2000/12/16 - 2000/12/24
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sc250tさん
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2000年12月、前年就職したものの、希望事業所部署ではなく、日々の仕事はそれほど苦痛という訳でもなかったが、忙殺されるのは嫌で、なるべくやりたいことをやっていこうと思い、一念発起して準備し、休暇を取得して旅立った。26歳の冬の記録です。当時を思い出しながら記します。
航空券はアルキカタドットコムで、
燃油サーチャージなんて言葉がない時代、確か往復で6万円位だったと思います。
成田~金浦~パリ
ロンドン~金浦~成田
のオープンジョーです。
事の始まりは特にない、、訳ではない。
学業を終えて、就職し、それなりに暮らしてはいるものの、なんとなく煮え切らない気持ちがあった。
院生の頃、生意気にも自動車雑誌「カーグラフィック」を毎月購読していました。その中には「自動車望見」という自動車関係著名人のエッセイコーナーがあり、私の購読中、林義正先生(日産→東海大学)から永島譲二さん(BMWデザイナー)に変わりました。その永島さんのエッセイが「欧州流浪実践ガイド」、はじめの10回位はなんとなく文章が硬くて地味な印象だった。ところが1年位たったころからこのエッセイ調子が出てきた。「V2号ロケットの国」とか「フランスの愛国心の話」とか一般的な当時の欧州に関する日本での常識とかけ離れた話が多くて、すごく面白い。欧州に行きたい、車で走ってみたい、出来れば住んでみたいと思うようになった。
永島さんのエッセイは「ヨーロッパ自動車人生活」として単行本化されています。これも本として面白いけど、当時のCG誌の連載はもっと面白かった。興味のある方は国会図書館とかで読めるかも。
そしてもう一つ、当時海外旅行のバイブル的な地球の歩き方シリーズをなんとなく本屋さんで見ていたら「旅マニュアル・ヨーロッパドライブ」なる本を見つけた。今でこそネットで簡単に調べられる事ばかりだが、インターネット黎明期、それを活用しつつ、どうやってヨーロッパを車で旅するか、よくわかり、まさに目から鱗だった。
こうして2000年初夏頃、まずはパスポート取得から準備をはじめました。
全然概要ではないですね。とにかく2000年12月に車で欧州旅行した記録です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 レンタカー 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
朝 9時代の成田発金浦行きに乗るため、寮のある東武野田線のホーム始発に間に合う時間に立った。冬の朝、暗く寒い。実は計画はしたものの、本当にヨーロッパドライブ旅行が出来るのか半信半疑で、その時点ではまだ行くべきか迷っていた。海外旅行なんて約10年前家族で行った西海岸以来。でも、ここまで準備してきたのだから、たとえ帰れなかったとしても前に進むべき、そもそも帰ってくる日常が、当時はそれほど大切な物に思えなかった。なので始発電車に乗るときは少し思いきって一歩を踏み出した気持ちでした。
成田には7時過ぎに到着。今なら絶対乗らないであろう大韓航空ソウル乗り換えパリ行き。
乗り換えでの荷物のやり取りも、各種手続きもいかんせん初めてでわからない。発トランジット、当時の金浦空港で一枚。当時(今も?)韓国では空港での撮影は禁止だったらしい。
無事乗り換えてパリに向います。 -
B747-400 シベリア上空
旧ソ連崩壊から10年少々。
子供時代、B747-200の頃は日本~欧州便はアンカレッジ経由がほとんどでしたね。今は(2023年4月現在)またロシア上空通過出来ないけど、早く戻って欲しいものです。
地上を見ると、何処であっても人の生活の跡があって、道が繋がっている。これを辿っていけばヨーロッパまで車で行けるんじゃないかと思ったのもこの時でした。 -
同日夕方CDGに到着。
まだ中国人観光客も少なくて、冬の欧州訪れる人全体的に少なくて、金浦~パリはとても空いていました。
空港売店でミシュランの欧州全図を購入。
空港にはフランス軍の警備兵がいて、日本とは違うと実感。 -
欧州旅行では、ホテルはたどり着いた街で当日飛び込みで決める物だった当時、初めての欧州一人旅で、到着したその日はさすがにホテル探すのも大変だろうと考えていたので、空港のソフィテルを予約していた。確か、1000フラン位したと思う。
-
4つ星ホテルなので広く快適でアメニティもしっかり。CRTのテレビが時代を写してますね。
欧州にいく場合、同日着はその日夜更かししたのと同じなので時差ボケの修正が楽ですね。
夕食も取らず即寝ましたが、よく眠れて、お腹が空いて朝ちょうどよい時間にスッキリ目覚めました。
ホテルの朝食はさすが4つ星、とても豊富で美味しく、満腹でした。 -
ホテルをチェックアウトして、空港のレンタカーオフィスへ。日本からハーツレンタカーのフルサイズ予約していました。
あてがわれた車はルノーラグナ。外観チェックしたら凹みがあったので、オフィスにもどり、写真を見せながら、キズ箇所を記入して貰いました。
この後4日後にパリ北駅に返す以外は全くのノープランで空港を出発しました。 -
慣れない右側通行、左側ハンドル。まずは空港周辺で練習する。
-
とりあえず、ドイツアウトバーンを走るという目的があるので、ドイツを目指す。
まずは北に進んでアミアンへ。
そこから高速でベルギーを抜けてデュッセルドルフに向かう事にする。
フランス田舎道は快適に走れました。一般道の最高速度は100㎞/h、
交差点(ロータリー)と、集落はしっかり減速、あと左折後左側を走らない様にすればすぐになれると思います。
一方で、MTの操作は少し苦戦しました。
最初の頃は調子よく加速していて3→4のところを、2速に入れてしまったり、
シフトダウンのダブルクラッチ+ブリッピングも右ハンドル左手シフトの時の様には上手く決まらない。ヒール&トーもなかなか難しかったです。 -
1泊目はまだ不安だったので日本人多いというデュッセルドルフなら最悪困っても何とかなるのではないかと考えました。フランス国内から高速に乗り、ベルギーは足もつかず通過、そしてドイツ入国。国境の検問所跡は料金所を料金払わないで通過するみたいでなんとなく後ろめたくもあり、気持ちよくもあります。国境を超えると、FMラジオの自動選局がドイツ語の放送を捕まえました。
そして、デュッセルドルフ市街地に到着。
先ずは中心部っぽい所に行って、地図上どこにいて、どの方向向いているかを確認し、適当な場所に車を止めて、ホテル探し。
1件目で受付のお姉さんがこちらの拙い英語をちゃんと聞いてくれてすんなり決まりました。確か100DMくらいだったと思います。
チェックイン後街に繰り出して、ソーセージ(ハムみたいに太い)とアルトビールのシューマッハーを飲んで程よく酔っぱらってホテルに戻り、すぐに寝ました。 -
デュッセルドルフから次の目的地はベルリン。
2号線でハノーバー過ぎたあたりからは、ひたすら東へ進む。
一人で地図見ながら運転しているので写真がありません。
このあたりはなだらかで直線も多いので、無制限区間な事を確認して、どれくらい出るか試してみる。
この時の為に買ったクロノグラフでスピードメーターの精度を調べてみると、120㎞/hではほぼピッタリ、誤差なしという事が分かった。風は無風か軽い追い風の様。5速のままアクセルを踏み込むと3000rpm位から、緩慢な加速でゆるゆると速度をあげてゆく、変な振動はないが、しかし遅い。アクセルを踏みつける右足の疲れを意識し始めた頃、やっとメーター読みで200㎞/h出た。傾斜や風の変化で±10㎞/h位の変化あったけど、そこから30分間踏みっぱなしすると、ちょうど100㎞程すすむ事が出来た。
多分1.8L130ps程度の車だとこの辺が限界ですね。
200㎞/h巡行中はさすがに抜きに掛かってくる車はいなかった。
そうこうしているうちに昼前にベルリンに到着。
昼食をとったり、トラベラーズチェック(懐かしい)を両替した銀行でトイレを借りたりしました。 -
戦勝記念塔
-
ブランデンブルグ門
この時は修復作業中で足場がかかっていて、その足場に絵が描いてあります。 -
ベルリンテレビ塔
これは東ベルリンにあって、東ドイツが建設した物なんだそうです。
高さ365mもあるとの事、とてもそんなに高い物には見えなかったけどなぁ。 -
ベルリンの壁の残骸か?
子供の頃ベルリンの壁を誤解していました。
どうも東西国境にベルリンがあって、その東西境界に壁があるのだと思っていたのですが、実際はベルリン自体が東ドイツにあって、西ベルリンは東ドイツ内の飛び地だと分かったのはこの頃です。
東西冷戦の真っただ中、核戦争だって起こるかもしれないと思われていた時代のベルリンってどんな感じだったのでしょう。。。 -
ベルリンを抜けて、今度は南下します。
どんどん暗くなって、すっかり夜になってしまいまいた。当時はナビもないので、迷ったら困るからアウトバーからも降りられず、イエナのSAのホテルに泊まりました。
アウトバーンのホテルなんて泊まるもんじゃないというような事書いてある本もあったので、ちょっと警戒していまいたが、思いの外よかったです。
部屋はこの写真の通り、綺麗ですが、狭く質素です。東西統一から10年たっているけど、ここは旧東ドイツ、共産圏の建物ってこんな感じだったんでしょうか。
しかし、翌朝の朝食ブッフェははかなり良かったです。何といっても暖かいスープやフリカッセの類の物がある事が有り難い。安いホテルだとコーヒー、紅茶位しか暖かい物がないので、うれしかったです。 -
多分ニュルンベルグ付近のSAにて。
更に南下してミュンヘンにいってみようかと思ったのですが、結構雪が降ってきた。タイヤはオールシーズンタイヤだろうけど、さすがに雪のアウトバーンは不安なので、方向転換してシュトゥットガルトに向かう。
パリに戻るにもこの方が近いし、ダイムラーベンツミュージアムにもいく時間取れるから。 -
シュトゥットガルトに到着して、ホテルを決めて、電車でダイムラーベンツ博物館に向かう。
中央駅のビルの上にはスリーポイテッドスターが回転していました。 -
自動車(内燃機関車)の発明に関しては自身がパイオニアと主張する者もいるけど、
世間一般常識としては
オットーがガスエンジンで4ストローク期間を実用化、1885年にダイムラーが2輪車、1886年にベンツが3輪車、1887年にはダイムラーが4輪車を完成
というのが受け入れてられているストーリーで、1920年代にダイムラーとベンツが合併してからは、ダイムラーベンツ社がパイオニアという事で、その総本山ですから、我こそが創始者であるという自信がみなぎって(いる様に感じました)いる。 -
DB600エンジン
この後605まで発展する当時のドイツの技術力を象徴するようなエンジン。
これをライセンス生産しようとした日本は大苦戦したんです。当日の日本の技術者は悔しかっただろうなぁ。
もちろん日本の方が進んでいた技術分野もあったんだけど、全体的な国力ではまだ劣っていたし、基礎的な理論と工業力は大切ですね。 -
メルセデスのテストカー
子供の頃読んだ図鑑にはディーゼルエンジン搭載車の最高速度記録保持車と書いてあったと思います。
20世紀末から2015年頃にかけて、欧州メーカーは皆ディーゼルエンジンに傾倒してましたね。
それはそれで悪い事ではなかったと思います。運転していて楽しい、自動車らしい自動車が多かった。
ただ、ディーゼルエンジンもガソリンエンジンも原理的な限界に近づいてくると、不利な点も無視できなくなってきましたね。 -
このダイムラーベンツ博物館ですが、2006年頃建て替えられて螺旋形展示が特徴的なモダンな博物館になっています。
欧州各地の自動車博物館にも行っていますが、見た事ある博物館の中では長久手にあるトヨタ博物館が個人的にNo.1な気がしています。 -
Hauptbahnhof
中央駅という意味ですね。
第2外国語はロシア語をとった私、稚内に停泊している船の名前を読んで友達を驚かせた以外未だメリットを感じた事はなく、ドイツ語が分からないデメリットの方がずっと多い気がします。
欧州は長距離列車と都市間列車が完全に別になっているので、こんな表記になるんですね。 -
シュトゥットガルトはもう一つポルシェの本拠地でもあり、
このエンブレムはお馴染みですね。
ずっと後にポルシェ博物館も訪れています。
それはいずれ別の旅行記に。 -
ドイツを小さめに時計回りで回って、パリに戻る途中、国境付近のPAで。
ドイツ国内、運転マナーは良く、技量も高かった気がします。
アウトバーンでは後ろを見ていない追い越し車線をのんびり走る車は皆無でした。
200㎞/hを超える速度で追い越し車線を突っ走っていた車が、速度制限区間に入ると、ためらいなくブレーキを踏んでまで減速しているのを見て、一般的に言われている事ですがドイツ人は律儀な人が多いと思いました。私も自分でいうのもなんですが、日本国内では割と律儀な運転を心がけています。一時停止はきっちり止まるし、優先順位や車線は絶対守ります。なので、周りもそういう運転の人ばかりのドイツはとても心地よかった。
約500㎞走って辿りつたパリ市内。陸続きなのが信じられない状況でした。とにかくわがまま運転で割り込みが多い。最初はプンプン怒っていましたが、諦めて自分も走りたい様に走ってみると、案外心地良くて驚きました。もっとも20年以上も前の話で、直近訪れたパリ市内ではずいぶん運転がおとなしくなった気がします。 -
パリ北駅地下駐車場にてルノーラグナとの別れ
4日間で2500㎞位走ったかな。燃費は確か12㎞/h位。
当時日本で乗っていたソアラ2.5ツインターボやレガシィGTと比べると普通の実用車で加速も緩慢でしたが、乗り易かったし、150㎞/hの巡行なら安心感あって、なるほど欧州車とはこういう物かと思った次第です。
良し悪しではなく、世界中の自動車が似たような感じになっていく課程で、現地で現地の車に乗る事が出来た。今となっては得難い経験を出来たと思います。 -
北駅でレンタカーチェックインして、周辺のホテルを探してチェックインしました。
確か朝食付き240F位、当時はフランスフランは17円位だった様な?
だとすると4000円少々ですね。
パット見綺麗だけど、黴臭くて、当時持っていたパリのイメージにピッタリでした。
で、翌日朝の朝食が衝撃的で、ブッフェとかなく、フランスパン2切れと1杯のカフェオレのみ。他に何か出てくるのかとしばらく待ってしまいました。 -
パリは1泊だけで、殆ど観光せず、夕食に左岸のビストロに行き、翌朝凱旋門からコンコルド広場まで歩いた位です。
しかし、街中やメトロ等独特の空気感がドイツの他の町とは全く違う。カフェでおしゃべりす人の声、街並み、メトロの駅名表示ですらおしゃれに感じてしまう。どう違うか説明できないけど、とにかく、不思議な感じ、理屈抜きでとても気に入ってしまいました。 -
コンコルド広場から凱旋門を望む
今後何度も訪れたくなっていました。 -
北駅からユーロスターでロンドンへ。
鉄道車両の造りとしてはTGVと同じ動力集中方式ですね。
フランス国内の専用線では300㎞/hで突っ走りますが、新幹線に比べると、全く高速鉄道らしくない軌道でした。
トンネルなく、地盤が固い。日本と比べると鉄道建設、運行に関しては本当に恵まれた土地です。
当日乗った列車の車掌というか案内放送担当の女性、
フランス語と英語でアナウンスするんだけど、特にフランス語が意味が分からないのに聞き惚れてしまう程の美声でした。 -
ロンドンウォータールー駅に到着。
これはワーテルロー駅って事でウソか本当かフランスに対する嫌がらせだと言う人もいる。
しかし、欧州どこでも国境を意識した事はなかったけど、英国だけは入国時、国境を意識せざるを得ない状況だった。
当時からEU脱退したがっていたのかもしれないし、ユーロにも加盟していなかったな。
BBを探してチェックイン。
イングリッシュブレックファーストは豪華だと何かの本に書いてあったけど、ベーコンとトマト、卵がある位で特別豪華だとは思わなかったが、それでも前日パリでの朝食と比べると断然豪華だったかも。 -
街に繰り出す。
ロンドンはその時訪れたどの都市よりも東京に近い感じで、いろいろな事の違和感が少ななく、刺激はないが快適だった。
英国ポンドあまり用意してなかったけど、街中あちこちにATMがあって現金はすぐに入手できる。さすが金融の街だが、その現金がすぐになくなる程当時から物価が高かった。 -
欧州最後の夜のベストショット。
もうすぐ帰る、旅が終わると思うと何とも切なかったけど、また来ようと決意していました。 -
帰りはヒースロー空港午後の便で、すこし時間があったのでグリニッチへカティサークを見に行った。
-
学研の学習図鑑(黄色い本です)の巻末にある世界名船物語に「カティサークとサーモピレー」というのがあり、子供の頃から知っていた船でした。既に蒸気船が実用化されていた頃に何故か帆船、不思議な感じもしましたが、18ktもの速力を出した事もあるという快速貨物船、一度見てみたいと思っていました。
-
入船料を払って中を見て驚いたのは、フレームが鉄製であった事。
建造時期を考えるとなるほどと思いますが、その時は結構驚きました。 -
甲板にて。
当時大修理の為の募金箱があったので、10ポンド位寄付したかな。
その後2006年から大修理が始まったのですが、2007年に火災で船体消失のニュースが入り、衝撃を受けました。
しかし、先に書いた様にフレームは鉄製だし、修理中で偽装品はほぼすべて外されていた事から、修復可能と判断されて、2012年に公開再開されたとの事。次にロンドンに行ったら見てみようと思います。
ノートルダムもそうですが、失ってしまった物はとても大きな物ですが、意思とお金があれば技術何とかなる。
レストアという行為には本当に心を引き付けられます。 -
ヒースローに向かう前にもう一カ所
ホームズの住所ベーカー街です。
本当の221Bが何処だかわかりませんが、ベーカー街221B宛てに手紙を書くと返事が来るとか来ないとか。 -
地下鉄駅もこんな感じです。
2023現在小3の二男はホームズの舞台となったロンドンに行ってみたいと言っています。
その時はたぶんここに連れてくることでしょう。 -
ヒースロー空港へは地下鉄ピカデリー線でいけるけど、ベーカー街からビクトリア駅で一度降りてみた。
子供の頃、近所にビクトリアステーションというファミレスみたいなお店があって、半年に一度くらい家族で行っていました。なので、本場のビクトリア駅を観てみたくて。 -
そのビクトリア駅です。全然お店の雰囲気と被る所がなかった。
ビクトリアステーション調べてみたら北海道のファミレスなんだそうです。
その昔は国道16号線の相模原あたりに一店舗あって、他のファミレスと違う雰囲気で好きでしたが。。。 -
そしてヒースローへ。
そこから金浦、そして成田とかえってきました。
何かを見る訳でもなく、とにかく進むだけの旅行だったかもしれないけれど、その時の満足感は相当なものでした。
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