2023/03/20 - 2023/03/20
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Reiseさん
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少し前の旅行記です。
春の伊丹を歩きました。高師直塚を探して、スマホを持っているのに、ウロウロ。近くの交番のおまわりさんが丁寧に教えてくれました。「すぐ近くにみえますよ」と指先にはその場所が。。恥ずかしい~。
スマホは本当に助かりますが、もしかして、自分の目で探すことを忘れていないか、、、、ちょっと恥ずかしい出来事でした。(-_-;)でも、迷いながらたどり着くのも楽しいです。最後はやはり人に聞いてしまいますが、、、。もしかして、人に助けてもらうことも大切なのかも。。ありがたいです。
高師直は足利尊氏の優秀な執事でしたが、最期は伊丹の地で命を落としています。のちに、この塚が建てられ地元の人々が冥福を祈ったようです。昆陽寺~伊丹廃寺~肱岡天満宮を歩き、伊丹の歴史をたどってみました。
とても暑い日で、途中、コンビニでマンゴーが沢山入ったアイスを食べて休憩。
やはり一人歩きも楽しいです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
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まずは、高師直塚から出発です。
実は、すぐ近くをウロウロしていましたが、一向に見つからず、
とうとう近所にあった派出所のおまわりさんにスマホを見せて、ここに行きたいのですが、、、と話すと、
おまわりさんたちはにっこり、「そこにみえますよ」。。。笑
スマホだけを頼りに歩いていると、全然周りをみていなくて、
こういった失敗を繰り返しています。
目で見て、たしかめよ!といわれているようです。笑
おばあのくせに、こんな勘みたいなもの、どんどんなくなっているのかなぁ~。 -
道路脇にあって、説明板もあります。
高師直といえば、足利尊氏の優秀な執事であり、文化人としても有名ですが、尊氏の弟の足利直義との戦いに敗れて、武庫川を超えるあたりで、命を落としています。
場所ははっきりとわからにようですが、江戸時代にはすでにこの供養の塚が建てられています。
1915年になって、山田村の人々が石碑を建立しますが、場所は次々と変わり、現在の場所になったそうです。 -
次に、歩いて、昆陽寺に行きました。
ここでも、歩き始めて、しばらく逆方向へ。
スマホを使いこなせないおばあです。。
歩数が増えてよいですけれど。←負け惜しみ
近くを通りかかった方に「けっこう、遠いで」と教えてもらい、反対方向へ歩きます。
綺麗に手入れを去れた花壇と休憩場所がお寺の近くにあります。 -
大きな門が見えてきました。
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イチオシ
とても荘厳で、美しい山門です。
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細かな装飾。
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山門横には説明板も。
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説明板によると、行基の創建で、1579年、織田信長の時代に一度消失しています。
山門は特徴があり、堂々とした構えのものです。 -
仁王像も勇ましい。
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反対側の仁王像も。
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門をくぐります。
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多聞天立像の写真。
現在は行基堂の中に安置されています。
兵庫県の重要有形文化財、かつては、山門に安置されていました。 -
広目天立像の写真。
こちらもかつては三門に安置されていました。 -
境内も広そうです。
本堂。
本尊は薬師如来像。行基の作といわれています。
阪神淡路大震災で倒壊したそうです。その後再建。 -
イチオシ
とても美しい鐘楼でした。1789年に再建されたものです。
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本堂。
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本堂、中に入れないようでした。
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境内にあった地図。
とても広いです。 -
イチオシ
行基堂。別名開山堂。
元禄期に再建されています。 -
イチオシ
こちらも美しい建物です。
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広い境内、小四国八十八カ所の石仏が並びます。
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石仏。
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行基塚。
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鎮守堂。
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内側からみた山門。
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外に出て、桜が咲き始めていました。
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春の花があちこち。
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次にバスも利用しつつ、伊丹廃寺を目指しますが、途中でダウン。
コンビニに入り、マンゴーパフェをいただきます♪
暑くて少し疲れていましたが、これでエネルギーを補給します。 -
伊丹廃寺に到着。
こちらも広い敷地。
目の前、道路を隔てて、自衛隊の駐屯地です。 -
伊丹廃寺の建物の配置を示した看板がありました。
ちょっとみにくいです。。 -
伊丹廃寺の説明もその裏にありました。
奈良時代に造られた伊丹廃寺ですが、伽藍配置は法隆寺式で、東に金堂や西に塔が並んで建ち、回廊がめぐらされていたようです。そのほか、講堂などの建物。
銅製の水煙や瓦などが出土しています。 -
塔の跡。
建立の時期は8世紀初めの白鳳時代、この地域の有力氏族が建立したといわれています。 -
金堂跡。
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礎石は早くから持ちだされていたようです。
近くの臂岡神社の境内にも見られました。
なぜ、神社に?その経緯やわかないそうです。 -
広い敷地です。
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北門は復元されています。赤い建物です。
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かつては大きな建物群の有った場所。
古代の寺院が栄えた場所です。 -
臂岡天満宮に来ました。
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イチオシ
臂岡天満宮の名前の由来ですが、901年、菅原道真が大宰府に流される時、当地の景勝地を訪れ、臂を枕にして休息したことが由来とか。
村人たちがお茶やおにぎりを献上したとのことですが、配流される悔しさや疲労、絶望感があった菅原道真を優しくいたわり、慰めになったであろうと思われます。
道真はこの地を離れるときに、「もし許される時がくれば、この地を繁盛の霊地としよう」と誓いを立てたといわれています。
そして、その後、大宰府で亡くなった菅原道真の名誉が回復されたことで、社が建てられたそうです。 -
説明板もあります。
梅の花が可愛いです。
菅原道真のこんな言い伝えのお話があったとは知りませんでした。 -
丑を神様としても祀られています。
境内の説明板によると、
菅原道真が丑の年の丑の日の丑の刻に生まれたことや、大宰府に流布されたときに賊に襲われたときに丑が守ってくれたことなどから、丑神として祀っているそうです。
とても豊かな表情をしています。 -
こちらに見えるのが、伊丹廃寺の礎石でしょうか。。
右に見えるのが礎石に見えます。。
伊丹廃寺の礎石がなぜここに運ばれてきたのかは、不明だそうです。 -
また、この付近は鋳物師とよばれる釜や鐘などを造るプロの職業集団がいたことで知られています。
「いもじ千軒」といわれるほど、栄えていたそうです。
こちらの神社を「いもじの天神」といいます。 -
境内には稲荷神社もあります。
石段をおりていきますと、 -
立派なお社。
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気持ちよい空気の竹林が美しかったです。
伊丹の歴史をたどっての歩き、とても楽しかったです。
最後までお読みいただき、いつもありがとうございます。(^^)
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