2023/07/15 - 2023/07/15
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たびたびさん
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福岡県の祭りと言えば、博多山笠。ド派手な飾り山笠の迫力ももちろんですが、早朝に市街を駆け抜けるスピード競争も熱い戦い。見ている側にもその真剣な必死さがしっかり伝わってきて、山笠がいかに博多の街の誇りであるか。それを育んだ博多の町衆の力がどれほどのものか。いろんな意味で伝統の重さに圧倒されるようなところがありますね。そして、もう一つの博多どんたくも昨年拝見して、ちょっとひと段落という感じになっていたのですが、ただ、そう言えばと気になったのが小倉祇園太鼓。博多の山笠に対しては小倉の祇園太鼓。ともに全国区の知名度がありますし、国の重要無形民俗文化財。福岡県内でもはっきりとそれ相応の位置づけがありますからね。とは言え、あんまり具体的なイメージが湧かないのも正直なところ。やっぱり、例によって、これは実際に行ってみないと始まらないようで。
さて、小倉祇園太鼓が始まったのは元和4年(1618年)。この年、豊前国は干ばつ、疫病、水害と災害続き。藩主細川忠興は対策に乗り出し、自らも八坂神社に参籠へ。危機を脱したことに感謝して、京都の祇園祭を倣って盛大な祇園祭を行ったのが始まりだとか。ただ、この時はまだ太鼓の姿はなく、太鼓が登場するのは藩主小笠原忠雄の頃の万治3年(1650年)。江戸の神田祭、山王祭の囃方からヒントを得て太鼓を取り入れたのだそう。いずれにしても400年の歴史ですから、なかなかのものですね。
今回訪ねたのは小倉祇園太鼓の二日目。この日のメインは、子ども競演会です。子ども競演会は、据え太鼓と山車を運行しながらの歩行打ちの二部構成。据え太鼓の部4,山車(歩行打ち)の部29の参加チームが、審査員の前で順番に練習の成果を披露します。
ちなみに、小倉祇園太鼓の特徴は両面打ち。片方の太鼓は抑揚を付けた「カン」もう一方は単調な基本音の「ドロ」。リード役のヂャンガラが速さを整えていくという役割分担。緊張の面持ちで日ごろの練習通りの動きを確かめるような感じかな。一方の山車をひく子どものお囃子は和気あいあいの雰囲気ですが、それでも精一杯のパーフォーマンスがこちらにもよく伝わりました。
子ども競演会でそれなりに満足しての帰り道だったのですが、紫川の方まで帰ってきたら、今度は据え太鼓披露会場で大人たちの強烈パーフォーマンスとの遭遇。ドンカラ、ドンカラ。こちらはリズムも早いし、同じ小倉祇園太鼓とは思えないド迫力。しばらく足を止めて、その凄まじさに目を見張りました。もしかして、翌日の大人の太鼓総見がこういうのだったとすると訪ねる日を間違えたような気もしないではなかったのですが、まあまあこれを拝見したことで、最低限のカバーはできたのかな。一方で、祭りのパンフレットを拝見すると、小倉祇園太鼓は「ゆっくりとした独特のリズムこそ「正調打ち」とされ難易度が高く、その音色は雅で厳かとされています」とした解説もありますから、たぶん、これは映画「無法松の一生」で有名になった暴れ打ちの流れ。そういう意味では亜流のものでしょうが、こうしていまや前面に出てきているのはある面、祭りの進化。伝統の正調に新たな魅力が加わったことで、小倉祇園太鼓の凄味がより分かりやすくなったのではないかとも思います。例えば、阿波踊りだって、正調の阿波踊りから早打ちに転じると局面が一変して楽しいですからね。山形花笠まつりでも威勢のいい笠回し系が考案されたり、気持ちが高揚する中ですから過激な要素はそれなりに必要。祭りの方向性として共通する感覚なのかもしれません。
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早朝、小倉駅に到着。
朝飯を玄海うどんでいただきます。こちらは、小倉駅のホームの上をまたぐ通路にあって、看板が目立っていますよね。 -
小倉はかしわうどんが名物なのでそれをいただいてみました。佐賀駅には中央軒というやはり有名なかしわうどんの立ち食いうどんの店があるのですが、こっちの方が明らかにうまいですね。柔らかめのうどんもちゃんとしているし、鶏肉の方もそれなりです。
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小倉駅から南小倉駅に移動して、ここから今まで行ったことがない小倉の郊外を散策します。
今日見る予定の子ども競演会は夕方の4時から。まだまだたっぷり時間があるんです。
到津八幡神社に向かいますが、 -
その途中にあるのが、板櫃川古戦場。ここは、天平12年(740年)、太宰府で兵を挙げた藤原広嗣率いる5千の兵と聖武天皇の命を受けた追討軍6千がまみえた場所。いわゆる藤原広嗣の乱ですね。追討軍に投降する兵が多く出て藤原広嗣軍は大敗。藤原広嗣は捕らえられ、処刑されることとなりました。
唐や新羅との関係を巡って、もともと強硬派の藤原広嗣は親唐派の吉備真備らとの基本路線の対立があったよう。その対立で広嗣は太宰府に左遷されていたんですね。ただ、いずれにしても、聖武天皇はこの乱にショックを受け、平城京を出て、恭仁京、難波京と遷都を繰り返すようになるという大きな影響を与えた乱。東大寺盧舎那仏像の造立の詔は、その後、天平15年(743年)のことです。壬申の乱以降、奈良期の天皇の権威は飛躍的に向上していたのですが、そう単純でもないようです。
何でもないような場所ですが、とても大きな事件だったと思います。 -
到津八幡神社は、この石段の上ですね。
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神社の名前の到津は、神功皇后が三韓征伐から帰国し、宇美で応神天皇を産んだ後、奈良に帰るための船がここの津に着いたことから到津。そこに、1184年(文治4年)、後鳥羽上皇の命により、宇佐神宮を合祀したのが始まりです。
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社格は旧県社。始めの長い一直線の石段を上った小山の上。年配者にはけっこうきついかもしれません。
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またしばらく歩いて、今度は篠崎八幡神社です。
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ここも石段がけっこうきついですよ~
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敏達天皇12年(584年)、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を祀る神社として創建されたという古社。現在の場所に移ったのは文治2年(1186年)。
楼門から入って -
本殿も格式を感じさせ、さすが旧県社といった感じ。
社務所の隣りにはクーラーの効いた休憩室があって、少し休ませてもらいました。 -
イチオシ
またしばらく歩いて、TOTO小倉第一工場へ。
正門の脇に企業博物館のTOTOミュージアムがあって、そちらが目当てです。
ここは便器や洗面器のトップ企業で、小倉を代表する企業。ビルのトイレなんかでも「TOTO」のマークがあるとそのビルの格が上がるような気がするのは私だけではないと思います。ちなみに、我が家も当然「TOTO」です。 -
中に入って。ミュージアムは、この二階です。
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近未来的なゆったりした空間。さすがですね~
ところで、私は小倉出身の会社かと思っていましたが、ルーツはノリタケなどと同じ森村財閥の会社として名古屋で設立された東洋陶器。 -
食器とかの制作をしていたところから始まって、便器の製造に進出。
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陶石や石炭が入手しやすい小倉に移ったという経緯なんですね。
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展示は、企業としての歩みや森村財閥の企業理念から始まって、
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おびただしい数の過去の商品群。少し食傷気味にもなりますが、そこは一流企業。建物の快適さがその辺りを少し緩和してくれました。
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では、小倉の中心部に帰りつつ。。
黄金市場は、昔ながらのアーケード商店街。割と活気がありますね。
アーケード商店街から脇道もあって、そちらはちょっとディープな雰囲気。探検気分で楽しむのもいいと思います。 -
アーケード商店街には、天ぷら八兵衛という人気店があって、少し早いですけどこちらでお昼にしましょう。
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天ぷら定食を注文。エビ、魚、かぼちゃとか野菜の全六品でしたが、二品ずつ揚げてすぐを皿に置いてくれるので、熱々をいただくことになります。
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イチオシ
からりと揚がっていて、素材のうまさがそのまま伝わってくる感じ。体にもいいんじゃないかなと思います。
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また少し歩いて、北九州メディアドームへ。基本的には競輪用のレーストラックの施設で、その他、レーストラックの内側はイベントもできる多目的アリーナにもなっているようですが、屋根のデザインは自転車競技用ヘルメットをモチーフとするものです。
一方で、敷地内はけっこう広々。近所の家族連れが公園として利用している姿も普通にみられます。 -
ここからの帰りは、北九州モノレールで。
ちなみに、北九州モノレールは、小倉駅から企救丘駅まで13の駅を結ぶ8.8kmの路線。香春口三萩野駅から小倉駅まで乗りますが、高架がけっこう高くて、下から見上げるとあそこまで上がるのかとちょっと気が重くなる。ここまでのものを作る必要があったのかなあという感じです。 -
小倉駅に到着。
まあ、確かに楽は楽ですけどね。 -
小倉駅の北東側のあるあるシティは、ペデストリアンデッキで結ばれている商業施設ですが、ちょっと距離があるかな。漫画ミュージアムがあるというので行ってみましょう。
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漫画ミュージアムのメインは、銀河鉄道スリーナイン。ペデストリアンデッキの途中には銀河鉄道スリーナインのキャラクター像がいくつかあって、少しづつその気分になるという仕掛けもありました。
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イチオシ
これが唯一撮影可のポイント。
建物は少し狭いのですが、そこはアニメの力で解消。意外に本格的な展示が続くし、プロの漫画家が子供向けの講習をやっていたりして、なかなか盛況でした。まあまあ楽しめる施設です。 -
もう一度小倉駅に戻って、今度は反対側の小倉中央銀座商店街へ。ペデストリアンデッキを進んでエスカレーターで降りたら、そのままこの商店街に入ります。アーケードの商店街は、小倉中央銀座商店街からは魚町銀天街や小倉京町銀天街につながっていて、そういう意味では小倉の商店街エリアの玄関といった位置づけもあると思います。
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イチオシ
入口にある大人気店のシロヤ。オムレットをいただきました。いつものおいしさなんですが、やっぱりお勧めはサニーパンの方のような気もします。
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イチオシ
では、紫川の方に移動して。水辺の親水公園風の一角で一休み。
向かいには紫江’sが見えています。 -
ここから小倉城の方に向かいます
まだ時間はだいぶ早いんですが
屋台が少しづつ出始めていますね。 -
子ども競演会の会場はこの先。
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テントのこの施設。
有料席かと思ったらそうではなくて、自由に着席して観覧できるよう。
私は一番乗りみたいですね。では、席を確保して。。 -
近くにある施設、しろテラスで少し涼みましょう。
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割と本格的なお土産物コーナーに喫茶店までは行っているし、きれいなトイレもあります。この辺りはちょこっと休める建物が他にはないので、ここはオアシスのような感じ。とにかくありがたい施設です。
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では、会場の方に戻ると。
子ども競演会に参加するチームの山車が徐々に集まっていました。 -
ただ、山車は意外にけっこう簡素。
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イチオシ
小倉を代表する伝統の祭りにしては、ちょっと拍子抜けにも感じますけどね。
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次々とやってきますけど
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ちょっともやもや。
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と、祭りのパンフレットを拝見すると”丙寅の御変動と小倉祇園祭”として、以下の通り。
慶応2年(1866年)の第二次長州征伐で起きた小倉戦争(小倉口の戦い)によって小倉城ほか城下町が大きな被害を受け、人形飾山や傘鉾などそれまでの華美な廻り祗園の維持が難しくなったことから、以降、次第に山車に太鼓を据えた”太鼓の祗園”の礎が築かれていったのだとか。 -
簡素な山車の形式もそういう意味では歴史の変遷を物語るものだったんですね。国の重要無形民俗文化財としての登録も「小倉祇園祭の小倉祇園太鼓」。あくまで太鼓が対象。なるほど、はっきりしているじゃないですか。
ところで、小倉戦争は、高杉晋作が生前最後に指揮した戦争であり、この時、小倉城の天守閣にあった大太鼓を戦利品として下関に持ち帰ります。今でも下関の厳島神社にあるようですが、街の損害だけでなく、当時の小倉の人々の無念はいかばかりだったかとも思います。 -
時間になって
いよいよ子ども競演会の始まりです。 -
最初は据え太鼓の部
女無法松の会 -
こんな小さな子供ですけど
構えは堂々としていてたいしたもの。どどん、どんどん。心地よい小倉祇園太鼓のリズムが会場に響きます。 -
北九州市立大学小倉祇園太鼓部
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六玄会
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紫会
それぞれがそれぞれ。緊張感もありますが、それ以上の気概が感じられていいですね。
そして、それを見守る周囲の目はとても暖かい。小倉の伝統を大切に思う気持ちはみんな共通です。 -
ここからは、山車(歩行打ち)の部
魚町一丁目
据え太鼓と違って、これは大人数だし、和気あいあい。やっぱり気持ちに余裕がありますね。 -
山車には前後に太鼓が二つ。
それぞれをカン、ドロ、チャンガラの三人組が演じます。 -
魚町三丁目
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歩きながらの歩行打ちですが、三人の息を合わせるのが一番大事。
大人たちが傍らでそのようすを見守ります。 -
イチオシ
後ろ側の太鼓。
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あんまり気にしてはいませんでしたが、前の太鼓とは特にリズムを合わせてはいないような。速さは同じなんですけどね。
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金田第一町内会
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こちらは大集団。子供たちのお囃子の声が賑やかに響きます。
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お囃子と太鼓の一体感も
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評価の基準のひとつです。
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金田第三町内会
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山車を挟んで前と後ろ。
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それぞれ
三人が一組で盛り上げます。 -
イチオシ
金田仲通り
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ここは大人たちがさりげなくアシスト。
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しんがりを勤めるおじいさんもがんばってますよ~
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木町一丁目
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バチを持つ手が高く上がっていいですね。
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イチオシ
打ち手は年齢にけっこう差がありますけど
だからどうということでもないですね。 -
京町銀天街
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太鼓をしっかり山車に固定して
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落ち着いたバチさばきかなと思います。
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黄金白眉会
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今朝訪ねた市場のチームかな。
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日ごろの練習お疲れ様です。
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黄金東和会
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これも黄金だから
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同じ地区ですね。
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米町一丁目
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ここは大集団。
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お囃子の元気な声があると
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太鼓の面々もまた元気が出るでしょう。
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目の前の太鼓に集中する姿勢は同じですけどね。
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紺屋町三・四丁目
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ちょっと大きな子が打ち手です。
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三郎丸太鼓塾
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ところで、これは子ども競演会。
審査はされているんですが、 -
我々の目で見る分には特に違いはないですね。
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下富野
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しかし、さっきから私の隣りに座っている地元のおじさん。
なんか熱心にメモを取っているんですよね。 -
新京町・旭町
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やっぱり何か目の付け所があるんでしょうか。
話を聞いてみたいところなんですが、けっこう真剣。とうとう聞けずじまいでした。 -
新馬借町
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私には、それぞれ一定の水準にはあって、十分に見えるしかありません。
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末広二・三丁目
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盆踊りみたいな踊りだと
確かにいくら練習をしたいっても、踊り手の上手い下手はよく分かる。単にリズムがあっているだけだと、それはロボットと同じ。それでは踊りの楽しさは出てきませんよね。 -
それに対して
太鼓は音が出ているとそれに紛れて、それだけでいけてるみたいになるのかなあ。 -
なかなか難しいですね。
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なにかポイントがあるはずなんですが。。
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大門町
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例えば、山形の新庄祭りも両面打ちの太鼓なんですが、
二人の打ち手は同じ動き。鏡に映ったように、左右が同じ動きをするんですね。 -
そうすると動きがぴったり合っているかどうかはどうしても分かってしまうし、
間合いというか微妙な息使いまで合わせていることが分かる演出をするようなチームもあったりして、そうするとこの組すごいなと思ってしまいます。 -
高田町一丁目
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小倉祇園太鼓はそういう分かりやすさではないですね。
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息を合わせてはいるのですが、たぶん、当然それだけではないし
その先にどういうレベルがあるのか。 -
中島小学校
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長浜東ノ町
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ただ、子どもの競演会では
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まずは基本の習熟度を見るということでしょうから、正確性や安定性ということでいいのかな。
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長浜宮ノ町
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あんまり余計な個性や工夫というのは
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求められてないのかもしれません。
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馬借六丁目
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ひ組
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とにかく、子供たちだけでもこれだけのチームが集まって、街全体で祭りを担っている。それがまずは素晴らしいことなんでしょう。
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東浅野
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だんだん目が慣れてきているはずなんですが
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やっぱり、はじめ以上のものは見えてこない。
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附属小倉小学校
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何かツボがあるはずなんですけどね。。
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古船場三丁目
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それとも
初めてですから -
それでなにか深いところを感じようとしても
そういうものではないのかな。 -
八百屋西魚町
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という間に、これが最後のチーム。
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観覧席で座ってみていたので疲れもない。
無事に最後まで見届けました。 -
コロナ禍が明けて、何とか開催。
ありがとうございました。 -
紫川のほとりまで帰ってきますと
ここは据え太鼓披露会場。
さきほどの子ども競演会から一変して
大人たちのチームがドンガラ、ドンガラ。リズムも速いし、この躍動感はなんですかあ。 -
打ち手は、太鼓を叩きながら
飛んだり跳ねたり。それぞれが自由気ままの動きを楽しんでますよ~ -
カンとドロの組み合わせも
個性が出てきた分、二人で互いに会話をするような呼吸の掛け合いがありますね。 -
ドンガラ、ドンガラ。
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それに、打ち手は男も女もないし、
次々交代して、フレッシュな打ち手が全力投球。 -
個性全開。
俺の打ち方を見てくれー。こんなに楽しんでるぜーみたいな感じかな。 -
それでも、全体のリズムの調和はけっして乱れることはない。
個性がぶつかり合っても、それが心地よい味付けのものになっています。 -
イチオシ
うーん。なんですかあ。
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小倉祇園太鼓って、実はこういうところまで行ってたんですね。
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確かに、これなら太鼓そのものが主役だし、むしろ、他には何もいりません。山車だって必要ないくらい。太鼓とジャンガラで十分世界は成り立っているでしょう。
正調の祇園太鼓があって、その上に進化した形なんでしょうが、いずれにしてもそれは太鼓を基本に置く祭りのコンセプトが定まったから。直接的には制約とか限界を生じさせる事件によって仕方なくという面はあったかもしれませんが、これはそんなものをはねのけて大化けした姿であり、まさに小倉の誇れる歴史の証でしょう。
最後の最後になってそういう思いに至ると、結局は小倉の素晴らしさが身に染みたような感じ。祭りを楽しむことも大事だけどそれを通じて街や地域の歴史を理解すること。祭りはこうじゃないとダメですよね。間違いなく、来た甲斐があったというものです。 -
商店街の方までまた帰りますと
子どもたちの山車。これから市街を回るようですね。がんばってくださーい。 -
私の方は、これで終了。
あとは、朝もうどんでしたけど、最後に資さんうどんをいただいて帰りましょう。
ここが本店なのかな。商店街の中にあって、大きな店構えです。 -
いただいたのは、例によって小倉名物のかしわうどん。駅の玄海うどんとの食べ比べでしたが、やっぱり立ち食いうどんとは違いますよね。とても柔らかいうどんですが、微かにもっちり感もあって、その加減が絶妙です。それから出汁もいい。出汁だけいただいてもちゃんとうまいです。
広島には「ちから」という地元で愛されるうどん屋さんがあるんですが、それと同じくらいのレベルですね。お好み焼があるのでなかなか他県の人には認知されていないのですが、小倉の人も広島に来た時は是非、「ちから」をご賞味いただければと思います。
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