2023/08/30 - 2023/09/01
681位(同エリア2618件中)
関連タグ
woodstockさん
- woodstockさんTOP
- 旅行記70冊
- クチコミ10件
- Q&A回答3件
- 94,737アクセス
- フォロワー12人
<日程>
■1日目 (8/30) :札幌~小樽 小林多喜二文学碑・カトリック小樽教会富岡聖堂
■2日目 (8/31) :小樽散策 三角市場・中央市場・小樽芸術村(ステンドグラス美術館・西洋美術館・旧三井銀行小樽支店・似鳥美術館)・日本銀行旧小樽支店巡り。
■3日目 (9/1) :小樽~札幌
小さな画面を指でこすっていた妻が「ぐうたび北海道」で、かつてのヒルトン小樽・『グランドパーク小樽』1泊朝食5500円の限定プランを発見。でかした!
妻を労い、スィーツなどの貢物を怠らないよう心掛けねばなりません。
朝食代が3025円なのでこれは画期的な料金です。
年金生活者にとって朗報で、福祉の心をもったプランに感謝であります。
おおお、これは行くしかありません=3
『小樽芸術村』
北海道に生まれ育てられたニトリグループが、長年のご恩に報いる手段の一つとして2016年7月に開設した「小樽芸術村」。
北のウォール街と呼ばれた『金融の街、小樽』。20世紀前半に建てられた国の重要文化財建造物や小樽市有形文化財5棟の歴史的建造物を活用し、収集した芸術作品展示を行う「似鳥美術館」「旧三井銀行小樽支店」「ステンドグラス美術館」「西洋美術館」の4つの施設からなるミュージアム。
入館料は一般で4館共通チケットが2,900円。障がい者とその介護者1名無料。
各館ごとは・西洋美術館1,500円・似鳥美術館1,500円・ステンドグラス美術館700円・旧三井銀行小樽支店 700円です。
文中解説は公式HPの収蔵品データベースから引用させて頂きました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
札幌→小樽 快速で約36分750円。到着が15:00。この日の気温32度。
西日が照りつける中、一人、小樽駅裏手の山の上にある、プロレタリア文学の礎を築いた小林多喜二文学碑を目指します。
小林多喜二と言えば、過酷なオホーツクの漁船労働者の姿と軍隊・財閥の内情を描いた有名な著書「蟹工船」でご存じの方も多いかと思います。
小樽駅北側の山道をたどって行くことができます。坂の街小樽は、急坂が多いです。 -
『地獄坂』
現小樽商大が開校した明治44年頃は周辺に住宅などの建物も、交通機関もなく、徒歩で坂を上って通学しました。
通学生を苦しめる坂ということでこの名前で呼ばれるようになりました。
地獄坂の終点には多喜二が通った小樽商業(現小樽商業高校)、小樽高商(現小樽商大)があります。
そんな地獄坂の急坂の山道を黙々と登って行きます。 -
商大通り(地獄坂)を小樽商業高校の横あたり、この看板を右折します。
-
静寂な道、行き交う車もまったくありません。こんなところでバッタリと倒れ行旅死亡人になってしまっては、果たして浄土に往けるでしょうか。根拠はなくても自信はある、おそらく、たぶん、きっと、おおかた、ひょっとしたら…
-
うっそうたる森の中を、高揚感だけで汗だくになって歩を進めます。
-
白樺などの木々に囲まれた道を登り続けること35分、突如看板が現れます。
-
旭展望台からすぐの駐車場脇、水飲み場がありました。
-
駐車場脇にはトイレもあります。
-
-
付近は山の森に囲まれ、民家なども見あたりません。
-
旭展望台駐車場脇から木製階段を少し上がった小高い場所に、ありました。
-
『小林多喜二文学碑』
標高190mの旭展望台駐車場の奥の小さい丘に堂々と鎮座する、作家・小林多喜二(1903年~1933年)の文学碑です。
昭和40年10月9日、弟の三吾、小樽高等商業学校の後輩伊藤整や碑の製作者本郷新らを迎えて除幕式が行われました。
多喜二は秋田県の釈迦内村(現大館市)の貧しい農家に住まれ、小樽で伯父が営んでいたパン屋を頼って明治40年、4歳の時に一家で移住。
苦学して小樽高等商業学校卒業後に銀行員(拓銀)になります。
一家の大黒柱として安定した生活が始まりました。
しばらくは平和な暮らしを送っていましたが、同時に日本が軍国主義を強めていた時代で、彼の周辺でも軍国主義を反する人物たちが次々と特高警察に連行され拷問を受けていました。保釈された知人等の証言を聞き彼はペンの力で戦おうと決意。拷問の残虐さを克明に描いた『一九二八年三月十五日』という作品を書き上げました。この本は、その過激さ・批判性から当時発禁処分となり弾圧、彼自身も逮捕されるほどでした。
このことを作品として発表したことで特高から恨みをかうことになります。この後1929年・26歳の時に書いた『蟹工船』『不在地主』は発禁処分に。これらを書いたことで拓銀はクビになり、1930(昭和5)年に東京へ。どちらも軍隊や警察・財閥の実態を告発するような内容だった為、特高警察に常にマークされて何度も逮捕される事態になりました。そして、発売から約4年後の1933年にスパイに密告されて逮捕され、3時間の激しい拷問で亡くなりました。享年29歳という若さでした。 -
この斬新な文学碑をデザインしたのが著名な彫刻家である本郷新氏。
文学碑は、幅6m、高さ4m。アズキ、グレー、赤など彩りの違う登別硬石を積み重ね、本を左右に広げたような形をしています。左上には北斗七星と北極星のアクセント。
制作依頼を受けた本郷は、この年の夏に完成した小樽・春香山のアトリエでの初仕事として、これまでにない文学碑にしようと精力的に制作に取り組みました。制作構想について本郷は、「多喜二は働く人々の幸福を求めて立ち、それゆえに命を奪われた文学者であるから、私はこの文学碑の中にひとりの働く若者の頭像を中心的な像としてはめ込むこととした。そうすることで、この文学碑を他の文学碑と区別する手がかりとした。そして多喜二の肖像は造型的には二義的なものとして扱った。(中略)多喜二がその郷里小樽の街と人々を愛する思いを連ねた美しい言葉を、大きく壁にはめこむこととした」と語っています。 -
迫力ある頭像はインパクト大で、一瞬、多喜二のデスマスクかと思ってしまいます。『蟹工船』に登場する、北洋の海で働く男をイメージしたものだそうです。少し不気味ではあり、夜はちょっと怖そうです。
-
右上部にあるのが多喜二の肖像レリーフ。
-
『碑文』
多喜二が獄中から友人の妻村山籌子に宛てた手紙の一部。昭和5年11月11日の日付。籌子の夫、村山知義は劇作家、演出家、小説家で、社会主義活動に関わった時期があり、籌子自身は童話・童謡作家でした。昭和5年といえば同じく童謡作家の「金子みすゞ」が死没した年でもあります。籌子は、夫だけでなく、小林多喜二や中野重治など獄中にあった作家を、心身ともに支え続けたようです。
冬が近くなるとぼくはそのなつかしい国のことを考えて
深い感動に捉えられている
そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある
そこでは人は重っ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている
ぼくは何処を歩いていようが どの人をも知っている
赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上がっている街を
ぼくはどんなに愛しているか分からない
多喜二の小樽愛が感じられます。 -
彫像はいったい何を見つめているのでしょうか。
牢獄から外の世界を見ているようにも見てとれます。 -
裏側から、木漏れ日が照らす文学碑を見る。
-
-
『小林多喜二年譜』
一九0三年秋田に生まれ 四
才の時小樽へ移住 小樽商業
小樽高商をへて拓殖銀行に勤務
し かたわら「クラルテ」など
によら文学活動に入る一九三
0年上京 日本プロレタリア作
家同盟に加盟 のち書記長
一九三一年日本共産党に入党
一九三三年二月二十日築地警察
署に逮捕され拷問を受けて死亡
代表作
防雪林 一九二八年二月一五日
蟹工船 不在地主 工場細胞
転形期の人々 党生活者
昭和8年2月、小林多喜二が拷問死したとき、籌子は「タキジ コロサレタ」とハンドバッグに白墨で書きつけ、危険をかえりみず、獄中の夫に秘かに知らせたそうです。
年譜の最後「1933年2月20日築地警察署に逮捕され拷問をうけ死亡」が重いです。 -
現代では「蟹工船」が再評価され50万部以上のベストセラーになり、映画化もされました。私は、「若者たち」の山本圭主演「小林多喜二」(1974年)を観ました。現在の格差社会や派遣切り、ブラック企業に通じるということで、当時の過酷な労働環境を描写した「蟹工船」がブームとなったのかもしれません。ただ、「蟹工船」を読んだ方ならよくわかると思いますが、当時の過酷な労働は、現代の比にはならないほどひどいものだったようです。
労働者の過酷な現実をペンの力で変えようとしたプロレタリア文学の代表作家として今後も語り継がれる事でしょう。
文学碑のある場所は広く抜けた敷地で、片隅にベンチがぽつねんとあります。 ここに座って、癒される森と野鳥の声に耳を傾けながら、多喜二の生きた時代の、過酷で、同時に若い命を燃やし続けた想いを馳せるのもいいですね。
多喜二の母セキが自分の思いを語り聞かせる形で書かれた、三浦綾子の「母」を読み直してみたくなりました。
「母さん、おれはね、みんなが公平に、仲よく暮らせる世の中を夢見て働いているんだ。恥ずかしいことは何一つしてないからね。結婚するまでは、タミちゃんにだって決して手ば出さんし…だから、おれのすることを信じてくれ」そう言ってね、わだしが、「多喜二のすること信用しないで、誰のすること信用するべ」って言ったら、うれしそうに笑っていた。その死が母をイエスキリストへの信仰へと導く。この親にしてこの子あり、多喜二とその恋人タミの純愛…、多喜二とイエスが重なる三浦文学の最高傑作です。 -
さ、想いを巡らしながら山道を戻ることにしましょう。
-
途中、小樽市内を一望できます。
-
『カトリック小樽教会富岡聖堂』
地獄坂から少し奥まったところにポツンと佇んでいます。
外観は長崎の大浦天主堂などを模して設計されたと思われ、赤いトンガリ屋根と八角堂の鐘楼がある特徴的な建物は、中世ロマネスクとゴシック様式が混在しています。 -
-
1929年(昭和4年)の建築で、小樽市指定歴史的建造物です。
-
見どころは、礼拝堂の大窓にあるステンドグラス。
建築当初からの古いもので、シンプルな幾何学模様。漆喰の白壁に、やわらかな光が差し込む様子は神々しく、癒される空間になっています。
ステンドグラスには色々な種類のガラスが使われていて、ピンクや黄色、緑などの細かい凸凹のあるガラスは日本国内ではもう作られていないそうです。 -
聖堂は、信者でない方も自由に入ってお祈りや見学ができ、教会としては目珍しく、礼拝堂内での写真撮影も自由だそうです。
事前に下調べをしてなかったので、見学できることは知りませんでした。
ただ、旅行するのに、やけに詳しく調べてから出かける人もいる。
よく勉強している。それはいいのだが、そういう人に限って、行く先で、「あった!あった!」を連発し、それらを「確認」して旅は終わる。
それだと自分の「発見」がないように思うのだが…
余談ですが、キリスト教のカトリックとプロテスタントの違いをご存じでしょうか。
カトリック教会には「神父」がいて、「汝の罪は赦された。二度としないように…」と言ってくれます。それを聞いて、信者は安心できます。カトリックにおいては、神父はゴッド(神)の代理人です。免罪符(寄付)によって罪は免れる。神からお金を預かって増やし、そうして再び神にお返しをする。それがキリスト教・カトリックのあり方です。だからキリスト教では、金儲けをしてはいけないなんて言いません。金を儲けて、そしてみんなのために使いなさい。そして、お金も、我が身体も、才能も、地位も、家族もまた、すべてが神のものであり、神から預かっていると考えるのです。
ところが16世紀、マルティン・ルターは、我々は心からの悔い改めで救いに至るのであって免罪符の購入で神の罰を免れるわけではないとした宗教改革から成立したプロテスタントには神父はいません。
プロテスタント教会における聖職者は「牧師」であって、信徒の指導者です。ですからプロテスタント教会においては、罪を犯した信者は自分でゴッドの赦しを請わねばなりません。神父のように、「汝の罪は赦された」と言ってくれる人がいないので、プロテスタントの信者は、できるだけ罪を犯さないようにします。禁欲的になるわけです。そして、金銭は悪魔からの誘惑だから、金を儲けてそれで贅沢すれば悪魔に誘惑されたことになる。だから、プロテスタントの人々は、できるだけ浪費をしないように心掛けます。
また、カトリックにおいては原則的に解釈権の問題は生じません。なぜなら、カトリックでは聖書の解釈権はヴァチカン、すなわちローマ法王にあるからです。一般の信者が何を言おうと、ローマ法王の解釈が絶対なのです。ローマ法王と異なる解釈に固執していれば、最終的には破門されてしまいます。カトリックはローマ法王に解釈権を独占させることによって、信者間の相違を防いでいるわけです。ところが、プロテスタントはそのようにはいきません。プロテスタントというのは、このローマ法王の独占的解釈権を認めず、聖書の解釈権はキリスト教を信じる信者ひとり一人にある―と主張して成立した宗派なのです。プロテスタントでは、みんなそれぞれ自分流に聖書を解釈することが許されます。そのため、プロテスタント各国では、それぞれの自国語で訳された聖書が生まれました。それゆえ、プロテスタントは色々な宗派に分かれてしまいました。多くの人が自分流の聖典の解釈を始めると、そこに自分の都合が入り込みました。聖典の中に今の自分を否定するくだりがあるとき、悔い改め再出発するよりも、ついつい身勝手な解釈をして悪あがきをしてしまうのですね。 -
さすがに歩くのに疲れました。3分間闘った後のウルトラマンのようです。ホテルに向かうことにします。
小樽駅→小樽築港駅まで250円、二つ目の駅です。
小樽築港駅の南口広場には「小林多喜二住居跡」の碑が建っています。
三間の家の一間を店にしてパンや大福などを売って家族六人は仲良く暮らしていました。
『ウイングベイ小樽』小樽築港駅と直結した商業施設、その中にホテルがあります。 -
ショッピングモールの中を通って進むためアクセスがよく、濡れずに行けます。ただ、モールが閉まる時間は通り抜けができませんので、外の歩道を歩くことになります。
ウォーターフロント計画として1999年、大型複合施設「マイカル小樽」誕生。敷地12.8万㎡、延べ床面積34万㎡、全長600m、事業費600億円(内小樽市負担142億円)、店舗数120、5000台駐車という、国内最大級のとんでもない規模の施設です。 -
開業当初は、「ヒルトン小樽」、アウトレット、レストラン街「海のルネッサンス」、石原軍団の施設「石原プロワールド」、吉本興業の「小樽よしもと」、映画館・ボウリング場などアミューズメントやイベント関連の施設などが集まり、巨大な噴水ステージもありました。
-
しかし、2001年、僅か3年でマイカルやヒルトンが経営破綻した。
負債総額492億円。
2003年、『ウィングベイ小樽』と改称して再スタート。 -
現在は、イオンやニトリやホームセンターの大型店が出店している他、種々雑多なテナント、携帯電話各社などのショップや、小樽唯一の映画館が残ったが、閉店した空スペースも多い。
-
『グランドパーク小樽』
かつての「ヒルトン小樽」が、「グランドパーク小樽」としてリブランド営業 。シンガポールに本社を置く外資系ホテル、パークホテルグループ。ホテル棟にて客室は7~18階、296室を稼働している。 -
ペットも泊まれるホテルです。
駐車料金は1泊1750円と高いです。 -
巨大噴水ステージの跡。
-
2階のショッピングモールで妻と合流という流れです。
専用階段でホテルエリアに降ります。 -
おお~床一面が大理石です。ヒルトンの名残がそこかしこに。
-
フロントは1階です。
-
EVを降りると、廊下はムッとする臭い、タバコ臭か?
部屋は1313号室でした。いえ、別に数字には気にしません。たとえ4989であろうと…全然、たぶん、きっと。 -
32㎡の広い部屋です。
ベッドはセミダブルで、スプリングが少し硬い気がします。
掛け布団がちょっと重かった。窓も開きますしエアコンも入っているので、もっと薄くて軽い布団でよい気がします。部屋着も浴衣で、このあたり、全室交換となると大変で、やむにやまれぬ事情があるのでしょう。 -
ベッドはSIUMBERIAND製。初めて聞くメーカーです。
1919年英国に誕生以来、理想の眠りを追い続け、初のスプリングマットレス製造を開始し、1940年代には英国王室御用達の栄誉を授かった老舗ベッドブランドなんだそうです。「人生に贅沢な時間をもたらす空間へ」をテーマに、最高品質のベッドを生み出しているとのこと。
きっと贅沢な時間を提供してくれるものと期待。「まどろみの国」で英国王室の夢を見ることにしましょう。 -
部屋にコーヒー&コーヒーメーカーがありますが、ミネラルウォーターのサービスはありません。 ですが、1階、エレベーター前に電子レンジと冷えたレモン水のポットがあります。このレモン水に助けられることになるとは、この時思いもしなかった…
-
空気清浄機も設置されていました。なぜだか部屋には電話機が2台、配置されています。
-
お風呂・洗面も広々で、清潔感のある室内です。
-
ホテルに大浴場はありません。が、近隣に大浴場があって、入浴料1200円のところ、ホテル宿泊者は700円で利用可と聞きました。
-
各種アメニティも十分揃っています。
-
「一夜十起」という四字熟語がある。一晩に10回起きることである。さあ、何を連想しますか?それによって、あなたの知性と品性がテストされます。
実は、就寝中に突然、足がつり、その痛みで何度も目が覚める事態に声も出ない。
ふくらはぎ、足の裏、指、次々と拠点を変え左右の脚に激しい痛みが連打で襲いかかる。その度に水分を摂りながら、筋肉のけいれんが治まるのをただひたすら待つ…。水道水ではない水を求めて右往左往し、都合3Lくらいの水を飲んでしのいだ。水とともに生きるサントリー、否、水とともに生きる植物人間とは私のことです。トイレにも起こされ、「贅沢な時間」を過ごし、英国王室の夢どころか、まったく寝た気がしなかった。酷暑の中、熱中症や足を酷使したり水分補給を怠ったことで油断をこきました。特に年寄りには「水分補給をあなどってはいけない」←戒めである。年は取りたくないものである。つるかめ つるかめ。
さて、翌日(8/31)です。
海側の部屋でしたので、ヨットハーバーの光景は壮観でした。ヨットは1艇ウン千万円、係留費などの維持費、使用頻度…など考えるとリッチ度は車の所有の比ではありません。 -
2階、レストランでの朝食バイキング。
-
サバの塩焼きがふっくらとした焼き加減で塩加減も絶妙な味付けで美味しかった。翌日のサケの塩焼きも同様、ふっくらとして、塩加減も絶妙な味付けでした。ニシンの切り込み、松前漬けなどもしょっぱくなく、塩加減には気を使っている気がします。無水鍋で炊いたお粥がとても美味しく、お代わりをしてしまった。豪華ではないものの、私は満足でした。
-
小樽築港駅→小樽駅に向かいます。
-
『三角市場』
小樽駅のすぐそばにあります。土地と屋根が三角の形をしていることから名付けられたそうです。 昭和23年頃、小樽駅前において7~8軒の露天商がお店を出したのが始まりです。 -
鮮魚店や海鮮を楽しめるお食事処が軒を連ねています。海鮮丼の食堂はほぼ満席でした。
-
ここは市場ならではの雰囲気と活気があります。鮮魚はいかにも新鮮で立派です。が、いかんせん札幌の「二条市場」や「場外市場」同様、観光客目当ての目が飛び出るくらい値段もご立派です。
-
『担ぎ屋さん』
三角市場からさほど離れていない所にある「中央市場」にやって来ました。昭和の時代、「担ぎ屋」さんと呼ばれた女性の方の展示。女性と言ってもギャルやおばさんではなく、おばあさんが多かったですね。小さなおばあさんが、魚や野菜など大きな重い荷物を背負って行商していたのを思い出します。実際には、おばさんだったのでしょう。私の子どもの頃は、50歳を過ぎた大人は相当に老人でした。皺だらけでよぼよぼのお爺さん、お婆さんでした。昔の人はそうでした。年齢以上に見えるわけです。働き者の女性たちでした。 -
『昭和の佇まいを再現』
主の声が聞こえてきそうです「どうだ元気か。そうか、一杯やるか…」
中央市場は、営業している店も少なく、寂れ、人通りもなく活気はありません…。昔ながらの市場なので、けっこう雑然とした寂しい雰囲気です。 -
『旧国鉄手宮腺』
北海道で最初に開通した鉄路の一部で、三笠市の幌内炭山から石炭を港のある小樽市へ運ぶため1880年に 敷かれた線路です。1985年に廃線となり、当時使っていた線路や踏切、遮断機を残し、寿司屋通りから小樽市総合博物館までの約1.6kmの散策路として生まれ変わりました。 -
運河へ向かう途中、古民家の前に佇む人力車を発見しました。
-
『木造下見張りの家屋』
小樽は大正・昭和時代のレトロな面影が、至る所に残っています。 -
レンガ造倉庫の小路を進む人力車もまた風情があります。
-
『人力車』
運河近くには人力車乗り場があります。客引きの車夫は、日に焼け、赤銅色を超えて黒褐色です。私は、日本人でこれほどまでに黒い人は見たことがありません。太いハムストリングスといい、さながら闇に紛れるバットマンのようです。そのエキゾチックな彼が壊れた蛇口のように淀みなく喋り「2時間、1時間、…では15分4000円からなんですが、いかがですか?」と迫ります。ジジイではありますが、歩けないならまだしも、人に走らせ乗せられて見物する申し訳ない後ろめたさのためらいや、東南アジアなどに移住しお手伝いさんを雇ったりといったことにはちょっと抵抗感のある世代であります。
そういえば、『母』の文中、多喜二が学校で「自分の夢」っていう題での綴り方で、「母さんば人力車に乗せてやりたいです。これがぼくの夢です」って書いていたとのシーンがありましたね…。 -
「小樽芸術村」は近くに固まっています。 パンフに所要時間は、
ステンドグラス美術館:約30分
西洋美術館:60分
旧三井銀行小樽支店:30分
似鳥美術館:60分
とありますが、美術好きな方はとても足りないかと思います。
-
『小樽芸術村 ■ステンドグラス美術館』
手前建物・旧荒田商店は、本店事務所として1935年、建築されました。奥建物・旧高橋倉庫は、1923年、小豆を保管する倉庫として建てられました。内側の骨組みを木で作り、外壁は石を積み上げて作る「木骨石造」と呼ばれる建築構造です。この構造は、防火性が高いことから、火事の多かった小樽の倉庫でよく用いられました。外壁の石は小樽近郊で採石される「小樽軟石」です。
ギャラリーは奥の旧高橋倉庫、期待が高まります。 -
19世紀から20世紀のイギリスで造られたステンドグラスは見事なものでした。
描かれた物語の多くは旧約聖書や新約聖書が題材になっていて、元々は文字が読めない人々が聖書の物語を理解してもらう役目のステンドグラス。
近年イギリスでは諸事情により、多くの教会が取り壊されてしまいましたが、これらの作品は破壊を免れ、時代の流れの中で数奇な運命を辿り、日本へやって来ました。ステンドグラスに描かれた図像や文字には、ヴィクトリア女王の統治していた華やかな時代からエドワード朝時代、そして第一次世界大戦へと進んでいくイギリスの歴史が凝縮されています。
作品が際立つよう、室内の暗さも計算されています。 -
1階には18点の展示、2階に17点の展示がされています。
これらは宗教的なテーマをモチーフにしていますから、キリスト教に詳しい方なら、より楽しめるでしょうね。
余談ですが、イエスはキリスト教とは何の関係もないのをご存じですか?
イエスは「奇蹟」を見せ、自分は神の言葉を伝える預言者であると、人々の心を引きつけました。ユダヤ教会は、異端・異教だと否定し、イエスをユダヤ教の教義に盾突いた反逆者・「政治犯」として十字架に架けて処刑してしまいました。当時は、十字架刑は政治犯に対する処刑であり、宗教的異端者に対しては石打ち刑で処刑することになっていました。歴史的事実として、ユダヤ教会はイエスを神・宗教者とせず、人間と見て、死刑にしたのです。刑死後三日目に生前そのままの姿を現し、あの方はやはりユダヤ民族の救い主だったのだ…と“復活”の信仰が広まり、神の子・キリスト・救世主・メシアと呼び、“イエス・キリスト”といえば、「イエスという名のキリスト(救世主)」ということになる。紀元3年の暴君ネロに始まった迫害や暴虐にも関わらず根強くユダヤ人の間で受け継がれてきているイエスなる人物への信仰心に目をつけた時のローマ皇帝は、イエスをうまく利用して「神の子」に祀り上げ、ローマの国教とすることで人々の心を捉えて手中に収めようと陰謀し、325年の通称ニケーア公会議で、大混乱の中採決した。実際は、イエスの神性(霊・輪廻転生)の思想を削除し、霊媒と聖職者とを分離し、霊媒も追い出してしまいました。その原典・バイブルも、世界各地の神話伝説から都合のいいものを借用し、でっち上げ・捏造し、書き改めと書き加えが重ねられ、今日の新約聖書27書になったのは、イエスの死後300年経った4世紀末のことです。
つまり、イエスは彼の死後に発生したキリスト教とは何の関係もないのです。 -
『磔刑図』
素養の違いで楽しめる深さがかなり違ってくるかと思います。美しさとそのテーマとする物語、それが一致してこその鑑賞ができれば最高ですね。 -
『十字架のキリスト』19世紀末。
十字架刑は苦痛が大きいとされています。両手に釘を打たれ、両足を重ねておいて釘が打たれます。両手に架かる苦痛を軽減するために足に力を入れると、足に激痛が走ります。足の苦痛を少なくしようとすれば、両手の苦痛が増大します。イエスは午前9時ごろに十字架につけられ、午後3時ごろまで、6時間もそうした苦痛のもとにありました。彼が十字架の上で息を引き取った時、そこには弟子たちの姿はありません。弟子たちは全員イエスを裏切って逃げ去って行った。イエスは孤独のうちにゴルゴダの丘で十字架の上で死んでいったのです。 -
『キリストの公生涯』1875年頃。
こちらは両足を重ねずに釘が打たれていて、史実とは違います。 -
『最後の晩餐』1901年頃。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があまりにも有名で、それを模したものでしょうが、イエスの時代はまだテーブルと椅子での食事はされていません。土間に車坐になって食事を摂るのが日常的でした。 -
『北運河』
運河が当時のまま残され、北海道の玄関口として栄えた古き良き時代の小樽が残っている場所です。 -
『小樽芸術村 ■西洋美術館』
小樽運河に面して建つ1925年築の旧浪花倉庫を活用した美術館です。1880年代~1900年代にかけ、欧米で制作された彫刻・ステンドグラス・家具・調度品・ガラス作品や陶磁器等々が展示されています。 -
ステンドグラスや19世紀末に活躍したエミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネ・ラリック、ガブリエル・アージー・ルソー、ヴィクトール・アマルリック・ワルターらのグラスは圧巻です。アールデコ、アールヌーヴォー当時の家具インテリアなど西洋美術品が並びます。コレクション展示の豊富さから、時間をたっぷりとりたいものです。
-
美術館に入るとアール・ヌーヴォーやアール・デコの照明器具からガラス製品、彫刻にマイセンの陶器、家具に至るまで、期待に違わぬものすごい物量です。並んでいるガレやドームやラリックなど大好きな作品を1つ1つ見ていくと時間が経つのも忘れて見入ってしまいます。
-
アールヌーボーとアールデコの作品群。
-
美しい陳列台で作品が埋め尽くされています。
-
『GRANDE NUE SDCLE LIERRE』ルネ・ラリック
-
アナトール・フランスの小説「舞姫タイス」に登場するアレキサンドリアの遊女タイスが題材。ヴェールをまとって踊るタイスの姿が、官能的かつ幻想的に表現されている。ルネ・ラリック。
-
2013年秋に訪れたパリ。アマル橋からセーヌ川沿いの並木道に沿ってルーブル方面に歩いていくと、まもなく「ラリック邸」があります。外壁は、アールヌーボーの余韻も感じさせる象徴的な植物紋様です。
-
アール・ヌーヴォーのガラス工芸作家ラリックが、自邸の扉をデザインしています。ガラスに浮かぶ葉や枝がそのまま壁まわりのレリーフにまで連続している、とても美しい扉でした。
-
『エミール・ガレ』
-
もし、「どれか一つ差し上げます」と言われたとしたら…
随分迷いましたが、妻は、右下のガレの淡いピンク色のランプ『タイトル不詳』を選び、私は、左上のドームの珍しい青色のランプ『湖水風景文ランプ』をいただくことにしました。「お目が高い、只者ではないな お主」天からそう聞こえます。幻聴でしょうか。お持ち帰りはできないそ~です。きっと後日届けてくれるのでしょう。気長に待つことにします。 -
やわらかい曲線、微妙な色合いがなんともいえません。
-
様々なランプの競演。そのどれもこれもが美しすぎて、心奪われてしまいます。ここに並んだランプだけで一体いくらになるのだろうかと考えてしまいます。ニトリの財力、恐るべし…
-
逸品ばかりでアールヌーボー好きな方には必見のコレクションといえそうです。
-
『蝶、蜻蛉とスミレ文花器』ドーム兄弟
-
左から、『蜻蛉文ランプ』『蜻蛉文花器』『蜻蛉と水生植物文水差し』ドーム兄弟
-
エミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネ・ラリックなどの世界を堪能しました。
-
『聖書と聖人たち』19世紀イギリス。
同じ教会に展示されていた12枚のステンドグラス、圧巻です。 -
家具や美術品をテーマ別に部屋ごと展示するエリア。
-
『陶板入りキャビネット』マイセン
キャビネットの引き出しや扉に金具で陶板が嵌めてあり、農村の風景を想像させる絵が1枚1枚に精密に描かれています。 -
『マイセン陶磁器』
2階に展示しています。 -
『ハーレークィーン』『道化師』『エスピウス』『ピエロ』
-
『羊と人間』
こんな複雑な形の作品が作れるとは、質感がみごとです。 -
-
『アール・デコの間』
-
『アール・ヌーヴォーの間』
歴史を感じさせる木彫。超高級家具が並んでいます。 -
アール・ヌーヴォーの特徴、独特な曲線の細かい細工は見事です。どれも豪華で、ため息しかでません。圧倒されるような展示の数々でした。後ろ髪を引かれる、切なさを感じながら次へと向かいます。誰ですか?後ろ髪などない坊主頭のくせにと、おっしゃるのは?でもあれです、おっしゃる通りでございます。いやあ恐れ入りました。
-
『出抜小路』
明治・大正期の街並みをイメージして建築した屋台村だそう。なんだかなあ… -
『小樽芸術村■旧三井銀行小樽支店』
1927年(昭和2年)築。明治末期から昭和初期にかけて「北日本随一の経済都市」と呼ばれ、最盛期は25行もの銀行が営業していた金融の街小樽。小樽の繁栄を象徴する、重要文化財指定の建造物。ルネサンス建築の重厚な石積みの外観と、優美な装飾がちりばめられた内観。2002年まで『三井住友銀行小樽支店』として営業していたそうです。 -
どど~んとした大金庫室があり、扉の厚さがすごい。
-
タイミングよく、吹き抜けの天井をスクリーンにした、ちょっと意味不明?の7分のプロジェクションマッピングを上映。
-
吹き抜けになっていて、周りを取り囲む回廊になっている営業室の形式は、20世紀初頭の銀行建築の特徴だそうです。
-
2階の回廊からロビー・営業室の風景を望む。吹き抜けフロアの開放的な空間は、2階から取引等を監視するにも適していたそうです。銀行各社の統廃合の遍歴一覧年表を展示しています。私は、銀行には縁がなかったが、人とのご縁に恵まれた人生でした。きっとここも将来、美術品のミュージアムとして活用するのでしょうか。
-
『地下貸金庫室』
牢獄のようでもあります。金庫は米国モスラー・セーフ・カンパニー社製。 -
シュールな空間で、現代アートみたいです。
-
『小樽芸術村■似鳥美術館』
建物は1923年(大正12年)築の初期の鉄筋コンクリート造。
小林多喜二が勤めていた旧北海道拓殖銀行小樽支店。
以前はホテル『ヴィラントオタル』として営業していたそうです。
4階は、大観、玉堂、文晁、若冲、北斎などの日本画、37点を展示。
3階は、劉生、シャガール、ルノワール、ビュッフェなど国内外の洋画、40点を展示。
2階は、高村光雲と弟子たちによる木彫、棟方志功など18点を展示。
地下は、企画展示で、※ガンダーラ美術、薮内左斗司を展示。
※ガンダーラ美術は、西洋風の容貌をした仏像が有名な石彫美術で、インドの宗教とギリシャ・ローマの造形美術とがガンダーラの地(現パキスタン)で融合したことからその名がつけられた。写実的・リアルなのが特徴で、特に釈迦苦行像などが有名です。
※1階以外は撮影禁止。
これら小樽芸術村の展示品は「お値段以上」のニトリの創業者・似鳥昭雄が収集していたものです。小樽観光の中心は小樽運河とは思いますが、私は『小樽芸術村』だと自信を持って推薦します。芸術に造詣の深い似鳥氏に感謝です。いかなる称賛の言葉を浴びせたらいいのだろう。ありったけの賛辞を呈したいのである。小樽の地で世界の財産を拝見できる幸せ!しかも、4館共通券2900円という破格。しかし、ニトリには、いったいどれだけ財力があるのだろうか?そして、ニトリに、学芸員や鑑定士枠で採用された社員や担当部局があるのだろうか?などとあらぬことを想像してしまいました(笑 -
1階は、『ルイス・C・ティファニー・ステンドグラスギャラリー』
ルイスは宝飾ブランド「ティファニー」創設者の跡取り息子。宝飾デザイナー、ガラス工芸家として活躍し、アメリカにおけるアール・ヌーヴォーの第一人者として知られる芸術家です。
ニュージャージー州のジャージーシティにあるセント・ジョーンズ・エピスコパル教会に納められていたものです。
1つ1つの作品の柔らかい色に引き込まれて目が離せませんでした。HPには、オパールセントガラスや虹色輝くファブリルガラスなど、創造的なガラスでアールヌーヴォーを牽引した、ルイス・C・ティファニーの代表的な教会ステンドグラス作品を展示。100年以上の時を超えて、再び小樽で光り輝きます」とあります。「オパールセントガラス」とは、ルイス・C・ティファニーが、19世紀に開発した素材。ガラス原料の中に動物の骨灰(リン酸塩)、フッ素、酸化アルミニウムなどを混ぜ、成型時に急冷、再加熱をしてできる半透明な乳白ガラスで、光の角度により虹色を発色するそう。様々な新しいガラスを開発し、技法を駆使して作品を作り上げたそうです。
その世界は光に包まれています。まるで教会の中にいるみたいです。目にした瞬間、超芸術の世界にグイと入り込みました。どんなに素敵な教会だったのでしょうね… -
1871年に建てられ、1994年に閉鎖された『セント・ジョーンズ・エピスコパル教会』のステンドグラスは、1997年に教会から外され日本に来たそうです。教会の祭壇の背後に設置されていた最も重要な作品。中心の大きなパネルは「善き羊飼い」を描いていますが、これはキリストを表しています。キリストの背景には「希望」をイメージさせる明るく輝く空があり、周囲の暗い茂みと対照的な印象を与えています。向かって左のパネルは大天使聖ガブリエルによる、マリアへのお告げ「受胎告知」があります。マリアは寝室でイザヤ書を開いています。その反対右側のパネルにはマリアとヨセフそして幼子イエスの「聖家族」が主題となっています。救い主が生まれた事を知らせる星が粗末な厩の上に輝いています。
どれもこれも精密で美しく、素晴らしさに舌を巻きます。 -
『十字架の天使』1900年作。
その美しさに衝撃を受け、いささか興奮してしまいます。
これは凄いです、凄いというより物凄い。
神が宿っているような気がしてくるのです。
ヨーロッパのステンドグラスとは、なんか違った印象ですね。
縁取りはあるけど、ガラスの色のグラデーションが見事で、驚嘆。
息をのむような美しさで、実に見事、言葉を失います。
古河原泉さんの絵画のような適材適所に良い色が置かれていて、それが絶妙です。
色鮮やかで上品な美しさに圧倒され、一瞬立ち止まって息を止めてしまいます。
1枚1枚の羽根に合わせて多くのガラスが使われたと思います。羽根の部分のヘリンボンガラスの発色、ぼかした色合いが何とも言えず、質感がすばらしいです。
何枚ものガラスを重ね、複雑な色彩に変化させ、風景に奥行きを与えるような遠近感のある背景が創り出されています。天使の白い衣装はオパールセントガラスが神秘的な輝きです。布が波打つようなドレープを描き、立体的に表現されています。 乳白のオパールガラスの背後にはブルーのガラスが重ねられ、強い光を通すと深い青色に発色し、光が当たるとガラスの表情が変わります。 -
『四福音書の窓』
ギャラリーの一番奥に鎮座しているのがこのステンドグラスです。
中央には聖書台に乗った聖書が描かれ、そこから発せられた光が、周囲に広がっていくさまが表現されています。下部は聖書の四福音書を記した福音史家の、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの象徴が描かれています。
解説を読みながら、自分の目で鑑賞する贅沢な時間でした。(音声ガイダンスで説明を聞くこともできます。) -
2階部分に回廊が張り巡らされている造りは旧三井銀行小樽支店と同じで、当時の大銀行の特色です。目線に合わせて展示されており、じっくり鑑賞できます。一つの教会のステンドグラスを丸ごと日本に持ってくるとはすごいことですね。
ステンドグラス美術館、西洋美術館、似鳥美術館と、小樽でこれだけの見事なステンドグラスを鑑賞できるとは。ただただスゲ~を連発し、その膨大なコレクションに魅了されました。
半日かけて見学した『小樽芸術村』4館コンプリートです。 -
『出世前広場』
堺町通り商店内。明治から昭和の街並みを再現した場所。路地には竹馬やケンケンパなどの昔の遊びを楽しめるそう。あっそ、だから?
台湾のどっかで観た景色であり、こんな陳腐な仕掛けの知恵しかないんでしょうか。 -
『日本銀行旧小樽支店』金融資料館。
1912年(明治45年)築。レンガ造2階地下1階建。ルネサンス様式の外観で、屋根の上の5つのドーメが印象的です。当時の建築費363,000円。入館無料。札幌をさしおいて、北日本一大きい支店だったそうです。 -
銀行建物は、しばらく眺めていても飽きない面白さがあるように思います。
-
『1億円の重さ体験コーナー』
1億円(模擬)の重さを体感できます。ちなみに10キロです。米10キロより重く感じるのは、仏教でいう「空」だからでしょうか? 物を見る物差しはみんなの心のうちにあって、物には物差しがついていない、ということですね。
この日の小樽は、観測史上最高気温の34.9度でした。今日は半日ほどをかけて巡りましたが、水分補給を心掛けましたし、エアコンの入った施設を廻りましたので、この夜は足がつることもなく、ぐっすりと眠れました。
次回はもっと時間をかけてゆっくりじっくり回りたいと考えております。
私の決意は石に刻まれた予言のように固いものとなりました。 -
翌日(9/1)
本日の小樽地方、一日豪雨予報。それはないだろう、それは。
私たちは、逃げるようにして帰路につきました。
この旅行記のタグ
関連タグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
小樽(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
116