2023/04/25 - 2023/04/26
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ユキゴローさん
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4月20日は僕たち夫婦の結婚記念日です。妻が元気なら今年は49回目の記念日でした。
2001年から毎年記念旅行をするようになり、最初に行ったのが金沢でしたが、この時は車を使い永平寺から能登半島まで広範囲に観光したので、金沢市内は兼六園と武家屋敷、近江町市場くらいしか観光しませんでした。
妻は2016年にも生け花の仲間5人と新幹線で金沢旅行をしているのですが、どういう訳か残された写真には東茶屋街と旅館前しか映っておりません。
亡くなる2ヶ月ほど前の昨年8月、昔の旅行の思い出話の中で妻が「今度金沢に行くときは新幹線だね」などと言っておりました。
亡き妻を偲んで月命日の25日に新幹線で金沢を訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
バスの一日フリー切符を買い、最初に訪れたのは定番の兼六園。
瓢池(ひさごいけ)と翠滝(みどりだき)。2001年にもこの場所で写真を撮りました。懐かしい場所で妻が傍にいるような感覚に襲われました。 -
霞ケ池と徽軫(ことじ)灯籠。兼六園を代表する景観で、灯篭の足が二股になっており琴の糸を支えている琴柱(ことじ)に似ているのでこの名がついたと言われているそうです。
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兼六園の名前の由来
六勝とは、[宏大(こうだい)][幽邃(ゆうすい)][人力(じんりょく)][蒼古(そうこ)][水泉(すいせん)][眺望(ちょうぼう)]のこと。宋の時代の書物『洛陽名園記(らくようめいえんき)』には、「洛人云う園圃(えんぽ)の勝 相兼ぬる能わざるは六 宏大を務るは幽邃少なし 人力勝るは蒼古少なし 水泉多きは眺望難し 此の六を兼ねるは 惟湖園のみ」という記述があります。その伝えるところは、以下の通りです。「庭園では六つのすぐれた景観を兼ね備えることはできない。広々とした様子(宏大)を表そうとすれば、静寂と奥深さ(幽邃)が少なくなってしまう。人の手が加わったところ(人力)には、古びた趣(蒼古)が乏しい。また、滝や池など(水泉)を多くすれば、遠くを眺めることができない」そして、「この六つの景観が共存しているのは湖園(こえん)だけだ」と結ぶのです。すばらしい景観を持した庭園として賞された湖園。兼六園は、この湖園に似つかわしく、六勝を兼ね備えているという理由から、文政5年(1822)、その名を与えられました。 (兼六園HPより) -
今回見るのを楽しみにしていた「兼六園菊桜」
残念ながら見ごろの時期は過ぎてかなり花びらが散っておりました。 -
それでもしっかり花が残っている部分もあり、そこそこ楽しめました。
現在の木は3代目だそうで、一つの花に花びらが300枚以上つく珍しい桜です。 -
根上松(ねあがりのまつ)
数十本の根が地上2m近くまでせり上がった兼六園名物の松。
十三代藩主の前田斎泰(なりやす)が土を盛り上げて若木を植え、成長したところで土を取って根を晒し出したとのことです。 -
霞ケ池が水源で高低差の水圧だけで吹き上げている噴水。高さは約3.5mで日本最古の噴水と言われているそうです。
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花見橋
擬宝珠(ぎぼうし)のある木橋で、橋から見る花々の眺めが素晴らしいのでこの名がついたとのこと。 -
花見橋の近くにある重要文化財の成巽閣(せいそんかく)。
13代藩主の斎泰が母堂・眞龍院(鷹司隆子)のために造営した建物で、当初は巽(たつみ)御殿と呼ばれていたそうです。
残念ながら館内は撮影禁止で「群青の間」等の特徴的な部屋をご紹介できません。 -
撮影が許されているのは廊下からお庭のみ。
ここはつくしの縁と呼ばれ、縁側の大きな軒先は桔木(はねぎ)と呼ばれる天秤原理の長い木材によって支えられています。 -
兼六園を出て石川門から金沢城公園に入ります。
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2001年に復元完成した50間長屋。長屋と言っても人の住まいではなく、二の丸を守る建物で石落としや鉄砲狭間などを備えた軍事施設です。
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一番見たかった三十間長屋は工事中で見ることができませんでした。金沢城の遺構の中で江戸時代から現存する建物は入り口の石川門と、この三十間長屋だけで重要文化財に指定されています。
こちらはもともと干飯(ほしいい)が貯蔵されていたらしいが、後に軍備倉としても使われるようになり鉄砲倉とも呼ばれたそうです。 -
2020年に復元完成した鼠多門と鼠多門橋。
金沢城の西側に位置する玉泉院丸の出入り口として機能していたそうで、明治初期に火災で焼失したそうです。 -
鼠多門橋を渡ると尾山神社の境内へと続きます。
廃藩置県後に旧加賀藩士等が利家公の功績を伝えるために建立した神社。 -
ここにも兼六園菊桜がありました。
こちらのはちょうど満開で見ごろの状態でした。昭和45年に枯死した兼六園の菊桜の枝を接ぎ木して育てたものだそうです。 -
ソメイヨシノは清楚な感じですが、こちらは豪華絢爛、見ごたえのある花です。
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尾山神社の入り口に建つ神門。明治8年に建造された国の重要文化財。
上部には四方にギヤマンが嵌められ、当時は明かりを灯して灯台としても機能したそうです。また、最上部に設置されている避雷針は日本最古のものだそうです。 -
近江町市場にやってきました。平日の昼間でもこの賑わいです。
妻と来たときは散策しただけで食事も買い物もしなかったので、あまり印象に残っていません。 -
今回はこちらで昼食。おなじみ海鮮丼¥2350。特に豪華でもなくネタの厚さも100円寿しに毛の生えた程度で、かなりガッカリ!完全に観光価格!!
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昼食後は武家屋敷跡の土塀の通りへ。妻と来た時と同じ場所で写真を撮りました。22年間変わらぬ佇まいでした。
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加賀藩千二百石の野村家跡。初代利家公から明治の廃藩に至るまで十一代にわたって続いた由緒ある家柄。
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当時の屋敷は千坪以上の広さだったとのこと。
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手前が謁見の間、右が上段の間、奥が仏間。建築には高級材料が使われ、襖なども狩野派の最高峰が描いた山水画が使われるなど、金に糸目をつけない贅沢な作りになっているそうです
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こちらは野村家から徒歩5分ほどの所にある足軽資料館。
足軽というのは戦時に駆り出された農民の身分呼称と思っていたのですが、そうではなく武士の最下級の身分だそうです。他藩の足軽は長屋住まいが標準だったそうですが、加賀藩の足軽は戸建ての住まいが標準だったそうです。 -
トイレも立派なものが設置されていました。結構いい暮らしをしていたようですね。
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夕食は駅近くの大衆食堂へ。「お魚と漁師のめった汁定食」¥1500。ご飯の代わりにお酒!
これはリーズナブルで大満足、めった汁も具だくさんで大変美味しく戴きました!
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねんきん老人さん 2023/04/29 10:52:48
- 奥様も喜ばれたことでしょう。
- ユキゴローさん、おはようございます。 奥様を偲ばれてご旅行にいらっしゃったのですね。
ご生前に奥様と写真を撮られた場所でまた写真を撮る・・・よく分かります。
私も同じことは何度もしていますし、声には出しませんが、心の中で「また来られたね」と話しかけたりしています。
むろん、妻には見えていないだろうし、こうして夫がまた連れてきてくれたということも分かっていないだろうという「科学的な」判断もしているのですが、それでも、もしかしたら見えているかもしれないという気持ちを捨てきれないのです。
それから、これは私の考えなのですが、もし私が妻より先に死んだとして、翌日から妻が私のことをすっかり忘れて元気一杯楽しい人生を送るだろうと考えたら、手放しでは喜べないような気がするのです。
死んだ自分は何も分からないだろうが、妻がときどき私のことを思い出して、一緒に行った場所を懐かしんでくれたりしたらいいなと・・・。
私は妻が死んでもうすぐ6年が経ちますが、今でも四六時中妻のことを思っています。 妻が庭に植えた草木は枯らさないように努力していますし、三度の食事もその間のおやつも、いつも心の中で妻に「さあ、食べようか」と声をかけています。 聞こえているとは思いませんが、生前の妻は自分の死後に夫が忘れないでいることを望んだのではないかと思うからです。
ユキゴローさんの奥様は、夫が自分のことを忘れず、思い出の場所に連れて行ってくれることを喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。 それが科学的でないとしても、生前にそういう夫の姿を望んでいらっしゃったことは確かだと思うのです。
どうぞこれからも奥様を大切に、一緒にご旅行なさって下さい。 そういうご夫婦がいらっしゃるということは、世の中すべてのご夫婦に安心感を抱かせてくれると思うのです。 すべての夫婦に、いつか同じ日がくるのですから。
ねんきん老人
- ユキゴローさん からの返信 2023/04/30 10:31:15
- RE: 奥様も喜ばれたことでしょう。
- ねんきん老人さん こんにちは
> 妻には見えていないだろうし、こうして夫がまた連れてきてくれたということも
分かっていないだろうという「科学的な」判断もしているのですが、それでも、もしか
したら見えているかもしれないという気持ちを捨てきれないのです。
ねんきん老人さんのこのお考え、僕も全く同じで、近所のスーパーに出かける時にも必ず遺影を持ち歩き、いつも妻と一緒だという思いを持ち続けたいと思っているのですが、反面、自分の一人よがりに過ぎないという思いも捨てきれません。
けれど妻が自分の心の中で生き続けているという思いがあることも事実で、この思いを持ち続けていたいという感情も捨てられません。
早いもので妻が亡くなってからもう半年が過ぎました。未だに亡くなったという実感は湧かずいつも傍にいるような気持ちが続いていますが、この気持ちをいつまでも持ち続けていきたいとも思っています。
ユキゴロー
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