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JR八王子駅南口からJR中央線に沿って高尾方面に数分歩くと仏法山・興林寺(こうりんじ、東京都八王子市子安町)と号する浄土宗の寺院があります。<br /><br />当寺には鎌倉時代後期の弘安6年(1283)に製作された貴重な板碑があり、現在では八王子市の有形民俗文化財として保存されています。<br /><br /><br /><br />門柱の傍に設置の教育委員会説明板には下記のように紹介されています。<br /><br /><br />『 市指定有形民俗文化財<br />   興 林 寺 の 弘 安 の 板 碑<br />        所在地 八王子市子安町4丁目4番18号<br />        指定年月日 昭和31年7月28日<br /><br />この板碑は、弘安6年(1283)に建立された。大正の中ごろに、歴代住職の墓地に頭部が少し見える状態で埋没していたものを掘り出して、現在の位置に保存するようになったと伝えられている。<br /><br />側面は古様を示す方形加工で、頭部は欠損しているが、上部に刻まれた阿弥陀の梵字は見事である。また、蓮座の下に記された大日三種悉地真言は、全国的に見ても希少な例である。<br /><br />なお、この板碑は市郷土資料館で所蔵している文永8年(1271)の板碑に次ぐもので、鎌倉時代の資料としても貴重である。<br /><br />    平成20年1月31日<br />                 八王子市教育委員会 』<br /><br /><br /><br /><br />また、当寺には本堂の後方に上杉謙信が関係する石燈籠が置かれていたと伝えられています。<br /><br />これは徳川家康の関東転封により江戸に拠点を移した頃から、八王子を中心とする関東の経営を任されていた代官頭の大久保長安(おおくぼ・ながやす、1545~1613)が上杉謙信が愛用していたといわれる石燈籠を赴任地の信濃から持ち帰り、八王子・小門の代官陣屋兼自邸の庭に設置していたといわれています。<br /><br />当該石灯籠は長安没落後は興林寺に引き継がれ本堂の後ろに配されていたと伝えられていますが現在ではその石灯籠は存在していないということです。<br /><br /><br />長安の石灯籠に関しては「八王子市史」によれば下記のごとく記載されています。<br /><br />「 興林寺(子安村ー子安町四)<br /><br />山号仏法山、開山本蓮社願誉(弘治3 1557 丁巳8月25日死寂)、開基西山九郎兵衛で天文12年(1543)の創立と伝えている。<br /><br />寛政12年(1800)の大火で焼失、文化5年(1808)当寺第十五世性誉戒深の再建で、昭和20年8月の戦災でまた焼失し、現在復興された。<br /><br />当寺には昔大久保長安が小門の自庭に越後から上杉謙信遺愛の石燈籠を持ってきたものが、その後移されて本堂後に置かれたとあるが、現存はしていない。<br />                                  門内に珍らしい弘安6年(1283)の板碑がある。蓮花の上に弥陀の種子一尊、中段に三行梵字で大日如来の真言、下段に「弘安六年葵未六月二五日禅尼覚心」とある。<br /><br />なお新編武蔵風土記稿の子安村の項には正安3年(1301)・文保3年(1319)の二つの古碑があると記されているが、現在不明である。ともかくここは由木方面野猿峠への道と相原御殿峠への道との合流点に当たるから鎌倉時代の八王子を研究するに重要な地点である。」<br />

武蔵八王子 鎌倉時代弘安期に製作された板碑を配し、家康関東移封後に代官頭の大久保長安が持ち帰った謙信遺愛の石燈籠を継承した『興林寺』散歩

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2021/07/13 - 2021/07/13

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滝山氏照

滝山氏照さん

JR八王子駅南口からJR中央線に沿って高尾方面に数分歩くと仏法山・興林寺(こうりんじ、東京都八王子市子安町)と号する浄土宗の寺院があります。

当寺には鎌倉時代後期の弘安6年(1283)に製作された貴重な板碑があり、現在では八王子市の有形民俗文化財として保存されています。



門柱の傍に設置の教育委員会説明板には下記のように紹介されています。


『 市指定有形民俗文化財
   興 林 寺 の 弘 安 の 板 碑
        所在地 八王子市子安町4丁目4番18号
        指定年月日 昭和31年7月28日

この板碑は、弘安6年(1283)に建立された。大正の中ごろに、歴代住職の墓地に頭部が少し見える状態で埋没していたものを掘り出して、現在の位置に保存するようになったと伝えられている。

側面は古様を示す方形加工で、頭部は欠損しているが、上部に刻まれた阿弥陀の梵字は見事である。また、蓮座の下に記された大日三種悉地真言は、全国的に見ても希少な例である。

なお、この板碑は市郷土資料館で所蔵している文永8年(1271)の板碑に次ぐもので、鎌倉時代の資料としても貴重である。

    平成20年1月31日
                 八王子市教育委員会 』




また、当寺には本堂の後方に上杉謙信が関係する石燈籠が置かれていたと伝えられています。

これは徳川家康の関東転封により江戸に拠点を移した頃から、八王子を中心とする関東の経営を任されていた代官頭の大久保長安(おおくぼ・ながやす、1545~1613)が上杉謙信が愛用していたといわれる石燈籠を赴任地の信濃から持ち帰り、八王子・小門の代官陣屋兼自邸の庭に設置していたといわれています。

当該石灯籠は長安没落後は興林寺に引き継がれ本堂の後ろに配されていたと伝えられていますが現在ではその石灯籠は存在していないということです。


長安の石灯籠に関しては「八王子市史」によれば下記のごとく記載されています。

「 興林寺(子安村ー子安町四)

山号仏法山、開山本蓮社願誉(弘治3 1557 丁巳8月25日死寂)、開基西山九郎兵衛で天文12年(1543)の創立と伝えている。

寛政12年(1800)の大火で焼失、文化5年(1808)当寺第十五世性誉戒深の再建で、昭和20年8月の戦災でまた焼失し、現在復興された。

当寺には昔大久保長安が小門の自庭に越後から上杉謙信遺愛の石燈籠を持ってきたものが、その後移されて本堂後に置かれたとあるが、現存はしていない。
                                  門内に珍らしい弘安6年(1283)の板碑がある。蓮花の上に弥陀の種子一尊、中段に三行梵字で大日如来の真言、下段に「弘安六年葵未六月二五日禅尼覚心」とある。

なお新編武蔵風土記稿の子安村の項には正安3年(1301)・文保3年(1319)の二つの古碑があると記されているが、現在不明である。ともかくここは由木方面野猿峠への道と相原御殿峠への道との合流点に当たるから鎌倉時代の八王子を研究するに重要な地点である。」

交通手段
徒歩
  • 興林寺

    興林寺

  • 興林寺・門標<br /><br />寺号である「興林寺」が刻されています。

    興林寺・門標

    寺号である「興林寺」が刻されています。

  • 八王子市・歴史訪問地図<br /><br />市街地における歴史訪問地が地図上にマークされています。

    八王子市・歴史訪問地図

    市街地における歴史訪問地が地図上にマークされています。

  • 弘安の板碑・説明板<br />

    弘安の板碑・説明板

  • 弘安の板碑<br /><br />山門を入って参道左側に覆い屋の中に板碑が配されています。

    弘安の板碑

    山門を入って参道左側に覆い屋の中に板碑が配されています。

  • 地蔵尊<br /><br />阿弥陀如来像を中心に地蔵六体が並んでいます。

    地蔵尊

    阿弥陀如来像を中心に地蔵六体が並んでいます。

  • 興林寺・本堂<br /><br />参道正面には本堂が建てられています。

    興林寺・本堂

    参道正面には本堂が建てられています。

  • 興林寺・扁額<br /><br />本堂上部には山号として「仏法山」が揮毫されています。

    興林寺・扁額

    本堂上部には山号として「仏法山」が揮毫されています。

  • 興林寺・鐘楼堂

    興林寺・鐘楼堂

  • 鐘楼建立書

    鐘楼建立書

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