2023/08/03 - 2023/08/11
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ozackさん
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この旅行記のスケジュール
2023/08/03
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バスでの移動
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バスでの移動
この旅行記スケジュールを元に
ダブリン空港からバスで北上して、知らないうちに英国領の北アイルランドに入っていました(^_^;)アイルランドはEU内なのでユーロが使えますが、北アイルランドは英ポンドを使用します。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
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バスで出発。ドライバーはエイドリアンさんです。写真は後の旅行記で。
ルーマニアの方ですが、3カ月間ドライバーとしてほぼ休みなくアイルランドで働き、1カ月間帰国して休むという生活らしいです。 -
1時間くらいで?北アイルランドに入ってました(^_^;)なぜ分かるかというと、路側帯の色が白の実線になっているからです。アイルランドは黄色の点線です。この後の旅行記でご確認ください。
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いい感じの教会が見えたのでパチリ。
バスの中ではツアコンNさんが色々な解説をしてくれました。随時、旅行記内で紹介します。写真説明が面白くないとき(^_^;)に、主に書く予定です。 -
田園風景を撮ってみましたが、ちょとピンボケ(^_^;)
ここでアイルランドの歴史を何回かに分けて書いておきます。ツアコンNさんの話と中公新書の「アイルランド現代史」などの資料をベースにしてます。
まずはアイルランドがイングランドに支配されていた750年間の部分だけ書きます。それ以前の古い話は遺跡が出てくる後で説明します。アイルランド独立後の話は、次の旅行記で(^o^)
1171年、イングランド国王ヘンリー2世がアイルランドに遠征し、その大部分を支配下に置きます。これが長い支配の始まりです。
ただ、当初はイングランド王の実効支配が及んだのはダブリン周辺だけで、先住民族のゲール系氏族は地方で一定の力を保ちます。その後、イングランドは徐々にアイルランド支配を強めます。
大きな変化が起きたのは16世紀。ヘンリー8世の離婚問題で、イングランド国教会が設立されます(この話は割と有名と思うので説明は省略)。国教会はプロテスタントに分類されますが、教義の問題で分裂したわけではないので、宗教上の典礼はカトリックと共通点が多いです。
ヘンリー8世は、アイルランドでも宗教改革を進め、王権を確立しようとします。これに反発したアイルランド総督でイングランド系軍閥のキルデア伯は処刑され(*´Д`*)、アイルランド議会はヘンリー8世をアイルランド王とする法律を制定します。
16世紀後半になると、宗教改革を進めようとするイングランドと、カトリックを守りたいアイルランドの地方軍閥の緊張関係が高まります。北部アルスター地方で起きた反乱は1595年から1603年まで続き(九年戦争)ましたが、反乱軍は降伏。この反乱鎮圧でイングランドはアイルランド全体を一元的に支配します。イングランドはエリザベス1世の時代です。
ところが、政治的支配が確立した一方、アイルランド住民はカトリック信仰を維持し、国教会に改宗させることはできませんでした。
反乱の起きた北部アルスター地方は、広大な土地がイングランドに没収されます。ここにイングランドやスコットランドからの人口流入が進んだため、アイルランドの中では例外的にプロテスタントの多い地域となりました。これが現代の北アイルランド問題の遠因となります。 -
歴史の話はいったん休憩。
写真は高速道路の標識です。「A1」はダブリンとベルファストを結ぶ高速道路ですね。
ちなみに北アイルランドに入ったのでマイル表記です。アイルランドはキロメートル表記です。 -
休憩でコンビニに寄ります。この「Centra」は各地にありました。
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店内はこんな感じ。普通のコンビニに簡単な食事ができる施設が付いてます。
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成田で5千円ぶんだけ英ポンドに両替したので、エビアンを買ってみました。2ポンドぐらいだったかな。1ポンド190円ぐらいだったと思います。750ミリリットルで400円はちょっと高い(*´Д`*)というか円が弱いですね。
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コインランドリーが併設されてました。20キロまで洗濯できるようです。
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これはバスのトイレです。中ほどの、右側に出る通路の脇にあります。
使わないつもりでいたら、結構お世話になりました(^_^;)
歴史の話の続きです。17世紀に入って、イングランドではピューリタン(清教徒)の勢力が強くなり、イングランド国教会のカトリック要素を排して宗教改革を求める声が高まります。ピューリタンが多いのは議会で、国王のチャールズ1世はカトリックに寛容なため、両者の対立が深まります。
アイルランドでは九年戦争後、カトリック勢力(イングランド王には忠誠)とプロテスタント勢力(といっても国教会)が存在していましたが、1641年、カトリック勢力が武装蜂起を起こして、数千人のプロテスタントを殺害する事件が起きます(*´Д`*)イングランドもアイルランドも不穏な状況となりました。
イングランドでは国王派と議会派が内戦に突入し、議会派が勝利。チャールズ1世は処刑されます(*´Д`*)議会派の護国卿クロムウェルは、国王派と結んだアイルランドの制圧に乗り出します。
1649年、クロムウェルはアイルランドに上陸し、征服を進めます。その際に数千人のカトリック住民を虐殺(*´Д`*)これは1641年の報復という位置付けです。
クロムウェルは1658年にインフルエンザで死亡。結局、王政復古でチャールズ2世、次にジェームズ2世が王位に付きます。カトリックのジェームズ2世はやはり議会と対立します。議会派はオランダ総督のオレンジ公ウイリアムに武力介入を要請。オレンジ公ウイリアムはオランダ軍を率いてイングランドに上陸すると、ジェームズ2世はあっさりフランスに亡命。いわゆる名誉革命です。オレンジ公ウイリアムはウイリアム3世として即位します。
さて、アイルランドはこの後が大変となります。ジェームズ2世はフランスのルイ14世の支援を受けてアイルランドに上陸。アイルランドのカトリック勢力はジェームズ2世を支援します。ウイリアム3世はアイルランドに進軍。1690年、ダブリン北方のボイン川で両者は激突します。この結果、ウイリアム3世がアイルランドとフランスの連合軍を撃破し、ジェームズ2世は再びフランスに逃げます。
アイルランドは、少数のプロテスタント地主が多数のアイルランド小作人を支配する時代となります(*´Д`*) -
歴史の話はいったん終了。
バスはベルファスト市内に入ってきました。市の人口は約34万人。
ベルファストの語源は「ファーセット川の口」というアイルランド語です。ただ、ファーセット川は地図を探しても見つかりません。ラガン川になってしまった?ようです。ベルファストはこのラガン川沿いに発展してきました。
市民の宗教別内訳はカトリック47.2%プロテスタント48.6%ですが、最新の今年の数字だと、カトリックがプロテスタントを上回りました。
カトリックの方がアイルランドとの統合を望んでいる・・・かというとそうでもなく、カトリックだけど現状を維持してほしい人も多いらしいです。この後どこかで説明します。 -
リネン博物館?でしょうか。ベルファストはリネンも有力産業です。
歴史の話の続き。18世紀の海外の動きがアイルランドにも影響します。米国独立戦争とフランス革命です。外国のカトリック勢力がアイルランドに侵攻する恐れや(実際にフランス艦隊がアイルランド上陸を試みますが、強風で失敗)、アイルランドのカトリックも軍隊に入れる必要が出てきたため、英国はアイルランド支配を緩和させていきます。アイルランド人はそれを上回る自治を求め、反乱を起こしますが、1798年の反乱は鎮圧され、数万人が死亡します(*´Д`*)
英国は独立運動を抑え込むため、アイルランドとの合同を画策します。イングランドとスコットランドは既に1707年に合同し、「グレートブリテン王国」を形成していましたが、同様に1801年の合同法成立で、アイルランドは「グレートブリテン及びアイルランド連合王国」の一部となります。アイルランド王国もアイルランド議会も消滅します。
この後は、連合王国の枠内で、アイルランドの自治を求める動きが活発になります。アイルランド議会はなくなりましたが、英国議会のアイルランド内の選挙区はアイルランド議会党が多数を占め、英議会の第1党が過半数を取れない場合に、キャスティングボートを握るようになります。この結果、1870年には、アイルランドの小作農の土地所有を認める法律が成立するなど、徐々に改善を図ります。ただ、アイルランド独立という根本的な目標は遠い段階です。 -
ベルファスト市庁舎近く。「アルコールフリーエリア」との看板がありました。アルコールがタダで飲めるわけではありません(^_^;)屋外でアルコールを飲んではいけませんというお達しです。罰金最大500ポンド(約10万円)だとか。
歴史の話の続き。これがとりあえず一区切りです(^_^;)
第1次世界大戦が1914年に勃発。実はアイルランド自治法案はこの前年までに3度も提出されており、後一歩のところまで来ていたのですが、アイルランド側も、まずは英国内で団結して戦争を勝ち抜こうという意見が大勢となります。一方、この戦争の機に独立を目指すアイルランド人もおり、1916年に起きた「イースター蜂起」では、アイルランド民族派が「アイルランド共和国の独立」を宣言しますが、英国に鎮圧されます(*´Д`*)
結局、第1次世界大戦終了後の1920年、アイルランド統治法が成立。北アイルランドの6県に1議会、残りのアイルランドに1議会が作られます。1921年には英国自治領として「アイルランド自由国」が成立します。これは英連邦の一つで、カナダやオーストリアと同じ地位です。北アイルランド6県は英国統治下にとどまります。
これににより英国は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」となりました。文字に「北」が入っただけですが、アイルランドは750年の支配を脱し、自治を獲得したことになります(^o^) -
ベルファスト市庁舎に到着しました。中に入ります。
入口の黄色い看板は「ドローン禁止」ではなく「ドローンで上空から撮影することがありますよ」という注意でした。シティホール (ベルファスト) 建造物
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市庁舎です。入口の前でビクトリア1世の像が立っています。1888年に女王がベルファストを市と認定ました。
その後、この市庁舎が1906年に完成しました。
その横で若い女性の観光客がポーズを取っています。なぜこのポーズかと言うと・・・ -
イチオシ
BELFASTの「T」を自分でやって完成させるんですね(^o^)考えてます。日本の観光名所でも「顔はめ」よりオシャレだとおもうので、ぜひ広めてほしいです。
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イチオシ
現地日本人ガイドのHさんです。おきれいな方なのですが、ちょっと写真うつりがイマイチですいません(^_^;)
ベルファストの市章について説明しています。左側の茶色のオオカミは黄金の首輪を付けており、ベルファストの創設者で大地主のアーサー・チチェスター卿の家紋です。右側と上部にある水色のタツノオトシゴは、ベルファストが海運とともに歩んできた道を示しています。真ん中にある帆船も同様です。1613年から使用されているようです。 -
この柱には「USAEF」と「SECOND WORLD WAR」の文字があります。アイルランドは第2次世界大戦は中立では・・・あ、ベルファストは英国でしたね(^_^;)USAEFつまり米国海外派遣軍が第2次大戦の際にベルファストを使った?ことへの感謝ではないかと思います。
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この柱の近くの碑文には、クリントン米大統領が95年11月30日に訪問した記念で建てられた旨が書かれていました。
クリントンは98年の和平合意に尽力しました。 -
では市庁舎の中に入りましょう。
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予約すれば無料で見学できる旨が書いてあります。
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天井までの高さは53メートル。
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分かりづらくて恐縮ですが、ギリシャ産の緑の大理石が珍しく、貴重らしいです。
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床の大理石はイタリア産です。
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このステンドグラスは、演説をしている人と旗を持っている人が描かれています。
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1907年の港湾労働者のストライキがテーマのようです。ベルファストを揺るがす大事件だったのだと思われます。
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こちらのスタンドグラスは、嘆き悲しむ人と大きな帆船が描かれています。
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1845~48年の「ジャガイモ飢饉」がテーマです。多くの人がなくなり、新大陸に帆船で移民した人も多数いました(*´Д`*)
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こちらのステンドグラスは何でしょうか。
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1906年~2006年までのベルファストの繁栄をシンボル化したもののようです。下の方にはタイタニック号と造船所もあります。ハーランド&ウルフ社。飛行機があるのは航空機体製造の会社ショートブラザース(現在はボンバルディア傘下)ですね。
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展示室に入りましょう。
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イチオシ
今年の「ロード・メイヤー」の写真が掲げられていました。市長は通常「メイヤー」ですが、ベルファストはワンランク上です。1892年からロード・メイヤーと呼ばれるようになりました。アイルランドでロード・メイヤーがいるのは、他にコークとダブリンだけです。
ベルファストの市長は、市議60人の中から選ばれます。任期は1年なので「今年の」表記は変わらず、下の写真が変わる仕組みですね。 -
今年の市長は、ライアン・マーフィさんです。シン・フェイン党所属。
シン・フェイン党はかつてIRAの政治部門で、アイルランド統一を目指す勢力です。一時期は少数派だったのですが、現在は第1党です。また後で説明します。 -
ロードメイヤーのローブです。
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こちらは市議のローブです。
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2014年には、市長、副市長、ハイ・シェリフ(執行長官)が3人とも女性でした。
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イチオシ
これがロードメイヤーの椅子です。以前は自由に座れたようですが、座面が傷む?のかダメになったようです。
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中庭に出ました。巨大な横長の碑があります。
1912年4月15日にタイタニック号が沈んだ際の犠牲者名簿です。この後、タイタニック博物館に行きますが、ベルファストの「観光資源」と言ってよいでしょう。 -
1500人以上の方がなくなりました(T_T)
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タイタニック慰霊碑?です。後付け感ありますが(^_^;)市庁舎の片隅に置いてありました。
この後、タイタニック博物館に行く前に、北アイルランド紛争の名残りが残るベルファスト市内を訪ねます。
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