2023/02/06 - 2023/02/06
154位(同エリア747件中)
愛吉さん
成田街道を歩いています、今回は佐倉から公津の杜迄、佐倉市から酒々井町を経て成田市に入ります、ようやく先が見えた感じ。
街道筋は国道51号線と旧道が入交り車に気を使いながらの歩き。
では京成佐倉駅を出発。
表紙は日本人による最初の西洋医学による療養所、佐倉順天堂記念館。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄
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京成佐倉駅、全員揃ったので午前10時出発。
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駅前通りを真っ直ぐ進むと突き当りに佐倉市立美術館。
旧川崎銀行佐倉支店の建物。佐倉ゆかりの作家作品を収蔵。
でも今日は休館日。 -
左折して進むと、夢咲くら館。
図書館を中心とした街活性化複合施設、4月開館を目指して準備中です。 -
50米程離れて佐倉新町おはやし館。
秋祭り山車人形の展示、伝統行事物産の紹介を行う所、4月からは夢咲くら館に移転します。
こちらも月曜日でお休み。 -
おはやし館の前は高札場。
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街道筋には古い町家が残ります。
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街道から一歩入って宋圓寺。
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佐倉順天堂創始者、佐藤泰然の墓が有ります。
佐藤家墓地、泰全の墓は奥の右側。 -
隣が甚大寺、佐倉藩主堀田家の菩提寺。
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堀田家墓所。
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続いて金毘羅大権現。
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街道に戻ると、明治時代に呉服太物を商っていた商家、三谷家住宅が有ります。
袖蔵が付随する地元有力商家の面影を伝える建物。 -
そのまま蘭学通り(国道51号線)を進むと、右側に佐倉順天堂記念館。
天保14年(1843)長崎で修業した佐藤泰然が開いた蘭医学塾兼診療所跡、現在の建物は安政5年(1858)築、日本人による最初の蘭医学診療所です。
残念ながらこちらも休館日。 -
門から中を覗きます。
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日蓮宗昌柏寺前を通過。
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次いで藤沢の地蔵尊。延享5年(1748)の刻があります。
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酒々井町妙胤寺に到着。 参道。
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本堂。
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次いで清光寺。
1556年創建、徳川将軍家より50石の朱印状と葵の紋の使用を認められた地元の名刹。
山門が閉じられているので、横の通用門より入ります。 -
清光寺本堂。
2019年9月の台風で甚大な被害を受け、その後修復ままならず放置されたまま。 -
本堂内部。
文化遺産が又失われ様としています。 -
街道に戻ります。
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街道に沿って古い民家。
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莇吉五郎家。 苗字が読めません。
案内板の漢字にはフリガナが付いているのに,肝心の苗字はフリガナ無し。
屹度書いた人も読めないままうつしたのでしょう。
帰宅後調べるとアザミと読みます。 -
八坂神社。
酒々井宿の中央にあった村の鎮守。 -
次いで島田家。
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島田家案内板。
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こんな看板を見付けました、立寄ります。
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松枝被りの門の先に小さな公園。
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伝説酒の井碑。
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案内板。
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これが酒の井。
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麻賀多大明神。
千年以上の歴史を持つ酒々井の総鎮守。 -
街の中に道標がポツンとあります。
こちら成田佐原道、あちら宗吾安食道。 -
街の外れに文政13年と刻まれた下り松三山碑、隣は馬頭観音。
当時三山参りは男の死に支度と謂れ、男ならば一生に一度は出羽三山に参り、祖先を供養するのが務めでした。
この碑はその勤めを果たした証として建てたもの、下に当人の名前が有ります。 -
今度は旧道の土手に埋もれて、明治27年建立の成田道道標。
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旧道 大阪。
竹藪の中を長い坂が続きます。 -
外れに大崎馬頭観音堂。
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伊篠の松並木址。
当時は松並木が続きましたが、昭和30年代に最後の1本が枯れ、今は道標を残すのみ。
大きい木製の道標には成田道 伊篠と記され、小さな石碑には宗吾道と記されています。 -
近くには成田山護摩木供養碑が有ります。
成田山で焚く護摩木を用立てる為、信者が寄進した土地を記念して建てたもの。 -
竹之下の地蔵。
田圃の中にポツンと建っています。 -
道は成田市に入りました。
本日はここ迄、京成公津の杜駅に向かいます。 -
公津の杜駅
平成8年に開設した京成電鉄では最も新しい駅。
モダンな駅舎、ここから帰途に着きます。
終
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