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ゴールデンウィークでとても天気が良いので、定番の鎌倉へ行って<br />きました。多分、JR鎌倉駅東口から小町通を抜けて、鶴岡八幡宮に<br />行くには、大勢の観光客・修学旅行の生徒・外国人ツーリストなどで<br />混雑していると予想したので、今回は「大船地区」に照準を当てて<br />いってきました。<br />やはり、私の予想どおり「大船地区」はあまり混雑しておらず、<br />正解でした。<br />JR大船駅を下車し東口から「常楽寺」を目指して歩き、拝観後は<br />またJR大船駅まで徒歩で戻り、今度は南口からバスに乗車して<br />「田谷の洞窟」へ行きました。<br />再度、バスでJR大船駅に戻り今度はまた徒歩で「大船フラワー<br />センター」を目指しました。<br />帰宅して万歩計を見たら18,000歩もありました。<br />おかげさまで、体力増進のうえ教養は身につくし、良いことづくめ<br />の1日でした。(笑)<br />

初夏の鎌倉散策 ~古寺とフラワーセンター~

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2023/05/03 - 2023/05/03

355位(同エリア7080件中)

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laguna

lagunaさん

ゴールデンウィークでとても天気が良いので、定番の鎌倉へ行って
きました。多分、JR鎌倉駅東口から小町通を抜けて、鶴岡八幡宮に
行くには、大勢の観光客・修学旅行の生徒・外国人ツーリストなどで
混雑していると予想したので、今回は「大船地区」に照準を当てて
いってきました。
やはり、私の予想どおり「大船地区」はあまり混雑しておらず、
正解でした。
JR大船駅を下車し東口から「常楽寺」を目指して歩き、拝観後は
またJR大船駅まで徒歩で戻り、今度は南口からバスに乗車して
「田谷の洞窟」へ行きました。
再度、バスでJR大船駅に戻り今度はまた徒歩で「大船フラワー
センター」を目指しました。
帰宅して万歩計を見たら18,000歩もありました。
おかげさまで、体力増進のうえ教養は身につくし、良いことづくめ
の1日でした。(笑)

旅行の満足度
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄

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  • 横須賀線でJR大船駅南改札を出ます。この南口は、湘南モノレールの大船駅に接続しています。

    横須賀線でJR大船駅南改札を出ます。この南口は、湘南モノレールの大船駅に接続しています。

  • JR大船駅南改札を出てから、バス通りの道を15分かけてひたすら歩きます。<br />やっと正面に常楽寺が見えてきました。

    JR大船駅南改札を出てから、バス通りの道を15分かけてひたすら歩きます。
    やっと正面に常楽寺が見えてきました。

  • 正式な名称は「粟船山常楽禅寺」といいます。<br />ちなみに読み方は「ぞくせんさん じょうらくぜんじ」といいます。

    正式な名称は「粟船山常楽禅寺」といいます。
    ちなみに読み方は「ぞくせんさん じょうらくぜんじ」といいます。

  • 大覚禅師(蘭渓道隆)の禅道場があったことや「木曽義高」・「北条泰時」の墓があることが記されています。<br />画像を拡大していただくと分かります。

    大覚禅師(蘭渓道隆)の禅道場があったことや「木曽義高」・「北条泰時」の墓があることが記されています。
    画像を拡大していただくと分かります。

  • 常楽寺の山門です。<br />最初は、北条泰時が妻の母を供養するため、「粟船御堂」を建立し、退耕行勇が供養の導師を務めたのがはじまりでした。<br /><br />

    常楽寺の山門です。
    最初は、北条泰時が妻の母を供養するため、「粟船御堂」を建立し、退耕行勇が供養の導師を務めたのがはじまりでした。

  • 「大船」は古くは「粟船」といわれ、入江に粟を積んだ船が多く係留されていたことから、その名が付きましたが、やがて「大船」と名称を変更しています。<br /><br />常楽寺の山門は、茅葺屋根で歴史の重みを感じられます。

    「大船」は古くは「粟船」といわれ、入江に粟を積んだ船が多く係留されていたことから、その名が付きましたが、やがて「大船」と名称を変更しています。

    常楽寺の山門は、茅葺屋根で歴史の重みを感じられます。

  • 常楽寺の案内板です。

    常楽寺の案内板です。

  • 常楽寺の本堂です。

    常楽寺の本堂です。

  • 扁額には「粟船山」の山号が掲げられています。

    扁額には「粟船山」の山号が掲げられています。

  • 本堂にはご本尊の阿弥陀如来(南北朝時代の作)がおられます。<br />また、右隣の仏殿天井には狩野雪信が描いたという「雲龍」がある。<br />この龍は毎日夜になると水を飲みに出かけるため、お堂がミシミシ<br />いって困っていた。<br />そこでこの龍が出歩かないようその両目を塗りつぶしたところ音が<br />しなくなったというエピソードがある。

    本堂にはご本尊の阿弥陀如来(南北朝時代の作)がおられます。
    また、右隣の仏殿天井には狩野雪信が描いたという「雲龍」がある。
    この龍は毎日夜になると水を飲みに出かけるため、お堂がミシミシ
    いって困っていた。
    そこでこの龍が出歩かないようその両目を塗りつぶしたところ音が
    しなくなったというエピソードがある。

  • また、本堂の裏に廻ると鎌倉幕府三代執権「北条泰時の墓」がある。<br />

    また、本堂の裏に廻ると鎌倉幕府三代執権「北条泰時の墓」がある。

  • 「北条泰時の墓」は風化した鎌倉石?を積んだだけの年代物の墓にしか見えない。

    「北条泰時の墓」は風化した鎌倉石?を積んだだけの年代物の墓にしか見えない。

  • 常楽寺の裏山に上ると、今度は「木曽義高」の墓がある。<br />ここでは、「木曽義高」と「大姫」のことを述べさせてもらう。<br />大姫は頼朝と政子との間に生まれた最初の子供(娘)である。<br />当時、木曽義仲と対立した源頼朝は、和議の条件として木曽義仲の<br />長子木曽義高を人質として差し出させた。<br />一応名目の上では、大姫との婚儀がきめられていたので、木曽義高は<br />婚約者ということになる。<br />義高十二歳、大姫はまだ六歳であったという。<br />二人は兄弟のように仲が良かったという。<br />おそらく大姫は義高を兄のように慕っていたのであろう。<br />しかし、木曽義仲は京から平氏を追い払い、頼朝よりさきに<br />京を制圧してから頼朝と対立し、頼朝が弟源義経らを遣わして<br />木曽義仲を討ったとき、将来の源氏政権を考え、後難を恐れた<br />ことから義高を家来に命じて殺してしまう。<br />大姫もうすうす気が付いていたようであり、木曽義高を鎌倉<br />から逃亡させるが、途中で追っ手に捕まり、義高は殺されてしまう。<br /><br />

    常楽寺の裏山に上ると、今度は「木曽義高」の墓がある。
    ここでは、「木曽義高」と「大姫」のことを述べさせてもらう。
    大姫は頼朝と政子との間に生まれた最初の子供(娘)である。
    当時、木曽義仲と対立した源頼朝は、和議の条件として木曽義仲の
    長子木曽義高を人質として差し出させた。
    一応名目の上では、大姫との婚儀がきめられていたので、木曽義高は
    婚約者ということになる。
    義高十二歳、大姫はまだ六歳であったという。
    二人は兄弟のように仲が良かったという。
    おそらく大姫は義高を兄のように慕っていたのであろう。
    しかし、木曽義仲は京から平氏を追い払い、頼朝よりさきに
    京を制圧してから頼朝と対立し、頼朝が弟源義経らを遣わして
    木曽義仲を討ったとき、将来の源氏政権を考え、後難を恐れた
    ことから義高を家来に命じて殺してしまう。
    大姫もうすうす気が付いていたようであり、木曽義高を鎌倉
    から逃亡させるが、途中で追っ手に捕まり、義高は殺されてしまう。

  • 木曽義高の死を知った大姫は、ショックのあまり高熱を発し、<br />毎夜うわごとを繰り返し、日増しに衰弱していくのである。<br />鎌倉で静御前の二度目の舞を「大姫」に見せたのも、なぐさみ<br />になるであろう親心だったのであろう。<br />大姫の病気とは、現代でいう「うつ病」だと思う。<br />大姫のことを心配した頼朝と政子は、当時、霊験あらたかと<br />いわれた相模・伊勢原の「日向薬師」に何度も詣でて、大姫の<br />病気回復を祈ったという。<br />また、鎌倉の大御堂にある「勝長寿院」で二十七日の参籠を<br />させて病気回復祈願をしている。<br />頼朝と政子は困惑とあせりから、後鳥羽上皇の后ならば・・<br />ということで京で画策するが、「大姫の死」で徒労に終わっ<br />ている。<br />大姫は建久八年(1197年)7月、20歳の若さで生涯を閉じた。<br />あの世でまた木曽義高と出会うことになる。<br />あの世で仲睦まじく暮らしているかもしれない。<br />おそらく木曽義高が呼び寄せたのであろう。<br />大姫の墓は「勝長寿院」に葬られたと考えられるが、「勝長寿院」は<br />廃寺となっており、詳細については分からないままである。<br />

    木曽義高の死を知った大姫は、ショックのあまり高熱を発し、
    毎夜うわごとを繰り返し、日増しに衰弱していくのである。
    鎌倉で静御前の二度目の舞を「大姫」に見せたのも、なぐさみ
    になるであろう親心だったのであろう。
    大姫の病気とは、現代でいう「うつ病」だと思う。
    大姫のことを心配した頼朝と政子は、当時、霊験あらたかと
    いわれた相模・伊勢原の「日向薬師」に何度も詣でて、大姫の
    病気回復を祈ったという。
    また、鎌倉の大御堂にある「勝長寿院」で二十七日の参籠を
    させて病気回復祈願をしている。
    頼朝と政子は困惑とあせりから、後鳥羽上皇の后ならば・・
    ということで京で画策するが、「大姫の死」で徒労に終わっ
    ている。
    大姫は建久八年(1197年)7月、20歳の若さで生涯を閉じた。
    あの世でまた木曽義高と出会うことになる。
    あの世で仲睦まじく暮らしているかもしれない。
    おそらく木曽義高が呼び寄せたのであろう。
    大姫の墓は「勝長寿院」に葬られたと考えられるが、「勝長寿院」は
    廃寺となっており、詳細については分からないままである。

  • この塚は、写真では読みにくいのですが、「木曽冠者義高の塚」と<br />彫られています。

    この塚は、写真では読みにくいのですが、「木曽冠者義高の塚」と
    彫られています。

  • 「木曽冠者義高の塚」の右上には、小さい石の祠があります。<br />この小さい石の祠は北条泰時の娘の「姫宮の墓」と伝えられています。<br />

    「木曽冠者義高の塚」の右上には、小さい石の祠があります。
    この小さい石の祠は北条泰時の娘の「姫宮の墓」と伝えられています。

  • また、一説には「大姫の墓」ともいわれています。<br />

    また、一説には「大姫の墓」ともいわれています。

  • 常楽寺での参拝を終えて、一度JR大船駅に戻ります。<br />今度は、西口のバスターミナルを目指して歩き、「田谷」行きの<br />バスに乗車しました。<br />バス停から5分程度歩くと、「田谷の洞窟」の看板が目に飛び込んで<br />きました。

    常楽寺での参拝を終えて、一度JR大船駅に戻ります。
    今度は、西口のバスターミナルを目指して歩き、「田谷」行きの
    バスに乗車しました。
    バス停から5分程度歩くと、「田谷の洞窟」の看板が目に飛び込んで
    きました。

  • 「田谷の洞窟」は、「真言宗 田谷山 定泉寺」というお寺の中にあります。

    「田谷の洞窟」は、「真言宗 田谷山 定泉寺」というお寺の中にあります。

  • 石段を登って定泉寺本堂を目指します。

    石段を登って定泉寺本堂を目指します。

  • 真言宗らしい雰囲気を醸し出しています。

    真言宗らしい雰囲気を醸し出しています。

  • 本堂に一礼して、受付に進みます。

    本堂に一礼して、受付に進みます。

  • 「田谷の洞窟」の拝観志納料は、大人 400円 中高生200円 <br /> 小学生100円 となっています。<br />拝観志納料を支払うと「田谷の洞窟」のパンフレットとろうそく1本<br />を渡されました。<br />

    「田谷の洞窟」の拝観志納料は、大人 400円 中高生200円 
     小学生100円 となっています。
    拝観志納料を支払うと「田谷の洞窟」のパンフレットとろうそく1本
    を渡されました。

  • 受付周辺の様子です。1

    受付周辺の様子です。1

  • 受付周辺の様子です。2

    受付周辺の様子です。2

  • さきほど受付でもらったろうそくを手燭台に立てて、入口近くにある<br />ろうそくから火をもらい、中に進んでいきます。<br />それでは、洞窟内に入っていきますが、洞窟入口からは撮影禁止のため<br />皆様に様子をお知らせできませんので、悪しからずご承知おきください。<br />感想をいわせてもらうと、巡拝は「行者道」と書かれた標識に従って<br />歩いていきます。「田谷の洞窟」は、すべて手彫りの洞窟で、天井や壁などに<br />素晴らしい彫刻がある。例えば羅漢さんがいたり、不動明王がおられたり<br />神秘的で幽玄な世界に引き込まれた感じでした。

    さきほど受付でもらったろうそくを手燭台に立てて、入口近くにある
    ろうそくから火をもらい、中に進んでいきます。
    それでは、洞窟内に入っていきますが、洞窟入口からは撮影禁止のため
    皆様に様子をお知らせできませんので、悪しからずご承知おきください。
    感想をいわせてもらうと、巡拝は「行者道」と書かれた標識に従って
    歩いていきます。「田谷の洞窟」は、すべて手彫りの洞窟で、天井や壁などに
    素晴らしい彫刻がある。例えば羅漢さんがいたり、不動明王がおられたり
    神秘的で幽玄な世界に引き込まれた感じでした。

  • 真言宗 田谷山 定泉寺の「田谷の洞窟」を後にして、再度、JR大船駅に<br />戻ってきました。<br />ここから、「大船フラワーセンター」まで歩いていきます。

    真言宗 田谷山 定泉寺の「田谷の洞窟」を後にして、再度、JR大船駅に
    戻ってきました。
    ここから、「大船フラワーセンター」まで歩いていきます。

  • 「大船フラワーセンター」は県の施設なので、65歳以上の高齢者は<br />身分証明書を提示すると、150円で入場できます。<br />今の御時世、子供にやさしく、高齢者に厳しいのになんと嬉しいこと<br />でしょうか。<br />思わず、感激してしまいます。<br />今日、「大船フラワーセンター」にきた目的は、なんといっても<br />「バラ園」の散策です。<br />

    「大船フラワーセンター」は県の施設なので、65歳以上の高齢者は
    身分証明書を提示すると、150円で入場できます。
    今の御時世、子供にやさしく、高齢者に厳しいのになんと嬉しいこと
    でしょうか。
    思わず、感激してしまいます。
    今日、「大船フラワーセンター」にきた目的は、なんといっても
    「バラ園」の散策です。

  • 以前、カラオケ好きの私が良く歌ったのも「五月のバラ」でしたが、やはり<br />バラといったら5月ではないでしょうか。

    以前、カラオケ好きの私が良く歌ったのも「五月のバラ」でしたが、やはり
    バラといったら5月ではないでしょうか。

  • 「ローズ うらら」という名称です。

    「ローズ うらら」という名称です。

  • 「ガルテンツァーバァ」という名称です。

    「ガルテンツァーバァ」という名称です。

  • 「プリンセス ドゥ モナコ」という名称です。

    「プリンセス ドゥ モナコ」という名称です。

  • 「新星」という名称です。

    「新星」という名称です。

  • 赤いバラとピンクのバラのコントラストがとても「綺麗」としかいえません。

    赤いバラとピンクのバラのコントラストがとても「綺麗」としかいえません。

  • 「コンラート・ヘンケル」という名称です。

    「コンラート・ヘンケル」という名称です。

  • 「カトリーヌ・トヌーブ」という名称です。<br />原産地はフランスかしら・・・

    「カトリーヌ・トヌーブ」という名称です。
    原産地はフランスかしら・・・

  • あまり見事なバラで、名前をメモすることを忘れました。<br />

    あまり見事なバラで、名前をメモすることを忘れました。

  • 「ジャスト・ジョイ」という名称です。

    「ジャスト・ジョイ」という名称です。

  • 「ドゥフト・ボルケ」という名称です。

    「ドゥフト・ボルケ」という名称です。

  • 「ラスベガス」という名称です。

    「ラスベガス」という名称です。

  • ここからはシャクヤクになります。<br />「残春の楽(たのしみ)」という名称です。

    ここからはシャクヤクになります。
    「残春の楽(たのしみ)」という名称です。

  • 「オオツバキ」という名称です。

    「オオツバキ」という名称です。

  • 「シュウボウ」という名称です。

    「シュウボウ」という名称です。

  • <br />「ジンビ」という名称です。


    「ジンビ」という名称です。

  • 「ギョクボウ」という名称です。

    「ギョクボウ」という名称です。

  • これも同じく「ギョクボウ」という名称です。

    これも同じく「ギョクボウ」という名称です。

  • 「アボウキュウ」という名称です。<br />秦の始皇帝のときに、中国中の美女を集めて住まわせたのが「安房宮」<br />ときいたことがあるが、関連はあるのでしょうか。

    「アボウキュウ」という名称です。
    秦の始皇帝のときに、中国中の美女を集めて住まわせたのが「安房宮」
    ときいたことがあるが、関連はあるのでしょうか。

  • さあ、そろそろ帰ることにしましょう。

    さあ、そろそろ帰ることにしましょう。

  • もうすぐ、蓮の花が咲きますが、その頃また来てみましょう。<br />「大船フラワーセンター」は、いつ来ても手入れは良いし、<br />くる人たちを和ませてくれます。<br />本当に日々手入れしてくださる方に、感謝です。<br /><br />皆様には、最後まで見てくださりありがとうございました。

    もうすぐ、蓮の花が咲きますが、その頃また来てみましょう。
    「大船フラワーセンター」は、いつ来ても手入れは良いし、
    くる人たちを和ませてくれます。
    本当に日々手入れしてくださる方に、感謝です。

    皆様には、最後まで見てくださりありがとうございました。

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