1975/07/01 - 1975/07/18
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leslyさん
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最近、大好きは国東半島に行けていないな。そんなこんなで、昔の国東半島の写真を引っ張り出してみました。現在のようにデジカメは存在せず、フィルムカメラの白黒写真。でも、現在では見られない昔の国東半島を紹介できるかなと思い、旅行記を上げてみました。
初めて「くにさき」の名前が出てくるのは豊後風土記である。景行天皇が筑紫に下った時に、「彼の見ゆるは、若し、国の埼(さき)ならむ」と言ったのが始まりと言われている。これが国前となり、豊後の東端にあたるところから国東と「東」をあてたのであろう。
大分県の東部、周防灘にこぶのように突き出た半島、これが国東半島である。九州の中で一番早く仏教文化が伝わり、多くの石造美術が残っている。京都、奈良のような派手さはないが、庶民の生活に密着した信仰と共に発展してきた。今回ここに掲載する写真はすべて昭和45~49年頃に撮影したものである。時の移り変わりと共に現在の姿と異にしているものもあるかもしれないがご容赦願いたい。
国東の寺々は主に天台宗である。開祖は養老2年(718年)宇佐八幡の応現として、仁聞(にんもん)菩薩が28の霊場を建立、法華経28品目、字数6万9千余文字になぞらえて、6万9千余体の諸仏諸尊を安置された事から始まっている。仁聞は法華経28品目になぞらえ、本山8ケ寺、中山10ケ寺、末山10ケ寺、計28ケ寺を建立した。この28ケ寺の下に末寺37ケ寺を配属、更に院、坊、庵、堂、石岩(いわや)を所属、鎌倉隆盛期には100有余の寺、830余の院、坊、1000人以上の僧徒を有したといわれている。しかし現在、これらの寺々は朽ち果て、無人になってしまったものが多数しめる。
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国東市 盲僧琵琶師 高木清玄師
当時国東市には3名の盲僧琵琶師がいたようである。
国東の琵琶は盲僧により奏でられ、俗に盲僧琵琶とも呼ばれている。平家琵琶は物語を奏でたが盲僧琵琶は布教のためのものである。盲僧琵琶には2つの系統があり、国東のものは玄清法流と呼ばれる、筑前琵琶系である。
高木清玄師の墓は瑠璃光寺(るりこうじ)にあります。境内には観音堂が建立され、奥様とのツーショットで清玄師の木像、愛用の琵琶や衣を奉納されています。残念ながら、現在は盲僧琵琶の歴史は閉じられているようです。 -
泉福寺山門
国東半島には珍しく、曹洞宗の寺であり、九州の曹洞宗の総本山。。石造美術の宝庫です。開山堂は(国指定、重文)となっている。
前回訪問した際には無住職になっており、大分から通ってくるそうな・・・ -
五輪塔群。
五輪塔と言えば、地、水、火、風、空、と密教における森羅万象を現しています。曹洞宗のお寺にあるのは、やはり国東だから? -
泉福寺 小品仏
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梅遊寺の庚申塔。草に埋もれて淋しそう。
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梅遊寺、牛のり大日如来。国東では農耕に牛を使っていたため、ここ以外でも、多くの牛のり大日如来を目にすることができます。智拳印を結んでいるので金剛界大日如来。
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梅遊寺 国東塔。国東半島だけにみられる塔。天沼博士によって命名された。目的は、納経、、 墓標 、 逆修 (死後の冥福を祈って生前に仏事を行うこと)などのためとされる。
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カカラ権現
地元の人達がこう呼んでいる。不動明王が奉られているところをみると、恐らく、不動明王の化身、火を吹く鳥、”カルラ”がなまって、”カカラ”になったのではと思われる。 -
カカラ権現
牛のり大日如来 -
夷(えびす)地区
奇岩秀峰、山岳仏教の修練場となっていた。平安時代の古文書には「夷之谷」とも書かれている。大分県の代表的名勝地である。 -
夷耶馬
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堂園磨崖五輪塔
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堂園 宝篋印塔
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前田集落、不動明王
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霊仙寺
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六所神社
六本杉。官軍に破れた足利尊氏が植えたと伝えられる。 -
夷 坊中磨崖庚申塔
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真玉(またま)地区
黒土の無動寺より・・・ 山のてっぺんに 無明橋(むみょうはし)(石の太鼓橋) がかかっている。国東の峯々を修験者が修行を行っていた。峰入りと呼ばれ、荒行が行われた。 10年に一度行われる、峯入りの最大の難所。
無明橋を渡り、反対側の天念寺の降りることができる。 -
無動寺から、無明橋に登る途中の観音堂。三十三態観音が奉られている洞窟。
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無明橋
真下は空間。落ちたらあの世行きです。
最近は登り口に「関係者以外立ち入り禁止」の立て札が・・・自己責任でお願いします、とも書かれていたような・・・ -
無明橋から見た、黒土地区
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有寺(うでら)地区のの庚申塔
庚申信仰とは、中国の道教の思想。人には皆3匹の虫が住んでおり庚申の晩、人が眠ると体内から抜け出し天帝に悪事を報告するというもの。そのため、庚申の晩には一所に集まり(庚申講)ドンチャン騒ぎをして一夜をあかすというもの。 -
隠れキリシタンの作と言われている。お顔は西洋に見えます。持っている剣のようなものは、十字架に見えますね。
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天念寺 川中不動(不動三尊像)
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天念寺 修正鬼会(しゅじょうおにえ)
国東では鬼に会うのは縁起の良い事とされている。天念寺では毎年旧正月の7日に修正鬼会が行われる。天下泰平、五穀豊穣、無病息災、等を祈願する。 -
修正鬼会(しゅじょうおにえ)
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熊野の磨崖仏(国重文)
鬼が一夜で築いたという約300Mほどの石段をエッチラ、オッチラ登っていったところにある。かなりきついのぼりである。
現在は手すりが付けられ、登り口の胎蔵寺に杖が常備されているのでだいぶ楽になりました。 -
熊野の磨崖仏 不動明王
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大日如来。螺髪(らほつ )(仏像の丸まった髪の毛の名称)抱いている
珍しいお姿をしています。当初、薬師如来と思われていたのですが、梵字が大日如来を示していたそうです。 -
元宮の磨崖仏
左から地蔵菩薩、持国天、制咤迦童子?(せいたか)不動明王、矜羯羅童子(こんがら)、毘沙門天(地蔵菩薩は後の製作と言われている)
現在は少し摩耗が進んでおり、屋根が付けられているようです。 -
鍋山磨崖仏
不動三尊
かなり磨耗しており 原形を失っている。 -
田染中村。木の根を利用して作られた作品。一体誰がこのようなユニークな物を作ったのであろう?
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ペトロカスイ岐部
ローマのイエズス会にて修行、後に日本に帰って来たが、キリシタン禁止令から捕らえられ、拷問の末、殺された。 -
ペトロカスイ岐部
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松林寺庚申塔
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国見町 清浄光寺(しょうじょうこうじ)仁王像
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清浄光寺(しょうじょうこうじ)仁王像
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清浄光寺(しょうじょうこうじ)国東塔
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国東文化と性神
何箇所かで見られる陰陽石。その中でも特に目を引くのが伊美別宮八幡宮の陰陽石である。建立は明治17年とまだ新しい。秘かに性病治癒や安産を祈る人達の参拝が絶えなかったという。
現在は立派な祠に収められています。 -
白髭神社 仁王像 毎年10月18、19日 濁酒祭りが行われる。
仁王像。金剛力士とも呼ばれ、仏教を守護するため寺門の両側に安置される。国東においては、神仏習合の所産として、寺院、権現社、と各地に点在している。一般的には木彫仁王がまつられているが、国東においてはほとんどが石造である。向かって右側に阿形像(あぎょう)[口が半開きになっている]、左側に吽形像(んぎょう)[口を閉じている]をいただく。よく使われる、あうんの呼吸とは、これが語源になっている。 -
財前家墓地
財前美濃守の墓と伝えられている。財前家は中世に栄えた豪族であり、国東塔を中心に百数十基の塔が並んでいる。鉄条網で出入りできないようになっていますが、以前、訪れた時には鉄条網はありませんでした。
女優、財前直見さんの祖先という噂を聞きましたが、ご存じの方いらっしゃいますか? -
財前家墓地 国東塔
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地蔵寺 十王石殿
十王像(じゅうのう)
庶民信仰の対象であり、大衆が命を絶ち、冥界に入る時に十王が罪をさばく。閻魔大王も十王の一人である。
子供のころ、うそをつくと閻魔様に舌を抜かれぞ!脅かされたものです。 -
白木原(しらきばる) 十王石殿
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大田村(現 杵築市)牛乗り大日如来
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筌口(うけぐち)かくれキリシタンの墓
十字架の形の墓石
国東半島は、キリシタン大名、大友宗麟の庇護のもとキリスト教が盛んであった。秀吉の時代から徳川の時代に移り、キリシタン禁止令が施行されてからはキリシタは地下に潜り、秘かに信仰を続けていたようです。ここ以外にも多くの隠れキリスタンの墓が発見されているようです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 気まぐれなデジカメ館さん 2023/07/17 05:57:08
- 50年間に国東半島を
- leslyさん、初めまして!
確か50年前(東京で社会人生活を始めた頃)、東京の女子大生(清泉か恵泉の)が国東半島を何日もかけて巡り、話題になりました。今でも車で巡っても大変ですが、当時交通の便も悪く、温泉も赤根温泉ぐらい、秘境の仏の里を歩いて研究し、当時の女子大生の過ごし方として評判になりましたね。それはleslyさんだったのですか?
当時の写真も文書も貴重でですね。関係資料を集めるのも大変だったとも思います。
いろいろ参考になりました。
気まぐれなデジカメ館
- leslyさん からの返信 2023/07/17 07:43:31
- Re: 50年間に国東半島を
- 気まぐれなデジカメ館さん、いつもありがとうございます。
>東京の女子大生(清泉か恵泉の)が国東半島を何日もかけて巡り、話題になりました。
すみません、私は男性ですので違います。学生時代、国見町、伊美にあった、国見YHに長期休暇の度に入り浸り、当時でも、バスが少なく、高かったのでヒッチハイクであちこち廻ったものです。今のように尾根越えの道がなかったので、一つの谷にある道の寺社巡りは1日に1か所だけでした。また、YHに泊まり合わせた連泊する人たちと、グループを作って、YHから、日帰りで行けるトレイルコースをつくったりしていました。東京の女子大生(清泉か恵泉の)については我々のグループではありませんでしたが、ペアレントさん(YHの管理者)から、こういう女性もいるよ、という話は聞いたことがあります。資料については応暦寺の住職、大嶽順公氏が書かれた「国東文化と石仏」や大田村村長だった、酒井冨蔵氏の「国東半島の石像美術」などを参考にしました。
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