2023/08/16 - 2023/08/16
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たびたびさん
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日本の祭りって。勢いがあって勇壮な祭り、楽しくて笑顔が弾ける祭り。いろんな祭りがありますが、しっとり味わい深い祭りもいいものですよね。今回は、そのしっとり味わい深い祭りということで、山鹿灯籠まつりを訪ねることにしました。以前山鹿温泉を訪ねた時にこの祭りのことを知って、いつかは拝見したいものだと思ったのがそもそもの始まり。ただ、ちょうどお盆の時期にあるので、これまでは日程的に難しい面があって諦めていたのですが、今は自由に動けますからね。やっと念願がかなうぞ!という感じです。
ところで、山鹿温泉のことですが、玉名温泉、菊池温泉と並んで熊本県北部を代表する温泉地。街の中心部にある共同浴場のさくら湯、芝居小屋の八千代座など伝統ある観光施設が揃っていて、味わい深い温泉地としての風情を一番感じられるのはやっぱりここかなと思います。熊本市からだとバスになりますが、本数がそれなりにあるし、アクセスも比較的いいですね。ただ、山鹿灯籠まつりは、夜のお祭り。熊本市内からバスで日帰りできないか調べたのですが、それでは最後まで見れないことが分かって、結局、レンタカーで行くことにしました。それは正解。最後まで安心して拝見することが出来ました。
それにしても、ハイライトの千人灯籠踊りは想像していた以上の素晴らしさ。千人かどうかは分かりませんが、浴衣姿の頭には金の灯籠をいただいた大勢の踊り手が会場の山鹿小学校グラウンドに入場。まずはその集団の数の多さに度肝を抜かれます。そこから何重にも重なった踊りの輪が出来て踊りが始まると、今度はよへほ節に合わせて無数の金の灯籠の明かりがゆらゆらと。そして、ひときわ明るくライトアップされた中央の櫓では山鹿灯籠踊り保存会が終始、踊りをリード。最後はマジックライトのような光のパーフォーマンスも加わって、何ともおつなものですねえ。優雅で幻想的で、少しウイットも効かせた洒脱なまつり。山鹿灯籠祭り、最高じゃないですか!
祭りの起源としては諸説あるようですが、景行天皇伝説というのがありまして。これは、景行天皇が九州を巡幸し菊池川を遡って上陸しようとしたところ、濃霧が立ちこめ進路を見失ってしまったため、山鹿の里人が松明を灯して一行を出迎えたというお話。ちなみに、景行天皇は12代天皇。熊襲征討・東国征討を行ったとされる伝説的な英雄、ヤマトタケルの父であり、自らも、九州巡幸を行い九州の支配体制の強化を図りました。九州とゆかりが深い天皇です。
その他、レンタカーの利点を活かして、防人が詰めていたであろう鞠智城やローカル色豊かな熊本県立装飾古墳館も訪問。ここでも古代の九州へ思いを馳せて、旅の厚みがさらに増したよう。九州は丁寧に回れば回るほど味わい深い。改めて、そんな思いが強くなりました。
今回は、珍しくコンパクトに二日間の旅。初日は期待以上の120点だったし、残り一日もいい日になればいいなと思います。
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レンタカーで熊本駅を出発して山鹿温泉に向かいます。ただ、灯籠祭りは夕方からなので、基本、日中は山鹿温泉や菊池温泉の周辺を回る計画。限られたエリアですが、気になるスポットがそこそこあるんですよね。
まずは、鞠智城に向かいますが、その途中。
山鹿市に入って、国道325号線沿いの道の駅 水辺プラザかもとへ。国道から少し脇に入ったところです。もう年数が経っているような感じ。目に留まったのは入浴施設 by たびたびさん道の駅 水辺プラザかもと 道の駅
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建物は少し古そうだし、敷地内もちょっと荒れているところがなくはないですね。
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季節柄、すいかなんかが置いてあったりしましたが、目に留まったのは入浴施設。温泉地が近いので、それほど不思議ではないのですが、ここでも掘ったら出てきたということかなと思います。
あとは、かんぱーにゅというパン屋さん。けっこう広くスペースを取っていて、道の駅は温泉施設とこのパン屋さんがウリくらいの存在感がありますね。ハード系のパンも総菜系のパンもバランスよく品ぞろえしていて、それもいいと思いました。 -
イチオシ
ついでに、同じ国道325号線沿いにある道の駅 七城メロンドームにも寄ってみます。道沿いに特徴のあるメロンをかたどった建物が見えてきて、分かりやすいですね。
産直のコーナーがけっこう充実 by たびたびさん道の駅 七城メロンドーム 道の駅
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名前の通り、メロンがウリなんだと思いますが、
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ここでもこの時期はスイカやぶどうにかぼちゃなんかもたくさんありました。
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基本の産直のコーナーがけっこう充実していると思います。
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イチオシ
鞠智城跡は、少し上って行く台地のような地形。見晴らしのいい場所ですね。
ここで防人が勤めていたことを想像すると遠大な気持ちになると思います by たびたびさん歴史公園鞠智城 公園・植物園
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ここは、663年の白村江の戦いで大敗後に築かれた古代山城。水城、大野城、基肄城の後方にあって、後詰めの役割ではなかったかと言われます。シンボルは、この八角形鼓楼。公園の一角に建っていて、百済からの亡命者の関与が窺われるとか。
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内部は、五重塔みたいな感じですけどね。
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同じ敷地内に資料館がありまして、詳しいことはここでということですね。
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では、中へ。
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いきなりの豪華な装飾品の展示ですが、朝鮮半島で出土した百済金銅大香炉など。
ただ、この付近で出土したものではないし、この展示を見て百済との関係を推し量れと言われても、ちょっと無理があるような。。
百済が滅びると、大勢の百済の人々が日本に逃げて来たことはあったにしても、それと対新羅の前線基地である鞠智城がどのような関係があったのか。あったようななかったような。八角形鼓楼も百済との関係を物語るのはそうなんでしょうが、大野城や基肄城だって朝鮮式山城ですから、それくらいの指摘で十分かな。それを上回る文化の交流みたいなことを言われても、ちょっと本質的なテーマからはそれているような気がします。 -
これは、鞠智城跡周辺の古墳や古代寺の跡。九州の地であってもあれこれとこれだけの数があったわけですから、鞠智城を造ることくらい朝飯前のことだったような気もします。つまり、ヤマト政権は白村江の戦いで朝鮮半島での足掛かりを失うことにはなったのですが、見方を変えるとその戦いに至る頃の国力は相当なレベル。国内の至る所で巨大な古墳を造ったり、そのエネルギーがそのまま古代寺の建設にも向かっていましたからね。
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ここに防人が詰めていて、防衛体制を取っていたというとちょっと寂し気なイメージを持ってしまいがちですが、決してそういうことだけではない。国内では引き続きしっかりした国家体制があって、相応の軍事能力も備わっていたという理解の方が正しいでしょう。
結局、古代山城をどう理解するかなんですが、
①古代山城は、白村江の戦い以降の防衛のためのもの。九州から瀬戸内海にかけて29もの城が造られたのですが、幸いなことに実際にそれが役に立つことはありませんでした。日本に勝利した新羅・唐の連合軍は、その後、朝鮮支配を目論んだ唐に新羅が反発。唐・新羅戦争が起きて、新羅が朝鮮を統一するという流れ。日本に攻め込む余裕はなかったということですね。
②日本と朝鮮半島の武力衝突は、それこそ神功皇后の神話の時代もそうだし、聖徳太子も隋を含めて心を砕いてきた分野。大化の改新を果たした中大兄皇子もそれを引き継いだという流れですが、白村江の戦いで頓挫。大きな危機に直面することになったのは予想外のことだったと思います。
③中大兄皇子、天智天皇が死去すると壬申の乱が勃発。大きな混乱ではありましたが、国内的には天皇の権威が強まって、飛鳥時代の後半、白鳳文化の天武天皇から持統天皇の時代はより安定した時代。天智天皇からしてちゃっかり遣唐使を再開していて、奈良時代の天平文化へもつながることになる。こうした流れは、一見、朝鮮との関係が切れたことは日本にとってはほとんどマイナスにはなっていないようにも見えるのですが、たぶん、それは先進的な技術を伝えた渡来人の貢献があったから。当然、百済からの逃亡者もそれに含まれることになりますね。遣唐使の復活は日本がしたたかなのか。さすが懐の深い中国ということなのかわかりませんが、アジアの中の日本という構図は、古代においては特に濃厚。それなしで日本の歴史は語れないのはまぎれもない事実ですね。
まあ、ここまで広げれば、百済金銅大香炉の展示もなくはないのでしょうが、やっぱり唐突感は否めないと思います。 -
続いては、あんずの丘。農産物直売所あぷりぃや陶芸体験ができる工芸館もある丘陵地帯に整備された総合公園。
小さな歴史も発見できました by たびたびさんあんずの丘 公園・植物園
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気が付くと園内には「隈部親永と肥後国衆一揆」という説明板やその隈部親永も。
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これは、秀吉の九州平定後、熊本に入った佐々成正に関係する物語。佐々成正は、秀吉から三年間はしないようにと言われていた検地を強行したことで、国衆の反発を受ける。その先兵が隈部親永だったのですね。
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結局、隈部親永は一揆の鎮圧で非業な最期となるのですが、こうして地元ではそれなりに大切にされている様子。小さな歴史も発見できました。
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あんずの丘で「隈部親永と肥後国衆一揆」という説明板や隈部親永の像を見て、その流れで隈部氏館跡も訪ねてみることに。
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あんずの丘からでもくねくね道をそれなりに上っていった山の上。
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山の斜面を切り開いたような平地に
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庭園なとのようなところや
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礎石がきれいに並んだ館跡がありました。
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また、ここからだと
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イチオシ
山々の先に肥沃そうな平野もよく見える。気宇壮大になるような眺めでした。
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せっかくなので、温泉にも寄ってみましょう。
菊翠苑は、菊鹿温泉にある四軒の温泉宿の一つ。ちょっとした高台にあって、静かな立地。菊鹿温泉にある四軒の温泉宿の一つ by たびたびさん菊翠苑 温泉
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ひっそりと日帰り温泉もやっています。
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屋内の風呂と
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露天風呂のエリアがけっこう広くて、それなりの開放感がありますね。ただ、泉質の方は期待していたほどの特徴はないような。普通かなと思いました。
なお、玄関先には、赤星道雲と隈部親永による合戦、合瀬川の合戦についての詳しい説明板。ここがその古戦場に当たるからということのようですが、隈部親永が地元でいかに特別な存在なのかと改めて感じさせられました。 -
イチオシ
一本松公園は、この石の風車がシンボル。1.5tもの羽が自然の風で回ります。かなりゆっくりした動きなので、始めは気が付きませんでしたが、じっと見ていると確かに。。みたいな感じです。
いろんな要素がミックスされた公園です by たびたびさん一本松公園 公園・植物園
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一帯は総合公園として整備されていて、フィールドアスレチックスみたいなところもあるのですが、一方で、津袋古墳群の古墳があちこちにあって、
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いろんな要素がミックスされた公園。
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眺めもまあまあだと思います。
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清浦記念館は、熊本県で初めて内閣総理大臣となった清浦奎吾の記念館。同じ敷地に明照寺という寺があって、清浦奎吾はそこの五男として生まれたんですね。
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銅像に
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お墓の方もチェックして
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これが資料館です。
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清浦内閣が生まれたのは大正13年。第2次山本内閣が虎ノ門事件で総辞職した後を受けたものでしたが、結局、5か月の短命で終わっています。
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ところで、西洋列強に伍していく使命を負った明治政府は、実務能力重視。官僚が中心となって組閣すべきとするいわゆる超然内閣の時代です。
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しかし、政党が力をつけ始めると護憲運動等と合わせ、政党内閣の誕生は避けられなくなる。初めての政党内閣は原敬内閣ですが、次の政党内閣は清浦奎吾を倒した加藤高明内閣。そういう意味だと清浦奎吾は超然内閣の方に分類されることになるのかな。
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展示の内容を見ても、山鹿の優等生が熊本の優等生になって、上京した東京でもずっと優等生。とうとう総理大臣にまでなりました的な感じ。
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あまり思想的なものは感じられなくて、いろんな事態には実務的に対処していくというだけの人物だったような。
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日本は政党政治への動きは長続きせず、いろんな社会への不満とともに軍部の台頭を招いていくという流れ。民主主義は時間がかかって、決断が曖昧等々否定的な見方も少なくない昨今の世界の潮流も気になるところ。当時のことをどう評価すればいいのかはまだはっきりしていない面も多いような気がします。
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ではここから、鞠智城跡と並ぶもう一つのハイライト、熊本県立装飾古墳館に向かいます。
その前に、これは鹿央古代の森 鹿央物産館。熊本県立装飾古墳館に向かう途中に何度も看板が出ていて、それならと寄ってみた次第。山小屋風の建物に入っているメロンやナスなど産直の施設。そんなに大きな施設ではないし、ここだけを目当てに来るというほどではないですね。まあ、近くに来たらついでにのぞいてみるか的な施設だと思います。 -
熊本県立装飾古墳館の周辺には、岩原古墳群。美しい芝生の広場の中に古墳が点在しています。
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造られたのは、古墳時代の中期、5世紀。中心にある全長107mの前方後円墳、岩原双子塚古墳は県内最大級。その他、大小11基の円墳。この辺りの有力者のものであることは間違いないですが、前方後円墳の形式はヤマト政権とそれなりに深い関係があったことの証。仲哀天皇の熊襲征伐とかまだ神話の世界ですが、この辺りの有力者はもしかしたら既にヤマト政権に協力していたのかとか想像が膨らみます。一方、九州北部でヤマト政権に反旗を翻した磐井の乱が勃発したのは、527年。九州とヤマト政権の関係もいろんな変遷があってのものですね。
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この奥が熊本県立装飾古墳館。装飾古墳を前面に出した九州ならでは熊本ならではの博物館ですよね。ジャンルとしてはマイナーな感じもしますが、県立の施設だし、建物とかはとても立派です。
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ここが入口。
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入り口の階では縄文時代から弥生時代、古墳時代の基本的な解説。
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下の階がメインの展示室です。
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県内で発見された装飾古墳の原寸大模型がいくつも展示されていて、
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展示物としてはかなりの迫力。
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その個性ある文様もやはりローカルな性格が強いものだと感じます。
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これは臼塚石人。
古墳の墳丘の中央に南面して立っていた石像だそう。顔は失われていますが、ほかではあまり聞かないものですね。 -
ちなみに、装飾古墳は全国に660。九州が386で、うち熊本が195。これを見れば熊本は装飾古墳のメッカであることが分かります。
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装飾古墳にはその点について特段の説明はないので、あくまで私の見方ですが、
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イチオシ
つまり、古墳時代の幕開けは大陸から新たな文化を持った人々の流入。
弥生時代には、小さなクニが集まり大きなクニにまとまっていくという流れはありますが、その延長線上に古墳時代があるというのはちょっと無理がある。二つの時代にはあまりにもドラスティックな違いがありますからね。そして、海外から来た新たな人々は一様ではない。ひとつはヤマト政権につながる人々だったし、それ以外の集団も複数あって、装飾古墳を造った集団もその中の一つ。そして、その集団もその後ヤマト政権に改めて組み込まれるという流れでしょう。 -
縄文時代から弥生時代への変化、弥生時代から古墳時代の変化。そこには文化の伝播による変化とともに最後の決定的となる要素は人々の流入。その辺りはまだまだこれから解明されていくことになると思うのですが、装飾古墳もその辺りの有力な手掛かりになればいいなと期待するところです。
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鞠智城跡のところでは、神話の時代から白村江の戦いの後までの日本と朝鮮や中国の関係を考えましたが、それは日本人や朝鮮人、漢民族が互いに関係しあいながらそれぞれの地で生きてきたという姿。しかし、始めからそうした構造があったわけではないですね。そもそもアフリカでホモサピエンスが誕生したのが20~30万年前。出アフリカが5万年前。そこからホモサピエンスが世界中に散らばりそれぞれの地で発展してきたというのはあるのですが、実はそう単純ではない。文化の伝わりだけでなく、人種というか民族それ自体の移動もかなりあって、その発展はかなり複雑であったことが分かってきています。日本にホモサピエンスがやって来たのは出アフリカからほどなく。氷河期で海面が下がり大陸と地続きとなっていた日本列島にナウマンゾウとか獲物を追いかけて渡ってきた人々。石器時代の遺跡を残した人々ですが、1万年前から始まる縄文人との関係はほとんど分かっていません。その縄文人の社会に弥生人が流入して日本人の原型が出来たことはほぼ定説となりましたが、同じように古墳時代も大陸から入ってきた古墳人がその扉を開けたとする説も有力です。つまり、日中韓の民族がつばぜり合いしていたその少し前までは、大きな民族移動なんか当たり前で、アジアにはもっと自由で流動的な世界があったのではないかということ。古代の日本は想像以上に国際的とか言って理解したつもりになっているのはちゃんちゃらおかしいし、もしかしたら大きな見当違いなのかもしれません。縄文時代の人々が大陸との交易をしていたらしいことは分かっているし、日本書紀でも天皇の祖先は高天原から降りてきたとされていて、外から来入してきたことを強く示唆していますからね。先史の世界は人種や民族がダイナミックに移動する流動的な世界。そんなダイナミズムが解明される日が来るのかどうか分かりませんが、考古学では是非チャレンジしてもらいたいテーマ。いろんな楽しみがまだまだ残されているように思います。
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山鹿温泉の周辺巡りを終えて、山鹿温泉の市街に到着。車を置いて、ここからは市街の散策です。
これは中心部にあるさくら湯。山鹿温泉のシンボル。相変わらず堂々とした構えです。 -
そこから旧豊前街道をしばらく進みます。
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温泉街というより街道町という雰囲気ですね。
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光専寺は、その街道沿い。天正6年(1578年)の創建で、熊本城築城の際に余った材木で作られた楼門がシンボル。旧豊前街道から脇に入るとすぐ正面に見えてきて、周囲に塀がないのでちょっと寂し気な中にも独特の威厳を感じます。
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一方の本堂はサッシが入ったりしていて少し風情に欠けるかな。西南の役では薩軍の野戦病院にもなったようです。
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そのすぐ先の酒蔵は千代の園酒造。
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杉玉が下がって、それなりの構え。
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向かいが資料館のはずなんですが
コロナ禍以降、 -
奥の方の見学はやっていないよう。通りに面した売店の方で甘酒アイスをいただいてよしとしました。
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同じ通りで見つけた今年奉納される灯籠。
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約30基あるということで、祭りの主役はこれですね。
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また中心部に戻ってきて。。
湯の端公園は、さくら湯の向かい側。全体としてはそれなりの広さがあるのですが、その少し奥まったところに立派な屋根の足湯がありました。足湯とは言え、湯がけっこうな勢いで流れ込んでいて、ちょっと豪快な風情。周囲の石組の方もなかなか本格的です。 -
今度はすぐ近くの山鹿灯籠民芸館へ。この建物は、大正14年、安田銀行山鹿支店として建てられたロマネスク風の堂々とした建物。
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内部には過去に造られた山鹿灯籠の名作の数々を展示しています。
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山鹿灯籠民芸館、
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青井阿蘇神社楼門、
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雷門、
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古今伝授の間、
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金閣寺、
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法隆寺五重塔、
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上野東照宮、
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静岡浅間神社楼門などなど。とても緻密に作られていて、職人さんのこだわりが詰まりまくり。ただ並べてあると統一感がなくて、散漫な感じになってしまうかも。一つ一つをちゃんと拝見するとその凄さが分かると思います。
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イチオシ
奥の方では、今日の灯篭踊りに使う灯籠も準備されていました。
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では、早めの晩飯ということで、さくら湯近くにある喜久家へ。外観からするといかにも地元の老舗といった店構えだったんですよね。
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悠々としたロビーに面したカウンターに通されて、いただいたのはアジのフライ定食。しかし、このご飯。熊本の米ということでしたが、全然おいしくなくて、一気にテンションが下がってしまいました。何か勘違いであってくれればいいのですが。。
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だんだん人が増えてきましたね。
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さくら湯の前の通りでは、さっそく踊りが始まりました。
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地元の農業高校の生徒さんたち。
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浴衣姿に金の灯籠を頭にいただいて
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これこれこれなんですよね~
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よへほ節にのって、優雅なものであります。
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踊りが終わると記念撮影にも応じてくれて、これはサービス満点じゃないですか。
ありがとうございます。 -
ところで、ハイライトの千人灯籠踊りの会場は、山鹿小学校グラウンド。
有料席は取ってありますが、念のため早めに到着です。 -
まだ時間ではないのですが、櫓の周りでは子供たちが三々五々踊り始めていました。
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イチオシ
ちらほら見える大人は保存会の人でしょうか。
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ちょっと予行練習といったところかもしれません。
しかし、これはいい雰囲気。有料席はどんな具合かちょっと心配していたのですが、これならはっきり拝見できますね。 -
待つことしばし。
会場が暗くなって、踊り手の入場。 -
先導者に率いられた列が何組も入ってきますよ~
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え?
この大人数はすごいですねえと思いましたが、 -
そこからでもどんどんどんどん増え続けて
千人灯籠踊りと言っていますが、本当に無数の数。
この多さだけでもちょっと感動です。 -
イチオシ
中央の櫓には最後、保存会の人が登壇して
体制が整ったようです。 -
ところで、今日は雨の予報だったので、頭の灯籠には透明なビニールシートがかけてあって
それがちょっと残念だったのですが、大丈夫とみた事務局からシートを取るようにの指示が出ました!
会場は一斉に大拍手。気持ちが一気に盛り上がってきましたよ~ -
はいはい。始まりました。
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まずは、よへほ節
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1.主は山鹿の骨なし灯籠
ヨヘホ ヨヘホ
骨もなけれど肉もなし
ヨヘホ ヨヘホ -
2.洗いすすぎも鼓の湯籠
ヨヘホ ヨヘホ
山鹿千軒たらいなし
ヨヘホ ヨヘホ
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3.心荒瀬の蛍の頃に
ヨヘホ ヨヘホ
溶けし思いのしのびうた
ヨヘホ ヨヘホ
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4.山鹿灯籠は夜明しまつり
ヨヘホ ヨヘホ
町は灯の海人の波
ヨヘホ ヨヘホ -
密集した無数の踊り手が頭にいただく灯籠の明りがゆらりゆらり
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幻のような夢うつつの光景に
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これはたびたびさんも大興奮です。
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続いては、山鹿灯籠盆踊り
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トコサイサイ キタドッコイ
1.ハア~ みんな来い来い踊りにかかれ
やぐら太鼓が やぐら太鼓が
エ~今鳴った トコサイサイ キタドッコイ -
イチオシ
2.ハア~ 盆の十六日 踊らぬ奴は
かんなべかぶせて かんなべかぶせて
エ~よそへやる トコサイサイ キタドッコイ -
3.ハア~ お前ジョウモン おらよかニセで
薬師如来も 薬師如来も
エ~妬きなさる トコサイサイ キタドッコイ -
そして、米原長者くどき唄
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1.お聞きなされや みなみなさまよ 遠い昔に教えがござる オヤソウカイソーレカラ
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2.肥後の菊池の城北村に おごリ高ぶる長者がおつた オヤソウカイソーレカラ
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3.建てたお倉は 七倉八倉 名子が五百で 牛馬四百 オヤソウカイソーレカラ
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4.そこで毎日 栄耀栄華 人の呼び名も 米原長者 オヤソウカイソーレカラ
細かい踊りの動きは分かりませんが、曲の調子で輪の動きが変わっていくのは分かります。周囲の動きを感じながら、それに合わせて踊る。盆踊りって、そこがいいところですけど、こんなに大勢の中で踊る機会なんかそうそうあるものではない。中で踊ったらさぞや楽しいでしょう。
そして、見ているこちらもこの眺めは最高です。キラキラ輝く無数の金の灯籠と踊り手の群れは、イメージとしては観音様のおわします極楽浄土かな。先祖の供養、家族の健康、地域の発展、世界平和などなど。思いつく願いはすべてOKみたいなハッピーな気持ちにもなってきますよね。ありがたや、ありがたや。山鹿の皆さん、本当にありがとうございま~す。 -
と、照明がブルーに変わりました。
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あ~、これもなんとも幻想的。
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イチオシ
ブルーの世界で、揺れる灯籠。
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最後まで、酔わせてもらいましたよ~
山鹿灯篭まつり。こんなに素晴らしいお祭りだったんですね。これは見ないとダメでしょう。ちょっと無理し過ぎたかもとか思ってましたが、来たのは大正解ですね。 -
高揚した気持ちがなかなか収まらないので、もう一度さくら湯のところに戻って
保存会の踊りを見ることにします。 -
よへほ~
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よへほ~
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しっとりした踊りの行列が
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大通りを進みます。
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やっぱり、いいものですね~
なお、ここから上がり灯籠という灯籠の奉納もあるのですが、さすがにそれを見たら遅くなり過ぎますからね。名残り惜しいですが、ここで終わりとします。 -
今日の宿は、菊池温泉の望月旅館。周囲が長い塀で囲まれてちょっと目立つ大きな旅館です。ただ、老舗というか建物はだいぶ年季が入っていてざっとした感じ。
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部屋も広さはありますが、さほど悠々という満足感はないかもしれません。
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一方で、ここのお風呂は最高にいいですね。どこか名湯という感じがあるし、かけ流しの程よさもあって、このリラックス感はあんまり味わったことがないかも。朝ぶろに入ったのも正解。最後までしっかりと温泉を楽しみました。
さて、二日目もいい日になりますように。。
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