2023/09/12 - 2023/09/12
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hijunoさん
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久し振りに淡路島に行きました。
高田屋嘉兵衛の出身地でもあり、高田屋嘉兵衛の屋敷跡やお墓、また高田屋嘉兵衛に関しての資料を展示した顕彰館へ。
洲本八幡神社や淡路文化資料館、洲本城跡にも訪れました。
海に囲まれて、のどかで、時間がゆっくり流れているように感じました。
高田屋嘉兵衛が淡路島の出身ということは以前から知っていましたが、その波乱な一生を改めて知り、晩年は地元に戻り、
地元の発展にも寄与し、淡路島で過ごした最期は穏やかな時間だったのではなかったでしょうか。
また、今回、淡路島の歴史の一部、庚午事変、北海道への移住など、初めて知る歴史も多かったです。
洲本城跡は石垣も美しく、眺望も素晴らしかったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
イチオシ
明石海峡大橋を渡ります。
ひさしぶり~♪ -
海もおだやか。
キラキラ。 -
あっという間に淡路島へ。
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こちらで、よくお土産を買ったり、観覧車に乗ったり、食事もおいしかったなぁ~今回は時間がないので、パス。
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最初に、洲本の五色というところにあるウェルネスパーク五色という広い公園に来ました。
高田屋嘉兵衛の顕彰館があると聞いたので。 -
まず、こちら、五色ウェルネスパークへ。
スポーツ施設、宿泊施設、学習体験施設もあり、公園も広い。
高田屋嘉兵衛公園とも呼ばれています。
洲本の五色出身です。 -
確か公園の奥のほうに、高田屋嘉兵衛のお墓もあったと聞きました。
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高田屋嘉兵衛の資料館へ向かいますが、公園のあちこちに関係の植樹があります。
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高田屋嘉兵衛生誕230年には、ゴローニン事件の関係者、
高田屋嘉兵衛の子孫、ゴローニンやリコルドの子孫による植樹が行われています。 -
北方四島の住民による植樹。
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イチオシ
ゴローニンと高田屋嘉兵衛の像もありました。
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こちらはゴローニン事件解決後の200年を記念しての植樹。
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高田屋嘉兵衛生誕250年を記念して北方四島の住民との植樹。
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こちらが高田屋嘉兵衛顕彰館。
高田屋嘉兵衛に関しての資料が展示、説明があります。 -
入口にあった、ポスター。
兵庫津での商売も盛んとなり、どんどん海での商売が広がっていきます。
海上の商売の才能があったのですねー。
近藤重蔵に依頼され、国後島や択捉島の航路も開くなど、航路の開拓や海上の貿易、択捉島の開発にも携わっていきます。 -
港町の歴史の展示もありました。
顕彰館の中は撮影はできますが、ブログなどネットにあげることは禁止です、、と説明を受けました。
いろんな人に見えてもらいたかったので、ちょっと残念です。
高田屋嘉兵衛が苦労して豪商となるまでの歴史や自筆のもの、ロシアに拿捕されてからの様子やゴローニン事件を解決するらめにロシアと日本の仲介となり、リコルドとの信頼を深めていった様子、北方の海の貿易についてなど、沢山の資料や興味深い展示がありました。
ゴローニン事件のあと、ロシアに拿捕され、1年間という短い期間にロシア語を学び、またゴローニンの救出にあたったリコルドと住まいを同じにしてゴローニン事件の解決に協力するなど、貿易の才能のみならず、語学の才能にも驚きます。
また、とても豪快で人間味にあふれていた人柄がうかがえました。
そして、異国で囚われの身であっても、ポジティブで、賢く、豪快で繊細な性格だったと感じました。
全てはさいごに残るのは人間性ですよね。
ビデオでの紹介もありました。 -
見学を終えて外へ。
高田屋嘉兵衛をめぐってのウォーキングコースがあるようです。 -
公園から下って、高田屋嘉兵衛の屋敷跡というところを目指していますが、
途中、菩提寺が見えてきました。 -
大きなお寺のようです。
多聞寺。 -
高田屋のマーク?
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車がビュンビュンと通る路を徒歩で歩いていきます。
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こんな道標があるのですが、お墓は→、、、五色ウェルネスパークの奥にあるお墓のことかな。。
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淡路島と言えば、玉ねぎ!
甘い玉ねぎ、美味しいです。 -
もう、稲がこんなに実って、、暑いけれど、秋といえばよいでしょうか。
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高田屋嘉兵衛墓所という表示がありました。
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立派なお墓がありました。
新しいです。
高田屋嘉兵衛生誕230年のときにつくられたそうです。
墓碑とあります。 -
説明板によると、このあたりでは両墓制で、お墓は二つあるそうです。
石造五輪塔があり、裏に戒名が刻まれているそうで、その五輪塔を探して墓地をぐるぐる。 -
発見。
すぐ右上だったのですが、高田家の墓地と思われる中の奥のほうに古い五輪塔はありました。 -
下からも戒名が見えました。
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地元の人にも敬愛されていた高田屋嘉兵衛。
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お墓から、邸宅跡を目指して歩きます。
柿がたわわに。 -
古い道しるべもありました。
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生誕地の表示。
邸宅跡はどこだろう、、とキョロキョロ。 -
ちょっと見えにくいですが、このあたりかな。。
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近くに小さな表示がありました。
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細い路地を通って、
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記念館の表示がありますが、閉館していました。
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こちらが記念館だったところ。
閉館していました。
顕彰館ができたので、そちらに展示を移したそうです。
今は何の建物なんだろう。。。 -
すみに、土井福市さんの胸像があります。
高田屋嘉兵衛とゆかりのある方でしょうか。。 -
高田屋嘉兵衛の石像。
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史蹟 高田屋嘉兵衛屋敷の邸宅跡。
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イチオシ
とても広い屋敷跡ですが、どんなお屋敷だったのでしょう~。
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井戸が残っていました。
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説明板があります。
お屋敷、広かったのでしょうね~井戸が三つあったそうで、こちらはそのひとつ。 -
休憩するスペースがありました。
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大きな顕彰碑がありました。
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明治のころに建てられたものだそうです。
高田屋嘉兵衛の偉業の説明がありました。 -
そのお隣には忠霊塔。
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奥には神社も。
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高田屋嘉兵衛神社だそうです。
信仰の厚かった人のようです。
良く読めませんでした。。 -
洲本城跡のほうへ移動します。
通りに新しくできたカフェに寄りました。
おしゃれな雰囲気、スタッフの方が淡路島の情報も教えてくれました。 -
冷たいアイスコーヒーを一気に飲んで、元気回復。
美味しい入れたてのコーヒー。
暑い日でした~。 -
コンクリートのうちっぱなしで、お洒落なカフェでした。
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このあたり、洲本温泉があります。
海もすぐ近く。 -
遠くの山の上に、天守閣が見えてきました。
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ここにもお城の跡が。
先ほど、観たお城は洲本城の上の城。
こちらは、下の城と呼ばれる場所。
お堀の蓮の花がきれいでした。 -
良く読めないのですが、淡路出身の俳人、永田青嵐に句碑。
淡路の方言を用いたものだそうです。 -
稲畑汀子の句碑。
高浜虚子のお孫さんだそうですが、虚子と深い親交のあった淡路島出身の永田青嵐の縁で。 -
ここに、お登勢さんの像と、庚午事変についての説明がありました。
お登勢さん、、船山馨の小説をテレビドラマや舞台でもされた主人公。
淡路島の農家に生まれたお登勢さんは奉公していた洲本の加納家で奉公していましたが、庚午事変が発生し、北海道に渡り、苦労し、困難を乗り越えていったストーリー。
1870年、明治3年に起きた事変。
庚午事変は稲田騒動ともいわれていますが、徳島藩淡路島洲本で蜂須賀家臣の武士による騒動で、筆頭家老の稲田氏の別邸や学問所を襲った事件です。
稲田家は倒幕派、蜂須賀家は佐幕派と分かれ、幕末期の混乱を経て大きな事件となっています。
結局、両者とも罰せられ、蜂須賀家の家臣らは切腹や遠島の罰を受け、
稲田家は北海道への移住が命じられ、厳しい環境の中での生活が始まります。 -
淡路文化歴史資料館の前の表示。
藩庁の建物があったところ。 -
淡路文化資料館へ。
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建物はこちら。
なんだかお城の周りの雰囲気。 -
史料館の前に立派な建物がありました。
お寺だったともいますが。
こちらも稲田氏の屋敷跡。 -
やきものの展示もあるようです。
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洲本城の跡とあります。
洲本城は二つあって、ひとつは山の上の洲本城 上の城
もう一つは、ここ、下の城。
こちらの下の城はもともと、桃山時代の築城だったようです。
今の石垣や堀は蜂須賀氏が淡路の拠点を洲本に移した1630年以降に始まったそうです。 -
お堀の蓮には歴史がありました。
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こんな看板を発見。
古代の蓮が咲いているのですね。
種が生きていた、、、ふしぎです。 -
民話に登場する狸。
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石垣も古い時代のものに感じました。
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石垣、きれいな積みです。
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お城の説明。
山の上のお城と下のお城の二つがあったのですね。
このあたりは蜂須賀氏が治めていた平城でした。
1631年から1635年に築いたお城。
城下町も造られました。 -
そしてこちらが、淡路文化史料館。
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こちらも、撮影はできますが、ブログなどネットに載せることは禁止だと説明を受けました。
淡路島に関しての資料が多く、1階は自然について、恐竜ヤマトサウルスの頭骨の復元したものや、アンモナイト、化石、またお祭りのだんじりや人形浄瑠璃などの展示、原始古代から近現代までの淡路島の歴史についての展示もありました。洲本城に関する資料、洲本城下や庚午事変についての資料がありました。
2階は民俗の展示、高田屋嘉兵衛の北前船の模型、美術展示室には江戸時代後期の賀集珉平によって集められた淡路焼きの陶芸作品や淡路島出身の芸術科の作品や淡路島出身の文豪の岩野泡鳴の手紙など。
3階は淡路島で幼児期までを過ごした直原玉青記念美術館でした。
黄檗宗の禅僧でもあり、俳人でもあり、南画の画家でもあった人物です。
(パンフレットを参考) -
外にも石碑があちこちにありました。
こちらは淡路島出身の文豪、岩野泡鳴のもの。 -
こちらにも。
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史料館を出て、お堀に沿って歩きます。
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検察庁の建物もありました。
お堀が続きます。 -
足湯が近くにありました。
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暑いのですけれど、せっかくですから、足湯を。
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可愛い狸がいて、
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疲れた脚、癒されました。
ただ、汗だくです。笑
結構、熱かったです。。 -
すぐ近くに洲本八幡神社。
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起源は古く、8世紀の淳仁天皇の時代の創建、または縁起によると、990年に国司の藤原成家の創建ともいわれています。
藤原成家が困難にあったとき、進むべき道を示されたことから、開運開きの神様としての信仰があるそうです。
室町時代以降は洲本城 上の城を築いた安宅氏が神社に祈願したことからはじまり、徳島藩主の蜂須賀氏や洲本城代の稲田氏からも深いつながりのある神社。 -
左に見えるのが、大クスノキで、幹のまわりは、6.7m、健康長寿として信仰を集めているそうです。
推定1000年以上のもの。 -
拝殿。
前には沢山の灯籠が並んでいました。 -
古そうな灯籠には寛永の文字がみえますが、、江戸時代のものでしょうか。
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ちらり、本殿も見えます。
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こちらは柴右衛門大明神社。
この上の三熊山に住んでいた日本三大狸の一匹のタヌキ。
お芝居の神様として、藤山寛美や片山仁左衛門らからも信仰が深く、中座の閉館もあり、寄進により、洲本八幡宮に柴右衛門の祠が移されたそうです。
可愛いタヌキがいました。
芸能、商売繁盛の信仰を集めているそうです。 -
こんな可愛い地図もありました。
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神社の鳥居もみえます。
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白髭稲荷神社。
こちらにも、多くの灯籠が見えました。 -
石の祠。
古いもののように見えました。 -
イチオシ
八幡宮の中に、ひときわ上品な建物がありました。
金天閣と呼ばれる建物です。
玄関には、城主の蜂須賀氏の家紋が見えます。 -
洲本城の御殿の一部です。
書院と玄関のみが残され、あとは、明治になって、廃城となっています。
お城の関係の唯一の建物です。 -
イチオシ
素朴な造りですけれど、どことなく、品があり、、
下の城とよばれた洲本城のものだそうです。
江戸時代初期のもの。 -
中も見学してみたいと思いました。。
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気品のある建物です。
江戸時代初期のお城の建物として、貴重な建物だとおもいます。 -
国端彦護国神社がすぐお隣にあります。
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こちらも大きな神社でした。
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近くの警察署の敷地にはこんな看板がありました。
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上の城、、、洲本城に向かいます。
この旗をみて、脇坂氏の家紋だ、、、、と夫が言いました。
脇坂氏が城を治めていた時期があることを後から知りました。
近くに駐車場があり、あとは、徒歩で天守のほうへ向かっていきます。
坂道です。 -
整然と積まれてた石垣の坂道をいきます。
1526年に安宅氏により築城され、脇坂氏が治めた時期には、お城の大改修が行われ、天守がつくられ、石垣も大修理が行われたようです。
下のお城とのつながりの石垣、のぼり石垣もこのころ築かれたようです。 -
櫓台の跡も。
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思った以上に広い敷地でした。
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南の丸があったところ。
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険しい山の上、さらに石垣が連なっているので、攻め入るのは難しいように
造られているのがよくわかります。
こちらも古い石垣でした。 -
梅園とあります。
梅の季節は綺麗でしょう~。 -
イチオシ
どんどん奥に進んでいき、こちらから天守閣へ登れるのかと思っていましたら、工事中。
石垣がやはり危険な状態になっているところもあるのかな。。 -
このあたり、瀬戸内海国立公園にもなるのですね。
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植物も多い。。
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時間があれば、登山やウィーキングもたのしそう。
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こちらからも、登りたかったなぁ~とおもいつつ、道を戻ります。
とても急な石垣。
でも、きれいな風景でもあります。
のぼり石垣という、上のお城と下の城を結ぶ珍しい石垣があるそうです。
防御を徹底したお城だったのですね。 -
下から小さなお城かな、、と思ってましたが、広くて、石垣が沢山残っていて、驚きました。
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イチオシ
こちらから、天守へ向かいます。
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本丸の大石段。
その名のとおり、石段の歩幅が広い。 -
本丸虎口や、
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武者走台。
見張りの兵士が歩いたりしていたところでしょうか。
塀のようになってました。 -
本丸に来ました。
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見えてきました、模擬天守と天守台。
模擬天守は、昭和3年に鉄筋コンクリートでできたものだそうですが、
模擬天守としては、最も古いものだそうです。 -
ここにも、柴右衛門の説明。
柴右衛門はここ三熊山の出身。 -
イチオシ
こちらの模擬天守は天守を復元したものではないそうです。
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天守台に登ってみます。
洲本八景と。 -
イチオシ
海の美しい風景が一望。
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イチオシ
洲本の街並みも良く見えます。
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説明板。
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はるか、とおくまで見渡せます。
穏やかな海。 -
天守台へ。
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天守閣。
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天守閣の下から下を見下ろします。
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結構、高いところ。
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天守閣の下から、梯子の階段も見えました。
耐震の関係で上には上がれないそうですが、、、
残念です。 -
下にも建物が沢山あったのでしょう~。
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当時はどんな天守閣があったのでしょう~。
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案内図もありますが、広い敷地です。
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古く、崩れてしまいそうな石垣も。
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古い石垣が残っています。
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建物があちこちに。
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池も見えました。
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神社の鳥居もみえます。
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複雑にカーブしている石垣、敵を常に意識している強固な守り、脇坂氏の苦心がうかがわれます。
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石垣の保存も大変だろうなぁ~と思いつつ、駐車場に戻ってきました。
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またまた、明石海峡大橋を渡ってもどります。
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海の風景を楽しんで帰りました。
長い旅行記になりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(^^
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