2023/05/19 - 2023/05/21
172位(同エリア900件中)
jun1さん
門司港レトロ地区を歩いてから関門トンネルも歩いて下関側の観光をして、関門海峡を一望できる絶景の宿「満珠荘」に泊まり、ふぐを食すという計画をしたものの、そんなに歩けるか不安を残したまま出発。
翌日は観光列車〇〇のはなしに乗車して萩へ萩観光、3日目最終日も萩観光をしたのでお祭りに遭遇、学生の時に山陰旅行した時、萩はレンタサイクルで急ぎ観光だったが、今回はゆっくり萩の町を歩きました。
2日目
下関駅 観光列車〇〇のはなし 東萩駅 郡司鋳造所遺構広場 松下村塾
吉田松陰幽因の宅 松陰神社 伊藤博文旧宅 伊藤博文別邸 玉木文之進旧宅
吉田松陰誕生地 吉田松陰のお墓 東光寺 (萩ロイヤルインテリジェントホテル泊)
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5時に目が覚め、おはようございます!
ぼーっと関門海峡を眺めています、フェリーが通過 -
5:15東の海から陽が上ってきました
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潜水艦?
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イージス艦?
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朝の散歩に出かけました
火の山にロープウェイで登れるようですが、運行時間前です、見える山が山頂かなぁ。 -
トルコチューリップ園の看板があったので入ってみましたが、すでに花は終わってました。
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山道があったので少し登ってみましたが、展望を見て帰ります。
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8時から朝食です。
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始発9:25下関駅行きのバスへ乗車
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20分くらいで下関駅到着
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普通の6番線ホーム、〇〇のはなしは、10時10分発です。
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観光列車〇〇のはなしは乗車運賃に指定席券530円をプラスするだけです、1ケ月前の発売日に購入しました。
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列車到着までの間にアテンダントの方に記念写真を撮っていただきました。
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いよいよ乗車!
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売店
ショーケースには山口県の民芸品やお弁当のサンプルがありました。 -
1号車(和風)
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2号車(洋風)
下関発の場合、日本海が見える窓に向かう2人席のほうが良いと思い、2号車の前列を指定出来ました。 -
「川棚温泉駅」
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地元の人々は作業の手を止めて手を振ってくれます
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日本海
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「二見夫婦岩(ふたみめおといわ)」
放送が有り停車してくれたので、写真に撮りました。 -
「特牛駅(こっといえき)」
この字は読めないなぁ。 -
「阿川駅」に15分ほど停車
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新設のカフェ「Agawa」でコーヒーと
キウイフルーツと生クリームの入ったクレープを購入
車内販売では山口県の日本酒は売ってましたが、コーヒーやスィーツは無かったので買えて良かったです。 -
記念写真を撮ってくれます
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だんだん晴れてきました!
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「長門市駅」
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元乃隅神社の赤い鳥居にはレンタカー借りないと行けないので、これを見たので良しとしよう
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駅員さんと子供が旗を振って送ってくれました(^^♪
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日本海を見ながらの電車の旅、なかなか良いもの
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車内で突然クイズが始まりました。
私は当たらず -
夫が当てて、賞品は温泉の粉・バッチ・絵はがきetc.
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終点東萩駅に12:55到着
レンタサイクルは駅横にあります -
今夜の宿「萩ロイヤルインテリジェンスホテル」に荷物を置いて
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ホテル2階にある居酒屋「まめだ」で昼食を食べてから松下村塾など、駅の東側を見学します。
左は金太郎とえび天丼、右は天丼 -
「郡司鋳造所遺構広場」
道路工事で偶然見つかり、発掘調査してこの場所に移設・保存展示しています。
大砲の鋳造の仕方をわかりやすく勉強できます。 -
「松陰神社の鳥居」
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無料ガイドを頼めるようでしたが、この時は出払ってました。
タイミングが悪かった。 -
自分達で見学することに
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「松下村塾」
幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。
天保13年(1842)に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。そして安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになりました。 -
「松下村塾」
木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小さな建物で、驚きました。 -
「松下村塾」
わずか1年余りの間でしたが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎など、明治維新の原動力となり明治新政府に活躍した多くの逸材を育てました。 -
「吉田松陰 幽因の宅」
安政元年(1854) 3月27日に伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗して江戸伝馬町の牢に捕らえられ、それから萩に送られ野山獄に入れられました。
翌年に釈放となりましたが、父杉百合之助預けとなり、実家である杉家に帰され3畳半の1室で謹慎生活を送りました。 -
「松陰神社」
吉田松陰を祀っています -
「伊藤博文旧宅」狭いです、中には入れなかった。
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「伊藤博文別邸」
入場料100円、スタッフさんがいろいろ説明してくれました。
東京都品川区にあった迎賓館的な建物の一部を萩に移築しました。
隣の旧宅とは違い立派な作りでした。
廊下の天井は5mほどの1枚板が使われてて高価で貴重品だったことでしょう。 -
「伊藤博文別邸」
伊藤博文は留学中に長州藩の下級武士の娘・すみ子と結婚していましたが、芸者だった梅子が博文の子供を妊娠したことで離婚し、梅子と再婚します、芸者の出ですので、初めのうちは読み書きすら大変だったようですが、持ち前の向上心で和歌や英語を学んでいきました。
また、身だしなみにも大変気を配っており、「婦徳の鑑」と称えられていました。 -
「伊藤博文別邸」
1階 -
「伊藤博文別邸」
2階への階段や廊下にはふしの沢山ある木材を使用してると、スタッフさんが説明してました。 -
「玉木文之進旧宅」
吉田松陰の叔父で松下村塾発祥の地と言われてる。 -
「吉田松陰誕生の地」
19歳頃までを過ごした家は跡地から想像して、小さなものでした、上左は産湯の井戸。
その後、嘉永元(1848)年、一家は松本村清水口に移り、現在の松陰神社境内に生活を移しました。 -
イチオシ
「吉田松陰像」
誕生地そばには吉田松陰・金子重輔の銅像があり、海外密航を企てた松陰先生と金子重之助(重輔)が下田海岸でペリー艦隊を望見する姿の像となっています。 -
上左は高杉晋作のお墓、上右は吉田稔麿のお墓、
下左は久坂良迪(久坂玄瑞の父)のお墓、下中央は吉田小太郎(吉田松陰の甥)のお墓、下右は吉田松陰のお墓です。 -
「東光寺」
総門から入ります -
拝観料300円
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東光寺の三門
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鐘楼
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立派な大雄宝殿
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広い敷地の奥のほうへ進む
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萩藩主 毛利家の墓所があります
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沢山の石灯篭に吃驚!!
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一番奥に進むと
萩藩主3代毛利吉就、5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元の奇数代の藩主の5基と、それぞれの正室の合計10基の他、側室など近親者20余基がある。
また、重臣諸家の献上した石灯籠500基が並んでいる。
なお初代秀就と偶数代の藩主は萩市の大照院に廟所があり、輝元の廟所は萩市の天樹院跡にあります、明日天樹院に行きます。 -
16時半ごろ 「萩ロイヤルインテリジェントホテル」チェックイン
オーナーの趣味なのか絵画がいたるところに飾ってありました、左にあるのは空気清浄機。 -
駅前の利便性で予約したホテル、ツインルーム20㎡
各階にフリードリンク機がありました。
室内にも空気清浄機が有りましたが、スリッパの除菌機まで有ったのには、ビックリ! 使い捨てスリッパじゃないからでしょうけど。。 -
大浴場 は 備長炭風呂
露天のほうは1人用のローズ&サンダルウッドの香り風呂 -
ホテルの2階にある居酒屋「まめだ」18時に予約しておいて良かったです、予約で満席になりましたから。
お昼に天丼を食べたお店です。 -
今日も良く歩きました、お疲れ様~
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ホテルの廊下から見えた松本川と夕陽
明日も萩の町を歩きます。
--- 初めての門司&下関そして夫は萩も初めてだった③(萩城址など散策)に続く ---
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