1999/02/26 - 1999/03/08
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world travelerさん
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「社会に出るまでに何か大きなことをやり遂げたい!」
と、無謀にもアメリカひとり旅を計画した24年前の自分。
「アメリカ進出大作戦」と当時の自分が銘打ち、テキサス州とニューヨークをひとり旅したときのアルバムとムービーが、2023年に発掘された。
改めて今見返すと、準備やら覚悟やら全くできていなかった小さな人間だった自分。
だが、アメリカに行ったという足跡は残すことができた。
24年前の、稚拙な旅とその記録:後編をご高覧いただけたら幸いです。
※ムービーの静止画を使用しているため、いくつか見にくい画像がありますがご容赦ください。
前回までの拙著の旅行記:
https://4travel.jp/travelogue/11837004
-
テキサス州ダラスから約3時間半、ニューヨークに到着。
着陸前、夕焼けに照らされるマンタッタンが、飛行機から一望できた。
凝縮された街、密度の濃い街といった感じである。
いよいよニューヨーク。
「1人で来ちゃったよ」という複雑な思いである。 -
イチオシ
前の座席にいた男性は、赤ちゃんを窓のところまで抱き寄せ、
「これがニューヨークなんだよ」
と何度も言い聞かせている。
赤ちゃんは訳も分からず、しかし大きな瞳で景色を見つめている。
飛行機は、まもなくニューヨーク ラガーティア空港に着陸。 -
タクシーの運転手に住所を見せ、ニューヨークでの宿泊先である民泊へ向かう。
イエローキャブに乗っている間もどきどきしていたが、支払いのときが1番緊張した。
チップを払うのが初めてだったからである。
メーターで料金を確認し、自分なりにチップとして料金を上乗せして支払った。
「Keep the change.」(お釣りはチップとしてとっておいて)
日本で予習しておいた一言が無事言えた。
住宅街のアパートの一室に、民泊のホストマザーが暮らしていて、その家の1部屋が自分のために用意されていた。
この個室には、洗面所・トイレ・シャワーもついている。
到着した頃は既に夜だったニューヨーク。
夜中に目が覚める。
大都市で1人でいることが、初めて怖くなる。
海外の未知の街では、 1人の夜はこんなにも長く、そして辛いと初めて知る。 -
1999年3月4日
部屋を出ると、台所に朝食がおいてあった。
滞在中、民泊の家のホストマザーはいろいろと気を遣ってくれるが、言葉のせいでいまいち理解できない。
それが自分の中で、ますますストレスになってくる。
時差や疲れからか、この朝から体調が思わしくなかった。
朝食は半分も食べられず、薬を飲んで再び寝る。 -
気がつくと昼をまわっている。
「ニューヨークまできて昼寝はもったいない」
と思い直し、外出することにした。
メトロカードを買い、ニューヨークの地下鉄に初めて乗る。
地下鉄の治安の悪さは、ガイドブックやニュースなどで知っていたので、乗ってからも列車の中で1人緊張する。
ニューヨーク滞在中、地下鉄のUptownとDowntownという上りと下りに何度も迷った。
目指すはエンパイアステートビル。 -
ビルとビルの間に、それは見えてきた。
ここまで来られた自分に満足する。エンパイア ステート ビル 現代・近代建築
-
チケットを買い、パンフレットをもらう。
このパンフレットと、 -
1999年当時のエンパイアステートビル展望台入場券が、アルバムに残っていた。
日本の鉄道で使われている紙の切符のようである。 -
エレベーターで展望台に上がる。
展望台は、金網を張った外にも出られるようになっていた。
外に出てみると、風が強い。
あいにく曇りだったが、高層ビル群は見えるし、自由の女神も見える。
こんな高い建物をよくも造ったものである。 -
自分は今、
憧れだったエンパイアステートビルの上からニューヨークの街を眺めている。
英語の教科書や旅行のガイドブック、映画の中で観た建物が、今目の前に見える。
ここで小雨が降ってきたので、展望台の中に入る。クライスラー ビル 現代・近代建築
-
続いてやってきたのは、タイムズスクエア。
テレビや映画で観た場所に、またもやってきた。
まさか、日本のカップヌードルとここで再会できるとは思わなかった。
実際、ニューヨーク市内のコンビニのような商店でもカップヌードルが売られていた。タイムズスクエア 散歩・街歩き
-
街を歩くとき、
いかにしてニューヨーカーのふりをするか、
観光客だとばれないようにするか、
がテーマとなる。
とりあえず、周りのみんながしているように赤信号でも横断してみる。
早歩きで道を歩いてみる。 -
夕方、食べ物などと一緒にプリペイドの国際電話用カードを購入してくる。
日本との時差や家族の都合で、電話で話せるのはニューヨーク時間の夕方だけだった。 -
1999年3月5日
この日はメトロポリタン美術館に行く予定だったが、外は雲一つない快晴のニューヨーク。
今日は、自由の女神を見に行かなくてはもったいない気がする。 -
「自由の女神の冠まで上がれるが、大変だ」
と聞いていたため、バッテリーパークからスタテン島を往復するフェリーに乗って眺めることにする。スタテンアイランド フェリー 船系
-
飛行機から見たときはそんなでもなかったが、地上から見ると自由の女神像は結構大きかった。
87年前、1912年のタイタニック号沈没事故で生き残った人たちも、ニューヨークに入港するとき、この同じ像を見たのだろう。
そう思うと感慨深い。自由の女神像 モニュメント・記念碑
-
フェリーからは、小さくなっていくマンハッタンのビル群も見えてきれいである。
3月初旬のニューヨークの海の上、このときとても寒かった。
スタテン島に着き、折り返しのフェリーに乗ってマンハッタンに戻る。
画像は1999年当時のもの。
そのため、ワールドトレードセンターのツインタワーはもちろんそこにある。
この2年半後に同時多発テロが起きるなんて、
あのツインタワーが崩壊するなんて、
このときまったく想像していなかった。 -
夕方、民泊に戻りテレビをつけると、まさかの光景が。
ニューヨークでポケモンが観られるとは。
このとき放送されていたのは、ピカチュウが元気をなくすストーリー。
ニューヨークでの自分は、まさにこんな感じ。
※画像は、テレビ画面をビデオ撮影したもの -
憧れてやってきたニューヨークは、
人のそっけなさ、人や物の多さ、また物事のスピードの速さのようなものが、日本ともテキサスともまるで違っていた。
自分は、すっかり参ってしまった。
テキサスの人たちが言っていた、
「あんな所」
の意味を、ニューヨークで思い知った。
ちなみに、ニューヨークの人に「ここに来る前は、どこに行ってきたの?」と問われ、「テキサスに滞在していた」と答えると、
「テキサス?あんな所、よくも行ったねぇ」とか
「なんであんな田舎に行くの?」
というような反応。
テキサスの人たちがニューヨークに対して言っていたことと同じようなことを、
逆にニューヨークの人たちも言うなんて。
アメリカって一体?
アニメの中のピカチュウはこの後、元気を取り戻す。
自分も、元気を取り戻して無事に日本に帰国できるだろうか。 -
1999年3月6日
この日は朝から冷たい雨となる。
美術館を今日にして正解である。
メトロポリタン美術館は、世界三大美術館の1つということで、世界中からすごい数の人が訪れている。メトロポリタン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
メトロポリタン美術館はものすごい規模なので、ヨーロッパ絵画を中心に見て回ることにした。
美術なんて学校でしか接点がない自分でも、ルノアールやモネの絵画の優しさ、柔らかさに惹かれた。 -
美術館のカフェテリアでレジ待ちをしていたとき、日本人に話しかけられる。
彼は愛媛県出身の大学生だそう。
同じように、「アメリカ進出大作戦」を行なっている同志に会えた気がして、なぜかホッとする。 -
ニューヨークに来て4日、行きたい所はほぼ制覇した。
明日は日本に向けて帰るのみとなる。
今夜は徹夜し、明朝4時に出発して空港に向かわなければならない。
そのため、中途半端には寝れない。
夜中2時、意識がもうろうとする。
テレビ番組をあれこれ観ながら、睡魔と戦う。 -
日本でも放送されていた「フルハウス」が、ニューヨーク滞在中にも観られた。
-
アメリカのテレビではドラマもアニメもやっているし、バスケももちろん放送されている。
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マイケル・ジョーダン?
自分がニューヨークに行った1999年当時、彼はチームに所属していなかったようだが。 -
大好きなイギリスの番組:Mr. Beanも観られるなんて。
アメリカって一体いくつチャンネルがあるのだろう。 -
ニューヨークに来て、初めて笑った。
-
このコメディ番組もおもしろかった。
ニューヨークは確かに魅力ある街である。
しかし自分にとっては、なぜか辛い思い出ばかりだった。
↑
自分で望んでニューヨークに来ました -
1999年3月7日
朝4時、ホストマザーも起きて見送ってくれた。
この日のニューヨークは雪だった。
雪が降る中を、空港へ向かうシャトルバスはハイウェイを飛ばす。
窓の外を見ると、夜景がきれいだった。
40分ほどで、ニューアーク リバティー空港に到着。
6:30発のデルタ航空1519便に乗る。 -
帰国は、ニューヨークからアトランタに飛び、アトランタから成田への直行便に乗る。
アメリカ「V字横断」フライトである。
さよなら、ニューヨーク。
自分にとって、ニューヨーク滞在は「修行」だった。
↑
自分で望んでニューヨークに来ました -
明け方の雪が飛行機の機体に凍りつき、解氷作業のため飛行機の出発が約30分遅れる。
約1時間半で、ハーツフィールド ジャクソン アトランタ空港に到着。ニューアーク リバティ国際空港 (EWR) 空港
-
アトランタが見えてきた。
今度は、国際線に乗り継がなくてはならない。
だが、ニューヨーク出発が遅れているため焦った。
ダラス フォートワース空港もそうだったが、
アトランタ空港もとても大きい。
心配だった出国手続きは、カウンターの航空会社職員に尋ねて無事クリア。
カウンターのおじさんに、
「Very good.」
と言われ、ほっとする。
成田に向かうフライトの搭乗ゲートにやって来たら、日本人がたくさんいた。
「日本に帰るんだ」と実感する。 -
デルタ航空55便に乗る。
やっと日本に帰れる!
↑
自分で望んで「アメリカ進出大作戦」を実行しました
機内食では、なんとステーキが出る。
こちらはペロリと食べられた。
「機内食はまずい」と言う人もいるが、自分にとっては充分である。
A4ノートサイズの中にコンパクトに1食分をセットしてあり、しかも2~3種類用意してくれている。
ニューヨーク滞在中は食欲がなかった自分。
そんな自分を食べたい気にさせてくれた機内食に感謝である。ハーツフィールド ジャクソン アトランタ国際空港 (ATL) 空港
-
帰りは 、なんと14時間半もかかった。
往きは8時間だったじゃないか。
※往きは成田ーポートランドだったため
「太平洋を横断するんだろう」と思っていたが 、このフライトではアメリカと力ナダ上空を北西の方角に斜めに横断。
さらに、アラスカの方からロシアのサハリンをかすめて 、北海道の方から成田を目指すルートだった。 -
雪で覆われた山々にしばし見とれる。
カナディアンロッキーやアラスカの上空を飛行し、また晴天のため、機窓から絶景がよく見えた。
ニューヨーク出発前日から、かれこれ30時間以起きていた。
だが、日本までのこのフライト中、機内では全く熟睡できなかった。
1999年3月8日
日付変更線を越え、成田に向けて着陸態勢に入る頃、
乱気流か横風に巻き込まれて機体が揺れ始めた。
その揺れがなぜか気持ちよくて、ここで初めてう
とうとする。
日本の領空内に入ってから睡魔に襲われてどうする。 -
成田空港に着陸し、無事帰国。
そして、12日前に見た
「向こう側のホーム」
に何とか降り立ったのである。
時差により、1999年3月8日は今までで1番短い1日だった。
「アメリカ進出大作戦」と銘打ったこの旅は、見事にボロボロになって帰国。
帰国したら体重も減っていて、めでたく「進出失敗」となった。
まさしく、未熟で勉強不足の「小さな自分」の大冒険だった。
「もうアメリカや海外には行かない」
とさえ思った。 -
この旅からしばらくは、入試・卒業・進学・就活などが続き、日本から出られない日々が続いた。
そのため、この大冒険は苦いながらも貴重な経験・教訓となった。
自分のこの「大作戦」に反対しながらも、結局行かせてくれた両親には感謝している。
※ただし、親からの資金援助はなく、旅の費用は貯めてきたお年玉から捻出
ーーーーーーーーーーーーー
旅の経験も人生の経験も乏しいときのひとり旅は、「来てよかった」だけではない。
「辛い・分からない・不安だ」
というネガティブな要素も待ち受けていることは否定できない。
だが、現地で自分で判断しながら行動・問題解決し、「新しい世界・新しい自分」を見つけられる。
今後、特に若い世代の誰かが「アメリカ進出大作戦」や「海外進出大作戦」を実行してくれることを願っている。
長文になりましたが、ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
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