2023/04/26 - 2023/04/26
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芦花さん
伊勢神宮は天皇家の祖先神「天照大神」でありながら、天皇家が当地で直接参詣したのは明治天皇がはじめて。
明治時代に神道が国教化して以降、今に至るまで、皇族や総理大臣などの国のトップたちが、あたかも国家の守護神であるかのようにたびたび伊勢神宮を参拝していますが、五世紀に鎮座して以降、江戸時代までの伊勢神宮は、そのような性格の存在ではありませんでした。
むしろ天皇家や公家・武家などの支配階級よりも、被支配階級としての庶民・農民達の信仰を裏付けにした参拝者が特に江戸時代に隆盛を極めた、というのがお伊勢参りの真相。
伊勢神宮は政治権力者にとっての伊勢神宮ではなく、庶民にとっての伊勢神宮だったのです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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レンタカーで松阪から伊勢街道を走り、外宮に向かう途中、へんば餅の本店に立ち寄りました。
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元は宮川の渡し付近で渡り舟待ちの旅人を相手にしていた茶屋。
渡し場で客をおろした馬が馬が引き返したところから「へんば餅」と呼ばれ、餡入り焼き餅が名物。 -
消費期限は翌日なので、お土産にするには厳しい。
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それでも数ある伊勢の餅街道の餅の中ではお気に入りの一つです。
独特の餅の粘りが素晴らしい。 -
外宮の駐車場にレンタカーを駐車。
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外宮は高倉山の麓にあるので、高倉山古墳の主人の海の民、磯部氏の神様もベースに、
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この地を新たに侵略したヤマト政権が、丹波国の「止由気(とゆけ)大神」をこの場に遷したのではないか、と言われています。
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伊勢というところは、海の民であった渡会氏の祖先の磯部氏がもともと支配していた地。磯部氏の 「イソ」が「イセ」の語源ではないかと言われています。
天皇家=ヤマト政権が伊勢にやってくるのは、神武天皇の東征の一環として。
出雲や熊襲などと同様、伊勢もヤマト政権が侵略によって先住支配者から権力を奪い取った地。これらの地はヤマト政権を正当化するための歴史書「記紀神話」では国譲り神話となって、記紀神話に残存。
伊勢も例外ではありませんでした。 -
伊勢神宮の社殿は20年ごとに造りかえられます(次回は2033年)。
これを式年遷宮といいます。式年遷宮については「外宮」の敷地内にある「せんぐう館」でその詳細を知ることができます(外宮にお参りしたなら、ここは拝観必須)。
(なお、ここで紹介されている歴史は「神話としての歴史」。つまり「物語としての歴史」で「学問的な歴史」とは異なりますが、どちらも大切なものです) -
伊勢神宮のほか、主なところでは住吉大社、香取神宮、鹿島神宮も20年ごとに式年改築しています。
古代の「都」も「歴代遷宮」といって7世紀までは天皇が変わるごとに都を別の場所に遷宮しており、その理由としては
①父子別居制
→男子は女性の元に通い、その子供は母の家にて育てられるという慣習から、母方の住まいの場所に遷宮していくという仕組み
②穢れ忌避
③建物の耐用年限
④即位の卜定(占い)
⑤王臣関係の再編成
の五つの説があります。 -
式年遷宮の場合、宮本は歴代遷宮の理由のうち、②の穢れ忌避、③建物の耐用期限、が大きいのではとし、20年ごとに遷宮することで溜まった穢れを清め、古くなった御心柱を取り替えるのが式年遷宮、ということです。
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ちなみに「穢れがすべての災いをもたらす」という日本人の価値観は、古代から今に至るまでずっと続いている価値観。
熊野信仰にしても、祇園祭・お盆などの各種祭にしても、被差別部落民の問題にしても、すべては日本人の「穢れ忌避」からきているものと思われ、式年遷宮についても同様に「穢れ忌避」という理由が一番大きいのでは、と考えられます。
宗教民俗学者の五来重著『日本人の死生観』によると、日本人には古来から擬似再生の考え方があり、熊野詣の目的は「擬似再生によって自らの穢れ(罪)を清めること」。そのためのツールとしての擬似再生をこの世で再現したもの。
「いったん熊野で死んで生き返ってまた戻る」という熊野詣は、死装束としての白装束を着用します(=四国のお遍路さんも同じ理由)。還暦の赤いちゃんちゃんこ着用も60歳でまた擬似再生=生まれ変わる、ということからきています。
以上のことから、式年遷宮は
「穢れの清浄」を目的として、20年ごとにおこなう擬似再生の儀式
ということではないかと思われます。 -
外宮と内宮をつなぐ旧街道には、江戸時代には「古川」という歓楽街がありました。
古川では、遊郭含めた歓楽街で遊び、余裕のある人は京都・大阪・金毘羅見物も合わせて楽しんでいたというから、信仰(聖)と娯楽(俗)は、今も昔もセットで楽しまれているのでは、と思います。
ここは、その古川に残存する宿屋「麻吉旅館」 -
この麻吉旅館は、すでに1782年(江戸時代の天明2年)にはこの地にあったらしい。
もともとは、「花月楼 麻吉」という茶屋だったそう。
明治時代には伊勢音頭の舞台を備えた県下第一級の大料理店だった。 -
そんな古川の歴史を知る資料館も街道途中にありました。
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そして内宮のおかげ参道入り口にある駐車場にレンタカーを停める
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古市を紹介する屏風
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へんば餅は、参道にも支店がありました。
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参道は、最初の方はまばらな感じでしたが。。。
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おかげ横丁あたりまで来ると、修学旅行生や若い女性が突如として増大。
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私たちは、おかげ横丁の「ふくすけ」、で伊勢うどんをいただきました。
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伊勢うどんなら手打ちが良かったのですが、売り切れだったので、素うどんを注文
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先払いで、食券の木札を受け取って席でしばらく待つと店員さんが食券の番号を読みあげ、客が手を挙げると、席に持ってきてくれます。
「永六輔が命名した」という伊勢うどんは、永六輔が命名する前からずっとあった伊勢のソウルフードだと思いますが、いかにも他のうどんとは一線を画すブヨブヨのうどんが特徴的。
醤油ベースのタレを絡ませてシンプルに素うどん(560円)を食べる方が、伊勢うどんならではの味わいを実感できると思うので、揚げ物などのトッピングはつけませんでした。
食べたことない方は一度は食べてほしいうどんです。 -
「てこね寿司」ならここでぜひ、と地元の方に勧められた「寿司久」ですが、伊勢うどんにしてしまったので、横目に見ながら通過。
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やっと内宮(皇大神宮)に到着。
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ここから入ります。
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宇治橋を渡ります。
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民俗学者、宮本常一によれば、なぜ侵略の地に祖先神たる天照大神が祀られたかといえば(現代の伊勢神宮自身の「神話としての歴史」も含め諸説あるものの)、理由は2つと想定。
①天皇の支配下に入っていなかった荒ぶる土地を鎮めるため
②伊勢がヤマト(奈良盆地)からみて東方の地、つまり日出ずる地だったから
東へのさらなる征服の拠点としての日出る地たる伊勢に太陽神たる天照大神を据えることで、ヤマト政権の東の地の拠点としたのでは、といいます(ちなみに西の拠点は住吉大社)。 -
このような経過からみて伊勢神宮は、5世紀から6世紀にかけての時期に鎮座があったのでは、と推測。特に内宮は5世紀末には鎮座しており、ヤマト政権との戦いに敗れた当地の磯部氏がその管理を任せられ、711年に「度会」の姓を賜ったといいます
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一般に神宮は、川のそばにある場合が多いのですが、その理由は、川で身を清めるためです。
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ちゃんと内宮にも、五十鈴川で身を清める場所があります。
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そして正宮に向かう。
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正宮でお参りします。階段の上からは撮影禁止なので、石段下から撮影。
江戸時代における伊勢参宮の浸透度合いは驚異的だったらしく、江戸時代初期にはすでに伊勢にお参りしていないと「人ではない」と言われたといいます(ルイス・フロイスの報告)。 -
1777年(江戸時代中期)の書物『私祈祷檀家帳』では、伊勢神宮の檀家が439万軒というから、5人家族として約2,200万人が伊勢信仰。
当時の人口は3,000万人程度といわれていたから大半の日本人は伊勢信仰で、地域も青森県から鹿児島県まで、あらゆる地域から伊勢参宮されていたらしい。 -
宮本常一が調査した対馬(昭和25・26年)でも、ほとんどの村に伊勢講(※)があり、著者が直接話を聞いた長老たちも伊勢参りしていない人はほとんどいなかったといいます。
※伊勢講とは、
日本全国各地にあった伊勢神宮の信仰集団のことで、伊勢から遊行にやってきた御師(ツアーコンダクターを兼ねた伊勢信仰の宣教師:詳細後述)との関係をベースに、みんなでお金を積立して伊勢参宮したりお布施したりなどの活動をしていたコミュニティ。 -
伊勢は餅街道と呼ばれ、数多くの餅がありますが、ここは赤福(江戸時代創業)よりも古い「太閤餅」で、戦国時代にはあったらしい。
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賞味期限が1風間ぐらいと長いので、赤福では賞味期限が難しい、
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という場合は太閤餅がおすすめ。
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若干焼いた表面にもちもちの餅。
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こちらは草餅として有名な「神代餅」
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消費期限は、2-3日。
草餅は奈良の長谷寺や室生寺などの門前町で有名ですが、ここでは「神様が一番好きなのはよもぎ」ということから「戦後」より発売。 -
餅街道としては、戦後からなので新参組ですが、ヨモギが好きならこっちです。
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こちらが赤福本店。早朝より開店しているのは、大昔からここ赤福だけとのこと。
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江戸時代よりここにある、さすがの老舗です。
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お湯の釜が面白い!
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五十鈴川を見ながらいただきました。
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お土産との違いは、餅の鮮度です。
餅は出来立てであればあるほど、柔らかくて美味しいので、これだけ品質管理が徹底された現代においても、やはり出来立てにはかなわない。 -
天気も良くなってきた
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復路で日本酒バーを併設した酒店、森下酒店に立ち寄り。
三重県は、銘酒が多い。
伊賀上野・名張の「而今」「るみ子の酒」「滝自慢」
大台町の「八兵衛」
鈴鹿の「作」
そして菰野町の「田光」 -
私は運転手なので飲めませんが、連れが「田光」を注文。
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この後は、志摩観光ホテルに(別途展開予定)に向かいますが、翌日伊勢の朝熊山に登ったので、そちらをまずは紹介。
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伊勢志摩スカイラインで1270円お支払いして、車で展望台に向かいました。
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なぜか足湯があり
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なぜかポストがある
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そして伊勢湾の方を望む。
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伊勢参宮とセットでのお参りをされたという朝熊山の
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金剛證寺。
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伊勢神宮の鬼門を守る名刹で「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と唄われたそうですが、
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「方参り」と言われたのは、ほかにも「多度大社」「津観音」など、数多くあって、伊勢参宮の旅人にぜひ寄ってほしいというプロモーションの一環だったのでしょう。
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とはいえ、関東や東北からの伊勢参りには、京都・大坂はもちろん、四国の金比羅山までまとめて周遊する人が多かったらしいので、すべての「片参り」に行っていたのかもしれません。
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そして卒塔婆のある奥の院に至る参道は驚きました。
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ちょっと他では見たことない風景
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卒塔婆ごとの値段も記してあって明朗会計です
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卒塔婆のご供養についての紹介。
一般にお墓が山の奥にあるのは、山を伝って他界にいくという山中他界説から、だというのも納得です。 -
高野山、熊野の阿弥陀寺など、山中に数ある霊園は、そのような昔からの日本人の死生観によるものでしょう(五来重著『日本人の死生観』より)。
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