2023/02/18 - 2023/02/19
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nichiさん
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三島東急ホテルで冬の富士山を見ながら素敵なランチを終えた後、母と家内と私の3人は、三島東急ホテルの目の前にある楽寿園へ。
楽寿園は、明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年から市立公園として三島市が管理運営しています。
入口には小浜池のこの日の水位が表示されています。
時期によってその水位が大きく変わるようです。
近年湧水は減少傾向にありますが、小浜池やせりの瀬などの天然池泉と、周囲の自然林からなる庭園は、国の天然記念物及び名勝に指定されています。
3人で自然豊かな公園内をプラプラして、最後に楽寿館のガイドツアーに参加してみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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三島東急ホテルの目の前が楽寿園の入口です。
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三島駅の近くにこんな公園があるんですね~
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楽寿園はなんと開園70周年。
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並んで入場券を購入。
300円×3人
母用に車いすをお借りしました。 -
さあ中へ。
私たち夫婦は、昨年の紅葉の時期にもココに伺いました。 -
三島市と言えば「水」。
富士山の噴火によって流れてきた三島溶岩。
その溶岩の間から水が沸いています。
富士山に降った雨や雪が長い年月をかけて地中を通り、地下水となり湧水となってこの辺りに出て来ているんですね。 -
さあ楽寿園の中の散策開始です。
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広場に出ました。
多くの飲食系のブースが出ています。
コスプレの撮影会も開催中のようです。
ココには動物園やミニ遊園地もあり、
・小さなお子さん連れのご家族
・コスプレーヤーとコスプレーヤーを撮影する本格的カメラを持ってるカメラマン
・散策する老人グループ
とカオスな状態です。。。。。 -
楽寿園の奥にある郷土資料館にやってきました。
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1階では三島市にゆかりのある方々の展示展が開催されていました。
この犬、可愛い。。
左の文字が達筆すぎて読めない。。。。。
「今日からは、薬降るべし神迎」
「薬降る」とは陰暦5月5日の正午ごろに雨の降ることで、その雨水で医薬を製すると特に薬効があるとされたのだとか。。。
小林一茶の句と玉山人が挿絵です。
全国を巡って生涯で2万もの句を詠んだ一茶。
ココ三島でも句を詠んでいました。 -
「のぼらるる ものとおもへず ふじの山」
瀧の本連水の句集が紹介されていました。
富士を詠んだ百句を集めた自句集「雲霧集」が有名です。
その中の句です。 -
資料館の2階にやってきました。
水が豊かな三島ならではの生活を知ることができました。 -
三島の昔の民家が再現されています。
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いろりを囲んだお家。
日本のどこでも見られた光景ですね。 -
昔の農機具の展示も。
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2階へ。
安藤広重の三嶋大社前の有名な絵がお出迎え。 -
源頼朝が大事にした三嶋大社の説明。
そもそも、源頼朝が挙兵に際し祈願して、緒戦に勝利したことでも有名です。 -
室町時代。
そうだ!
三島には三島暦がありましたね~
ここで展示を拝見して、高校の頃の歴史の授業を思い出しました。
仮名文字で印刷された暦としては日本最古である三島暦。
室町時代から明治まで使われていた日本の暦です。
暦を発行していた三島は、都と肩を並べる存在になったんですね。
今見てもさっぱりわかりませんが・・・ -
山中城の説明書き。
そっか~~
山中城は神奈川県箱根町ではなく、静岡県三島市なんですね~
北条氏によって築城され、小田原城の支城です。
山城です!
以前、行ったことがあります。 -
江戸時代の三島の暮らし。
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近代の三島の暮らし
明治になって世の中が西洋化し、三島では牛乳の代わりにコンデンスミルクが作られるようにありました。
三島ならではの豊かな水を利用した製糸業。
商業の中心地となり、銀行が設立されました。 -
コンデンスミルクの当時の看板です。
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明治の教育の変遷。
三島も日本の他の都市と同じで寺子屋が小学校になっていきました。
三島ならではの特徴は、「バラ女学校」と言うキリスト教の女学校ができたことでしょうか? -
明治時代、三島には連隊ができました。
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三島の古い資料。
そもそも東海道線の丹那トンネルが開通した昭和9年に三島に国鉄の駅ができたのですね。 -
三島も悲しい戦争の時代に突入します。
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戦後の復興
この後、宿場町三島の歴史を知ることができました。
東海道の宿場町として三嶋大社のある三島は栄えていましたが、明治に東海道線が開通したときは線路が離れた所を通過し駅はありませんでした。
東海道線が富士山の北側を通る御殿場線経由の路線だったからです。
1934年(昭和9年)に丹那トンネルが完成し、三島に駅ができて街が再び栄えていきました。
江戸時代の三島の様子がジオラマで再現されており、長閑な雰囲気がわかりました。 -
三島市郷土資料館を出ました。
引き続き楽寿園の庭を歩きます。
この右にあるのは楽寿灯篭。
デカいっす! -
母の車椅子を押しながら奥に進みます。
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水の豊かな三島市。
ココ、楽寿園の中にも池があります。 -
あやめケ池です。
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こちらは小浜池。
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水が豊富な三島の楽寿園の代表的な池です。
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母の車椅子を押しながら家内と3人でゆっくり楽寿園のお庭を歩きます。
ココは水が枯れています。 -
掃除も樹木の手入れも大変だろうな~
ココも元来は水があるところ。
渇水中。 -
小浜池のこの辺の水は枯れています。
夏と違って今は水位が低いんですね。 -
こちらも。
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ここも池です。
水が枯れています。 -
陽が照って暖かくなってきました。
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ポニーのお散歩に出会いました。
可愛い~ -
おっ!
梅の花。 -
青空に映えます。
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小浜池越しに楽寿館が見えます。
小浜池に水はありませんが。。。。 -
昔に比べ、小浜池の水位は低いようです。
今は乾季ですから一番水が少ない時期です。
水があったらきれいだろうな~ -
小浜池に水があるときの写真です。
水位が172cmあった夏の写真です。
楽寿館が水に映ってますね。
※HPより写真をお借りしました。 -
ココにも梅の花。
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可愛いですね~
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家内も母も梅の花の撮影に夢中です。
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家内が撮った写真です。
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これも。。。
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綺麗ですね~
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この辺りからも小浜池越しに楽寿館を眺めます。
水があったら池の中に島があってその島に木々が生えていて、その奥には楽寿亭という素敵な光景が見れるんだろうな~ -
そんなに寒くなく、気持ちいいです。
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おっ?
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梅の花に小鳥が。。。
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メジロですね。
鳥音痴の私たち夫婦でも判ります。 -
ここにもメジロ。
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動きが細かくすばしっこく枝を渡り歩いています。
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可愛いな~~
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5分咲きといったところでしょうか?
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ここも元来は池です。
渇水状態です。 -
のーんびり3人で歩くことが何と気持ちいいことか。。
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いこいの松。
デカいですね~
これは赤松。
園内一の銘木です。
根まわりは約3m、目通り約2m、樹高は約10m弱です。 -
この大きな木は椎の木です。
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楽寿館にやってきました。
中を拝見するにはガイドツアーに参加することです。
次のガイドツアーは14時30分~
あと10分ぐらいなので、しばらく待って入りました。
私たち3人を含め、9名の参加者でガイドツアーは定刻通り始まりました。
中は撮影禁止です。
母は車いすを降りて杖を突いて中を拝見しました。
中はガイドさんについて回ります。
自動音声が流れる場所と、ガイドさんが口頭で説明してくださる場所があります。
「明治維新期に活躍された小松宮彰仁親王の別邸として建てられました。」
との説明。
そもそも小松の宮様ってだれ???
皇族の方ですが、明治維新にあっては議定、軍事総裁に任じられ、戊辰戦争では奥羽征討総督として官軍の指揮を執ってます。
そういえば、NHK大河ドラマ「八重の桜」で出てきましたね~
中は京風建築による明治の代表的な建造物です。
襖絵や杉戸絵、天井画が見事でした。
小浜池に面していて、池と建物の一体化させた工夫が随所に見られました。
約40分のガイドツアーをゆっくり楽しみました。 -
楽寿館の前の苔。
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綺麗ですね~
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溶岩の上に綺麗に苔が育っています。
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三島溶岩流ですね。
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これ、桜です。
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まだ3分咲きぐらいですが、見事ですね~
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楽寿園の中のGEOサイトに行ってみました。
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富士山の噴火の際に溶岩がここまで流れてきました。
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このような溶岩の上にある三島の街ですが、この楽寿園ではその風景が残されています。
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これもすごい溶岩ですね。
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母と家内と3人でゆっくり楽寿園の中を散策しました。
つづく
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旅行記グループ 88歳の母を連れて三島から伊東へ。
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