2023/05/19 - 2023/05/21
220位(同エリア897件中)
jun1さん
門司港レトロ地区を歩いてから関門トンネルも歩いて下関側の観光をして、関門海峡を一望できる絶景の宿「満珠荘」に泊まり、ふぐを食すという計画をしたものの、そんなに歩けるか不安を残したまま出発。
翌日は観光列車〇〇のはなしに乗車して萩へ萩観光、3日目最終日も萩観光をしたのでお祭りに遭遇、学生の時に山陰旅行した時、萩はレンタサイクルで急ぎ観光だったが、今回はゆっくり萩の町を歩きました。
3日目
萩城址指月公園 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 天樹院 萩博物館 隅矢倉
田中義一銅像 菊屋家住宅 高杉晋作誕生地 高杉晋作銅像 円政寺
木戸孝充旧宅 萩中央公園 旧明倫小学校 野山獄跡 岩倉獄跡
浜崎おたから市 住吉神社 旧山村家住宅
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無料の朝食、簡素なものでした。
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ホテル前のバス停
時刻表を見て萩城址へ行くからオレンジライン7時57分発に乗車。 -
バス車窓から
指月山かしら? -
このバスに乗りました、萩城址・指月公園入口バス停で下車したときに撮影
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萩八景遊覧船のりば
約40分の遊覧船のコースがあるようです。 -
指月橋を渡って「萩城址指月公園」へ
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「毛利輝元像」
父は毛利隆元、祖父は毛利元就、10歳の時に父が急死したため祖父毛利元就に養育され毛利家14代当主となるも、
関ヶ原の戦いで敗れた西軍の総大将毛利輝元は周防国、長門国の2ヶ国に領地を減らされました。
そこで広島城から新たな拠点として築城した城が萩城です。慶長9年(1604)に築城を始め、慶長13年(1608)に築城は完了します。 -
萩城本丸門跡
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お堀
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萩城址指月公園入場料220円をここで支払い
厚狭毛利家長屋敷の拝観料を含むと言うので、後で行ってみる -
萩城 連理のマツ
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明治7年(1874年)に解体されるまでの萩城天守の姿、写真がありました。
天守閣跡に登ってみましょう! -
石段を登って天守台からの景色
指月山が見えます -
茶室
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「万歳橋」
長州藩の藩校である明倫館から移築された小さな橋で、萩市指定有形文化財 -
「志都岐山神社(しづきやまじんじゃ)」
明治12年萩の有志が山口にある豊栄、野田両神社の分社として建てたもの
毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳の五柱を祭神として、初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られています。 -
「楫取素彦寄進の井戸」
楫取素彦(かとりもとひこ)は幕末の長州藩の志士、明治時代の官僚、政治家である。吉田松陰の次妹の寿と結婚し、寿に先立たれた後の明治16年(1883年)久坂玄瑞の未亡人であった末妹の美和子(文)と再婚している。
松陰の妹2人と結婚したのですねぇ。 -
展望所に登ったら海が綺麗に見えた(^^♪
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萩城址指月公園を出て「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」へ
先ほどの指月公園入場料にここも含まれてましたので、券を係員に見せるだけでした。 -
長屋は
桁行51.5メートル、萩市内に現存する最大の武家長屋です。 -
長屋の西座敷一の間、仲間部屋などにある展示物を外から順番に見ていきました。
萩城下町絵図や系図などです。 -
白壁の道を東に進み
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「天樹院」
毛利家14代当主の毛利輝元と夫人、そして殉死者長井治郎左エ門の墓、3基がありました。 -
萩市のマンホールは白壁と夏みかんデザイン
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「萩博物館」
時間かかりそうなので、入口付近だけ見て入館しませんでした。 -
城下町の風情の残った町ですねぇ。
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「隅矢倉」
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「田中義一銅像」
父は萩藩主の駕籠かきをつとめる下級武士の三男として生まれたが、武術にすぐれた人物だったそう。
13歳で萩の乱に参加。若い頃は村役場の職陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)、内務大臣(第45代)などを歴任した。 -
「菊屋家住宅」
菊屋家は、毛利藩の御用商人として藩を支えてきた豪商で 屋敷は藩の賓客をもてなす迎賓館のような役割も担ったそうです。
見事な庭園や美術品や民具等を500余点を展示しているそうですが他に行くところが多数あるのでパスしました。 -
萩ぷりん亭
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「高杉晋作誕生地」に入りました、入場料100円
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産湯の井戸や高杉晋作の肖像画、当時の茶道具などゆかりの品が置かれています。
座敷には上がれず、外からの見学のみ。 -
「高杉晋作銅像」
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「円政寺」
伊藤博文が読み書きを習い、幼少期の高杉晋作が遊んでいたという木馬が残る真言宗御室派の寺院。
200円だかの拝観料でしたが住職の面白い話や萩城下町絵図をいただけました。 -
人力車で観光してる人をみかけました
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「木戸孝充旧宅」入場料100円
藩士の桂家の養子になったので桂小五郎と知られてますが、慶応元(1865)年、藩命により姓を“木戸”と改め、翌年、坂本竜馬の仲介のもと薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通らと“薩長同盟”を結び明治維新に尽力。
藩命で性名を変えるってどうして?と思う。 -
誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。
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萩中央公園に行きました
「久坂玄瑞進撃像」 -
萩中央公園にあった「山縣有朋銅像」
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現在の明倫小学校
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旧明倫小学校
毛利氏は大江匡房や広元を祖とする家柄で、学問を重んじる伝統を持ち、享保3年(1718年)5代藩主毛利吉元が明倫館を創建しました。
その跡地に1935年(昭和10年)明倫小学校が建てられ、2014年(平成26年)3月まで使用された木造校舎の内部を見学しましょう! -
お昼時なので、まずは「レストラン萩暦」でランチ
団体さんで満席だったようで、名前を書いて廊下にあった椅子で20分くらい待ちました。 -
萩暦ランチ
小鉢とお刺身、プラス100円でちりめん御飯にして、全て美味しく頂きました(^^♪ -
無料の本館だけ見学しました。
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踊り場に吉田松陰先生が('◇')ゞ
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藩校明倫館の歴史 (・_・D フムフム
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藩校明倫館のジオラマ
約5万m2もの敷地内に学舎、武芸修練場、練兵場などがあり吉田松陰、楫取素彦も教鞭をとりました。 -
旧明倫小学校の教室、応接室など再現。
小学校にこんな立派な応接室があったのね、パネルは伊藤博文だったかな。 -
廊下
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本館と2号館の間の通路
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旧萩藩校明倫館遺構南門
明倫館正門時代には、入口の上部に扁額が掲げてあり、地に黒字で「明倫館」と浮彫されています。
この門は、藩主が聖廟を拝する春秋の(孔子祭)や公式行事以外は開かれませんでした。 -
本館から4号館までを写真に撮りました、昭和の子沢山だったマンモス校でしたね。
右の欠けた建物は有備館(武芸修練場)だった建物、旅行記書いてるときに知りました、ちょっと入れば良かったです。 -
田町商店街
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「野山獄跡」
吉田松陰が投獄されてたところです。 -
その前に「岩倉獄跡」が有り
岩倉獄は下牢として庶民を収容した所。
吉田松陰の従者で、松陰ともに海外密航を企て失敗した金子重輔は岩倉獄に投じられました。 -
行きのバス運転手さんが今日は年に一度の「浜崎おたから市」開催日だと言ってたので時間があることだし、行ってみました、賑わってましたよ。
坂本龍馬の名入れ萩焼茶碗や各家に伝わる骨董品などが展示されてたそうですが、良く分からず( ゚Д゚) -
蚤の市 14時過ぎだったからか、店じまいしてるところも。
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魚の干物は買わなかったけど、シラスを買いました。
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何屋さんだったかなぁ?
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蒸気まんじゅう、なんだろう?と覗いてみました。
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萩名物の蒸気船の型をした「蒸気船まんじゅう」を1つ購入しました、
幕末「萩沖に出没する、黒船を食らってしまえ」的なノリで誕生したのだそうです。 -
夏ミカンジュース、冷たくて美味しかったです(^^♪
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「住吉神社」
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「住吉神社」
住吉神社は海上安全の守り神です -
「住吉神社」
ゆかた姿の娘さんがお参りしてました、レンタル+着付けで4000円だそうです。 -
今日はカラーのマンホールを見つけました、白壁と夏みかんデザイン。
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「旧山村家住宅」
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中に入れました、おたからが有りそうな旧家ですね。
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クラシックカーの展示
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松本川にかかる「雁島橋」
そろそろ東萩駅に戻ります -
萩橋と泊まった萩ロイヤルインテリジェントホテルが見えました
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夏ミカンの街灯が可愛かったので撮りました
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帰りの空港を山口宇部空港にするか、萩石見空港にするか調べた結果、萩石見空港に乗合タクシーが東萩駅から所要時間70分、2800円/人、ぎりぎりまで観光出来て、楽だと思い予約しました。
乗客は私共を含み6人で、空港に到着後に支払いました。 -
萩石見空港ってANA便が羽田に2往復だけの小さな空港。
満席でしたから、保安検査が1レーンなので混雑してて並びましたね。 -
18:15take off
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今回列車から日本海を眺めたが、飛行機からも日本海を眺めて帰路につきました。
3日間たくさん街歩きした旅でした。
--- 最後までご覧くださり、ありがとうございました ---
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