2023/01/22 - 2023/01/22
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かつのすけさん
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伊豆急が発売している季節限定の「伊豆満喫フリーきっぷ」は1月一杯で終了
ということで、一番遠い下田まで乗り、白浜に行った
https://4travel.jp/travelogue/11805815
後、爪木崎で開催されている水仙まつりへ行ってきました
バスを待っている間柿崎地区で、市街に戻ってから幕末の史跡を巡りました
下田って他の時代には歴史にあまり登場しませんが、幕末に黒船が来航し、開港したこともあり、幕末に限りすごく歴史に登場しますよね
【表紙の写真】爪木崎の水仙まつり
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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白浜神社へ行った
https://4travel.jp/travelogue/11805815
後で白浜神社 寺・神社・教会
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次のバスにも追いつかれず、歩いて行ったら結局爪木崎の付け根 柿崎神社まで来てしまった
正式には三島神社といいます -
吉田松陰先生像が建っている
昭和17年10月27日に賀茂郡教育会が中心になって浄財により建設されたそうです -
三島神社は江戸時代には三島大明神・住吉大明神と呼称されていて、古くからの土ノ神(鎮守)です
『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載の論社であった武峯山に鎮座していた「武峰神社」を合祀しています -
バスの時間までまだあるので、すぐそばにある玉泉寺へ
こちらの山門から境内に入ります
ここ、玉泉寺は幕末にハリスが米国領事館として滞在した場所として有名なお寺
それ以前にもロシアのプチャーチン率いるディアナ号乗組員宿舎となるなど、この時代歴史に登場しています玉泉寺 寺・神社・教会
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そんな玉泉寺の入口には「米国領事館」と書かれています
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反対側には「露艦ヂアナ号水兵墓所」「日露交渉の史跡」とも
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山門を入って正面にあるこちらがご本堂なんですが、嘉永7年に締結された日米和親条約による安政3年の開港から米国総領事館閉鎖までの6年間初代米国総領事館となっていたんです
ここにあのハリスがいたんですね~・・・ -
牛乳の碑
ハリスが滞在した際に体調を崩し、近隣から牛乳一升を現在のお金で15~20万円で買ったという記録がこのお寺にはあるそう
ビックリの金額ですが・・・そんな碑です -
で、こちらはハリス顕彰記念碑
ハリスの日記の一文が書かれているそうですが、こちらの碑は昭和2年に渋沢栄一が建てたそうです -
昭和54年にはカーター大統領も訪れたそうで、その記念碑も建っています
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境内にあるハリス記念館
この建物はハリスが住んでいたものなんだそうですが、内部は「撮影禁止」
しつこいほどに書かれていました
なのでこちらをご覧ください↓
https://www.izu-gyokusenji.or.jp/museum/ -
建物の窓はこんなんです
黒船がデザインされています -
記念館の裏手にはロシア墓所(ディアナ号乗組員のお墓)があります
本堂を挟んで反対側には米国人のお墓もあります
ディアナ号は嘉永7年、日露和親条約締結交渉のためプチャーチンの乗艦として函館・大坂を経て下田港を訪れた際、安政の大地震の津波のため大破し、安政元年修理のため下田港から戸田港へ向かう途中、強い西風のため沈没
こちらのお墓は代替船ヘダ号造船中に亡くなったロシア兵と、津波で亡くなったロシア兵を埋葬したものだそうです -
まだまだバスの時間まで30分近くあるので、続いて近くにある弁天島へ
この弁天島は三島神社に立っていた吉田松陰が黒船での渡航を企てた場所なんです
こちらの弁天島は嘗ては島だったそうですが、現在は地続きとなっているので歩いて行くことができます弁天島 自然・景勝地
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その弁天島に見られる地層は数百年前に海底から噴出した火山灰や軽石が海や海流により運ばれてできたもので、地殻変動により地表に現れ、並みで削られたもので、「斜交層理」と言うそうで、伊豆半島ジオパークの一部にもなっています
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『吉田松陰七生説の碑』と『金子重之助顕彰碑』
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こちらは弁天島にある龍神宮です
嘗ては下田城主の守護神だったと言われています -
祠の前にあるこちらから吉田松陰先生はペリーの乗る黒船に密航するために舟を漕ぎ出したそうです
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弁天島公園の中へ
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芝生広場にも松陰先生です
吉田松陰と金子重輔の「踏海の朝」像 -
この海沿いの遊歩道は「松陰の小径」と言うそうですね
柿崎海岸 自然・景勝地
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先ほど降りた柿崎神社のお隣新宮屋バス停からバスに乗ります
12:36 爪木崎行のバスで岬の先端へと向かいます -
直行バスのため、須崎海岸には寄らずに、間もなく終点の爪木崎
バスはほぼ満員だったため、一番前のベストビューで立ち乗車していたので、正面に大海原 その前には灯台が見えます -
10分ほどで終点の爪木崎に到着
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バス停の近くにある花園に温室があったので入ってみましょう
爪木崎花園 公園・植物園
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温室内では熱帯植物が咲いています
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ブーゲンビリアなんかも
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出口付近には大きなバナナの木
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手前にある花園には
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アロエやパンジーが咲いています
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さて、水仙まつり会場へ進みます
毎年12月20日~1月31日に水仙まつりが開催されており、HPによれば既に満開となっています水仙まつり 祭り・イベント
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爪木島が見えるこの高台から下を見下ろすと野水仙の群生地が広がっています
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野水仙群生地には300万本の水仙が群生しています
この辺りが一番の見どころなんだそうです -
すぐそばは海岸
東伊豆方面を見ると天城の山々も見えます -
崖の斜面にも水仙が咲く
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遠目に見るとあまり白さが感じられませんでしたが、最盛期を迎えている辺りはこんなに咲いています
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白い水仙越しに青い海
真っ赤なキダチアロエも咲いている -
南側を見れば高台に灯台が建っています
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灯台の方へ行ってみました
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椿のトンネルを進んで行くと灯台にぶち当たる
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灯台に到着~~~
根元から灯台を見上げる爪木崎 名所・史跡
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10km先にある神子元島が見えますが、この島に建つ灯台は日本最古の洋式石造灯台で、国の史跡にも指定されています
あの神子元島灯台は明治3年11月に初点灯しました神子元島灯台 名所・史跡
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こちらの爪木崎灯台は先日の白浜灯台のように中に入って登ることはできません
灯台の高さは17.32m、昭和12年に初点灯されました -
2017年にこの灯台は恋する灯台に認定されたそうです
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ハートのオブジェ
中央に灯台 -
近くの展望台から海岸に下りていくと俵磯と呼ばれる柱状節理が見られます
海底火山だったころの火山活動で地下マグマが地層の間に入り込み冷え固まったもので、江戸時代には建材用に伐り出されていたそうです -
バス停近くまで戻ってきました
こちらは野水仙の群生地を挟んで灯台と反対側にある高台「雅の丘」 -
近くに御用邸があるので、雅の丘の上には昭和天皇・香淳皇后の歌碑が建っています
昭和49年1月10日の歌会始 お題は「朝」
昭和天皇御製
岡こえて利島はるかに見ゆるかな波風もなき朝のうなばら
香淳皇后御製
くれないのよくぐものへに光さしつかのまにして伊豆の朝明く -
雅の丘からの野水仙の群生
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14:10発の下田駅行バスが来ました
先ほど乗って来たバスは満員でしたが、次便のこちらは意外と空いていました
このバスで下田市街へと戻ります -
来るときのバスは爪木崎直行でしたが、帰りのバスは須崎海岸を経由
爪木崎入口まで来た道を戻って行く -
途中、道の駅のそばに消防の車が停まっていました
この日の朝、廃業した旧下田富士屋ホテルで火事があったようです
既に鎮火していましたけど、火が山にも移って結構スゴイ火事だったみたいですね
終点の下田駅まで来ました -
駅前のマンホール
「黒船」です! -
こちらは駅の前にある「開国の湯」
足湯ですが、依然としてコロナの影響か、やっていません -
市内散策を始めます
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市内にはあちこちにこのようななまこ壁の建物が建っている
雑忠(鈴木家) 名所・史跡
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宝福寺に来ました
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このお寺は唐人お吉が葬られているお寺でもあり、坂本龍馬の赦免を求めた勝海舟が土佐藩主・山内容堂に謁見し、坂本龍馬の脱藩を許した寺でもある、幕末の開国期の日本史に重要な役割を果たした人物にかかわるお寺なんですねぇ
また幕末に下田奉行所が置かれた場所でもあり、世界遺産韮山反射炉を造った江川英龍の息子韮山代官江川太郎左衛門英武が農民調練の場にした場でもあります宝福寺 寺・神社・教会
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ということで、お寺の入口には「坂本龍馬飛翔之地」と書かれていました
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境内には吉田松陰、、、
ではなく、こちらには坂本龍馬の像が建っています -
境内にある唐人お吉記念館に入ってみました
唐人お吉記念館 美術館・博物館
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こちらが唐人お吉
看病人名目でハリスに差し出され支度金25両、給金月10両が与えられたが、すぐにお暇をいただき、暇手当金18両が与えられ地元から疎まれて、明治に入り横浜へ行き、下田に戻った後も三島に移り、再び下田に戻り小料理屋を営むが、乱酔の果てに破産・落魄し1890年に水死した
ハリスの看病人となって(たった3日間ハリスの元で過ごした)ために、人生が狂わされてしまったんですね -
そんなお吉を偲んで祭壇が設けられています
飾られている写真はお吉19歳の頃の写真だそうです -
お吉の墓が記念館の有料エリア内にあります
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こちらは「唐人お吉記念館」ですが、その内部には山内容堂と勝海舟の「謁見の間」が保存されています
文久3年1月16日 山内容堂と勝海舟が会い、坂本龍馬の脱藩が許された場所なんだそうです(当時のまま残されているそうです)
つまり、そのあたりに山内容堂と勝海舟がいたんですね -
山内容堂が勝海舟に酒を振る舞った朱の大杯や龍馬脱藩を許す約束の証にした瓢箪の絵を描いた白扇(歳酔三百六十回 鯨海酔侯)も展示してあります(ひとつ前の画像の掛け軸の下に飾られているのが「朱の大杯」です)
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龍馬ゆかりの品々(でしたっけ?)
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坂本龍馬のよく見る写真
お隣の掛け軸「文開く衣の袖にぬれにけり 海より深き君が美心(まごころ)」の署名も「坂本龍馬」となっている(調べたところ「京都国立博物館像」となっていたので、おそらくこちらは複製品) -
こちらはお吉の幼馴染鶴松の使った品々
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下田のはっさく
ご自由にどうぞということで1ついただいてきました -
宝福寺を後にして続いて来たのは下田八幡神社です
御祭神は誉田別命、素戔嗚尊、天照皇大神の三柱で、下田の総鎮守とされています下田八幡神社 寺・神社・教会
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神門を潜り奥へ
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石段を上ったところに拝殿があります
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境内には力石
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御神木のビャクシンは樹齢400年です
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神社の近くにあったのは1837年生カノン砲
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その先をちょっと曲がって行ったところ(下田文化会館の前)に吉田松陰拘禁之跡があります
吉田松陰拘禁の跡 (長命寺跡) 名所・史跡
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幕末の志士吉田松陰は海外事情を学ぶため鎖国の禁を犯し密航することを決意した
長崎へ来航したロシア船への便乗を佐久間象山に勧められ急行したが間に合わず、翌嘉永七年三月再航したペリー艦隊の後を追って弟子金子重輔と下田へ来た
機をうかがい夜中柿崎より小舟でペリー艦隊ボーハタン号に漕ぎ着け、渡米を懇請したが、ペリーに拒絶された
壮図空しく破れた松陰等がいさぎよく自首して拘禁された場所がここ宝光院長命寺(廃寺)であった
さらに平滑の獄に移され、同年四月十一日には江戸伝馬町の獄に送られた
松陰等が下田に滞在した期間は十四日の短いものであり、また海外渡航は失敗に終わったが、その行動は幕末開港の歴史に欠くことのできない重要な一頁を刻むものであり、後に与えた影響は大きかった(案内板より) -
マイアミ通りの突き当り辺りに了泉寺があります
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境内にある黒船ミュージアムです
今回は時間も無くなって来たので入りませんでしたが、黒船来航や幕末の異文化交流に関する資料が所蔵されていて、教科書やテレビで見る黒船・ペリーの絵や開国に関する画像資料はほとんどが了仙寺から提供されているんだそうですMoBS黒船ミュージアム 美術館・博物館
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こちらの了泉寺
1854年3月31日米全権ペリーと日本幕府全権・林大学頭により日米和親条約が結ばれて下田は鎖国以来日本で最初の開港場となりましたが、その条約が締結されたのが、この了泉寺なんです
この御本堂もその当時のものだそうです了仙寺 寺・神社・教会
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境内には「了泉寺横穴遺跡」があります
自然洞窟を利用した古墳時代後期の埋葬施設で、現在までに防空壕・物置き場などとして利用されてきた関係で洞窟の形状は大きく損なわれて、かつては奥壁があったが現在は貫通しています -
下田市指定文化財にもなっている今村伝四郎等三代の墓もあります
第二代下田奉行今村正長、同四代今村正成、同五代今村正信の墓で、江戸時代初期のものです -
こちらが正式な入口だったみたいですね
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進んで行ったらそこはペリーロードでした
幕末、黒船により来航したペリー提督一行が了仙寺で日米和親条約付録下田条約締結のために行進したのがこの道なんですペリーロード 名所・史跡
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なまこ壁や伊豆石の趣ある建物が並ぶ風情ある通りを歩いて行き、目立たない細り路地が長楽寺の入口
この辺りは幕末 下田の花街だったそう -
こちらにも宝物館がありますが、先ほど同様時間の関係で入館せず
お吉観音等が公開されているそうです長楽寺宝物館 美術館・博物館
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先ほどの了泉寺は日米和親条約が締結された場所ですが、こちらの長楽寺では日露和親条約が締結されました
また、日米和親条約については、ここで批准書が交換されました長楽寺 寺・神社・教会
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長楽寺の正面の入口もこちらだったみたいです
赤い橋を渡り、再びペリーロードへ -
平滑川にはカモ
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こちらはペリーロードからちょっと外れた場所にある欠乏所跡
日米和親条約により下田が開港され、航海上必要な薪、炭、水、食料などの欠乏品のみの供給を認めていたが、条約のあいまいな取極めのため実質上の貿易が欠乏品の名目の下で行われていた場所欠乏所跡 名所・史跡
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ペリーロードに戻り、突き当りにあるなまこ壁の旧澤村邸
旧下田ドック創業者で下田市長も務めた澤村久右衛門氏により1915年に建てられました旧澤村邸 名所・史跡
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澤村邸の内部
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無料休憩室として開放されています
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蔵を改装したギャラリー
伊豆石となまこ壁の建物です
この日は開館時間を過ぎてしまったため中には入れませんでしたが・・・ -
港に出たところに建っていたペリー上陸記念碑です
ここがペリー率いる米国艦隊が上陸した場所ですペリー上陸記念碑 名所・史跡
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そのすぐそばに嘗て下田城だった下田公園に登って行く入口があります
下田公園 公園・植物園
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坂の途中にあったのはカーター大統領来日記念碑です
昭和54年6月27日 東京サミットで来日中のカーター大統領が下田を訪れオープンカーで市内パレードが行われたことを記念するものです -
お城の跡っぽい石垣も残っていますね
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その上にある広場から階段を登ったところには
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開国記念碑があります
開国記念碑 名所・史跡
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ペリー提督とハリス領事のレリーフ像に、2人の言葉が刻まれています
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こちらは村松春水翁の碑
この人は明治の下田に住んだ医師だそうですが、お吉研究家として知られている人のよう -
その近くには港を見下ろす展望台がありました
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そこからの眺めですが、坂本龍馬が黒船を見たのがこの辺りだということです
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ペリーロードの方へと下ってきたら下田蓮杖翁之碑
こちらは下田に生まれた日本最初期の写真家の一人 -
港を歩いているとまたも大砲
こちらは1829年製30ポンドカロネード -
舵のオブジェもありました
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さて、昼食をとり損なってしまったので、道の駅に来れば何とかなるだろうということで、道の駅 開国下田みなとに来ましたが、、、
16時を少し過ぎてしまったようで、既に道の駅は営業終了してしまったようです
意外と道の駅って閉まるの早いんですね道の駅 開国下田みなと 道の駅
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仕方なく駅に戻ってきましたが、
伊豆急下田駅 駅
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駅ナカにあるお店も16時になったら閉まってしまい、このお店も16時半には店じまい
意外とどのお店も早く閉店してしまって、駅前もあまり食べるところなかったままやまきち 下田店・開国屋 グルメ・レストラン
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やることもなく駅の中を散策
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結局そのまま改札を入りました
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いつも伊東では目の前のホームに停まっている東海道線直通の電車に乗継できますが、今回は伊東までのフリーきっぷなので、事前にとりあえず伊東から熱海までの切符を買って乗車(スイカで再入場したりする時間も多分ないので)
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踊り子号と黒船電車
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線路の終端の前には昭和36年の伊豆急行線の開業時から平成14年まで活躍していた100系電車の実物の車輪が展示されています
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帰りの電車は17:20発のこちら伊東行
寒かったけど、出発10分前ドア開きません伊豆急 伊豆急行線 乗り物
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18:27 伊東駅に到着
乗換体制万全で切符も事前購入したのに、今回は乗換時間が十分ありすぎ(乗継悪かったということです)
何で事前に切符も買ったこの日に限って・・・と思いましたが伊東駅 駅
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次の電車は18:44発の高崎行でした
JR伊東線 乗り物
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19:30 上野東京ライン直通なので、熱海で乗換もなく小田原駅に到着
小田原駅 駅
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さすがにお腹減ったので、駅の丸亀製麺さんで
小田原ラスカ ショッピングモール
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軽くぶっかけ
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小田原からはいつものように格安(?)乗車券自販機でこちら
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小田急線で帰ります
小田急小田原線 乗り物
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