2023/04/22 - 2023/04/22
18355位(同エリア22806件中)
関連タグ
yayoさん
正月以来の久しぶりの東海道歩きです。
今回は愛知県の藤川宿から岡崎宿を歩きました。
大河ドラマ「どうする家康」の岡崎城公園内にあるドラマ資料館に立ち寄ってみたかったので、このコースを選びました。
新緑が眩しくウォーキング日和でした。
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
PR
-
JR東海道線と豊橋駅から名鉄線に乗り換えて藤川駅まで来ました。
私はトイカユーザーですが、トイカだけであればJR豊橋駅から名鉄線の乗り換え口でICカードをタッチして乗換が出来るようですが、JR東海の「休日乗り放題きっぷ」を使うと520円安くなるので、JR線はこちらを使用しました。そのためJR豊橋駅の改札口を一旦出て、ICカードで再び入場という少し面倒な方法をせざるを得ませんでした。
藤川駅は一昨年の秋以来でしょうか。最近東海道歩きはスローペースになってしまい、時に忘れてしまうこともありますが、再び頑張って歩いてみることにしました。
午前7時53分スタートです。藤川駅 駅
-
しばらく歩いていくと、名鉄線の踏切を渡った先に松並木が数百メートルほど続いていました。
藤川の松並木 自然・景勝地
-
藤川駅から歩くこと45分ほどして、公園にパンダの遊具がありました!
どうってことはないのですが、パンダを見るとすぐに反応してしまうのです。。 -
大平一里塚
写真の南塚は原形を残しています。
北塚は残念ながらなくなってしまったようです。大平一里塚 名所・史跡
-
東名高速道路岡崎ICまで来ました。
歩行者はこのように迂回して歩く必要があるようです。
ところで今回ここまで来るのに、横断歩道もなく道路を突っ切る必要があるところに三カ所も出くわしました。以前も東海道歩きをしている時に、そういう場所はたまにありましたが、今回は既に3か所もありました。3か所とも車の往来が結構あったので、若干遠回りにはなりますが、仕方なく信号機のあるところまで歩くようにしました。こんなところで交通事故だなんてシャレにならないので、安全第一です。道路を作る際に、東海道ウォーカーの事など当然一切考慮なんてしませんから仕方ありません。それから今回は歩行者用の信号機がないのがとても気になりました。そういえば以前、豊橋周辺を歩いた時にもそうだったのを思い出しました。三河地区は歩行者には全然配慮されていないのでしょうか。 -
冠木門
ここが岡崎城下の江戸東口になるようです。
いよいよ目的地に近づいてきました。 -
ここから「岡崎二十七曲がり」スタート。
「岡崎二十七曲がり」とは、先程の冠木門前から今いる若宮通り、伝馬町通り、連尺通り、木まち通り、松葉通りを経由して矢作橋に至る二十七曲がりの道のりのことだそうです。
豊臣秀吉の家臣で岡崎城主の田中吉政が城下へ東海道を導き入れたことに始まり、後に本田康重が伝馬町を創設した以降、道筋が定まったという。
二十七曲がりは、城の防衛機能を果たし、城下の繁栄に結びついたそうです。
それでは行ってみましょう!
先ずは「い」 -
「ろ」
-
「は」
-
「に」
案内板があるからわかりやすい。 -
立派な建物の和菓子屋「備前屋」
創業天明2年(1782年)創業の老舗だそう。
ここで岡崎銘菓の「あわ雪」を購入したかったのですが、見本を見る限り全く美味しそうに見えない。。原材料を見ても、なんだかそそられないし、ちょっと商品を持ってみたところ、重さは意外とずっしりある。どうしよう、、一口サイズのものがあればいいのですが、、散々迷った挙句、購入は見送りましたが、これで正解だったようです。後で調べてみたところ、地元の人には人気のようですが、他の人たちからは不評のようです。ある人が言うには例えると「めちゃくちゃ甘い白はんぺん」なんだそう。。
江戸時代「あわ雪豆腐」というものがあって、それは旅人からとても評判が良かったと言われているそうです。明治以降何代目かの店主が、江戸時代の「あわ雪豆腐」をお菓子に再現したのが、今の「あわ雪」なんだそう。そういえば「あわ雪豆腐」も売ってたけど、それはもしかしたら美味しかったのかもしれません。
ちなみに柏餅を購入しましたが、これは美味しかったです!和菓子から焼き菓子まで種類は豊富でした。備前屋 本店 グルメ・レストラン
-
朝鮮通信使
説明書きによると「江戸時代を通じ、友好国であった李氏朝鮮は将軍に向け全12回の使節を派遣した。使節は友好、親善だけではなく文化使節としての側面も併せ持ち、平均500人からなる大使節団であった。そのため沿道ではたくさんの見物客が出迎えた。一行は海路瀬戸内海を抜け、大阪から京都に入り、陸路で江戸に向かった。岡崎宿は、将軍の慰労の言葉を伝える最初の宿泊地であったため、岡崎宿の対応は一大行事であった。」 -
田中吉政
この人は、関ケ原の合戦で敗れ逃走していた石田三成を捕らえたというイメージが強いのだけど、天正18年(1590年)に岡崎城に入城してから、今歩いている「二十七曲がり」のクランクの多い道を造るなど現在の岡崎の基となる都市開発を行ったという実績のあるすごい人。 -
塩座
塩座とは、塩を専売する権利のことだそうですが、昔は塩荷物は宿場を通させないなど管理が厳しかったようです。 -
御馳走屋敷
現在の岡崎信用金庫資料館辺りにあった。
公用の役人などをもてなす、いわば岡崎藩の迎賓館的な役割を持っていたそう。 -
二十七曲がりは半分近く歩いたのかな?
直線で歩けばいいものの、すごく無駄に長く歩いているように感じます(笑)。
その無駄に感じることを狙っていたんですよね。
ちなみに田中吉政が岡崎城に入城したのは、家康が江戸に転封された1590年と同じ年だから、秀吉が天下統一した時か。 -
「ほ」
-
「へ」
次のところまで170メートルとあるが、もっとあるのでは??
距離感がわからなくなり、案内板を見失い、手持ちの地図を頼りに歩く。 -
「岡崎信用金庫資料館」
大正時代に建築された国登録有形文化財だそう。岡崎信用金庫資料館 美術館・博物館
-
「と」
再び案内板発見!!
「いろはにほへ」まで来て、ここが「と」だからここまで間違っていないということですね。「へ」から「と」の間がわかりにくいなぁ。 -
「ち」
-
「り」
-
路面にはこんな表示もありました。
-
「ぬ」
-
「る」
-
次の「を」の地点までの行き方。
-
「を」
-
住宅街の中へ。
写真は切れてしまいましたが、右側に小さな看板がありました。
「わ」が書かれていたような?? -
この看板があるから道は間違えていないようです。
この少し手前も道路が寸断されてしまっていて、横断歩道を渡って迂回しました。
「か」はここなの?それとも手前にあったのかな?? -
電柱に親切な案内板!
-
「た」
ここが「た」であれば、手前に「よ」があったはず。
そういえば先程の電柱の看板の先の曲がったところに小さな看板があったような気がするけど、そこに「よ」が書かれていたかもしれない。。 -
「れ」
あとどれくらい続くのでしょうか。。
矢作橋まであるようですが、あと少しだと思われます。
でも歩き疲れてしまったし、次に行きたいところもあるので、続きは次回の東海道歩きにて。 -
「れ」からすぐのところに「カクキュー八丁味噌」がありました。
実は初めから今回の東海道歩きはここまでと決めていました。
午前10時34分と時間も丁度いい。
観光バスが2台ほど乗りつけていて、多くの人で賑わっていました。味噌蔵も見学できるようです。ちなみにこちらは、以前NHK朝ドラのロケ地にも使われたそうです(宮崎あおいが出ていたドラマ)。カクキュー 八丁味噌 グルメ・レストラン
-
八丁味噌は独特のクセがあってあまり好きではないのですが、人気だという八丁味噌のソフトクリームを食べてみることにしました(400円ほど)。八丁味噌とソフトクリームを混ぜると塩キャラメル風になるんだとか。なるほど、これなら美味しい!!先程立ち寄った老舗和菓子店の備前屋とコラボしたという八丁味噌せんべいも付いていてこれも美味しい!!
八丁味噌ではなく赤だし味噌を買って帰りましたが、八丁味噌ほどクセはなく、甜麺醤のようでした。 -
カクキューから戻って岡崎城へ。
-
藤棚がとても奇麗!!
-
撮影スポットのようです。
多くの人が写真を撮っていました。
これは写真を撮りたくなりますね。 -
岡崎城公園にだだっ広い広場。
後方にはタワマン?がポツンをそびえたっています。
地元の石材店が作った鳥居、家康像などなど。 -
ここでちょっとした岡崎グルメが楽しめるらしい。
-
「八百屋の作る本気のフルーツサンド」がキャッチフレーズの、岡崎にある「ダイワスーパー」のフルーツサンドにしよう!
ここ、フルーツサンドブームの火付け役でしたね。
祖父の代から経営していた八百屋スーパーが赤字続きだったところを、孫の三代目がフルーツサンドをヒットさせて大人気になったお店で、今は東京にもお店があるみたい。 -
ずっと歩きっぱなしで座りたかったので、空いているベンチに腰掛けていただくことに。
私の中でフルーツサンドブームは過ぎ去ってしまったのだけど、まだ世間では人気なのかな?左は出汁巻たまごサンド(350円)。からし入りとなしが選べましたが、入りを選びました。まあまあ美味しいです。右がいちごのフルーツサンド。お値段750円と、今どきのフルーツサンドってとても強気な値段なんだよなぁ。。いちごは美味しかったし、フルーツはいいものを使っているのがわかりますが、生クリームたっぷりで毎日食べたら身体を壊しそうです。マイブームの時に食べていたらもう少し感動したと思いますが、今はもういいかなって(苦笑)。。若い子たちには、フルーツサンドの断面の「映え」が人気だとか。 -
再び散策開始。
岡崎城。
城内の見学も可能ですが、外から眺めるだけにしました。
小さくてわかりずらいのですが、天守閣に見えるのは鯱?! -
家康公主遺言の石碑。
-
東照公遺訓
これ、静岡市を歩いた時も見た気がする。 -
「出世開運 龍の井」
家康公がここ岡崎城にて誕生した時刻に、金の龍が昇天したと伝えられており、吉兆の度にこの井戸が噴出したことから、「出世開運の井」と称されているそう。
そういえばドラマでもやっていましたね。 -
本丸埋門北袖石垣
本丸埋門から北方向に延びる石垣で、高さは10メートルを超える大規模なものだそう。 -
こんな感じです。
石材には大型の自然石や割石が使用され、大きさや形はやや不揃いながらも、横方向の目的の一部が揃うことから江戸時代前期の構築と考えられるそう。 -
胞衣塚(えもづか)
徳川家康の功績を広く知らしめるため、昭和11年に公園整備の一環として建てられたそう。 -
産湯の井戸
天文11年(1542)12月26日に徳川家康が誕生した際、この井戸から産湯を汲んだと伝えられている。 -
これだ!
-
徳川四天王の一人「本多平八郎忠勝」の銅像。
-
大河ドラマ館へ。
どうする家康の大河ドラマ館は、岡崎、浜松、静岡にあるのですが、地元の方へはまだ行ってなくて、アウェーの岡崎が初めてです。
ちなみに入館料は800円。
割引制度もあるようですが、対象ではありませんでした。 -
入口のこちらは写真撮影可。
松潤ファンにはたまらないだろうなぁ、きっと。
館内は殆どが撮影禁止でしたが、内容は充実していてとても楽しめました。
脚本家のメッセージには「今までにない家康像をお届けする。どれだけ家康を情けなく描くかに力を入れている」とありました。家康ってこんな人だっけ??こんなに頼りない人だったの??と思うところもありましたが、なるほど、そのメッセージで納得しました。ということは、後半もそんな調子でいくということでしょうか。家康のことも知っているようで知らないことがたくさんあるので(というか一般教養レベルしか知っていなかった?それ以下かもしれない)、ドラマを見ながら、史実ではどうだったのかを確認するようにしています(ドラマは創作が多いようなので)。 -
いくつか撮影可のものだけ撮影しました。
これは「金陀美具足」
松潤家康がよく身に着けている甲冑ですね。
桶狭間の戦いで、家康が大高城の兵糧入れで手柄を立てたときに着用されていたとされる。ドラマでもありました。 -
これは江戸時代の甲冑だったような、、
-
家康のブロンズ坐像。
昭和43年、長崎平和記念像の作者が作ったものだそう。 -
観光みやげ店では、どうする家康グッズ、岡崎土産などなど様々な商品が並べられていました。郵便ポストも家康デコレーション。紫なのは、松潤カラーを意識してということかな??
-
パンジーが奇麗♪♪
-
岡崎城公園は、とても広く景色もいいので散歩にぴったりでした。
名鉄の東岡崎駅へ徒歩で向かい(15分程度)、帰路につきました。
東岡崎駅の画像は撮影し忘れてしまったのですが、何とも寂れた昭和の雰囲気を醸し出していました。一応特急停車駅ということですが。。
そういえば今回歩いた岡崎城や味噌蔵で外国人は見かけませんでした。東京や京都では外国人をたくさん見かけるますが、この辺りもぜひ外国人にオススメしたい場所だと思う。名古屋からのアクセスもいいし、地味かもしれないが京都とは違った古き日本を感じることが出来るのではないかと思います。マニアックな観光地かな??
藤川宿→岡崎宿 約10キロ
東海道500キロのうち332キロを制覇しました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったグルメ・レストラン
愛知 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
59