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常設展は、中立的な立場で淡々と被爆の惨さを伝えています。<br />とはいえ、最期の展示写真は、大事なメッセージを伝えています。<br />それは「生きる」です。<br />はだしのゲンの作者の伝えたかったメッセージと共通していますね。

広島平和記念資料館を訪れる

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2022/12/23 - 2022/12/23

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gianiさん

この旅行記スケジュールを元に

常設展は、中立的な立場で淡々と被爆の惨さを伝えています。
とはいえ、最期の展示写真は、大事なメッセージを伝えています。
それは「生きる」です。
はだしのゲンの作者の伝えたかったメッセージと共通していますね。

旅行の満足度
5.0
  • 今回の舞台は、平和記念資料館です。<br />展示は、巨大な写真パネルから始まります。

    今回の舞台は、平和記念資料館です。
    展示は、巨大な写真パネルから始まります。

    広島平和記念資料館 美術館・博物館

  • 太平洋戦争前の光景<br />相生橋の左には、中島が写っています。

    太平洋戦争前の光景
    相生橋の左には、中島が写っています。

  • 中島を拡大すると、こんな感じ。<br />中島は、現在平和記念公園になっています。

    中島を拡大すると、こんな感じ。
    中島は、現在平和記念公園になっています。

  • 相生橋の付け根へ視点を引くと、産業奨励館のドームが。

    相生橋の付け根へ視点を引くと、産業奨励館のドームが。

  • 紙屋町交差点<br />江戸時代から続く、今も広島で一番賑やかな場所です。

    紙屋町交差点
    江戸時代から続く、今も広島で一番賑やかな場所です。

  • 尋常高等小学校(現在の中一、中二)のクラス写真。

    尋常高等小学校(現在の中一、中二)のクラス写真。

  • 拡大するとこんな感じで、みんな屈託のない笑顔です。

    拡大するとこんな感じで、みんな屈託のない笑顔です。

  • 1945年8月6日、全てが変化しました。

    1945年8月6日、全てが変化しました。

  • 先述の産業振興会館のドーム<br />

    先述の産業振興会館のドーム

  • 原爆ドームとして、あえて復興させない状態です。

    原爆ドームとして、あえて復興させない状態です。

    原爆ドーム 名所・史跡

  • 中島は、フラットな光景に。<br />密集した建物が消失。<br />「焼失」ではありません。

    中島は、フラットな光景に。
    密集した建物が消失。
    「焼失」ではありません。

  • 良く見ると、米兵が同伴の若い女性とジープを降りて、<br />被爆した光景を「観光」しています。<br />原爆投下から2か月程跡に撮影されています。

    良く見ると、米兵が同伴の若い女性とジープを降りて、
    被爆した光景を「観光」しています。
    原爆投下から2か月程跡に撮影されています。

  • 通路を渡り、本館へ。被爆した少女の写真が出迎えます。

    通路を渡り、本館へ。被爆した少女の写真が出迎えます。

  • 寄り道<br />この後、爆心地という言葉が多数登場しますが、ここが爆心地です。<br />ここの上空600mの地点で爆発しました。<br />展示に戻ります。

    寄り道
    この後、爆心地という言葉が多数登場しますが、ここが爆心地です。
    ここの上空600mの地点で爆発しました。
    展示に戻ります。

    爆心地 名所・史跡

  • 原爆投下から約2時間40分後、爆心地から2270m離れた地点写真撮影した松重美人氏のコメント。<br />カメラを構えたが、シャッターを切れない。20分ほどためらい、やっとの思いで1枚目のシャッターを切った。<br />重いセリフです。

    原爆投下から約2時間40分後、爆心地から2270m離れた地点写真撮影した松重美人氏のコメント。
    カメラを構えたが、シャッターを切れない。20分ほどためらい、やっとの思いで1枚目のシャッターを切った。
    重いセリフです。

  • これが、その一枚。<br />中央に美幸橋の親柱が写っています。

    これが、その一枚。
    中央に美幸橋の親柱が写っています。

  • 現在の美幸橋<br />猫田勝敏記念体育館やゆめタウンの袂にあります。<br />参考までに位置情報を残しておきます。

    現在の美幸橋
    猫田勝敏記念体育館やゆめタウンの袂にあります。
    参考までに位置情報を残しておきます。

    ゆめタウン広島 ショッピングモール

  • こちらは爆心地から6000m離れた場所から、小平信彦氏が撮影したもの。<br />独特の赤色だったと、投下の瞬間を証言。<br />爆発瞬間の周辺地では、まるで他人事のような証言が多く寄せられています。

    こちらは爆心地から6000m離れた場所から、小平信彦氏が撮影したもの。
    独特の赤色だったと、投下の瞬間を証言。
    爆発瞬間の周辺地では、まるで他人事のような証言が多く寄せられています。

  • 爆風<br />爆心地では数十万気圧におよび、周囲に爆風をもたらした。<br />半径2kmの木造家屋は倒壊した。僅かな鉄筋コンクリート建築が残った。

    爆風
    爆心地では数十万気圧におよび、周囲に爆風をもたらした。
    半径2kmの木造家屋は倒壊した。僅かな鉄筋コンクリート建築が残った。

  • 熱線<br />爆風には熱が伴った。焼失せずに即気体になったり、炭化したりと、従来の爆弾とは次元の違う被害が。<br />写真は、有名な人影の石。

    熱線
    爆風には熱が伴った。焼失せずに即気体になったり、炭化したりと、従来の爆弾とは次元の違う被害が。
    写真は、有名な人影の石。

  • 人影の石(実物)<br />爆心地から260m離れた住友銀行広島支店(紙屋町交差点付近)の壁に腰かけていた人物の跡。本人は爆風で吹き飛ばされた。熱線で石は白色化しているが、人物が座っていた部分だけは黒く残った。<br />※カメラで撮ると何とか区別がつきますが、肉眼で見ると影が薄くて分かりづらかったです。

    人影の石(実物)
    爆心地から260m離れた住友銀行広島支店(紙屋町交差点付近)の壁に腰かけていた人物の跡。本人は爆風で吹き飛ばされた。熱線で石は白色化しているが、人物が座っていた部分だけは黒く残った。
    ※カメラで撮ると何とか区別がつきますが、肉眼で見ると影が薄くて分かりづらかったです。

  • 垂れ下がった目玉を手で受け止める。<br />原爆投下1時間後、爆心地から360m離れた西練兵場にて。内田栄一氏作。<br />僕たち、もう歩けない。お母さん、、、と座っていた少年が呟いた後の出来事だそうです。

    垂れ下がった目玉を手で受け止める。
    原爆投下1時間後、爆心地から360m離れた西練兵場にて。内田栄一氏作。
    僕たち、もう歩けない。お母さん、、、と座っていた少年が呟いた後の出来事だそうです。

  • 衣服は引き裂け、皮膚は垂れ下がる。<br />原爆投下2時間後、爆心地から4250m離れた矢賀町にて。吉村吉助氏作。<br />声も立てず、黙々と郊外へ逃げていく姿を描写。

    衣服は引き裂け、皮膚は垂れ下がる。
    原爆投下2時間後、爆心地から4250m離れた矢賀町にて。吉村吉助氏作。
    声も立てず、黙々と郊外へ逃げていく姿を描写。

  • 最悪のタイミング<br />展示室の中心には児童・学生の遺品が展示。<br />8/6は夏休み中でしたが、空襲による火災対策で「建物疎開」プロジェクトが進行中でした。類焼を防ぐ空地作りのために、大勢の若者が市街の建物を解体する作業に召集・作業していました。

    最悪のタイミング
    展示室の中心には児童・学生の遺品が展示。
    8/6は夏休み中でしたが、空襲による火災対策で「建物疎開」プロジェクトが進行中でした。類焼を防ぐ空地作りのために、大勢の若者が市街の建物を解体する作業に召集・作業していました。

  • その中の一人が、広島女子高等師範学校附属中学校二年生だった亀井冨子さん(13歳)です。遺髪は姉の芳子さんによる寄贈。

    その中の一人が、広島女子高等師範学校附属中学校二年生だった亀井冨子さん(13歳)です。遺髪は姉の芳子さんによる寄贈。

  • 創作やフェイクではなく、れっきとした実在人物です(本人の写真)。

    創作やフェイクではなく、れっきとした実在人物です(本人の写真)。

  • 高熱火災<br />最低な内容の発言ですが、爆風と熱線といった一次災害で即死した人は、ある意味幸せだったかもしれません。<br />高温による自然発火は、火災を誘発し、大勢の人が火災によって死亡しました。それは、地獄絵図だったようです。

    高熱火災
    最低な内容の発言ですが、爆風と熱線といった一次災害で即死した人は、ある意味幸せだったかもしれません。
    高温による自然発火は、火災を誘発し、大勢の人が火災によって死亡しました。それは、地獄絵図だったようです。

  • 「死体と間違われて焼かれてしまうと思い、寝なかったんだ。」<br />崇徳中学校1年生(12歳)の浅野綜智さんも建物疎開の作業中に被爆し、翌日に全身やけどで動けないところを発見されました。発見者の叔母が、今日はゆっくり寝なさいと声を掛けると「おやすみ」と言って、そのまま息を引き取りました。横には、遺品の手袋が展示されています。

    「死体と間違われて焼かれてしまうと思い、寝なかったんだ。」
    崇徳中学校1年生(12歳)の浅野綜智さんも建物疎開の作業中に被爆し、翌日に全身やけどで動けないところを発見されました。発見者の叔母が、今日はゆっくり寝なさいと声を掛けると「おやすみ」と言って、そのまま息を引き取りました。横には、遺品の手袋が展示されています。

  • 黒い雨<br />原爆投下は気象にも影響を与えました。<br />空からは、黒い粘り気のある雨が降りました。<br />火災で喉の乾いた人たちは、必死に黒い雨で喉を潤そうとしました。

    黒い雨
    原爆投下は気象にも影響を与えました。
    空からは、黒い粘り気のある雨が降りました。
    火災で喉の乾いた人たちは、必死に黒い雨で喉を潤そうとしました。

  • 全身火傷の女学生<br />爆心地から1800m、堀幸隆氏作。<br />全身火傷を負い、背中には爆風で割れて吹き飛んだガラスの破片が、無数に刺さっている。襷から、安田女学園(女学校)の生徒だと分かる。生物学的に一番美しい時期の身体が無残な姿に。

    全身火傷の女学生
    爆心地から1800m、堀幸隆氏作。
    全身火傷を負い、背中には爆風で割れて吹き飛んだガラスの破片が、無数に刺さっている。襷から、安田女学園(女学校)の生徒だと分かる。生物学的に一番美しい時期の身体が無残な姿に。

  • 赤、青、紫に変色した死体<br />原爆投下2日後、木原敏子氏作。<br />満潮になると死体は漂い、干潮になると大きく2倍にも3倍にも膨れた。男か女か、それも分からず、、、悪夢のような光景だ。丁度鬼みたいなので、赤鬼青鬼と云っていた。<br />

    赤、青、紫に変色した死体
    原爆投下2日後、木原敏子氏作。
    満潮になると死体は漂い、干潮になると大きく2倍にも3倍にも膨れた。男か女か、それも分からず、、、悪夢のような光景だ。丁度鬼みたいなので、赤鬼青鬼と云っていた。

  • 放射線による被害<br />被爆後何日か生き延びた人たちには、未知の地獄が待っていました。。。<br />救援のために広島入りした周辺地域の人々も被害に遭います。<br />

    放射線による被害
    被爆後何日か生き延びた人たちには、未知の地獄が待っていました。。。
    救援のために広島入りした周辺地域の人々も被害に遭います。

  • 脱毛と鼻血<br />竹田初枝さんが、15歳の時に経験したことを記録。<br />大量の鼻血と高熱で失った意識を取り戻してから髪が抜け始め、9/15に全喪失。再び生えるまで、頭巾をかぶって隠した。年頃の女性にとって、惨い症状です。<br />

    脱毛と鼻血
    竹田初枝さんが、15歳の時に経験したことを記録。
    大量の鼻血と高熱で失った意識を取り戻してから髪が抜け始め、9/15に全喪失。再び生えるまで、頭巾をかぶって隠した。年頃の女性にとって、惨い症状です。

  • 平和記念公園の対岸には、毛髪碑もあります。

    平和記念公園の対岸には、毛髪碑もあります。

    灯和の径 名所・史跡

  • 死の斑点が出た兵士<br />9/3陸軍病院にて撮影。21歳の兵士は、爆心地から1000m離れた家屋内で被災。9/1から歯茎の出血が止まらず、顔や上半身に無数の血の斑点が現れ、9/6に死亡。<br /><br />

    死の斑点が出た兵士
    9/3陸軍病院にて撮影。21歳の兵士は、爆心地から1000m離れた家屋内で被災。9/1から歯茎の出血が止まらず、顔や上半身に無数の血の斑点が現れ、9/6に死亡。

  • ケロイド<br />最も有名な皮膚症状。

    ケロイド
    最も有名な皮膚症状。

  • 原爆小頭症<br />被災した胎児は、脳の発育に影響を受けました。

    原爆小頭症
    被災した胎児は、脳の発育に影響を受けました。

  • 原爆症<br />疲れやすく仕事が続かないので、「ブラブラ病」と呼ばれた。見た目ではわからないので、人格・性格上の問題と混同されたり、伝染病のように感染リスクがあるという偏見に苦しんだ。<br />

    原爆症
    疲れやすく仕事が続かないので、「ブラブラ病」と呼ばれた。見た目ではわからないので、人格・性格上の問題と混同されたり、伝染病のように感染リスクがあるという偏見に苦しんだ。

  • 白血病<br />原爆後遺症で、最も一般的なもの。<br />佐々木禎子さんは2歳で被爆し、その後元気に成長しましたが、小学校6年生の時に突如白血病を発症し、8か月後12歳で死亡しました。

    白血病
    原爆後遺症で、最も一般的なもの。
    佐々木禎子さんは2歳で被爆し、その後元気に成長しましたが、小学校6年生の時に突如白血病を発症し、8か月後12歳で死亡しました。

  • 優しくスポーツの得意な彼女は、学校でも人気者。6年生の時には、秋の運動会でリレーのアンカーを務め、見事優勝。至って健康で幸せな毎日です。

    優しくスポーツの得意な彼女は、学校でも人気者。6年生の時には、秋の運動会でリレーのアンカーを務め、見事優勝。至って健康で幸せな毎日です。

  • ところが冬が始まると、首が腫れ、次第に体がだるくなります。検査の結果白血病と診断され、入院生活を送ります。持ち前の明るさで、看護師や患者の人気者に。しかし、青紫の斑点が出たり、皮膚がん甲状腺がんも患い、12歳で亡くなります。

    ところが冬が始まると、首が腫れ、次第に体がだるくなります。検査の結果白血病と診断され、入院生活を送ります。持ち前の明るさで、看護師や患者の人気者に。しかし、青紫の斑点が出たり、皮膚がん甲状腺がんも患い、12歳で亡くなります。

  • 1人の被曝少女の死<br />彼女の死は、クラスメイトの心を打ち、記念碑を建てるべく全国校長会の会場へ乗り込んで支援を訴え、「原爆の子」の碑が建てられました。

    1人の被曝少女の死
    彼女の死は、クラスメイトの心を打ち、記念碑を建てるべく全国校長会の会場へ乗り込んで支援を訴え、「原爆の子」の碑が建てられました。

  • 原爆の子<br />平和記念公園に今も立ちます。

    原爆の子
    平和記念公園に今も立ちます。

  • 被曝したのは日本人、日本民族だけではありませんでした。<br />朝鮮半島から連れてこられた、自ら移動した大勢の人たち、アジア各国からの留学生、日系アメリカ人、捕虜となったアメリカ兵も含まれます。

    被曝したのは日本人、日本民族だけではありませんでした。
    朝鮮半島から連れてこられた、自ら移動した大勢の人たち、アジア各国からの留学生、日系アメリカ人、捕虜となったアメリカ兵も含まれます。

  • フーゴー・ラッサール神父<br />爆心地から1230m離れた教会で、他のドイツ人神父たちと被爆。日本に帰化し、平和記念聖堂を建てる。

    フーゴー・ラッサール神父
    爆心地から1230m離れた教会で、他のドイツ人神父たちと被爆。日本に帰化し、平和記念聖堂を建てる。

  • これが、実物。カトリック教会です。

    これが、実物。カトリック教会です。

    世界平和記念聖堂 寺・神社・教会

  • 本館の展示が終わると、こんな写真が。<br />入口に出ていた12歳の被曝女性。この後、傷や病気を克服しました。写真は、勤務先(20歳)での写真。ただ過去の事実を伝えるのみならず、未来へ向かって生きる大切さをメッセージとして伝えています。

    本館の展示が終わると、こんな写真が。
    入口に出ていた12歳の被曝女性。この後、傷や病気を克服しました。写真は、勤務先(20歳)での写真。ただ過去の事実を伝えるのみならず、未来へ向かって生きる大切さをメッセージとして伝えています。

  • 窓から見る平和記念公園<br />広島の町が復興する中、ここだけ敢えて時の流れを止めました。原爆投下は真夏でしたが、めったにない大積雪は彩色をマスキングし、白黒の単調な世界に。被爆時の不毛地帯を思い出させる寂しい景色でした。

    窓から見る平和記念公園
    広島の町が復興する中、ここだけ敢えて時の流れを止めました。原爆投下は真夏でしたが、めったにない大積雪は彩色をマスキングし、白黒の単調な世界に。被爆時の不毛地帯を思い出させる寂しい景色でした。

    平和記念公園 公園・植物園

  • 被曝前の平和記念公園の敷地。

    被曝前の平和記念公園の敷地。

  • 空中写真で見ると、こんな感じ。

    空中写真で見ると、こんな感じ。

  • 新たな命(菊池俊吉氏撮影)<br />本館最後のコーナーは「生きる」。被爆後に生まれた命を写した2枚の写真が展示されています(もう一枚は、旅行記の表紙写真)。<br />田子はるみさんは路面電車の中で被爆し、一命はとりとめたものの、一緒にいた1歳になる息子を失いました。悲しみが消えることはありませんでしたが、被爆の翌年に女の子を産みました。<br />”失った息子の代わり”ではなく、死んだ息子の”代わりに生かしてもらった”という思いの故だそうです。<br /><br />企画展へ続く↓<br />https://4travel.jp/travelogue/11807805

    新たな命(菊池俊吉氏撮影)
    本館最後のコーナーは「生きる」。被爆後に生まれた命を写した2枚の写真が展示されています(もう一枚は、旅行記の表紙写真)。
    田子はるみさんは路面電車の中で被爆し、一命はとりとめたものの、一緒にいた1歳になる息子を失いました。悲しみが消えることはありませんでしたが、被爆の翌年に女の子を産みました。
    ”失った息子の代わり”ではなく、死んだ息子の”代わりに生かしてもらった”という思いの故だそうです。

    企画展へ続く↓
    https://4travel.jp/travelogue/11807805

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