2023/01/11 - 2023/01/16
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この旅行記のスケジュール
2023/01/11
2023/01/16
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長男と沖縄へ行く旅行の日が去年の秋頃に決まり、年が明けるのを楽しみにしていました。孫娘が産まれて旅行に連れて行けるようになった1歳から沖縄へ来られるようになり、これで3回目の旅行です。2021年には今帰仁城、勝連場で、見晴らしのよい本丸でお座りをして写真を撮りました。2022年はハイハイをするようになり、孫娘は訪れた琉球村の民家の中をハイハイして動き回っていました。今年は、もう歩けるようになり、どこへでも自由に行くことが出来る姿を見ると、孫娘の成長は目を見張るものがあります。
今年は嘉数高地と浦添城跡へ行きました。ベビーカーを持っていきましたが、ゆいレールの中で使ったくらいで後は自分の足で歩くことが出来て、3歳1ヶ月とは思えない健脚に驚きました。大人の足で7kmを超える旅行でした。孫娘が歩いた距離はどのくらいなのかはわかりませんが、かなりの距離です。
嘉数高地では標高92mの小高い丘にある階段をすべて登り切りました。
浦添城跡でも自分の足で長男と同じ場所までいくことが出来て、ひるまない挑戦的な性格を垣間見ることが出来ました。
さすがに途中でお昼寝をするのではないかと思いましたが、私たちと別れる最後まで起きていました。体力的にも長男のDNAを受け継いでいるように思います。
私と夫は年を取り、体力は坂を下っていることを実感する旅行でしたが、孫娘が成長するのですからそれはやむを得ないことだと思います。
しかし、アンチエイジングでこれからも旅をしていきます。
孫娘は本当に可愛いものです。目の中に入れても痛くないとよく言われますが、それほど可愛いいものです。
旅行を計画してくれた長男に感謝です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- タクシー JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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浜松町からモノレールに乗って羽田空港に向かっています。車窓にレインボーブリッジが見えてきました。慌ててカメラを出して写真に収めました。橋全体をとることができたのはこれが初めてです。よい写真が撮れてよかったです。
レインボーブリッジ 名所・史跡
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予想していた通りJALの機内はガラガラでした。昨年の年末の混雑とは全く違う飛行機のように思います。
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しばらくすると翼の下に富士山が見えてきました。かなり低い高度で飛んでいます。昨年末に沖縄へ行った時には、もっと高いところから富士山が見えて、火口が見えていました。
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那覇空港のゲートに向かって歩いています。胡蝶蘭が咲いているのを見ると、沖縄に来たなぁと思います。とにかく暖かい。
那覇空港 空港
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ホテルは壺川駅徒歩3分にある「東急ステイ」です。ここが常宿になりつつあります。駅に近くて便利です。そして隣にドンキホーテがあるので買い物ができて便利。旅行に持ってくるのを忘た物も隣へ行けばすぐ手に入る安心感があります。
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今回は最上階を要望し、要望通りに11階に部屋が取れました。
窓からの眺めです。右手奥は海です。那覇湾です。 -
そしてなんといっても広いバスルームからこの景色を見ることができるので最高です。
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このような感じで入浴しながら外の景色が見えます。
夕方はいっそう素敵な景色になります。 -
そして、洗濯機が部屋にあるのは助かります。着替えの荷物が半分で済みます。
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夕食に国際通りにあるサムズに行くことにしました。国際通りは賑やかでした。コロナの前の活気が戻ってきているように思います。
国際通り 名所・史跡
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乾杯!今日もいい旅ができました!
お店の中も活気があり、賑わっていました。サムズ アンカーイン 国際通り店 グルメ・レストラン
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コックさんが目の前で焼いてくれます。味付けの調味料の缶をくるくると空中で回してパフォーマンスを見せてくれます。
「かなり練習するんですか?」
「はい、かなりやってます」
そうですね。そう簡単にはできないと思います。 -
青梗菜とエリンギの油炒め。熱々のところを食べると普段よりずっと美味しく感じます。
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これが食べたかった。伊勢エビのウニソース焼き。
伊勢エビとウニとの味がミックスされてとても美味です。
玉ねぎを1センチ位に切ってバターソースで焼いていました。これもなかなかおいしかったです。家に帰ってからやってみました。玉ねぎの甘みがバターと醤油とマッチしておいしい調理方法だと思います。 -
お腹いっぱいになりましたが、帰り道でマンゴーのソフトクリームが目に入り、デザートは別腹の通りゆっくり食べて帰りました。
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次の日の朝食です。ちょっと食べ過ぎと言う感じがしないでもありません。東急ステイのすばらしいところは朝から海鮮丼が食べられることです。もちろん私は海鮮丼ではなくお刺身で食べています。「もずくの天ぷら」これが絶品です。郷土料理が出されるので、沖縄料理の店に食べに行こうと言う気持ちになりません。
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この日は朝早かったので、ダイニングは空いていました。
次の日には、周りを見渡すと、ヨーロッパ系の外国の方ばかりに取り囲まれて、聞こえてくる言語が日本語ではないのです。まるで外国旅行をしているような気持ちになりました。このホテルは外国人に人気のホテルのようです。 -
さて、孫娘と息子との旅の始まりです。壺川駅の脇を流れている国場川の対岸は奥武山公園になっています。とてものどかな公園で次の日に散歩に行ってみました。
ゆいレールに乗って「おむろまち駅」まで行きます。ホームに長男と孫娘がいるはずです。 -
おむろまち駅のホームに二人はいました。私たちが乗ってきたゆいレールに二人が乗り、出会うことができました。紗〇ちゃん。久しぶり。
昨年の暮れに次男一家と沖縄へ行っていますが、その時に羽田空港に見送りに来てくれた日以来ですね。また少し大きくなったみたい。元気で来られてよかった。 -
足元を見るとかわいいピンクの靴。私が送ったのも、やはりピンクのニューバランスの靴でした。16cm。「その靴かな?」と思ってよく見ると、残念ながらアシックスでした。ばーばの靴も履いてくれたそうです。
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夫と長男は何やら話しています。会えてよかったというところでしょうか?
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紗〇ちゃん記念撮影しましょう。孫娘はこのようにポーズをとってくれました。お利口になりました。ちゃんとわかるのですね。
以前にベビーカーに乗せて、長男が買い物をしている間、お店の前で待っていると、道行く人に「お孫さんですか?よく似ていますね」と言われたのを思い出します。やはり似ていますね。表情と目元が。 -
ゆいレールの終点駅「てだこ浦西駅」で降りて、タクシーに乗りました。向かうは嘉数高地です。
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ここは太平洋戦争末期の沖縄戦において、1945年4月8日から16日間、最大級の戦闘が行われた場所です。日本軍は嘉数高台の低いところに反斜面陣地を作り、米軍から「死の罠」「忌々しい丘」と呼ばれた場所です。
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その時の戦闘が行われた銃弾の跡が公園の一角にそのまま残されていました。
嘉数高台公園 公園・植物園
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米軍が首里に行くためには、どうしてもここを通らなければなりません。兵力で大きな差(日本軍6万、米軍18万)がある日本軍は、障害物としての嘉数高台を利用して、米軍の進行を食い止めました。
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嘉数高地を盾にして、後ろの主陣地から米軍に射撃、攻撃をしたのです。
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そんな事は全く知らない孫娘はご機嫌で壁の前に立って、飲み物を飲んでいます。平和な時代がきました。
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陣地壕は1944年の夏ごろから老人や女性を含む多くの人々が駆り出されて作られています。この時から米軍が上陸してくることを想定していたのですね。
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固い岩盤が、砲弾から身を守ってくれますが、その固い岩盤を掘るのは大変な作業だったと思います。トーチカがあるので行ってみることにしましょう。
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嘉数高地の高さは92mあります。急な階段を上って丘の上まで来ました。そこにはドームのような見晴台がありました。孫娘は自分の足でついに最後まで登り切りました。驚きでした。
嘉数高台展望台 自然・景勝地
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この階段もトコトコと自分の足で登ってきました。帰りは転げ落ちると大変なので長男が抱っこしておりました。
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展望台からの眺めです。市街地を抜けた先に広い飛行場が広がっています。普天間基地です。
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解説がありました。
確かに、ここからは普天間基地が一望できます。ロケーションとしては最高の場所です。ここに陣地を敷けば、上陸してくる米軍が一望できます。 -
普天間飛行場の解説がありました。
基地が占める割合は24%。軍人・軍属は約3200人、日本人従業者218人。
年間騒音回数11,404回。
普天間飛行場常駐機
オスプレイ ヴェノム スーパースタリオン等 -
普天間飛行場の周りは市街地があり、着陸に失敗すれば大惨事が起きることが予想されます。
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トーチカの説明です。
ロシア語だそうです。厚さが1m、内部は2m。この中に入って前面の穴から小銃や機関銃などを出して米軍を攻撃したそうです。 -
よく見ると確かに上の方にコンクリートが積み重ねられて頑丈にできていました。銃撃でできた穴が残っていました。
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孫娘は階段を下りてトーチカの所までやってきました。階段も怖がらずに自力で降りられます。
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記念撮影。ちょうど、ツアーでここを訪ねていたアメリカ人グループの方がいらしたのでシャッターを押していただきました。
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さらに先へと進みます。紗〇ちゃん、疲れたでしょう?ばーばと手をつないで歩こうね。孫娘の手を引いて歩きます。このような日がこようとは思っていませんでした。夢のようです。
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しばらく歩くと「京都の塔」という碑がありました。京都?なぜ?
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理由が分かりました。
ここで亡くなられた方の多くは京都出身の方だったのですね。
今でも慰霊追悼祭が行われているようです。
お酒が碑の前に供えられていました。 -
ここでひと休憩。孫娘は探検に歩き回っています。疲れを知らないようです。
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転ばないように、しっかりと下を見て歩いています。石畳になっているのでつま先をひっかけたら転倒することが分かるのでしょうか?
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京都の碑の所に来ました。何だろう?という感じで見ています。やはり興味を引く場所ですね。
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なだらかに丘を下る道が西の方角に伸びていました。道に沿って気が植えられていて見上げてみると、
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桜!
桜が開花しています!
沖縄は暖かい。この日は20度を超えていました。 -
嘉数高台を降りてきました。たぶん日本軍が陣地を置いたと思わる場所は、公園になっていて、子供たちが喜んで遊べる遊具がたくさん設置されていました。
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嘉数高地をバックに戦後75年を経て、子供たちが遊ぶ。
とても大きな犠牲の上に成り立っています。 -
得意の滑り台を滑り降りて、ハイポーズ!
滑り台が好きなのですね。
しばらく遊んだ後、呼んでいたタクシーが来て浦添城へと向かいました。 -
浦添グスク・ようどれ館です。
ここに入って全体像を把握します。浦添グスグようどれ館 美術館・博物館
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浦添ようどれと浦添グスクの歴史を説明したVTRを放映していました。
孫娘は画面の下に立って、まるで説明をしているかのようなしぐさをしているので面白くなりました。みんなの前に立つことが好きなのでしょうか? -
浦添グスクで最初に行った場所は展望台です。展望台からは孫娘の背の高さでは景色を見ることができません。長男が抱っこして景色を見せました。とてもうれしそうでした。
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これが見えた景色です。先ほど訪れた嘉数高地が前に見えます。その向こうに普天間飛行場が広がっています。琉球国、中山王もこの景色を見ていたのですね。
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ロンドンから日本に遊びに来ている青年に写真を撮ってもらいました。彼は半袖半ズボンで夏向きの洋服を着ていました。ロンドンから来れば沖縄暖かいですよね。
私たちもとても暖かいと思います。 -
ようどれの全景の会がありました。「ようどれ」とは琉球語で「夕凪」と言う意味だそうです。琉球王国初期の王陵(墓)です。
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ようどれへ行くためには階段を降りなければなりません。長男と孫娘はどんどん降りていってあっという間に階段の下まで降りていました。本当に孫娘の足が丈夫なのには感心します。
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階段を降りきったところで、今度は登りの階段がありました。その先にようどれが見えています。
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階段を上って細い道をどんどん進んでいきました。孫娘は父親の後を追ってしっかりと歩いています。
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やがて、ようどれの出入口に着きました。この入り口はどこかで見たことがあります。どこだったかは思い出せないと、「沖縄にはたくさんの城があるので、きっとどこかでくぐっているんだろう」と長男に言われました。
浦添ようどれ 名所・史跡
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ここが一番庭と呼ばれる終点です。ここに尚寧王(東室)と英祖王(西室)のお墓があります。まぁ、孫娘にとっては遊び回れる格好の場所と言う感じです。
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これが英祖王陵(西室)です。琉球国初期の王陵です。(1265年~1274年)
このようどれは英祖王が築いたと言われています。 -
こちらが東室です。尚寧王の墓です。
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浦添グスク・ようどれ館の中に王陵の中のレプリカがありました。このようになっています。かなり広いです。
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説明がありました。
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長男が撮ってくれた写真です。孫娘と2人で何か話しているように見えます。
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「紗○ちゃん記念写真を撮りましょう」といってもなかなか孫娘はカメラの方へ向いてくれないのです。やっと向いてくれた1枚です。
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ようどれを見終わったので、城跡へと向かいました。孫娘はベビーカーのパイプのところにつかまって歩いています。長男に聞いてみると、よくこういう方法で散歩に出かけるそうです。捕まって歩いたほうが安全ですからね。
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緩やかな坂道を登ると城跡に近づいてきました。城壁の1部が残っています。
浦添城跡 名所・史跡
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ここからの眺めも最高です。13世紀に築かれた浦添グスクは、1406年に首里に移るまで王都でした。高麗系の瓦葺の正殿を中心に石積み城壁で囲まれた大規模なグスクでした。
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浦添グスクの周辺には、王陵・寺院・大きな池・屋敷・集落などがあり、後の王都首里の原型が出来上がっていたようです。孫娘が歩いているあたりは、浦添家の館跡かもしれません。道ではなく、草の上を歩きたがりました。きっと草の上の方が気持ちが良かったんでしょうね。
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やがて広い広場に出てきました。展望台があります。
浦添城跡展望台 名所・史跡
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ここからの眺めです。琉球国の中山王はここからの眺めを楽しんでいたことでしょう。海から来る敵が見渡せるので、防衛にはもってこいの場所です。
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ここでもう終点かと思いました。しかし、その先に階段があり、下へ下ることができました。
さすがに孫娘も、この階段は急すぎて降りることができず、長男に抱っこしてもらっておりました。でも降りようとする意志を感じて驚きました。「パパが行くところだったら、私も行く」と言ってるように思いました。 -
階段を下ったところに「前田高地平和の碑」がありました。ここを死守するために多くの尊い命が奪われたことがわかります。
孫娘の足には、たくさんの草の種がついてしまい、それを長男が一生懸命取り除いているところです。 -
「恒久の平和のゆるぎない礎にしたい」
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浦添城跡からゆいレールの浦添前田駅へ向かうことになりました。徒歩圏内なのです。途中で興味深い掲示を見つけました。
なんとここから首里城が見えるのです。遥か彼方に、それらしき建物が見えます。 -
そして、なんと首里城まで石畳が敷かれていたそうです。尚寧王が1597年に整備した石畳道です。当時のままではありませんが、復元されていました。
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孫娘はしっかりとした足取りで石畳を歩いて行きます。とても頼もしく思いました。
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転ばないように下をしっかりと見て歩いています。応援したくなってしまいます。孫娘と一緒に首里城へ向かう石畳を歩くことができるなんて考えてもみませんでした。
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ばーばと一緒に歩こうね。手をしっかりと握って孫娘をサポートしました。
孫娘と手をつないで歩ける幸せをしみじみと感じています。いつまでこのように一緒に歩くことができるのでしょうか。 -
私は、昨年の暮れから、膝を痛めて歩く時に痛みがある状態でした。12月に寒い中をテニスをやりすぎました。しかし、そんな事は言っていられません。
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途中でじいじに交代。浦添前田駅までベビーカーを使わずに歩き通すつもりです。すごく頑張り屋だと思いました。
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浦添前田駅でゆいレールを待っている間に撮った記念写真です。
かわいい!
ポーズが決まりました! -
ゆいレールに乗りました。一番後ろの車両の窓からレールが見える席に座っています。とても珍しい景色なんでしょう。
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孫娘は一睡もせずしっかりとレールを見ています。じいじの方が疲れているようです。孫娘は興味があることに集中して取り組むことができるようです。
とても楽しい旅行です。
沖縄、那覇まで来て、孫娘と長男と一緒に旅行ができるなんて最高です!
来年もまた来ましょうね! -
次の日、ゆいレールの壼川駅です。この日の夕食もサムズに食事に行きました。長男がJCBのチケットをプレゼントしてくれたからです。
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今日も良い旅ができました。乾杯!
何回飲んでもオリオンビールはおいしいですね。 -
サムズのカレースープには特徴があります。普段カレースープは飲みませんが、クルトンを浮かべて飲むととても美味です。
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驚いたことに調理してくれたコックさんが前回と同じ方でした。
今日も食べてしまいました。伊勢エビのウニソースがけとサーロインステーキ。
とてもおいしかったです。 -
2日後に首里城を見に行くことにしました。
首里城の復元が始まっているはずです。消失してから3年。どのくらい進んでいるでしょうか? -
前回訪ねた時に工事中だった瑞泉門はきれいに塗りかえられていました。鮮やかな赤です。
首里城 グルメ・レストラン
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奉神門をくぐると目の前に広がったのは復元工事の建屋でした。順調に復元工事が進んでいるんですね。壁には正殿の絵が描かれていて、完成した時にはこのような建物になる事が想像できます。2026年の完成を目指しています。
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2019年10月31日に消失した時の様子の写真がありました。
首里城復興展示室に行ってみて分りました。火災報知器は設備されていましたが、スプリンクラーがありませんでした。それでは初期消火はとても難しい。
2026年に完成する正殿にはスプリンクラーを整備するそうです。 -
東のアザナ(見物台)へ行ってみました。正殿の場所に建屋が立っています。この日は日曜日だったので、作業をしている様子を見ることが出来ませんでした。ガラス張りになっている場所があり、中の様子を見学することができます。
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首里城復興展示室には応援メッセージを書くコーナーがありました。
何かメッセージを送りたいと思って書いてきました。 -
このように、応援メッセージを掲示する場所があります。多くの人が応援しています。
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言葉だけでは、足りない気がしました。
奉神門の前で首里城の漆塗り原料「ニービの粉作成、ボランティア」を募集していたのを思い出し、瑞泉門からもう一度登城してボランティアに参加することにしました。内容は火災で破損した正殿の柱を支えていた礎石(ニービ)を、細かく砕く作業です。 -
20分ほどの作業で小石だった正殿の柱が細かな砂になりました。「ニービ」と言うそうです。この粉は漆・水と混ぜ、新しい首里城の正殿の漆塗装の下地材になるそうです。
一人の力は小さな力ですが、多くの力が集まれば大きな力になります。 -
私が砕いたニービが新しい首里城に使われると思うと、完成したら、必ず見にこようと思います。
係りの方に「完成したら必ず見に来ます」と言って渡してきました。 -
次に向かったのは識名園。琉球王家最大の別荘です。
池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的にしている「廻遊式庭園」だそうです。識名園 公園・植物園
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2000年にユネスコの世界遺産に登録されています。
池の中にある六角堂へ渡ってみました。錠がかけられいて中には入ることはできません。島へ渡る橋は一つの石(琉球石灰岩)でできているそうです。 -
池を周遊して識名園の端にある勘耕台に来ました。ここからの眺めは沖縄が島ではないと思わせる景色です。昔はここには田畑が広がっていて、もてなした客人に琉球国の広さを実感してもらうことが出来たとか。
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次の日、楽しかった那覇旅行を終えて那覇空港から飛び立ちました。
機種はA350-900。座席から機外カメラで離陸の様子を見ることが出来ました。
画面は前輪が離陸した直後でまだ見えている景色です。滑走路の向こうに海が見えます。那覇空港 空港
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快適な空の旅。青い空が美しいです。帰路は偏西風を後ろから受けるので1時間40分で羽田空港に着きました。
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無事に着陸。整備の方、ご苦労様です。
孫娘と長男と旅することが出来た嘉数高原・浦添城の旅行。
孫娘の成長する姿を見ることが出来て至福の時間でした。これからも孫娘の成長を見ていきたいと思います。それには、健康に留意し、アンチエイジングで日々を過ごしたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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