2023/04/25 - 2023/04/26
139位(同エリア337件中)
芦花さん
三重県フィールドワークの一環として伊勢参りが最も盛んだった江戸時代の旅館「鯛屋旅館」に宿泊して松阪牛を堪能しつつ、松阪市内を観光しました。
本居庵→松阪城跡→本居宣長記念館&旧宅→市立歴史民族博物館→旧長谷川治郎兵衞家→旧小津清左衛門家→鯛屋旅館
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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雨の中、JR松阪駅を下車
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松阪城を横目に見つつ
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駅から15分程度で自然薯料理で有名な本居庵
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自然薯をテーマにした和食屋。松坂城内にある本居宣長記念館のそばにあり、観光ルートのランチの候補として使いやすい店舗です。
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私は月見とろろ雑炊御前1180円、連れはシルバーセット1080円選択。
連れの頼んだ方は自然薯をとろろで食べるようにあっているのですが、意外にサラッと食べられるようになっています。
店員さんに聞けば、ネバネバの自然薯に独自の出汁を加えて、食べやすくなっているとのこと。
雑炊の方は、雑炊スープとして自然薯をいただくので、さらにサラッとした食感になっていますが、自然薯ならではのネバネバ感は残存しています。
副菜のムカゴは、自然薯含むイモ類の茎の太い部分だから、もしかしたらここのは自然薯のムカゴなのかもしれません。
地元の方によると、お好み焼きや蒲焼も美味しいそうです。 -
伊勢松阪の木綿商を営む伊勢商人の息子として誕生した宣長の国学者・医者・趣味者としての3つの側面を子孫の方からの寄贈によって旧宅と合わせて、その遺品を展示したのがこの記念館。
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宣長を知るにはちょうど良い記念館となっています。
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昼間は医者として、夜は自分の勉強をしていたそうです。
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宣長が解読したという古事記
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宣長が12歳から72歳で亡くなるまで住んでいた家。100年ほど前に、松阪の人々が火事などから守るため、元々あった松阪の魚町からここ城跡に移築したそうです。
宣長は医者なので、昼間は薬箱を持って各地を訪問し、夜のこの家で古事記を解読したのです。
記念館との共通チケットで拝観できます。 -
松坂城は、1548年近江日野から松ヶ島へ移された蒲生氏郷が、1552年四五百(よいほ)の森に築城して移り、松坂と改称。
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城下町は松ヶ島から町人を全員移住させ、職業別に居住地をまとめ、白粉町・紺屋町・鍛冶町・魚町などを形成し、
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近江日野からも畳表や蚊帳などを扱う商人を呼んで日野町をつくり、大湊(伊勢市)からは角屋・茶屋といった貿易商人を呼んで港町を形成(『旧伊勢街道を行く』より)。
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何気の石標のコメントが趣があります。
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松阪は、江戸時代は紀州藩の出城のような地。
松坂は大阪と同じように明治22年の町政開始までは土へんの松坂。蒲生氏郷が織田信雄の松ヶ島城を移し、秀吉から大阪の坂の字を賜ってなづけたそうです。 -
この柴藤は当時200年以上経った愛知県にあったものを、明治23年に市内中町の脇田藤助が寄贈したとのこと。
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通算樹齢:約三百数十年。
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松阪市立歴史民俗資料館。
を繁栄させた松坂木綿などが展示されています。 -
松坂木綿の展示
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幼少時代に父の実家である松阪に滞在したという映画監督小津安二郎の展示は2階にありました。
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こじんまりしていてサクッと拝観できる資料館です。
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御城番屋敷を城跡から望む。
今でも子孫がこの屋敷に維持管理して貸しているという驚きの文化遺産。槇垣が美しい長屋敷です。 -
その一部を解放していて私たちのような観光客でも中を見られるようになっています。
津藩藩主、藤堂高虎の計らいによって紀州藩の一部になった松坂ですが、その紀州藩士20人の組屋敷として幕末の1863年に建築。 -
その後、藩士たちは今も残存する合資会社「苗秀社」を立ち上げて現在も同社が維持管理しているそうです。
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長谷川家は、1675年に江戸の大伝馬町で創業。
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木綿問屋で木綿仕入れを経営し、店には120人余りの従業員。
当主は、ここ松坂に留まり、紀州藩役所の仕事に従事。本職の木綿問屋は、人事権をもって経営統治し、実務は全て番頭以下の従業員に任せていたといいます。 -
その当主の松坂での邸宅を解放しているのがここ長谷川次郎兵衛家です。
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本居宣長の邸宅はここにありましたが、火事を避けるため、城跡へ移築
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もう一つの伊勢商人の旧宅「小津清左衛門家」
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ここのオーナー、小津清左衛門長弘は、1643年に佐久間善八紙店で奉公したのち独立し、本居宣長の曽祖父の小津三郎右衛門道休に資金援助と小津屋を名乗ることを許されて紙問屋を開業。
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今も小津産業として営業継続しています。
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この館には巨大な飯炊釜があり、目の前の伊勢街道を往来する伊勢神宮の参拝者に飯を炊いて配り、全国各地の情報を収集して商売に役立てたと言います。
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三井家は京都に引っ越しましたが、松坂ではここ伊勢街道沿いにあったそうです。
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三越伊勢丹グループが寄贈したライオン像。
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松阪城と伊勢街道の交差する場所にあります。
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そして本日の宿泊先「鯛屋旅館」。
伊勢参りが盛んだった江戸時代から続く旅館で、当時の雰囲気をそのまま味わえる貴重な旅館です。
伊勢街道の通り沿いにあるのですが、近代化の一環として近所の「和田金」含むこの店の前の通りだけ拡張したそうです。
その際に建物をそのまま残したいので、わざわざセットバックしてそのまま移築したという貴重な建物です。 -
古いので、近代的ホテルと比べれば、階段が急などのいろいろな不都合はあるものの、その不都合含めて、その時代の雰囲気を実体験できるのが素晴らしい。
宿泊した部屋も、江戸時代に伊勢参りの客が泊まったに違いない。 -
私たちは、夕食に最上級松阪牛(まつさかうし)を選択して宿泊代金は1名19,800円でした。なので夕食は実質1万円ぐらいと、相当リーズナブルではないかと思います。
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最初は最上級だとバリバリ霜降りで脂っこいかな、と心配しましたが、全くそんなことはなく、さらっとしつつ牛肉ならではの旨みも感じられるまさに最上級の霜降り肉。
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同じ霜降り肉でも最上級のお肉は「全くの別物」だということを実感できました。
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このお肉を一番美味しく食べる方法は、
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砂糖と醤油のみのすき焼き。
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牛肉の油と赤みの旨みが砂糖や醤油と程よく絡み、
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究極の味わいを体験することができました。
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翌朝の散歩で原田二郎自宅前の通りを散策
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実験室として利用するため、外壁が変色しないよう硫化水銀=朱色で塗られたそうです。
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松阪神社。
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作家、梶井基次郎が住んでいたという長家。
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ここで「城のある町にて」を草稿したそうです。
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そして朝食をいただく。
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女将さんが、昔の鯛屋旅館の様子を紹介してくれました。
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2階の廊下。江戸時代のままだそうです(床のカーペットは違うと思う)。
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提灯をしまったという提灯箱もあります。
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そして後日、牛銀洋食店へ、
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私は焼肉定食2,750円、連れはハンバーグ定食(デミグラスソース)2,420円を選択。この二つのメニューは、2,000円台で松阪牛が食べられるお得なメニュー。
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先日食べた鯛屋旅館のサーロインすき焼きと同様、やはり牛脂の質がいいのか、サラッとしていて胃に負担がなく、脂ならではの旨みもある印象。伊賀でステーキで食べた伊賀牛も同じ印象だったので、品質の高い牛肉は総じて同じ印象。
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ハンバーグの方は、ちょうどいい塩梅に粗挽きになっており、甘みのあるデミグラスソースで味わう、焼き肉の方は、特に人気メニューということですが、松阪牛ならではの味を安価で食べられるメニューだからでしょう。
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