2023/05/18 - 2023/05/18
67位(同エリア389件中)
薔薇の咲く庭さん
- 薔薇の咲く庭さんTOP
- 旅行記225冊
- クチコミ1093件
- Q&A回答0件
- 416,327アクセス
- フォロワー53人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
東京の薔薇の名所の一つとして「鳩山会館」と「旧古河庭園」が紹介されています。一度は訪ねてモダンな洋館とそのお庭を鑑賞してみたいと思い計画を立てました。
鳩山会館は1924年に鳩山一郎が建てています。関東大震災の翌年に当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りのイギリスを思わせる外観の洋館です。
庭園には90種160本の薔薇が咲き、外国を思わせます。
今年は温暖化の影響か薔薇の最盛期がずれたようで、残念ながら散ってしまっている薔薇がたくさんあって期待していたものとは少し違いました。
ご覧いただけると幸いです。
温泉巡りの旅28 ラビスタ東京ベイ
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
出発はゆりかもめの始発駅の新橋駅。ゆりかもめにここから乗るのは初めてで少し緊張します。
新橋駅 (ゆりかもめ) 駅
-
インバウンドが増えてきた事を実感します。時々見かけます。
-
ゆりかもめはホームにドアがあって、ホームからの転落事故の心配はありません。モノレールで、無人運転のようです。車掌さんの姿は見えませんでした。
-
車内。少し通路が狭い感じがします。
ゆりかもめ 乗り物
-
さすが大きな街TOKYO。空中散歩をしている感じがします。大きな街である事を実感します。
-
インバウンドの方々にはどの様にTOKYOが映っているのでしょうか?
かなり文化の進んだ街だと思う事間違いなしです。
私が旅して見てきた街の中では抜群の大きさと文明を持っていると思います。 -
船のマストのようなものが見えます。もともとはここは海だったので船が置いてあっても不思議ではありません。
-
竹芝駅で下車しました。駅は空中にあります。下は道路。
竹芝駅 駅
-
ゆりかもめの線路の下を線路に沿って歩いていくと、
-
見えてきました。レッドカーペットの階段。
-
「ツキ・ラメール」。ここは海が見えるレストランでちょっと名が通っています。
-
予約した時に「海がよく見える席に」とお願いしてあったので、バッチリとレインボうーブリッジが見える席に案内されました。
-
なかなかいいです! 夜景はもっと素敵だそうですが。
-
これで、お食事がおいしければもっと素敵です。
-
ご満悦な様子。
-
私はちょっと?
-
海岸がすぐそこなので、しばらくすると船が来て着岸しました。どこから来たのでしょう? 東京湾を回って来たのでしょう。
-
ランチのコースを注文しました。アミューズです。
まあまあの味。 -
このお皿の料理は模様が素敵です。食べるのが惜しくなる感じがするデザインです。このレストラン、ツキ・ラメールの看板メニューになっています。
-
拡大してみました。やはり素敵でしょう?
きっちりと野菜が入っていて巻かれています。 -
ツキ・ラメールは、夕食が素敵だと思います。ライトアップされたレインボーブリッジを目の前に見て食事をするのはとてもおしゃれな感じがします。残念ながら夕食の予約はしてありません。築地に宿泊する予定なので、海鮮寿司を食べる予定でいます。
-
牛肉のローストをも注文しました。味はまあまあです。
-
デザートはさっぱりしていて美味しかったです。
-
外の景色を眺めながら食事を楽しみました。今日の目的地は鳩山会館(旧鳩山邸)なのでゆっくりはしていられません。
-
ゆいレールの竹芝の駅まで戻ってきました。転落防止のドアがホームについていました。これなら安全です。
竹芝駅 駅
-
再びゆいレールに乗って、新橋へ戻ります。ゆいレールから見える東京の景色は大都会を感じさせる景色でした。道路と立体交差しているゆいレールです。後からゆいレールを作ったので、立体交差がたくさんあるんですね。
-
竹芝の駅の次は汐留。変わった名前です。
-
新橋駅に戻ってきました。高速道路の上をまたぐ橋を渡って、JRの新橋駅へと向かいます。大都会だなぁとつくづく思います。下の道路は何車線でしょうか?
-
新橋から有楽町へ山手線で出て、地下鉄有楽町線で江戸川橋の駅まで来ました。1aの出口を出ました。上は首都高速5号池袋線です。
神田川です。川沿いの木は桜。 -
高速道路のすぐ下は江戸川公園になっていました。高速道路の下が公園になっているのは珍しいと思います。後で調べてみるとここは桜の花見の名所でした。
江戸川公園 花見
-
江戸川橋から歩いて約11分、約750メートルのところに鳩山会館がありました。
門の先は坂道になっています。鳩山会館 名所・史跡
-
周りは平野なのに、ここだけ小高い丘になっているので驚きました。一部分が隆起して小高い丘を作っているのかもしれません。
-
坂道を上っていくと鳩山邸の玄関に出ました。車寄せがあります。
見ると注意書きがあり、中で人物を入れての撮影は、撮影禁止となっていたので、ここで写真を撮ることにしました。 -
記念撮影です。
-
玄関脇から見た鳩山邸です。高い煙突があります。暖炉があるのでしょう。
-
入り口は階段になっていて、レッドカーペットが敷かれていました。先ほどツキ・ラメールで見てきたので、ここにもレッドカーペットがあって驚きました。
ただ、この状態だと車椅子での入館ができません。そこまでは考えなかったんでしょうね。 -
中に入りました。ここは「第二応接室」です。目についたのはステンドグラスでした。
-
鳩山由紀夫はまだ存命中なので人物像があるのに違和感を感じました。ここに住んでいたことを記録したかったんでしょうか?現在はここにはお住まいではないので。
祖父の鳩山一郎が1920年にここに鉄筋コンクリート造りで、当時としては珍しいイギリスを思わせる外観の屋敷を建てました。 -
ここは鳩山一郎が座っていたという椅子です。当時まま残されていました。
昭和29年12月~31年12月に自由民主党初代総裁になっています。その間にここで座っていたのでしょう。 -
「一郎が首相当時、第二応接室が重要な政治の舞台になりました」と写真には表記されていました。多くの国会議員が屋敷を訪ねて相談をしたのでしょう。
-
第二応接室からサンルームを眺めた写真です。
-
第一応接室の様子です。自由にソファに座ることが出来ます。グループで遊びに来た人たちが座っていました。部屋にあるビデオを見ることが出来ます。
-
第一応接室に入ってみました。落ち着いた部屋です。ここで鳩山家を訪れた客人をもてなしをしたのでしょう。
-
第二応接室のテーブルの上に鳩山会館のバラの解説書がのっていました。
鳩山一郎は薔薇を愛したそうです。
庭園には約90種類120株の薔薇があるそうです。 -
薔薇の写真が置いてありました。この薔薇は「友愛」と言う名前のバラです。鳩山一郎の友人によって作られた薔薇だそうです。1970年日本生まれです。控えめな赤色で、花弁は丸みがあります。薔薇は品種を組み合わせて新しい品種を作ることができるんですね。
鳩山一郎が唱えた友愛の精神を象徴する薔薇です。 -
この名前は「マダム・ミユキ」という名前の薔薇です。2010年日本生まれです。
花弁の面は情熱的な赤、裏は柔らかなクリーム色です。きれいですね。ぜひ本物を見たいものです。 -
「ピース」という名前の薔薇です。1939年フランス生まれ、世界バラ会連合が最初に殿堂入りに選んだ薔薇だそうです。第二次世界大戦の1945年に平和への願いを込めてピースと言う名前をつけたそうです。
-
とてもきれい。名前は「クイーンエリザベス」1954年アメリカ生まれ。1954年に即位したエリザベス女王に捧げられた薔薇だそうです。
-
この薔薇は「ジョン・F・ケネディ」という名前の花です。1965年アメリカ生まれ、アメリカの元大統領のジョン・ケネディの名をつけました。
-
第一応接室の窓からは「庭がよく見えて薔薇が咲いている様子を見ることが出来る」と読んだことがありましたが、残念ながら庭の薔薇はもう盛りを過ぎていて、ここから薔薇を見ることはできませんでした。
-
第一応接室から第二応接室を見てみました。鳩山一郎の座っていた椅子がよく見えます。第一応接室と第二応接室の2つの部屋が必要だったのは、多くの人が訪れたからでしょう。
-
鳩山一郎が当選したときの祝福を受けている様子です。多くの人が鳩山邸を訪れて祝福したようです。窓ガラスの形からこの家であることが分かります。
-
サンルームへ出てみました。ここにもたくさんの客人が座ったようです。
吉田茂元首相も一郎と歓談した場所だそうです。鳩山由紀夫の民主党の結成パーティーはここで開かれています。 -
サンルームの端には、飲料水の自販機が置かれていて、この場所では飲み物を飲むことができました。他の場所は飲食物禁止です。
-
食堂に移動しました。
鳩山一郎が使用していたコーヒーカップが展示されていました。モノトーンのすっきりした色ですね。 -
これは使われていた食器類です。日本製でしょうか?見たことがないデザインです。。
-
ダイニングテーブルの後ろには、食器棚があって使われていた食器が展示されていました。
-
大きな楕円のテーブルです。最大8人で食事をすることができます。鳩山一郎夫妻、鳩山威一郎夫妻、威一郎の長男邦夫、由紀夫、和子が座っていたと考えられます。
-
食堂のステンドグラスはライチの実です。
-
拡大すると確かにライチが実っていました。なぜライチの実なのか説明がありませんでした。
-
さて、2階へ上がってみましょう。
-
2階へ上る途中の踊り場に、この邸宅を象徴するステンドグラスがありました。京都の法隆寺、五重塔を模しているそうです。襟裳階部分はガラスが二重になり、立体的に見せています。空を飛んでいる鳥は鳩ではないでしょうか?
-
2階に上がると、大広間には「友愛」と書かれた大きな額が飾ってありました。一郎の筆だそうです。
友愛とは、相互尊重・相互理解・相互扶助の三原則を「友愛主義」と呼び、「自立と共生」の理念を基にしています。
今の時代にも通じる大事な政治思想だと思います。特に一郎が総理大臣をした戦後は諸国と対等ではなかったと思うので。 -
一郎記念室に入りました。この部屋のドアは鉄製です。理由は「5・15事件」の教訓から暴漢に襲われないように鉄製にしたそうです。
-
大礼服を着用している一郎の写真がありました。大礼服は宮中の重大な儀式の時に着用する儀礼用の制服だそうです。
この写真は文部大臣在任中に写したものです。
誠実な人柄のように思われます。 -
ここはもともと書斎として使っていたそうで、本棚が残されていました。
-
部屋の西側の窓には1枚のステンドグラスがありました。日本の国鳥の「キジ」だそうです。「西日を浴びて宝石のように輝く」と書かれています。
この建物は、関東大震災の翌年の大正13年に作られているので、その当時はかなりモダンだったと思います。 -
反対側にも本棚があり、たくさんの本が入っていました。書斎の中には本がたくさんあります。よく勉強をしたのでしょう。
-
ちょっと気持ちが悪いかもしれませんが、珍しいので写真に撮りました。一郎のデスマスクです。
-
このような感じで、一郎記念室の中を見学することができました。
-
この方は、一郎の奥さんで薫さんです。
共立女子学園長を長年勤めた教育者だそうです。
明治21年生まれで、昭和57年まで生きています。94歳。長生きですね。
これは想像ですが、明治時代は女性の教育がとても大事な時代だったと思います。男尊女卑の考えがが充満していたんではないでしょうか?
現在でも、昭和の価値観を持った男性の中には、女性は男性に従うべきだと考えている人がいます。
女性が自立して、自分の考えで行動すると言う事はありえないと思っているのです。
女性が自立して自分の考えで行動するためには女子教育が必要でした。 -
一郎記念室の廊下の反対側に香さんの部屋がありました。
和室でした。実際にここの部屋で暮らしていた痕跡が残っています。 -
鳩山邸は、とてもモダンな邸宅ですが薫の部屋だけは、昔ながらの日本間でほっとしました。やはり和室は落ち着きます。
薫さんもそう思っていたんではないでしょうか? -
一郎がバラの花がとても好きだったので、庭で一緒にバラの花を見てくつろいだことでしょう。一郎の視線は薔薇ではなく薫に向いているように見えます。
薔薇の花のように、美しい女性だったのでしょうね。
薫さんの座右の書がありました。
「嫁の選択は一切子息に任せる」「嫁には姑の世話をさせない」「なるべく嫁の自由にさせる」
当時としてはかなり画期的な発想だと思います。息子と嫁の自立を認めています。 -
国会で答弁に立つ鳩山一郎でしょうか?首相の仕事は分刻みのハードワークだったと思います。家で薫とくつろぐ時間は一郎にとってとても大事な時間だったのではないでしょうか。
-
香の部屋の前の廊下のすぐ脇はバルコニーになっていました。ここがちょうど玄関の車寄せの屋根の部分です。
-
バルコニーから見た薫の部屋です。
-
次に大広間に行ってみました。ここは会食や集会に、現在も貸し出しをしています。
ここで会食をすると言うのはとてもいいですね。 -
真ん中に、柱があるのは構造上やむをえなかったのでしょう。現在ならば、柱は不要で大広間のスペースは確保できますが、当時は必要だったんですね。
-
窓側に行ってみました。レースのカーテンがかけてあって、景色が分かりません。
-
カーテンの隙間から見ると外には庭園が広がっていました。こんもりとした緑がきれいです。都心にこの邸宅があるとはとても思えません。
-
大広間の隣は、威一郎の趣味の部屋になっていました。
威一郎は内閣総理大臣にはなっていません。外務大臣でした。
壁に写真が飾られています。 -
この方は威一郎の妻の安子です。ブリヂストンの創始者の石橋正二郎の長女です。20歳で鳩山威一郎と結婚し二男一女を授かっています。鳩山由紀夫のお母さんです。77歳の時の写真と表示されていました。
-
机の上には筆記用具が置かれていました。硯と筆があります。昭和の時代は、硯と筆が必要だったんでしょうね。
-
左側は本棚になっていました。
-
1階の特別展示室に降りてきました。由紀夫が各国からもらった寄贈品が展示されていました。
これはロシアからもらったマトリョーシカです。一番大きいのが由紀夫、次が威一郎、3番目が一郎だと思います。2010年の8月26日の日付になっていました。 -
由紀夫が内閣総理大臣だったときのメンバーです。一番左側の女性は福島さんのようです。
-
これは掛け軸。送り主は中国の胡錦濤国家主席です。2009年の9月22日にアメリカでピッツバーグサミットが行われています。その時の贈答品です。どうもサミットのときには贈り物を持っていき、交換するようですね。
-
これはガラスの器で、送り主はバラク・オバマ大統領です。2009年11月13日に東京でもらっています。
-
三羽の「がん」が翼をつないでいます。これは鳩山家の家紋だそうです。
鳩に間違いやすいそうですが、がんです。 -
武者小路実篤からもらった絵がありました。
文章からするとわが道を行くというところでしょうかね。 -
確かに武者小路実篤のサインです。
-
庭へ出てみました。出てすぐ左のほうに銅像がありました。これを作ったのは鳩山由紀夫の妹の和子です。この家の創始者の鳩山和夫と春子です。
和子から見ると曾祖父母になります。 -
鳩山一郎の銅像もありました。やはりこの方の存在は、この家にとって重要です。
-
庭へ出て薔薇の花を探してみました。今年は気温が高いせいか、すでにほとんどの薔薇は咲き終わっていました。
この薔薇は「ローズ ユミ」という名前の薔薇で桂由美さんからの寄贈だそうです。 -
赤くて綺麗。花びらが丸い。
これが「友愛」と呼ばれるは鳩山家の理念を表した薔薇です。
2008年、この薔薇こそが、鳩山会館の庭園にふさわしいと一郎と親交のあった方が送ってくれた薔薇です。 -
ありました。「ジョン・F・ケネディ」第35代米国大統領にちなんで命名された薔薇です。
-
薔薇を探して、鳩山会館の庭を約半周しました。
庭から見ると素敵な洋館ですね。 -
拡大してみました。
関東大震災の翌年の大正13年にこの建物ができていたのですから、当時はかなりモダンな家だったと思います。 -
薔薇のアーチAのところから撮った写真です。鳩山庭には薔薇のアーチが3つありました。
-
見つけました。クィーンエリザベスです。先ほど第二応接室で見た写真の花です。
エリザベス女王の戴冠式にちなんで命名され、1978年に殿堂入りしています。 -
これもクイーンエリザベス。こちらのクイーン、エリザベスのほうが鮮やかな感じがします。
-
残念ながら主なバラの花はほとんど散っていて、写真に撮ることができませんでした。庭の先のほうに離れがあります。行ってみることにしました。そこで見つけたのがこの花、「ベルサイユのばら」です。少女漫画のベルサイユのバラをイメージした真紅の薔薇です。
実は私の家の庭にもベルサイユのばらが咲いていました。ところが、2年前に枯れてしまいました。2年前は冬になっても花が咲き続けるので、不思議に思っていましたが、それが最後に咲いた花でした。
理由は、ベルサイユの薔薇の南側にある陽光と言う名前の桜の木が大きく育って、日があまり当たらなくなったからです。とても残念でした。陽光を剪定して小さくし、もう一度チャレンジしようと思っています。 -
この花の名前は、「マダムミユキ」。薔薇というより和の感じがする薔薇です。ミユキさんと言う方にちなんでつけているんでしょうね。
-
これは「スーパースター」と言う名前だそうです。フルーツのようなとても良い香りがするそうです。
-
これはアイスバーグです。私の家の玄関先でピンク色のアイスバーグが咲いています。香りはありません。1983年に殿堂入りしたそうです。英語で氷山、ドイツ語で白雪姫。
とても強い薔薇で多少の悪条件では枯れません。肥料ををたくさんあげると、喜んでたくさん咲きます。 -
これはルサンボという名前の薔薇だそうです。フランス生まれ。1973年の薔薇です。
あまり薔薇の感じがしませんね。 -
この薔薇の名前は「オスカル・フランソワ」。フランス革命を情熱的に生きた男装の麗人オスカルをイメージした大輪の白薔薇です。
ベルサイユの薔薇の物語に出てきました。確かに男性的。 -
これは、「プリンセス ド モナコ」
モナコ公国王妃のグレース・ケリーに捧げられたからです。群を抜いて美しいですね。上品で甘い香りがします。1981年 フランス生まれ。 -
咲いている薔薇の数が少なかったのですが、少ないながらも咲いている薔薇を堪能して鳩山会館を後にしました。
小高い丘の上に旧鳩山邸はあるので、昔は誰からも覗かれることがなかったと思いますが、現在はこの庭を見下ろす高さのマンションが近くに立ち景色が一変していると思います。 -
再び新橋駅のゆりかもめの駅に戻ってきました。ここで荷物を回収してホテルへと向かいます。
新橋駅 (ゆりかもめ) 駅
-
レインボーブリッジが見えてきました。ゆりかもめはレインボーブリッジを渡る路線が地図上で描かれています。しかし、レインボーブリッジを渡るゆりかもめをツキラメールから見ていません。どうやって渡るのでしょう?とても不思議でした。
レインボーブリッジ 名所・史跡
-
行ってみてわかりました。ゆりかもめは橋の真ん中を通っているんです。両サイドに道路があって、ゆりかもめが走っている様子を橋の下からは見ることができませんでした。
-
初めてゆりかもめで、レインボーブリッジ越えをしたので感動しました。景色がとても美しいです。東京湾にこんな美しいところがあるなんて!
C国からいらした方が前の席に乗っていましたが、別に驚く様子もなく、すました顔で載っていました。日本人の私が感動して写真をたくさんとっていましたが、無関心な様子で見ていました。C国にはこんな素敵な景色があるのでしょうか? -
羽田が近いので、飛行機が空を飛んで行きます。東京湾のコンテナが見えて、とても近代的な景色です。
-
夕日がとてもまぶしくて、大都会に沈んでいく太陽を久しぶりで見ました。
-
東京でこんな景色を見ることができるんですね。別の国に来たみたいです。完全なおのぼりさんです。
-
今夜のホテルはラビスタ東京ベイです。私が加入しているJA○カードの会社から毎月パンフレットが送られてくるのですが、その中に美しい夜景を見ながら、温泉に浸ることのできるホテルとして紹介されていました。一度泊まってみる価値があると思い、このホテルを選びました。
-
なんと場所は豊洲市場の徒歩圏内です。ホテルから豊洲市場が見えました。
豊洲市場 市場・商店街
-
ホテルのロビーです。入り口がわからなくて探してしまいました。最上階の温泉でお話をさせていただいた方も入り口がわからなくて探したとおっしゃっていたので、改善の余地があるかなぁと思います。
ラビスタ東京ベイ 宿・ホテル
-
お部屋は10階でした。11階が大浴場になっているので行くのに近くてとても便利でした。夕日が沈んでいます。残念ながら、この日は薄曇りで太陽は見えませんでしたが、夕暮れはきれいでした。
豊洲大橋 名所・史跡
-
豊洲に来たので、お寿司を食べたい。ホテルの中にあるお寿司屋さんに入りました。
-
ちらし寿司です。鮮度がとても良くておいしかったです。豊洲市場がすぐ近くにあるので、鮮度の良い刺身が手に入るのでしょう。
-
天ぷらです。味はいまいちだったかな?
-
部屋から対岸へ渡る豊洲大橋がライトアップされて、また違う景色を見ることができました。
-
温泉から、このような景色を見ることができました。尖っている赤いタワーは東京タワーです。温泉からは右側にスカイツリーも見ることができました。両方のタワーを見ながら温泉に浸かりました。しかし、残念ながら温泉の中は撮影禁止なので、スカイツリーの写真は撮れませんでした。これはお部屋からの写真です。
東京タワー 名所・史跡
-
夜も更けてきました。ライトアップされて豊洲大橋が綺麗です。
-
レインボーブリッジのライトアップも見ることができました。
大自然の景色も素敵ですが、人工的な構造物が作り出す景色もとても魅力的に感じた夜です。
明日は旧古河庭園へ薔薇の花を見に行きます。今年は東京の薔薇の花を愛でる旅です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
目白(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
128