2023/05/16 - 2023/05/18
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montarouさん
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ヨルダンとエジプトの4週間の旅行について書いた。行きの飛行機は北極上空からミュンヘンとカイロを経由し、ヨルダンのアンマンに着き、そこから死海、ペトロ遺跡、ワディラムのベトゥンの砂漠ツアーに参加した。次いでヨルダンのアカバからエジプトのシャルム・ エル・シェイクに入り、バスでカイロ経てルクソールに向かった。そこで王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿、カルナック神殿などを見て、列車でアスワンの向かい、アブシンベル神殿とイシク神殿を訪れた。その後、昼の列車でカイロに戻り、ピラミッドやエジプト考古学博物館博やバザールなどを見物した。帰路ではミュンヘンを見物後、飛行機でジョージアと中国の上空を通って帰国した。
ここではペトラ遺跡について記す。アンマンを早朝に出発し、昼前にペトラに到着、午後はペトラ遺跡を見物。入り口近くの遺跡を見物、翌日は早朝から最も遠いMonasteryに向かい、その後はゆっくり帰った。そして翌日の朝にワディ―ラムにバスで向かった。
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5月16日の7時半にAbdali のJETT バス停から、ペトラ遺跡のあるワディームサに向かって出発。外からこのバスを見ると窓がないようにみえるが、実際には窓がある。ただし窓は透明でなく、網目状のカバーが見えるため、写真を撮ることは出来ない。アンマンを出ると、農場はあるが緑がすくなくなり、半ば砂漠状態になってきた。多数の風力発電塔が並ぶ草地もあった。道路は直線状で、バスは時速百㎞を越えて走っているようだ。1時間余り走ると、乾燥化が進み、ほぼ砂漠状態になった。
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バスは3時間ほど走り、ペトラ遺跡の入場券売り場のすぐ上の駐車場に止まった。私は荷物を預けて、空身で遺跡に行くため、予約した宿に向かった。もっとも4週間の旅行でも全荷物は5㎏ほどと少ない。宿はバスの停車場から5百mほど北に向かった所で、何階か忘れるほど外側の階段を登って、最上階にある入口に着いた。この宿は、休憩所もトイレも非常に綺麗だが、寝床は2段で、1区画が2m四方で狭い。
荷物を預けて宿を出ると、宿の前にタンクローリー車が水を補給していた。運転手に水の値段を聞くと、6トンで30JD(約6千円) と言う。1000Lで千円、1Lで1円だが、シャワーに100l使えば、水代だけで100円だ。SDGsで抜けているのは人口削減かな? 人間が増えれば、水もエネルギーも食料も必要だからから、CO2排出が増え、資源も消費する。ヒプシサーマル期に地球全体が自然だったが、今は使える土地のすべてが農地や都市になった。地球の自然を一部でも取り戻すためには人間を減らすことだ。
歩いてペトラ遺跡の入場券売り場に向かう。入場料は劇高の1日50JD(約1万円)、2日券は55JD。それで2日券を購入した。理由は、暑い日に1日中、歩き回るのは苦痛なので、今日は暑い昼から入口近くの遺跡を休みながら回り、明日は朝6時から、一番遠いアル・ディール (修道院)に行き、後はゆっくり帰る計画だ。涼しい季節で、体力があれば一日券で回れるだろうが、それでも千円を節約できるだけだ。
入口から20分ほど、涸れ谷に沿った砂利道で歩く。歩き難く、昼で日射が強く、気温も高いので、最初から馬に乗る人もいる。 -
写真は、最初に出会う数カ所の遺跡で、開けた谷の両側にある。この辺りは堆積砂岩で削り易いだろうが、それにしても大きな掘削物だ。多大な労力が必要で、その職人に食糧を長期間与える豊かな農地、あるいは食料を買うお金があったのだろう。
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写真の地点から、観光路は両壁の高い、いわゆる廊下に入っていく。他方で涸れ谷は通路から外れ、店の手前で右側に折れて人口トンネルに入っていく。橋の上の二人の兵士は有料の写真撮影用の人物。
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乾燥地の砂岩地形は何処でも良く似ている。ギリシャのメテオラや、豪州のオルガの風景も類似だが、ここは古代遺跡だ。廊下は舗装されていて、歩きやすい。ただ出口のエル・ハズネまで道のりは非常に遠く、カートに乗る人もいる。
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入口付近は両壁が低いが、やがて両岸が高くなり、切り立った2~3百米ほどの高い壁になる。しかも両岸の壁の間隔も数m程度の狭い所もあった。
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廊下の途中にも遺跡はあるが、浸食されていて顕著な遺跡はない。廊下の距離は2㎞ほど歩くと、突然廊下が開け、劇的にエル・ハズネが正面に現れる。
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エル・ハズネ前の広場にはラクダが多数いて、これに乗る人もいる。エル・ハズネ前から廊下を見た写真がこれで、岩の割れ目が廊下で、両側の壁の高さは百mほどもある。
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エル・ハズネ前の広場から砂利道の谷道を2~3百米下り、右側の側面に移り、登り下りしながら遺跡を散策。途中でもっと大きな遺跡のRoyal Tombs。人間が小さくみえる。
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所々に薄ピンクの花が咲いていた。他方で、砂岩の堆積模様が驚くほど綺麗だ。ただ暑くて死にそうなので、今日はこれでおしまい。早く帰って水不足の地でシャワーを使う悪人になるぜ!
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翌17日は涼しい内に最奥のThe Monasteryまで直行する計画。その朝は6時前に宿を出た。7時にエル・ハズネに着くが、エル・ハズネに日光はまだ当たっていない。ラクダを連れた地元民が、商売の準備を始めていた
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谷筋を下り、開店していない土産物屋の通りを過ぎて、7時半にQasr al-Bintに達した。この突き当りで道が分らなくなった。それで突き当りの開店準備の店で道を尋ね、橋を渡って谷筋から外れ、東方向から来る支谷を登る。少し登るとLion Tricliniumが出てくるが、意味不明だった。
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ここからの登りがきついが、まだ暑くないことが幸いだった。途中の土産物店の上の堆積砂岩、ここでも砂岩の縞模様が綺麗だ。
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ここの登りは高さもあり、きつい。遠くが低く見えてきた。
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9時にThe Monastery(エド・ディル)に到着した。ここもまだ日が当たっていない。このエド・ディルも紀元前に造られたとは思えないほど、綺麗に残っていた。
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ペトラ古代ナバテア人が造ったと言われ、彼らにも神を信じる信仰、宗教があったといわれる。確かに一部の遺跡に偶像らしきものが見られたが、顕著で大きな偶像は見られなかった。建物の掘削物ばかりが目立つから、岩の建物の中の、岩の大地の中に神がいたと信じたのかも?と思った。
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The Monasteryを越えると、発掘調査をしていると所があり、そこを越えると、高度差5百米ほどの断崖絶壁に突き当たる。崖の上には茶屋がある。休まなかった、ここで飲むのも良いだろう。暑いのでビールを飲みたいが、酔って転落死の危険がある。ところでナバテア人は酒を知っていたのだろうか?
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戻って、下の谷筋まで降りると、昼も近いので観光客でごった返していた。そこから興味深い所を見て、早めに帰った。
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宿の近くに戻ると、他のホテルの前に給水車が来ていた。ヨルダンにはイスラエルから追い出された難民も来るし、ヨルダンの出生率も高い。他方で、河川水は不十分で、地下水があっても、その貯留量には限りがある。ヨルダンに、水不足を解決できる望みはないだろう。
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宿に戻り、明日のワディ・ラム行きの車の予約を頼む。すると、朝の6時出発で、宿の前に迎えに来ると言う。料金は10JD。翌18日の早朝に出発。写真は出発直後の高台からみたペトラ遺跡の堆積砂岩の山群。
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