は、彼女の夫アルフォンソ・デステの暗殺を目論んだ弟、フェランテとジュリオが長く幽閉されていた場所です。
また、ニコロ三世が当主の時代、彼の後妻パリジーナが、当主と前妻との間に生まれた息子ウーゴと不実の恋に落ち、斬首刑が執行されるまで幽閉されていた場所でもあります。 -
このお城には、天才と言われた料理人がいたそうで、その人が、「コース料理」の基礎を作ったのだとか。
当時、このお城で提供されたお料理を見てみたいですね。 -
裏路地のような道を通って、ルクレツィアが眠るエステ家墓所のあるコルプス・ドミニ修道院に向かいます。
地図を片手に静かな通りを進みます。 -
到着。
が。が!
門扉は閉ざされ、張り紙が。
行事により本日は一般公開いたしません、と。
ぎゃふん。
すごすご戻ります。
でも、この通り、中世のようで素敵。
ヴォルテ通り、だったかな。む。 -
静かです。
フェラーラの中心地なのですが、裏道になるせいか、観光客らしき人を見かけません。 -
スキファノイア宮殿
この「スキファノイア」というのは、「退屈しのぎ」という意味だとか。
エステ家の人々が余暇を過ごすために建てた別荘だそうです。お金持ちは発想が違う。
「12カ月の間」と呼ばれる部屋があり、各月の絵が描かれています。
写真は、6月の絵です。
自分の生まれ月を撮影したつもりが、気づいたら他の月の絵を撮っていました。疲れていたのね、きっと、うん、うん。 -
この標識の意味を知りたい。
連れ去りに注意とか、そういうのだろうか。 -
イチゴとチョコのジェラート。
これが、なかなか・・・私好みではなかった。
寒くて震えていたからなのか。より一層寒くなることがわかっているのに食べてしまう。 -
ロメイ美術館
ロメイ家の邸宅を美術館にしたものだそうです。
回廊の柱が美しいですね。 -
梨の木に登る、とかそんなんだったような。
7月を表現している・・・とかだったような。
記憶がおぼろです。 -
精肉店。
この、上から吊るされたハムたち! こんなにズラリと並ぶハムは、日本の精肉店ではなかなか見られませんね。
そして、見ているとお腹がすいてきます。 -
同じお店の、チーズ売り場。
さすがイタリア。種類が豊富。
お店の人に相談しながら、クセのないものを少しずつ何種類か選んで購入。ホテルで美味しくいただきました。
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旅行記グループ 2016年 イタリアに帰る
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