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私は10歳のときに父に連れられ、槍ヶ岳を登りました。<br />2019年に常念岳を登ったとき、近いうちに槍ヶ岳も登ろうと思いましたが、あっという間に4年が過ぎ、私は52歳になりました。<br />今年も年初、槍ヶ岳登山を抱負とし、暇なときに地図を見て、ルートを楽しく考えていました。7月初めに山小屋を予約しようとしたら、既に予約がいっぱい入っていましたが、登る予定の日が近付くと、泊まりたい小屋にキャンセルが生じ、そこでその小屋を予約しました。新宿で登山用のヘルメットと軽量のアタックザックを買いました。あまり良くないと言われる1人での登山ですが、ちょっとのミスで死ぬことも有ると考えながら、計画しました。<br />8/1(火)、仕事から帰宅後、準備をして、竹橋のパレスサイドビルへ行き、毎日アルペン号の夜行バスに乗り、午後11時に発車しました。<br />5時間半の乗車で、眠り難く、足をリラックスできませんでしたが、何となく眠りました。このバスは蝶ヶ岳、常念岳、燕岳(つばくろだけ)の登山用で、8/2(水)4時半頃、2つめの停車地の標高1323mの一ノ沢登山口で下車。<br />準備をして、登り始めました。この道は2019年に歩いた道です。山の神へお参りし、古池、王滝ベンチを経ました。バス乗車が短かったので、東京近郊のような気がしましたが、ここは長野県北部の安曇野市。すぐに強い日差しとなりました。緩やかな登りが長く続きます。いつもより荷物が重く、慣れていない沢沿いの石がゴロゴロしている道で、体力を消耗しました。荷物のポカリスエットを飲むと、荷物が軽くなるのが分かりました。「胸突八丁」から急登(きゅうとう)になりますが、ここの方が歩きやすい道で、ゆっくり登りました。「最終水場」でおいしい水を少々飲みました。<br />10時頃、標高2466mの常念乗越(のっこし)に到着。今回は常念岳は見るだけで、眼前に槍ヶ岳の完璧な絶景。そこに今回の目標が見えました。ここまで良い天気でしたが、あちこちに積雲が見えて、午後すぐに曇り始めました。この尾根の道は地味に上り下りを繰り返し、私は既に疲労していました。横通岳(よことおしだけ)、東天井岳(ひがしてんじょうだけ)は登りませんでした。今年は花が咲くのが早かったのかな。コマクサがわずかにしおれ始めていました。東天井岳近くで雷鳥の母子を見ました。途中で青年とちょっとおしゃべりしました。<br />午後2時頃にこの日のお宿、標高2870mの大天荘(だいてんそう)に到着。30分くらい休んで、標高2922mの大天井岳へ登りました。この山は「おてんしょだけ」、「だいてんじょうだけ」と読み、いずれも正解です。曇りで、雲しか見えませんでした。<br />大天荘は燕山荘(えんざんそう)グループの山小屋です。大部屋は2段式で、各区画が布団1枚よりずっと広く、荷物の整理がしやすかった。区画間はロールスクリーンで仕切られていました。私の料金は1泊夕朝食付きで16,000円。夕飯はおかずを選べ、ハンバーグを選びました。夕飯、ハンバーグがレストランのような高級感で、おいしかったです。宿泊客の半分くらいが外国からのお客さんでした。<br />8/3(木)、御来光(ごらいこう、日の出)が4時55分頃で、大天荘ではその前の4時15分頃に朝食が設定されていました。<br />5時頃出発し、喜作(きさく)新道の大天井岳の急斜面の道を一気に下りました。牛首岳、赤岩岳、西岳は登りませんでした。ヒュッテ西岳で水500mlを買いました。台湾人の添乗員さんがヒュッテ西岳に予約方法の苦言を言っていました。ようやくこの日の道である東鎌尾根が見えました。ここから危険地帯で、崖の道を下りました。垂直のハシゴはしっかりしており、平気でしたが、クサリが一部でアンカーが緩んでおり、恐かった。クサリはあまり頼らず、3点支持で下りました。ちょっとのミスではるかに下へ落ち、ケガする前に死ぬ道だと思いました。鞍部の標高2480mの水俣乗越で南の鎗沢と北の高瀬ダム湖が見えました。<br />東鎌尾根の登りはしっかりとした階段が連続しており、意外と登りやすかった。ヒュッテ大槍でも水を買いました。ここからの道、さすがの東鎌尾根で、岩場の道が長く続き、ゆっくり登りました。この辺りでYAMAPのGPSログがおかしくなっており、すぐに気付き、復旧させました。<br />午後3時頃、標高3080mの槍ヶ岳山荘に到着。このとき、何か用事が有ったようで、ヘリコプターが山荘の横に着陸し、離陸して行き、間近での離陸が凄い迫力でした。横の槍ヶ岳も凄い迫力でした。<br />槍ヶ岳山荘は1926年(大正15年)にできた歴史有る巨大山小屋で、650人収容可能でそうです。私の宿泊料は1泊夕朝食付きで14,000円でした。大部屋は2段式で、各区画は布団サイズで、隣との間に小さな仕切りが有りました。隣のお兄さんと少々おしゃべりしました。大部屋の床下が食堂で、厨房の音がよく聞こえました。夕飯は中華で、エビチリ、焼売(シューマイ)、春巻などでした。エビチリがカリッとしていておいしかった。<br />8/4(金)、御来光の後の5時15分頃より朝食で、ウインナーと魚が出ました。槍ヶ岳山荘はおかずが冷えており、ご飯も味噌汁もちょっとぬるかった。槍ヶ岳は江戸時代に播隆上人(ばんりゅうしょうにん)様が浄財を募り、初登頂されました。食堂に播隆上人様の像が有り、お参りして、5時過ぎに頂上に向かいました。<br />槍ヶ岳の頂上はとても固い岩だそうで、しっかり反力を取れました。ごついクサリや聳(そび)えるハシゴを3点支持で登りました。足下は見ても、恐いのでその下は見ないようにしました。6時過ぎ、登頂しました。槍ヶ岳は標高3180mで、日本で5位。長野県松本市、大町市、岐阜県高田市に跨っています。頂上に立つと槍ヶ岳が見えませんので、ちょっと締まらない景色でした。<br />7時過ぎ、槍ヶ岳山荘より西鎌尾根を下り始めました。西鎌尾根は概ね緩やかな道で、大きな上り下りが繰り返し、長い道でした。終盤の標高2755mの樅沢岳(もみさわだけ)はお花がたくさん咲いていました。<br />午後1時半頃、標高2550mの双六(すごろく)小屋に到着。疲れましたので、双六岳は登りませんでした。ここからは槍ヶ岳などは見えません。並びのテント場は氷河地形っぽくて、ミニ涸沢(からさわ)だと思いました。<br />この連日、午前中は良い天気で、午後2時頃に曇り、午後4時頃にザーッと雨が降るというパターンでした。<br />「双六」の由来は神様の双六遊びの伝説、双六盤に似た川の石、越中・飛騨・信濃の三国に跨った谷の呼び名など諸説有るようです。1泊夕朝食付きで14,000円で、私の部屋は2段式で、各区画は布団1枚サイズで、男性用の部屋でした。水に余裕有るようで、洗面台は使いやすく、トイレは水洗式でした。夕飯も朝食もおいしかったです。週末だからかな、お客さんはほとんどが日本人でした。<br />8/5(土)、最終日で、少しゆっくりの朝食で、6時過ぎに出発。双六谷を歩き、ちょっとだけ登りました。とても良い天気で、緑が綺麗でした。花見平でも雷鳥の母子を見ました。標高2592mの弓折岳(ゆみおりだけ)へ登り、鏡平へ下りました。いくつか池が有り、鏡平山荘と鏡池が有ります。槍ヶ岳はここで見納めでした。小池新道の長い坂道を下り、シシウドヶ原、イタドリが原、チボ岩を通りました。白いゴロゴロとした大石が広がった斜面で、日射しの照り返しが辛かった。<br />私の登山はゆっくり歩きで、地図のコースタイムより時間が長めです。この槍ヶ岳の辺りは健脚が多く、その都度、道を譲っていました。注意しながら、この登山はを続けていきます。<br />下り切ると、左俣谷の沢沿いの蒲田左俣林道を歩きました。昨今の山小屋の物資はヘリコプターでの輸送となっているようで、この林道沿いに中継基地が有り、ヘリコプターが何度も行き来していました。この林道も長かった。<br />午後2時頃、標高1090mの新穂高温泉に到着。バス停近くの「中崎山荘奥飛騨の湯」に寄りました。この辺りに「中崎」という地名が有ります。私の入浴料は900円で、ちょっと小うるさい掲示が有りました。まず、登山の汗はシャワーで流しました。お風呂は良い湯。内湯はぬるめで、露天風呂は熱めでした。食堂に寄り、900円のピリ辛ラーメンを注文。細い縮れ麺で、「高山ラーメン」のスタイルで、ピリ辛でおいしかったです。<br />濃飛バスで平湯温泉バスターミナルへ移動。ここの「アルプス街道平湯」のレストランは午後3時半で営業終了しており、午後4時半に閉まるテイクアウトコーナーで330円の飛騨牛メンチカツなどを注文。揚げ立てを受け取り、メンチカツはおいしかったです。さらに売店でアイスも買い、そのアイスを食べ終わる頃、新宿行きのバスが来ました。

槍ヶ岳

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2023/08/01 - 2023/08/05

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45

いっちゃん2013

いっちゃん2013さん

私は10歳のときに父に連れられ、槍ヶ岳を登りました。
2019年に常念岳を登ったとき、近いうちに槍ヶ岳も登ろうと思いましたが、あっという間に4年が過ぎ、私は52歳になりました。
今年も年初、槍ヶ岳登山を抱負とし、暇なときに地図を見て、ルートを楽しく考えていました。7月初めに山小屋を予約しようとしたら、既に予約がいっぱい入っていましたが、登る予定の日が近付くと、泊まりたい小屋にキャンセルが生じ、そこでその小屋を予約しました。新宿で登山用のヘルメットと軽量のアタックザックを買いました。あまり良くないと言われる1人での登山ですが、ちょっとのミスで死ぬことも有ると考えながら、計画しました。
8/1(火)、仕事から帰宅後、準備をして、竹橋のパレスサイドビルへ行き、毎日アルペン号の夜行バスに乗り、午後11時に発車しました。
5時間半の乗車で、眠り難く、足をリラックスできませんでしたが、何となく眠りました。このバスは蝶ヶ岳、常念岳、燕岳(つばくろだけ)の登山用で、8/2(水)4時半頃、2つめの停車地の標高1323mの一ノ沢登山口で下車。
準備をして、登り始めました。この道は2019年に歩いた道です。山の神へお参りし、古池、王滝ベンチを経ました。バス乗車が短かったので、東京近郊のような気がしましたが、ここは長野県北部の安曇野市。すぐに強い日差しとなりました。緩やかな登りが長く続きます。いつもより荷物が重く、慣れていない沢沿いの石がゴロゴロしている道で、体力を消耗しました。荷物のポカリスエットを飲むと、荷物が軽くなるのが分かりました。「胸突八丁」から急登(きゅうとう)になりますが、ここの方が歩きやすい道で、ゆっくり登りました。「最終水場」でおいしい水を少々飲みました。
10時頃、標高2466mの常念乗越(のっこし)に到着。今回は常念岳は見るだけで、眼前に槍ヶ岳の完璧な絶景。そこに今回の目標が見えました。ここまで良い天気でしたが、あちこちに積雲が見えて、午後すぐに曇り始めました。この尾根の道は地味に上り下りを繰り返し、私は既に疲労していました。横通岳(よことおしだけ)、東天井岳(ひがしてんじょうだけ)は登りませんでした。今年は花が咲くのが早かったのかな。コマクサがわずかにしおれ始めていました。東天井岳近くで雷鳥の母子を見ました。途中で青年とちょっとおしゃべりしました。
午後2時頃にこの日のお宿、標高2870mの大天荘(だいてんそう)に到着。30分くらい休んで、標高2922mの大天井岳へ登りました。この山は「おてんしょだけ」、「だいてんじょうだけ」と読み、いずれも正解です。曇りで、雲しか見えませんでした。
大天荘は燕山荘(えんざんそう)グループの山小屋です。大部屋は2段式で、各区画が布団1枚よりずっと広く、荷物の整理がしやすかった。区画間はロールスクリーンで仕切られていました。私の料金は1泊夕朝食付きで16,000円。夕飯はおかずを選べ、ハンバーグを選びました。夕飯、ハンバーグがレストランのような高級感で、おいしかったです。宿泊客の半分くらいが外国からのお客さんでした。
8/3(木)、御来光(ごらいこう、日の出)が4時55分頃で、大天荘ではその前の4時15分頃に朝食が設定されていました。
5時頃出発し、喜作(きさく)新道の大天井岳の急斜面の道を一気に下りました。牛首岳、赤岩岳、西岳は登りませんでした。ヒュッテ西岳で水500mlを買いました。台湾人の添乗員さんがヒュッテ西岳に予約方法の苦言を言っていました。ようやくこの日の道である東鎌尾根が見えました。ここから危険地帯で、崖の道を下りました。垂直のハシゴはしっかりしており、平気でしたが、クサリが一部でアンカーが緩んでおり、恐かった。クサリはあまり頼らず、3点支持で下りました。ちょっとのミスではるかに下へ落ち、ケガする前に死ぬ道だと思いました。鞍部の標高2480mの水俣乗越で南の鎗沢と北の高瀬ダム湖が見えました。
東鎌尾根の登りはしっかりとした階段が連続しており、意外と登りやすかった。ヒュッテ大槍でも水を買いました。ここからの道、さすがの東鎌尾根で、岩場の道が長く続き、ゆっくり登りました。この辺りでYAMAPのGPSログがおかしくなっており、すぐに気付き、復旧させました。
午後3時頃、標高3080mの槍ヶ岳山荘に到着。このとき、何か用事が有ったようで、ヘリコプターが山荘の横に着陸し、離陸して行き、間近での離陸が凄い迫力でした。横の槍ヶ岳も凄い迫力でした。
槍ヶ岳山荘は1926年(大正15年)にできた歴史有る巨大山小屋で、650人収容可能でそうです。私の宿泊料は1泊夕朝食付きで14,000円でした。大部屋は2段式で、各区画は布団サイズで、隣との間に小さな仕切りが有りました。隣のお兄さんと少々おしゃべりしました。大部屋の床下が食堂で、厨房の音がよく聞こえました。夕飯は中華で、エビチリ、焼売(シューマイ)、春巻などでした。エビチリがカリッとしていておいしかった。
8/4(金)、御来光の後の5時15分頃より朝食で、ウインナーと魚が出ました。槍ヶ岳山荘はおかずが冷えており、ご飯も味噌汁もちょっとぬるかった。槍ヶ岳は江戸時代に播隆上人(ばんりゅうしょうにん)様が浄財を募り、初登頂されました。食堂に播隆上人様の像が有り、お参りして、5時過ぎに頂上に向かいました。
槍ヶ岳の頂上はとても固い岩だそうで、しっかり反力を取れました。ごついクサリや聳(そび)えるハシゴを3点支持で登りました。足下は見ても、恐いのでその下は見ないようにしました。6時過ぎ、登頂しました。槍ヶ岳は標高3180mで、日本で5位。長野県松本市、大町市、岐阜県高田市に跨っています。頂上に立つと槍ヶ岳が見えませんので、ちょっと締まらない景色でした。
7時過ぎ、槍ヶ岳山荘より西鎌尾根を下り始めました。西鎌尾根は概ね緩やかな道で、大きな上り下りが繰り返し、長い道でした。終盤の標高2755mの樅沢岳(もみさわだけ)はお花がたくさん咲いていました。
午後1時半頃、標高2550mの双六(すごろく)小屋に到着。疲れましたので、双六岳は登りませんでした。ここからは槍ヶ岳などは見えません。並びのテント場は氷河地形っぽくて、ミニ涸沢(からさわ)だと思いました。
この連日、午前中は良い天気で、午後2時頃に曇り、午後4時頃にザーッと雨が降るというパターンでした。
「双六」の由来は神様の双六遊びの伝説、双六盤に似た川の石、越中・飛騨・信濃の三国に跨った谷の呼び名など諸説有るようです。1泊夕朝食付きで14,000円で、私の部屋は2段式で、各区画は布団1枚サイズで、男性用の部屋でした。水に余裕有るようで、洗面台は使いやすく、トイレは水洗式でした。夕飯も朝食もおいしかったです。週末だからかな、お客さんはほとんどが日本人でした。
8/5(土)、最終日で、少しゆっくりの朝食で、6時過ぎに出発。双六谷を歩き、ちょっとだけ登りました。とても良い天気で、緑が綺麗でした。花見平でも雷鳥の母子を見ました。標高2592mの弓折岳(ゆみおりだけ)へ登り、鏡平へ下りました。いくつか池が有り、鏡平山荘と鏡池が有ります。槍ヶ岳はここで見納めでした。小池新道の長い坂道を下り、シシウドヶ原、イタドリが原、チボ岩を通りました。白いゴロゴロとした大石が広がった斜面で、日射しの照り返しが辛かった。
私の登山はゆっくり歩きで、地図のコースタイムより時間が長めです。この槍ヶ岳の辺りは健脚が多く、その都度、道を譲っていました。注意しながら、この登山はを続けていきます。
下り切ると、左俣谷の沢沿いの蒲田左俣林道を歩きました。昨今の山小屋の物資はヘリコプターでの輸送となっているようで、この林道沿いに中継基地が有り、ヘリコプターが何度も行き来していました。この林道も長かった。
午後2時頃、標高1090mの新穂高温泉に到着。バス停近くの「中崎山荘奥飛騨の湯」に寄りました。この辺りに「中崎」という地名が有ります。私の入浴料は900円で、ちょっと小うるさい掲示が有りました。まず、登山の汗はシャワーで流しました。お風呂は良い湯。内湯はぬるめで、露天風呂は熱めでした。食堂に寄り、900円のピリ辛ラーメンを注文。細い縮れ麺で、「高山ラーメン」のスタイルで、ピリ辛でおいしかったです。
濃飛バスで平湯温泉バスターミナルへ移動。ここの「アルプス街道平湯」のレストランは午後3時半で営業終了しており、午後4時半に閉まるテイクアウトコーナーで330円の飛騨牛メンチカツなどを注文。揚げ立てを受け取り、メンチカツはおいしかったです。さらに売店でアイスも買い、そのアイスを食べ終わる頃、新宿行きのバスが来ました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
3.5
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 徒歩

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