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令和5年3月のお彼岸、高齢の両親の元へ。<br />残念ながら、入院中の父には面会できませんでした。<br />ただ、偶然ご近所の土蔵を見せていただくことができました。<br />そして、まだ桜の開花には早い秋田を散策しました。

令和5年 秋田県横手市大森町 お彼岸のお参りと有形文化財の土蔵を訪ねて

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2023/03/19 - 2023/03/23

3位(同エリア268件中)

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noel

noelさん

この旅行記のスケジュール

2023/03/19

  • 羽田空港11:05発→秋田空港(JAL163便)12:10着

  • 秋田空港13:10→大曲駅14:05(エアポートライナータクシー)

  • 大曲駅→実家(車)

2023/03/20

2023/03/21

2023/03/22

2023/03/23

  • 実家→大曲駅(車)

  • 大曲駅→秋田空港(エアポートライナー)

  • 秋田空港→羽田空港(JAL164便)

この旅行記スケジュールを元に

令和5年3月のお彼岸、高齢の両親の元へ。
残念ながら、入院中の父には面会できませんでした。
ただ、偶然ご近所の土蔵を見せていただくことができました。
そして、まだ桜の開花には早い秋田を散策しました。

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
タクシー JALグループ 自家用車 徒歩

PR

  • 羽田空港から秋田空港へ向かいます。<br />ターミナル9番からの搭乗になりました。<br />時間に余裕があったため、パワーラウンジでゆっくりしていたのですが、北のラウンジにいたのが間違いでした。<br />気付いたらそろそろ搭乗時間、南のターミナル9番までは、ちょっと歩きます。<br />お恥かしながら、名前の呼び出しを受けてしまいました。(・_・;(・_・;

    羽田空港から秋田空港へ向かいます。
    ターミナル9番からの搭乗になりました。
    時間に余裕があったため、パワーラウンジでゆっくりしていたのですが、北のラウンジにいたのが間違いでした。
    気付いたらそろそろ搭乗時間、南のターミナル9番までは、ちょっと歩きます。
    お恥かしながら、名前の呼び出しを受けてしまいました。(・_・;(・_・;

  • 秋田空港で横手焼きそばをいただきました。<br />空港内の「あきた茶房」です。<br />乗合タクシーのエアポートライナーの中仙タクシーさんが、到着を見計らって早めに来てくれてました。ただ、迎えの家族の都合もあり、予定通りランチしてから行くことにしました。

    秋田空港で横手焼きそばをいただきました。
    空港内の「あきた茶房」です。
    乗合タクシーのエアポートライナーの中仙タクシーさんが、到着を見計らって早めに来てくれてました。ただ、迎えの家族の都合もあり、予定通りランチしてから行くことにしました。

    あきた茶房 グルメ・レストラン

  • 3月20日<br />たまたま近くの今野商店さんで、昭和初期の町の写真を展示していました。<br />今野商店さんは、1867年(慶応2年)の江戸時代末期に万屋として創業しています。

    3月20日
    たまたま近くの今野商店さんで、昭和初期の町の写真を展示していました。
    今野商店さんは、1867年(慶応2年)の江戸時代末期に万屋として創業しています。

  • 今野商店さんの土蔵は、有形文化財に指定されています。<br /><br />今野商店さんのWEBページはこちらです。<br />↓<br />https://imanoshoten.shopinfo.jp/<br /><br />国指定文化財のWEBページはこちらです。<br />↓<br />https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012466

    今野商店さんの土蔵は、有形文化財に指定されています。

    今野商店さんのWEBページはこちらです。

    https://imanoshoten.shopinfo.jp/

    国指定文化財のWEBページはこちらです。

    https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00012466

  • こちらがお店入口です。<br />では、さっそく写真を拝見させていただきます。<br />こちらでは、写真をプロジェクターを使用して、スクリーンに大きく拡大して見せてくださいました。<br />一応、許可をいただいて撮影、及びアップロードさせていただいてます。

    こちらがお店入口です。
    では、さっそく写真を拝見させていただきます。
    こちらでは、写真をプロジェクターを使用して、スクリーンに大きく拡大して見せてくださいました。
    一応、許可をいただいて撮影、及びアップロードさせていただいてます。

  • これは令和になってから、今野商店さんを撮った写真です。<br />雪の日の除雪作業の様子です。<br />この写真を撮ったのは私の弟です。

    これは令和になってから、今野商店さんを撮った写真です。
    雪の日の除雪作業の様子です。
    この写真を撮ったのは私の弟です。

  • そしてこちらが昭和初期の様子です。<br />同じ冬ですが雪の量はだいぶ違います。<br />

    そしてこちらが昭和初期の様子です。
    同じ冬ですが雪の量はだいぶ違います。

  • そしてこちらは、当時の雪下ろしの光景です。<br />2階部分まで雪に覆われてます。<br />そして、みんなで雪下ろしをしてます。<br />話によると、昭和48年の豪雪の折に、地元の小学校の雪下ろしをしている様子です。<br />当時は男の人は都会に出稼ぎに行っており、男手が足りずに、子どもの母親が手伝いに行ったそうです。<br />私の母も手伝ったそうです。<br />PTA会長と数人の方以外は、ほとんどが女性だったそうです。<br />我が家は自営業だったのですが、父は自宅の家の雪下ろしで手一杯だったそうです。<br />ちなみに、お手伝いできなかった人からは、お茶菓子の差し入れがあったそうです。<br />現在では、あまり考えられないような話です。

    そしてこちらは、当時の雪下ろしの光景です。
    2階部分まで雪に覆われてます。
    そして、みんなで雪下ろしをしてます。
    話によると、昭和48年の豪雪の折に、地元の小学校の雪下ろしをしている様子です。
    当時は男の人は都会に出稼ぎに行っており、男手が足りずに、子どもの母親が手伝いに行ったそうです。
    私の母も手伝ったそうです。
    PTA会長と数人の方以外は、ほとんどが女性だったそうです。
    我が家は自営業だったのですが、父は自宅の家の雪下ろしで手一杯だったそうです。
    ちなみに、お手伝いできなかった人からは、お茶菓子の差し入れがあったそうです。
    現在では、あまり考えられないような話です。

  • これは私も知らない昔の町の様子です。<br />まだ道が舗装されていません。<br />そして写真を通して、曽祖父の時代にはうちの店舗は洋館だったことがわかりました。びっくりでした。<br />この他にも、お祭り、田植えの写真等々ありました。<br />特にみんなで田植えをしている写真は、ミレーの絵を彷彿とさせる写真でした。

    これは私も知らない昔の町の様子です。
    まだ道が舗装されていません。
    そして写真を通して、曽祖父の時代にはうちの店舗は洋館だったことがわかりました。びっくりでした。
    この他にも、お祭り、田植えの写真等々ありました。
    特にみんなで田植えをしている写真は、ミレーの絵を彷彿とさせる写真でした。

  • これは川で水泳している様子です。<br />私が子どもの時には、遊泳禁止になっていました。<br />ただ、父が子どもの頃には泳いでいたと聞いてました。<br />それが、この一枚でわかりました。<br />写真をコピーする時、反射して見えにくくなってしまいました。(・_・;

    これは川で水泳している様子です。
    私が子どもの時には、遊泳禁止になっていました。
    ただ、父が子どもの頃には泳いでいたと聞いてました。
    それが、この一枚でわかりました。
    写真をコピーする時、反射して見えにくくなってしまいました。(・_・;

  • こちらは今野商店さんの蔵の2階です。<br />古い箪笥です。<br />茶箱も懐かしいです。ーちょっとレトロな可愛いらしいバスケットもあります。<br />アラン・ドロンやカーペンターズ等々のモノクロ写真もありました。

    こちらは今野商店さんの蔵の2階です。
    古い箪笥です。
    茶箱も懐かしいです。ーちょっとレトロな可愛いらしいバスケットもあります。
    アラン・ドロンやカーペンターズ等々のモノクロ写真もありました。

  • 古い素敵なランプです。<br />壊れた箇所は、店主の方が、桜をモチーフに手直しされたそうです。<br />とても優しい光に包まれていました。

    古い素敵なランプです。
    壊れた箇所は、店主の方が、桜をモチーフに手直しされたそうです。
    とても優しい光に包まれていました。

  • 可愛いお雛様も展示されてました。<br />後ろにある襖の絵がとても珍しく思いました。<br />花鳥風月などを描いた襖絵は、今までにもたくさん拝見しましたが、時代や土地柄もあってか、庶民的な絵です。

    可愛いお雛様も展示されてました。
    後ろにある襖の絵がとても珍しく思いました。
    花鳥風月などを描いた襖絵は、今までにもたくさん拝見しましたが、時代や土地柄もあってか、庶民的な絵です。

  • 蔵の2階部分の天井の梁は、とてもしっかりしていて見事でした。

    蔵の2階部分の天井の梁は、とてもしっかりしていて見事でした。

  • 2階部分から外を眺めた様子です。<br />この窓の扉は内開きの窓でした。

    2階部分から外を眺めた様子です。
    この窓の扉は内開きの窓でした。

  • 向かいも一部蔵になっています。<br />こちらのは外開きタイプの窓になっています。<br /><br />また、斜め向いは、赤煉瓦蔵(KURA)があります。<br />こちらも有形文化財に指定されています。

    向かいも一部蔵になっています。
    こちらのは外開きタイプの窓になっています。

    また、斜め向いは、赤煉瓦蔵(KURA)があります。
    こちらも有形文化財に指定されています。

  • 今度は1階の蔵を拝見します。<br />入口はまるで茶室のにじりのように、天井がかなり低いです。

    今度は1階の蔵を拝見します。
    入口はまるで茶室のにじりのように、天井がかなり低いです。

  • 掛軸、茶道具、コーヒーサイフォン、ランプなどが飾られてました。

    掛軸、茶道具、コーヒーサイフォン、ランプなどが飾られてました。

  • 古い足踏みミシンがありました。<br />その上には有形文化財の登録証が置かれてました。

    古い足踏みミシンがありました。
    その上には有形文化財の登録証が置かれてました。

  • 立派な角が中央にあります。<br />また、昔の海外の広告もありました。<br />スコッチウイスキーのHaigや、ガソリンスタンドのユニークな物もあります。<br />今野商店さんは、ガソリンスタンドも営業してます。<br /><br />1階の蔵にも窓がついてます。

    立派な角が中央にあります。
    また、昔の海外の広告もありました。
    スコッチウイスキーのHaigや、ガソリンスタンドのユニークな物もあります。
    今野商店さんは、ガソリンスタンドも営業してます。

    1階の蔵にも窓がついてます。

  • 3月21日午後<br /><br />こちらは犬と散歩したコースです。<br />ちなみにこちらの「貞好」さんは 重要無形民俗文化財として登録されていました。<br />以前は古い料亭として、とても趣きのある建物でした。<br />私も家族とお邪魔したことがありますが、お料理も美味しくいただきました。<br />2階のお部屋でいただきました。急な昔風の階段が印象的でした。<br />残念ながら、火災が原因で古い建物はありません。<br />とても素敵な趣のある料亭だったのに残念です。<br />ただ、現在もすぐ側で営業されています。

    3月21日午後

    こちらは犬と散歩したコースです。
    ちなみにこちらの「貞好」さんは 重要無形民俗文化財として登録されていました。
    以前は古い料亭として、とても趣きのある建物でした。
    私も家族とお邪魔したことがありますが、お料理も美味しくいただきました。
    2階のお部屋でいただきました。急な昔風の階段が印象的でした。
    残念ながら、火災が原因で古い建物はありません。
    とても素敵な趣のある料亭だったのに残念です。
    ただ、現在もすぐ側で営業されています。

  • 菅江真澄の道<br /><br />菅江真澄は江戸時代末期の旅行家です、<br />本草学者でもあります。薬草や今で言うハーブなどに精通していたようです。<br />元々は三河の生まれですが、特に信濃、越後、出羽、奥州、蝦夷等の北国を行脚しました。<br />その折に、ここにも立ち寄りました。

    菅江真澄の道

    菅江真澄は江戸時代末期の旅行家です、
    本草学者でもあります。薬草や今で言うハーブなどに精通していたようです。
    元々は三河の生まれですが、特に信濃、越後、出羽、奥州、蝦夷等の北国を行脚しました。
    その折に、ここにも立ち寄りました。

  • こちらも以前は木々に囲まれていましたが、火災の折に焼けてしまったようです。<br /><br />神官の照井家(びっちゃの家)跡地です。<br />1824年(文政7年)照井家の由来を記しました。<br />歴代の祠官で祖先は、南部しはの佐伯家、慶長年中、小野寺平七綱次養子としましたが、故あって、母方の高橋を名乗りました。<br />ただ、後代になって照井家に改めました。

    こちらも以前は木々に囲まれていましたが、火災の折に焼けてしまったようです。

    神官の照井家(びっちゃの家)跡地です。
    1824年(文政7年)照井家の由来を記しました。
    歴代の祠官で祖先は、南部しはの佐伯家、慶長年中、小野寺平七綱次養子としましたが、故あって、母方の高橋を名乗りました。
    ただ、後代になって照井家に改めました。

  • びっちゃの家の由来は、神の使者を蛙也言います。<br />その神の御手洗をびっちゃと言います。<br />照井家のわたりの小川をびっちゃ川と言うのも、このよし也と菅江真澄が書き遺しています。

    びっちゃの家の由来は、神の使者を蛙也言います。
    その神の御手洗をびっちゃと言います。
    照井家のわたりの小川をびっちゃ川と言うのも、このよし也と菅江真澄が書き遺しています。

  • 大納川です。一級河川です。<br />あまり一級河川っぽくはありませんが、先ほどの話だと、これがびっちゃ川でしょう。

    大納川です。一級河川です。
    あまり一級河川っぽくはありませんが、先ほどの話だと、これがびっちゃ川でしょう。

  • 川の反対側を眺めた様子です。水門が見えます。<br />現在は大森公園に車で向かう橋と、徒歩で渡る橋の2つが架けられています。<br />歩行者用の橋は、そのまま大慈寺に繋がっています。<br />

    川の反対側を眺めた様子です。水門が見えます。
    現在は大森公園に車で向かう橋と、徒歩で渡る橋の2つが架けられています。
    歩行者用の橋は、そのまま大慈寺に繋がっています。

  • 同じ川の反対側には「大森飯店」があります。<br />昔は石松食堂と呼ばれていました。(本店も近くにありました、)<br />町の人たちに愛され続けている中華料理店です。<br />数年前に水害があり、大森町も被害に遭いました。その際に床上浸水で大変でしたが、今もご覧のように町内外の皆さんの胃袋を満たしてくれてます。<br />私も何度もいただいてますが、美味しいです。

    同じ川の反対側には「大森飯店」があります。
    昔は石松食堂と呼ばれていました。(本店も近くにありました、)
    町の人たちに愛され続けている中華料理店です。
    数年前に水害があり、大森町も被害に遭いました。その際に床上浸水で大変でしたが、今もご覧のように町内外の皆さんの胃袋を満たしてくれてます。
    私も何度もいただいてますが、美味しいです。

  • お地蔵様、猿田彦大神<br /><br />サルタヒコは「古事記」や「日本書紀」に出てきます。<br />天照大御神に遣わされた邇邇芸命を道案内した国津神です。<br />伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされてます。<br />昨年、久しぶりに伊勢神宮に行き、五十鈴川にも行きました。<br /><br />そして中世になると、庚申信仰や道祖神と結びついたものです。<br />他に色々な地方で、お見掛けしてます。

    お地蔵様、猿田彦大神

    サルタヒコは「古事記」や「日本書紀」に出てきます。
    天照大御神に遣わされた邇邇芸命を道案内した国津神です。
    伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされてます。
    昨年、久しぶりに伊勢神宮に行き、五十鈴川にも行きました。

    そして中世になると、庚申信仰や道祖神と結びついたものです。
    他に色々な地方で、お見掛けしてます。

  • お地蔵様です。<br />

    お地蔵様です。

  • 五日町地蔵尊菩薩<br /><br />昔は屋根がかろうじてついているだけでしたが、今はしっかり建物内にあります。<br />これでお地蔵様も、豪雪地帯の横手市大森町でも、雪に埋まることもないでしょう。

    五日町地蔵尊菩薩

    昔は屋根がかろうじてついているだけでしたが、今はしっかり建物内にあります。
    これでお地蔵様も、豪雪地帯の横手市大森町でも、雪に埋まることもないでしょう。

  • 大慈寺に向かう歩道です。<br />こちらは車では通れません。<br />これが山門かと思ったのですが、この先の門に山門と書いてました。

    大慈寺に向かう歩道です。
    こちらは車では通れません。
    これが山門かと思ったのですが、この先の門に山門と書いてました。

  • 白壁に囲まれています。

    白壁に囲まれています。

  • 曹洞宗大本山<br />山門には「龍淵山」の山号が掲げられています。<br />そして両脇には仁王像があります。<br />実は手前の門が山門かと思っていたのですが、こちらに山門と表記がありました。

    曹洞宗大本山
    山門には「龍淵山」の山号が掲げられています。
    そして両脇には仁王像があります。
    実は手前の門が山門かと思っていたのですが、こちらに山門と表記がありました。

  • 仁王像の下の方、裏側からよく見えますが、仏様がたくさんいます。<br />木彫りのようでした。たぶん。(犬と散歩している最中で、犬が落ち着かなかったため、ちょっとはっきりしません。)

    仁王像の下の方、裏側からよく見えますが、仏様がたくさんいます。
    木彫りのようでした。たぶん。(犬と散歩している最中で、犬が落ち着かなかったため、ちょっとはっきりしません。)

  • 鐘楼門です。<br />屋根は茅葺になっています。最近手入れされたようで綺麗です。<br /><br />実はこの日はお彼岸で、朝早く弟とお参りに来ました。<br />そして午後になってから、犬の散歩で再びやって来ました。<br />

    鐘楼門です。
    屋根は茅葺になっています。最近手入れされたようで綺麗です。

    実はこの日はお彼岸で、朝早く弟とお参りに来ました。
    そして午後になってから、犬の散歩で再びやって来ました。

  • 奥に見えるのが御本堂です。<br />この道の方が歩きやすいので、みなさんこちらを歩いてます。<br />大慈寺は、秋田三十三観音霊場第11番霊場です。<br />(御詠歌:後の世も現世の苦難剣の難 経味を受けて今宿の里)<br /><br />大慈寺は1013年(長和2年)の平安時代に密教寺院として創建されました。

    奥に見えるのが御本堂です。
    この道の方が歩きやすいので、みなさんこちらを歩いてます。
    大慈寺は、秋田三十三観音霊場第11番霊場です。
    (御詠歌:後の世も現世の苦難剣の難 経味を受けて今宿の里)

    大慈寺は1013年(長和2年)の平安時代に密教寺院として創建されました。

  • お稲荷さんがあります。<br />雪のためかブルーシートで覆われていました。

    お稲荷さんがあります。
    雪のためかブルーシートで覆われていました。

  • まだ雪は残っているものの、少しずつ春の訪れを感じます。<br />ふきのとうが顔を出していました。

    まだ雪は残っているものの、少しずつ春の訪れを感じます。
    ふきのとうが顔を出していました。

  • 大慈寺横の大森公園に向かう坂道です。

    大慈寺横の大森公園に向かう坂道です。

  • これは昭和初期の坂道の様子です。<br />

    これは昭和初期の坂道の様子です。

  • 3月21日<br /><br />この日は犬は連れずに、一人で散歩しました。<br />今野商店さんの斜め向かいにある「赤レンガ蔵」です。

    3月21日

    この日は犬は連れずに、一人で散歩しました。
    今野商店さんの斜め向かいにある「赤レンガ蔵」です。

  • 赤レンガの蔵です。

    赤レンガの蔵です。

  • こちらの蔵も重要有形文化財に指定されています。

    こちらの蔵も重要有形文化財に指定されています。

  • 少し雪が残っています。<br />お願いすれば中を見せてもらえたのですが、この日は他にも行きたい所があったので遠慮しました。<br />元々は倉庫として使用されていた米蔵でしたが、今は「KURA」として利用されています。<br />こちらでは現在も、蕎麦打ちやカラオケ講習会などが行われています。

    少し雪が残っています。
    お願いすれば中を見せてもらえたのですが、この日は他にも行きたい所があったので遠慮しました。
    元々は倉庫として使用されていた米蔵でしたが、今は「KURA」として利用されています。
    こちらでは現在も、蕎麦打ちやカラオケ講習会などが行われています。

  • 田圃の様子です。<br />まだ雪が残っています。<br />空港から大曲まで車で来る間、雪はほとんど見ませんでした。<br />ただ、大森町に入ると、雪が結構残っていました。

    田圃の様子です。
    まだ雪が残っています。
    空港から大曲まで車で来る間、雪はほとんど見ませんでした。
    ただ、大森町に入ると、雪が結構残っていました。

  • こちらは山下太郎先生の記念碑があります。<br />又の名を「アラビア太郎」「満州太郎」と呼ばれています。<br />名前のとおり、サウジアラビアや、クウェートなどで油田開発をした先駆者です。<br />戦後の日本の復興のため、大活躍された地元が誇る実業家です。<br />

    こちらは山下太郎先生の記念碑があります。
    又の名を「アラビア太郎」「満州太郎」と呼ばれています。
    名前のとおり、サウジアラビアや、クウェートなどで油田開発をした先駆者です。
    戦後の日本の復興のため、大活躍された地元が誇る実業家です。

  • 銅像があります。<br />実は子どもの頃からありますが、1度も中に入ったことはありません。<br /><br />以前はすぐ横に横手市立大森中学校がありましたが、現在は統廃合のため移転しました。(なお、昔は大森町立大森中学校でした。)<br />

    銅像があります。
    実は子どもの頃からありますが、1度も中に入ったことはありません。

    以前はすぐ横に横手市立大森中学校がありましたが、現在は統廃合のため移転しました。(なお、昔は大森町立大森中学校でした。)

  • 鳥居です。この鳥居は大森神社の鳥居です。<br /><br />そしてこの大森公園は、大森城址となっています。<br />この石段は避けて、坂道から大回りで向かいます。

    鳥居です。この鳥居は大森神社の鳥居です。

    そしてこの大森公園は、大森城址となっています。
    この石段は避けて、坂道から大回りで向かいます。

  • 公園の案内図です。<br /><br />ところで、大森町は交通のアクセスがよくありません。<br />悪く言えば陸の孤島とも言えます。<br />ただ、昔は鉄道がありました。<br />横荘線の「羽後大森駅」がありました。<br />遠い記憶では「駅」のことを「停車場」と呼んでいたように思います。<br />幼少の頃のおぼろげな記憶ですが、母と乗った記憶もあります。<br /><br />また私が子どもの頃には既になくなっていましたが、映画館もありました。<br />「大森映画劇場」として、1955年以降に開館して、1963年前には閉館になったようです。<br />ただ、私の記憶では建物だけが残っていました。<br /><br />今回は古い昭和の写真を拝見して、昔のモノクロの映像が脳裏をよぎりました。<br />谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」ではありませんが、そこには日本の美が確かにあったと思います。<br />今、フォトジェニックな写真がトレンドですが、遠い昔の生活には、それ以上の美を感じました。

    公園の案内図です。

    ところで、大森町は交通のアクセスがよくありません。
    悪く言えば陸の孤島とも言えます。
    ただ、昔は鉄道がありました。
    横荘線の「羽後大森駅」がありました。
    遠い記憶では「駅」のことを「停車場」と呼んでいたように思います。
    幼少の頃のおぼろげな記憶ですが、母と乗った記憶もあります。

    また私が子どもの頃には既になくなっていましたが、映画館もありました。
    「大森映画劇場」として、1955年以降に開館して、1963年前には閉館になったようです。
    ただ、私の記憶では建物だけが残っていました。

    今回は古い昭和の写真を拝見して、昔のモノクロの映像が脳裏をよぎりました。
    谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」ではありませんが、そこには日本の美が確かにあったと思います。
    今、フォトジェニックな写真がトレンドですが、遠い昔の生活には、それ以上の美を感じました。

  • こちらは二の丸付近の様子です。<br />二の丸までの道には、杉の木がそして桜の木が見られます。<br />桜にはまだまだ早いです。<br />また、池のそばには枝垂桜が植えられてます。<br /><br />今はこれらの桜も老木となってしまったようですが、実はこの大森公園の桜はとても見事です。ほとんどが染井吉野です。<br />明治34年(1901年)、旧大森町に町制施行されたことを記念し、桜1000本が植えられ、「東北の吉野山」と称されるほどになりました。<br />またさくら荘の前には芝さくらが見られます。

    こちらは二の丸付近の様子です。
    二の丸までの道には、杉の木がそして桜の木が見られます。
    桜にはまだまだ早いです。
    また、池のそばには枝垂桜が植えられてます。

    今はこれらの桜も老木となってしまったようですが、実はこの大森公園の桜はとても見事です。ほとんどが染井吉野です。
    明治34年(1901年)、旧大森町に町制施行されたことを記念し、桜1000本が植えられ、「東北の吉野山」と称されるほどになりました。
    またさくら荘の前には芝さくらが見られます。

  • 大森城址(別名:岩淵城) 大森公園<br /><br />本丸の様子です。<br />桜は固いつぼみをつけてました。<br />そして山下太郎先生の石碑があります。<br />小さな菖蒲池があります。<br /><br />大森城は、1469-1487年(文明年間)沼館城主、小野寺中務大夫泰道の四男 長門守道高によって築かれたようです。<br />その後、1573-1592年(天正年間)小野寺輝道の三男 孫五郎康道が大森城に入城して「大森殿」と呼ばれました。<br />また1600年(慶長5年)「関ケ原」が勃発すると、小野寺氏は反最上の立場から上杉と結んで最上と対立しました。ただ「関ケ原」が東軍の勝利で終了すると、小野寺領に、最上・安東・戸沢・由利衆など出羽衆の侵攻を受けます。<br />そして「大森城の戦」は和睦で終結しました。<br />その後は小野寺氏は所領を没収されました。そして石見国、津和野に配流となりました。そして大森城は廃城となりました。

    大森城址(別名:岩淵城) 大森公園

    本丸の様子です。
    桜は固いつぼみをつけてました。
    そして山下太郎先生の石碑があります。
    小さな菖蒲池があります。

    大森城は、1469-1487年(文明年間)沼館城主、小野寺中務大夫泰道の四男 長門守道高によって築かれたようです。
    その後、1573-1592年(天正年間)小野寺輝道の三男 孫五郎康道が大森城に入城して「大森殿」と呼ばれました。
    また1600年(慶長5年)「関ケ原」が勃発すると、小野寺氏は反最上の立場から上杉と結んで最上と対立しました。ただ「関ケ原」が東軍の勝利で終了すると、小野寺領に、最上・安東・戸沢・由利衆など出羽衆の侵攻を受けます。
    そして「大森城の戦」は和睦で終結しました。
    その後は小野寺氏は所領を没収されました。そして石見国、津和野に配流となりました。そして大森城は廃城となりました。

  • 女礫跡(おんなつぶてあと)<br /><br />平成29年11月 大森郷土研究会

    女礫跡(おんなつぶてあと)

    平成29年11月 大森郷土研究会

  • 大森城があった跡地ですが、敵の雑兵が、この本丸まで攻め入ろうとしたところ、城中の女たち20-30人が、あらかじめ用意していた大小の石を投げて防戦を行いました。この時、福正院の弓を使った柴礫を使用したそうです。<br />雑兵20余名の死者と、多数の負傷者が出て、我先に柵の外へと逃げたそうです。今でも女礫跡と言われています。

    大森城があった跡地ですが、敵の雑兵が、この本丸まで攻め入ろうとしたところ、城中の女たち20-30人が、あらかじめ用意していた大小の石を投げて防戦を行いました。この時、福正院の弓を使った柴礫を使用したそうです。
    雑兵20余名の死者と、多数の負傷者が出て、我先に柵の外へと逃げたそうです。今でも女礫跡と言われています。

  • 大森神社です。<br /><br />御祭神は、天照皇大神  誉田別尊 武甕槌命天御中主命太平山三吉神宇賀魂神です。

    大森神社です。

    御祭神は、天照皇大神  誉田別尊 武甕槌命天御中主命太平山三吉神宇賀魂神です。

  • 大森神社の様子<br /><br />まだ、天皇陛下即位のお祝いの幕が掲げられていました。<br />なかなかゆっくり見ることがなかったので、写真に撮ってみました。<br /><br />実は中学生時代に、美術の授業でこの神社を写生したことがありました。<br />その時に、私にしては珍しく銅賞をいただいたのを記憶しています。<br />

    大森神社の様子

    まだ、天皇陛下即位のお祝いの幕が掲げられていました。
    なかなかゆっくり見ることがなかったので、写真に撮ってみました。

    実は中学生時代に、美術の授業でこの神社を写生したことがありました。
    その時に、私にしては珍しく銅賞をいただいたのを記憶しています。

  • 今回は石段を避けて来ましたが、本来は石段を登ってくると、こちらに辿り着きます。<br />鳥居前では、狛犬が出迎えてくれます。<br />邪気を祓い、神前を守護してくれています。<br />右が阿形、左が吽形で「あ、うん」を表し、宇宙の最初と最後を意味してます。<br />左の吽形は葉で覆われてしまっています。(-_-;)<br /><br />石段を下ります。<br />ちなみに右側の石段は、公園手前の大きな鳥居へと続く石段です。<br />ここを上り下りする人は少ないようです。<br />赤茶けた杉が石段を覆っていました。<br />滑って転ばないように注意して下りました。<br />そして、この杉の樹々の下を、暑くてマスクをとった状態で散歩していたためか・・・・この後、花粉症の症状が悪化して苦しむ結果になりました。<br />油断禁物です。

    今回は石段を避けて来ましたが、本来は石段を登ってくると、こちらに辿り着きます。
    鳥居前では、狛犬が出迎えてくれます。
    邪気を祓い、神前を守護してくれています。
    右が阿形、左が吽形で「あ、うん」を表し、宇宙の最初と最後を意味してます。
    左の吽形は葉で覆われてしまっています。(-_-;)

    石段を下ります。
    ちなみに右側の石段は、公園手前の大きな鳥居へと続く石段です。
    ここを上り下りする人は少ないようです。
    赤茶けた杉が石段を覆っていました。
    滑って転ばないように注意して下りました。
    そして、この杉の樹々の下を、暑くてマスクをとった状態で散歩していたためか・・・・この後、花粉症の症状が悪化して苦しむ結果になりました。
    油断禁物です。

  • 大森公民館と山下記念館です。<br />なかなか見学する機会がなく、実は今回初めて訪れます。<br />

    大森公民館と山下記念館です。
    なかなか見学する機会がなく、実は今回初めて訪れます。

  • 山下太郎先生の銅像です。<br />雪の多い地方ですから、ご覧のように囲われています。

    山下太郎先生の銅像です。
    雪の多い地方ですから、ご覧のように囲われています。

  • 庭園になっています。

    庭園になっています。

  • 山下太郎先生<br /><br />明治22年4月9日誕生。<br />大森小学校に入学し、4年生まで大森町にいました。<br /><br />実はサウジアラビアやクウェートとの油田開発だけではなく、お薬を飲む際に使うオブラートの特許を取り、会社を設立しました。<br />大森町やそれ以外にも奨学金を寄付してくださいました。<br />また、大森町に高校を建設する資金を寄付してくださいました。<br />大慈寺の梵鐘を寄進してくださいました。<br />昭和42年(1978年)心筋梗塞のためご逝去されました。<br />従三位 勲一等瑞宝章受章されました。<br /><br />館内には数々の思い出の写真などが残されていました。<br />サウジアラビア国王から寄贈された礼装用の衣・冠・剣など<br />高松宮家より拝領された硯箱、政財界の方々との交流の写真、りやあど丸、楠木正成の子孫だったようでその家系図等<br />そして館内には蔵があり、その中には書棚、火鉢、香炉、掛け軸、屏風、陶器の数々などが展示されていました。

    山下太郎先生

    明治22年4月9日誕生。
    大森小学校に入学し、4年生まで大森町にいました。

    実はサウジアラビアやクウェートとの油田開発だけではなく、お薬を飲む際に使うオブラートの特許を取り、会社を設立しました。
    大森町やそれ以外にも奨学金を寄付してくださいました。
    また、大森町に高校を建設する資金を寄付してくださいました。
    大慈寺の梵鐘を寄進してくださいました。
    昭和42年(1978年)心筋梗塞のためご逝去されました。
    従三位 勲一等瑞宝章受章されました。

    館内には数々の思い出の写真などが残されていました。
    サウジアラビア国王から寄贈された礼装用の衣・冠・剣など
    高松宮家より拝領された硯箱、政財界の方々との交流の写真、りやあど丸、楠木正成の子孫だったようでその家系図等
    そして館内には蔵があり、その中には書棚、火鉢、香炉、掛け軸、屏風、陶器の数々などが展示されていました。

  • サロン・ド・エムズ<br />6月には恒例のオープンガーデンが行われるようです。<br />現在の庭の様子は、冬が終わったばかりで、かなり悲惨な状況ですが、少しずつ整えていくようです。

    サロン・ド・エムズ
    6月には恒例のオープンガーデンが行われるようです。
    現在の庭の様子は、冬が終わったばかりで、かなり悲惨な状況ですが、少しずつ整えていくようです。

  • 近くの雄物川の日帰り温泉に行きました。

    近くの雄物川の日帰り温泉に行きました。

  • 「えがおの丘」です。<br />こちらにはジムや屋内温水プール、レストランもあります。<br />温泉にはサウナもありました。<br />露天風呂もあります。ただ、この時季は露天はとってもぬるいです。<br />誰も入ってませんでした。<br />私はサウナの後、水風呂の代わりに入ってみました。<br />それでちょうどよいくらいでした。<br /><br />そして、温泉帰りに通りかかった田圃で、白鳥を見ました。10羽以上いました。<br />また、羽後町に行った時も、田圃で白鳥を見ました。<br />秋からこの位の時期まで飛来するようです。<br />残念ながら、車で通りすぎてしまったため、写真に撮ることはできませんでした。

    「えがおの丘」です。
    こちらにはジムや屋内温水プール、レストランもあります。
    温泉にはサウナもありました。
    露天風呂もあります。ただ、この時季は露天はとってもぬるいです。
    誰も入ってませんでした。
    私はサウナの後、水風呂の代わりに入ってみました。
    それでちょうどよいくらいでした。

    そして、温泉帰りに通りかかった田圃で、白鳥を見ました。10羽以上いました。
    また、羽後町に行った時も、田圃で白鳥を見ました。
    秋からこの位の時期まで飛来するようです。
    残念ながら、車で通りすぎてしまったため、写真に撮ることはできませんでした。

  • <br />3月23日<br /><br />こちらはリニューアルした秋田空港のラウンジです。<br />以前のラウンジより、だいぶ広くなりました。<br />しかも滑走路が見えます。<br /><br />


    3月23日

    こちらはリニューアルした秋田空港のラウンジです。
    以前のラウンジより、だいぶ広くなりました。
    しかも滑走路が見えます。

  • お天気は悪いのですが、ラウンジから滑走路眺めた様子です。<br />カウンター席からは、特によく見えます。<br />‥‥‥ところが、実は秋田空港はこの前日から、停電になっていました。(・_・;<br />空港に到着すると薄暗く、節電かとも思ったものの、エレベーター、エスカレーターも停止していて停電であることがわかりました。<br />しかもレストランも営業してません。<br />せっかく稲庭饂飩を食べるつもりだったのに。<br />唯一営業していたコンビニでパンとパウンドケーキ1切れを買いました。<br />このような状況のため、ラウンジに持ち込みできました。<br />ただ、ドリンクもホットドリンクはなく、冷たいドリンクのみでした。<br />wifi、電源もアウトでした。<br />フォートラの編集をするつもりでいましたが、読書してました。<br /><br />停電の原因は高圧ケーブルの不具合のようでしたが、飛行機の離発着には問題ありませんでした。<br />とは言ってもアンラッキーでした。<br />空港内で電気が消えたのは、インドネシアのジョグジャカルタの空港で、突然電気が消えた時以来です。<br />その時は、一時的で、すぐに復旧しました。<br />まあ、色々あります。<br />秋田はこんな状態ですが、関東は桜が満開です。<br />花見ができると良いのですが・・・。<br />WBC優勝の余韻で、最後の年度末を乗り切っていきたいです。

    お天気は悪いのですが、ラウンジから滑走路眺めた様子です。
    カウンター席からは、特によく見えます。
    ‥‥‥ところが、実は秋田空港はこの前日から、停電になっていました。(・_・;
    空港に到着すると薄暗く、節電かとも思ったものの、エレベーター、エスカレーターも停止していて停電であることがわかりました。
    しかもレストランも営業してません。
    せっかく稲庭饂飩を食べるつもりだったのに。
    唯一営業していたコンビニでパンとパウンドケーキ1切れを買いました。
    このような状況のため、ラウンジに持ち込みできました。
    ただ、ドリンクもホットドリンクはなく、冷たいドリンクのみでした。
    wifi、電源もアウトでした。
    フォートラの編集をするつもりでいましたが、読書してました。

    停電の原因は高圧ケーブルの不具合のようでしたが、飛行機の離発着には問題ありませんでした。
    とは言ってもアンラッキーでした。
    空港内で電気が消えたのは、インドネシアのジョグジャカルタの空港で、突然電気が消えた時以来です。
    その時は、一時的で、すぐに復旧しました。
    まあ、色々あります。
    秋田はこんな状態ですが、関東は桜が満開です。
    花見ができると良いのですが・・・。
    WBC優勝の余韻で、最後の年度末を乗り切っていきたいです。

  • 【令和5年6月9日追記】<br /><br />令和5年6月10日から6月18日(10時~18時)<br />オープンガーデンの予定です。<br />お近くの方はどうぞ!

    【令和5年6月9日追記】

    令和5年6月10日から6月18日(10時~18時)
    オープンガーデンの予定です。
    お近くの方はどうぞ!

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