2023/06/21 - 2023/06/21
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パッピーさん
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表紙 和田倉噴水公園。
4月に当日受付の皇居一般参観受付枠に入れなかったので、5月1日朝6時前に6月の予約をし、リベンジです。ですが、5月10日から午前の回、午後の回とも240人(うち当日受付140人)と2倍の定員となっていました。 予約した方が安心ではありますが12:45頃 桔梗門前を通りましたが、12:30から配られる当日整理券まだ受け取り可能でした。
東御苑オープン時間は9時、皇居一般参観は9:50までには桔梗門前に集合なので東御苑参観は30分。二の丸庭園の菖蒲をざっくり見るだけのつもりが、皇居一般参観を含めると一日観光になりました。
①は平川門、梅林坂、天守台、皇居一般参観、二重橋、桜田門、和田倉噴水公園 です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
▽大手壕▽ 平川橋より。9:03
前回見損ねた平川門から入りたいので、今日は竹橋下車。平川門 名所・史跡
-
▽平川門▽ 標柱。
死者や罪人がここから出されたことから「不浄門」とも呼ばれる。平川門 名所・史跡
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▽平川壕▽
橋を挟んで右手(西側)は平川壕。平川門 名所・史跡
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▲▽皇居東御苑▽▲ 平川橋を渡った所で荷物検査。皇居東御苑に入ります。
東京とりっぷによれば平川橋親柱の擬宝珠には寛永や慶長などの銘が彫られているそうです。https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0411/ 今頃分かってもね。又行きますよ。平川門 名所・史跡
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▲▽皇居東御苑▽▲
9:07 平川門、渡櫓門通過。平川門 名所・史跡
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▲▽皇居東御苑▽▲ ▽平川門▽ 説明板。
毎度の事ですが、写真を撮っただけで読んでいなかったので「帯曲輪」につながる脇門には気付かなかった( ;∀;)平川門 名所・史跡
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▲▽皇居東御苑▽▲ ▽平川門、渡櫓門▽ 内側より。
平川門 名所・史跡
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▲▽皇居東御苑▽▲ 皇居東御苑と上皇上皇后両陛下
ヒレナガニシキゴイはインドネシアと日本のコイ の交配だったのですね。平川門 名所・史跡
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▲▽皇居東御苑▽▲ ▽平川壕▽
平川門 名所・史跡
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▲▽皇居東御苑▽▲ ▽平川壕▽
平川門 名所・史跡
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▲▽皇居東御苑▽▲ 4月に行き損ねた梅林坂に向かう。
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▲▽皇居東御苑▽▲ ▽天神濠▽ 銘石。
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▲▽皇居東御苑▽▲ ▽天神濠▽
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▲▽皇居東御苑▽▲
こちらは平川濠と思っていますが、自信なし。 -
▲▽皇居東御苑▽▲
天守台を目指します。 -
▲▽皇居東御苑▽▲
綺麗な算木積み。 -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽汐見太鼓櫓台▽
たかーい石垣。清掃中の男性と比べて下さい。算木積みのスロープの上の方が垂直になっています。石はすだれ仕上げ。ところで手前のプランターのような石積みは何でしょうか?
上の写真は4月撮影の「梅林坂・汐見坂間石垣」説明板より切り取りました。 -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽梅林坂▽ 説明板。
今度は梅の咲く頃に来ます。 -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽梅林坂▽ 銘石。
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▲▽皇居東御苑▽▲ ▽梅林坂▽
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▲▽皇居東御苑▽▲ ▽梅林坂▽
天守台はもうすぐです。 -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽天守台▽東北隅角。
「切石の布積み。上ほど石材を小さく遠近感を出している。」 *『図説 江戸城の石垣』
9:18 天守台着。 -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽天守台▽東面。
-
イチオシ
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽天守台▽東南面。
「天守台東南出角。角石8段築石10段の接合部分。」角石と築石部の接合がむずかしく「技術の粋をつくした秀作」だそうです。 *『図説 江戸城の石垣』
東南面の石垣に焼け跡があります。 -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽天守台▽全景(南面)
前回撮り忘れたので忘れずに(^^♪ -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽桃華楽堂▽
桃華楽堂は香淳皇后の還暦記念に建てられました。 「八つある壁面、各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ」(写真左から)楽の音、日月星、松竹梅「などをイメージして描かれています。」 *桃華楽堂 説明板
3面しか見えず残念。敷地内には入れませんでした。 -
▲▽皇居東御苑▽▲
9:27 大手門に向かいます。 -
▲▽皇居東御苑▽▲
中雀門が見えて来ました。 -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽中雀門▽
向かって左側。 1863年の本丸御殿の火災の爪痕が残る。
火災の爪痕とは知らず前回こちら側には注目していません。 -
▲▽皇居東御苑▽▲ ▽中雀門▽
向かって右側。
前回は、趣ある石垣と近寄って写しました。
もう9時半です。9:50までに桔梗門前に集合なのでここからはダッシュ。私の前の外人さんも皇居参観ツアーに参加の様です。足が長いので急いでいても楽そうです。 -
▲▽皇居一般参観▽▲
許可通知を見せるとこんな番号札を渡されるので首にかけます。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田高麗門▽ 9:43
桔梗門の正式名は内桜田門。 「昔この門の瓦に太田道灌の家紋(桔梗)がついていたことから桔梗門と呼ばれるようになったとも伝えられています。」*http://www.hls-j2006.com/koukyo/001/103/ -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽蛤壕▽
ルートは
桔梗門(入門)-窓明館(休所)-富士見櫓下-宮内庁庁舎前-宮殿東庭-正門鉄橋(渡ってから折り返し)-宮殿東庭-山下通り-宮内庁庁舎前-桔梗門(出門)*https://sankan.kunaicho.go.jp/about/koukyo.html -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田高麗門▽
を潜ります。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田高麗門▽
を内側から写す。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田渡櫓門▽
を潜ります。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽窓明館(休所)▽
参観開始までここで待ちます。売店もあり菊花紋章が描かれたお土産がありました。帰りには買えませんのでご注意。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽窓明館(休所)▽
ビデオを見ながら見学ルートの説明があります。約1時間15分の参観途中で引き返すことはできないので、時間のない人は参加しないように言われます。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽窓明館(休所)▽
二重橋を渡る馬車列の模型がありました。 -
▲▽皇居一般参観▽▲
10:03 ツアーの始まり。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽桔梗門脇の石垣▽
まずは刻印石の説明。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽桔梗門脇の石垣▽
丸に十字は島津藩の刻印だそうです。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽桔梗門脇の石垣▽
丸に中の字は何か?
細川忠興の刻印かそれとも 金沢藩前田筑前守の刻印か?(*https://4travel.jp/travelogue/10757125 しまうさぎさん旅行記) -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
約15mの高さの石垣の上に聳え立つ約16mの高さの三重櫓。
打ち込み接ぎ乱積みの石垣。富士見櫓 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
富士見櫓は明暦の大火で焼失しましたが、その後まもなく再建され、天守の代用としても使われていました。 *皇居東御苑内富士見櫓説明板富士見櫓 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
皇居東御苑内から見ると石垣が見えないので聳える感じはなかった。富士見櫓 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
楽しみにしていた狭間(写真黄線部)も石落とし(写真赤線部)もみえました。富士見櫓 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽宮内庁庁舎▽ 10:13
1935年に建設された建物で、戦後、1952年10月から1969年3月まで三階を借り宮殿として使用していた。以前は一般参賀がこちらで行われていたそうです。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽坂下門▽ 10:15
一般参観は車道を通るので情緒がありません。時間がなければ皇居東御苑だけの方がお薦めです。時間を見て好きな所だけ観光できるので。坂下門 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲
梅雨にも拘わらず、日傘が必要な暑さでした。油断して帽子しか被らなかったら首筋から肩にかけて日焼けし、赤くなり、皮がむけました( ;∀;) -
① ▲▽皇居一般参観▽▲ ▽塔の坂警備派出所▽
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽長和殿▽
一般参賀はこちらの宮殿東庭で行われる。皇室の方がお手振りをする場所は長和殿の中央のベランダです。もっと高い位置にあるのかと思っていた。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽中門(西の丸玄関門跡)▽
宮殿東庭から中門を潜り、 -
▲▽皇居一般参観▽▲
正門鉄橋(/二重橋)に向かう。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽正門鉄橋▽ より
正門鉄橋から正門石橋(/眼鏡橋)を見ることができますが橋から物が落ちると困るとかで欄干に近寄ることはできません。二重橋 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽正門鉄橋▽ より。
一般参観に参加しても二重橋(正門鉄橋)を渡れますが、見えないのですね。
実は一般参観に参加しなくても二重橋の見える所があるのを知りませんでした。
「ここが ここが二重橋
記念の写真をとりましょうね。」の歌は知っていたのに(^^)/二重橋 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽正門石橋(/眼鏡橋)▽ 正門鉄橋より。
正門石橋の向こうの皇居前広場には、沢山の観光客。
二連アーチが濠に写り眼鏡のように見えた。二重橋 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽伏見櫓▽
正門鉄橋より。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽正門鉄橋▽ より
中の門前で説明を受ける沢山の参観者。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽正門鉄橋▽ より
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽伏見櫓▽
正門鉄橋より。 17世紀京都の伏見城にあった櫓を解体して移設したといわれています。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽伏見櫓▽
バロック調の鈴蘭燈と伏見櫓の粋なコラボ。 -
▲▽皇居一般参観▽▲
中門手前の石垣。亀甲型の石が布積みされ、美しい。 -
▲▽皇居一般参観▽▲
中門手前の石垣。ノミはつりされた石。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽長和殿▽
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽長和殿▽
長和殿の屋根には端鳥。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽宮殿南庭▽
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽長和殿▽
長和殿前にはカンツバキとサザンカの植え込みがある。黄色いランタンは有田焼の照明塔だそうです。
皇居には大道庭園があり、そこには600年以上の盆栽も飾られているそうです。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽松の塔▽
ガイジンさんのグループは、長和殿のすぐ近くまで案内されていた。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
富士見櫓 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽北車寄せ▽
組閣後の写真はこちらの黄色の階段の所で撮られている。 -
▲▽皇居一般参観▽▲
石垣は乱積みでしょうか? すだれ仕上げの石もあります。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽長和殿▽
こちらからも屋根の端鳥が見えました。 -
▲▽皇居一般参観▽▲
こちらの方向が紅葉山と言われシャッターを押したつもりですが、自信なし(^^)/ -
▲▽皇居一般参観▽▲
アジサイ。 -
▲▽皇居一般参観▽▲
シロヤマブキの実。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽山下通り▽
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽蓮池濠▽
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽蓮池濠▽
見事な算木積みの高い石垣。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽宮内庁庁舎▽
ツアーも終わりに近づく。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽蓮池濠▽
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
富士見櫓 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
富士見櫓 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
打ち込み接ぎ乱積みの石垣に算木積。富士見櫓 名所・史跡
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イチオシ
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽富士見櫓▽
富士見櫓 名所・史跡
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▲▽皇居一般参観▽▲
山下通りを下っていく。右手に粗削りの乱済みの石垣が見えた。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田渡櫓門▽
振り出しに戻って来ました。
正面は窓明館(休所)。帰りは窓明館に戻ることはできません。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田渡櫓門▽
手前の黒っぽい石垣が刻印石を見た所。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田渡櫓門▽
内桜田渡櫓門が入口且つ出口。 -
▲▽皇居一般参観▽▲
内桜田高麗門に向かいます。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田高麗門▽
11:09 内桜田高麗門から出ます。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田渡櫓門▽
11:09 渡櫓門を外側から最後に撮る。 -
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽蛤濠▽
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▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田高麗門▽
-
▲▽皇居一般参観▽▲ ▽内桜田高麗門▽
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▽蛤濠▽
11:12 蛤濠にコブハクチョウ。 -
▽蛤濠▽
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▽蛤濠▽ 11:15
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▽二重橋濠(湟池)▽ 11:32
正門石橋が見えてきた。 -
▽正門石橋▽
正門石橋 名所・史跡
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▽皇居正門▽ 立ち入り禁止です。
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▽正門鉄橋▽
右奥に伏見櫓。二重橋 名所・史跡
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正門石橋と皇居正門。
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皇居正門横の石垣。
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正門と二重橋説明板。
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正門石橋、正門鉄橋と伏見櫓。
正門石橋 名所・史跡
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正門石橋、正門鉄橋と伏見櫓。
正門石橋 名所・史跡
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正門石橋、正門鉄橋と伏見櫓。
正門石橋 名所・史跡
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二重橋濠をコブハクチョウが泳ぐ。
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正門石橋、正門鉄橋と伏見櫓。
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コブハクチョウは正門石橋下まで泳いでいった。
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石垣の向こうに外桜田門が見える。
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二重橋濠は桜田門の手前で直角にまがります。
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二重橋から
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桜田門へ来ました。
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▽二重橋濠▽
この辺りはまだ二重橋濠のようです。 -
▽二重橋濠▽
振り返ると二重橋濠沿いに高層ビル。 -
▽桜田門櫓門▽
桜田門を潜る修学旅行生達を写真屋さんが撮る。 -
▽桜田門櫓門▽銘石。
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皇居外苑案内図。
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▽桜田門櫓門▽
修学旅行生達は皇居前広場にいます。 -
▽桜田門櫓門▽
立派な櫓門です。現存する旧江戸城門の中では最も広い規模で、国の重要文化財。 -
▽桜田門櫓門▽
右側に高麗門があります。
「外桝形という防御性の高い城門で、西の丸防御のため異例の大きさで造られました(三二〇坪)。」 *旧江戸城 外桜田門 説明板 -
▽桜田門高麗門▽
11:55には高麗門を潜る。 -
▽桜田濠▽
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▽凱旋濠▽
外桜田門 説明板の後は凱旋濠。 -
旧江戸城 外桜田門 説明板。
「この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺されました。」 -
▽桜田門高麗門▽銘石。
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▽桜田門高麗門▽銘石。
バックは凱旋濠。 -
高麗門石垣にはツタバウンラン。
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▽桜田濠▽
濠の向こうに国会議事堂が見える。 -
▽桜田門高麗門▽と▽桜田門櫓門▽
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▽桜田門櫓門▽と▽凱旋濠▽
写真中央の石のベンチでしばらく休憩。 -
▽桜田門高麗門▽ 12:02
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桜田濠前の道標。
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▽桜田門▽ 説明板。
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▽桜田門▽ 全景 12:09
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霞が関中央官庁案内。
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アベリア (内堀通り遊歩道)。
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▽桜田濠▽
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12:14 桜田門の横断歩道を渡り
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レンガ色の建物に向かう。
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▽法務省旧本館▽ 説明板。12:16
法務省旧本館 名所・史跡
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▽法務省旧本館▽
法務省旧本館 名所・史跡
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▽法務省旧本館▽
法務省旧本館 名所・史跡
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▽法務省旧本館▽
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▽米沢藩上杉家江戸藩邸跡▽ 12:21
米沢藩上杉家江戸藩邸跡 名所・史跡
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▽米沢藩上杉家江戸藩邸跡▽ 説明文切り取り。
米沢藩上杉家江戸藩邸跡 名所・史跡
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▽祝田橋▽ 12:26
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▽日比谷濠▽
祝田橋の東側は日比谷濠。 -
▽凱旋濠▽
祝田橋の西側は凱旋濠。 -
特別史跡江戸城跡 案内板。
-
特別史跡江戸城跡 案内板の文字部。
ここでSDカードを落とした事に気づく。
ので二重橋濠辺りをざっと探してはみたが、見つからず。
桜田門まで戻る気にもなれないので諦める。 -
▽桔梗門▽ 説明板。
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▽桔梗門▽
皇居一般参観集合場所に戻ってきました。もしかしてSDカード見つかるかもと淡い期待もあったので。そのくせスタッフにSDカードの落とし物なかったか尋ねもせず。 -
▽桔梗濠▽と桜田二重櫓▽
-
▽桔梗濠▽と桜田二重櫓▽
左側に見えるのは桔梗門。 -
▲▽和田倉噴水公園▽▲ 12:54
前回は早朝で噴水が動いていなかった。
この程度でも嬉しかった。和田倉噴水公園 公園・植物園
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▲▽和田倉噴水公園▽▲ ▽和田倉門跡▽説明板。
和田倉噴水公園 公園・植物園
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▲▽和田倉噴水公園▽▲ ▽和田倉門跡▽そば石垣。
和田倉噴水公園 公園・植物園
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▽和田倉濠▽
-
▽和田倉濠▽
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▲▽和田倉噴水公園▽▲
和田倉噴水公園 公園・植物園
-
▲▽和田倉噴水公園▽▲
和田倉噴水公園 公園・植物園
-
イチオシ
▲▽和田倉噴水公園▽▲
噴水の楽しめるスターバックスを覗くが、食べたいものが見つからない。和田倉噴水公園 公園・植物園
-
イチオシ
▲▽和田倉噴水公園▽▲
噴水の前に無料の休憩所があり持ち込みで食事ができますが、コンビニまで買いに行くのも面倒なので、ペットボトルの水を飲んで一息つく。和田倉噴水公園 公園・植物園
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▲▽和田倉噴水公園▽▲
左程期待しないで寄りましたが、アーティスティックでした。和田倉噴水公園 公園・植物園
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▲▽和田倉噴水公園▽▲
裏側まで回って写真を撮りました。和田倉噴水公園 公園・植物園
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▲▽和田倉噴水公園▽▲
全景も写しました。暑かったので涼しくて最高。和田倉噴水公園 公園・植物園
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▲▽和田倉噴水公園▽▲ 御製歌碑。
和田倉噴水公園 公園・植物園
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▲▽和田倉噴水公園▽▲ 御製歌碑。
和田倉噴水公園 公園・植物園
-
▽和田倉濠▽
正面ビルは みずほ丸の内タワー。 左のビルは 日本生命丸の内ガーデンタワー。
大手町の地下に向かう。 -
▽バジル 丸の内店▽
パレスビル地下のバジル、丸の内店に入る。 -
▽バジル 丸の内店▽
ランチ メニュー。 16:00までのランチは有難い。 -
▽バジル 丸の内店▽
パッタイです。味は普通。 -
▽バジル 丸の内店▽
会計は税込みで1,100円。
疲れが取れたので、
On y va!
ここまでお読み戴き有難うございます。
②二の丸庭園編も宜しくお願いします。
2023.8.7 パッピー
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旅行記グループ
☆ALLONS AU 江戸城☆
この旅行記へのコメント (1)
-
- jijidarumaさん 2025/12/01 02:58:44
- 江戸城(皇居)は、いつでも行けると思っていたけど、まだ皇居の中を見たことが無い。
- パッピーさん、
今晩は。いつもおたちよりありがとうございました。
さて、掲題の兄の回想です。
【叔母と兄の回想・・・聞き書き】
【叔父の49日法要(2010年4月29日)の際に叔母から聞いた話と、我が家のゆかりの人々と称する私の一文を読んだ札幌の兄からの電話(5月31日)の聞き書き(纏め)】
・・・・・
2)札幌の兄からの電話:
叔母から聞いた話を、私が纏めて札幌の兄に送った所、叔母の話に触発され、思わぬことに兄から次のような思い出話を聞くことになった。
戦後の価値観の様変わりもあって、兄は今まで他に話すことはなかったと言う。
A)幼少の皇太子(現上皇さま)と遊ぶ。
これも戦前の事だが、ある時、兄は母に連れられて、皇居に上がり、香淳皇后(こうじゅんこうごう・昭和天皇の皇后。久邇宮家(聖心女子大のキャンパスに名残の建物がある)の出で旧名は良子女王ながこじょおう、1903年3月6日~2000年6月16日・97歳で崩御)の前で、幼少の皇太子と遊んだと言う。
当時の皇太子、つまり上皇さまは兄の2歳上(昭和8年生まれ)だが、どうも皇太子の遊び友達にしたいという目論見?があったのだそうだが・・。
母から何と言われていたのか、兄ももう記憶が無いと言う。
年齢からすれば学齢期以前のことだろうから、母が退官(昭和7年)して数年過ぎた頃の話だろうか、こうした事を聞くと、亡くなった母は上からの信用もあり、可愛がられていた・・・と推測される。
B)大学卒業を目前にしたころ、皇居の女官長からの連絡で皇居に伺った。
もうひとつ兄の回想がある。私も初めて聞いて大いに驚いた話である。
戦後、兄が明治大学を卒業する段になった時、宮内庁から青梅の実家に電話があり、女官長が兄に会いたいと言っている・・と連絡があった。
その事情が分からぬままに、指定された日時に兄は一人で皇居に向かい、坂下門で面会の手続きをすると、皇宮警察官がお話は聞いております・・と言って、奥(おく・御所の裏手にあったとか)に案内してくれたそうだ。
兄は女官長との話の内容をもう覚えていないとの事だが、帰りにはお土産に恩寵の煙草と干菓子(ひがし)を頂いたと言う。
ここでも推測するばかりだが、女官長には母が仕え、母の亡くなった後も息子の事を気にかけてくださったようである。
女官長の名前はうろ覚えだが、兄は昭和10年生まれだから大学を出る頃は昭和33年か、34年であろう。
御所の生活の写真が残っている。昭和3年8月那須の御用邸にて皆さまとの集合写真がある。そこには竹屋志計子(しげこ)女官長心得(後に女官長、子爵家)、皇后宮大夫河井彌八、万里小路(までのこうじ)ソデ女官(伯爵家)、高木御用掛けなどと一緒に母の姿も見える。
母の御所生活の時期は、竹屋志計子(1876年~1950年)が皇后宮女官長(昭和5年・1930年~昭和13年・1938年)を務めたが、兄が呼ばれたころはもう退官していた。
うろ覚えながら、この女官長を徳川祥子(とくがわさちこ)女官長と兄は言っていたが、女官長に就任された年を調べてみると、1969年(昭和44年)5月20日であるので、兄がお会いした時はまだ女官長ではなかったと思われる。
しかも、彼女は昭和10年(1935年)4月26日、19歳のとき北白川宮永久王(ながひさおう)と結婚し、北白川宮永久王妃祥子(きたしらかわのみや ながひさおう おうひさちこ)となっているし、戦後に皇籍離脱した後に女官となっているようなので、母との接点が無いと思われる。
平成改元後も皇太后宮女官長として香淳皇后に(~1989年1月11日)長く仕えた。兄の徳川義寛(尾張藩分家・とくがわよしひろ)侍従長と共に皇室に深いかかわりを持った方である。
もう一方は保科武子(ほしなたけこ)女官長である。昭和13年から42年まで女官長であったと言う事なので、時期的には合うのだが、この方も母との接点が見当たらない。13年以前から女官であったならば、母の退職前に接点があったかもしれない。調べてみるすべもなく、よく分からなかった。母の日記に戻らざるを得ないようだ。
(2010.06.06.聞き書き編集)
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