2023/01/18 - 2023/01/18
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montarouさん
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1月18日、糸魚川市の左岸の最上部にあるフォッサマグナミュージアムを訪れた。ヒスイの他に、各種の岩石や化石、また縄文、弥生遺跡の発掘物の展示もあり、十分に楽しめた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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1月18日、行路の途中で、糸魚川のフォッサマグナミュージアムに寄り道をした。そこは姫川の左岸の高台にあり、海岸近くから車で5~10分で行けた。そのミュージアムは期待したより大変に良かった。
この地域には明星山や黒姫山などの石灰岩山塊があり、黒姫山には大きな鍾乳洞も有ると言う。その山麓には石灰岩を使うセメント製造工場がある。写真の前庭の巨大な白石はヒスイか、石灰岩か? -
写真は蛇紋岩を含む大きなヒスイの原石。ここのヒスイはジェダイト硬玉でNaとAlの珪酸塩で、中国の玉はネフライト軟玉でMgとCaの珪酸塩である。硬軟と言うが、硬度の相違は僅かである。現状は知らないが、昔は明星山の南の小滝川には高さ数メーターの巨大なヒスイの大岩の所有権を主張するために、ペンキで名前を書いたものもあった。
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緑の半透明のヒスイは希少である。写真のような石が落ちていれば、私でもヒスイと想定できる。ただ販売品には、白色ヒスイに緑色を浸み込ませたものも有るようだ。ダイヤやオパールなども含め、全ての宝石が人工合成や変性合成できるようだ。異物を含むものが高価な天然品で、純粋で完全な石が安価なのだ。低純度の石に価値を認める理由は、宝石業界の宗教に洗脳されているのではなく、天地創造をイメージできるからに違いないと信じたい!
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写真のように、ヒスイは白色の多く、希に黒に近い石もあった。ただ白い石にはヒスイ以外の石が多く、ヒスイか、ただの石くれかの判断は困難だ。
昔、小滝川の下流でヒスイらしい石を拾った。私がその石をヒスイと主張すると、白い石など何処にでもある、と否定されてきた。このミュージアムでヒスイを鑑定してくれるとあったが、私の石が、“普通の石だ“と言われるかも、と恐れを感じた。私は真偽より、ただヒスイだ、と信じる方が幸せと思う情けない愚か者だったようだ。
昔、友人が夏の境川を遡り、途中で拾った数キロの石を担ぎ、一週間もかけて、当時は道も無い犬ヶ岳から朝日岳を経て、道のあった北又谷に降りて来た。しかし、その石は蛇紋岩だった。その時、私は北又谷を登っていたが、途中で台風崩れの低気圧の大雨で、後背は約百米の断崖、前は濁流の崖下で、1週間の足止めを食らったことを思い出した。 -
別の建物にある遺跡博物館も訪れた。ヒスイ文化は7千年前から5千年間以上も続いたが、なぜか奈良時代で消滅した。さらに、ヒスイの産出地さえも忘れさられた。初期には、ヒスイが割れ難いので、当初はハンマーのように使われていたようだが、やがて穴を開けて飾りに使い、その後、削り磨き、勾玉に進化した。
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写真は日本での道祖神の元祖かな? 古代の、多産の象徴の太った女性像は世界共通と思うが、多産の象徴としての男性像も世界共通かな? 神話では、大国主が此処の女王?に言い寄って、子供を産ませたという。東西文化の融合かな?
その子供が大国主の次男で、高天原の国をよこせと脅しに来た神と戦い、負けて諏訪に逃げ、そこの主になったと言う。それは紀元後の時代かね? -
ヒスイは関東から東北地方で多く発掘されていて、新潟県から長野県を中心に火炎式土器文化と重なる。主観だが、写真の土偶も縄文の火炎式土器の感性と似ているように思った。ロマンだ!
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